07.キミの隣に在りたい、ボクのカタチ

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 あれから数日。
 喫茶シルベの前通り。行き交う人々。
 その視線が喫茶シルベをちらりと見やっては、くすくすと小さく笑いをもらす。
 人々が頬を緩ませるその原因。
 喫茶シルベの前に置かれた鉢。その一つに人々の視線は注がれていた。
 大きさは大小様々な数個の空鉢。
 その一つにそれは収まっていた。
 うーん、と悩んでいるように、それの眉間にしわが刻まれて。
 うーん、と悩んでいるように、それの口はへの字になっていた。
 そんな表情が可愛らしく、行き交う人々の心を和ませているのだ。
 空鉢に収まったそれ。
 否。空鉢に茶イーブイが植わっていた。
 それはすっぽりと。
 ちょこんと添えられた前足に、ふぁさっと鉢からはみ出た首もとの毛。
 可愛らしい顔は難しい顔に染まって。
 彼自身にしては、何かを一生懸命に考えている様子の雰囲気なのだか。
 端から見ればそれは、愛らしい以外のなにものでもなくて。
 通りを行き交う人々が、その愛らしさに思わず頬を緩ませていた。
 当の彼としては、その視線にも気付かない程に考えを巡らせていた。
 そんな彼に近寄る存在が二つ。
 何やらわいわいと賑やかで。

―――兄ちゃん、ご機嫌いかがー?

 小馬鹿にしたような声音に。

―――うるさいなあ。もういいでしょっ!

 苛立ったような、うんざりしたような声音。

―――えー? いじけたって話をどこかできいたんだけど?

―――も、もう、それはいいのっ! つばさちゃんによしよししてもらったんだからっ!

 と、勢いで叫んでしまってから、はっとしたファイアロー。
 そんな兄に、妹はにやりと嫌な笑みを浮かべる。

―――へえー、よしよししてもらったんだー

 そうかそうかと頷く彼女に。
 羞恥で頬を染めた彼は、堪らずにぷいっと顔を背けた。

―――だからニア、さっきからうるさいっ

 不貞腐れた声音に。
 ぷくりと膨らませた頬。
 けれどもそこで、彼はとあるものを見つけて思わず立ち止まった。
 そんな様子に気付かなかった彼女が、こつんとその背に軽くぶつかってから。
 どうしたのかと彼の後ろから顔を覗かせる。
 そして、同じようにそれを見つけて。
 ファイアロー兄妹は不思議そうに互いの顔を見合って首を傾げた。
 その一つがそれに声をかける。

―――ねえ、カフェくん。中に入った方がいいと思うよ?

 茶イーブイを見下ろすファイアロー。

―――熱も下がったばかりだし、春と言っても今日はまだ肌寒いし

 ファイアローの言葉に同意するように、ひゅっと少しだけ冷たい風が吹き抜けた。

―――ね、カフェくん。聞いてる?

 茶イーブイの顔を覗き込む。
 けれども、彼の目にファイアローの顔は映っていないようで。
 むう。と、難しい顔で何やら考え込んでいる様子だった。
 何をそんなに考え込んでいるのかと不思議に思いながら。
 後ろの妹に言葉を投げかける。

―――ねえ、ニア。カフェくんを引っこ抜いて中へ入った方がいいよね?

 と、彼が振り向いた先。そこで目にした光景に。

―――は?

 思わず声がもれてしまった。
 そして同時に、呆れた眼差しを彼女へ向ける。

―――何をしてるの……ニア……

―――え、何って

 見てわからないの、と。首を傾げる彼女。
 分かって当然でしょ、とばかりな様子で。

―――植わってるの

 真面目な表情で答えた。
 それは、見ればわかる。呆れて半目になるファイアロー。
 彼が目にした光景。
 妹がすっぽりと鉢に収まっていた。
 数個の空鉢。大きさは大小様々で。
 その中でも大きい空鉢。
 その一つに彼女は収まっていた――植わっていた。
 怪訝な視線を妹へ向ける。
 自分が知りたいのは、そこに彼女が植わっている理由だったのだが。
 そんなものを妹に求めても、まともな答えは返って来ないだろう。
 わかってはいても、思わず訊いてしまった。訊かずにはいられなかった。
 はあ、と。嘆息一つで諦めることにした。

―――ね、兄ちゃん

―――なに

 多少、刺のある声音で返しながら、ファイアローが顔を上げれば。
 えへっと笑った彼女がいた。
 その彼女の視線が、隣の空鉢に注がれていることに気づく。
 まさか、と。嫌な予感がした。

―――兄ちゃんも植わる?

