28話 行こう。ニンゲンの世界へ

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

  ◇

 膠着状態のまま何日か経って、ある日。イブがトギリに呼ばれたと部屋を外し、あたしとカズオだけが部屋に残されていた。
 それまでは、あたしとカズオは直接の会話を交わした事がない。お互いに言葉が通じないから仕方ないという面はあれど、機械なるものが完璧に翻訳してくれるそうなのに、カズオはそれでも全くといっていい程話さなかった。
 だから別に、話しかけるつもりもなかった。面倒さが勝って話したいとも思わなかったし、イブが仲介してくれるからそれでよかった。お互いにイブに協力している立場ではあったが、それ以上の繋がりは持っていない。
 そのつもりだったし、だからふと音が聞こえて来た時、あたしは少し、ビックリしてしまった。
「ローネ?」
 冷たく響く機械音。でも、それは確かに意味を持っていた。あたしのナマエを呼ぶ「声」だ。
「何?」
 あたしの声は、なんらかの音に変換される。
「……君の境遇は、イブから少し聞いた」
「……そ」
 別にだからと言ってどうこうされても困る。あの過去にはもう、ケリを付けた、つもりだ。
「それで何?」
「……そういう状況にあった時、君は何を憎んでいた?」
「……え?」
 突拍子もない質問に、思わずまぬけな声が漏れた。
「どうしてそんなことを?」
「いや……少し気になったもので」
「憎む……ね。そりゃ、妙な客のこととか、こいつらあたしみたいな小学生に入れあげてバカだなぁとは思ったけど、憎むってことはなかったかな。だって、それがあたしの常識だったし、そんなもんだ、これでいいやって諦めてた。
 ……だけど、そっか。初めて心の底から憎いと思ったのは、イブだったかもしれない。半端な同情するなって。イブの同情は、半端なんかじゃなかったけどさ。
 ずっと、あんな暗い安定の中で、それでも安定してて、それを揺すぶられて、あたしは憎いと思った、かな」
 言ってから、どうしてこんな風に素直に言ってしまったのだろうかと自問する。そして、思った。彼の瞳の中には、あたしに対して踏み込もうという意思がかけらもなかった。興味がない訳ではない。画面の方を見ながら、それでも彼はあたしの言葉を聞き終え、少し考えるような素振りを浮かべた。返答に悩んでいるのは、向き合っていない訳ではない証拠。一切悩まなかった風俗時代の返答を思い出しながら、あたしはそんな自論を脳内で繰り広げる。
 けれど、その瞳は一切こちらを向かない。なんというか、真剣に考えてはいるのだけれど。
 それは、例えば算数のテストを真剣に考えているかのような。
 あるいは、あたしにとっての誘拐事件のような。
 まるで無関心な訳ではない。けれど、奥に踏み込もうという意思もない。
 なんというか、雰囲気でわかった。カズオは、あたしの対称だった。

「どうして、世界はふたつのものが交わることを強要するんだろうな」

 そうやって聞こえた声にも、あたしは思わず頷いた。
「そうだね」
 それからあたしはため息を吐く。
「あたしには、たまたまイブが来てくれた。だけど、普通はそうじゃない。誰とでも仲良くするなんて難しいし、理想論に過ぎないもんね」
 カズオはそれっきり、黙り込んでしまった。いや、初めから、彼は一言も喋ってなどいなかったのだけれど。

 と、ざわめきが聞こえた。


  ○

「お疲れ様です」
 いくつかの声が聞こえる。その中には、ママの声も混じっている。お腹の中で、僕はじっと、それを聞いていた。
 今から、ママたちはミミロップの「護衛」をする。その中に、きっとチャンスは紛れ込むはずだ。
 ミミロップが、ニンゲンたちと何やら話している。それをずっと、大人たちの話はよくわからないけれど、それでもずっと聞いていた。
 ママの合図で飛び出すことになっているから、いつ呼ばれるかもわからない。そして、呼ばれたらすぐに反応しなければならない。緊張しっぱなしだった。だから正直、話の中身を理解するなんて高等テクニックは、僕には無理だった。

