58杯目 そわそわする、その気持ち

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 すばるは今、とても困惑していた。
 助けを求めようと彼は視線を投じる。
 彼がもたれて座する木から少し離れた木。
 その木の下。絡まるように丸まって眠る茶と白の毛玉。
 ゆっくり上下する背と。
 すぴすぴと寝息が聞こえてきそうな穏やかな表情。
 そんな、泣き疲れて眠ってしまった子イーブイ達の傍。
 彼らを包むように丸まっている藤色が在った。
 すばるはその藤色に向けて視線を投じた。
 上下する背は、一見眠っているように見えるのだけれども。
 その実、眠っていないということをすばるは知っている。
 だって、彼女の両耳は分かりやすいようにぴんっと立っていて。
 そして、分かりやすいようにこちらを向いている。
 そしてさらに、さらにだ。
 これはわざとらしく、二又に割けた尾がひょんひょんと揺れている。
 すばるの眉間にしわが寄る。
 知っている。分かっている。
 あれは、“やすい”でも“らしく”でもない。
 あれは分かるように、わざとやっている。
 眉間のしわが深くなる。
 彼女は楽しんでいるのだ。そう、こちらのこの状況を。
 はあ、と思わずこぼれる嘆息。諦めも混ざる。
 すばるは改めて、困惑それに向き直ってみる。
 それから、改めて見やって。
 じっとすばるを見やる二対の瞳。
 それを、改めて受け止める。

「で?」

 眉間にしわを携えたまま、すばるは思わず身構える。
 拳を作った手を前に構えたのは無意識だった。

「急に何?」

 問われた二羽のファイアローは。

―――何でそんな、臨戦態勢なの?

 二羽のうちの片方の言葉と共に。
 二羽は同時にその首を傾げた。



   *



 そりゃ、少しばかり身構えてしまうのは仕方ないではないか。
 と、すばるは静かに思った。
 だって、雨が上がった頃。
 隣のファイアローに、別のファイアローが近寄って。
 顔を付き合わせ、何やら話を始めた様子。
 それが気になり聞き耳を立てた。
 そしたら、それに気付いた一羽に追い払われてしまった。
 その一羽に嫌いだとは言われたけれども。けれども、さ。
 あからさまに追い払われて、少しだけ落ち込んだ。
 二羽から少しだけ距離を置いて、ちらりと様子を伺う。
 ひそひそと内緒話らしい。
 遠目に眺めているところで、そのうちのもう一羽に意識が向く。
 出会ったのは二度。
 一度目は痛みの星散る中で。
 二度目は危ないところを助けてくれて。
 ほんの僅かな時間。ほんの些細な時間。
 とてもではないが、時間を重ねたとは言えない。
 なのに、なぜか姿が焼き付いてしまった。そんな、不思議な存在。
 そして今も、妙に気持ちがそわそわとしてしまって落ち着かない。
 この感覚は覚えがある。そう、久しく忘れていた感情。
 話してみたいとか。仲良くしたいとか。
 何だか恥ずかしいが、あの懐かしい感情。
 けれども、あらかさまに追い払われてしまった手前。
 どの面をさげて近寄れるのか。
 何だか振られてしまった心境だ。
 そっと諦めの息をもらしたところで。

「!?」

 すばるはびくりと身体を跳ねさせた。
 だって。今まで顔を突き合わせてひそひそと内緒話をしていた二羽。
 それが、何の前触れもなく二羽同時にくるりと振り向いたのだ。
 大切なことはもう一度確認しよう。
 二羽同時に、自分の方を振り向いたのだ。
 驚かない方が難しいと思う。
 どきどきと速まる鼓動を落ち着かせながら。

「な、なんだよ……。は、話なら聞こえてねーからな。何も知らねーからな」

 少しだけ怖じ気づいてしまっているのは。
 振り向いた二羽がじっと自分を見詰めているからだ。
 それに少しだけ気圧されているからだ。
 突き刺さる二対の視線。
 すばるは身動ぎすら出来ない息苦しさを覚えた。

