白に明滅す

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コジョンドとも、もう長い付き合いになる。
最初に会ったのはいつだっただろう。ずっと前だ。彼女がまだコジョフーだったことは確かだ。……彼はそんなことを考えていた。ぼんやりガラス窓の外を眺めながら。
彼の横では、彼の提出した建築業者の資料を上司が精査していた。

『なあディット、やっぱり我々としてはだね、なるべくポケモンに頼らない建築業者を探すべきだと思うんだよ』

『なるべく早く、作るべき、だ』

『なる早ねぇ。いや、ポケモンに頼ればそりゃ仕事は早いとも。確かにそうかもしれないけどさぁ』

彼はそんな風に唸る上司からまた意識を飛ばして、昔のことを思い出そうとしていた。
彼自身、自分がいつからこの辺りに住んでいたのか覚えていない。多分この街の近くの森に生まれたのだろうが、何しろ彼はメタモンで、親がわからなくて、一匹だった。そんな彼と最初に友達になったのが、多分あのコジョンドだったのだと、彼は考えている。

つまるところ、彼とあのコジョンドとは幼なじみだった。コジョフーだった彼女と一つのモモンを分けあったこともあるし、彼女のトレーニングにも付き合ったし、彼女の家に厄介になったことも何度もある。ずっと、彼女の側にいたような気がする。
……彼女が全てを失った日も、彼が一番側にいた。

『なあディット、でもやっぱりこの業者は不味いんじゃないのかい』

『……あっ、いや、でも』

『悪いけどさ。もう一回、別の業者探してみてよ』

突き返された資料を受け取って、彼はとぼとぼと席に戻った。建築業者の探し直しである。
デスクに座って、パソコンを立ち上げる。……どうやら何かしらのアップデートがいるらしく、作業開始にはしばらくかかりそうだった。

数年前のある日、人間は森へ、山へと立ち入った。目を閉じた彼の脳裏に、親を失くしたコジョンドの泣き顔が閃いた。彼女は人間を憎んでいた。そして彼には、どうしてやることも出来なかった。
一介ののポケモンにはどうしようもないことだった。人間はポケモンを意のままに扱うことができる。それも一匹ではなく、複数だ。勝てるわけがなかった。ただのコジョンドにも、ただのメタモンにも、どうしようもない事実がそこにあった。
ただ、一つの偶然で。そのメタモンは、ただのメタモンではなくなったのだ。

『……』

過去を思い返しながら、彼は一度資料を見直した。パソコンはまだ起動してはいなかった。

人間の姿を得た日を思い出す。死ぬ思いをして、それでも生きるために、あれだけ恐ろしかった人間を模倣した。作りたての二本脚でコジョンドの元に辿り着いた時、コジョンドは躊躇いなくとびひざげりを撃ち込んできた。
皆、怖かったのだ。憎かったのだ。もちろん、彼自身も。
己の二本の手が、脚が、おぞましいと思った。あまりにもメタモンである彼には不自然に思えた。早く戻りたいと願っていた。

それでも。彼女の方がもっと恐れていることを、彼は解っていた。
私は人間に復讐する。彼女は震える脚でそう言った。それにどれだけ勇気が必要だったことだろう。それを思えば、断る訳にはいかなかった。
彼女を助けようと、あの日、彼は約束していた。

『……よし』

小さな電子音が鳴って、パソコンが起動した。彼には、やらなければならない仕事があった。
この街の向こう側で、彼を信じているポケモンがいた。





『ああ、明日お休みにするから』

唐突に、デスクの向こうからそんな声が聞こえた。資料を纏め直していた彼がパソコン越しに声の方を向けば、上司が両手を合わせていた。

『どうし、て?』

『いやー突然で悪いねディット。会長がさ、支部の人間をかき集めるなんていきなり言うもんだから。俺行ってくるから、明日はここはお休み』

ゆっくり休め、と言いながら、上司はパソコンを仕舞っている様子だった。
そういえばもう二週間は続けて仕事をしていた気がする。人間の法律的には不味いのだろう。仕方がない。彼もまた、パソコンを片付けた。桜色のコートに手をかける。


雑居ビルを出れば、冷たい夜の雰囲気が彼を出迎えた。何となく出てきたビルを扇ぎ見れば、自分のデスクが少しだけ見えた。
ここも、壊すのだ。それが彼の仕事だから。

そういえばゾロアはどうなっただろう。彼はそんなことを考えながら歩き始める。もう山を出て、南に向かったのだろうか。それとも、まだ泊まっている? それはつまり、レジスタンスとして人間と対立することになるはずだが。
考えをぐるぐると巡らせながら、しかし彼の行き先は決まっていた。いつものバーのドアを開ける。

