(五)ハイウェイラン

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 某月某日、グローバルリンク。
 火山のふもとの町で菓子店を営むヨリイチ(仮名)は、今流行のポケモン交換ってやつをやってみた。
 交換したのは炎の抜け道で捕まえたコータスだ。
 アピールポイントとして
「おとなしくよく懐きます。背中でせんべいが焼けます」
 と書くのも忘れなかった。
 実際コータスはアウトドア需要があるポケモンだ。
 甲羅に小さな鍋を乗せれば、様々な料理ができて実用面で人気がある。
 交換相手はすぐに見つかった。
 そしてやってきたのはブラッキーだった。
 ブラッキーはヨリイチの欲望をよく理解していた。
「ヨリイチさん、貴方の欲しいものはわかります」
 ある時ヨリイチがせんべいを焼いていると、ブラッキーは言った。
「ご当地菓子発祥の看板を背負わせてあげますよ」

〔出たよwwww ご当地菓子の元祖争いwwww〕 
〔今度はどこだこれ〕
〔ホウエンだな
 フエンタウンってとこ
 ポケモンセンターに温泉がついてるので有名〕
〔えんとつ山キター〕

   *

 夏の雲が流れる。
 アスファルトに引かれた白線と橙の線がまたたく間に流れていく。
 こんな旅の空にはきっと洋楽が似合うだろう。
 エンジンを唸らせながらホウエンの空の下を一人と一匹が疾走する。

「ところでお前、運転免許は持っているか?」
 下宿に戻った金曜の夜、不意にどろぼうブラッキーが尋ねるものだから、素直に
「持ってるよ。ペーパーだけどな」
 と答えてしまったのが、過ちの始まりだった。
 大学のない土曜日の朝、朝日の差すベッドで二度寝を楽しもうと思っていたところ、月光ポケモンにのしかかりを喰らい、俺はううんと寝返りをうった。そうして柔らかい枕にうつ伏せていた俺の顔が上に向いた時、ぽんと判子でも押すようにクロの前足の肉球がぷにっと額に触れた。
 瞬間、俺はまるでカフェインがガンぎまりしたかのように目が覚めてしまった。反対にクロがくわっと大きくあくびをした。
「お前、今何をやった?」
「ん、お前の眠気をどろぼうした。ふにゃっ……」
 再びクロはあくびをすると俺の代わりにベッドの上で丸まった。そして、
「窓の外、見てみろ」
 と、言った。
「外?」
 俺はカーテンを開き、紅葉模様の磨りガラスの窓を開ける。
 駐車場に、見慣れない物体が鎮座していた。
 朝日に照らされた赤のオープンカーがボンネットを輝かせていた。
「どげんなっとると!?」
 身を前に乗り出しすぎて窓格子が倒れるかと思った。
「何って、車だよ」
 むにゃむにゃしながらクロが言った。
「そげん意味じゃなかと!」
 俺は動揺して叫んだ。そして、
「もちろんどろぼうしてきた」
 平然とブラッキーは言った。
「ちょっと待て。俺はそげなもん頼んどらんばい!」
 と、返したのは言うまでもない。
「もちろん名義もろもろ盗ってるから、名実共にお前のだ。捕まったりしないから安心しろ」
「違か! そげん問題じゃなかと!」
 俺はツッコミを入れる。
「いいから戻してきっしゃい!」
 俺がそこまで言うと
「わかった。戻す。ただし戻すにはいくつか条件がある。まずは机の上のキーとカードをとってキャモメルシティまでその車で行ってもらおうか」
