すばるは今、とても困惑していた。
助けを求めようと彼は視線を投じる。
彼がもたれて座する木から少し離れた木。
その木の下。絡まるように丸まって眠る茶と白の毛玉。
ゆっくり上下する背と。
すぴすぴと寝息が聞こえてきそうな穏やかな表情。
そんな、泣き疲れて眠ってしまった子イーブイ達の傍。
彼らを包むように丸まっている藤色が在った。
すばるはその藤色に向けて視線を投じた。
上下する背は、一見眠っているように見えるのだけれども。
その実、眠っていないということをすばるは知っている。
だって、彼女の両耳は分かりやすいようにぴんっと立っていて。
そして、分かりやすいようにこちらを向いている。
そしてさらに、さらにだ。
これはわざとらしく、二又に割けた尾がひょんひょんと揺れている。
すばるの眉間にしわが寄る。
知っている。分かっている。
あれは、“やすい”でも“らしく”でもない。
あれは分かるように、わざとやっている。
眉間のしわが深くなる。
彼女は楽しんでいるのだ。そう、こちらのこの状況を。
はあ、と思わずこぼれる嘆息。諦めも混ざる。
すばるは改めて、困惑それに向き直ってみる。
それから、改めて見やって。
じっとすばるを見やる二対の瞳。
それを、改めて受け止める。
「で?」
眉間にしわを携えたまま、すばるは思わず身構える。
拳を作った手を前に構えたのは無意識だった。
「急に何?」
問われた二羽のファイアローは。
―――何でそんな、臨戦態勢なの?
二羽のうちの片方の言葉と共に。
二羽は同時にその首を傾げた。
*
そりゃ、少しばかり身構えてしまうのは仕方ないではないか。
と、すばるは静かに思った。
だって、雨が上がった頃。
隣のファイアローに、別のファイアローが近寄って。
顔を付き合わせ、何やら話を始めた様子。
それが気になり聞き耳を立てた。
そしたら、それに気付いた一羽に追い払われてしまった。
その一羽に嫌いだとは言われたけれども。けれども、さ。
あからさまに追い払われて、少しだけ落ち込んだ。
二羽から少しだけ距離を置いて、ちらりと様子を伺う。
ひそひそと内緒話らしい。
遠目に眺めているところで、そのうちのもう一羽に意識が向く。
出会ったのは二度。
一度目は痛みの星散る中で。
二度目は危ないところを助けてくれて。
ほんの僅かな時間。ほんの些細な時間。
とてもではないが、時間を重ねたとは言えない。
なのに、なぜか姿が焼き付いてしまった。そんな、不思議な存在。
そして今も、妙に気持ちがそわそわとしてしまって落ち着かない。
この感覚は覚えがある。そう、久しく忘れていた感情。
話してみたいとか。仲良くしたいとか。
何だか恥ずかしいが、あの懐かしい感情。
けれども、あらかさまに追い払われてしまった手前。
どの面をさげて近寄れるのか。
何だか振られてしまった心境だ。
そっと諦めの息をもらしたところで。
「!?」
すばるはびくりと身体を跳ねさせた。
だって。今まで顔を突き合わせてひそひそと内緒話をしていた二羽。
それが、何の前触れもなく二羽同時にくるりと振り向いたのだ。
大切なことはもう一度確認しよう。
二羽同時に、自分の方を振り向いたのだ。
驚かない方が難しいと思う。
どきどきと速まる鼓動を落ち着かせながら。
「な、なんだよ……。は、話なら聞こえてねーからな。何も知らねーからな」
少しだけ怖じ気づいてしまっているのは。
振り向いた二羽がじっと自分を見詰めているからだ。
それに少しだけ気圧されているからだ。
突き刺さる二対の視線。
すばるは身動ぎすら出来ない息苦しさを覚えた。
「――――」
「――――」
「――――」
三つ分の息づかい。
それだけがその場を満たす。
その間、すばるは突き刺さる二対の視線を解くことが出来ない。
さわりと呑気に枝葉を撫でる風。
それすらも恨めしいと感じてしまう。