『マスター!! ハイボール!!』

『今日は一杯だけなんじゃなかったのかい?』

立ち竦んだ。
カウンター席で、グレースがハイボールを煽っていた。

『ああ、いらっしゃい。彼女来てるよ?』

『彼女、じゃ、ない』

正直店を出たくなった。が、店主はそれを見越したのか既に彼の分のつまみを皿に用意していた。……そしてご丁寧にグレースの隣の席に置いた。

「ほれ座れよ」

『外寒いだろ? 中入りなってほら』

仕方がないので店に入る。グレースの隣に座れば、既に一杯呑んでいたらしい彼女が絡んできた。

『あ!! お疲れ様ですディットさーん』

『なんで、いるんだ』

『私例のハウスメーカーの本部まで行ってきたんですよー。開発止めろーって。ポケモン使って追い出されちゃいましたーもうやってらんませんよ!! 今日は自分へのご褒美しに来ました!! ハイボール呑みます!!』

『死ぬぞ』

顔を真っ赤にした同僚を横目に、彼は雪融けの気配を注文した。それからサービスのスモークチーズに手をかける。

『ディットさんお洒落なやつ頼みますねぇ何ですか気取ってるんですか、全部ハイボールでいーんですよカラカラーってね、氷を言わせるのが良いんですよ』

『静か、に、呑ませろ』

……やけに絡んでくる。というか大分馴れ馴れしくないか? 彼はその肩を押し返して、それから雪融けの気配を一気に飲み干した。
頭を冷やす。うっかりすると、頭が全体的に熱くなっていそうな隣から酔いが感染ってくるような気さえした。もう一杯注文する。

現実逃避のつもりで、テレビを見上げた。またバレンタインの特番をやっていた。





『……寝たね、彼女』

ハイボールを二杯と、それから適当なカクテルを二杯呑みほした辺りで、彼女はぴたりと動きを止めた。すやすやと寝息を立てている。
彼は残っていたスモークチーズを口に入れながら、どうしたものかと彼女を眺めていた。

『家まで、送るの、疲れる。よく考えた、ら、仮眠室で、良くない、か』

『はぁ……あんたねぇ……』

店主は何故だか呆れていた。何がどう不満なのか彼にはさっぱりなのだが、どうやらその呆れ顔は彼に向けられたものらしかった。
彼は酔い潰れた同僚をひょいと抱き上げて、仮眠室の空いていたベッドに投げ込んだ。着ていた山吹色のコートを脱がせてハンガーに掛けて、毛布を被せてやって、それからカウンター席に戻る。

『やっと、静かになった』

店主はやっぱり呆れた顔をしていた。横ではレディアンがやれやれといった感じで首を振っていた。何がなんだかさっぱりわからない。

『あのなあんた……いや、俺が言うことじゃあ、ないか』

「せめて仮眠室には一緒にいてやるんだぞ、鈍感男」

鈍感男とは何だ、と言い返しかけて、自分は今ポケモンの言葉はわからないはずなのだと思い出す。とりあえず水を一杯頼んだ。


リンドの会に入ったのは、二年前だったか二年半前だったか。人間としての言葉を覚えて、任務遂行の為に技術を得て、そうして転がり込んだのがあそこだった。
彼にとっては敵地だった。周りは皆ただの人間で、その人間達は彼を人間だと思って疑い無く接してきた。当然、馴染めるはずもなかった。ひたすらに彼は仕事に打ち込んだ。そうしていれば、会話をしない口実が作れたから。人間と仲良くする理由なんて彼にはなかった。

『……』

彼は仮眠室の壁に桜色のコートを掛けながら、グレースが埋まっているベッドの、その隣のベッドに腰掛けた。寝息が聞こえるから、多分生きてはいるのだろう。

人間と会話するのを避けていた彼だが、そんな彼にも構ってきたのが、確か彼女だったと思う。……いや、向こうも多分好きで構ったわけじゃないだろう。仕事の成り行きでそうなったのだ。彼が任務を遂行するためにはどうしてもあの仕事場である程度認められる必要があって、そのためには仕事を成功させる必要があって、その過程で、彼女と一緒になることが多かっただけ。
ただ、その結果として、彼女とは結局仲良くなってしまった、と思う。仕事の過程で、随分長い時間を彼女と過ごした。なんだかんだ言ったところで、慣れない言葉で会話を重ね、行動を共にし、笑顔を拝んできた。
そうなるつもりは本当になかったのだ。黙って仕事をするだけでいたかったのだ。だが人間の世界はどうしてもそれを許してはくれなかった。