 そう言って、ふああっと月光ポケモンはあくびをした。
 なんてやつだ。これは脅迫だ。無断で盗みを働いて脅迫するなんて、まるで悪タイプのポケモンじゃないか!
 俺はナビを入れると、おおよそオープンカーにはふさわしくないおっかなびっくりの運転でキャモメルシティへ向かった。ウインカーを入れ間違いながら、どこかに車をぶつけやしないかとビクビクしながら道をいった。本当に怖かった。えずか、えずかである。えずかとは怖いという意味である。
 俺がキャモメルシティの屋上駐車スペースに左右非対称な余白で車を停めると、月光ポケモンはひょいっと車を降りた。そして、ついてこいと言わんばかりに金環を巻いた尻尾を振った。
 開店時間を迎えたばかりのキャモメルシティは人が入ってきたばかりだった。導かれるままにエスカレーターを降りて三階を少しばかり歩いていくと、クロの歩みが止まる。クロはここだと尻尾を振った。アルファベットでメタモンベルと書いてあった。
「スズハラ様ですね、お待ちしておりました」
 制服を来た店員さんが出迎えた。
 いや、俺、こんな店初めて来たんだけど。
「パートナーのブラッキーちゃんに合わせたコーディネートとキャンプ用品一式をご希望と伺っておりますが、よろしかったでしょうか?」
 クロが尻尾でペチッとふくらはぎを叩く。
「は、はい」
 促されるように返事をした。
 メタモンベルは登山グッズやアウトドア用品の専門店らしかった。まず身体のサイズをとられ、ブラッキーに合いそうな色のウェアとリュック、帽子に靴、靴下などをそれぞれ何点か提示された。それらを選び終えると、テントやランプ、雨具、調理器具など説明の説明を受ける。
 まるで旅に出るトレーナーじゃないか、と俺は思った。
「スズハラ様、ご自身のサバイバルナイフはお持ちですか?」
 不意に店員が尋ねてきた。
「? いいえ」
「ではお出ししますね」
 まるで宝石か根付のようにケースに納められたナイフを見せられた。
「こちらのナイフは鋼タイプのポケモンの身体の一部が脱落したものを材料にしております。お子さんがトレーナーの旅に出る際に親御さんがお買い求めになることが多いんですよ」
 店員さんが手で指し示しながら説明する。どっしりとした黒色のもの、赤みを帯びたもの、白銀のもの。光沢のある金属部分だけでなく、持ち手部分も手をかけた品であることが素人目にも分かった。中でも俺の目を引いたのは金属が綺麗な赤みを帯びたナイフだった。
「右からハガネール、エアームド、それにメタグロスとなっております」
「エアームドで」
 俺は間髪入れずにそう答えた。
「かしこまりました」
 店員さんはそう言うと、専用の鞘にナイフを収め、手渡してくれた。
 俺はフィッティングルームにつれていかれると買ったウェアに着替えさせられた。キャンプ用品はリュックに詰められて渡され、支払いはクロの用意した謎のクレジットカードで行われた。
「……なあクロ、このカードもしかして」
「みなまで言うな。今日の些細な買い物なんて問題にならんから安心しろ」
 駐車場に戻って車の中で尋ねるとクロはそう言った。
「さあ、次行くぞ」
 クロは目的地としてホウエンのある街を指定した。

