episode7.本当に辛いのは

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 今まで通過した町は有象無象・脇役だったのかと思う程抜きん出た発展を遂げた広い都市に、ユカは足を踏み入れた。町の中では人が密集、そして密集。
 ホエルオーを縦に三、四体重ねても届かないくらい高いビルが、そこかしこに聳え立つ。夥しい数のガラス窓が付けられているが、一枚ぐらい外れて落ちてこないだろうか、と変な心配をした。そんな都市内をユカは躊躇せず進む。
 縦横無尽という言葉そのものであるかのような交差点の白い線を、多種多様な色の車やトラックが踏み潰す。信号機の色が変わると待機していた人々が一切に渡り出した。半分ぐらい進んだ段階で信号機が警告の意思で点滅したから、ユカは小走りで渡り終えた。ここの横断歩道は小走りが前提らしい。
 都市の中央部には、歴戦を勝ち抜いたポケモン達がしっちゃかめっちゃか暴れまわっても耐えうるドームが、俺様がこの世界の主人公だと言わんばかりに胸を張って聳え立つ。その付近は人の密集度が他の二倍で、全員が同じ方向に歩いている。我が主は自分の意思でここに来た筈なのに、まるで人の流れに引っ張られるかのように中へ入った。
 ここへ来た理由はセイゴのバトルを観覧するためだ。ユカとセイゴが関係性は未だに掴めないが色々とお世話になっている人の晴れ舞台を観に来るのはまあ普通だと思う。


 セイゴが戦っている最中は外に出してもらった。あのサメハダーが敵に噛み付く姿を直接観た。私に襲いかかった時とは比べ物にならない迫力。渾身の力を振り絞った攻撃はこれかと目を丸くし口をあんぐりさせた。
 けれども、冷静に見てみると、捕食を目的とするサメハダーの攻撃と比べたら、おどろおどろしさは劣っていると思った。モニターに映る彼の目は迫力満点に敵を睨んでいるが、狂気というものが欠片も感じられない。口の中に潜む凶器は不気味に輝かない、撒き散らされる唾液もなんだか躍動感がない。観客の立場で観ると違いが良く分かる。
 まあ、違うのはそりゃあそうだろうという話だ。これはあくまでスポーツとしての戦い。
 セイゴは準決勝で惜しくも破れた。破れたときの表情が見たかったが、残念ながらモニターにででんと悔しげな表情を晒すような残酷性を本大会は持ち合わせていなかった。
 この大会は、バトル文化の中でどの階層に位置するのだろう。世界大会とかではもちろんないが、集った人数から推測するにそれなりに上の階層な気がする。その中で四位という結果は、称賛すべきことなのだろう。大会の規模については尋ねたことがなかった。それより私の興味対象は、サメハダーがいつ過酷な戦いやトレーニングの日々から開放されるのか、なのだけれど……。
 あのサメハダーは、もはや友達と言って良かった。正直、オドリドリやルガルガンよりも、親しみを持って会話することができた。友達の身を案じるのは当たり前のことだ。
 ひとまず大会前の一番しんどい時期は乗り越えられた。でもこれで何もかも終了ではない筈だ。別大会が近づけば再度壮絶な日々が始まる。その繰り返しに幸福はあるのか。


 大会がフィナーレを迎えてから何日か経過し、世が落ち着いた頃。この日が私の、いや周りの人、ポケモン全てにとって重大なターニングポイントだった。最もターニングポイントと呼べる程崇高めいたものはないかもだが、聞いた人によっては心地良い快感となって胸に染み渡る可能性もあるから、さあ私は詳細に語る権利を得ようと思う。
 都会の町に聳え立つ建物の一つにユカのセイゴが立ち入ったのはお昼過ぎのことだったか。旅に必要な物を買い揃えると言っていたが、なぜこのタイミングなのだろう。きっとここでないと買えない物があるのだと思う。我々手持ちポケモンはボールから出され「屋上で遊んで待っていて」と言われた。ボール内に年中いると飽きたりストレスが溜まったりすると杞憂しているのか、ユカはこうして自由行動させることが時折ある。
 建物の屋上はかなり広くてハネブーでも飛び越せなさそうな程高い柵が付いているため、遊び回ったりバトルしたりすることができる。本日は公開していないが中央ではポケモン達が芸を見せるサーカスも開かれる。私は気まずさを回避する目的でルガルガンやオドリドリから距離を置き、屋上の苔生した所で体を丸めウトウトしたりあくびをしたり、傍から見て緊張感のない行為をしていた。建物の近くの海の匂いが心地良かった。


