主要登場キャラ
・リアル(ピカチュウ)
・ヨゾラ(ツタージャ)
・師匠(プリン)
・ソワ(ルンパッパ)
・ビクティニ
・アンドリュー(カメックス)
「ヨゾラ」
毛布の上で身動ぎする彼にリアルは声を掛けた。
そして、ヨゾラは程なくして目を覚ました。
「……ああ、リアル……」
傍らに付き添うピカチュウを見て、呻きながら体を起こす。
「お、おい、大丈夫か?」
「うん……なんとか。……そうか、負けたんだね、僕」
そこは観客席から少し離れた場所の救護テント。
試験で怪我をしたポケモンたちが手当を受けている。ただ、ヨゾラのように気を失っているポケモンは他にいなかった。
「ごめん……なんかこんな風に……」
「謝らないでよ」
唐突に、強めの口調で否定するヨゾラに面食らう。
「お互い全力のバトルだったんだから、謝ることなんてないよ。……そりゃあ悔しいけどさ」
「……そうだな」
それもそうだ、お互いに持てる全てをぶつけた真剣勝負だったのだから、勝った方が謝るのはむしろ相手に失礼だろう。
ただ、見知った相手を殴り倒すのはたとえ試験でも気まずいというのは、リアルにとって初めて知ったことだった。
「あー!」
叫びながら寝転ぶヨゾラ。無闇矢鱈に両手両足をばたつかせている。
「最初は勝ってたはずなのにぃー! なんなのさあの技!? 凄くない!? 一瞬で意識が飛んだよ」
「いやあ、正直俺も何だかよくわかってなくて」
「無意識でそれかい……すっごいなぁ……」
諦めと尊敬の混じったため息を吐く。
「あ、でも途中のでんきショックもビックリしたよ。何もしてこなかったからさ」
「しなかったんじゃなくて、出来なかったんだけどね……俺、技が何も出せなくって」
「えぇ?」
驚くのも無理はない。どうやら普通では、小さい子供の頃からある程度技らしいものは自然に覚えるそうだ。だから技が出せないなんてことは、それこそ状態異常か病気しかない。
「技が出せないなんて……え、それって昔からなの?」
まずい。その方向の質問は中々答えづらい。何故なら自分の過去についての話に近づくからだ。
いや、まあ記憶喪失くらいは言ってもいいんだけれど、そう無闇に他のポケモンに言うのもはばかられるというか……
と、突如コートのほうで一際大きな歓声が上がった。
「ん? なんだろ」
ヨゾラが立ち上がってコートの方に目をやった。
救護テントからは観客席に遮られないのでバトルが見えやすい。ある意味特等席かもしれない。
歓声が上がったコートのほうを見ると、まだ試合は始まっていない様子。だが、そこに立つポケモンを見ると、リアルは納得がいった。そして脳裏に蘇るあの冷ややかな視線。
そしてヨゾラもそれを視界に認めて指さした。
「あれ、ビクティニじゃない?」
※
四番コート。
訓練場の一番端のコートに立つのは、最大の注目株といえる幻のポケモン、ビクティニだった。
なぜ幻のポケモンがここにいるのか。その謎は誰にも分からないが、少なくともギルド試験を受けているのは事実。先輩のギルドメンバーも皆、彼の戦いに少なからず興味を抱いていた。
幻のポケモンは、それぞれ世界に一匹ずつしか存在しないと言われる。また、過去の歴史にも表立って活動した記録もなければ、各地に有名な伝説の残るいわゆる伝説のポケモンとも違い、世俗に手を貸すことも無い。
それ故に誰も姿を見た事がない、しかし必ず存在するというのが、幻のポケモンに対する一般常識であった。
その幻の一角が今まさに目の前にいるのだから、興味が湧かないほうがおかしいだろう。
また、それに対し対戦相手となるポケモンは不運とも幸運とも言える。
幻のポケモンは例外なく強い、と噂されているから、その技を受けることの出来る幸運か、はたまたそれこそ不運かということだ。
今回のその相手はワニノコだった。
彼は特に緊張した様子もなく、ただやる気いっぱい、元気いっぱいに準備運動をしている。
「どう思う、アニキ。あのビクティニとやらの強さは」
屈強なボスゴドラに声を掛けたのは、カメックスのアンドリューだ。
「さあな……体格は同等、タイプ相性は不利ときてる。まだまだ子供、意外と負けるなんてことも…………いや、幻と言うくらいだからなぁ」