「――――」

「――――」

「――――」

 三つ分の息づかい。
 それだけがその場を満たす。
 その間、すばるは突き刺さる二対の視線を解くことが出来ない。
 さわりと呑気に枝葉を撫でる風。
 それすらも恨めしいと感じてしまう。
 と言えば、この苦しさを分かってもらえるかもしれない。
 そして、すばるの桔梗色の瞳が彷徨って。
 助けを求めるように一点を見つめる。
 その見つめる先。すばるから少し離れたところで丸くなるエーフィ。
 けれども、彼女はすばるを助けるつもりはないらしくて。
 それよりも、彼のその状況を楽しんでいる雰囲気があった。
 そして、冒頭に戻る――。



   *



「んで、俺に何の用なわけ?」

 とりあえず、構えた拳はといた。
 そして、改めて問いかけてみれば。

―――……あの……その、で……

 視線を落として、あちらこちらにそれを泳がす彼女、妹ファイアロー。
 先程まではしっかりとすばるの顔を見ていたのに、改めて問えばこの様子だ。
 流石のすばるも困ってしまう。
 そんな彼女から一歩離れた彼、兄ファイアローは。
 見守るような立ち位置を保つようで。
 もじもじする彼女をそっと見やっている。
 となれば、自分に用があるのは彼女なのだな、とすばるは察する。
 そう思うと、妙な緊張感に縛られた。
 思い出すのは、やはりあの懐かしい、そわそわとした感情。
 相手のことを知りたいような。けれども、少しだけ不安があるような。
 そんな、そわそわとした感情。
 そう、たぶん。この感情は、友達になりたい、とか。そんな感情だ。
 それを自覚したら、今度は恥ずかしさの方が勝ってきた。
 この歳になって、久方ぶりの感情。戸惑いも少しある。
 あれ、友達ってどうやってつくっただろうか。
 恥ずかしさ。戸惑い。そして、焦り。
 いろんな感情が混ざりあって、こちらももじもじとしてしまいそうだ。
 そう思ったとき、すばるの中で何かが弾けた。
 もしかして、目の前の彼女も同じ気持ちなのではないか。
 ちらりと視線を彼女へ向けたとき。
 その彼女と視線がかちりと重なって。
 そして、刹那的な速さでそらされてしまう。
 あ、そうかもではない。そうなのだ。
 疑惑から確信に変わった瞬間。
 どきりと心臓が跳ねたような気がした。
 どきどきと高鳴る鼓動。迫る緊張感。
 この、気持ちは――。
 言葉を発しようとすばるが口を開きかけたとき。
 その言葉はするりとすばるの思考に入り込んで。

―――あ、あたちをもらってくださいっ!

 全てを吹き飛ばした。
 桔梗色を瞠目させて、すばるは思わず目の前の彼女を凝視する。
 当の彼女は、ようやく言えたとばかりに満足気だった。
 その後ろでは、兄ファイアローもぽかんと彼女を見やっていた。

―――ね、ねえ、ニア? それは、ちょっと違う気がするんだけど……?

 何とか絞り出した言葉を、兄ファイアローは妹へと投げる。
 それに首を傾げながら振り向いた彼女は。

―――え、違った?

 と、少し悩んだ様子で顔を俯かせる。
 けれども直ぐに、わかった、と顔を上げた。
 そして、もう一度すばるへと振り返れば。

―――すばるさんをあたちにくださいっ!

 少しだけ興奮気味ですばるに告げてから。
 彼女はまた兄へと振り返る。
 そして今度は、輝いた顔で兄へと確認する。
 どう、合ってるでしょ。
 と、それは満足気に高揚している顔だった。
 えへへ、と笑う妹に彼は、静かに首を横に振った。
 途端。表情が抜け落ちて、しゅんっと沈んだ面持ちになる彼女。
 どうやら違ったようだ。
 そう思う度に、彼女の気持ちは沈んだ。
 だって、彼女にとっては初めての感情だったから。
 もっと相手のことを知りたい、とか。
 仲良くなりたい、とか。
 そんなことを思ったのは、思えたのは初めてだったのだ。
 だから、この人ならいいと思った。
 だから、この人がいいと思った。
 それなのに。どうして、うまくいかないのだろうか。

―――初めては、すばるさんが良かったのにな……

 無意識にぽとりと、小さく落とした言葉だった。
 だから、彼女は落としたことにも気付いてはいなかったのけれども。
 それに慌てた存在が一つ。

―――ちょっと、ニア?! 言葉おかしいからっ!

