この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
グラエナ君のお話その③です。明日からはマニューラ編に戻ります。
●あらすじ
ガオガエンの行方が分からなくなり、幹部達から捜索を命じられたグラエナは、情報屋のスカタンクに話を聞きに行く。しかし、スカタンクはガオガエンの居場所と引き換えに、妙な交換条件を提示してきて……
僕にとって、その男を探すことは、周囲を見て一番高い建物がどれかを言い当てるくらい簡単な仕事だった。僕は一度家に帰って、妻にタオルを鼻に巻いてもらうと、レシラム・アベニュー三〇三番地に向かった。そこはクイーンとジャックが主催するための、孤児のための炊き出しをする公園があった。親を失った子供達は生計を立てるためにニチスチヴィに入り、民家から灯油をくすねることに始まり、スリや強盗を覚えていく。そして、そこから運良く生き残った者が一人前の盗賊になれる。僕もその一匹だ。
「よう、グラエナのあんちゃん。誰かをお探しかい?」
炊き出しをする時は、匂いに気を付けなければならない。ひもじい者が食欲を奪われると、その日は最悪な一日になる。たとえ彼に一切悪気がなくても、罪を作ることはある。このスカタンクという男もそうだ。
「今日はやってないんだな、安心したよ」
「こりゃどうも……へへ」と彼は卑屈に笑った。
「うちのガオガエンがいなくなったんだ。昨日の夜からな。何か見てないかと思って」
「ああ、旦那は気まぐれでさあ。時折、影も形もなく消えちまう。追いかけるのは慣れが必要ですぜ」
「見たのか、見ていないのかだけで答えてくれないか」
「ええ、見ましたよ。でも、簡単にはお答え出来ませんなあ。これで飯を食ってるもんで」
僕はタオルの下にため息を隠し切れなかった。 「いくらだ」
「早合点しないで下さいな。頼みを聞いて欲しいんでさあ」
「頼みだって?」
スカタンクは周囲に目配せした後、僕に顔を近づけてきた。
「口を割って欲しい男がいるんでさあ。名前はハッサム・ディール・ディゴレー。元・剣王軍の退役兵で、今は新聞販売員をしています。左の鋏だけ、色が違う。会えばすぐに分かります」
「何をどうすればいい?」
「そいつの義手をどこで手に入れたのか聞き出して下さい。情報はそれと引き換えで」
僕はこの類の仕事が面倒だとよく知っている。情報にも相場があり、情報の交換は等価でなければならない。だが、大抵の取引では、情報屋がふんだくって終わる。それでもやらなければならないのが、この仕事のつらいところだ。
「住所を教えろ」
「パルキア・ブルバール一五二一番地、集合住宅の二〇七号室でさあ。幸運を、へへ」
特別区の外に自由に出られる者は少ない。表の世界まで名の知れたキングやジャック、ガオガエンを筆頭とした幹部衆くらいだ。それ以外がうっかり出歩くと、善良な市民に寄って集って袋叩きにされてしまう。だが、キングとクイーンはニチスチヴィの盗賊のために抜け道を発明した――黒い血ではない準構成員を市民に紛れ込ませるのだ。うっかり組織に手を出した市民は、後で彼らに通報され、強烈な仕返しを受ける――穴倉もその一つだ。その結果として、彼らは仲間の密告を恐れ、僕達に手をあげることを恐れるようになる。もっとも、今も外を歩けば、ごみを見るような目を向けられるが、半年もすれば誰でも慣れる。僕だって、同じ目を彼らに向けているからだ。
ハッサムは家にいなかったが、大家を脅して場所を聞いた。ニチスチヴィの名前を聞けば、エンブオーの狂信者以外は、誰でも静かにこちらの話に耳を傾けた。彼は今、配達員の詰所にいるようだった。そして、あっさりと彼は見つかった。彼は新聞サンプルの入ったかごを右隣に置き、ただ木陰の丸太椅子に腰掛け、孤独に空を眺めていた。深紅の身体は流線的な甲冑を彷彿とさせ、背中からは小さく透明な二対の翅が生えていた。右腕の大きな鋏には顔のような模様が浮かび、威嚇に役立つはずだったが、左腕に限っては、それはペンキのはがれたただの「こけおどし」にしか見えなかった。彼は向かってくる僕を見ると、うつむいて首を横に振ったまま、こちらを見なくなってしまった。
「この左腕のことなら、話すことは何もない」
「何だって?」