「ま、誰も知らないからこそ幻なわけだから、分かるわけねぇよな」
じゃあなんで話を振ったんだよ、と頭を叩くボスゴドラ。
彼らだけではない。受験生のみならずギルドの誰もが、ビクティニの強さを計りかねていた。
そして今、当の彼は目を瞑って微動だにしない──
四番コートの審判を務めるのは二年生のモグリュー。名前はマルタと言う。
「準備はいいですか」
ワニノコは腕をブンブン振り回して自信顔。
対してビクティニは無言でワニノコをチラリと見たきり動かない。その目はあまりにも冷たかった。
そしてその無言を肯定ととったモグリューは手を振り下ろして叫んだ。
「では、始め!!」
ビクティニは動かない。
それを好機と見たか、ワニノコが大口を開けた。
「『水でっぽう』!!」
口元から噴出する水流は一直線にビクティニへ向かっていく。
その勢いは凄まじく、全てを飲み込むような流れだ。
「あれ、もうハイドロポンプに近ぇな……」
アンドリューがボヤく。
同じみずタイプであり、ギルドの中でも実力者の彼が言うということは、余程目を見張るものだということだ。
そしてすぐ目の前に迫る水流を一瞥すると、ビクティニは右手を前にかざして──
次の瞬間、水は焼き尽くされた。
※
「なっ…………!?」
その光景は、ワニノコはもちろん、観客席のギルドメンバーも、そして救護テントのリアルとヨゾラも、全員が目撃していた。
それは、通常有り得ない攻撃。
本来みずタイプの攻撃に対しほのおタイプは相性が悪い。加えてあのみずでっぽうの威力。
普通なら避けるか受け流すのがセオリーである。
だが彼は、それを片手で跡形もなく葬ったのだ。
そしてその炎は勢いを弱めずそのままワニノコに襲いかかった。
「が……あぁぁあ!!!!」
逃げる間もなく炎に取り込まれ悲痛な叫び声をあげるワニノコ。
「炎が水を燃やすだって……!? それに片手で『かえんほうしゃ』を撃つなんて!!」
驚きのあまり目を見開いて叫ぶヨゾラ。
炎が水を駆逐するという、ありえない光景に誰もが驚愕していた。
「それほどに……炎の威力が強いってことか……?」
「そうだと思う……けど……それってハチャメチャだよ!!」
知識のないリアルですら分かる、その炎の法外さ。火というものは本来水が天敵で、火事には水で対処するくらいではなかったか。それが逆転するという滑稽さ。リアルが今まで見た中で恐らく最も威力のある攻撃。
「とんでもねぇな、あの若造」
ギルド最古参レベルのボスゴドラも冷や汗をかいている。
「ワニノコの攻撃だって生半可なものじゃなかった……それに見ろ、奴はまだ本気を出してないみたいだぞ」
しばらくして炎は散り散りに弾けていった。
そしてそこに残される、倒れてぐったりとしたワニノコ。遠目で見てもわかる酷いやけどだ。
もちろん立ち上がる気配はない。
勝負は決した。
わずか一度の交錯。
純粋な技の威力で、タイプ不利をも押し切ったビクティニの完全勝利である。
ありえない光景を目の当たりにした観客席。その興奮は戸惑いも含み、冷めることは無い。
と、皆の意識の狭間、何を思ったかビクティニがそのワニノコにゆっくりと近づいた。怒りや興奮もなく、ただ道を歩くようにゆっくりと。
そして、手をかざす。
その右手に集まる力の奔流。高まる熱。
先の攻撃にざわつく観客席の中で、その異変にいち早く気づいたのは、少し離れた位置にいたリアルだった。
「……おい、あれ、何をする気だ……?」
既にビクティニの右手には、先程の攻撃と同等、いや、より強力な炎が生成されていた。
そしてその手は、今も動かないワニノコに向けられている──
「!! ……あいつ、殺す気か!?」
リアルは思わず飛び出していた。
思考よりもまず先に体が動いていた。
見ればわかる、このまま炎をもろに食らえばワニノコはタダでは済まない。
(いくら真剣勝負と言っても……そんな、トドメを指すなんてダメだ……、ダメなはずだよな……?)
そんな躊躇いが頭をよぎる。
自分はこの世界の常識を知らない。もしかして、こういうのは戦いの世界では普通なのか?
いや、そんなことがあっていいはずがない。
そんな簡単に、仲間が死ぬなど!