と言えば、この苦しさを分かってもらえるかもしれない。
そして、すばるの桔梗色の瞳が彷徨って。
助けを求めるように一点を見つめる。
その見つめる先。すばるから少し離れたところで丸くなるエーフィ。
けれども、彼女はすばるを助けるつもりはないらしくて。
それよりも、彼のその状況を楽しんでいる雰囲気があった。
そして、冒頭に戻る――。
*
「んで、俺に何の用なわけ?」
とりあえず、構えた拳はといた。
そして、改めて問いかけてみれば。
―――……あの……その、で……
視線を落として、あちらこちらにそれを泳がす彼女、妹ファイアロー。
先程まではしっかりとすばるの顔を見ていたのに、改めて問えばこの様子だ。
流石のすばるも困ってしまう。
そんな彼女から一歩離れた彼、兄ファイアローは。
見守るような立ち位置を保つようで。
もじもじする彼女をそっと見やっている。
となれば、自分に用があるのは彼女なのだな、とすばるは察する。
そう思うと、妙な緊張感に縛られた。
思い出すのは、やはりあの懐かしい、そわそわとした感情。
相手のことを知りたいような。けれども、少しだけ不安があるような。
そんな、そわそわとした感情。
そう、たぶん。この感情は、友達になりたい、とか。そんな感情だ。
それを自覚したら、今度は恥ずかしさの方が勝ってきた。
この歳になって、久方ぶりの感情。戸惑いも少しある。
あれ、友達ってどうやってつくっただろうか。
恥ずかしさ。戸惑い。そして、焦り。
いろんな感情が混ざりあって、こちらももじもじとしてしまいそうだ。
そう思ったとき、すばるの中で何かが弾けた。
もしかして、目の前の彼女も同じ気持ちなのではないか。
ちらりと視線を彼女へ向けたとき。
その彼女と視線がかちりと重なって。
そして、刹那的な速さでそらされてしまう。
あ、そうかもではない。そうなのだ。
疑惑から確信に変わった瞬間。
どきりと心臓が跳ねたような気がした。
どきどきと高鳴る鼓動。迫る緊張感。
この、気持ちは――。
言葉を発しようとすばるが口を開きかけたとき。
その言葉はするりとすばるの思考に入り込んで。
―――あ、あたちをもらってくださいっ!
全てを吹き飛ばした。
桔梗色を瞠目させて、すばるは思わず目の前の彼女を凝視する。
当の彼女は、ようやく言えたとばかりに満足気だった。
その後ろでは、兄ファイアローもぽかんと彼女を見やっていた。
―――ね、ねえ、ニア? それは、ちょっと違う気がするんだけど……?
何とか絞り出した言葉を、兄ファイアローは妹へと投げる。
それに首を傾げながら振り向いた彼女は。
―――え、違った?
と、少し悩んだ様子で顔を俯かせる。
けれども直ぐに、わかった、と顔を上げた。
そして、もう一度すばるへと振り返れば。
―――すばるさんをあたちにくださいっ!
少しだけ興奮気味ですばるに告げてから。
彼女はまた兄へと振り返る。
そして今度は、輝いた顔で兄へと確認する。
どう、合ってるでしょ。
と、それは満足気に高揚している顔だった。
えへへ、と笑う妹に彼は、静かに首を横に振った。
途端。表情が抜け落ちて、しゅんっと沈んだ面持ちになる彼女。
どうやら違ったようだ。
そう思う度に、彼女の気持ちは沈んだ。
だって、彼女にとっては初めての感情だったから。
もっと相手のことを知りたい、とか。
仲良くなりたい、とか。
そんなことを思ったのは、思えたのは初めてだったのだ。
だから、この人ならいいと思った。
だから、この人がいいと思った。
それなのに。どうして、うまくいかないのだろうか。
―――初めては、すばるさんが良かったのにな……
無意識にぽとりと、小さく落とした言葉だった。
だから、彼女は落としたことにも気付いてはいなかったのけれども。
それに慌てた存在が一つ。
―――ちょっと、ニア?! 言葉おかしいからっ!
