教会へと向かう道はたくさんの人が行き交っていた。
もともと街の中心を彩る賑やかなメインストリートであったが、夏の訪れを祝う祭という特別な日でいつもよりも増して活気にあふれ、酸檎龍酒や食べ物を売る屋台が軒を並べている。
「おい、そこのねーちゃん、ねーちゃんよぉ、ちょいとうちに寄ってかないか、安くしとくぜ」
威勢のいいヒゲ面の中年の売り子が手を叩きながら声を掛けてくる。それを聞いてぱあぁと笑顔になってまた店に飛び込もうとする連れを、藍墨色の外套を着た男がディアンドルの裾をつまんで引き留める。
「おい、なにするんだ」
「ナルツィサ殿……、寄り道しないで頂きたい」
「ナルと呼んでくれと言ったじゃないか。今日の私は貴族の令嬢ではなく、そのへんにごく普通にいるいたいけな村娘として祭に来ているのだからね」
手を腰について豊かに盛った胸をはって主張するナルに、お前のような町娘がいるか、と外套の男――カゲマサは突っ込もうとしたが、我慢した。
豊かに膨らんだ胸元を紐の交差で隠した小洒落たディアンドル、腰のエプロンには向かって右に大きなリボンが結んである、頭にはキラキラした髪飾りを差しており、とても美しく可愛らしい。――だが、その可愛らしく着飾りすぎなのが問題だ。
周りの垢抜けない本物の町娘たちの中でその美貌は浮いており、高貴さがまるで隠しきれてない。村娘だと言い張りたいのならば、顔に白粉など叩かず洗い疲れたような服を着るべきだ。
まあしかし、ナルがそれで良いと言うならばカゲマサは何も口を挟むつもりはない。
夏迎えの祭と言うものを観覧するために、お忍びでやってきた西方の領地に住む貴族ナルツィサの護衛という立場でここにいるのだから、何も言わずに護衛の任に徹することにした。
「今日ここに来た目的は忘れてないだろうな、もう時間が無いぞ」
「もちろん、では行こうか」
ナルがすっと手を出してエスコートを求めると、カゲマサは苦い表情をしてから仕方なくその手を取って歩き出す。
石造りの家と屋台が立ち並ぶ、曲がりくねった道を歩いていく、目的地はこの先にある教会前の広場。
先日のマックデブーガーの惨劇の対応に追われて帝国の中枢部は大いに揺れている。戦いには勝ったはずが、領主貴族達はまるで敗戦処理に追われているかのような慌ただしさで、さらに悪いことに北方では怪しい動きが見え隠れして、油断ならない事態にある。
だが帝国に住む領民にとっては、お上のそんな事情は関係なく。今年も例年通りに開催されたこの夏迎えの祭で大いに盛り上がっている。
教会の前の広いスペースには石畳のモザイクでバトルフィールドが描かれており、祭の今日だけはそのフィールドの周りに、特設の観客席が用意されていた。今日は祭のイベントの一つとして、いくつかのバトルが催されるのだ。
ナルとカゲマサは教会の壁に掲げられた対戦カードと、周りに人が群がる今回の対戦者を見ながら勝者を予想し、出店で賭け札を購入してから観客席に陣取った。
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これから戦闘を行う両者が並び立つ。
右にはジュカインを連れた木こり、ジュカインは革の上着を身につけ腰のベルトには2本のフランツィスカを括り付けている、木こりのトレーナーと同様に緊張した面持ちを見せている。
左にはエルレイドを連れた女騎士、エルレイドは幾度の修復跡が残る使いこまれた鎧を着こみ、その鎧には紋章も刻まれており、胸を張って堂々とした佇まいを見せている。
「いかにも山で木を切る仕事をしているような容貌だな」
「ああした者ほど強いから油断できないぞ」
「ふむ…… あの騎士は、元貴族かな?」
「貴族でもあるが、教会お抱えの騎士だったようだ、かつては聖騎士と呼ばれた身分のようだな」
「そうか」
観客席に座るナルとカゲマサは、出店で買ってきたジャム入りパン菓子をつまみながら呟く。
密林ポケモンのジュカインは細い木々の間を巧みに跳び回れる足腰を持ち、伐採仕事の相棒としてはもってこいのポケモンだろう。そのトレーナーは精悍な青年であるが、とりたてて特徴もない普通の木こりといったところだ。
