55話 心人

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読了時間目安:26分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

砂浜に座って、ぼんやりと海を眺めているアイト。 
すでに太陽は水平線の彼方に沈み、空には太陽の代わりに主役となった星と月が輝きを放っている。
この時間帯になると遊びに来ていたポケモン達もいなくなり、騒がしかった砂浜も風と波の音がよく聞こえる静かな場所に変わる。
海はチョンチーやランターンの放つ光でほんのりライトアップされ、日中では見られない幻想的な光景を映し出していた。
人間の世界にもこういったライトアップされる海を見られる場所があるかもしれない。
アイトはそんな事を思いながら、乾いた笑みを浮かべた。

「アイト君、その......」
「何やってんだろうな、俺」

追いかけてきたヒビキがアイトに何か言おうとしたが言葉が上手く繋がらず、詰まったところでアイトが話し始めた。

「ヒビキは頑張って試練を乗り越えて、目標に向かって進んでるってのに俺は1人で苛ついて、ハルキに怒鳴って、そんで雰囲気悪くしてさ......ほんと、馬鹿だよ。 俺って......」

自嘲気味に話すアイトの隣にヒビキは静かに腰を下ろした。
隣に座ったヒビキに顔を合わせようとはせず、海を見つめたまま話を続けるアイト。

「怖かったんだ。 俺だけ置いてかれそうでさ。 ......ハルキが俺に何の理由もなく嘘をつかないなんて、わかってるさ。 ......わかってる。 でも、また俺を置いてハルキがどこかに消えちまたらって思ったら、なんか何も話してくれない事がすげえ苛ついて、怒鳴っちまった。 ...まったく、とんだ笑い話だよな? ヒビキには偉そうな事を言って励ましておきながら、俺が1番チームの足を引っ張ってるんだから」
「そんな、そんな事ないです! アイト君が足を引っ張ってるなんて思うポケモン、スカイにいるわけないです!!」
「ああ......そうだろうな」

思わず大声で言ったヒビキとは対称的にアイトは小さな声で力なく返事をした。

「頭ではちゃんと理解してるんだ。 そんな事は無いって。 ...でも、俺の心は納得しきれなかった。 あの時だってそうだった。 頭で理解してても心は納得して無かった。 なのに俺はそんな事は無いと自分に言い聞かせて、無理やり心を納得させた。 そして、気づいた時にはもう、遅かった」

アイトの言う「あの時」をヒビキは知らない。
知らないが、声色からアイトにとって辛い出来事であったのは痛く伝わった。

「だからハルキは、ハルキだけは面と向かって聞けば答えてくれると思った。 けど、それは俺の思い込みだった」
「違う、違うです! ハルキ君は悪くないです!! わたしが悪いです。わたしが、内緒にしてほしいって、頼んだから...ハルキ君は言えなかったんです。 わたしとの約束を守るために!」
「約束、か。 フッ、なんだ。 じゃあハルキを信じきれなかった俺の勝手な自滅じゃねぇか。 やっぱり俺って馬鹿だな、ハハハ...」
「馬鹿じゃないです! ハルキ君は言ってたです。 僕も一緒に謝るって、嘘をつくのは悪いことだって! だから!!」

俯きながらも必死に言葉を紡ぐヒビキの頭に優しい感触が伝わる。
顔を上げて見ると、海の方を見たままアイトがヒビキの頭を優しく撫でていた。

「知ってるよ。 ハルキは昔からそういう奴なんだ。 約束したら何が何でも守ろうとする不器用なところは今も昔も変わってない。 悪かったな。 こんな事に巻き込んじまって」
「ううん、謝らないでください。 むしろ謝るのはわたしの方です。 シュテルン島に来てから、ずっとわたしの都合でみんなを振り回しているのです...」
「別にいいよ。 少なくとも俺は気にしてないし、好きで付き合ってるだけだから」
「なら、良かったです...」

会話が終わると再び辺りは静寂に包まれた。
浜辺に打ち寄せる波の音、風によって揺れる木々の葉音。
普段なら心地よく聞こえるそれらの音が、今ではやけにうるさく聞こえる。
その事に耐え切れなくなったヒビキは何か言おうと隣にいるアイトに向けて口を開きかけたが、これでは駄目だと首を横に振り、立ち上がるとアイトの正面に座った。
アイトとちゃんと顔を合わせて話をするために。

