1-2.ヒトの街

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読了時間目安:12分

 とある地方。小さな街。
 石畳の道。石壁、煉瓦造りの街並み。そこは、どこか古風な雰囲気の街。
 自動車が道路を走るよりも、馬車が走っている方がよく見かける。
 そんな、古風な雰囲気を持つ街だからか、人の賑わいを呼ぶ。
 そんな、小さいながらも活気のある街だった。



   ◇   ◆   ◇



 とってとってとって。
 そんな軽やかな、楽しそうな。
 小さな足音が街中に響く。
 否。実際は通りを歩く人々の音に飲まれてしまうのだけれども。
 それでも、彼――ピカチュウの足取りは軽かった。
 ヒトの街なんて、自分は初めてのはずなのに。
 不思議とこの時は足取りが軽かった。
 やっとたどり着いた。ここにいる。確かにいるのだ。
 自分は、その誰かを誰かは知らない。
 それでも、とても惹かれる存在はここにいる。
 その気持ちが浮き立ち、臆する気持ちは感じなかった。
 立ち止まって、きょろきょろきょろりん。
 人。人。人。人。人。――がたくさん。
 ヒトは大丈夫な存在。それは知っていた。
 鼻を使って、くんかくんかくん。
 ん、何だかいい匂い。
 そしたら、ぐうう。そういえば、お腹空いたな。
 ふらり。匂いに釣られるままに、ピカチュウの足は自然とそちらへ。
 刹那。ひひーん。馬の嘶きが人々の喧騒を裂いた。
 びくりと身体が跳ねて、その身体に大きな影が落ちた。
 え。反射で見上げれば。
 自身に影を落としたのは、こちらへ両の前足を高く天へ掲げる馬だった。
 めらめらと炎のたてがみが揺らめきながら、小さな火の粉を飛ばしていた。
 いや、それよりも。
 あれは両の前足を高く天へ掲げるというよりも、高く振り上げられているのでは。
 あれが落とされたら――。
 その先を考える前に、ピカチュウの身体は勝手に動いていた。
 かかっ。馬の蹄が石畳の道を打ち鳴らす。
 慌てて馬車の御者が下りてくる。
 だが、そこに先程見かけたポケモンの影はなくて。
 あれ、と御者は首を捻ったのだった。



   *



 どっどっどっ。
 早鐘を打つ己の鼓動を宥めながら。
 ピカチュウは、はあはあ、と肩で息をしていた。
 どっどっどっ。
 耳奥で響く鼓動がうるさい。
 するりと咄嗟に身体を滑り込ませたのは建物と建物の小さな隙間。
 日の光も建物に遮られて届かない薄闇の中。
 瑠璃の瞳がちらりと大通りの様子を伺う。
 かっかっと石畳を踏み鳴らす蹄の音と、からんからんと何が回る音。
 そして、次第に散らばっていく人の声と音に。
 ピカチュウはそっと安堵の息を吐いた。
 建物の陰からひょこりと顔を出す。
 再び人が流れ出した大通り。誰も物陰の彼に気をとめる者はいない。
 ぴぃ。気の抜けた声がもれた。
 物陰から姿を現して、さあ行こうと足を踏み出した時。

「あーっ!」

 背後から甲高い声が響いた。
 びくっと身体が跳ねて、勢いよく振り返る。
 振り返った先で見つけたのは。

「ピカチュウさんだーっ!」

「わあっ! ほんとうだっ、ピカチュウだっー!!」

「かわいいっ!」

 幾つかの甲高い声が重なった。
 ヒトの子だ。
 彼を見やる瞳が嬉々として輝いて見えて。
 当の彼は冷や汗が噴き出したのを自覚する。
 やばい。逃げろ。そう告げたのは彼の本能だった。
 ヒトは大丈夫だと知っていた。けれども、それは“自分”ではない。
 あ。引きずられる。自分に、身体に引きずられる。
 そんな妙な感覚に囚われて。けれども、それを深く追求する余裕はなかった。
 だって、自分はヒトの街なんて初めてだから。
 このような場面での対処法など、知るわけもない。
 くるりと向きを変え、脱兎の如く駆け出した。