―――おかしくないっ!
兄の言葉に、心外なと顔を上げた妹。
―――だって、あたちは初めてなんだもんっ! 兄ちゃんはいろいろと慣れてるだろうけど、あたちは初めてなんだもんっ!
むっとした彼女は膨れた。
ぷっくりと頬を膨らませた。
部外者を決め込んだすばるは、その表情が何だか彼にそっくりだなと静かに思う。
そんな彼女に、兄の彼はさらに慌てて言葉を放つ。
―――ちょっと?! 何か違うからっ! こう、ニュアンスとか違って聞こえるからっ!
―――だから、おかしくないもんっ!
ついに互いの顔を突き合わせ始めた兄妹ファイアロー。
何だか、わいわいと言い合ってはいるようだけれども。
部外者を決め込んだすばるには聴こえなかった。否、聴こえないのだ。
「で、俺は結局何を考えてたんだ?」
呑気に言葉を呟いてみて、わざとらしく思案する。
何だかそわそわとしていたような気がする。
懐かしい感情を覚えた気もするけれども、何だっただろうか。
わざとらしく首を傾げてみたとき。
《すっばるーん?》
軽い口調とは裏腹に。
まるで、地を這うような。
そんな低い声音が響いた。
薄ら寒さを感じて、ゆっくりとすばるは振り向く。
少し離れた木の下。
むくりと身体を起こしたエーフィがすばるを見ていた。
すぴすぴと眠る毛玉達をその場に残して。
エーフィはゆっくりとすばるへ歩み寄る。
彼女の口の端は笑みで持ち上げられているけれども。
すばるを真っ直ぐ見やる紫の瞳に、笑みの色はなかった。
《ねえ、すばるん?》
再度の彼女の呼びかけに。
すばるの肩が小さく跳ねた。
「ふ、ふうさん……?」
すばるの隣へ座るエーフィ。
ゆっくりと彼を見上げて、自身の紫の瞳にその彼の姿を映す。
あ、顔がひきつってるな。と、映った自分の姿にすばるは思った。
ざわっと風が枝葉や草花を少しだけ雑に撫でる。
それで瞬時にすばるは察する。
目の前の彼女がご機嫌ななめなんだな、と。
《どういうことかな?》
「それが、どういうことだ?」
《何のこと?》
「それをこっちが訊きてーの」
でも、すばるに分かるのはそれだけだった。
何が彼女を不機嫌にさせているのだろうか。
そこですばるがため息を小さくつくと。
途端にエーフィは口をへの字にした。
《だから、ボクという存在がありながら》
「……は?」
小さくこぼれたすばるの声に構うことなく、エーフィは言葉を続けた。
《いつの間にたぶらかしてたのかってことっ!!》
「たぶらかしっ――」
近くでわいわいと言い合っている兄妹ファイアローが。
何だ何だとこちらを向く気配がしたので。
すばるは慌ててエーフィを抱え込んでその場から逃げ出した。
その間、彼女はじたばたと暴れるので。
少しあの場から離れたところで、ぱっと彼女を落とす。
音もなく着地した彼女は、彼へ振り向いて紫の瞳で見上げる。
「あのなあ、ふう。言葉選べっつーの」
あれではまるで、それみたいではないか。
別に自分は意外と一筋だと思っているのに。
やれやれと首もとを掻いたところで。
揺れ動く紫の瞳に気付く。
《気持ちがそわそわして、ほわほわして、うずうずしてた》
彼女の額を飾る赤い珠が淡く発光した。
《すばるの気持ちは、ボクにだって分かるんだからね》
きっ、と揺れ動く瞳ですばるを睨んだあと。
くるりとエーフィは彼に背を向けてしまう。
ぱしぱしと地へ叩きつける尾は、そのまま彼女の機嫌を表している。
「あのなあ……」
投げやりなすばるの言葉。
