1−5 “ミラージュ・システム”

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> 監視カメラxxxxx アクセス

 ラファエルはテレポートが嫌いだった。
 空間から空間に「ジャンプ」すると、悪い船酔いを起こしたときのように視界がぐるぐる回って、しばらく嘔吐が止まらなくなるのだ。それでも世間から隠れて生きるラファエルには、最後の手段として必要だった。
 一度目のテレポートで、ラファエルはサイコショックの閃光に紛れてフラットの傍に現れた。コンマ数秒後、フラットを連れてジャンプした。
 連続テレポートは初めてだったが、脱出劇はうまくいった。ラファエルは間もなく床に崩れ、胃からこみ上げてくるものと懸命に戦った。それどころではない、倒れているフラットを見つけると、今もなお胸に空いた穴からどくどくと赤黒い血が溢れ続けていた。床に熱い水溜まりが広がっていく。

(こんなに血が……なんてことだ……)

 ゾゾゾっと背筋が凍りつく。おびただしい血を全身が拒絶していたが、目を背けば彼が死んでしまう。ここには自分しかいないのだ、逃げる訳にはいかない。
 未だに悪寒は止まらないが、ラファエルは覚悟を決めて立ち向かった。

(傷が深すぎる……癒しの波動を損傷した内臓に直接照射しなければ。そのためには皮膚を切って……あぁぁ)

 情けない声をあげて口を覆った。想像するだけでも痛々しい、ポケモンの体を切り開くなんて。
 だが迷っている時間はもう残っていない。ここにメス等の医療機器はないが、代わりに工具は山ほどある。小さなレーザーカッターを使えば、傷口を焼いて消毒もできる。答えが思いつく度に、ラファエルはブルブルと震えた。
 暗い秘密の部屋で、慎重に、慎重に、フラットの開胸手術が始まった。

 *

> No Sign...

 ミアレシティの東の空に太陽が顔を覗かせる。明るい笑顔と希望に溢れた人々とポケモンたちが暮らす、光の世界が戻ってきた。
 だがひとたび深淵に潜れば、闇はまだ蠢いている。治安の悪いスラム街のさらに奥、犯罪者でさえ滅多に近寄らない、寂れた小さな銀行の跡地があった。大昔に閉鎖された銀行の地下保管庫は、今や野良ポケモンの根城になっている。
 ここに太陽の光は届かない。野良ポケモンの群れが歩き回る保管庫を照らすのは、使い古された切れかけの豆電球。捨てられたポケモンの太陽にはふさわしい。

(すみません、ボス……人間を取り逃しました)

 揺れる豆電球に、揺れる影。テールナーは光届かぬ暗がりの奥へ、歯がゆそうに言った。

(あまつさえ、邪魔に入ったバクフーンにも逃げられる始末。すべては私の責任です、あなたとファミリーの顔に泥を塗ってしまった……どんな罰でも甘んじて受け入れます)
(そう自分を責めるな)

 暗がりに潜む犬の鳴き声が応えた。

(君のサイコショックと完全に同調したテレポート、あれは俺にも想定外だった。技の精度や、ここしかないと言うべきタイミング、使い手は相当慎重な性格だ。てっきりあのバクフーンは一匹狼だと思っていたが、まさか仲間がいたとはな)
(私が気まぐれに勧誘しなければ、着実にやれました)
(そんなことを今更言うもんじゃない。ファミリーのためにやったことだ、誰も責やしない。それに、俺だってあの腕は惜しかった。これからの戦いを思えば、どんな戦力でもかき集める価値がある)

 テールナーは視線を伏せた。
 先のことを考えると、この失敗はなおさら痛い。街に新勢力の脅威を示すため、警察官の殺害が必須だった。そのためのチャンスを潰してしまった。ボスの右腕たるこの私が。
 なんたること……。

(なあ、ショットシェル。これだからゲームは面白いと思わないか?)
(……ボス?)