「ヒビキ?」
「あの...わたしでよければ話、聞くです。 いえ、聞かせてほしいです」
「え...」

ヒビキを見つめるアイトの顔はひどく怯えきった小さな子供のようだった。
アイトはずっとこんな顔で話をしていたのかと思うと胸が痛くなる。
でも、だからこそ話を聞かなくてはいけないとヒビキは強く思った。

「だって...アイト君、震えてます。 それに、そんな顔してるアイト君を放っておけるわけないです」
「放っておけるわけない、か......そんなに俺はひどい顔してんのか?」

アイトの問いかけに無言で頷き、肯定の意思を示す。
ヒビキの顔もまた、怯えたアイトをひどく心配している顔だった。

「ハハ......お前にそんな顔させちまってるってことは、ひでぇ顔してんだろうな、俺は。 ......わかった。 少し長くなるけど、昔話をさせてくれ」
「はい」

ヒビキから了承を得たアイトは1度大きく深呼吸をしてから話し始めた。

「前にも話したけど、俺は母さんに1人で育ててもらったんだ。 父さんがいなかったわけじゃない。 父さんは俺が生まれる直前に会社の急な事例で6年も海外に行かされててさ。 やっと6年ぶりに帰って来られたって思ったら空港で大きな事件に巻き込まれて死んじまったんだ。 だから俺は1度も父さんと直接会ったことが無いし、写真でしか顔を知らない」

俯きながらも話し始めたアイトをヒビキは何も言わず見つめた。
目をそらして聞いていいような話じゃないと思ったから。

「でも、父さんがいないから寂しいと思ったことは1度も無い。 だって、父さんの分まで母さんが俺を愛してくれたって伝わってたから。 今でもよく覚えてるよ。 母さんに海に連れて行ってもらった日のことを。 あの時はよくわからなかったけど働きながら1人で子供を育てて、数少ない休みを俺のために使うって簡単にできることじゃない。 そのうえ、いつも眩しいくらいの笑顔を俺に見せてくれるんだ。 仕事に家事、そして子育て。 毎日、疲れてる筈の人がいつも笑顔を絶やさないんだ。 信じられないだろ? でも、俺の母さんは毎日笑ってた」

アイトは懐かしそうな目をしながらゆっくりと話した。

「素敵なお母さんだったんですね」
「ああ! 本当に母さんはすごいんだ! でもな......」

嬉しそうに顔を上げて話していたアイトの声はだんだん小さくなり、再び俯くと続きを話し始めた。

「俺が小学生の頃、母さんも交通事故で亡くなっちまった」
「え......」
「忘れもしない。 5月5日、俺の10歳の誕生日だ。 その日は少し早めに仕事を切り上げて、パーティの準備をするってはりきってたよ。……でも、その仕事の帰り道に居眠り運転の車に突っ込まれて。 ......事故直後はまだ微かに意識があったらしいけど、俺が病院についた頃にはもう......」
「そんな...」
「しかも間が悪いことに、ちょうどその時期、俺は学校でひどいいじめを受けてる最中だったんだ」

瞳が少し潤んでいるのを誤魔化すように空を見上げたアイトにヒビキは何も言えなかった。

「きっかけは些細な事だったよ。自分でも言うのもあれだが、俺は運動神経が良くてな。 よく部活の助っ人に呼ばれてたんだ。 ただ、俺が来ることで元からいた部員は試合に出るチャンスを逃す事になる。 そうしていくうちに、俺は俺の知らないところでたくさんの反感を買っていてな」
「でも、それってただの嫉妬です...」
「そうだな。 今にして思えば部活に助っ人として俺を呼んでいた先生達は、学校に実績を残すために勝ちたいって理由がたぶんあったんだと思う。 でも、子供ってもんは感情にいちいち理由をつけない。 気に入らないと思ったら態度だけじゃなく行動でも示して排除しようとする。 ヒビキ、同調圧力って知ってるか?」
「いえ...知らないです」
「同調圧力ってのは、わかりやすく言うとみんながやってる事をやっていない少数の奴らもする事だ。 いや、しなきゃ仲間はずれにされるって暗に示されてるから、少数の奴らもやるざるをえないって感じのが正しいか」
「つまり大勢の意見に合わせて行動するってことです?」
「まあ、そんな感じだ」
「でも、その言葉が何か...」

