第6話 “光の尖兵”(6)

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 少年が目を覚ますと、辺りはしんと静まり返っていた。
 間延びするようなミルタンクの鳴き声も、朝の歌をさえずるドードリオたちも、颯爽と草原を駆けるポニータの蹄の音も、何もない。からっぽな母屋を抜ける風が空虚を奏でる。
 軋む階段を降りると、リビングに香ばしい匂いが鼻腔を強く刺激した。焼きたてのリンゴパイだ。
 あの厳格な父が、まだ幼い子共のご機嫌を取るため、何度も練習したという。子供にとっては宝石よりも価値のある朝ご飯だ。
 なのに少年の瞳は、深い闇を抱えたままだった。宝石のようなリンゴパイを目に映したとしても。

「これはなんの真似?」
「起きてたのか、おはよう」

 どこにでもいるような小太りの中年体型が食器を並べていた。やわらかなエプロン姿が、いかにも人当たりの良いオジサンを装っている。きっとサンタの格好をさせれば、これ以上の適役はないだろう。
 少年が誰かを殺した翌日は、彼がこうして温かい家庭を演出する。死という劇薬を、かりそめの日常に溶かしていく。
 親友を殺すことにもいつしか慣れて、何も感じなくなってしまうのだろうか。
 キッチンテーブルに並んだナイフとフォークを眺めて、少年は虚ろな目つきで考えていた。

「昨日はよく眠れたか?」
「はい、お父さん。それはもうぐっすりと」
「よろしい、大変によろしい。嫌なことは寝て忘れるのが一番だ」

 そんな言葉で流してしまいそうな自分が嫌になる。
 さあ、食べなさい。同じテーブルについた父に促されて、少年は朝食を食べ始めた。
 薄く切ったロース肉がおいしい。スクランブルエッグと絡めると絶品だ。そりゃあおいしいに決まっている。これは昨日まで友達だった、あのミルタンクなのだから。
 何も言うまいと固く口を結んでいるのに、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきた。いけない、また怒られてしまう。泣くな、止まれ!

「……お前は何を恐れた?」

 父は厳格な声で言った。
 口を開けない。喋るためでも開ければ、涙が決壊してしまう。

「親友であるポニータを撃っても顔色ひとつ変えなかったお前が、ミルタンクを食ったとたんにそのざまだ。まるで心があるように見えるぞ」
「ごめ……なさい……」
「いい。これは自分の内にある弱さを知るために大事なことだ。ミルタンクを食べて、何を思った?」

 脳裏に焼きついて離れない光景がある。少年は震える手からフォークを落とす。
 ポニータを撃って、その後のこと。現場に居合わせたミルタンク。ぼくを見るあの目。恐怖に染まった目に映るぼくの姿。
 それまで近かったミルタンクとの距離が、追いかけても届かないほどに一瞬で遠のいた。あの瞬間、ぼくとミルタンクの間にはホウエン大海溝よりも深く大きな溝ができたんだ。

「い、いやだ……」

 見ていられなかった。ぼくの前から死んで消えていくのではない、はっきりとした意思で遠のいていくなんて耐えられない。
 ぼくを拒絶しないで。ぼくを独りぼっちにしないで。
 やめろ!
 ぼくから離れるな!!
 気がついたら銃はその背中にも向けられて。

「独りは嫌か。いい子だ、レノード」

 父の大きくてたくましい腕が、気の触れた少年を優しく抱きとめた。
 その顔は見えなかったが、今なら分かる。彼はきっと喜んでいたことだろう。子供が思った通りに壊れてくれて。
 この子はもう二度と誰かの目の前では殺せない。暗殺者らしく、暗闇の中で人知れずに殺すことに執着するだろう。
 完璧だ……。

 *

「またあの時のことを思い出してくれたんだね。もう忘れてしまったのかと思ったよ」

 過去は呪いだ。いくら振り払っても、すがるように絡みついてくる。
 レノードは不快そうに顔をしかめながら、独りで狭い作業通路を這っていく。随所に備わるメンテナンス用の制御装置に細工しながら、着実にジュプトルを殺す算段をつけていた。
 過去の亡霊はブルルと鼻息を荒くして笑った。

