不気味な山の頂上に辿り着いたミミロルとリオル。目の前に浮かぶ球体の"海"に感嘆のため息を漏らす。
光る川が山を駆け上がり、海に向かっていく。ふわふわと浮かぶ水滴を目で追う二匹の視界に、ひょっこりとムウマが顔をだした。
「おつかれさま! ココが山頂だヨ!」
「ムウマ! この水のかたまりは、何て言うの?」
「コレのことはわたしもよく知らないんだけど、ムウマージおばさんはコレを"入口"って呼んでた」
"入口"……それは別の世界はの入り口という意味である。
しかし後から振り返ったとき、この海がミミロルとリオルが体験する長い冒険の入口でもあった。
「入口ってことはこの向こうに誰かのおうちがあるの?」
「でもどうみても扉ではないでしょ」
リオルとミミロルは目を細め、首をかしげながら観察する。
「誰かのお家っていうのはたぶん正解。"やぶれたせかい"ってところに繋がってて、おばさんはそこにポケモンが棲んでるって言ってたカラ」
「行きたい!」
目を輝かせるリオル。しかしムウマはすぐに答えずに、眉をへこませて困ったような表情を浮かべた。
「わたしも行ってみたいんだけどネ。子どもがこの中にはいるのは危ないから、って禁止されてるんだ」
「いいじゃん。行こうよ」
「帰ってこれなくなるかもしれないヨ?」
"やぶれたせかい"とやらに興味が湧いていた二匹だが、ムウマの言葉を聞いて「うっ」と驚き尻込みする。
「それより、ミミロルたちはどうして山頂に来たの?」
「そうだった。もとの目的を忘れてた」
遠くの方まで見渡せそうな場所を目指して山を登ってきた二匹。
「そういうことなら、わたしについてきて」
そう言ってふわふわと旋回するムウマを目で追うと、謎の"海"から注目が逸れ、二匹は自分達がどれだけ高い場所に訪れたかを目の当たりにする。
「雲が……下にある!」
雲よりも高い場所には視界を遮る木も葉っぱもない。地平線いっぱいに届く広大な世界を一望できた。
「すっごい! 絶景だ~!」
二匹は自分たちが生きてきた世界が無限に拡大されていくのを感じ、圧倒される。そんななかで青空の中にある何かが二匹の目をひいた。
「見て……。あそこに何か浮いてる」
「ムウマ、あれはなに?」
「え? ほんとだ、なんだろう……」
空は一面を屈託のない青で染め上げており、見ているとまるで世界に青以外の色がなくなったかのような感覚になる。
そんな澄み渡る空にポツンと浮かぶ小さな黒い点。
黒い点の正体を探ろうと目を凝らす。どうやらムウマもその物体の正体を知らないらしい。それを聞いてリオルは思い立ったように笑った。
「それじゃあ、最初の目的地はあそこに決定!」
「私たち空飛べないけど?」
ミミロルが食いぎみに言う。彼女もリオルと同じことを考えたのだ。しかしミミロルとリオルだけでは、空にある何かを確かめることはできない。
こんなときハクリューがいてくれれば。とミミロルは喧嘩別れをしたハクリューのことを思い出してため息をつく。
「二匹は行き先を決めに来たノ?」
「うん。まぁそんな感じ」
「じゃあ良い場所があるヨ!」
目的に向けて出発しようとした時、ミミロルは頬に仄かな熱を感じる。山登りに時間がかかり、いつのまにか夕方になってしまっていた。
夕陽が世界を染め上げていく。その美しい光景に高鳴る鼓動を落ち着かせて、ミミロルたちは山頂で一晩を過ごすことにした。
夜が深くなり、風が冷えてきた頃。
木陰に横たわる三匹。一番最初に眠りについたのはミミロルだった。
ミミロルの場合は山登りだけじゃなく、同じ日のうちに親や仲の良かったハクリューとの言い争って決別したのだ。精神的にもかなりの疲労がたまっているだろう。
一方でリオルが眠りについたのは、ムウマを入れた三匹のなかで一番最後だった。というより二匹より先に眠るつもりがなかったのだ。
音をたてないように慎重に立ち上がる。体を起こした瞬間に肩がぶるぶるっと震えた。
夜の山頂はリオルが体感したことのない寒さだった。それに拍車をかけるように強い風が吹き込み、後頭部のフサをなびかせる。
リオルは本で読んだことがあった。『高い場所は風を遮るものがないため、低い場所よりも風が強いのだ』と。
しかし悪いことばかりではない。
