01.季節は幾度も巡った

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「ううーん……」

 ぎしっ。人のうめき声とベッドの軋む音。
 ベッドで眠る存在が寝返りをうったらしい。
 ちちち。外では小鳥のさえずり。
 そうか。もう、朝なのか。
 微睡みの中。静かに意識は浮上する。
 ぴょこんと両耳が立ち上がり、ふぁっさと尾がゆれる。
 ふわあと小さな口で大きなあくび。
 前足をぐぐっと伸ばして、強ばった筋を解せば。

―――んー……カフェ、もう起きるのー……?

 まだ微睡みの中だろう声が聴こえた。
 その声に振り向けば、自分の隣で眠っている“青い妖精”が唸っていた。

―――うう……ラテ、まだ眠いのー……。まぶたがおもいー……

 窓から射し込む朝日が眩しいのか。
 彼女は前足をまぶたの上へ重ねる。

―――なら、まだ寝てればいいよ。朝早くと言えば、まだ十分早い時間帯だから

 ちらりと彼――茶イーブイは。
 自身の羽毛に顔を埋め、すぴすぴと、穏やかな寝息をたてるファイアローを見やる。
 彼が居るということは、本日の喫茶シルベはお休みらしい。
 人の世には“日付”という時間感覚があるらしいのだが、自分はよく分かっていない。
 だから、彼の存在がその目安になっている。
 普段ならば、たぶん遅い時間。
 けれども、お休みなのならば早い時間。
 そんな時間だ。彼女が寝ていても、おかしな時間ではない。

―――僕はもう起きるけど、ラテはまだ寝ててよ

 彼女をもう一度見やって、そう言葉を置いていく。
 眠いと唸る彼女に、くすりと苦笑を落として。
 窓から朝日を拝もうかな、と。
 寝床のふかふかクッションを抜け出そうとした時。

―――やだあ……カフェいないと、ラテやだもんっ

 彼女の言葉が追いかけて来た。

―――あのねえ、ラテ。僕は別に君の抱き枕じゃないんだよ?

 はあ、とため息をこぼしながら。
 茶イーブイは振り返る。けれども。
 振り返ってから、彼は目を見開いて、頬をひきつらせた。

―――あの、さ……

 彼に迫る、それの影。伸びる影。

―――それはさ、僕が逃げられないからやめて欲しいんだけど……?

 伸びるそれは、彼女の“リボン”。
 それが及び腰の彼の顔に影を落とす。

―――だって、カフェが行っちゃうのが悪いんだもん

 とろんとした、眠そうな瞳。
 睡みの中で、それでも確かな意思をたぎらせて。
 ぷうと頬を膨らませる様は、季節が幾度巡っても変わらない彼女。
 そんな、とろんとした“桃色の瞳”で茶イーブイを睨む。
 そんな彼女の姿に、彼の心臓が跳ねた。
 可愛い。思わずそう思ってしまうこの気持ちも。
 あれから幾度も季節が巡ったのに、それでも変わることはなくて。
 そして、しゅるんっとリボンに捕らわれて、彼女の隣へ連行されても。
 もう、仕方ないなあ。と。
 自分を諦めさせてしまうその効力は、季節を巡る毎に増している気がする。
 ふかふかクッションに彼を下ろせば、彼女はへへっとあどけない笑みをもらす。
 彼女はその身を彼へ寄せて、当たり前のように彼の尾を抱き締める。
 そして、その体毛に顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らして。
 次第に、安心したように微睡みの中へと戻って行く。
 そんな彼女の寝顔を見やりながら、彼は息をこぼす。
 季節が幾度も巡った。
 けれども、彼女は変わらずにここに在って。
 それでも、季節は幾度も巡った。
 だから、当然変わったこともある。
 そしてそれが、可視できる決定的なそれが彼女の姿。
 そよぐ青い両耳。前とは随分様変わりした尾は、かつてはもふもふな柔らかな尾だった。
 彼女の首もとと片耳を飾る大きなリボン。
 そこから伸びるのは、触覚という器官らしい。
 そして、彼女が微睡みから帰ってくれば。
 その大きな桃色の瞳で、きっと“おはよう”と笑いかけるのだろう。
 ニンフィア。それが、彼女の今の姿。
 あれから、季節は幾度も巡った。
 幼かったあの日。カタチにした、言葉にした――大きくなったら。
 今はたぶん。その言葉――大きくなったら――の先にいる気がする。

―――ねえ、ラテ。君はあの約束を、“よやく”を覚えてるかな……?

 前足でそっと彼女の頬を撫でたら。
 くすぐったそうに身動いで、ぴすっと小さく鼻を鳴らした。

―――僕は覚えてるよ。今でも気持ちは変わってないよ。……君は、どう?