そこに少しだけ含まれた、面倒、という感情を掴んで。
エーフィの尾がぺたりと地に落ちた。
そして、ぽとりと言葉を落とす。
《あの娘がいいの?》
消え入りそうなその声量に、すばるの動きが止まった。
じっとエーフィの背を見つめるのはすばるで。
対する彼女は微動だにしない。
と、すばるの足が動いた。
くしゃ、くしゃ。と草が触れ動く音を響かせて。
一歩、二歩、と彼女に近付いて、すとんと膝を曲げて座る。
草地はまだ雨を含んでいるので、尻は地につけない。
それでも動く気配のない彼女に。その背に。
「馬鹿だなあ」
と、言葉と共に盛大なため息を落とした。
おまけに肩まで竦めてやる。
振り返ってはいなかった彼女。けれども。
エーフィという種は周囲の空気の動きに敏感だ。
彼女にとって動きを感知することは、呼吸をするのと同じくらいの感覚。
だから、すばるが盛大なため息をついて肩を竦めた瞬間。
ぴしんっと尾を地に勢いよく叩きつけて、くるっと勢いよく振り返った。
それは刹那的な速さだった。
《馬鹿ってなに?》
むっとしてすばるを睨む紫の瞳。
そこには確かな怒りの感情が滲んでいた。
「馬鹿だから、馬鹿だっつったの」
立ち上がったすばるは、呆れた表情でエーフィを見下ろして。
屈んでひょいっと彼女を掬い上げる。
抵抗を試みた彼女だけれども、今回はすばるの方が早かった。
見事に掬い上げられ、そのまま腕に抱えられてしまったエーフィ。
それでも、抵抗の努力は続いていた。
じたばたともがき、暴れる彼女。
流石にすばるも手こずっている様子で。
「ちょ、まっ、暴れんなっ」
《すばるが放せば、ボクは大人しくなるもんね》
とげのある口調に、すばるが半目になる。
けれども、彼女の声色に拗ねの色も感じた。
ならば、と。
彼は彼女をがしりと、しっかりと腕で捕まえて、彼女の動きを封じる。
だが、それで大人しくなる彼女でもなくて。
力で駄目なら念だな、と瞬時に頭を切り替える。
すばるとエーフィ。その周囲の空気が気配を変えた。
彼女が念の力を解放する前触れのそれ。
それを肌で察知したすばるは、急に彼女の藤色の毛並みに顔を埋めた。
《なっ……、ちょっ、やめっ》
慌てた声を発したのは今度はエーフィで。
昂った気配の空気が一瞬ぶわりと震えて、瞬時に鎮まる。
ビロードのような感触を頬に感じながら、すばるは口の端に笑みをのせた。
《あっ! 謀ったな、すばるっ!》
悟ったエーフィが再びじたばたともがき始めた。
それでも、すばるのせいでそれはすぐにぎこちない動作となった。
彼女の頬が、仄かに朱に染まる。
すんすんとした息の音に、独特のその感覚。
《か、嗅ぐなよっ! ボクを嗅ぐなっ!》
「ん? だって、お前はハーブのにおいするからなあ……」
《そ、それはシャンプーのおかげで》
「でも、俺はお前が好きだけど?」
《んなっ!》
ぎこちなく動いていたエーフィ。
その動きが、ぴたりと止まった。
「だから、馬鹿だっつーの」
すばるがエーフィをきゅっと抱き寄せて告げる。
「そりゃ、あの娘に惹かれるところがあるから、仲良くなりたいって思ったし、思ってるけど」
抱き寄せた腕越しに、エーフィの拗ねた気配を感じて。
すばるは小さく苦笑する。
「でも、俺にはお前だけだよ」
はっと、彼女が息を呑む気配がすばるに伝わった。
だから、もう一度言葉にしよう。
「俺のパートナーは、今までも、これからも、お前だけだよ」
すばるはエーフィの耳元にそっと口を近付けて。