なんでカウンター席であんな顔をされたのか、本当のところは、何となく察している。ただ認めたくないだけだ。


───


『……ふぁぁ』

大きな欠伸が、仮眠室に響いた。
グレースは大きく伸びをして、それでも夢からはみ出してしまいたくなくて、のそのそと毛布に顔を埋めた。
たっぷり十秒微睡んでから、慌てて飛び起きた。

『あ"っ"寝坊したぁっ!!』

『今日は、休みだぞ』

少し前に起きていた彼は、桜色のコートを羽織りながら指で彼女を黙らせた。
今日は活動はお休みだと聞かされて、グレースは肩を撫で下ろす。それから、自分が見知らぬベッドで寝ていることに気がついた。辺りを見回せば、そこは昨晩のバーの隣室らしかった。そういえば仮眠室があったな、と彼女は一人納得する。

『お休みならそう言ってくれればよかったのに』

『呑んでなかった、ら、言えたが』

『あぁ』

彼にそう言われて、彼女は昨晩の自分の様子を想像した。記憶ははっきりとしていないが、多分ガバガバと呑んだのだろう。財布を確認したら、大分薄くなっていた。

『あちゃー』

『早死にするぞ、酒、控えろ』

『すいません……以後気を付けます……』

彼は大袈裟に頭を抱える彼女に山吹色のコートを投げてやって、それから一つため息をついた。
実は彼女の持ち金だけでは払いきれないぐらい呑んでいたので、半分くらい立て替えてやったということは言わないつもりだ。

『にしても、今日お休みなんですね』

『ああ』

『うーん、普通に暇になっちゃいました』

彼女は乱れた髪を指でとかしながら、しばらく何かを考えている様子だった。彼は意識的に彼女から目を逸らしていた。既に身支度を終えた彼は、しかし特にやることもないので、一日を散歩で潰そうかとか考えていた。

『あっそうだ、ちょっと付き合ってくれませんかディットさん』

『……何処に』

予定変更。





『いい映画でしたね……OL・ザ・ジャイアント』

『センス、変だぞ』

なんでこんなことをしているのだろう。彼は映画館を出てからそう思った。いや、他に行くところもないから同僚に付き添うことにしたのだが、巨大なOLの脚を二時間拝むことは想定外だ。しかも最終的には巨大なOLが世界を滅ぼすときたものだから全く納得がいかない。何だったんだあれは。

『あの俳優さんが出る映画はいつもあんな感じですよ』

グレースはそう言いながらポップコーンの容器を返却していた。彼女曰く、悪党に寝返る正義の味方やら、全部ドッキリでしたエンドやら、他人のポケモンにプロポーズする主人公やら、そういった映画ばかり撮っているらしい。

『よく採算が取れるな』

『人気なんですよ?』

二人は外に出た。世界の眩しさに、彼はまだ昼間であることを思い出した。
今日はこれで終わりなのかと聞いてみれば、グレースは大きくかぶりを振った。その脚でどうやらスーパーマーケットまで向かうようだ。

歩きながら、彼はさっきの映画の内容を思い返してみた。いや、絶対にあれは感慨に浸るようなタイプの映画ではないのだが。ただ、巨大な脚が建物を破壊していく様には、どうにも嫌な心持ちがした。やることは同じなのだ。あれも、彼も。
ふつふつと嫌な予感がした。やはり判断を間違えた気がする。


スーパーマーケットについた二人は、そのまま手芸用具のコーナーまで辿り着いた。何をするのかと彼が聞けば、グレースは当然のように生地を買うのだと言った。

『何の、生地だ』

『コートのです。ディットさんのあれ、やってて気づいたんですけど、割と欠けてる部分が多いんですよね。仕方ないので継ぎ接ぎにしようと思うんです。いいですか?』

別にそこに拘りはない。彼は軽く頷いて、それから自分の今纏っているコートを改めて見直した。そういえば、これは借り物だった。それすら彼は忘れていた。
グレースは陳列された布のロールを見比べながら、うんうんと唸っていた。

『んー……灰色、ありませんね』

『そうだな』

『仕方ないから別の色にしますね。あっこれとかいいんじゃないですか、ゴールド!!』

『派手すぎないか』

『むう。じゃあディットさん、何がいいと思います?』

そう聞かれれば、彼の脳裏に桜色が閃いた。……いや、取り消した。今着ているから思い浮かんだだけだろう。
彼は陳列棚を一回りしてから、ワインレッドを選択した。彼としては黒が一番自然なんだろうと思ってはいたのだが、残念ながら売り切れていた。

