10.民家防衛戦

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「ま、まて……!」
切羽詰まった声に足を止めて振り向くと、少し離れた位置でシルバーが腰をかがめて立ち止まっていた。鬱陶しそうにゴーグルを掴んで首元まで下ろし、膝に手をあて俯き、肩は上下に大きく動き、ぜえぜえと荒い息を吐いている。その周りでは彼のポケモンたちがうろうろと動き回り、様子を窺っているようだ。
「ごめん、走るの速かった?」
「違う……そんなことは……」
「いや疲れてんのバレバレだって」
フードも取りなよ、暑そうだし。そう気遣ってやるとさらに深くフードを被る。なんだよ、反抗期めんどくさいな。昔の自分のことを棚に上げつつあたしは視線を遠くへと投げた。追手はもう見当たらない、この辺で少し休憩しても問題はないだろう。すぐそばにあった民家の塀を背もたれ代わりにすれば、みんなそれに倣って各々気を緩め始めた。
――地下通路からの脱出は無事に成功して終わった。アカネちゃんや局長さんと別れた後すぐさま現れた黒ずくめ集団に対して、あたしたちはその言葉通りの強行突破を実施した。まず出合い頭にヘルガーが炎を吐いて無理やり道を開けさせ、それでも向かってくる奴らはクロバットが各個撃破していく。たまにトレーナーを直接狙ってくる輩がいればあたし直々にぶちのめして、ただひたすら地上へと走る。入って来た時とは真逆の状況に、あたしは間違いなく興奮していた。
だから、そんなあたしの後ろにいたシルバーにはかなり無理をさせてしまったのだ。テンション高く駆けるあたしのスピードはなかなかのものだっただろうし、彼の後ろからはあたしたちの攻撃から何とか復活できた連中が追ってきていたはずだ。その相手をしていたのはシルバーのポケモンで、彼らもうちのポケモンに負けず劣らずの大活躍だったのだろう。……その活躍を直接この目で見たわけではないから、推測でしかない。それでも背後から襲われるということがなかったのは、彼のポケモンたちのおかげということでいいはずだ。
――ああ、そうだった。まだ彼らにちゃんと挨拶をしていない。
「こっちおいでー、ゴースト!」
呼びかけると、シルバーの周りにいたポケモンのうちの1匹がこちらに近寄ってくる。相変わらず目つきの悪い、けれどにやにやと笑っているようなその顔。
「見ないうちにお前も進化したんだなー! 久しぶり、ゴースト!」
そう言ってゴーストの頭を撫で……ようとして、思い留まる。だからこいつ毒ガスなんだって、素手で触ろうとするな。……いや、ゴースの時より実体があるような見た目をしているし、一応手だってあるし。実は大丈夫だったりしないか?
腕を伸ばしたり引っ込めたりしているのを、ゴーストがケタケタと笑う。挙動不審なあたしをからかっているようだ。そしてあたしの顔の周りをぐるりと一周、さらにもう一周。そのまま回り続けていたゴーストは唐突に赤い光に包まれた。その光が吸い込まれた先にいるシルバーはすっかり調子を取り戻した様子でこちらを見ている。……見るからに嫌そうな顔をしている、前にもこんなことがあった。
「お前もさっさと戻せよ」
「はいはーい」
言われた通り、クロバットとヘルガーのボールを手に取る。あたしの両隣に控えていた2匹が赤い光に包まれ消えるのを見ながら、ふと思い出す。ああ、そういえば……。
「新しい子に挨拶できなかったな、確か……」
ニューラ、だっけ? そうシルバーに問いかけてみれば、そっぽを向いていた目線がこちらと合う。
「どこで捕まえた子? 氷の抜け道?」
チョウジタウンのポケモンセンターにポスターが貼ってあったはずだ。黒い四肢に赤のアクセント、そして長く鋭く発達したカギヅメ。『獰猛でずる賢く、集団で襲ってくる場合がある』――確か、そんな注意書きだった。幸いあたしたちが氷の抜け道を通った際に出会うことはなかったものの、運が悪いと手も足も出ずコテンパンにされてしまうらしい。氷の抜け道を通る必要のあるトレーナーならもし遭遇したとしても十分に対処できそうなものだけれど、念には念を、ということだろう。