―――おかしくないっ!

 兄の言葉に、心外なと顔を上げた妹。

―――だって、あたちは初めてなんだもんっ! 兄ちゃんはいろいろと慣れてるだろうけど、あたちは初めてなんだもんっ!

 むっとした彼女は膨れた。
 ぷっくりと頬を膨らませた。
 部外者を決め込んだすばるは、その表情が何だか彼にそっくりだなと静かに思う。
 そんな彼女に、兄の彼はさらに慌てて言葉を放つ。

―――ちょっと?! 何か違うからっ! こう、ニュアンスとか違って聞こえるからっ!

―――だから、おかしくないもんっ!

 ついに互いの顔を突き合わせ始めた兄妹ファイアロー。
 何だか、わいわいと言い合ってはいるようだけれども。
 部外者を決め込んだすばるには聴こえなかった。否、聴こえないのだ。

「で、俺は結局何を考えてたんだ?」

 呑気に言葉を呟いてみて、わざとらしく思案する。
 何だかそわそわとしていたような気がする。
 懐かしい感情を覚えた気もするけれども、何だっただろうか。
 わざとらしく首を傾げてみたとき。

《すっばるーん?》

 軽い口調とは裏腹に。
 まるで、地を這うような。
 そんな低い声音が響いた。
 薄ら寒さを感じて、ゆっくりとすばるは振り向く。
 少し離れた木の下。
 むくりと身体を起こしたエーフィがすばるを見ていた。
 すぴすぴと眠る毛玉達をその場に残して。
 エーフィはゆっくりとすばるへ歩み寄る。
 彼女の口の端は笑みで持ち上げられているけれども。
 すばるを真っ直ぐ見やる紫の瞳に、笑みの色はなかった。

《ねえ、すばるん?》

 再度の彼女の呼びかけに。
 すばるの肩が小さく跳ねた。

「ふ、ふうさん……?」

 すばるの隣へ座るエーフィ。
 ゆっくりと彼を見上げて、自身の紫の瞳にその彼の姿を映す。
 あ、顔がひきつってるな。と、映った自分の姿にすばるは思った。
 ざわっと風が枝葉や草花を少しだけ雑に撫でる。
 それで瞬時にすばるは察する。
 目の前の彼女がご機嫌ななめなんだな、と。

《どういうことかな?》

「それが、どういうことだ?」

《何のこと?》

「それをこっちが訊きてーの」

 でも、すばるに分かるのはそれだけだった。
 何が彼女を不機嫌にさせているのだろうか。
 そこですばるがため息を小さくつくと。
 途端にエーフィは口をへの字にした。

《だから、ボクという存在がありながら》

「……は?」

 小さくこぼれたすばるの声に構うことなく、エーフィは言葉を続けた。

《いつの間にたぶらかしてたのかってことっ!!》

「たぶらかしっ――」

 近くでわいわいと言い合っている兄妹ファイアローが。
 何だ何だとこちらを向く気配がしたので。
 すばるは慌ててエーフィを抱え込んでその場から逃げ出した。
 その間、彼女はじたばたと暴れるので。
 少しあの場から離れたところで、ぱっと彼女を落とす。
 音もなく着地した彼女は、彼へ振り向いて紫の瞳で見上げる。