『あー、この色もいいですねぇ!! じゃ、これにしましょっか!! すいませーん!!』

グレースが店員を呼びつけた。彼女の指示で裁断されていく布をぼんやり眺めていれば、ワインレッドに血の色が重なって見えた。
胸がふいにむかついた。布地の赤が辺り一面に塗りたくられた光景を想像してしまって、堪らず目を閉じていた。


この寒いのによく冷たいものを食べるな、と彼は呆れと共に感心していた。目の前では、同僚がチョコレートフレーバーのソフトクリームにときめいている最中だった。

『寒くないのか』

『寒いですけど。ほら、プレミアムチョコレート味、今限定なんですよね』

生地を買い終えた二人は、スーパー内の喫茶店に直行していた。どうやらチェーン店らしいそこは適度に人で賑わっていて、ところどころからポケモンの声もした。
グレースがたった今ナイフを入れたのは、温めたデニッシュパンにソフトクリームを乗せソースをかけただけの簡素なデザートだ。人気は根強いらしいのだが、彼は食べる気にはならなかった。コーヒーだけ注文して、彼女の顔を眺めていた。

『いやーやっぱ美味しいですよこれ、食べないのもったいないですって!! 一切れあげますよ?』

『いらない』

お前が食べろ、と手で促す。そうすれば彼女は、自分で誘っておいたにも関わらず嬉しそうにソフトクリームの染みたパンを頬張った。
飽きない顔だと思った。それをただ見ながらコーヒーを啜った。研ぎ澄まされた苦味が脳を貫いて、彼は何度か瞬きした。

『……ディットさん苦いの苦手なんですか?』

『いや、別に』

首を振る。少しばかり目眩がして、彼は脇にあったスティックシュガーを掴んだ。さらさらとコーヒーに注ぎ入れながら、黒い水面に映る己の眼を睨んでいた。





『いやー、大分付き合ってもらっちゃいました』

最終的には荷物持ちをすることとなった彼は、両手に弁当やらカップ麺やら何やらの詰め込まれた袋を提げて、前を行く同僚の長い影を踏み続けていた。
オレンジ色に照らされた街並みは、最早見慣れたものだった。今さら感慨も浮かばない。月並みな街に、月並みな人と、月並みなポケモンが住んでいるだけ。

『もういいですよ。家、そこですからね』

『そうか』

グレースはそう言って、彼の手元に手を伸ばす。指先が触れて、彼は荷物を手渡した。

『今日はありがとうございました、ディットさん』

別に礼を言われるようなことは何もしていない。ただ一緒にいただけなのだから。本当にそれだけで、特別なことでもないのだから。
だから。

それ以上言うな。

『また、やりましょうね』

『──ああ』





彼女が自宅に入っていくのを見届けて、彼はようやく踵を返した。
彼女の言葉が、作り物の頭蓋の中を反響する。

『また、やろう、か』

また。
次なんてないのに?

どうしてこんなことをしてしまったのだろう。彼はまた後悔した。いや、その後悔の色はさっきまでのそれとは多分違う。本当に、心の底から、後悔していた。
また。彼女はそう言った。何の疑いもなく。何の不安もなく。これからも日常が続くと信じて疑わない彼女のその言葉が、彼の心を斬りつける。
こんなことになるなんて、解っていたはずなのに。

日の落ちた街を行く。空は藍色に染め上げられ、街灯の黄色がぽつぽつと足元を照らしている。彼は自分の影を眺めて、眺めて、そうして脚を動かしていた。
人間を見たくなかった。ポケモンも見たくなかった。そうなるとどこにも行く宛てがなくて、体が動くのに任せてただ歩くしかなかった。頭の中には、まだ彼女の声が残っている。

『また……また、か』

それでも、やらなければいけない。
彼の働きを待っている仲間が大勢いる。復讐を遂げようと爪を研ぐ仲間が。彼は期待されている。人間を殺す最初の一矢を作り上げる職人として。
信頼に、報いなければならない。成し遂げなければならない。牙を剥かねばならない。
彼は、この街を殺さなければならない。次なんて、来てはならないのだ。

また、やりましょうね。

その声がまた頭を揺らした。彼は反射的に、近くにあった街灯を殴り付けた。腕を痺れと痛みが駆け抜けて、頭の中まで赤く染め上げた。

『──はぁ、はぁ』

視界が明滅する。喉が渇いていた。右腕の感覚は吹っ飛んでいたし、足元も妙に頼りない。
仕方がなかった。
彼は道を脇に逸れて、ビルとビルの隙間、路地裏へと転がり込んだ。もう立ち上がる気力もなかった。彼はここで一晩を越すことに決めた。桜色のコートを脱いで布団代わりにする。見上げた狭い空からは星も見えなかった。

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