走る亀裂、打たれた決定打

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 一人の男とその隣のフーディンを取り囲む警官たち。その先頭に立ち男と相まみえるのは、ロングコートを翻す国際警察機動捜査員の男。コードネームはハンサム。汗と共に厳しい表情で目の前の男を見据え、固く握拳を作っている。

「おやおやお揃いで。遅ればせながら君たちの出演料を払っておくよ」

 黒のジャケットを翻して、一本の紅の薔薇を口許に寄せ、嫣然と微笑む黒髪の男──怪盗はその燃ゆる一輪をハンサムに投げつけた。続けて気取った仕草で腕を組むと、癇に障る薄笑いを浮かべる。
 薔薇の滑り落ちた先に、一枚のカードが差し出される。そこには、“今夜十一時に『草花姫の泪』を頂に参上する──微笑みの怪盗”、とわざわざ筆記体で書いてある。ハンサムが一瞬カードに目をやると、再び眼光を据える。

「盗んでおいて、今更予告状などどこまでも姑息な男よ。しかし、貴様の卑賤な行いもここまで」
「卑賤? そりゃ美人に花、怪盗にモノクルってもんだ」

 せせら笑う怪盗を後目に、ハンサムら警官隊は彼への警戒を強める。腰元のボールに手を掛けると、優雅な足取りで歩んでいく怪盗。複数のモンスターボールを魔術師のような手つきで持つと構える。

「さて、諸君。今宵も僕の舞台に付き合ってもらうとしよう」


 *
 
 
「あの予告状ってキース君?」

 紫鳳が耳に紫色の髪をかき上げ、沢庵をもぐもぐと噛み砕いて、斜め向かいの助手を見遣る。隣にいたリーも驚いた様子で、ブラウン管テレビの画面に近寄る。何度も速報画面と共に画面に映るキザったらしい黒髪の男は、昨日まで一緒にいたあの怪盗本人であった。

「いやいやだって、助手さんここにいますよ?」

 リーが指差して助手を論うが、当の助手自身は目を伏せたまま、夕食の茶碗蒸しを淑やかに口に運んでいた。長い睫毛が深緑の瞳を覆っているが、その色が沈鬱であることはリーにも一目瞭然だった。助手の重々しい雰囲気に思わずリーも押し黙る。
 紫鳳が柔らかな笑顔で助手の隣に詰め寄り、そっと肩に触れて微笑みかける。覗き込んだ助手は俯いて、今にも落涙してしまいそうなか弱さでいた。

「キース君と何があったの?」

 リーも固唾を飲んで見守る中、儚げな元令嬢は何度も首を振り、躊躇った後に、意を決して己が師を見上げ、口を開いた。

「分からないんです。突然自分一人で盗みをすると宣言して」

 双眸に泪を溜め、手で口元を覆ってしまった助手を、紫鳳は優しく背中を摩ってやり、懐からハンカチを差し出した。リーはまた弱った女の子を手籠めにしようとしている己が師に呆れつつも、声を出さずに泣き出した助手を深慮と憐憫の目で見ていた。

「私は微笑みの怪盗には要らないんでしょうか。やっぱり足手まといだったのでしょうか」

 しおらしい助手を見て、互いに顔を合わせる紫鳳とリー。二人の意見は交わさずとも一致していた。そんなはずがないと。あの過保護とも言える神経質な男が、助手をよく思っていたのは承知だ。だからこそ、この唐突な単独犯行との結びつきが分からなかった。

「そんなことないと思うけど……」
「助手さん、ダメっすよ。あんな気まぐれ野郎の行動を真に受けちゃ」

 二人の必死の宥めも意に介さず、助手は益々思考の坩堝に嵌っていく。自分の奉仕が足りなかったのか、何か癇に障る行動をしてしまったのか、はたまたやはりあの時の申し出を断ったからか──。
 幾重にも自責と思考を重ね、尚もたどり着かない答えを求めて、彼女は自分のヒーローであり憧れだった男を、いつしか涙も早々に枯れ、ぽっかりと空いた空洞のように、虚ろな目で見ていた。

「大事な女の子を泣かせて、何を考えているんだか」

 紫鳳の呆れたような言葉には、憂慮が滲んでいた。怪盗と助手、二人の男女間における危惧。ミロカロスの扇で口許を隠すと、ため息の混じる吐息でもってその場を仕切った。


 *


 スーツケースを持って、人々とポケモンの集う美術館を闊歩するグレーのスーツを着こなした紳士。彼の隣のブラッキーは黒々とした細やかな体毛を有しており、その躾の練度の高さが窺える。
 カロスの王族の装飾品、美術品をシンオウに持ってきたこの企画展は、王冠やティアラ、食器類まで。宝石に金銀をふんだんに使った華美な装飾具の数々に一般人すらも魅了されているようだ。
 ブラッキーを連れた男は、辺りを隈なく見渡すと、声を掛けてきた何人かの関係者と軽い会話を交わし、美術館のある建物から出た。そのまま町のホテルへタクシーを飛ばし、チェックインする。