「あのなあ、ふう。言葉選べっつーの」

 あれではまるで、それみたいではないか。
 別に自分は意外と一筋だと思っているのに。
 やれやれと首もとを掻いたところで。
 揺れ動く紫の瞳に気付く。

《気持ちがそわそわして、ほわほわして、うずうずしてた》

 彼女の額を飾る赤い珠が淡く発光した。

《すばるの気持ちは、ボクにだって分かるんだからね》

 きっ、と揺れ動く瞳ですばるを睨んだあと。
 くるりとエーフィは彼に背を向けてしまう。
 ぱしぱしと地へ叩きつける尾は、そのまま彼女の機嫌を表している。

「あのなあ……」

 投げやりなすばるの言葉。
 そこに少しだけ含まれた、面倒、という感情を掴んで。
 エーフィの尾がぺたりと地に落ちた。
 そして、ぽとりと言葉を落とす。

《あの娘がいいの?》

 消え入りそうなその声量に、すばるの動きが止まった。
 じっとエーフィの背を見つめるのはすばるで。
 対する彼女は微動だにしない。
 と、すばるの足が動いた。
 くしゃ、くしゃ。と草が触れ動く音を響かせて。
 一歩、二歩、と彼女に近付いて、すとんと膝を曲げて座る。
 草地はまだ雨を含んでいるので、尻は地につけない。
 それでも動く気配のない彼女に。その背に。

「馬鹿だなあ」

 と、言葉と共に盛大なため息を落とした。
 おまけに肩まで竦めてやる。
 振り返ってはいなかった彼女。けれども。
 エーフィという種は周囲の空気の動きに敏感だ。
 彼女にとって動きを感知することは、呼吸をするのと同じくらいの感覚。
 だから、すばるが盛大なため息をついて肩を竦めた瞬間。
 ぴしんっと尾を地に勢いよく叩きつけて、くるっと勢いよく振り返った。
 それは刹那的な速さだった。

《馬鹿ってなに?》

 むっとしてすばるを睨む紫の瞳。
 そこには確かな怒りの感情が滲んでいた。

「馬鹿だから、馬鹿だっつったの」

 立ち上がったすばるは、呆れた表情でエーフィを見下ろして。
 屈んでひょいっと彼女を掬い上げる。
 抵抗を試みた彼女だけれども、今回はすばるの方が早かった。
 見事に掬い上げられ、そのまま腕に抱えられてしまったエーフィ。
 それでも、抵抗の努力は続いていた。
 じたばたともがき、暴れる彼女。
 流石にすばるも手こずっている様子で。

「ちょ、まっ、暴れんなっ」

《すばるが放せば、ボクは大人しくなるもんね》

 とげのある口調に、すばるが半目になる。
 けれども、彼女の声色に拗ねの色も感じた。
 ならば、と。
 彼は彼女をがしりと、しっかりと腕で捕まえて、彼女の動きを封じる。
 だが、それで大人しくなる彼女でもなくて。
 力で駄目なら念だな、と瞬時に頭を切り替える。
 すばるとエーフィ。その周囲の空気が気配を変えた。
 彼女が念の力を解放する前触れのそれ。
 それを肌で察知したすばるは、急に彼女の藤色の毛並みに顔を埋めた。

《なっ……、ちょっ、やめっ》

 慌てた声を発したのは今度はエーフィで。
 昂った気配の空気が一瞬ぶわりと震えて、瞬時に鎮まる。
 ビロードのような感触を頬に感じながら、すばるは口の端に笑みをのせた。

《あっ! 謀ったな、すばるっ!》

 悟ったエーフィが再びじたばたともがき始めた。
 それでも、すばるのせいでそれはすぐにぎこちない動作となった。
 彼女の頬が、仄かに朱に染まる。
 すんすんとした息の音に、独特のその感覚。