「今は忙しい、なんの用なんだ」
「親友だったぼくを理由もなく殺しておいて、なんの用だと聞くのかい? 君がまた独りぼっちになるところを見に来たんだよ」
「疫病神め。もうとっくに消えたと思っていた」
「消える訳がないよ。だってぼくは、君が小さい頃に生み出したトラウマそのものなんだから」

 やがて作業通路を抜けて、サーバーが集積する狭い作業エリアに出た。
 ちょうどいい、ここなら機関部のシステムにアクセスできる。レノードは舌舐めずりをして、工具や握っていた小銃を置いてコンソールに触った。
 ポニータの亡霊が肩から覗き込んできた。

「へぇ、そうやってジュプトルを倒すつもりなんだ」
「いつだって僕はこうしてきた、今回も同じだ」
「そうかなぁ。ぼくがこうして現れたのは予兆だよ、これから君はまた暗い世界に戻っていく。たった独りで」
「……誰かに理解してもらいたいとは思わない、僕は常にやるべき事をやっているだけだ」
「それなら、何故ぼくはまだ君の頭の中にいるの?」
「どうでもいい」

 プログラムの変更を済ませたとたん、レノードは険しい顔で振り返った。
 亡霊と向き合い、その目を見据える。それはかつての友を見る目ではなかった。

「お前はただの恐怖だ。そうやって過去の記憶を煽り、僕を弱くしようとしている。だがそうやって恐怖に負けてしまった人の末路を、今までたくさん目にしてきた。僕は失敗を恐れて何もしないような臆病者とは違う」
「では、どうしても行くというのかい? あの子の尊敬と信頼を失うとしても?」
「それは些細な問題だ」

 きっぱりと言い切って、レノードは背を向けた。よく言うよ、と亡霊の呆れるため息が聞こえる。
 分かっている、すべては幻覚だ。ありもしない姿と声が記憶の皮をかぶって喚いているだけだ。気にすることはない。

「さて、そろそろ時間だ」

 背負っていたレーザーライフルを握りしめる頃には、まるで無感情のロボットのように冷たい目をしていた。
 慣れた感触が手になじむ。幾度となくこうした武器を使い、人やポケモンを殺めてきた。今度も同じことをすればいいだけだ。
 レノードは作業パネルに触れて、合図を送った。

「戦略プログラム:アルファ・ワン、実行せよ」




12

 もう間もなくジュプトルは目的を達成する。
 ミオの素人目から見てもよく分かる。先ほどまでコンピュータと問答していたジュプトルの作業が、ここに来てスムーズに進んでいた。
 もう一刻の猶予もない。抱いているベベノムにも焦る気持ちが伝わったのだろう。小さな手で少女の腕をギュッと握り返し、顔を上げて微笑んだ。

「ベノ」

 戦おう。
 小さく震えながら、そう言っているように聞こえた。
 この子を臆病者と罵ったジュプトルに、この勇姿を見せてやりたい。そして「参った!」と言わせてやりたかった。ベベノムは立派な勇者なんだ!
 大丈夫、勝機はある。ベベノムは毒タイプ、しかも強烈な腐食性粘液であらゆるものを溶かしてしまう。一発当たれば必勝確実、私の超能力でサポートすれば絶対に倒せる。
 ミオは静かに呼吸を整えた。ベベノムとペースを合わせて、息がピッタリと合った瞬間、ベベノムを解き放って叫んだ。

「アルビー!」

 溶解液!
 と、命令が続くはずだった。
 そのとき、まるでカーテンのように、バリアーが機関室を横断した。ちょうどミオ達とジュプトルの間に幕を下ろし、互いの干渉を遮った。
 ぴゃん!
 身構えていたベベノムはおののいて、ミオの後ろに逃げ込んだ。

「あ、アルビー……さっきまであんなに勇敢だったのに」

 少女が呆れがちな目を浮かべるのも束の間。次の瞬間、鋭いリーフブレードがバリアーを襲った。凄まじい火花を散らしながらも、バリアーは見事に剣を弾き返した。
 怯みはしたが、ミオは安堵した。おかげで助かった。でも、誰がこれを?