行ってどうするかなんて考えていない。ただ、目の前の凶行を止めるために……!
先陣を切ったリアルを追うように観客席からも事態に気づいたギルドメンバーが数匹飛び出す。
それはリアルの行動が正しいことの証左。
だが間に合わない。
一番近くの救護テントにいたリアルですら時間が足りない。
もう今にもその炎ははち切れんばかりになっていて、誰が手を伸ばそうとも届かない……!
「やめろ……ッッ!!!!」
必死に手を伸ばすリアルのその先で、今、炎が解き放たれる──
「『ひかりのかべ』」
誰かの声が、聞こえた。
ワニノコが再び炎に包まれる。
迸る熱気。離れているのにこちらまで熱い。
だがビクティニはぎょっとした顔で手を止めた。
次第にほどける炎の渦。
「そこまでだ」
「……師匠!!」
ビクティニとワニノコの間に立ち塞がるように現れたのは、プリン師匠だった。
そして彼の前に展開される幾重にも重なる透明な障壁。どうやら、その壁がワニノコとプリンを炎から守ったようだ。
睨み合う師匠とビクティニ。
師匠の表情はいつになく厳しく、それに対しビクティニはどこか苦々しげだ。
「試験は終了した。これ以上の攻撃はボクが許さないよ」
張り詰める空気。会場にいる誰もがそれに圧倒されて動けない。審判のモグリューは腰が抜けて動けず、リアルも息を止めたまま棒立ちになっている。皆が二匹の動向に注視していた。
「……!」
小さな舌打ち。
ビクティニは一度強く師匠を睨みつけると、無言で背を向けて去っていった。
ビクティニの姿が訓練場から消えると同時に、時が再び動き出す。
「はぁ……はぁ……!」
腰が抜けて膝をついてしまう。
同時に観客席がより騒がしくなる。
唐突な殺意と、それを封じた師匠の攻防。
それを目の当たりにした観客達は、どうすればいいのか戸惑っていた。
「救護班! ぼーっとしてないですぐに搬送を! テントじゃダメだ、治療室に運んで!」
それを律する鋭い声。師匠が未だまともに動けずにいる皆に喝を入れる。それによってやっと慌ただしくギルドメンバーが動き出した。
喧騒の中、リアルは未だ地面に伏せっていた。
激しい動悸が止まらない。
それは全力疾走の反動でもあり、今目の前で命が失われようとしていた恐怖によるものでもあった。
危なかった。もし、師匠が来てくれていなければ、間違いなく間に合わなかった。
そしてリアルは同時に、自分が誰かの命が無くなることに対して恐怖心があることに気づいた。
当たり前のことかもしれない。でも、リアルにとっては命が失われるのは未体験なこと。
それでも誰かが死ぬというのは怖いと思うのだ。
「大丈夫かい」
地面に這っていたリアルの頭に優しく手が置かれた。
「師匠……」
「よく……飛び出してきてくれたね。それはとても勇気のいることだ」
いつになく優しげな口調に思わず嗚咽が漏れそうになる。
「でも……俺、間に合わなくて……」
「その時のためにボク達がいるんだ。ボクはキミが、誰かのために手を差し伸べられるポケモンであって嬉しいよ」
「いや……そんなこと……」
否定しようとする言葉を遮って師匠は背中を優しく叩いた。
「さ、戻りなさい。もう大丈夫。試験の続きを始めるよ♪」
いつもの口調に戻った師匠は、涙ぐむリアルに微笑んだ。
※
夕暮れ。
その後の試験は特に何事もなく無事に終わった。
無論あの事件の後、騒ぎが起きない訳ではなかったが、「未遂」ということもあってすぐに鎮められた。
試験を終えた受験生達は、翌日の朝に合格発表があることを伝えられ、解散となった。
そんな中、リアルとヨゾラはギルドの正門前で静かに言葉を交わしていた。
「……びっくりしたね、今日のは」
「……うん……怖かった」
お互い夕陽の差す中、ぽつりぽつりと呟く。
今でも思い出せるあの光景。さすがにもう動悸はしないけれど、忘れられない衝撃的な出来事。
「師匠、凄かったよな。俺には来るのが全然見えなかった」
「僕にも見えなかったよ。まるで瞬間移動だった」
リアルにとって衝撃的だったのはビクティニだけではない。師匠の真剣な顔だ。
いつものらりくらりと笑顔で過ごしていて、正直凄さは感じていなかった。
