ここはポケモンだけが暮らす世界。そこには8つの島があり、みんなはそれを「ポケモンアイランド」と呼んでいる。その島のうちの1つにある1軒の家で、2匹のポケモンが話をしていた。
「ねぇ、お父さん」
「何だ、ヒトカゲ」
“お父さん”と呼ばれたポケモンは、話かけてきたヒトカゲの方を向いた。ヒトカゲというのは、尻尾に火を灯した橙色のトカゲを思わす外観をしたポケモンである。ヒトカゲはおもむろにその“お父さん”に質問をする。
「お父さんは、僕を拾ったときの事、覚えてる?」
いま、ヒトカゲの目の前にいるのは自身の本当の父親ではない。血が繋がっているのならば父親はリザードンになるが、実際に彼と話をしているのは、獅子を彷彿される容姿のポケモン――ウインディだ。
このヒトカゲは、この島に長く住んでいるウインディによって拾われ、今日まで育てられたのだ。
ウインディはじっとヒトカゲの方を見て、ふっと微笑んで彼の質問に答える。
「もちろん、覚えている。お前と私が初めて出逢った日の事だからな」
そう言うと、ウインディはヒトカゲを自分のそばへ呼び寄せ、その場に一緒に座りこんだ。しばしの間瞳を閉じて、当時の出来事を頭の中で回想していた。それが終わると、ヒトカゲに向かって話を始める。
「……あの日は天気が悪かった。昼間は晴れていたんだが、日が暮れ始めた頃からだんだん厚い雲がかかって、激しい雷と雨に変わった。そんな天気を見て、私は何か嫌な予感がしたんだ。『何か起こるのかもしれない』とな」
ヒトカゲはウインディの瞳をじっと見ながら話を聞いている。実はこの話をするのは初めてのようで、ヒトカゲは自分の謎を解くきっかけになるのではと興味津々に聞いている。ウインディもまた、彼の瞳をじっと見つめながら話を続けた。
「それで変な胸騒ぎがして外に出てみると、白……というよりはむしろ銀色に近い色のベールに包まれたお前が、ふわふわ空中を浮遊してきたんだ。そして私のところへ降りてきた。眠っていたお前を起こしたが、名前がヒトカゲってことぐらいしか覚えてなかったみたいだ。……こんな感じだ」
「ふーん、そうなんだ」
このヒトカゲ、実は記憶喪失なのである。ウインディの話から察するに、どこから来たか、今まで何をしていたのかを把握しておらず、自分に関する情報で覚えているのは名前のみである。それ以外の情報は、彼の話を信じる他ないのが今の状況である。
「ところで、何でいきなりこんな事聞いたんだ?」
ふとウインディが不思議そうにヒトカゲに尋ねた。というのも、これまで彼は自分の事について質問したことがなかったからだ。以前、ウインディが「私は本当の父親じゃない」と話したことがあったが、その時も彼はその理由を聞こうとはしなかったのだ。
「えっ……別に。ただ、なんとなく」
ヒトカゲの目が泳いでいる。汗もダラダラだ。明らかに様子がおかしい。そんなヒトカゲを見て、ウインディは怪しさ満点の彼を問い詰める。
「お前、何か大事なことを私に隠してないか?」
「か、隠してないよ!」
「まさか、また私に黙ってきのみを食べたな?」
「……はい……」
小さい声でヒトカゲはきのみをつまみ食いしたと白状した。拾われた時から食欲旺盛で、特に最近つまみ食いをする機会が多くなっていたらしい。ヒトカゲの返事を聞いたウインディはキバをむき出しにしている。お説教タイムの開始を告げる合図だった。
「はぁ……ようやく終わったぁ~」
いつもより長めの約1時間に渡るお説教が終わり、ヒトカゲは自分の部屋に戻った。溜息をついてがっくりと肩を落としている。よほどきつい説教だったのだろう。そのままふかふかの草でできたベッドに倒れ込むように横になり、考え事を始めた。
(お父さんが言った事が本当なら、やっぱりあれは夢じゃなかったんだ。僕を“しんぴのまもり”で助けてくれた大きいポケモンは、やっぱりいたんだ!)