 君の中に在る気持ちに気付いてくれたかな。
 それはあの頃と同じカタチをしているのかな。
 それとも、あの日の“よやく”は、もう。
 幼かったあの頃の思い出に、埋もれてしまっただろうか――。



“ラテが、ラテがね、カフェのかぞくになるっ!”



   ◇   ◆   ◇



 巡る季節の中で、変わったことは他にもある。例えば――。

「おう。おはようさん、カフェ」

―――うん。おはよ、すばるお兄ちゃん

 階上から降りてきた茶イーブイに声をかけたのは。
 ポケモンフーズ用の皿を三段重ねにして手に持つすばる。

 そう、すばる達が喫茶シルベで暮らすようになった。
 結婚。というものを、つばさとしたらしいのだが。
 人の世のことはよく分からない。
 ただ、ずっと一緒にいようね、という約束のようなものらしい。
 まあ、皆仲良く笑っていられるなら、それでいいや。
 茶イーブイはただ、そう思うだけ。

 キッチン奥から出てきたすばるは、それをカウンターから回って、既に待機中の三匹の前へ足を向ける。
 けれども、わいわいと何やら賑やかな三匹に。

「……おいおい。またやってんのかよ、お前ら」

 皿を手にしたまま肩を竦めるすばる。
 どこか呆れた風情なのも頷けるな、と茶イーブイは思う。
 これももう、見慣れた日常風景の一つだ。

《ちょっとラテちゃん。ボク、いつも言ってるよね? りっくんにくっつくのはボクだよって》

 エーフィの紫の瞳。
 それが、確かな怒りをはらんで煌めく。
 先が割れた尾がひゅんひゅんとゆれる。
 そんな彼女が睨む先には。

―――少し前まではラテがパパにくっついてたのっ!

 むっと口を尖らせるニンフィア。
 こちらも確かな怒りをはらんだ桃色の瞳が煌めく。

《ボクは、やっとりっくんと一緒に暮らせるようになったんだよ?》

―――ラテ、そんなの知らないもんっ!

 紫と桃。二対の瞳の視線が絡まり、火花を散らす。
 むむっと互いに睨むこの風景も、見慣れたものになってしまった。
 むしろ、よく毎朝同じことが出来るなと、逆に感心してしまう茶イーブイである。
 そんな彼女達の横では、盛大なため息つくブラッキー。
 彼はもう、諦めている。
 最初の頃は彼女達を諌めようとしていたことは知っているし。
 いつもその努力が実っていなかったことも知っている。
 だから、誰も彼を責める者はいない。
 だから、この頃は彼女達を諌める役目は彼にあった。

「ふう、ラテ。そろそろ黙らねーと、朝メシ抜きだぞ」

 すばるの一言。これが効果抜群。
 ぴたっと動きを止めた彼女達。
 くるっとすばるの前へ向き直って、にぱりと笑顔をつくる。
 別に騒がしくしてませんよ。と告げているようで。

「お前らな……」

 そんな現金な態度に、桔梗色の瞳が呆れの色を滲ませる。
 はあ、と息をこぼしたところで、すばるが三匹の前へ皿を並べる。
 と。朝ご飯を前に、ぱっと一瞬目を輝かせたニンフィアの隙を見逃すエーフィでもなくて。
 すっと、優雅な動作で、彼女はブラッキーへ身を寄せる。
 それに気付いたニンフィアが、ぴやっと声を上げたのだけれども。
 エーフィは気にすることもなく、朝ご飯を優雅に堪能。
 ふふん、なんて鼻を鳴らしてニンフィアを一瞥。その笑みは誇らしげで。
 むっと。頬をふくらませたニンフィアがそっぽを向く。

―――いいもんっ! ラテはカフェとご飯食べるもんっ!

 と、桃色の瞳が何かを探すように彷徨う。
 やがてそれは、目当てのものを見つけたのか。
 桃色の瞳が喜色に染まって、顔がぱっと輝いた。
 その瞳の先。茶イーブイの胸がとくんと響いた。
 そして、胸に広がるあたたかなもの。
 ああ。彼は思った。
 こちらに歩み寄る彼女の姿は変わったけれども。
 そこに“在る”彼女の姿は変わらないな、と。
 そして、変わらないものがもう一つ。
 自分の胸に広がるあたたかなもの、想い。
 それは幼かったあの日よりも。
 季節を巡る度に色が深くなって、穏やかに優しく染め上げる。
 この想いの名は知らない。
 けれども、この想いは彼女に向けられているもの。
 それはもう、どうしようもなくて。
 彼女じゃないと、だめなんだとも思う。



 季節が巡る中で。
 変わったこと。変わらないもの。
 それを探すことが増えた。
 たぶん。もう、自分は子供では居られない。
 そう、静かに思う。
後日談、開始。

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