 初夏の雲を背景にはがねのつばさが空を行く。
 カナズミシティは空に近い場所だ。むろんそれは標高が高いということではなくて、異様に空港が近いという意味において。だからカナズミシティには超高層ビルがない。そんな背の低い街を背にして、俺はオープンカーを駆っていた。クロに言われるままに高速道路に入り、目的地に向かってひた走る。
 オープンカーが珍しいのか、俺たちを追い越していく車に乗車する人やポケモンがこっちを見ているのがわかった。中には手を振ってくる人もいたが俺には返す余裕がない。
 俺は必死だった。運転に。高速道路なんて路上教習以来である。高速道路、怖い。怖すぎ。怖い……えずか。スピード出過ぎ。えずか。
「カズキ、もっとアクセル踏め」
「いやだ、えずか。えずかばい!」
 クロがせかしてくるが俺は断固拒否をする。
「いや逆に危ないだろう!?」
「何いうか。クロが無理矢理乗せたけん、こんなことになってるとよ!?」
「あー、もう見てらんねぇよ」
 クロはそう言うと、ハンドルを握る俺の腕をペチッと肉球で押した。
 すると何かが身体に入ってきた。ハンドルを握る手のこわばりは消え、運転に優雅さとスピード、それに話す余裕が出てきた。
「クロ……こればもしかして」
「下宿の大家の運転技術」
「大家さーん! ごめんなしゃーい!」
 俺は高速道路で突っ走りながら福龍荘の大家さんに謝罪した。そして
「なんで早ぉそれよこさんと!?」
 と、ブラッキーに逆ギレした。
「いやだってお前、才能の類いを盗むのやだって言ってたじゃねーか」
「命と車体がかかってるけん、それどころじゃなか!」
「やっすいプライドだなぁ、オイ!」
「曲作りとこれとは話が別だけん! 後で返すけん!」
 クロもキレて俺もキレた。
 運転は順調だった。赤いオープンカーはスピードをあげ、カナズミ市を走り抜けた。そして、パーキングエリアで昼食にちゃんぽんを食べた。そして腹ごしらえをして機嫌を直すと、再び道路を走り出した。
「そういえばこの車、どこから盗ってきたんだ」
 アクセルを踏む。大家さんの運転技術で高速をかっ飛ばしながら、俺はクロに尋ねた。皮肉なことに盗んだ運転技術で余裕が出たことで、俺は車の持ち主が気にかかってきたのだ。
「ああ、それな。カントーの実業家がホウエンに遊びにきてたのをちょっと、な」
 クロはこともなげに言った。
「この車、座席の後ろが止まり木みたいになってるだろ、そこに鳥ポケモンがとまるんだ。そういえばピジョンが何羽かとまってたな」
 オープンカーの扉に前足をかけ、月光ポケモンは日光と風を受けていた。
 長い耳が風に揺れている。その顔にはサービスエリアで買ったゴーゴーゴーグルがつけられている。
 こいつ、めちゃくちゃエンジョイしてる、と俺は思った。
「この赤色、これも特注の塗料でな。たしかニアピンクピジョンレッドだとかあの女が言ってたな。よく見るとちょっとだけピンクだろ。ピジョンの冠羽をイメージした色なんだと」
「ニアピンクピジョンレッド……」
 俺は心の中でニアピンクピジョンレッドさん(仮名)に謝罪した。ごめんなさい、せっかくのピジョンとのオープンカーデートの機会を奪ってしまって……、と。
 その、運転技術がつくとこれ、すごく楽しいです。
 あとで必ず返しますから……。
「メタモンベルに電話したのもお前か」
「喋れるからな。あの店員、完全に俺のこと人間だと思ってたぞ」
 にやっとゴーゴーゴーグルのブラッキーが牙を見せた。下宿の電話からか、俺の携帯をどろぼうしたか、あるいはどこかの公衆電話からなのか、電話をするブラッキーを想像するとどこかシュールだったがそれは黙っておいた。
「で、どういう風の吹き回しだ?」
 風を受けながら俺は続けざまにクロに尋ねた。今までこのどろぼうブラッキーは俺に問いかけはしたが、こんな強引なことはしなかった。すると、
「お前の欲望が知りたいんだよ」
 と、答えが返ってきた。
「お前、ぜんぜん煮え切らないからな。なら色んな欲や楽しみに触れさせるのが早いだろうと思ったまでだ」
 楽しみ……か。早くも深みにはまってしまったような気が俺はしてきていた。
 だがせっかくの機会だ。俺からも色々さぐりを入れてやろうと思った。あっちがこっちを知ろうとしているならこっちも同様だ。なんせずっと追いかけてきた都市伝説のポケモンは横にいるのである。やられたらやりかえせだ。
 最初のほう聞いたのはスレの存在を知っているか、だった。
「そりゃ、知っているさ」
 と、クロは答えた。
「まったく、あることないこと好き勝手書きやがって」
 吐き捨てるようにそう言った。
「性別はオスなのか。見たところオスのようだが」
 これはスレでも議論があった話題である。スレ住人の共通認識ではなんとなくオスのような感じだった。結論は出ていなかったが。