《か、嗅ぐなよっ! ボクを嗅ぐなっ!》

「ん? だって、お前はハーブのにおいするからなあ……」

《そ、それはシャンプーのおかげで》

「でも、俺はお前が好きだけど?」

《んなっ!》

 ぎこちなく動いていたエーフィ。
 その動きが、ぴたりと止まった。

「だから、馬鹿だっつーの」

 すばるがエーフィをきゅっと抱き寄せて告げる。

「そりゃ、あの娘に惹かれるところがあるから、仲良くなりたいって思ったし、思ってるけど」

 抱き寄せた腕越しに、エーフィの拗ねた気配を感じて。
 すばるは小さく苦笑する。

「でも、俺にはお前だけだよ」

 はっと、彼女が息を呑む気配がすばるに伝わった。
 だから、もう一度言葉にしよう。

「俺のパートナーは、今までも、これからも、お前だけだよ」

 すばるはエーフィの耳元にそっと口を近付けて。

「ふう」

 と、吐息のようにエーフィの名を口にする。
 耳の奥を震わすその声に。
 頭を痺れさせるその声に。
 彼女は頬にしっかりと熱を灯して、静かに頷いた。


 そんな彼女の様子に。
 すばるは口の端に、そっと笑みを含ませて。
 一人静かにほくそ笑んだ。



   *   *   *



 幹にもたれ、あぐらをするすばる。
 その膝上に寝そべるのはエーフィで。
 だらりと垂れ下がる四肢に尾。
 完全にだらしない姿勢の彼女に、すばるは複雑そうな顔をする。

「なあ、いくらなんでもだれすぎじゃね?」

《えー……だって。ボクが動いたら、ラテちゃんもカフェくんも起きちゃうよ?》

 彼女の言葉に、すばるは苦虫を噛み潰した顔になる。
 そう、今の場所に座ったところで。
 何も告げずに、当たり前のように膝上を陣取ったエーフィ。
 ごろりと四肢を投げ出して、尾は優雅にゆらりと揺れて。
 完全に気を抜いた態度に姿勢で。
 始めは仕方がないなと、頭を撫でたり背を撫でたりしていた。
 エーフィもその手つきが心地よく、目を気持ち良さそうに細めて感触を楽しんでいた。
 そこまでは良かった、とすばるは思っている。

「そうだよ。なんっで、こいつらがいるわけ?」

 眉間にしわを寄せてすばるは呟く。

「気がついたら、隙間に毛玉が挟まってたんだけど」

 そう、すばるが気が付いた時には。
 彼とエーフィとの身体の隙間に毛玉が挟まっていた。
 最初は白が堂々挟まっていたと記憶している。いつの間に、と思った。
 次に気が付いたときには。
 端の方で、遠慮気味に挟まろうと試みている茶を見つけて。
 けれども、それが白の寝返りの動きに弾かれて転がったから。
 苦笑しながら隙間に詰めてやったのだ。
 それからすぐに、白と茶の毛玉はすぴすぴと寝息をたて始めたのだ。

《だって、ラテちゃんは仲良しが好きだから》

 首をもたげたエーフィが、眠る白イーブイの頬を優しく舐めた。
 次いで、茶イーブイの頬を舐めたところで。

《ほら、ボクとすばるんは仲良しだからさ》

 顔を上げて、にんまりとすばるに笑いかけた。
 瞬間。すばるの頬が仄かに朱に染まる。
 そして、さっと彼女から目をそらした。

「いや、あれは……まあ、その……?」

《知ってるよ。練習、でしょ?》

「なっ」

 そらしていた目が、がばりとエーフィを見やる。
 見開かれた桔梗色の瞳に、彼女はくすりと一つ笑った。

《つばさちゃんへ気持ちを言葉にしようと決めたすばるんは》

「ばっ、やめ――」

《そういう系のドラマやマンガで“お勉強”を頑張っていたもんね》

 彼女は知っている。
 夜、それが深まる時間帯。
 彼がこっそりと、インターネットとやらでドラマを観たり。
 アプリとやらでマンガを読んだりと。
 何か参考になる文献がないかを探していることを。
 仄かに朱に染まっていたすばるの頬。
 それがさらに深く色付いていた。

《なかなかさ》

 によっとした笑みですばるを見上げたエーフィは。

《可愛いとこ、あるよね?》

 さらに、によっと笑ってみせた。

「――――っ」

 声にならない声を上げたすばる。
 今すぐこの場から走り去りたい衝動に駆られるが。
 膝上の白と茶の子イーブイの存在を思い出して思いとどまる。
 その時だった。
 エーフィの両耳が真っ直ぐ立ち上がる。