女騎士は鎧を着こんでいるが、それはエルレイドの鎧とは対照的でろくに打ち直しがされておらず、サイズが合わない鎧をむりやり着ているように見える、おそらくトレーナーの装備にまで首が回らないのだろう。最近の商家の躍進により金を集めて貴族に成りあがる商家がいる一方で、逆に積み重なる借金に喘いで破産してしまい、廃爵されて没落してしまう貴族が後が立たない。彼女もそんな境遇の一人であり、少ないチャンスを求めてこの試合に臨んでいる。また、肩や胸などに十字の意匠が多く使われた鎧はかつて教会を護る聖騎士が使っていたものだが、かつて付属していたマントは失われ、使い古された鎧からはかつての黄金の輝きはすっかり失われており、旧教の隆盛を物語っているようだった。
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試合は『1対1 有効打点 2本先取』で行われる。
お互いのトレーナーが1匹だけポケモンを出して戦い。綺麗に攻撃を決めるまで1本とし、1本ごとに短い休憩を挟んで先に2本取った方が勝利になる。試合を長引かせて娯楽性を高めるための試合形式と言えるだろう。
「我が名は、アフリー=オリーブリウス。天にまします主よ、我に力を与え給え……」
手に持った儀礼用の模造剣を掲げて女騎士は簡単な名乗りを行う。どんなに没落をしようとも聖騎士として誇りだけは捨てては無いという意思を感じる口上だった。
両者が試合フィールドの定位置についたところで、旗を持った審判が前に出る。
「構え、準備はいいか?」
審判の問いに、両者は大きな声で了解の返答をする。
「よし!」
「よし!」
「では……はじめっ!」
審判の合図と共に、ジュカインはこれからの戦闘の下準備のために腕を振り上げるような攻撃的な舞を始める、剣の舞の構えだ。
対するエルレイドは大きく腕を振り上げ、少し片足を上げて、
踏み込んだ瞬間――
ジュカインに[つじぎり]の逆袈裟斬りが振り下ろされた。
まともに受け身を取れないままに地面に叩き付けられるジュカインの頭。
側頭部を強打する。
少し遅れて慌てたように審判の旗が振り上げられた。
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一瞬で決まってしまった展開に観客は騒然となった。
急遽エルレイドの賭け札を買いに走る者が続出し、観客席の人の出入りが活発になる。
「あれは縮地……否、違う」
縮地法。 緩急を加えた特殊な移動方法によって錯覚を起こし、瞬間移動したように見せる技術はあるが、あのエルレイドはそんなフィジカルテクニックではなく、もっと直接的で――まるで空間そのものを飛び越えたのような挙動を見せていた。
それは普通の瞬間移動にしては不可解な動きだった。
「空間加工か」
「へぇ」
カゲマサは一人考えて、そのように結論付ける。
ラルトスおよびその進化系は『テレポート』のワザを習得することができる。その異能を利用して相手との間の空間を捻じ曲げて繋ぎ、間合いを自在に操作したということなのだろう。
ワザとしてのテレポートのような大掛かりな空間移動ではなく、非常に小規模に空間操作を行い、このように体術の一つとしてワザと組み合わせることができる。身体ごと移動しなくても、ワザが当たる先端だけを相手のすぐそばに繋いでしまえば、飛ぶ斬撃ということを再現できるだろう。
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休憩時間を終えて、両者が再び並び立つ。
二本先取なので、エルレイド側はこれを取れば勝利だが、ジュカイン側にとってはもう後がない。
「はじめっ!」
審判の合図と共に、ジュカインは走り出す。それも右や左へでたらめな方向に跳び回る。
あの木こりトレーナーは早くも『動き回っていれば問題ない』ことに気付いたようだった。
空間内の点と点を繋ぐ都合上、空間内の意識して狙った点にしか攻撃を当てることができず、当てるためには相手の場所を捕捉しなければならない。せっかく時間をかけて空間を繋いでもその場所から移動されては意味がなくなってしまうので、不規則に動き続ける相手に対しては先ほどのような戦術は成立しない。
そのようなことは当然ながらエルレイドを操る女騎士も承知の上なので、すぐにそれに応じた指示を出す。
エルレイドは黙って頷き、その場で何度も腕を素振りして、無数の[サイコカッター]を生み出す。念波の刃は加工されて歪められた空間に乗って、四方八方からジュカインの身体を切り刻んでいく。