「あーっ! ピカチュウがにげたっ!」

「にげたっ! にげたっ!」

「うそぉーっ! なでなでしたいっ……!」

 落胆するような声がした。
 きっと諦めてくれたのだろう。
 それに少し安堵して、走りながらちらりと背後を確認。
 そして、ぎょっとした。

「じゃあ、おいかけようっ!」

 子供達の一人が言葉を発した。そして。

「そうだっ! おいかけようっ!」

「だねだね、ふしぎだねっ!」

「ピカチュウさん、なでなでしたいもんね」

 意見がまとまった子供達。
 その子供達が一斉にピカチュウへ向き直った。
 そして、輝かんばかりの笑みを向けられて。
 嬉々として輝いて見える瞳。
 その輝きが、幾分か先程よりも増している気がして。
 その増し増しの分だけ、ピカチュウは震え上がった。

「いくぞぉーっ!」

 子供達がその一人の声を合図に。

「おぉーーっ!」

 幾人の声がそれに応えて。

「まてぇーーっ!」

 子供達が駆け出した。
 きゃいきゃいわいわいと賑やかな声をもらしながら。
 爛々と輝くその瞳は、好奇心なのか何なのか。
 まるで獲物を定めた獣のように、ピカチュウには見えた。
 彼の身体が跳ね上がる。
 これは食べられる側の本能だ。
 すぐに意識は逃げることだけに集中して、彼は地を蹴り上げた。
 やだ。ヒトの街、怖い。瑠璃の瞳は涙目だった。



   *   *   *



 そこからは、一体自分はどう逃げたのか覚えてはいない。
 とにかく覚えているのは、無我夢中で逃げたことだけで。
 はたと気付いた頃。あれ、ここはだこだろう。と、そんな状況になっていた。
 どうやら、どこかの路地裏らしい。
 少しだけ埃っぽくて、湿気臭くて、カビ臭い。
 吸い込むごとに、咳き込みそうな衝動が増す。
 あまり日が当たらない場所らしい。
 きょろと見渡して、無造作に積まれた木箱が目に入った。
 あれを踏み台代わりにすれば、建物の屋根へ上がれるかもしれない。
 とたた、たったたっ、と駆け登る。
 屋根に登ったところで、日の眩しさに思わず目を細めた。
 瞬間。彼を歓迎するかのように、風がびゅうっと吹き抜ける。
 反射的にきゅっと目をつむったけれども、すぐにそれは見開かれる。
 眼下に広がる光景に目が輝いた。
 建物がたくさん並び、先程もたくさん目にしたヒトが小さく見える。
 地平線まで建物しか見えない。こんな光景は初めてだ。
 これがヒトの街というものなのか。
 これは“自分”が知っているもの。
 そして、風が運ぶ臭いには森や水の臭いもあった。
 これは自分も知っているもの。
 近くに自然がある証拠だ。
 瑠璃が笑う。それが何だか嬉しかった。
 新しい場所に来た。だからなのか。
 すう、と鼻から肺へ空気を入れれば。
 新しい、気持ちがした気がした――その、刹那。

「なあ、さっきのピカチュウいた?」

「ううん、みつかんない」

「ピカチュウさん、どこいっちゃったの?」

「あっちさがそうっ!」

 すぐ下で響く声に、びくりと身体が跳ねた。
 屋根上からそろりと様子を伺うと、先程のヒトの子供達の姿だった。
 自分を探そうと走り去る後ろ姿を見送りながら。
 ちゃぁ……。情けない声がもれて、瑠璃の瞳がゆれる。
 新しい気持ちがしたのは、気のせいだったかもしれない。
 ヒトの街。怖い。



   ◇   ◆   ◇



「今日もタマゴサンドがいいわね、つむぎ」

 うふふ、と傍らを歩くリーフィアに視線を落とす。
 けれども、当の彼はさあねとばかりにただ尾を降っただけ。あまり興味はないようだ。

「そうだわ。つむぎの分もお願いできないか、レモさんに訊ねてみましょう」

 素敵なことを思いついたと、トワが一人で微笑んだとき。
 彼女の傍らを歩いていたリーフィアの耳がぴくりと跳ねた。
 彼は歩みを止め、道端へ彼女を寄せるようにして立つ。

「――つむぎ?」

 彼がまとう空気の色を変えたのを感じたトワが呼び掛ける。
 だが、彼は前方を凝視したまま微動だにしない。
 少しだけ硬い雰囲気の何かを感じて、トワも視線をそちらへ向けたとき。