 そして、いくつかの気配が消える。ニンゲンたちが帰ったのだろうか。しばらくの後、ママとミミロップが話し始めた。この話はまだ、僕にもわかった。
「それにしても、襲撃なんて悪質なデマでしたね」
「ホントだよ。一体誰がそんなデマなんて流したんだろうね」
 僕たちだよ、ママ。思わず笑ってしまった。
「にしても、なかなか強気な態度ですね」
 ミミロップの声は、笑っているようだった。ママも、「褒め言葉として受け取っておくよ」なんて笑う。
「本当に、うちのガルーラが失礼します」
 ボーマンダさんの声が聞こえた。
「いや、構わないよ、気に入った」
「はは、ありがとね。ところでミミロップ、折り入ってひとつ、あたしとあなただけで話したいことがあるんだ」
 声を潜めてママは、「キリキザンの風俗問題について」と語った。ミミロップは、ハッとしたような表情を浮かべる。
 表情? 僕の中に、ミミロップの顔がその目で見たかのように思い浮かんでいた。その不思議な感覚に関してしばし思いを巡らせてみるけれど、もうそんな不思議な光景はどこにもなかった。
 周りから気配が消える。ぼんやりしている間に、もうみんな帰ったらしい。ママの予定通り。僕は意識を研ぎ澄ませた。
「あいつの護衛のカクレオンとあたし、私的な付き合いがあってね。小2の風俗嬢のチョロネコの客にキリキザンがいると聞いて、あたしはあいつに協力を持ち掛けたんだ」
「なるほど、それで彼は、僕にそれを相談して、手伝ってもらえるようにと依頼して来た訳ですね」
 声のトーンが、ひとつ下がった。警戒が滲んでいる。
「そしてだ。チョロネコは今、行方不明だ。ちょうど、キリキザンの失脚が報じられた日からね。そして、キリキザンは今……」
「生死の境を彷徨っている、ですね。その通り、やったのは僕ですよ」
 ミミロップはなんてことないように言った。
「だけど、キリキザンはいくらなんでもしばらく目は覚まさないだろう。それに、もし起きて何か声をあげた所で、世間はそう簡単には信じないでしょうね。だってもう、彼はロリコンの変態だ。事実そうだから何も否定はできないでしょう?」
「ああ、そうだね。あたしだって、あいつのことを捕まえたくてそうやって振る舞ったつもりだ。だけど……チョロネコは、あたしの子どもだ」
「へえ」
「あんたがやったことは、1匹の子どもを誘拐することだよ」
「でも、それがどうしたというのですか? ニンゲンの前に、我々の力なんて無力なのですよ?!」
 ママが呆れたように、「あたしたちのことを取り囲んでたのかい?」と呟く。
「ポケモンを強制的に、不可逆的に従属させるものの前に、我々はどうすればいい? 抗うか?
 そんな絵空事を唱えてなんていられるか?」
 いきなり、気配が増えた。敵意がこちらに向いているのを感じる。
「従属させられて、無理矢理あたしたちに敵意を向けている、と?」
「……わかっているじゃないか。この現実を見ても、まだあきらめないなどと理想論を唱えていられるのか?!」
「……理想論がなんだか知らないが、あんたはあたしの子どもを傷付けたんだよ」
「……子ども、ね。お前のお腹の中にいるのは、お前の子どもじゃないだろう?」
 僕はハッと目を見開く。急に、2匹の声が遠ざかって行った。
「……気付いてたんだね」
「僕のことを舐めないで欲しいね」
「……自分から人間に服従することで得た対価はなんだい?」
「話を逸らさないで。あのチョロネコだって、そこのポケモンだって、本当の子どもじゃない」
「……そうかもね。それがどうした?」
「あなたも! あなたも警察官なら、全体の利益を考えるべきじゃないですか? かの有名な『君主論』にもありますよ。初めから残虐である方が、中途半端な優しさよりも何倍も優しいのだと」
「……そうかもね」
「実の子どもなら、そりゃあ同情の余地もあります。血の繋がりってのは、時に理論を超える。だけど、そういう関係ではないんでしょう? ただ保護して引き取っただけ。警察としての業務をこなしながら、あなたは“子ども”にちゃんと構ってあげられましたか?」
 その言葉に、僕は拳を握りしめる。
「あなたの夫任せになってはいなかったんですか?」
「……夫はいない」
「なら、あなたが引き取って、その子たちは本当に幸せだったんですか? ロクに構ってもやれないような親なんて、そんな深いつながりなんでしょうか?」
 ママは黙り込んでしまう。歯ぎしりの音すら聞こえて来るようだった。
「全体のことを考えてください。ねえ、彼女たちは、本当にそんなに大切なんですか?」
「大切だ……」
「欺瞞だ。慢心だ。あなたのエゴだ! ロクに構ってもやれない親なんて、子どもは必要としていない!」