「ふう」
と、吐息のようにエーフィの名を口にする。
耳の奥を震わすその声に。
頭を痺れさせるその声に。
彼女は頬にしっかりと熱を灯して、静かに頷いた。
そんな彼女の様子に。
すばるは口の端に、そっと笑みを含ませて。
一人静かにほくそ笑んだ。
* * *
幹にもたれ、あぐらをするすばる。
その膝上に寝そべるのはエーフィで。
だらりと垂れ下がる四肢に尾。
完全にだらしない姿勢の彼女に、すばるは複雑そうな顔をする。
「なあ、いくらなんでもだれすぎじゃね?」
《えー……だって。ボクが動いたら、ラテちゃんもカフェくんも起きちゃうよ?》
彼女の言葉に、すばるは苦虫を噛み潰した顔になる。
そう、今の場所に座ったところで。
何も告げずに、当たり前のように膝上を陣取ったエーフィ。
ごろりと四肢を投げ出して、尾は優雅にゆらりと揺れて。
完全に気を抜いた態度に姿勢で。
始めは仕方がないなと、頭を撫でたり背を撫でたりしていた。
エーフィもその手つきが心地よく、目を気持ち良さそうに細めて感触を楽しんでいた。
そこまでは良かった、とすばるは思っている。
「そうだよ。なんっで、こいつらがいるわけ?」
眉間にしわを寄せてすばるは呟く。
「気がついたら、隙間に毛玉が挟まってたんだけど」
そう、すばるが気が付いた時には。
彼とエーフィとの身体の隙間に毛玉が挟まっていた。
最初は白が堂々挟まっていたと記憶している。いつの間に、と思った。
次に気が付いたときには。
端の方で、遠慮気味に挟まろうと試みている茶を見つけて。
けれども、それが白の寝返りの動きに弾かれて転がったから。
苦笑しながら隙間に詰めてやったのだ。
それからすぐに、白と茶の毛玉はすぴすぴと寝息をたて始めたのだ。
《だって、ラテちゃんは仲良しが好きだから》
首をもたげたエーフィが、眠る白イーブイの頬を優しく舐めた。
次いで、茶イーブイの頬を舐めたところで。
《ほら、ボクとすばるんは仲良しだからさ》
顔を上げて、にんまりとすばるに笑いかけた。
瞬間。すばるの頬が仄かに朱に染まる。
そして、さっと彼女から目をそらした。
「いや、あれは……まあ、その……?」
《知ってるよ。練習、でしょ?》
「なっ」
そらしていた目が、がばりとエーフィを見やる。
見開かれた桔梗色の瞳に、彼女はくすりと一つ笑った。
《つばさちゃんへ気持ちを言葉にしようと決めたすばるんは》
「ばっ、やめ――」
《そういう系のドラマやマンガで“お勉強”を頑張っていたもんね》
彼女は知っている。
夜、それが深まる時間帯。
彼がこっそりと、インターネットとやらでドラマを観たり。
アプリとやらでマンガを読んだりと。
何か参考になる文献がないかを探していることを。
仄かに朱に染まっていたすばるの頬。
それがさらに深く色付いていた。
《なかなかさ》
によっとした笑みですばるを見上げたエーフィは。
《可愛いとこ、あるよね?》
さらに、によっと笑ってみせた。
「――――っ」
声にならない声を上げたすばる。
今すぐこの場から走り去りたい衝動に駆られるが。
膝上の白と茶の子イーブイの存在を思い出して思いとどまる。
その時だった。
エーフィの両耳が真っ直ぐ立ち上がる。
「――――っ」
遠くで声が聞こえた。
ぴいっと、高く細い鳴き声。
その声が、火照ったすばるの頬を急激に下げて行く。
「――イチの声だ」
呟いた言葉に、エーフィが視線を投じる。
「イチが呼んでる」
