第三十五話 パルマコン

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

すすり泣く声すら聞こえなくなって丑三つ時、市民らは不安に襲われながらも眠りについた。意外にもパニックを起こすことはなく、ボスゴドラがきた時も案外冷静であった。いや、もしかすれば疲れきっていて反応する気力すらなかったのかもしれない。

そんな中でも起き続けていたものたちがいた。探検隊もだんだんと眠りにつく中、一部は残って”エーファ教団”の要求について話し合う。

「一千万ポケもとって何をするつもりなの?」

フィーナが尋ねると、ルドガーがすぐに答える。

「逃亡資金じゃないっすかね。向こうはクーデターを完遂させるつもりだったのに、結局はトレジャータウンを落とすことができなかった。だから海外に逃げるための金をかき集めてる。こんなところじゃないっすか?」

ルドガーの話にあり得るな、とリュートが頷く。

「奴ら、こっちに勝てないと知るや殺さずに人質だけ取ってどんどん退散していったぜ。明らかに途中から作戦が変わっていた」

「……厄介ですね。人質が取られてたら身動きができないです」

顔をしかめてアランが言う。わかりきっていたことではあったが、改めて言葉にすると厳しいものがある。

「それに、あいつらは金を払っても人質を返さないっすよ。教義のために異端は殺す、それが過激派っすから」

乱暴なルドガーの声に全員が俯く。つまり取るべき選択肢は一択だ。”エーファ教団”と直接戦って取り返すしかない。しかしーー。

「拙者と”ギルドマスター”の二匹は見張られている。つまり、新米探検隊で奪還隊を組む。それしかないでござる」

ヨハンの重々しい声にリュートがのけぞった。

「ちょっと待てよ、こういう時は探検隊連盟が手伝ってくれるんじゃないか?」

リュートの真っ当な意見にバガンが皮肉げに笑って言う。

「こっちは別件が入って忙しい。そもそもお前らがテロに襲われるような軟弱な組織を築いているのが悪い。これが探検隊連盟様のご意見だ」

「何を言ってるんですか!?」

アランが怒りのままどんと拳を叩きつける。まさか自分たちのトップがこうも簡単に手を引くとは思っていなかったのだ。しかし、同様に怒っているのは若い探検隊だけ。

「あそこの上層部は腐っているからね。想像できた話だ」

ペラップが吐き捨てるように言う。となれば探検隊連盟からの救援の期待もろくにできない。見つからぬ人質交換役に凶暴な相手。状況としては最悪そのものだ。

「そう考えれば、こっちは選りすぐりの探検隊でいかなければならないが……正直きついぜ。大体が重傷を負ってる上に、大勢で押しかければ向こうに警戒される。おまけに、トレジャータウン一帯を再建しなきゃならない」

「となれば、わずかな手勢で潜入せねばならない、でござるか」

「……せめて人質交換役だけでも見つけなければな」

口ではそう言うが、その心当たりはない。全員が全員憔悴しており、とても今日頼めるような状況ではなかった。しかし、一体誰が頼めようか。護衛もなしに宗教団体の胃の中へ入れと誰が言えようか。

結局、その夜は解決策が出ずに解散が告げられた。無理にでも寝なければ体力がもたない、そんな判断であった。








それでも、寝付けないポケモンたちがいた。

寝室で横になってみる。藁のベッドはいつも体を心地よく迎えてくれるはずなのに、ゴワゴワとしていて落ち着かない。目を閉じても思い浮かぶは、全てが崩壊していくようなゴトーの一撃に、目の前で連れ去られていくシオン。

「……っ!」

とても眠れない。そう思って目をあけたが、それでも地獄であった。普段は聞こえてくる静かで規則正しい寝息が聞こえない。もう一つある藁のベッドは綺麗にメイキングされている。誰も帰ってこないというのに。