『斬れる』という結果が作られた空間をフィールドの至る場所に配置して、そこを走り回るジュカインが通過する度に、ズタズタに斬り刻まれている。と説明した方が正しい表現か。
ジュカインも苦し紛れに[エナジーボール]を発射するが、直線的で分かりやすい弾の軌道は、軌道を加工することで軽々と曲げられてしまい当たることはない。
それでも一瞬の隙をついて、ジュカインは近距離から[リーフブレード]を繰り出し、エルレイドも同じワザで迎え打つ。
両者の[リーフブレード]がぶつかり合って、金属が打ちつけられるような音と共に、緑色の火花が飛び散った。
エルレイドは後ろにのけぞる動作と同時に空間移動をして、また充分な距離を取り、無数の[サイコカッター]で苦しめにかかる。
観客からの見解を述べれば、ジュカイン側が不利で追い詰められている状況になっていた。
一見拮抗しているように見えるが、エルレイドは鎧を装備しており、例えワザが命中したとしても騎士鎧の装鋼を破らなければダメージを与えることはできない。
そうなると、ただ少しずつ削り合うだけのこの状況では勝ち目がなく。
飛び道具は届かず、接近戦もできず、決定打もないままのジュカインは一方的に削り取られるだけになるだろう。
しかし、手足ならばそれぞれ2本づつあるかもしれないが、超能力を扱える頭脳は1つしか存在しない。
魔術と体術を両立しながら戦うという行為は、右手と左手で違う字を書くがごとき繊細さが必要になり、攻撃と防御の両方に気を配りながら超能力で空間の加工をおこない続ける集中力を、いつまでも持続することはできない。つまり、すごく疲れやすいのだ。
ジュカインは先ほどのように、その集中力が途切れた隙の、空間移動ができないタイミングでエルレイドの目の前に踊りでる。
慌てず、エルレイドは[つじぎり]で迎撃に入ったが……
ジュカインは腰に付けていた、フランツィスカ――小型の戦斧を手に取って握り締めており、力いっぱい振り下ろした。
その一撃は辻斬りで相殺できた、だがその瞬間にはフランツィスカはジュカインの手から離れており。
二本目のフランツィスカが逆方向から振り下ろされ、エルレイドの鎧を軽々と貫いて、ふっとばした――。
今度の審判の旗は、ジュカインの方に振り上げられた。
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「あれは……」
「フランツィスカか、面白いものを持ってきたね」
フランツィスカ――かつてその昔、この地で使われていた投擲用の戦斧である。
離れた場所から人間の手で、ポケモンの頑強な皮膚や鉄の鎧を破ることができる武器で、この斧でフランク人はこの地のポケモンや人間達を征服せしめた逸話がある。
勇敢なポケモンも人の兵士もそれを見れば皆恐れ慄き、あまりの強さに『武器の名前がそのまま民族名になってしまった』という、時代を揺るがしたいわくつきの武器である。
普段から斧を扱う木こりだから持たせているのだろう。
「投げるところを見られないのが残念か」
「ちょっと相性が悪いね」
フランツィスカの真価は投げてくるかもしれないという恐怖にあるのだが、今回は飛んできた物の軌道を自在に曲げられるエルレイド相手に通用しないので、普通の小型の戦斧として使うしかないようだ。
それでも鎧通しに成功して、勝ちを一つ拾ったので十分な成果と言える。
「どっちが勝つと思う?」
「……分からぬが、あの騎士が空間加工術の使い手であるならば、あのワザをまだ使ってないな」
「木こりの方も何かのタイミングを図っているそうな顔をしているし、どちらも隠し玉がありそうだね」
「ああ」
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「はじめっ!」
審判の合図と共に、決着の一番が始まる。
両者の行動は予め決められていた。
エルレイドは意識を集中し、周囲の空間に干渉して、その理を捻じ曲げる。
素早さが半分くらいにまで低下する、重い鎧の装備でこれまでは走ることが出来なかった。
その身に纏う重装鎧で落ち込んでいた敏捷性が ――裏返る。
空間加工の究極奥義。 ――[トリックルーム]
それと時を同じくして突然、木こりの口から朗々と空に響き渡る祈りの口上が発せられた。