 無意識にファイアローの視線もその鉢へ。
 そして、植わっている妹と茶イーブイへと交互に向けて。



   *



 喫茶シルベの前通り。
 その通りを行き交う人々が、喫茶シルベへと視線を向けては。
 くすくすと小さく笑って通りすぎて行く。
 多数の視線が向けられる先で、ファイアローは唸っていた。
 なんで植わってしまったのか、と。
 ああ、今日の空も青いなあ。
 何となく空を仰いだ。
 その青空の下。喫茶シルベの前。
 大きな鉢二つと、小さな鉢一つ。
 それぞれにファイアローが二羽と、茶イーブイが一匹植わっていた。
 その光景はのちに。
 あのガーデニング風景はとても可愛い、と。
 密かな評判を呼ぶことになって。
 そして、何だかんだとそのガーデニングが楽しく、すっかり気に入った彼らがきっかけで。
 そこから日替わりでポケモン達が植わることになる。
 そのことをつばさが知るのは、それからしばらく経った頃だ。

―――って、イチお兄ちゃんとニアお姉ちゃんは何してるの?

 驚きを含んだ声にはっとして、ファイアローが振り向く。
 振り向いた先で茶イーブイは目を丸くしていた。
 ぱちくりと音がしそうな程にその瞳をしばたたいていて。
 その驚きぶりに、ファイアローは思わず小さく笑ってしまった。
 状況が掴めない茶イーブイ。首をこてんと傾げて疑問符を浮かべた。

―――何をしているのって訊きたいのは、僕達も同じなんだけどね

―――え?

―――何を植わってるの?

 ふふっと笑った声をファイアローはもらす。
 茶イーブイは改めて自分の姿を見下ろしてみた。
 ふむ。なるほど。
 まあ、確かにこれは笑うのかもしれない。
 自分としては、そこまで気にしていなかったのだけれども。
 それが何だかおかしくて、彼もまた、へへっと声をもらして笑った。

―――ちょっと考え事したくて、ここは何だか落ち着くの。すっぽりはまれて

―――考え事?

 言葉を挟んだのは、ずっと様子を伺っていた妹ファイアロー。

―――うん

―――何を考えていたの?

 問われた彼は、ぼんやりと青い空を仰いだ。
 その眼差しはどこか遠くを見ているようだった。

―――これからのボクについて、かな。在りたい場所はわかっているのに、でも、まだそれは朧気で

 思ったよりも壮大な答えが返ってきた。
 返答に詰まる彼女。
 そして、数瞬後。ぷしゅっと何かが破裂した気がした。
 彼女は茶イーブイと同じように青い空を仰いで。

―――そっか

 とだけ、呟いた。
 その横で、兄であるファイアローは静かに思う。
 あ、頭の容量をこえたな。と。
 彼女はその場の気持ちで動いているから、改めて考えことでもないのかもしれない。
 自分の在り方とか、在りたい場所とか。そんなことは。
 言葉を変えれば、彼女は”今“を生きている気さえする。

―――何か悩み事?