「私に用がある奴は、皆そう言うんだ。特に、黒い血の盗賊どもはな」
「義手がどうしたっていうんだ?そんなに高価な物なのか?」
「言ったろ。何も話さないって」
「話してるじゃないか。僕が言う前に」
ハッサムは俯いたまま何も言わなかった。
「聞いたよ。昔、剣王軍にいたんだって?それは名誉の負傷って奴かい?」
「そんなんじゃない。いいから帰ってくれ。そろそろ仕事の時間だ」と言って、彼は椅子から立ち上がり、新聞の入ったかごを持ち上げた。
「手伝うよ」
「よしてくれ。お前のお仲間だと思われたくない」
僕は彼の右鋏から、かごを奪い取った。
「私とやりあいたいのか?」
「まさか。販売員は歩合制だろう?給料を倍にしてやってもいい」
彼が偽名を使って細々と生活していることは大家から聞いた。僕は大家が彼をエンブオーに差し出さないようにきつく口止めしておき、彼と一緒に訪問販売に回り、一か月分のノルマを一日で達成した。すると、彼の口は驚くほど滑りが良くなった。
「この街には義手造りの天才がいるんだ。この通り、見てくれは悪いが」
そう言って、彼は戦火から戻ってきた左の鋏を開閉させてみせた。
「場所を教えてくれないか」
「会おうとしても無駄だ。彼は客を選ぶ。五体満足の盗賊など目もくれない」
「会うなんて一言も言ってない。場所を聞いたんだ」
「彼に何をするつもりだ?」
「別に何も。あんたには関係ない」
「強盗に入るんじゃないだろうな?」
「落ち着いてくれ。そんなことは――」
突然、後頭部に強烈な電撃が走り、頭の前後が限りなく離れた。僕が倒れる前、ハッサムが先に地面に伏したのが見えた。僕が最後に聞いたのは、あの臭い尻の卑屈な笑い声だった。
* * *
暗闇の中で気が付いた時、僕は鎖の音とこもった臭気で、ここが穴倉の中だとすぐに分かった。僕の身体は天井から足を宙吊りにされ、手錠に引っ掛かった狼爪から血が出ていた。
「目が覚めたか、グラエナ坊や」
ガオガエンの姿が、牢屋の隅の暗闇からのそのそと現れた。
「お前はいい働きをしてくれた」
鉄よりも固い右拳が僕の視界を虹色に点灯させた。その後、鈍い痛みが、こめかみから上あごまでゆっくりと伝播してきた。
「まったく、お前には驚かされたよ。素晴らしい成長だ。三日前、いや、四日前か?あの時のお前は雌犬も同然だった。お止めください、ガオガエン様。まだ尋問が終わっていません!――俺に向かって、一流店のウェイターみたく懇切丁寧に指図しやがった、だから俺はむかついた。その毛皮を入場前のマントに出来たら良かったのに、なんて思った」
鋭い爪が僕の鼻先から口まで降ろされた。脳天から足のつま先、尻尾まで電撃が走り、叫ぶことを止められなかった。ガオガエンは僕の悲鳴を真似した後、意識が遠のく僕の顔を右手でつかんできた。
「おっと、まだ寝るなよ。これからお前を褒めてやろうってんだから。俺はな、お前がヘルガーの部屋の下で盗み聞きしていることも、俺の後をつけたことも分かってた。そこは関心しない。だが、いいか、ここからがお前のいいところだ――俺が意外だったのはな、お前がヘルガーに楯突けるだけの根性があったってことだ」
そう言って、ガオガエンは僕の鼻を舌で舐めた。何万倍にまで強くなった血生臭さが鼻の中を詰めた。彼は舌なめずりしながら話を続けた。
「俺が好きで意地悪をしてるとでも思うか?これはお仕置きじゃない、取材なんだ。お前という男を知りたくてな」
「要点に入れ……狙いはクイーンの命だろう」
「クイーン?まさか。俺の狙いは五大家の遺産だよ」
彼は僕の周りを時計回りに歩きながら話を始めた。
「俺とヘルガーは部下と上司じゃない。ビジネスパートナーだ。俺が反政府レジスタンスあがりなのは知ってるだろう?俺はそこの……ナンバー・ツーなんだよ」
「クイーンの仕事に興味はなかったんじゃないのか?」
「あるとも。だからあの女を泳がせた。もっとも、奴がリチノイに生きて戻ることはないだろうが」
「何を言っている?」
「まだ分からないか?俺達の名前が予想もつかないか?ヒントをやろう。陰謀にはつきものだ。そいつらは義憤と正義を後世に伝える」
ガオガエンは半目開きで、邪悪な笑みを浮かべていた。怒りで声が出なくなったのは初めてだった。
「裏切られし者――」