目を開けていても記憶は流れ込んでくる。ベッドの脇に置かれている数冊の本、これはシオンに読み方を教えてもらったものだ。

『じゃあ、私が文字の読み方を教えるよ』

記憶の中のシオンがぎこちなく言う。思えば、あの時からシオンは距離を縮めようとしていたのだろう。

『私はライに無事でいてほしい。ただ、それだけのことだよ』

毒に侵された自分のためにシオンはモモンの実を渡した。そして、その夜に告げられた言葉、それが蘇る。結局自分はシオンに二度も助けてもらったのだ。そんな経験から何も得られなかったからこのザマだ。

「くそが!」

どこにもやり場のない苛立ちと胸を引き裂く悲壮感のまま、拳を壁に叩きつける。雷すら纏っていない拳は、硬い丈夫な石にぶつかり血を流す。は、とため息が思わず出た。素手とはいえ、こんな石すら砕けないのか。そんなに弱いのならばこんな拳砕ければいい。死んでしまえばーー。

『あなたが生きてさえいればいい。そのほかに何もいらない。私は、あなたと一緒にいたい!』

声が記憶から蘇り、怒りの熱が冷めてくる。そうだ、自分は言葉をもらったではないか。

考えろ、考えろ。焦りで鈍る思考を必死に落ち着けてライは解法を探す。この状況で金を運んでくれる一般市民、かつ頭が回るポケモン。周囲を見た。全員が疲れ、やつれきっている。とてもではないが、そんな危険を犯してくれるポケモンはいない。
掴み損ねたシオンの手を思い出す。あの時、自分に力がもっとあればと後悔の念が吹き上がる。せめて、あの時に誰かがいれば……。

すとんと解決策が降っていく。居たではないか、一般市民かつ頭が回り、強すぎないという条件が当てはまるポケモン。協力してくれる可能性は限りなく低いが、構わない。切れるカードは全て切る。ダメなら他に当たる。

ライは立ち上がり、バッグを背負う。目標はとあるポケモンを探して引きずってでも連れてくること。外道と言われようが道はそれしかない。

そっと部屋を出た。幸いギルドは広く、市民を十分に収容するスペースがあった。まだ起きているポケモンがいるのか、かすかな話し声が聞こえる。ーーいや、誰も眠れていないのだ。ただ死んだようにその場に横たわっているだけ。それでも、礼儀として静かにその場を通る。

そんな中で、ギルド内にある図書館だけ明かりがついていた。不思議に思い、覗いてみると何匹かのポケモンがいた。フィーナにルドガー、そして眠っているシレンだ。

「……何をするつもりなの?」

気配に気が付いたのか、フィーナが資料から顔をあげて探検隊バッグを持つライに尋ねた。その顔に昼間のような快活さはかけらも残っていない。決まってるだろ、とぶっきらぼうな返事をする。

「人質交換役の採用だ」

「……そ、まかせた」

フィーナは視線を落として資料と睨み合う。その隣ではシレンがバッグを枕に眠っており、藁の毛布がかけられている。ルドガーはチラとこっちを見て、うすと挨拶をしたかと思えば資料に目を戻す。

図書室を出て、広場を見た。そこでは凄まじい形相でアランがリュートとチサ相手に組手を取っていた。きっとライのことに気づいていない、そう思わせる集中力だった。

眠れない探検隊は何かを成そうと必死になる。それは、ライだけではなかった。













 エルド=アルタイムは森の片隅に住んでいる。程よく街から遠く、程よくポケモンがいない。そして程よく見晴らしがいい。そんな本拠地がなかなか気に入っていた。そんな辺境で今日も今日とて研究と商売にぼんやりと勤しむ。少しばかりいつもより行商に来ているポケモンが少ない、そんな違和感があったがいつもと変わりのない日常であった。あちこちに落ちている木の実を広い、朝方にようやく家に帰る。そして、扉を開きーー違和感を感じた。


 まず、物の配置がすこしおかしかった。エルドの部屋は膨大な資料や道具が散らばっていたが、そのどれのが適当な場所に配置されているのではなく、自分なりの法則性を持っておいているのだ。泥棒か。一瞬にしてエルドの体に緊張が走る。すぐに不思議球を取り出していざという時に逃げられる体勢を取りながらさらに痕跡をたどる。