「そこまでだ」

 次の一撃を叩き込もうとジュプトルが振り上げたその時、動きが止まった。
 レノードだ! 来てくれた!
 彼がレーザーライフルを構えて、ジュプトルの背中に照準を合わせていた。
 ミオが安心して表情を緩ませたのも束の間、嫌な予感が胸をよぎる。彼以外に誰も現れる気配がない、彼ひとりだけだ。

「ねえ、レノード、他のみんなは……?」
「後で迎えに来ますよ」

 微笑んだのは一瞬だけ。ミオは思わず背筋がゾッと凍りついた。そこに見えたものは、彼が普段見せているような、口達者で温厚なエージェントの顔ではなかった。
 レノードは引き金に指をかけて告げた。

「さあ、動いてみるがいい。一歩でも動けば即座に射殺してやる。このところ誰も殺していなかったから、ウズウズしていたんだ」

 ジュプトルは顔色ひとつ変えずに、この突然現れた人間をジロリと観察する。
 屈強とは言いがたい細身の割には、おそろしく肝が座っている。その足元には、あらかじめばら撒いてあったヤドリギの種が発芽している。少しずつ、じわじわと蔓が彼の足に絡みついていた。
 ジュプトルはリーフブレードを携えたまま尋ねた。

「通信システムを制限したのはお前か?」
「そうだとしたら?」
「ただちに解除しろ。さもなくばお前の仲間達を殺す。その辺に転がっている連中にはまだ息がある、まったく頑丈な奴らだ。今から順番に首を刎ねてもいいんだぞ」
「好きにするがいい、誰が死のうが知ったこっちゃない」

 ダメ、挑発しないで!
 ミオは叫んで、バリアーを叩いた。こいつは本当にヤバいんだよ!
 捕まったら無事では済まない。機関主任ブライスもはじめは抵抗した。顔を殴られ、腹を蹴られても、決して口を破ろうとはしなかった。オオタチの口からリーフブレードを突っ込んで串刺しにするぞ、と脅されるまでは。

 このジュプトルはどんな残酷なことでも躊躇なく、冷酷に実行できる。こいつは本物の怪物なんだ。
 今までポケモントレーナー修業に明け暮れて、神童とまで謳われていた自分が、急に恥ずかしくなってきた。この場において、自分は足手纏いでしかなかったのだ。

「アクセス制限を解除しろ」

 剣を向けられて、レノードはせせら笑った。

「使えなければ用なしか、分かりやすくていいですね。でもあいにく銃を突きつけているのはこっちだ」
「……撃ってみろ」

 ざわ。
 伸びてきた蔓が、ついに銃を絡めとった。気づいた時にはもう遅く、蔓はまたたく間に身体中に伸びていく。
 それに驚いた一瞬の隙を突いて、ジュプトルのリーフブレードが目前に迫ってきた。少なくとも、不意を打ったと思っていた。
 狙い通りと言わんばかりに、レノードはほくそ笑んだ。

「緊急転送!」

 その身が光に包まれ、消えていく。リーフブレードは空を切った。
 即座にジュプトルは床に手を突き、全身からオーラの波動を放った。それは壁をも突き抜け、恐ろしい速度で船中に広がっていった。
 ミオは悟った。波導に似た探知能力だ。
 オーラを浴びたものの気配を探り、ジュプトルは標的を見つけ出した。すかさずリーフブレードを振りかざし、隔壁を豆腐のように切り崩して飛び出した。