空を見上げると、月明かりが何にも遮られずにリオルの立つ山頂を直接照らしている。そのためリオルの知っている夜よりも少し明るい夜だった。
そして山頂に浮いたまま鎮座する"海"。それは液体の体に月明かりを反射させることで、いかにも幻想的な雰囲気の空間を作り出していた。
リオルが夜更かしをしていた目的は他でもない。"やぶれたせかい"への入口と呼ばれる海。先ほどはムウマにおどかされてうろたえてしまったが、どうしてもその"海"への興味を抑えられなかったのだ。
ミミロルとムウマが寝てしまった今、彼を止めるものはいない。ゴクリと唾を飲み、恐る恐る海に近づく。
一歩、また一歩。注視しながら距離を縮めていく。
海をよく見ると透明な水でできているはずの球体だが、その中心はまるで底無し沼のような暗がりになっていた。
目を離さずに警戒していたリオルの意識はその暗闇に吸いつけられ、無意識のうちに海の深部へ向けて手を伸ばす。
次第に警戒心を失い、招かれるように足を進める。そしてあと少しで指先が水面に触れそうになった。
── その時だった。
海の中からなにかがリオルを睨みつけた。それは暗がりで光る大きな赤い眼。
「触っちゃ駄目なんじゃなかった?」
「ひっ! ごめんなさい!」
後ろからリオルを咎める声。体を飛び上がらせて声の方に振り向くが、そこには誰もいない。
「あれ……?」
「ココだよ。ココ」
再び声の呼ぶ方に目を向けると、自分の影のなかから小さな眼がこちらを見つめていた。海の中にいたものと似た色だったが、こちらは橙色っぽくて少し違う。
「影が、喋った……?」
影は「やれやれ」と言いながら、リオル本体とは全く違うシルエットに変形していく。
「うわああああああああああ」
「うるさいな」
変形した影のなかから一匹のポケモンが這い上がってくる。悲鳴のような声をあげるリオルだが、その実はじめて見るものに眼を輝かせている。
「スゴい。キミは何て言うポケモンなの? 初めて見る!」
「それよりももう少し声を小さく。静かにしないと起きてしまう」
そのポケモンはリオルと同じくらいのサイズの手で、木陰に眠るミミロルたちを指した。
「僕の存在は、ミミロルには知られたくない」
「え、どうして?」
「それも追って説明する」
体は全身が灰色で、端々が雲のようにゆらゆら揺れている。特徴的な橙色の眼は掴みどころのない淡白な印象を持つと同時に、炎に似た見た目からか暖かな熱を感じさせた。
彼はその眼でまっすぐリオルを見て、自己紹介をする。
「僕はマーシャドー。はじめまして」
「はじめまして、ボクはリオル! ところで ──」
自己紹介を終えたリオルは、謎多き彼── マーシャドー ──に聞きたいことが止まらず。彼に答える隙を与えず質問攻めにする。
「どうして影から出てきたのか」「いつから影のなかにいたのか」「ミミロルに知られたくない理由とは」「そもそも何者なのか」
マーシャドーはどこを見ているのかわからない眼で、リオルの口が止まるのを待っていた。
「はぁ、はぁ……。あのさ、ボクの話聞いてた?」
「うん」
「じゃあなんで黙ってるの?」
「君がずっと喋ってるから邪魔しない方がいいかと」
「あ、ごめんなさい……マーシャドーさんのペースで説明してください……」
「わかった。あと、敬語じゃなくて良いから」
マーシャドーは、まず自分が何者なのかから語り始めた。
開拓者として二人だけで旅に出ることを決意したミミロルとリオル。ミミロルのことを大切に思うハクリューは、それを止めようとするものの失敗して仲違いしてしまった。マーシャドーはそんなハクリューの代わりに、二匹を守る役をかって出たのだと言う。
「君らだけじゃ心配だから、僕が隠れて同行することにしたんだよ」
「そうなんだ。ありがとう」
てっきり「余計なお世話だ」と噛みつかれると思っていたマーシャドーは、素直に礼を言うリオルに拍子抜けする。
「ちょっと安心した。二匹だけだとちょっと不安だったから」
「それなら良かった。やはり頑固なのはミミロルの方か」
「うん。ミミロルが知ったら怒りそう。でも冒険したいのはボクも同じだから、無理矢理連れ帰ったりするのはやめてよ」
「……それはなんとも答えられないな」
リオルの体が微かにこわばる。
「ハクリューに頼まれたのは君らを守ることだ。君らを守れずにノコノコ帰ったのでは彼女に会わせる顔がない」