 そして決定的な違和感を見つけた。誰のものと断定できない血が点々と資料の上に飛び散っている。それを見ようとエルドは屈みーー。

「動くな」

 黄色い影が上から降ってきたと気が付いた時には遅かった、不思議球を持った手はガッチリと押さえられており、首には銀の針が突きつけられている。そして聞こえる声は、もう二度と聞きたくないと思っていた声だ。

「食え」

 乱暴に渡された種をエルドは嫌々ながら食べる。きっとろくな道具ではないだろう。そして予想通り、食べた瞬間から全身に痺れが走る。全く、嫌になるくらい用意周到な対策だ。逃げ出すためのプランが一つ、また一つと封鎖されていく。今できることはただ諦めて両手を上げることだけだ。

「どうしてここがわかったんです?」

「行商をやってるポケモンに聞いた。いるならこの辺りだろうと」

ギルドが避難場所になっていたことが幸いした。避難してきたポケモンたちに聞けば、何匹かがエルドのことを知っていると言い、その居場所の検討もつけてくれた。それからは簡単、できるだけ早く森を駆け巡り、怪しい場所を見つけるだけだ。

「……全く嫌になりますね。模範的市民がプライバシーすら守られないとは。そう思いませんか?ライさん」

痺れる舌を回してエルドは強がる。場所に当たりがついたとしても、正確な住所までエルドは一度も漏らしたことがない。しかし、こっちが気がつく前に家を悟られるとは。冷たい汗が流れた。今すぐ殺そうというそぶりこそ見せないが、いざとなれば迷わず銀のハリでためらわずに喉をぷすりと刺すだろう。そして彼ができたことはただ話すことだけであった。

「で、何の用ですか? ”黒い蝶”でも壊滅させに行きます?」

「似たようなものだ。”エーファ教団”の内部に潜入してきてほしい」

冗談でいった一言は、それを上回るひどい答えで突き返される。冗談の色を目から探りとったが、ライの声音と目からは全くそんな様子が見えない。

「”幻影神官”お気に入りのあなたと一緒に行動できると思います?」

「”刻印”のことなら生憎だが解決した」

「信頼できませんね」

「してもらうつもりもない」

いつぞやと立場が逆転した会話。二匹ともそれに気がついたのか顔をしかめる。ややあってエルドがこの話題を打ち切るように話し始めた。

「僕がはいと頷くと思いますか?」

「首を振ったら殺すつもりだからな」

冷たいライの声にエルドは痺れる体で精一杯肩をすくめる。

「どのみち死ぬんじゃないですか? ”エーファ教団”に入って無事に出てこれるわけがないでしょ」

気の抜けた声ではあったがずばりと核心をついてくる。ライが何かを言い返す前にエルドは淡々と言葉を繋げる。

「今の社会は腐りきっている、神の教えのもとに我々が生きるべきポケモンを選抜する……でしたっけ?そんなことを考える過激派に近づいたら殺されるのがオチじゃないですか?」