記憶喪失のヒトカゲが名前以外に唯一覚えていること、それはウインディに拾われる少し前の出来事だった。覚えているといっても断片的なものであり、彼が何らかの攻撃をされかけた時に、大きいポケモンが“しんぴのまもり”で助けてくれた場面がうっすらと記憶にあるだけである。
(僕が何者かなんてどうでもいい。僕の命を救ってくれたポケモン……そのポケモンに会ってお礼が言いたい!)
もちろん、そのポケモンがどこにいるのか、どんな名前か、どんな姿をしているかもわからない。それでも、ヒトカゲの意思は変わらなかった。お礼が言いたい、その一心だけだった。
(……ただなぁ……)
しかし、そんなヒトカゲにも引っ掛かっていることがある。その1つは、外の世界である。ヒトカゲは他の7つの島に行ったことがなく、自分にとって未知の場所に行くことに少し抵抗があった。そしてそれとは別に、最大の要因があった。
(お父さん、絶対許してくれないよなぁ)
どうやら、ウインディは少し頑固なところがあるようだ。またヒトカゲの事が心配なのか、門限が早かったりあまり1人で行動させなかったりと、過保護な一面もみせている。
厄介だなぁとも思いつつ、それでも、今のヒトカゲは命の恩人にお礼を言いたい気持ちの方が強かった。少し考え事をした後に、ばっ、とベッドから飛び起き、何やらガサガサと物を探し始めた。
1時間後、ヒトカゲは居間にいた。その手には、先端に荷物を包んである風呂敷のような袋がくくりつけられた木の枝を持っている。
「これで準備できた、と。お父さんが寝ているうちにそーっと……」
彼がしようとしていることは、まさしく家出だ。どうやらこの島を出て1人で命の恩人を探す旅へ出る決意をしたようだ。足音を立てないようにそっと居間を通り抜ける。
(お父さん、ごめんね。ちゃんと帰ってくるから……)
居間に敷いている藁の寝床でウインディがぐっすり眠っているのを見つつ、心の中で家出することに謝りながら、彼はそっと家を抜け出した。
「……そういえば、どこに行けばいいのかな?」
家を後にしてほんの数分歩いたところでヒトカゲはふと思った。旅に出るのはよしとして、まずどこへ向かうかも決めていなかった。しかも辺りは真っ暗。明かりがあるわけではないので、右も左もよくわからない。
「とりあえず、あっちに行ってみよう」
ヒトカゲはまだ自分のいる島――ロホ島の地理を把握しきれていない。そのためどこに何があるかもわからず、勘で決めた方向へ歩くしか出来なかった。
初めは家周辺と同じ草むらが続いているだけであったが、歩いていくうちに足元がだんだん岩場へ変わり、傾斜がついてきた。ゆるやかな坂をずっと上っているようだ。どこへ行っているかはわからないが、とにかく真っすぐ歩いていた、その時だ。
「……帰れ」
突如、どこからか発せられた低い声がヒトカゲの耳に入ってきた。初めて聞くその声の主が誰だかわからず、彼は肩をすくめて少々怯えている。
「だ、誰?」
そう聞き返した瞬間、ものすごい熱風がヒトカゲに向かって吹いてきた。その熱風とともに、彼の目の前に1匹のポケモンが現れた。最初は暗くて姿形がよくわからなかったが、そのポケモンが少し近づいたことで、徐々に姿を見ることができるようになった。
はっきり認識できたところで、彼は思わず荷物を地面に落とした。
「あ、あなたは?」
ヒトカゲの質問に、威圧した態度でそのポケモンは答えた。
「我は、大陸の火山を操る者であり、アイランドの番人・エンテイだ」