マーシャドーはそう言いながら、手にもったバッグから何かを取り出した。藍色の球体だ。
「これは“ふしぎだま”と言って、ハクリューが僕に持たせた道具だ。なんでもこの道具は知ってる場所を念じて使うことで、そこに飛ぶことができるらしい」
ハクリューは万が一の時にミミロルとリオルが逃げられるように、ふしぎだまをマーシャドーに持たせていたのだ。
玉は合計で三つ。どうやら一匹が移動するにつき一つずつ必要なようだ。
「君らに命の危険があると思えば、僕はこれを使って無理矢理にでも帰らせる」
「わ、わかった。でもそうじゃないときは邪魔しないでよ。これはボクたちの冒険なんだ!」
「あぁ。君らの邪魔をするつもりはない。だから普段はリオル、君の影に隠れて見ている。非常時のときはすぐに出れる」
「うん!」
マーシャドーはリオルに必要な報告だけしてからリオルの影のなかに戻っていった。最後にマーシャドーは、少し考えてからこう言った。
「あとこれはハクリューから僕と、君らへの伝言。『冒険、楽しんできて』だってさ」
「うん。わかった」
「あと海に触らず早く寝ろよ」
「えー!」
振り向くと、今も月の光を反射させて輝く丸い海。そこにはさっきのような引力や赤い眼は残っていなかった。リオルはつまらなそうにミミロルたちが眠っている木陰に戻る。
「おはよ」
ミミロルはめいっぱい伸びをして言う。両手を挙げて、普段は丸めている片耳もピンッと吊り上げている。リオルはあくびをしながらゆっくり立ち上がった。
今日はいよいよ新しい場所に向けて出発する朝だ。山の木々から採ったきのみをバッグに詰め込み、山を登ってくる水を飲む。
ミミロルたちはムウマの紹介で新しい目的地を決めていた。それは昨日の夕方にみた快晴のなかで、一ヶ所だけ白い雲がかかっていた場所だ。
なんでもそこは一年中雨が止むことなく降り続いている不思議な場所らしい
ミミロルとリオルは山をくだり、目印になる遠くの雲を確認する。そして未知なる何かを求めて歩を進めた。
ミミロルとリオルが目指す雲は、その下にある林に弱い雨を降らせる。地面は、止むことのない雨により水没していた。
そんな雨林に訪れたポケモンは、皆その儚くも美しい光景に圧倒されると言う……。
水浸しになった林で、ポケモンたちは木々の枝の上を飛び回るように生活していた。
「おぉい、おやっさーん!」
「おう、どうしたヤナッキー?」
「おやっさん。雨林に変なポケモンが入ってきやがったぜ!」
「変なポケモン? 俺の周りにゃ元々変なポケモンしかいねえだろぉよ」
"おやっさん"。そう呼ばれるポケモンは、水浸しの地面に横たわって腹を引っ掻きながらあくびをしている。そんなポケモンの名は、"ケッキング"。
「それがよ、おやっさん。これまた一段と変なやつなんだよ! なあ、おやっさんもそう思うだろ?」
「おいおい、ソイツがどんなやつか言わねえとわかんねぇだろう。今んとこお前が一番変なやつだぞ」
今ケッキングに報告をしているもう一匹のポケモンは、"ヤナッキー"だ。
「あー! そうだった! そいつが勝手に縄張りに入ってくるもんだから、俺が『お前は何者なんだ』って聞いたら、そいつはこう答えたんだ!」
『名乗る必要はありません! なぜならワタシは、生粋のエンターテイナーだから!』
「ってよ。な、おかしなやつだろ!?」
「ガハハハ。ソイツはたしかにおかしなやつだな! で、ソイツをどうしたんだ?」
「おもしれえ奴だったから入れた!」
「ガハハハハハハハ! 面白え奴だから縄張りのなかに入れただって?」
「はい! ウキキキキ」
「何してやがるヤナッキーてめえ!」
「ウキキ!?」
美しき静寂の雨林に訪れたポケモンたちは、皆その儚くも美しい光景に圧倒される。
しかしそれと同時に、そこがケッキング率いる下品なポケモンたちの縄張りになっていることを知って、落胆するだろう。
「ちょっとは警戒しろ! 馬鹿かてめえは!」
「いえ、おれァ馬でも鹿でもなく猿ですぜ。ウキキッ」
「ガハハッ。だまってろ!」
「す、すいやせん!」
しかし外から訪れるポケモンたちは知らない。
そうして忌み嫌われている彼らが雨林を占拠している目的が、雨林の奥地に存在する"あるポケモン"を守るためだと言うことを……。