「こらぁーーっ!!」

 と。遠くで声が響いた。
 あらあら、何かあったのかしら。とトワが首を傾げて。
 その少しあと、前方から何かが駆けて来るのが見えた。
 黄色のそれは両の前足で大事そうに何かを抱えて。
 とったとったとってとって、と懸命に短い後ろの足で駆けていた。
 否。駆けるというよりも、走るという表現の方が合っていそうだ。
 トワの傍らにいたリーフィアが、彼女を庇うように一歩進み出た。
 だが、黄色のそれ――ピカチュウは、彼らに見向きもせずに横を通り過ぎて行った。

「あの子が抱えていたの、リンゴね」

 ピカチュウの後ろ姿を見ていたトワが、背後から追いかける声を聞いて振り返る。

「こら、待て……!」

 先程のピカチュウを追っているらしい男性。
 その彼も、ぜえはあと息を上げながらトワ達の横を通り過ぎて行く。
 しばらく、そんな彼らの小さくなる後ろ姿を見つめていたが。

「それは店のモンだぞっ!」

 との男性の言葉が耳に届いて。

「あら、それは大変だわ」

 と、頬に手を添えてトワは呟いた。
 大変、と口にしたわりには、彼女に慌てた様子はないけれども。
 すぐに視線を落として。

「つむぎ、あのピカチュウちゃんのあとを辿れるかしら?」

 リーフィアに問いかければ。
 彼は承知したとばかりに、ふぃ、とひとつ鳴いた。
 ふんふんと鼻を鳴らせば、すぐに先程のピカチュウの匂いを見つけた。
 それを追いかける。彼が歩き出すと、彼女もまた歩き出した。



   ◇   ◆   ◇



 きゅるるる。お腹が鳴った。
 お腹が空いたな。彼がそう自覚したときに目にしたのが、並べられたリンゴだった。
 熟れたそれは、食べてと言わんばかりに輝いて見えて。
 彼の瑠璃の瞳も、その魅力に抗うことが出来ずに輝いた。
 なのに。なのに、だ。
 食べてと訴えるリンゴを、食べるために手にした。
 それだけなのに、どうして怖い形相をした人に追いかけられるのか。
 彼はすっかり怯えていた。ヒトの街。怖い。
 その証拠に、彼――ピカチュウは隠れていた。
 壊れかけの木箱。剥がれかけた板を押しやって身を隠す。
 はあはあと荒い息をしながら、彼は外の気配を探った。
 自分の息づかい。鼓動。それらがうるさく、煩わしい。
 急く気持ちが焦燥を滲ませて、探る気配が散漫する。
 その隙を、掻い潜ったそれがひとつ。気がついた時には、金の瞳がこちらを覗き込んでいた。
 一瞬にして詰まる息。鼓動が跳ねた。
 ぴしりと身体は固まり、抱えたリンゴがくしゃりと小さな音を立てる。
 木箱内に広がるのは、微かな甘味を帯びた酸味の香り。それが鼻をくすぐった。
 金の瞳の持ち主もそれを感じたのか、ふんと鼻をひとつ鳴らすと。
 それは覗き込むのをやめ、ふぃあ、と一鳴き。
 何かを呼んだ。それが分かったから、彼はさらに身体を強ばらせて小さくなる。
 警戒心は最大。自分の鼓動が一際大きく聞こえた。
 息を殺して気配を探っていたら。

「あら、ここにいるの?」

 とても柔らかで、優しい声がしたから。
 何だか反射的に気が緩んでしまった。
 強張っていた身体から、ふっと力が抜けた。
 そっと剥がれかけの板から外を覗けば。
 こちらを見下ろす林檎色の瞳を見つけた。
 その瞳は彼を認めるとふわりと笑んだ。
 不思議と、ほっと安心させる何かを持っているような気がした。
 ほうと息をひとつ吐く。けれども。

「――――」

 遠くであの、怒声にも似た声がした。
 反射的に身体が強張って、縮こまる。
 ピカチュウの瑠璃の瞳。そこに滲むのは怯え。

「大丈夫よ、ピカチュウちゃん」

 だが、柔らかくて優しい声が、ふわりとそんな彼を包んだ。

「ここは私に任せて」

 彼がその人間を見上げれば。
 林檎色の瞳は、子供っぽく笑んでいて。
 口もとに人差し指を当てて、静かにねの合図をしていた。

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