 水鉄砲の音が耳に届き、寝ぼけていた頭が覚醒した。二、三回ならバトルでもやっているのだろうが、何十回も、しかも不自然なまでに一定の間隔を空けて聞こえてきた。
 それだけでなく妙に耽美な歌声も聞こえる。くぐもっているがしっかり耳を傾けてみるとそれは同族のチャームボイスだと判明した。チャームボイスは魅惑の鳴き声を発し、肉体的ではなく精神的なダメージを与える技だ。そして、そのチャームボイスはだぶん同族の声だ。
 建物の屋上に野性の海生動物が彷徨いている訳がない。近くにいるのは飼われている仔だ。
 私は、人に飼われている自分以外のオシャマリが、いかにして生活しているか知りたかった。願わくば生き方を参考にしたい。周囲の感情に敏感な種族の世渡り術を盗みたい。音技が聞こえた方へ歩いたのはそういう理由だ。


 屋上の端にある一つのドアの前に着いた。ジャンプしてドアノブにしがみつきドアを開けた。(こういう開け方はポケセンのドアでやった経験あり)。ドアの向こうには薄暗くて何もない空間が広がっておりそこに同族はいた。ともすればコンプレックスに見られがちなピンク色の丸い鼻は、暗い場所でもよく目立つ。
 真正面には奇妙な人物が描かれた壁があった。真っ赤な髪を染め上げ顔全体を白く塗り、カラフルな服装を着て片足を上げ、玊に乗りながら不気味な笑みを浮かべている人物。薄暗いせいでやたらその絵は怖く見えた。
 その絵に対してオシャマリは、笑顔を浮かべ手拍子を挟みながら水鉄砲をリズムカルに放っていた。薄暗くて冷たい空間で怪奇人物をビッチャビチャに濡らしていく。壁で反射した水鉄砲が自分の腕にも少しかかった。
 何も見えなかったことにして帰ろうとした。ところが、
「君暇なの?」
 あえなく気付かれてしまったのだった。
「サーカスの舞台裏は見ちゃいけないよ」
 息を吐く音が聞こえる程露骨にため息を付く。頭をぽりぽり掻きながら、睨みと凝視の中間のような雰囲気で、こちらを見てきた。吐いた息の塊は天井へと上昇していく。
 どうやら彼は屋上で定期開催されているサーカスの団員のようだった。さしずめ今は稽古中という感じなのか。変人を標的に水鉄砲を連射することは何の稽古なのだろう。不審者から身を守る練習にしか見えない。
「舞台裏ってどういうこと? 何の練習をやっているの?」
「サーカスのワンシーンで、主人に向かって水鉄砲を放つ場面があるんだ。水蒸気が発生するのと同時に床が開いて間一髪躱せる仕組みだけど、タイミングが合わないと攻撃がポケモンよりも遥かにひ弱な人間に直撃する。玊から落下したピエロが血まみれで舞台に倒れる光景を想像するとやばいよね。ネットニュースにもなって晒される。だから一定リズムで水鉄砲を打つ練習をしてる」
「な、なるほど……」
 凡人には理解が難しかったが端的に言うと精密な技術がいる芸ということなのだろう。
「冷めるでしょ?」
「えっ」
「サーカスの泥臭い練習見たら本番観ても面白くなくなるでしょ。まあもうバレちゃったし仕方がない。開き直ろう。開き直ります。でもトレーナー連れてくるのは止めてね。SNSに晒されるから。というか俺の主人ドアに鍵掛け忘れたな。主人が悪いわ。君は悪くないわごめん」
 サーカスの実演を私は見たことが無かったが野性の頃に何度か噂を耳にしたことはある。というのもオシャマリという種族はそこでよく選出され、芸を仕込まれるから。玉乗りを得意とし火の輪を潜ってもダメージが少なく、大きな手を叩いて観客にアプローチもできて、何より道化を演じるのが得意なアシカポケモンは適任と言えるのだろう。
「ここでいつも練習しているの?」
「君やっぱり退屈しているの? 練習量なんか聞いてどうする?」
 どうもこの仔はストレスが溜まっている雰囲気がした。私は決して暇潰しで尋ねているのではない。同族がどのように人間社会を渡り歩いているか勉強したいだけなのだ。だがいかにして伝えるべきか苦心し、「うん今やることなくて」と答えてしまった。
 今思えば会話をここで切り上げるべきだった。彼が性格悪くこっちを傷つける可能性あるのは明白なのに自己防衛できなかった。
「僕はここで朝から晩までずっと練習している。サーカスはちょっとのミスでも台無しになるし怪我人が発生する可能性もあるから」
「大変ですね」
「大変だよ」
 彼は0.5秒ぐらいでそう返してきた。
(ここまで即答できるというのは、さぞかし自分は大変という自負があるんだろうなあ)
 大変という自負。掴みどころが無く気色悪い言葉だが、ポッと浮かんだものがこれだった。
「君ってトレーナーのポケモン?」
「うん、島巡りをしているトレーナーの手持ち」
「君は良いよね」
 大層羨ましそうに、それでいて厭味ったらしさも感じられるような視線を向けてきた。
「君は良いよね。退屈を持て余すことができて。辛いこととか、無さそう」
「…………」
 彼は明らかに今までのストレスを今この瞬間を好機とみて全て吐き出そうとしていた。
「僕も普通に旅をする、トレーナーのポケモンでいたかったよ。だってそっちの方が楽だもん」
「……………………」
「君も含めみんな、凄く幸せそうだなって思う。同じオシャマリでもどうしてこんなに境遇が違うんだろう。神様って残酷だよね。はあ」
(あーあーあーあーあー)
「ミスをしたら怒鳴られるし、客からガムを吐き捨てられることもある。一番酷いのが、ネットに書かれた誹謗中傷の内容を、主人が戒めとしてみんなの前で読みやがるんだ。あいつも体を張って命がけでやっている以上、自分の心の中であいつを悪役に仕立て上げて気持ちを楽にさせることも難しい。ははは。ああ僕もそっち側になりたかった」
「ごめんね忙しいときにお邪魔しちゃって。トレーナーが帰ってくる頃だから、失礼するね」