 名を呼ばれて、テールナーは顔を上げる。

(今まで俺は、ミアレシティの支配権を巡って争うプレイヤーを勘違いしていた。人間ども、古い体制に従う愚かな野良の王たち、そして我々だけだと思っていたが、もうひとりいたとはな)

 たし、たし、たし。
 ゆっくり足音を立てて、それは暗がりから現れる。

(ショットシェル。真に恐ろしい敵とは、極めて目立たないところにいるものだ。影から我々の運命を操る連中がいる。お前のおかげで、その闇に潜む勢力が尻尾を出してきた……礼を言うよ、お前のおかげだ)

 白く、野放図に伸びきった毛並み。ボサボサの前髪から覗く、濁った黒い瞳。しかしその風貌から滲み出る高貴な雰囲気が、理知的な表情が、彼の全てを物語る。
 その姿が豆電球の下に現れただけで、どんなに屈強そうなポケモンもたちどころに跪く。彼の右腕を自負するテールナーも、深々と頭を下げた。
 トリミアン。雄。ミアレの群れから弾かれた野良ポケモンたちを、たった一匹でまとめ上げた野良の新たな変革者。

(友よ、今一度立ち上がり、革命の旗を掲げよう)

 一匹の雄叫びが、またたく間に群れ全体へ広がっていった。




10

> 監視カメラxxxxx アクセス

 フラットは目を開けた。
 ひどい頭痛がする。胸の傷もジクジクと焼けるように痛むが、出血は止まっている。感触からして、包帯が腹から胸にかけて縛るように巻かれている。雑な治療だが、応急処置には十分だ。
 傷の具合を確かめるのはそこまでにして、フラットは周りをきょろりと見渡した。

「グゥッ……」

 少し体を起こしただけで、全身を針山で刺されるような痛みが走り、包帯がじわりと赤く滲む。
 かろうじて上半を起こして、ようやくそこが簡易ベッドの上だと気づいた。処置の跡だろうか、ベッドが血だるまになっていた。
 ここには同じような簡易ベッドがいくつか並んでいた。向かいには薬棚が見えるが、ガラス戸が乱雑に割られている。おそらくここは医務室だが、ポケモンセンターには到底見えない。
 まるで長らく放置された研究所か何かのようだ。
 そう言えば聞いたことがある。ミアレシティの地下に、かつてカロス地方に戦争を仕掛けようとした組織の研究所が隠されている、と。名前は確か、フレア団だったか。
 嫌な考えが頭をよぎった。まさか俺は、フレア団に協力していたのではないだろうか。ラファエルは奴らの手先だったのか?
 遺棄されたはずの研究所で、一体何が起きているんだ……。

「みゅう」

 考え込んでいるフラットの眼前に、薄桃色の妖精のようなポケモンが現れた。
 フラットには見覚えがあった。かつてのトレーナーが見せてくれたポケモン図鑑の記録。幻と謳われた種族の名は、ミュウ。

(……俺を助けたのはお前か?)

 ミュウは黙って首を横に振った。かわりに聞き慣れた声が答えをくれた。

(まったく間一髪だったよ)

 医務室に入ってきたラファエルが言った。
 声色も姿勢も平静を保っているが、目の下にある大きなクマだけはごまかせない。フラットはすべてを悟った。

(どうやら俺は、またあんたに助けられたらしい。だが医療の心得もあったとは……ひょっとしてポケモン医療学校で学んだのか? それともここで?)
(早速私の素性を探ろうとするとは、もう心配要らないな。君の懸念はあいにくハズレだ、私はフレア団の一員ではない)
(なるほどね)フラットは怪訝そうに片眉を上げて続けた。(だが、あんたの背後には人間がいる。それもミアレシティを常に監視している巨大な組織が……ポケモンGメンか? それともどこかの秘密結社か?)
(いずれも答えはノーだ。ここには私だけしかいない)

 私だけ?
 フラットは宙に漂っているミュウを一瞥した。

(真実は君の想像を遥かに超えているよ、フラット君)淡々と語りながら、ラファエルはどこかバツが悪そうに続けた。(今回のことで私は深く……反省した。君に情報を渡すだけでは不十分だ、君と私とで連携しなければならない事態が、今後ますます増えていくだろう。そこで君にも私を信じてもらうため、隠し事をするのをやめることにした。もしも、君が真実を知りたいのであれば……ついて来たまえ)

 言われるまでもない。フラットは平然を装いながら毛布を剥がし、簡易ベッドから降りた。
 医務室を抜けて、フラットとラファエルは暗い通路を歩く。彼らの後ろをミュウが滑るように飛んでついてくる。フラットが疎ましそうに振り返っても、ミュウは気に留めない。ラファエル以上に氷のような奴だ。仕草や表情から、感情がまるで読み取れない。
 それにしても、ラファエルはここで何をしているのだろうか。壁一面のサーバーに瞬く星々のような光は、この研究所の息づかいそのものだ。人間の技術に明るいとは思っていたが、これほどとは……。
 未だに警戒しているフラットを背に、ラファエルは静かに語った。

(君も知っての通り、ここはかつてフレア団がアジトとして使っていた地下研究施設だよ。リーダーのフラダリが行方不明になり、組織の科学者クセロシキが逮捕されると、政府が基地を押収。彼らの実態を調査するため、隅々まで調べ尽くされたが、その後は見向きもされなくなってしまった)
(だが、今はあんたが住んでいる……一体何のために?)
(主要なテクノロジーは政府機関が持ち去ったが、空っぽになった膨大なサーバーだけが取り外せずに残った。私にはそれが必要だった。大容量の巨大なサーバーに『イヴ』をインストールするために)
(イヴ?)