「天にまします我らの父よ 願わくは 御名の尊まれんことを 御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
尊父の森の力を我らに与え給え 聖母の恵みを我らに施し給え 我らに勝利を許し給え!」
指を組んだ手と、その祈りの言葉と共に、木こりのベルトのバックルに埋め込まれた宝玉と、そしてジュカインの革服の下から激しい輝きが漏れ出した。
観客たちが一斉にざわめきだし、身を乗りだしてこれから起こる目の前の現象を凝視する。
ジュカインの背中から十ほどの黄色い珠がせり出して、肩からは堅い葉が放射状に鋭く伸びる。
最後に「アーメン」という言葉と共にジュカインの姿は、尻尾が大きく尖って伸びた異質な姿へと変貌を遂げた。
これは王侯貴族が使うとされる『メガシンカ』の力ではないかと、ナルやカゲマサを始めとする何人かの者は勘付いた。
だが、ジュカインのメガシンカなどは確認されておらず、存在しないはずだ。しかしこれがメガシンカではなかったとしてもメガシンカに匹敵する圧倒的な力を持っていることは容易に想像できた。
「天を貫く樹木に与え給えし、雷霆の力よ、目覚めよっ!」
木こりの続けて唱えられたその言葉と共に、中空から霹靂がジュカインの尾の先に落ち、ジュカインは甲高い声と共に激しい光に包まれる。
周囲の雷霆を集めて自らの力の糧とする針葉尾、そこにジュカインの隠されし力を開放し、力を増幅する。
エルレイドはその様子を黙って見ているわけではない、空間加工術で扉を作り、腕を振りかぶり、トリックルームによって得た瞬足で直ちに勝負を決めるため斬りかかる。
対するジュカインが放った手は、たった一つだった。
もう倒れてしまっても構わない、この空間内のすべてを巻き込んで解放する、最後の全力の――
[ リ ー フ ス ト ー ム ]
トリックルームで作られた閉鎖空間の中に、おびただしい量の葉っぱが巻き上げられて
そこに最後に立っていたのはジュカインの姿だった。
o◇ o◆ o◇ o◆ o◇ o◆
どちらが勝ってもおかしくなかった。
とカゲマサはあの勝負を顧みた。
エルレイド側の敗因は、空間加工の技術に溺れてしまったことと、攻めに転じる決断力が足りていなかったことだろう。
実はジュカインは幾度となく浴び続けてしまったサイコカッターのダメージの蓄積が深刻で、休憩を挟んでも体力を回復することができず、最後の一番は立って攻撃をすることがやっとだった。そのため捨て身の超高威力ワザを撃って倒すしか勝機が無かった。女騎士はそれを読み取ることができず、まだ試合が長引くとたかをくくって中威力の攻撃で戦おうとした結果、押し潰された。
トリックルームによって得られた敏捷さで、リーフストームが放たれた瞬間に瞬間移動で回避をしていた――だろうと思われるが。どんな攻撃も空間加工により自在に回避できるはずが、トリックルームという閉鎖空間を作ってしまった結果、リーフストームをその密室内の全域に放たれてしまい、それが逃げ場のない監獄と化してしまっていた。
空間を認識してその内部を支配することが大事な技術のため、自らトリックルームという区切られた空間を作ってしまうと、その外側に認識を働かせることができない。
どちらも指揮官たるトレーナーとしての未熟さが起因しているものだが、それ故に伸びしろがあるということで、磨けば光る素質がそこにあると思えた。
「いいねぇ、あのエルレイド連れた騎士。あの子、買おうか」
「?!」
ギョッとして、カゲマサはナルの顔を凝視した。
「……なあに? その顔、まさか変な勘違いしてない?」
「あ、ああ、申し訳ない。失礼した」
怪しい笑いを浮かべながら、ナルは試合場の外れに立つ、あの女騎士へと視線を移す。
賭けに負けた観客から憂さ晴らしにヤジや物を投げつけられた彼女は、ションボリした顔でうなだれていた。
「あの女騎士の身元はうちで買おう。どうかな?」
「良いのではないかと」
「じゃあ、決まりっ」
帝国に向けられた戦禍の火種は刻々と大きくなりつつある。
貴族たちは派兵に備え、こうして優秀なトレーナーたちを雇い入れて戦力を着々と整えていた。
帝国の騎士達が、北方の国が率いる北欧の未知なるポケモン達と激突して死闘を繰り広げる。
《ブライテンフェートの戦い》まで、この時既にあと数か月と迫っていた。