ヒビキは途中まで聞きかけて気づいた。
このタイミングでそんな言葉の意味について聞いてくるとなると、考えられる可能性は1つしかない。
だが、ヒビキの予想が正しいなら、それはあまりにも辛い結果になる。
その事を察してアイトはヒビキに聞かれる前に続きを話した。

「そう。 クラス中どころじゃない。 学年中の奴らが俺にいじめをしてきたんだ。 始めは反感を持ってた奴らからの些細な嫌がらせだったよ。 持ち物を隠されたり、わざとぶつかってきたりってな。 もちろん、嫌がらせを止めようとする奴もいたさ。 でも、毎日続けられるとだんだん当たり前になっちまってな。 1人、また1人って感じに嫌がらせをする奴が増えていって、気づいたら少数だったいじめのグループは多数になってた。 これでいじめをしない奴は俺の味方と見なされ、いじめのターゲットにされるという脅しに近い状況の完成ってわけだ。 当然、そんな状況で俺に味方する奴なんていなかったよ」
「せ、先生は何してたんですか? 止めてくれたりは......」
「しないよ。 子供ってのは加減を知らないから歯止めをきかせるために先生がいる。 ってのが世間一般の認識だが、実態は学校の名前に傷がつくだの、ちゃんと真意を調べてからじゃないと動けないだの理由を並べて、見て見ぬふりさ。 俺は何度も言ったさ。 助けてほしい。 どうにかしてくれって。 でも、あいつらは関わろうとしなかった。 注意することすらしなかった。だから、俺に対する嫌がらせはどんどん悪化していったんだ」

みんながやってるから自分達もやらなければ。
間違っているとわかっていても、やらなければ自分がターゲットにされる。
みんなやっても先生に怒られてない。 これはやっていいことなんだ。
そんな歪んだ思いでいじめをする存在はどんどん増えていった。
本来なら先生という立場の人間が状況を把握し、止めなければならない。
しかし、当の先生は生徒を守ることよりも保身を優先し、役目を放棄した。
その結果、子供達はどんどん増長し、嫌がらせではすまないような行為も平然とするようになった。

「毎日、目立たない場所に俺を無理やり連れて行ってな。 溢れるぐらいに水を汲んだバケツを用意して、そこに数人係で俺の顔を沈めたんだ」
「ちょっと待ってください! そんなことしたら!!」
「当然、すっと沈めてたら死ぬことぐらいいじめをしてた奴らも理解してたさ。 だから、息が続かなくなるギリギリで顔を上げさせて、息継ぎさせてからまた沈める事の繰り返しさ。 やってる奴らは俺が必死にもがく様が楽しかったみたいだけど、俺は拷問を受けてる気分だったよ」
「ひどいです......」
「だから俺は水に強い苦手意識があるんだ。 当時は飲水すらまともに喉を通らないほどだったよ」

水は毎日アイトを苦しめる存在の1つとなってしまった。
苦手意識を持ってしまうのも当然だ。

「でも、そんな事、母さんには話せなかった。 当たり前だ。 俺を育てながら仕事も家事もしてる母さんに、これ以上迷惑をかけられる筈がない。 俺は母さんの笑顔が大好きだった。 だから、俺が受けているいじめなんかでその笑顔を曇らせたくなかったんだ。 母さんの笑顔だけがあの時の俺が生きていける理由だった。......だから、母さんが死んだって知った時は俺も死のうとしたよ。 けどな、止められた。 いや、止めてくれたんだ」
「それってもしかして」
「ああ、ハルキだよ」


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あと少しで地獄のような学校が終わる。
そう思っていた午後の授業中、慌ただしく廊下を走ってきた別の先生に呼ばれたアイトは廊下に出ると、そこで母親が交通事故にあったと聞いた。
あまりにも突然すぎて何を言っているのか理解できなかった。
そのまま先生に促されるまま母親が搬送された病院に向かい、着いた頃にはベッドの上で横たわったまま2度と動くことはないと医者に告げられた母親の姿があった。
多少のすり傷こそあれど、大きな外傷は見て取れないほどきれいな姿だった。
そこにきてやっとアイトの理解が追いつきはじめた。

「いや......嘘だ。 だって、今日は俺の誕生日なんだよ? 帰ったら祝ってくれるって約束もしたんだ。 だから、嘘だよね? 母さん?」

今朝、誕生日を祝うから寄り道せずに帰ってくるようにって約束した。
いつものように眩しい笑顔を向けてくれた。
帰るといつものように出迎えてくれると思っていた。
そんな母さんが......もういない?