 ラファエルは頷き、そして宙を泳ぐミュウに目を向けた。
 これがイヴ? このミュウが?

(こいつは何なんだ?)
(イヴはは本物のポケモンではない。ホロキャスターのようなホログラム映像、つまり幻影だ。しかし実体を持ち、戦闘能力も備えている。あらゆるタイプを併せ持ち、データさえ入力すれば、すべての特性と技を駆使することができる)
(おい、ちょっと待て。それじゃあこいつは……まさか『ミラージュ・システム』なのか?)

 ポケモンGメンが一時期血まなこになって探していたプログラムがあった。それは無敵の戦闘用ホログラムを、無尽蔵に生み出す、夢のような兵器だった。それさえあれば、二度と人間とポケモンを危険な任務に送らずに済む。確かそんな名目だったはずだ。
 やがてフラットは研究施設の最深部を訪れた。サーバーの壁に囲まれ、床を無数のケーブルが這いずり回る。そして奥に並んだ数台のノートパソコンに、それらのケーブルの先端が繋がっていた。
 とてもポケモンだけで暮らしている部屋とは思えない。しかしラファエルは慣れた様子でケーブルを踏み越え、ノートパソコンの前に座り込んだ。

(『ミラージュ・システム』はドクター・ユングによって開発され、後にポケモンGメンの手に渡った完璧な防衛システムとして設計された人工知能だ。あらゆる監視カメラや端末、ネット機器を介してありとあらゆる情報を集め、誰に危険が迫っているかを判断する。そして戦闘機能を有するホログラム『ミラージュ・ポケモン』を事前に送り込み、対象者の命を守るという訳だ)
(発見し、判断し、事前に対処する……まるで俺たちみたいだ。ミラージュ・システムが動いているのなら、俺たちはお役御免じゃないのか?)
(あぁ、そうなるはずだった)

 ラファエルはジッとパソコンの画面を見据えた。

(ある日、事件が起きた。ミラージュ・システムをオフラインで動作を確かめるベータテストの最中、システムが暴走して研究員たちを抹殺した。百の優秀な頭脳が、一瞬で消えてしまった)
(……何が起きた?)
(ただのシステムエラーか、致命的なバグか。だが、ポケモンGメンはシステムを最重要危険因子と判断し、その抹消を試みたのだ)

 漂うひと時の沈黙。想像もつかない世界が一気に開いていく。
 ラファエルは息をついて、続けた。

(Gメンはミラージュ・システムに関するすべての計画を、完全に凍結した。そして国家安全の名目のため、システムの存在を知る者が次々と闇に葬られていった。彼らは恐れたのだ、システムの存在が世に晒されることを)

 そうは言っても、研究員を虐殺した事実は変わらない。
 ミュウを見るフラットの目に、警戒の赤が混じる。対するミュウは、きょとんと首を傾げた。

(こいつもミラージュ・システムなら、いつ暴走するか分からないぞ)
(イヴにそれほどの力はないよ、フラット君。私が管理者として制限をかけた。イヴはただ物事を観察し、将来の危険因子を発見するだけだ。判断は私がして、対処はフラット君が。無用な力は与えない、あくまで機械を使うのは我々であるべきなんだ)

 普段あれだけ冷淡なラファエルが、熱心に語り続けている。フラットは目を細めた。イヴに対する彼の執念は尋常じゃない、必死に何かを証明しようとしているように見えた。

(……なぜだ? 危険を冒してまで、どうしてこんなことを?)
(それは……)

 脳裏に浮かぶ、血塗られた記憶。
 割れた鏡に映る、自分の姿。壁に背を押しつけて、ガタガタと震えている自分。頬にこびりついた赤い血。築き上げられた死体の山に君臨する白い亡霊の、刺すような冷たい目が、ラファエルを見下ろした。
 その決意を、口にすることさえ恐ろしい。イヴと自分の繋がりを思うたび、過去が何度も蘇る。
 ラファエルはフラットに振り返り、そして言った。

(私のトレーナーが、イヴを育てたからだ)


To be continued...

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