「まぁ、そうだな。身体もオスだし、自認もオスだな。まぁメスポケモンにはまったく興味がないがな」
 クロは肯定した。身体的特徴からも間違いない、と。
「ちなみにおやの名前はでたらめだ」
 曰く、適当に名義を盗んできたらしい。
「じゃあ、本当のおやは」
「そんなものはいない」
 だいたいの人間には生まれて間もない頃の記憶は残っていない。それと似たような
感じなのだろうと思った。
「気が付けば、グローバルリンクを介してトレーナーを転々としていたな。ポケモンとはそういうものだと思っていた」
 だがいつからか気がついた。ポケモンはそう簡単に主人が変わったりはしないのだと。自身のように何度も何度の交換されているケースなどないのだと。
 だがそれが運命なのだと。そういうものなのだと。
「……普通、ブラッキーってのはイーブイが懐いて進化するんだってな」
 長い耳を風でばたつかせながら、クロは言った。
 いわく、クロにとってそれは衝撃情報だったらしい。
「物心ついた時には俺は既にブラッキーだったぞ。誰かに懐いた覚えなんかないんだがなぁ」
 おそらく最初からブラッキーだったのだ、それがクロの弁だった。
「他のブラッキーとは成り立ちが違うんだろ。ジュペッタにカゲボウズから進化するか、ぬいぐるみから化けるかがあるみたいにさ。俺の場合はたぶん後者なんだろう」
「なるほどなぁ」
 俺はハンドルをゆるやかに切りながら、感心して聞いた。今のはわかりやすいし、可能性として面白い話だ。
「それじゃあなんでブラッキーなんだろう」
「そりゃ入り込みやすさだろ」
「入り込みやすさ、か」
「イーブイとその進化系は人間に人気があるからな。その中でブラッキーなのはまぁイメージって奴だな」
 クロが本当のことを言っているのか、はたまた嘘やでたらめを言ってるのか、俺には判断が付かない。だが、害はないのでそのまま信じることにした。
「そういえば、あのスレッドの中に本当の話はあるのか?」
「さあな。まァ近い話ならあるんじゃないか」
「でも、設定は合っているよね?」
「……。それはなかなか正確だな。もちろん完璧でもないが」
 日光が遮られた。オープンカーがトンネルに吸い込まれていく。等間隔のライトがオレンジに光る。
「今まで何人くらいのご主人がいたんだ?」
 俺は気になっていたことを聞いた。スレッドのブラッキーの物語は数あれど、本物はどれだけの人数を相手にしてきたのだろうか。
「忘れたよ。数えてもいないしな」
 そっけない答え。俺は少々拍子抜けする。
 というか、はぐらされた感じがした。
「今までにどんなニックネームをつけられたんだ?」
 俺はめげすに次の質問をしてみた。なんせ俺の命名をひどいネーミングセンスと評したのだ。過去にはさぞかし大層な名前もあったのだろう。それにはとても興味があった。
「いろいろあったが、忘れた」
「……一個も?」
 一個くらいあるだろう。
「名前なんて記憶しておく価値の無いものだ」
 月光ポケモンはまたしてもそっけなく言った。
 本当に関心がなさそうに。
「俺には役割があるのだ」
 と、クロは続ける。
 トンネル内のライトはどこまでも等間隔に、無機質に均質に続いている。インターネットをかけめぐる情報ってこんな感じなんじゃないだろうかと俺は思った。
「流転せよ。お前の主人の欲望を叶えろ」
 まだトンネルの出口が見えない道半ば、クロが言った。
「それが俺というブラッキーにプログラミングされた命令であり、存在意義だ。役割が終わったなら次へ行く。それは摂理だ。過去のことは引きずらない主義でな」
 プログラミング、という単語が出てくるあたりさすがインターネットを介した都市伝説のその本人だと思う。
 けれど俺は、なんだかそれがとても寂しい感じがした。
「クロ」
 思わず俺は名前を呼んだ。
 俺がつけたひどくネーミングセンスのないその名前を。
 クロがこちらを向いた。ゴーグル越しに赤い目がこちらを射貫いた。
 俺は確かめるようにブラッキーに尋ねた。
「……俺の所ではクロでいいんだよな?」
「勝手にしろ」
 クロはそう言うと進行方向を見やった。
進行方向に小さくトンネルの出口が見えた。俺はアクセルを強く踏んだ。

 行き先を示す青い案内看板の下をオープンカーが通過する。高速道路の終わりが近づいてきた。道路をかっとばすオープンカーはいくつかの温泉を通り過ぎ、前には大きな山の連なりが見えてきた。
 ホウエン地方が誇る世界最大級の二重火山。その外輪山だ。
 この山を登り切ると目的地のフエンに入る。
 フエンタウン。
 二重火山のカルデラの中にある温泉と牧場の街である。

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