赤海あかうみさん、残念ですがお母様は、もう...」
「そんなこと知らない! 俺は母さんと約束したんだ!!」

声をかけてくれた医者に乱暴な言葉を浴びせると、落ち着いたら声をかけてほしいと言い残して、医者は退室していった。
部屋に1人、残されたアイトは床に膝をつき、ベッドで横たわる母親に縋りつくようにして、ひたすら泣き続けた。
泣いて、泣き喚いて、泣き続けて、それでも涙は枯れることはなかった。



どれくらい時間が経っただろうか。
あの後、医者に当たりどころが悪かったとか、救急車を呼んでくれた子供がいたとか色々話をされたがよく覚えていない。
気がつくとアイトは近所の河川敷かせんじきにいた。
夕暮れ時と言うこともあり、辺りはすでに薄暗く、人の気配もほとんどない。

「川か......終わらせるにはちょうどいい」

アイトは自嘲気味じちょうぎみに呟くとゆっくり川に向かって歩き始めた。
日中ならば子供が1人で川に向かって行く危険な光景を見て、誰か止めに来るかもしれない。
しかし、今は太陽がほとんど沈みかけた夕暮れ時。
ただでさえ薄暗い時間帯な上、街頭が全く存在しない河川敷はさらに暗く、遠くから小さな子供を視認することは困難であった。
そもそも、こんな時間帯にわざわざ河川敷に来る人などほぼいない。
いたとしても、ランニングしている人か犬の散歩をしている人ぐらいだろう。
別の目的で河川敷に来ている以上、暗い河川敷で川に向かって歩く小さな子供を偶然見つける確率はかなり低い。
つまり、誰にも邪魔されず、自分の命を終わらせる絶好の状況であった。
アイトは1歩、また1歩と川に近づいて行く。
もう少し、あと数歩進めば俺の小さな命は終わる。 そう思った。
だが、急に誰かに服の背中を掴まれ、アイトは川と反対方向に引っ張られた。
突然の出来事にバランスをしたアイトは、そのまま地面に尻もちをついた。

「今、何しようとした?」
「は?」

その声に振り向くと、アイトの背後に1人の少年が立っていた。

「何しようとしたって聞いてるんだ」
「お前には関係ないだろ。 ていうかお前だよ?」

アイトが冷めた口調で言うと襟首を思い切り掴まれた。

「何す......」

アイトが苛立ち気味に発した言葉は目の前にいる少年の顔を見た瞬間、思わず途切れた。
怒った表情をしながら、泣いている少年の顔を見てしまったから。

「そうだよ。 君にとって僕は部外者で関係ないかもしれないよ。 だけど! 僕からしたら関係なくないんだ! 僕は、もう、見たくないんだ!!」
「はぁ? 意味わかんねぇ。 離せよ」
「離さない」
「いいから離せよ」
「絶対に離さない」

強引に自分の服を掴む少年を引き剥がそうとしたがなかなか離れない。
目の前の少年は自分と同じぐらいの背丈なのに一体どこにそんな力があるのか。
意地でも離さない少年にアイトは声を荒げた。

「わけわかんねぇよ! はやく離せ!!」
「嫌だ!」
「しつけぇなぁ!! 離さねぇなら力づくでいくぞ!?」
「それでも絶対に君を行かせない!」
「ッ! このッ!」

周囲に鈍い音が響く。
アイトは思わず服を掴む少年の顔を殴ってしまった。

「こ、これでわかったろ。 俺はお前を簡単に殴るような奴だ……だから、俺なんかほっといて、どっか行けよ」

未だに鈍い感覚が残る右手をゆっくりおろしながら、アイトは俯きながら言った。
しかし、アイトの言葉に服を掴む少年の力が強くなった。

「行かない...君が諦めるまで僕はこの手を離さない!」
「なんで....俺なんかに構うんだッ!!」

アイトは俯いていた顔を上げて少年に向かって叫んだ。

「ほっといてくれよ! 俺にはもう生きてる理由なんてない! だからはやく終わらせたいんだ! 何も知らねぇくせに邪魔すんなよッ!!」
「目の前で死のうとしてる人を放っておけるわけないだろッ!!」