 違う!!!!!

 限界だった。僕はママの袋から飛び出すと、ミミロップに“グロウパンチ”をねじ込んだ。
「違う! ママは……ママは、何があっても僕のママだっ!!」
 口から荒い息を吐きながら、僕はミミロップに追撃しようとする。
「ママっ! これが特訓の成果だよっ!」
 もう一度“グロウパンチ”。ミミロップの体がはじけ飛んだ。だけど……これは、いなされた。
「なかなかやるもんですね。だけど、数の不利をお忘れなく」
 周りのポケモンたちが、僕たちに迫って来るのを感じる。だけど、僕はそんなことすら気にならなかった。
「ミミロップ……許さないっ!! ママは、ママは僕たちのママだ! 本物の親なんだぁっ!」
 ぶつけた拳は、彼の耳に弾かれる。僕はそこに着地して……
「危ないリオルっ!」
 衝撃音が、右から響いた。ふと横を見ると、そこには痛みに顔を歪めるママがいた。
「ママ……」
「あんたの悪いクセだよ。状況を冷静に分析しな! ミミロップにタイマン仕掛けても、向こうはそれに応じては来ない!」
「なら、どうすればいいの?」
「作戦会議なんてさせませんよ?」
 ミミロップの拳が迫って来ている。僕は、それを拳で弾き返した。
「舐めるなっ!」
「廊下の右だよっ!」
「わかった!」
 僕は扉をぶん殴ってこじ開ける。そして向こうの壁まで突き破ったのを利用し、手をばねのように使って後ろから追って来たミミロルに向けて足から飛びかかり、飛び蹴りを食らわせる。それで衝撃を殺し、床に着地した。それからすぐに、僕は右へ向けて駆け出す。後ろからミミロップが追って来るのを感じていた。
「“いわなだれ”っ」
 扉の辺りが塞がれたのを感じる。ママは、あの囲んでいたポケモンたちを自分と一緒に閉じ込めたのだ。今ここにいるのは、僕とミミロップだけ。向こうに行くまでにミミロップを倒さないといけない。
 後ろからミミロップは駆けて来る。僕は急に立ち止まり、その足を払った。見事に引っかかり、ミミロップはずっこける。僕はその上から、“グロウパンチ”を叩き込んだ。しかし、ミミロップも伊達じゃない。一周回るかのように、その足で僕の後頭部を蹴り飛ばした。激痛が体中を駆け巡る。お互いに踏ん張って、対面することになる。
「この先に行って、どうするつもりだ? そんな小さな子どもが……」
「ローネを助ける。決まってるでしょ」
「そのチョロネコのことか? どうやって助けるつもりだ?」
「どうやってどうやってってうるさい!」
「考えなんてないのだろう? それなのに、何をしようと言うんだ?」
「……イブを探すよ。そこにいるはずだから」
「どうやって探すんだ?」
「どうやって……か。イブは、きっと見付けてくれる。僕が来たことがわかれば、イブはきっと」
「そんな根拠のない妄想で、何をどうするつもりだ? あのガルーラの入れ知恵はないのか?」
「……ママも、追い掛けて来るよ」
「あれだけの数に囲まれてか? 自分を閉じ込めて、お前を先に行かせたが……」
「ママなら、勝つよ。だから……そこをどけっ!」
 もう一度、跳び上がって“グロウパンチ”。彼はまた、耳で僕をいなす。壁に、今度は足を付け、その反動でもう一度殴り掛かる。
「くらえっ!」
 これには、ミミロップも対応できなかったらしく、その顔がはじけ飛んだ。
「ママは……僕のことを助けてくれた。ママのことをバカにするなっ!」
 もう一度。ダメージにたたらを踏んでいた彼は、その攻撃も回避できなかった。
「そして……ニンゲンが僕たちに無理矢理言うことを聞かせようとしてるなんて言うけど、ニンゲンの全部がそんな生き物な訳じゃないっ! 優しいニンゲンだっているっ!」
 もう一度。
「ポケモンにだって、お母さんを殺した奴みたいな悪い奴もいれば、ママみたいに優しいポケモンだっているんだっ!」
 もう一度。雨降る丘の木の下で気付いた、あまりに簡単な答えを叫びながら、僕は拳を固めていく。
「イブは、優しいニンゲンなんだっ!」
 そしてさらにもう一度。