「ああ、不幸な事故だった。ジャックが余計なことをしなければ丸く収まったものを。だが、真心も愛も報われない時代だ。あの女は弾避けが出来て良かったとしか思ってないだろう」
ガオガエンは牢屋を一周し終わって再び僕の前に戻ってきた。
「さて、これからお前を取材するわけだが」。この男は僕の顔を覗き込んできた。
「まずは、お前の嫁さんが好きなキスの方法を教えて欲しいな。何せ、癖というのは意識でもしないとごまかせないんだ」
「ふざけるな!」
「大真面目さ。お前は俺の家で見たはずだ。あの紙はな、俺のための――」
牢屋の外から一匹、ゆったりと重厚な足音が近づいてきていた。ガオガエンの顔が一瞬で凍り付いたのを見た。
「バディス、墓場では静かにするべきだ。死者が目覚めるぞ」
威圧的で、澄み切った、男の低声が牢屋の闇に侵入してきた。
「よく見つけたな」、ガオガエンは無理矢理笑い顔を作っていた。 「俺は捕まえられない」
「どうかな」
天井から落ちる水滴の音だけが聞こえていた――五秒前までは。扉の外で大気の唸り声があがった。
ガオガエンはまたしても一瞬で闇の中に消えた。
そして、次の瞬間には白い稲妻が牢屋の中に飛び込み、轟音と共に壁を消滅させてしまった――壁の切断面がプラズマ化して、白く燃え上がっていた――暗くて良く見えなかったが、牢屋の外には、青い業火が二つ立ち上っていた。
「時間を稼げ!早く!」、ガオガエンの声が穴倉の入り口から響いてきた。
地鳴りのような足音が入り口側から近づいていたが、男の孤高な歩みは地鳴りに淡々と立ち向かっていった。大砲のような銃声と、全速力の戦馬車が壁に激突したような音は全ての悲鳴をかき消し、その轟音が響く度に生き物の気配が一つずつ確実に消去されていった。穴倉が再び静かになるまでに十秒も掛からなかったと思う。
「しぶといな、ハッサム」
「貴様は――!」
「叫ぶな、傷が開く」
彼らは知り合いらしかった。しばらくして、その男は僕の部屋に戻ってきた。彼は僕に近づいてきて、何も言わずに鎖を外し始めた。その男には鋼鉄の右腕があった。
「お前、顔を……」
喋り始めた僕の眉間に固い何かが飛んできた。それからのことは覚えていない。
夜の冷たい雨が鼻に当たって目覚めた時、僕は看守のタチフサグマと墓守のバケッチャと川の字で墓場に寝そべっていた。どういうわけか、僕の傷は塞がっており、タチフサグマとバケッチャも完全に無傷だった。墓守の小屋は内側からめくれ上がった地面に飲み込まれ、穴倉は崩落していた。タチフサグマも首の後ろで風切り音がした後は何も覚えていないという。
僕はルカリオ・アウラスの苔むした墓標に 「その右腕が戦火の戒めとなり、その頭がキュレムの牙に封じられんことを」と書かれているのを見た。ルカリオ・アウラスが右腕を生やして蘇ったと報告したら、クイーンに顔をひっかき回されるだろうか。街でこのことを触れ回ったら、気がふれたと思われるだろうか。彼はガオガエンのことをバディスと呼んでいたが、これが何かの役に立つだろうか。確実に言えることがあるとすれば、裏切られし者がニチスチヴィに入り込み、ガルニエ号を沈め、組織を危険に晒しているということだけだ。
ガオガエン・フェリアス・モリスは現在も行方不明だ。後になってガオガエンの家に行ったが、完全に焼け落ちてしまっていた。僕がハッサムと話している頃に火を放ったのだろう。あの情報屋も姿を消したが、必ず探し出して話し合わなくてはならない。
裏切られし者が義手の出所を知りたがっていたことも気になった。ルカリオとハッサムの義手を作った者が同じだとすれば、僕はガオガエンを追う前に、義肢師を探すべきかもしれない。
報告書を半分ほどまとめたところで、ある一つの疑問が頭に浮かんできた――この報告書を本当に出すべきだろうか。彼女がエンブオーと繋がっているという話は信じられなくもない。彼女はルカリオやガオガエンと同じくらい謎めいていて、時折キング以上に恐ろしい気配を放つことがあるのだ。だが、僕は家族を愛するただの男でしかない。大きな悪にでも巻かれなければ、守る物も守れない。
この仕事が終わったら、明日は休みを取って、一日中家族と過ごそうと決めている。雨漏りの酷い、隙間風だらけの家で。
明日は第四章です。「牧師」の登場で、物語が加速していきますよ。