 空を仰ぐ茶イーブイ。その横顔に言葉を投げる。
 彼は一つ瞬いて、すっとファイアローを見やる。
 そして、ゆっくりと首を左右に振った。

―――悩み事、ではないと、思う

 少しだけ歯切れの悪い言葉に、視線を落とす茶イーブイ。
 意味もなく、石畳に刻まれた小さなキズを見つめる。

―――ラテが新しい姿を得たからかな。じゃあ、ボクはどうなんだろって思ったんだ。今のボクのままで、ラテの隣に胸を張って並んでいられるのかなとか、いろいろ考えてたの

 さわっと吹いた風が、彼の体毛を撫でて行く。

―――だって、ラテはさ。気を抜くとどんどん先を走って行っちゃって、やっと追い付けたかなって思ったら、ラテの方が身体が大きくなってて

 ここでちょっとだけ頬が赤らんだ。

―――ボ、ボクなんて簡単に抱えられちゃうしさ

 でもね。と、茶イーブイは顔を上げる。

―――それは何だか、すごく嫌なんだ。ラテよりも小さいのは、すごく嫌なんだ

 きゅっと引き結ばれた口。

―――でも、それはしょうがないことで。今のボクのままじゃ、どうしても届かないことで

 どこかを見つめている彼。
 その視線の先には、彼女がいるのかもしれないな。と。
 ファイアローは静かに思う。
 それに、と。そんな彼の横顔を見やって、小さく笑った。
 大きくなりたい、と言葉にした彼。
 その姿に、幼かった彼の姿は薄くなっている気がして。
 彼の横顔が急に大人のそれに見えた気がしたのだ。

―――僕も、その気持ちに覚えがあるな

 茶イーブイがファイアローへ視線を向けた。
 その隣。彼女も自分へ視線を向けたのを気配で感じる。

―――すごく嫌だった。身体は彼女よりも小さいし、何をやっても彼女の方が先を歩いてしまうし、それが凄く嫌だった

 彼女が微かに身動いだ。

―――何が嫌だったのかって訊かれると困っちゃうけど、たぶん、劣等感とか、うん……そういうの。自分が情けなく感じちゃうことが、嫌だったんだと思う

 笑みをこぼして、ファイアローは続ける。

―――でもね。やっぱり、彼女のことが大切だから、彼女よりも大きいところを見せたいって思うんだよね。見栄を張りたかったんだよね。

 笑みが苦笑に変わった。

―――だからまあ、最期だって思った時に、思いきって見栄を張ったんだけどさ。それが最期にはならなくて、今はちょっと恥ずかしい、かな

 えへへ、と苦い笑いがもれた。
 見栄を張りたかった。
 そう、たぶんそうだったのだ。
 迫る炎。臆する気持ちよりも、最期に兄らしいことをしたい気持ちが勝ったのだ。
 それが結果的に、自分にとって運命的な出会いをするきっかけになるのだけれども。
 でも、自分はいろんなことを見失ってしまって。
 結局は彼女の前から逃げ出したようなものだった。
 振り返れば、結局はそういうことなのだ。

―――今は

 茶イーブイが言葉を落とす。

―――その”彼女“ さんとは……?

―――ああ、今はね……

 えへへ。ファイアローが声をもらした。
 その顔が少しだけ照れくさそうで。
 茶イーブイは思わず身動いでしまった。
 だって。何だかくすぐったくて、そわそわしてしまう顔だったから。

―――傍にいてくれてるよ

 茶イーブイの目が見開かれた。

―――そうなんだっ!

 彼からもれた明るい声音。弾んだ言葉。
 両耳がぴょこんっと跳ねた。

―――うん。ちゃんと見つけられたからね

 ファイアローが目を細めて笑う。
 首を傾げる茶イーブイの横で彼は続けた。

―――僕が”僕“のカタチを

 そう。ずっと自分は”兄“になりたかった。
 たったそれだけだったのに。随分と遠回りをした。
 否。簡単で難しいことなのかもしれない。

―――それでも、その”僕“でいいのかは分からないんだけどね

 苦く笑う。
 これだけは、今でも分からない。
 ”今“でいいのか分からない。けれども。

―――ねえ

 茶イーブイの声。それに耳を傾けた。

―――イチお兄ちゃんの”彼女“さんは、笑ってくれてる?

 彼の方へ視線を向ければ。
 彼は真っ直ぐにファイアローを見上げていた。
 ファイアローがちらりと一瞬だけ背後を見やって。

―――うん、そうだね

 と答えれば、茶イーブイはにぱりと笑った。

―――じゃあ、大丈夫だよ!

―――え?

―――笑ってくれてるなら、大丈夫だよっ!