でも今日初めて見たあの厳しい表情と口調。
そしてとてつもない強さ。
「リアル、知ってる? 本来『ひかりのかべ』って技は、ダメージを半減するって技なんだよ。ゼロにする訳じゃないんだって。でも師匠は全然怪我してなかった。どんだけ精度の高い技なんだよ、ってね」
「そうなのか……」
これがギルドのトップなのだ。これほど強いポケモンが率いるギルドなら、皆も安心だろう。
そんな師匠に今日、褒められたけれど。
誰かのために手を差し伸べた……なんて、そんなことを考えて走った訳じゃない。
ただ単に目の前で誰かが死ぬのが未知で、怖かっただけで──
「でもねリアル、僕は君も凄いと思うよ」
「!」
「いや、僕に勝ったこともそうなんだけどさ……今日の事件で、僕はとっさに動けなかったんだ。君と同じくらいに気づいてはいたのに。……助けようとすぐさま行動に移せるなんて、凄いよ。リアルは」
否定の言葉が口をつきそうになって、とっさに飲み込んだ。
「見習いたいな! 僕も」
何も言えずに黙るリアルに、ヨゾラがそっと声をかけた。
「……ねえ、もしどっちもギルド入れたらさ、僕と探検隊やって欲しいんだ。リアルとなら僕も強くなれる気がする」
そう言って、ヨゾラが手を差し出した。
その純粋な目は、しっかりとリアルを見据えていて。
(ああ……この目だ)
ほんの少し前だけど、出会った時から知っている、この純粋な目。
何故か惹かれてしまう、何の他意も邪心も感じない、親愛のこもった目。
「……もし、一緒に受かったらな」
照れくさくって、そんなふうにおどけて返すリアル。そしてその差し出された手を取って応える。
ヨゾラの嬉しそうな顔。
「あ、もう陽が完全に沈んじゃう。もう帰らなきゃ……と言っても宿だけど」
「そうか、遠くから宿に泊まりに来てるのか」
「そうそう、どちらにしろもう結果は出るから、明日までだけどね。受かったらギルド住み込みだし、落ちたら……帰るだけだね」
じゃ、また明日と手を振るヨゾラ。
ギルド前でそれを見送る。
彼の姿が完全に見えなくなるまで見送って、リアルはギルドに入る。
ギルドに住んでいることはまだヨゾラには伝えていない。それは記憶喪失にも繋がることだから。
「……でも、そろそろ伝えてもいいのかな」
空を見上げるともう星が出ていた。
その煌びやかな星空に、彼の顔を思い浮かべて。
落ち込んだ気分でも、少し笑みを浮かべて、リアルはギルドのドアを開けた。
※
皆が寝静まった深夜。
師匠の部屋を静かにノックする者がいた。
了承の返事を得て中に入ったのはソワ。
「遅くまでお疲れ様です、師匠」
「ん、ありがとう、ソワ」
師匠は机に山積みになった資料を手に取り眺めていた。
「採点、終わりましたか」
「うん、大体はね」
師匠が手にしている紙には、受験生一匹一匹の点数が記載されている。筆記と実技と、合計点。
「どうでしたか、今年は」
「うん。みんな優秀だ。レベルが上がっている。これは次はもっと難易度あげなきゃいけないかなぁ」
一枚一枚めくって確認する師匠。
一方でソワはなんだか落ち着きがない。
「それでその……彼は。どうなりましたか」
彼、と言ったらもう二匹は誰と言わずともわかる。居候の、彼だ。
「ふふ〜ん……彼、ね……実技は素晴らしいよ。持てるものを全て使って、さらに持ってないものまで編み出して戦った。文句なしだ」
だけど、と師匠が言葉を切る。ちょっと呆れ顔だ。
「筆記がからっきしだね……」
「ですよね……」
ソワも暗い顔になる。
「まあ、合格者二十名は明日出すけどね。……どんな結果であれ、如何様にも道はあるさ」
不安そうなソワ。
「まあ心配することはないよ。実技は素晴らしいんだし。……ただ、上には上がいるもんだね……」
そう言って一枚の紙を持ち上げた。
そこには「メルト」と名前が書かれている。
その紙をソワも覗き込む、とその瞬間顔が曇った。
その点数は満点に近い高得点。そしてその写真の顔は……。
「その強さは認めなくちゃね……何を起こそうと」
仏頂面で映る幻のポケモンの写真を、師匠は無言で見つめていた。