 *

 思ったよりも猶予はなさそうだ。今の光はきっと波導か何かに違いない。
 レノードはさっきまで拠点としていたサーバールームに現れて、絡みつく蔓をレーザー工具で焼き切った。だがライフルはダメだ、内部の基盤まで宿り木が根を張っていて使い物にならない。
 予備に残していた拳銃に取り替えて、工具を腰に差し、深く息を吐いた。
 さあ覚悟を決めろ、ここからは戦闘種族と対決だ。おそるおそる通路を覗き込んだ。
 辺りがすっかり静かになっている。追うのを諦めたか、既に近くにいるか。
 銃を握る手に力がこもる。息を殺して、しきりに前後を気にしながら、壁に沿って歩を進める。
 足音も聞こえなければ、気配もない。この近くにはまだいないようだ。
 緊張が少しだけゆるんで、安心感が湧いてきた。

 ということは、襲ってくるなら今だ!
 レノードは直感に従って床を転がった。刹那、斬撃が壁を切り崩しながら襲いかかってきた。
 危うく細切れになるところだった!
 すかさず身をひるがえして、土埃に向かってレーザーを乱射した。当たりはしまいが、足は止められるはず。腰の工具に手を伸ばして、迎え撃つ用意を整えた。

「ジュララァァ!!」

 轟く咆哮。
 手元から迸るレーザーの閃光。
 一瞬だけ視界が白く光って、眼前にリーフブレードが迫る。紙一重で身を引いて、ありったけの引き金を引いた。

「ジュ、ガッ……!」

 ジュプトルが怯んだ。ホエルオーも気絶する威力のレーザーで、怯んだだけだ。
 おいおい、嘘だろ。
 レノードは思わず肩をすくめた。予想はしていたが、ここまで効き目が薄いと力が抜けてくる。
 敵が立ち直る前に、レノードは一歩引いて叫んだ。

「コンピュータ、戦略プログラム:アルファ・ツーを実行!」
『戦略プログラムを実行します』自動応答システムが答えた。『重力システムにパワー増強。4-A区画の重力プレート、20Gに設定しました』

 がくん。
 ジュプトルの腰が下がった。どころか、自らの体重を支えきれずに崩れ落ちてしまった。
 ふう、とレノードは額を拭った。先ほど跨いだ区画のラインに踏み込まないよう壁に寄って、ジュプトルの様子を伺った。苦しそうなうめき声を発するばかり、どうやら本当に身動きが取れないようだ。
 レノードはここぞとばかりにポケットからボールを出した。
 禁制品マスターボール。投げれば必ず捕獲するこのボールは、かつて悪の組織がポケモンを奴隷にするために使おうとした。以来製造は中止され、今やその存在自体が否定されている。
 ボールはレノードの手を離れ、ジュプトルを呑み込んでいく。ドスンと音を立てて床に落ちた。
 ちょっとした驚きはあったが、ともあれ捕獲完了だ。

「コンピュータ、重力システムを通常のパラメータに」
『4-A区画の重力プレート、1Gに設定しました』

 我ながら完璧だ。誰も殺さずに済んだ上に、通信システムを守りきり、五体満足の捕虜まで手に入った。しかもミオに死を見せずに終わることができた。
 なにが「あの子の信頼と尊敬を失う」だ。亡霊め、でたらめなことを言いやがって。
 環境を元に戻して、ボールを拾おうと手を伸ばした。

「気をつけて、まだ終わってないよ」

 カタ……。
 亡霊の囁きは正しかった。動かないはずのマスターボールが、ひとりでに傾いた。表面がひび割れて、内から激しい光が漏れ始める。
 バカな!

「ほら、殺すんだよ。あの時ぼくをやったみたいに、レーザーのパワーを最大まで上げて、ボールを撃つんだ」
「分かっている!」

 言われるがままに銃を構えて、出力を最大まで上げた。すなわち、レーザーが掠めるだけで全身の細胞を焼き尽くすほどの恐ろしい威力だ。
 だが銃口の狙いを定めたとき、レノードの動きが凍りついた。たたずむ亡霊が、薄ら笑いを浮かべた。

「レノード、加勢にきたよ!」
「ベノ」

 元気のよい女の子の声。飛来する紫。ミオとベベノムが、ジュプトルを追って駆けつけてきた。
 亡霊の口角がさらに吊り上がった。

「さあ、撃つんだ……」

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