 好奇心のまま同族の生活を覗き見したら、思いもよらぬ大ダメージを喰らってしまった。チャームボイスは痒みすら全く感じなかったのに、その後の邪悪ボイスは皮膚を深く斬られ骨をも砕かれた感覚。血で真っ赤に体が染まり上がり、戦闘不能、ひんし、気絶、いかなる表現も生温い、それぐらい重症だ。
『君暇なの?』
 恐らく悪気は無かったと思われるこの一言が、ヨワシの小骨が喉に突き刺さるかの如く、心の奥底に黒ずみながらネチネチ沈殿する。
 別に暇でも無かったと情熱的に反論したかったが、屋上の苔生した所でウトウトしていた数分前のだらしない姿がフラッシュバックしてしまい、あれ、分からなくなった。
(私は傍から見てのほほんと生きているように思われているのかな)
(辛いことが何もないと思われているのかな)
 けれども、実際は確かに悩みだらけなのだ。小さなものばかりだが一日の中にたくさんの不安が散らばっていて、私はどうにかそれを解決しようともがいている、その最中だ。
 しかし。
 世の中には、もっと大変な人が数多くいて。
(他の人に比べたら、別に辛くないのだろうか)
(辛いと感じては、いけないだろうか)
 私はこれまで幾度か薄々感じたことがあった。
「やっぱり私って『甘ちゃん』なのかな」
 こんなことで悩む自分は怠惰でどうしようもない存在なのではないか。
 もっと辛い思いをしないと悩んではいけないのではないか。
 幼い子どものように、満たされない現状にウダウダ我儘を言っているだけなのではないか。
 本当は恵まれている癖に、努力が足りないくせに、弱音を吐いているだけなのではないか。
 オシャマリは水のバルーンを作るのが得意だ。私は水のバルーンの中にその疑惑を入れ、フワフワさせた状態のままにしておいた。だがあのオシャマリの殴打によっていよいよバルーンは弾け割れた。
 私はここで、新たなる視点を手に入れた。

 本当に辛いのは不安なことそれ自体じゃない!
 こんなことで辛いと感じて良いものか、辛いと感じる自分は駄目なのかと思うことだ!
 
 …………。

 夕焼け空。
 都会だろうと田舎だろうとアローラの町は海岸に行けば大抵海を見ることができる。
 デパートの屋上から階段を降りてここに来た。ユカに出くわさないようにと願いながら。
 今まで溜めていた思いがいよいよ爆発しかけていた。とはいえ別に対したことをするつもりはないし数分経ったら戻るつもりだ。
 ワザワザトレーナーとの約束を破って屋上を離れ海岸へ来た理由は至極単純。海を見ながら感情を思いっきり放出して泣きたかったから。数分で良いから思いっきり自己を曝け出して暴れ回る作業が必要だと思った。
 だが、夕焼けに照らされるこの美しい大海原。どうも涙を流すのを躊躇してしまった。この美しい光景を背景にして泣くのは、大海原の輝きを台無しにしてしまいそうで嫌だった。
 結局一滴も涙は出ないし、泣けないということは結局自分は本気で辛いと思っていないのだな、と落胆しながら私は踵を返そうした。
 そのときだった。
 ゆっくり近づいてくる見覚えのある影。青と白の体、額に描かれた十字の模様、鋭利な歯が何よりも特徴的な通称きょうぼうポケモン。
「えっ、どうしてこんな所に?」
 彼がここにきた理由が全くもって分からない。
「いや、それはこっちのセリフなんだけど……。屋上で待ってたんじゃ無かったの?」
「ちょっと海を見たくて」
「……そうなんだ、まあ人生色々あるよね。色々、色々」
 サメハダーはどこか悟ったような表情をしていた。そして、決意に満ちた声でこのように言った。 
「僕は、逃げ出してきたんだ。もうセイゴの元には帰らないよ」
残り2話

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