「やれやれ、まだ僕の情報は渡ってなかったのかな? まあいい。これで後はマスコミへのパフォーマンスだけだ」

 手袋をした男の手には、スーツケースから取り出した50カラットはある大きなエメラルドのネックレス。石座の周りには蔦が這うような草花の金の装飾が施されている。
 ゆるりと腰掛け、紅茶をぎこちなく淹れる男は、フェイスマスクを剥がして自分の淹れた紅茶を味が薄いなと文句垂れていた。先ほどまで一緒にいたブラッキーはすっかりその温和な見た目と違え、黒と赤のヴィヴィットな体毛の幻影の化生、ゾロアークがもりのヨウカンを頬張っていた。
 美術館に携わる、宝石の意匠の一人に変装した怪盗は、ブラッキーに化けたゾロアークの力を借りつつフェイクと取り換えた。その間、監視カメラにはロトム経由で送った偽の映像が流れており、音声認証にはのどスプレーを改造したものを使用し、突破した。映像とスプレーを用意するのにやたら時間がかかってしまったのは、間違いなく助手がいないからだ。
 彼は、自分の力を過信していたように、薄味の紅茶を嗜みながら思う。フェイクを作るのも、道具を改造するのも、映像を捏造するのも、そして紅茶を淹れるのも。助手が手伝い、積極的に力になってくれていた。だからこそ、二人という少人数でも今まで犯行が成しえてきた。どうにも自分は彼女に依存しているじゃないか──そう思うことが増えたのだ。
 今回、およそ三年以上ぶりの単独での犯行に走ったのも、そんな中での自身の力が警察ら世間にどこまで通用するのか確かめたかったという理由もある。しかしそれらは詭弁であり、実際は、自分一人でも怪盗としてやっていけるという、彼の見栄に他ならなかった。
 ゾロアークを膝に載せて、薄い香りを華やぐ。赤と黒の逆毛をわしゃわしゃと撫でてやると喉を鳴らした。
 テレビを点けてワイドショーを観ると、丁度自分の犯行声明が入れ違いに取り上げられていた。専門家らしき人物が、真剣に自分の予告状を解析している様が、なんとも滑稽だった。微笑みの怪盗の情報が現場に行き、このホテルが抑え込まれるのも近いだろうと怪盗は思った。

「さて、警察諸君を出迎える手筈を済ませなくては」

 怪盗はボールの一つからロトムを出すと、ホテルの電子レンジに入るように指示し、自身は洗面所に向かった。途端にフォルムが変わるロトム。声に応じて心配したような顔のフーディンが出現する。ゾロアークはテーブルの菓子を食べきると、ソファーから飛び上がり、舌なめずりをして怪盗の方を好機的な目で見る。
 部屋のベルが鳴る。応えずにチェアーに座って紅茶を啜っていると、扉をこじ開け足音が迫ってくるのが分かるが、怪盗はゾロアークを横に侍らせ足を組んだまま動じない。

「国際警察だ! 有無を言わさずご同行願おうか」

 先頭の渋皮色のロングコートの男が警察手形を手に押し入る。厳しい表情の男、国際警察機動捜査員のハンサムは、優雅に腰掛けこちらを煽動するような細身の男を見遣る。

「ごきげんよう。おや、その暑苦しい面、確か異本の時にも見たな」

 怪盗が笑みを含むように浮かべると、ハンサムは後ろに控える警官たちを目線で配備しつつ、負けず劣らずの不敵な笑みを浮かべた。

「如何にも。姑息で小賢しい貴様らをひっ捕らえるべく、今か今かと好機を伺っていた!」

 それに満足したかのように鼻を鳴らすと、緩やかに立ち上がり、ジャケットから一輪の薔薇を手品師のような手つきで持ち出す。口づけるように口許に寄せ、ハンサムらに寄越す。

「おやおやお揃いで。遅ればせながら君たちの出演料を払っておくよ」

 警官隊と率いるポケモン達に緊張が走る。相手は逃走と詐称のプロフェッショナル。おまけに一人で複数を相手取り、ものともしない上に怪盗との連携がばっちりな助手の女もいる。ハンサムら警官隊の一番の警戒対象はその助手の女だった。
 その女の姿が見えないとあっては、戦線も混乱する。後方で連絡が乱れるの察知しながらも、ハンサムは何もできずにいた。歯がゆさが汗となり滲む。

「盗んでおいて、今更予告状などどこまでも姑息な男よ。しかし、貴様の卑賤な行いもここまで」
「卑賤? そりゃ美人に花、怪盗にモノクルってもんだ」

 予告状のカードを蹴飛ばし、相変わらず笑顔に歪む目の前の男にハンサムは反吐が出たが、同時に正義への熱き闘争が込み上げる。ゆっくりと歩んできた怪盗の男に対する警戒を高める。