怒っていても声は比較的落ち着いていた少年が始めて声を荒げた。

「ああ! 僕は君の事をよく知らないよ! けど、出した答えが本当にそれでいいのか!? それで君は満足なのか!?」
「うるせぇッ!! いいも悪いも俺にはこうする道しか残されてないんだ!」
「違う! そんなことない!!」
「何でそう言い切れるんだよ! 学校で居場所を無くして、唯一の希望だった母さんまで居なくなった......そんな俺に選べる道があるわけねぇだろ! これが俺の出した答えだ! 俺が満足してなくてもこれしか無いんだ! それともなにか? 俺の答えが間違ってるとでも言いたいのか!?」
「そうじゃない! 答えが1つしかないって決めつけるなと言ってるんだ!!」
「じゃあ教えてくれよ!? 生きる希望も理由も失った俺が出した答え以外の道を!!」
「僕がいる!!」
「は?」

どうせ「とりあえず生きて理由を探せばいい」だの、「ここで終わらせたら何も得られない」だの、ありきたりの綺麗事を並べて説得するだけだろと思っていたアイトは予想外の返答に間の抜けた声が出てしまった。

「答えになってねぇだろ。 真面目に答えろ!」
「僕は真面目だよ。 さっき君は生きる希望も理由も無いって言ったけど、だったら僕が理由になる! 希望になる! そうすれば解決だろ?」
「ハッ、なんだよそれ。 理屈すらない無茶苦茶な答えじゃねぇか。 そんな答えで納得するとでも思ってんのか?」
「そうだね。 自分でも無茶苦茶だって思うよ。 けど、これで1つだと思っていた道は1つじゃないって証明できたろ?」
「え?」
「君が言ったように道は1つしかないのかもしれない。 でも、道は進むだけじゃなくて戻る事もできる」

アイトは進もうとしていた川の方向を見る。
全てを終わらせようと自分の足で進んだ道。
すっかり暗くなって、水の流れる音だけが川の存在を主張するほど真っ暗な道。

「あれが君の進もうとしていた道だ。 真っ暗で、何も見えなくて、誰もいない寂しい道だ。でも、君が進んできた道には僕がいる」

自分の服を懸命に掴む少年の方向を見る。
さっきまで自分の足で歩いてきた道。
暗くてよく見えなくても、自分のために必死になってくれる少年がいる道。

「ここにあるのは1つの道、進むも戻るも君の自由だ。 君が戻るというのなら僕はその手を掴むし、君が前に進むと言うのなら僕はこの手を離すつもりはない」
「掴む場所変えただけで、選択肢になってねぇじゃんか」
「僕も同じ道に立ってるんだ。 止めるのも手を引くのも僕の自由だろ?」

少年は泣いているとは思えないほど眩しい笑顔をアイトに向けてそう言った。

「俺はお前の言った事に納得してねぇ。」
「してなくてもいい」
「俺はお前を殴ってでも前に進むって選択肢もあるんだぞ」
「それが君の選択なら構わない。 その時は、君を止める選択を僕はするよ」
「はぁ〜」

大きな溜息をついて俯くアイト。
無茶苦茶な言葉で言い負かされた感じもする。
けど、少年の言葉は、ただ聞こえのいい単語を並べた上辺の言葉じゃなく、助けたいと心から思って出た言葉であり、自分で自分を諦めたアイトを最後まで諦めないで全力で止めてくれたと伝わった。 それが素直に嬉しかった。

「......赤海あかうみ 心人あいと
「え?」
「俺の名前だよ! 何度も言わせるな!」

地面に顔を向けたまま頭を掻くと、照れくさそうに言った。
その姿に笑いながら少年は服から手を離し、アイトに名乗った。

「僕は青希。 空澄たかすみ 青希はるきだ」

アイトが顔を上げるとしゃがんだアイトに右手を差し出している少年ーーハルキの姿があった。

「戻ろう。 アイト」
「ああ、ハルキ」

差し出された手を握り返すとハルキは嬉しそうに笑った。
その笑顔はアイトにとって、真っ暗で何も見えなく、前に進むしかないと思っていた道を照らし、戻る事を示してくれた新しい希望のように思えた。