「殺されないようにこっちが助ける。だから……」

「限りなく零に近い可能性の賭けに乗るメリットなんてあります?」

「ーー対価を払う」

思わぬライの答えにエルドは怪訝な表情を浮かべる。そんなエルドの様子を無視して、ぼそりとライはつぶやいた。

「我、正義の執行者ーーこの文章の意味を知ってるだろ?」

覚醒の前触れの言葉を聞き、エルドの目が一瞬真剣になる。しかし、すぐに澄ました顔になって言う。

「急にどうしたんです?マジックでも始めますか?」

「とぼけるな。”詠唱”について興味があるんだろ?」

「さあて、何を言ってるかわからないですね」

痺れて動き辛い肩を、エルドは精一杯すくめてみせる。この程度では馬脚を現さないか、一つライはため息をつくとバッグから無造作に手紙を放り投げた。

「……なんです、これは?」

今度こそエルドはしらを切るのではなく、純粋な疑問で首を傾げる。

「これはユクシーからお前に宛てられた手紙だ」

エルドはぱちくりと瞬きをした。ほんの僅かな時間の沈黙。その後、麻痺しているとは思えない俊敏さでエルドが手紙に手を伸ばす。

ギリギリだった。エルドの手が手紙に届くより早く、ライがエルドの腹を蹴りつけて吹き飛ばした。

「読みたければ協力しろ」

いくらライが怪我をした後とは言え、痺れたエルドより遅いわけがなかった。手紙は衝撃で宙に舞い、ライの手元に戻る。それをほおを紅潮させてエルドが睨む。

「よこせ、その手紙は僕のものだ!」

「やるよ。”エーファ教団”から帰ってこれたらな」

「……ユクシーはどこにいるんですか?」

「取引を飲んだら教えてやる」

にべもなくはねつけると、エルドが今度こそ敵意を剥き出しにして話し始める。

「あんた、最低だな」

もはや敬語を使う余裕すらないのか、エルドは声を荒げる。この場をしのぐためのレトリックが、怒りの熱によって崩壊していく。代わりに浮かぶのは罵倒の言葉だけ。

「今ならよくわかりますよ。あんたが”幻影神官”に魅せられた理由。自分の正義をなすために他者を簡単に使い捨てにできる。まさに”幻影神官”じゃないですか?」

ぴくりとライの尻尾が動く。表情こそ変わらないが、明らかにその言葉を聞いていた。それを確認するや、どんどんと畳みかけていく。

「端的に言ってあのサボネアに殺されかけたのはあなたが理由ですよ。あなたが無駄な正義感を発揮して、コソ泥程度のノクタスに手を出したから」

「っ……!」

痛いところを疲れたのかライが顔を歪める。それを見てエルドの暗い加虐心が満たされて震える。心の冷静な部分は、やめろと警告を送りながらもエルドの口は止まらない。もはや彼も自暴自棄になっていた。従わなければ殺す、従えば死地に放り込まれる。ならば嘲けるだけ嘲って死んだ方が何倍もマシだ。

「最近あなたのことを調べてみたんですよ。そうしたら真っ黒でしたね、まさか正義の名の下に私刑を下しているとは思いませんでしたよ」

エルドが自由な足で地面を乱暴に蹴り、数枚の書類が舞い上がった。とあるポケモンの似顔絵ーーそこに描かれてたのは、間違いもなくスリープだった。それも、身体のあちこちに火傷や痛々しい傷がついている似顔絵だ。さらに足型文字の走り書きがいくつかあった。読めないが、それは自分について書いたものだろうと推測できた。

「いつから探検隊は拷問も許されるようになったんです?」

ライは何も言わずに落ちた資料をじっと見つめる。エルドはそんなライをさらに嘲る。

「それで今度は”エーファ教団”に首を突っ込むんですね。そのために僕と……あなたの相方あたりを犠牲にするんですか?あいつらを壊滅させるために」

言いたい事を全部言ってエルドは一息つく。自分の最期がこんな罵倒とはお似合いではないか、内心でそう思いながら。
鉄のトゲを握ったライの手が少し動く。しかし、それはエルドの喉元に届く事はない。代わりに乾いた声が響く。

「俺は”エーファ教団”そのものには興味がない」

「へえ、じゃあどうして”エーファ教団”の本拠地に僕を連れて行こうとするんです?」

「シオンを”エーファ教団”から取り返す、その作戦の一環だ」

「え?」

今度はエルドが動揺を見せる番であった。エルドの脳裏に才気煥発なイーブイの姿が浮かぶ。しかし、ライが言っていることがよくわからない。無数に浮かんでいた罵倒の予定は、なぜという疑問で押し流される。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

エルドは困惑して額に手を乗せる。何か根本からずれていることを感じた。てっきりエルドはライが”エーファ教団”を潰すべく、自分を巻き込んだと考えていた。しかし、彼が言うには教団に潜入してシオンを救い行くのが目標であると。信じがたかった。