 次いで彼は空を仰いだ。

―――そっか……”カタチ“か……

 そっと呟かれた言葉は、何かを確めるような響きを持っていた。
 空を仰ぐ彼の瞳には、その青い空と流れる雲が映っていて。
 けれども、彼の瞬き一つでそれは溶け込む。

―――イチお兄ちゃん、ありがとうっ!

―――ん?

―――ボク、分かった気がするの

―――ん……?

―――ラテの横に並ぶには、やっぱり今のままじゃダメだなって思うから……だから、ボクも……

 そこから先を、彼は言葉にはしなかった。
 それでも、彼の顔はすっきりとしていて。
 今日の空にそっくりだな、とファイアローは思った。

―――ボクもがんばるっ。ボクは“ボク”のカタチで、ラテに“あのこと”確かめるっ!

 一つ、彼は力強く頷いて。ぐっと前足に力を込めた。
 ありがとう、と再度ファイアロー兄妹に礼を伝えると。
 植わっていた鉢から抜け出し、元気に喫茶シルベの中へと駆け込んで行った。
 その後ろ姿を見送ったファイアロー兄妹。

―――解決したってことでいいのかな?

 兄ファイアローの呟きに。

―――ってことじゃないの? カフェくんはすっきりな顔してたんだし

 応えたのは妹ファイアロー。

―――うん、そうだね。カフェくんの中で解決したならいいか

 ふふっと小さく声をもらして笑った。
 何だかよく分からないけれども。
 彼の中で解決の糸口が見つかったのだろう。
 ならば、もうこれはいいか。
 何となく兄ファイアローも空を仰いでみた。
 ひゅっと冷えた風が吹くも、炎を司る彼にはあまり苦ではない。
 どちらかと言えば、心地よい風だ。
 目を細めてそれを身体で感じる。
 そんな時だった。そっと静かに、その風に溶け込むように紡がれた言葉。

―――あたちにとっては、兄ちゃんはずっと”兄ちゃん“で、これからも”兄ちゃん“だよ

―――え?

 思わず妹の方へ振り向いた。
 兄妹の視線が交わって、絡まって。
 頬に熱を灯した妹の方が、先にその視線をそらした。

―――ていうかね、傍にいてくれるだけでよかったの。それだけで、あたちは十分だったんだから

 ちょっとだけ拗ねた彼女の声音。
 兄ファイアローの中で、何かが震えた気がした。
 細められた瞳。ゆれる瞳の先には、妹の姿。
 心に渦巻くのは、少しだけ重くて痛い気持ち。これは何だろうか。

―――うん。ごめんね

 それしか紡げなかった。

―――ごめんね

 妹が振り返る。振り返った先で、兄は力なく笑っていた。
 けれども、彼女の目には、何だかへらへらしているように見えたから。

―――もう、いいのっ!

 ごつん。兄の目に星が散らばった。
 痛みの走った額。そこで、額と額がぶつかったのだと彼は気付く。
 いや、ぶつかったのではなくて、故意にぶつけられたのだ。
 少しだけ涙目で妹を睨めば。

―――今は傍にいてくれてるもんっ! それでいいだもんっ!

 不機嫌な顔。膨らむ頬。そんな顔の彼女がいた。
 ぱちぱちと瞬いて、目を見開く。
 そして。次いで、くしゃりと彼は笑った。
 ああ、もう。本当に彼女は。

―――ニア

 彼が名を呼べば。

―――なに?

 少しだけ鋭い視線が向けられた。
 その中に不貞腐れたそれが含まれていて。
 それが可愛くて、ふふっと小さく笑う。
 彼女の気に障ったらしくて、少しだけ瞳がすっと細められた。
 そして、次に彼から紡がれた言葉は。

―――好きだよ

 彼女にとっては不意討ちで。

―――ふふっ、間抜けな顔

 彼に笑われて、初めてそれに気付いた彼女は、慌ててその緩んだ顔を引き締めた。
 くすくすと笑う彼を横目にして。
 兄はいつも本当にずるいな。と。
 眉間にしわを寄せて、頬を膨らませた。
 灯った頬の熱と、あたたかな気持ちには気付かないふりで。

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