あれからハルキとアイトは河川敷から離れた公園まで移動し、ブランコに座って話をした。
学校でいじめられるきっかけとなった話、アイトの両親についての話。
時折、悲しそうな表情をしながらハルキはアイトの話を最後まで静かに聞いてくれた。

「そうだ。 今のうちに渡しておくよ」
「なんだよ急に。 手紙?」

話が一段落するとハルキはポケットから1通の封筒を取り出し、アイトに手渡した。
アイトは眉をひそめつつも手紙を開け、内容を見ると思わず目を見開いた。

「この手紙って......」
「君の母さんからの手紙だよ。 今日は、君の誕生日なんだってね......」
「え? 何で、この手紙をハルキが?」
「君の母さんが事故にあった時、僕も......その場所にいたんだ。 それで、コレを渡してほしいって託されて」

そういえば、医者が救急車を呼んでくれた子供がいたとか話していた気がする。
その子供こそがハルキだったのだ。

「君が病院に来た時、すぐにでも渡そうと思った。 けど、医者に今はそっとしておいてほしいって言われて。 それで...」

おそらく、ハルキは病院からずっと手紙を渡すためにアイトを遠くから見守り続けていたのだろう。
人気の少ない河川敷に表れたのも、アイトに手紙を渡す機会を伺うため後をつけていたからだと考えると納得できる。

「ありがとう、ハルキ」
「ううん、渡すのが遅くなってごめん」
「いいさ」

封筒を開け、中から二つ折りになった手紙を取り出した。
幸い公園の街頭のおかげで、暗くて読めないという事はなさそうだ。
アイトは見慣れた母親の字が並ぶ手紙にゆっくり目を通した。


[心人あいと
まずは 10歳の誕生日おめでとう!!
手紙を書くなんて ほとんどしたことないから
少し照れくさいけど 記念すべき10年目なので
形として残る 手紙を書くことにしました。
せっかくの記念日なので 
名前の意味について書こうと思います。

母さんが妊娠して 男の子だとわかってから
名は体を表すって 父さんが毎日うるさくてね。
出産する前から 色々と考えて決まったのが
『心人』でした。
正直 安直すぎるって母さんは思ったけど
父さんが すごく気に入ってね。
「心を思いやれる人なんて最高じゃないか!」
なーんて言っちゃって。
ほんと子供みたいでしょ? あなたの父さん。
でもね 母さんはこの名前でよかったって
今は思っているの。
父さんが言ったように 心を思いやれる
優しい人に 育ってくれたんですもの。

こうして紙に書くと 普段言えないことも
言えてしまうものね。
心人 誰かに頼るのは恥ずかしいことでも
ましてや弱いことでもないのよ。
きっと 心人の力になってくれる人がいる。
一人じゃないってことを 忘れないでね。

P.S
同封されてる 水族館のチケットは
母さんからの 誕生日プレゼントです。
本当は新品の自転車とか 買ってあげたかったけど 
ちょっと厳しかったです。 ごめんね。
その代わり 今度の休みに母さんと一緒に
水族館に行きましょうね!!
                 母さんより]


「なん、だよ......言うだけ言って、いなくなるなんて、ずりぃよ、母さん」

手紙を読み終えるとアイトの目から次々と涙がこぼれ落ちてきた。
さっき病院で枯れるほど泣いたからもう涙は出ないと思っていたのに。
もう流す涙もないと思っていたのに。
それでもアイトの目から涙が止まることはない。

「事故直後、君の母さんはずっと君の事を心配していたよ。きっと意識も朦朧としていたはずなのに、それでも君の事をずっと…」
「か、母さんは...きっと気づいてたんだ。 俺がいじめられてるって。 ......だから、直接相談できない俺でも相談できるようにって......手紙で相談できるようにって......うっ...うっ...」

それからしばらく、夜の公園に1通の手紙を胸に抱きしめ、ひたすら泣きつづけるアイトの泣き声が響いた。


―――――――――――――――――――――――
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連載を始める前からずっと考えていた構想の内の1つをやっと書けました!
アイトが水を苦手としている描写は何回か書いていましたが、
その理由がやっと判明した感じですね!(展開としてはかなり重かったですが)

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