「――――っ」

 遠くで声が聞こえた。
 ぴいっと、高く細い鳴き声。
 その声が、火照ったすばるの頬を急激に下げて行く。

「――イチの声だ」

 呟いた言葉に、エーフィが視線を投じる。

「イチが呼んでる」

 すばるの脳裏に過るのは、妹だと言ったもう一羽のファイアローの姿。
 どきん、と胸が鳴った気がして、すばるは小さく苦笑する。
 やはり自分は、どこか彼女に魅せられているらしい。
 視線を膝上に落として、見上げる紫の瞳を見つける。
 そっと頭を撫でれば、エーフィの心が流れて来る。
 不安気に揺れる心を感じ取って、すばるはふっと柔らかに笑んだ。

「大丈夫だ、ふう」

 すっと彼女を持ち上げて、隣へ下ろす。

「さっきのは、練習じゃねーからさ」

《え》

「いくら、観た読んだっつっても、つばさ相手に言葉にできるわけないっつーの」

 次いで、すぴすぴと寝息をたてている二色の毛玉を。

「先に羞恥が来る。俺のメンタルはガラスハートなんの」

 優しい手つきで掬い上げて、そっとエーフィの傍らに下ろした。

「あれは、お前相手だから言えたんだ」

 真っ直ぐにエーフィを見やる桔梗色の瞳。
 すばるとつばさは幼馴染みだ。
 その言葉のままに、幼い頃から一緒だった。
 それはすばるとエーフィも同じだ。
 幼い頃からずっと一緒だった。
 彼女達を大切に思う気持ちも、違うだけで同じ気持ちなのだ。
 けれども、明らかに違うとすれば。
 それは、共に時を重ねた長さと。
 その深さだと、すばるは思うのだ。
 それが在ったから、彼女への気持ちを彼女だけのものとした。
 だから、目の前の彼女への気持ちを。
 飾らずに真っ直ぐ、素直に言葉というカタチに出来るのだと思う。
 これがつばさなのならば、羞恥が勝って素直に言葉に出来ない。
 素直に言葉に出来る類ならば、ここまでそのままでいなかったのだから。
 ふっと、静かにすばるは笑うと立ち上がった。
 遠くから再び声がしたのだ。
 早く、と急かすような声だった。

「俺、ちょいと行ってくんな」

《……え、あ、うん》

 くるりと彼女に背を向けて歩き出すすばる。
 その動きを、彼女は目だけで追う。
 そんな彼女の頬は、しっかりと熱を帯びて染まっていた。
 不意に彼がその足を止めて、肩越しに振り返った。
 くしゃりと笑えば、彼は今度こそ駆け出して、再び振り返ることはなかった。
 その背を見送った彼女。
 思わず前足を頬に添えて、その熱を感じた。
 自分の持つ特性、シンクロを通して先程の彼の心を感じた。
 というよりも、自分が干渉して感化させやすくした彼の身体を。
 その彼に逆に利用され、彼自身が自分へ心を流して来たのだ。
 その流れて来た心。そのあたたかさと気持ち――想いに触れて。
 頬を染めない存在はないだろうと思った。

《なかなか、さ。今のは響くよね、すばるん》

 ほおと惚けた顔で、暫くすばるの背を見つめたあと。

《ああいうの、りっくんにもカタチにして欲しいなあ》

 ぽつりと願望を言葉にしてしまいまって。
 たぶん彼は、そんなことはしてくれないとは思いつつも。
 その場面を想像してしまって、顔から湯気が出そうになった。
 そして、火照った顔を見られたくなくて。
 咄嗟に傍の毛玉に顔を埋めた。
 その騒ぎに目を覚ました白と茶の子イーブイ達が。

―――ママ、おねつ?

―――かおがあついよ?

 もしかして、風邪なのか。
 そう思って、あわあわと慌て出したのだけれども。
 そんな子イーブイ達を前足でしっかりと捕まえたエーフィは。
 それから暫く、顔を隠したままで動かなかった。
 その間子イーブイ達は、最初は戸惑ったのだけれども。
 互いの顔を見合わせたあと。
 よく分からないけれども、仕方ないな。
 と、されるがままになってあげることにしたのだった。
残り、あと3話。

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