「”エーファ教団”を潰すんじゃないですか?」

「潰れた方がいいとは思うが、積極的に潰そうとはしてない」

「じゃあ何で”エーファ教団”に僕を潜入させようとしているんですか?」

「シオンを助けるためだ」

「……は?」

不思議であった。彼が見る限り、ライはシオンに執着しているようには見えなかった。むしろ、どことなく流れる重い雰囲気や会話の少なさからどちらかというと仲が悪い探検隊に思えた。そのうえ、無関係である他者を平気で脅すような歪んだ性格の持ち主がどうしてそこまでするのか。驚きで幾分か冷たくなった頭を回転させつつ言う。

「無駄ですね、彼女の命は諦めた方がいい。今頃殺されてますよ。”エーファ教団”は教義のために喜んでポケモンを殺す。そんな奴らに捕まった時点でチェックメイトです」

「向こうから人質の身代金を要求されている。それまでは死なないはずだ」

「そうですか。なら身代金が手に入った時点で全員死にますね」

「それより早く助ける」

何を言っても無駄だ、エルドはため息をつくと質問を帰る。

「……そもそも、どうしてあなたはシオンさんを助けたいんですか?」

きっとこのピカチュウは利用するためにこき使うつもりだろう、そんな冷めた思いが胸中に巻き起こる。自分も使い尽くし、気に入らないポケモンを叩き潰していく。そんなポケモンがこの質問に答えられる訳がないーー。
しかし、ライはまっすぐな瞳でエルドを見つめる。

「言葉を、もらった」

静かな声で呟いた。





あの時、あの場所でもらった言葉をライは思い出す。

『お前なんか死んでしまえ』

ライの中に残る何かは囁きかける。

『お前に生きてる価値はない』

足が一歩、崖へと踏み出そうとする。

『貴殿には黒い蝶の呪いが刻印されている』

『お前の正義は作り物だ』

『お前がやってきたことは全部無駄だ』

”幻影神官”が嘲笑う。

『こんなことなら助けてくれなければよかった』

『僕は一抜けです。怪物の祭典には付き合ってられない』

記憶の中のサボネアとキモリが冷たい目で見てくる。

全てが自分を否定した。自分ですら、それで納得してしまった。むしろ、進んで死を選ぼうとした。心の中にあるいかなる感情も排して、世界のため、正義のために自己を投げ出す。ライすら自分を否定した。それでも。

『あなたが生きてさえいればいい。私は、あなたと一緒にいたい。だから、生きて!』

ーー少女はその否定を否定した。

”パルマコン”という言葉がある。それは「毒」と「薬」の両方を意味する。シオンがくれた言葉はまさに”パルマコン”であった。
あのとき、白い壁の中でシオンの手を取ってしまった。その言葉を聞いて生きてしまいたいと思った。それは、ライの死に対する欲動を縛り付けて抑圧し、同時に生に対する忌避感を溶かす甘やかな言葉ーーまさに「薬」であった。凝り固まった自分の昔を殺し、今へと手を引いてくれた。それは、世界にとっては「毒」であろう。自分のようなポケモンがいたら、”幻影神官”にどう操られるかわからない。しかし、彼女だけは望まれない自分の生を祝福してくれた。そして、ライはその手を取った。