「さて、諸君。今宵も僕の舞台に付き合ってもらうとしよう」

 フーディンと共にいる怪盗が指を鳴らしたのと同時だった。ハンサムの命で警官隊がリビングになだれ込み、怪盗とフーディン目掛けてわざを放つ。くろいまなざしととおせんぼうをフーディンに掛けようと挙動を取ったその瞬間、部屋の照明が落ちた。
 突飛な暗黒。警官隊は持っていたライトで照らすが怪盗の姿はない。ハンサムの指示でブレイカーを探るように言われ、散らばる。
 やがて、照明が戻る。窓を割ったり扉を打ち破ったような音はしていない。肝心の怪盗はというと、フーディンと共にシンクに腰掛けていた。
 怪盗を狙ったポケモン達に豪炎が襲い掛かる。電子レンジに化けていたロトムのオーバーヒートだ。それはいつの間にやら撒かれていたヘアオイルに引火し、迂闊に近づけない。

「水タイプで応戦しろ!」

 警官隊の手持ちで水タイプや氷タイプがすぐさま消火に回り、フーディンによる逃走を封じようと再びくろいまなざしらを掛けようと接近する。と、その時、それまで目の前にいたはずのロトムが瞬時に入れ替わり、控えのクレッフィがトリックガードを先攻で放つ。くろいまなざしは防がれた。

「オーバーヒートを放った瞬間に入れ替わった……だっしゅつパックの能力ダウンでの交代を利用したな」
「そうそう。毎度解説ご苦労様、ハンサムさん」

 子供のように嬉しそうな怪盗とは裏腹に、ハンサムの額には深い溝が刻まれていた。しかしこのままではトリックガードに全てを防がれてしまう。ハンサムは通信機に強硬での取り押さえを命じる。途端に怪盗に銃口が向けられた。

「おい助手、手筈通り頼む」

 その一言に警官らが硬直した。その隙を逃す怪盗ではなかった。指をパチンと弾き、高らかに宣言する。

「サイドチェンジ!」

 瞬間、フーディンが念力を込め、怪盗に銃口を向けていたはずのハンサムと自分自身を入れ替えた。そのまま上司に銃や攻撃を放つ訳にもいかず、狼狽える警官たち。追い打ちをかけるように、窓が割られた。警官に囲まれたフーディンに向いた攻撃を蹴散らしたのは警官──に扮したゾロアークだった。

「シンオウでもこの微笑みの怪盗を宜しく頼むよ。アデュー!」

 ひょいと軽い身のこなしでよじ登り、投げキッスをしてゾロアークと共に窓から落ちた男は、怒号を背に浴びながらその姿を消した。


 *


 嫌がるボーマンダの背に乗り、シンオウの寒空を滑空した怪盗は勝利を噛みしめながら、紫鳳の邸宅に降り立った。怪盗を出迎えた紫鳳は驚いた後に怪訝そうにして聞いた。

「君さあ、見られてないんだろうね? 僕だって世間体とか大変なんだよ?」
「お前が世間体とか気にする質か?」

 その後もねちねちと怪盗を叱責する紫鳳だったが、どこか安心したようにも見えた。紫鳳が議題に挙げるまでもなく二人の声を聴いたのか、寝間着姿で髪を下した助手が怪盗の元へとやってきた。
 怪盗は押し黙って自分を見る助手に近づいていくと、そっと白い肌に大粒のエメラルドをあてがう。困惑して、怪盗とエメラルドを交互に見る助手に微笑みかけた。

「綺麗だろうと思ったけど、要らなかった。やっぱり君の瞳の方がいい」

 助手の緑の瞳を見据えたまま、優しい手つきで黒髪を撫でて顔と顔を近づけていく。唐突な二人の亀裂にあたふたしていたが、安心すると同時に、甘い雰囲気に目を背ける。説教も考えていただけに拍子抜けだが、果たして僕はここにいていいのだろうか、など紫鳳は思った。

 響いたのは、掌打音だった。

「え……?」

 乾いた音に紫鳳が目を遣ると、同じく呆気に取られた怪盗が、目を白黒させて涙ぐむ助手を見ていた。助手は、怪盗が未だかつて見たことのないほどの冷たさと脆弱さを何故か両立させていた。

「そんな安い嘘で誤魔化せるとでも? ご機嫌取り出来るとでも? 貴方を一番見てきたのは他でもない、私なんですよミスター。いえ」

 頬を抑え、事態に理解が追い付かないといった様子の怪盗。泣きそうだが毅然と振る舞う助手。拍車をかけるように一拍置いて言った。

「怪盗さん」

 沈黙。果てしない無音。後ろで見ていた紫鳳が事態を収めようと動いたが遅かった。ようやっと飲み込んで、青筋を立てた怪盗が叫び散らす。

「そういう君こそ、僕のことだなんてどうでもいい癖に。大して好きでもない癖にずっと僕の気持ちを弄んで!」

 荒い呼吸を整えることもしないままに、わなわなと肩を震わし、瞳を見開き。助手はというと、首を小さく振り、いたたまれない様子で恐々と怪盗を見ていた。

「僕がいなかったら何も出来ていないのに」

 それを聞いた紫鳳が、即座に扇で怪盗の頬を叩くが、零れ落ちたように呟いた一言を助手は聞き逃さなかった。
 ごとり、と暗澹が転がりゆく音がした。それは暗転か、はたまたエンドロールか。
 それきり二人は何も交わさなかった。炯眼に闇を灯した両者の間には、もう埋められようのない決裂がはっきり形として表れていた。

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