「ニンゲンを……イブを見下すなあっっっ!!」


 “はっけい”。僕の決め技だった。ミミロップは、もんどりうって倒れ込む。僕は荒い息を静めながら、頬を軽く張った。
 ミミロップのことは、許せない。だけど、これ以上の攻撃はもう、意味がない。
 鉾を収めなければ。僕は深く深呼吸をしながら、ミミロップのことを睨めつけた。
「……バカな子どもの僕でもわかるぐらいなことがわかんないなんて、バーカ」
 そして、“いわなだれ”で塞がれた扉の向こうの様子を伺う。まだ、戦っている音が聞こえた。
 待つべきだろうか、と考えて、首を振る。ママはきっと勝つ。だけど万が一負けたら? その時はきっと、ここから追っ手が出て来るわけだ。いくらなんでも敵わない。
 行こう。僕1匹で。

 空間の中に、わっかが浮いていた。その奥には、見たことのない白が広がっていた。不意に、怯えが僕の体を走る。
 でも、行くしかない。もう、取り返しは付かないんだ。
「あれ……なんで」
 体の震えが止まらない。笑ってしまう。怖い。もう、戻って来れないかもしれない。シシコやミミロルには、お別れを言ってない。噂を流すのは協力してもらったけど、僕がここに来ることまでは、言ってなかったんだ。
 ……それでも、行くしかないんだ。
「この世界を、護らなきゃ。僕が、やらなきゃ」
 だから、止まって。震えないでよ、僕の体。ミミロップだって、大人だって僕はあんな風に倒せるんだ。僕は強いんだから。
 それでも、震えは止まらない。
 僕は頬を張った。駄目だ。じゃあ、どうすればいい? 僕は、どうやって今まで勇気を捻り出して来た?
 ……決まってる。イブのお陰だ。ずっと鍛えていたとは言え、僕が実戦でバトルしたのは、ホルードが初めてだ。その時には、イブがいた。
 それから、ユキメノコと戦った時でも、イブはそこにいた。
 そして、暴走する僕を止めてくれたのも、イブだった。ローネ相手に怒った時も、ホルードを殺しかけた時も。
 僕がバトルをする時、イブはずっと、そこにいてくれた。
 でも、今回は僕だけだった。僕だけでも止まれたのは、どうして?
 ……決まってる。ローネのお陰だ。ローネが僕に、きっかけをくれたんだ。
 ローネにお礼を言わないと。ああやって僕に真実を突き付けてくれたお陰で、僕は変わろうともがき始められた。
 そして、イブにはたくさん言いたいことがある。全部、全部話したい。マイナスも、プラスも、全部。
「イブとローネに、会いに行く」
 そう、小さく呟いた。僕はふぅっと息を吐き出す。震えは、いつの間にか止まっていた。
 行こう。ニンゲンの世界へ。
 イブとローネの待っている、向こうの世界へ。

 僕はそのわっかの中へ飛び込んだ。

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