「シオンに生きて欲しいと言われた。どうしようもない俺と一緒にいたい、そう言われた」

「……」

エルドは何も言わずにライを見つめる。そんな視線に気が付いていないかのようにライは話し続ける。

「”幻影神官”に囚われても、俺が間違っているとしても一緒にいたいと言われた」

その言葉が、自己嫌悪からどれだけ甘やかにライを解放したのか。

「俺はシオンに救われた。だからこそ、全てを捨ててもシオンを助けたい」

全ての思いがそこに集約される。その感情の名は未だにわからない。ただわかっていたのは、シオンを助けたいという思いだけだ。だから、切れるカードは全て切る。

「頼む、助けてくれ……!」

「……は?」

エルドは目を疑った。傲岸不遜、利己的で幻影神官にそっくり。そう評したポケモンが、目の前で頭を床に擦り付けていた。
顔を歪めたのは、その身体から血が滲んでいたからだろう。エルドが部屋に入って見た血は故意につけられたものではない。全身に残る傷の跡は激闘を物語る。鉄のトゲを首に突きつけていたのは電気技を使う余力すらなかったのだろう。縛りの種を食べさせたのは、そうでもしないとエルドに勝てる自信もなかったから。土下座の姿勢が不自然になっているのを見つける。きっと、変な姿勢をとれば体が痛むのだろう。

「ーー馬鹿げてます。無謀ですよ」

「知っている」

「”エーファ教団”の恐ろしさを知ってます? 宗教としての異様さと高い実力を併せ持つ化物の集団です」

「知っている。現に負けた」

「……哀れですね、そんな情けない真似をして心を動かせるとでも?」

「情けないことくらい知ってる……!それ、でも」

それでも引けない理由があった。プライドも何もかも捨てて取り戻さなければならないものがあった。額が地面の冷たさを訴え、足が少し痛む。それでもライは土下座の格好を崩さなかった。
それからどれくらいの時間が経っただろうか、根負けしたエルドが口を開く。

「……条件が一つあります」

「何だ」

「ユクシーからの手紙を先に渡してください」

「断る」

即答であった。その言葉からは一切譲る色が見えない。土下座しているとは思えないくらいに気持ちのいいくらいの断り方だ。

「へえ、土下座までしてこっちの言い分は飲まないってことですか?」

「信用はする。だが信頼はしない」

それがライにとっての最低条件であった。シオンを救うのに、これ以上は不確定要素を増やすことができない。エルドとは、きちんとした利害関係を結びたかった。エルド=アルタイムの能力は認めていた。しかしその性格は一切信頼していない。だからーー。

「この手紙は全てが終わってからだ。それだけは譲れない」

宣言する。例え、どんなに下手に出ても対等な関係が崩れては契約が成り立たない。それに、エルドは手紙を手に入れたら喜んで逃げるだろう。しかし、土下座をしたところでエルドの心が動くとも考えられなかったが。
ではどうするか、ライの頭は忙しく動き始める。報酬で動かすべきか、諦めて大人しく第二の作戦を練るべきか。

「ーーいいですよ、その大馬鹿な賭けに乗ってやりましょう」

「は?」

「顔あげてくださいよ。こっちがやり辛いです」

土下座の体勢を崩して顔をあげるとエルドが呆れたような顔を浮かべていた。その表情からは呆れ以外の何も読み取れない。

体勢をもどしてなお、ライは現実味を感じなかった。提案しておいてだが、エルドがこれに乗ってくるようには思えなかった。しかし、彼が嘘を言っているようにはまるで見えない。

「もしあなたが手紙を渡していたら、僕は裏切って逃げてましたよ。僕の挑発に乗って、簡単にカードを手放すくらい愚かなポケモンと運命を一緒にできません、そんなポケモンは悪気なく味方を殺します」

「……性格悪いな」

「家を襲撃してくるようなポケモンが何を言ってるんですか?」

エルドは肩をすくめて言い返す。睨み合うこと数秒、エルドがコホンと咳をして会話を戻す。

「目的は”エーファ教団”からシオンさんを奪還すること。対価はユクシーからの手紙を渡してくれること、そして”詠唱”について調べさせてもらうこと。これで大丈夫ですか?」

「ああ……やっぱり”詠唱”について知ってたのか」

「いきなりカードを切ってくるのは悪手ですよ」

「重ね重ね性格が悪いな」

「お互い様でしょ……ま、それくらいビジネスライクな関係の方が楽だと思いますよ。利害関係だけの方がやりやすいですし」

エルドは手を差し出してきた。ライはそれに応じて黙って握手をする。

ああ、とエルドは心中でため息をつく。乗せられてしまった自分の弱さを嘲笑いながら。

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