すばるの脳裏に過るのは、妹だと言ったもう一羽のファイアローの姿。
どきん、と胸が鳴った気がして、すばるは小さく苦笑する。
やはり自分は、どこか彼女に魅せられているらしい。
視線を膝上に落として、見上げる紫の瞳を見つける。
そっと頭を撫でれば、エーフィの心が流れて来る。
不安気に揺れる心を感じ取って、すばるはふっと柔らかに笑んだ。
「大丈夫だ、ふう」
すっと彼女を持ち上げて、隣へ下ろす。
「さっきのは、練習じゃねーからさ」
《え》
「いくら、観た読んだっつっても、つばさ相手に言葉にできるわけないっつーの」
次いで、すぴすぴと寝息をたてている二色の毛玉を。
「先に羞恥が来る。俺のメンタルはガラスハートなんの」
優しい手つきで掬い上げて、そっとエーフィの傍らに下ろした。
「あれは、お前相手だから言えたんだ」
真っ直ぐにエーフィを見やる桔梗色の瞳。
すばるとつばさは幼馴染みだ。
その言葉のままに、幼い頃から一緒だった。
それはすばるとエーフィも同じだ。
幼い頃からずっと一緒だった。
彼女達を大切に思う気持ちも、違うだけで同じ気持ちなのだ。
けれども、明らかに違うとすれば。
それは、共に時を重ねた長さと。
その深さだと、すばるは思うのだ。
それが在ったから、彼女への気持ちを彼女だけのものとした。
だから、目の前の彼女への気持ちを。
飾らずに真っ直ぐ、素直に言葉というカタチに出来るのだと思う。
これがつばさなのならば、羞恥が勝って素直に言葉に出来ない。
素直に言葉に出来る類ならば、ここまでそのままでいなかったのだから。
ふっと、静かにすばるは笑うと立ち上がった。
遠くから再び声がしたのだ。
早く、と急かすような声だった。
「俺、ちょいと行ってくんな」
《……え、あ、うん》
くるりと彼女に背を向けて歩き出すすばる。
その動きを、彼女は目だけで追う。
そんな彼女の頬は、しっかりと熱を帯びて染まっていた。
不意に彼がその足を止めて、肩越しに振り返った。
くしゃりと笑えば、彼は今度こそ駆け出して、再び振り返ることはなかった。
その背を見送った彼女。
思わず前足を頬に添えて、その熱を感じた。
自分の持つ特性、シンクロを通して先程の彼の心を感じた。
というよりも、自分が干渉して感化させやすくした彼の身体を。
その彼に逆に利用され、彼自身が自分へ心を流して来たのだ。
その流れて来た心。そのあたたかさと気持ち――想いに触れて。
頬を染めない存在はないだろうと思った。
《なかなか、さ。今のは響くよね、すばるん》
ほおと惚けた顔で、暫くすばるの背を見つめたあと。
《ああいうの、りっくんにもカタチにして欲しいなあ》
ぽつりと願望を言葉にしてしまいまって。
たぶん彼は、そんなことはしてくれないとは思いつつも。
その場面を想像してしまって、顔から湯気が出そうになった。
そして、火照った顔を見られたくなくて。
咄嗟に傍の毛玉に顔を埋めた。
その騒ぎに目を覚ました白と茶の子イーブイ達が。
―――ママ、おねつ?
―――かおがあついよ?
もしかして、風邪なのか。
そう思って、あわあわと慌て出したのだけれども。
そんな子イーブイ達を前足でしっかりと捕まえたエーフィは。
それから暫く、顔を隠したままで動かなかった。
その間子イーブイ達は、最初は戸惑ったのだけれども。
互いの顔を見合わせたあと。
よく分からないけれども、仕方ないな。
と、されるがままになってあげることにしたのだった。
残り、あと3話。