とにかく、そんな強そうなポケモンを新たな仲間としていたシルバーに、純粋な好奇心からそう質問を投げかけた。ただそれだけだったのに、なぜかシルバーの反応はぎこちない。少しの逡巡の後わざとらしく首を動かし目を逸らしてしまった。その瞳は揺れ、彼の動揺がそこから読み取れる。どうしてだろう、ニューラをどこで捕まえたのか聞かれただけでそんな風にするなんて……。
――いや、まさか。そんなまさかな。まさかまさか。
「まさか、また盗んできた? なーんて……」
わざと冗談めかしたはずなのに、シルバーはわざとらしく見えるほどに肩を揺らす。そしてさらに揺れのひどくなった瞳を見て、疑惑は確信に変わった。――黒だ、黒だこれ! 間違いなくやってるぞこいつ!!
はは、と乾いた笑みがこぼれる。ワニノコの時とは違って野生のポケモンを捕まえるだけの力はあるはずなのに、再犯だなんて。やっぱりこいつだけ地下通路に置いて行って警察にしょっ引かせるのがよかったかな! この野郎!!
頭の中だけで喚いていると、シルバーからちらちらと視線だけ投げかけられているのに気付いた。口を噤んだままなのが気になるらしい。そんなに気になるなら何か適当な嘘でもついておけばよかったのに、相変わらず誤魔化すのが下手なやつだ。
――で、何を話そう。良識のある人生の先輩としてなら、言うべきことはいくつもある。盗んだポケモンは元のトレーナーに返せ、泥棒なんてしてないでまともなトレーナー人生を歩め、それから……そんな説教じみた言葉。けれど、言えない。今まで何度も見逃してしまっている手前、あたしが今更何か言うというのはおかしな話だ。そもそもあたしは良識のある人間とは言えないだろう。良識のある人間は、いくら相手が悪い奴だからって生身の人間を容赦なくぶっ飛ばしたりはしない。
「……まあいっか。で、シルバーはまだロケット団ぶっ潰す気?」
大きく溜息を吐いてから切り出すと、向こうもわかりやすく安堵の息を吐く。ほんとわかりやすい奴め。悪事に手を染めるならまずそこんところどうにかした方がいいと思うぞ!
「もちろんだ。弱いくせに集団で暴れやがってムカつくからな」
「ふーん、じゃあやっぱラジオ塔だよなー」
体重を預けていた塀とはお別れをして、遠くに見えるあの奇抜な建物へと視線を投げる。さすがにここからではその中の様子までは窺えない、あの中で戦っていたヒビキは今どの辺りだろう。増援に苦戦していたりは……しないだろうけれど。まだドンパチやっているであろう建物内を想像する。
比べてここは随分と静かだ。少し視線を下ろせばごちゃごちゃと民家がひしめき合っている、見た通りの住宅街だった。町全体がこんなことになっているし、みんな自宅に引きこもっているのだろうか。耳をすませばどこからか微かに話し声のようなものが聞こえてくる。ひとつひとつの民家を眺めていると、その中に見覚えのあるものがあった気がして。
「――ああ!」
「な、なんだよ」
ポン、と突然手を打ったあたしに驚いたようにシルバーは肩をビクつかせ、怪訝な目を向けて来る。とりあえずあたしは先程見つけた民家を指差した。シャワーズがイーブイから進化した、あの家。イーブイ好きの少女の暮らすあの民家。
「あそこ、知り合いの家なんだよ。いやー、今の今まで気づかなかった!」
ごそごそとシャワーズのモンスターボールを取り出しながらその家まで歩こうとすると、後ろから焦ったような声が投げられた。
「おい! お前、その格好で行くのか!?」
「大丈夫、外からちょっと眺めて来るだけだから! じゃ!」
あたしを止めようと手を伸ばしたシルバーに軽く手を振り、今度こそ歩き始めた。さすがにこの格好で直接会おうとは思わない、ただ偶然とはいえここに来たならば安全確認くらいはしておきたい。外からでも中にいる人やポケモンの気配程度ならわかるだろう。

―――――…………

まず玄関を見ると、なんとドアが開いていた。鍵が開いているなんていうレベルではない、本当に文字通りドアが開いている。それもうっかり閉じ忘れたというわけでもなく、完全に全開だ。
「ええ……?」
思わず困惑が声になってしまったけれどこれは仕方がないと思う。まさか今コガネシティで起こっていることを知らないはずはないし、そんなときにこんな不用心な真似をしているのかこの家は。とにかくここはちゃんと閉じておこう、呆れながらドアノブを手に取った。
――すると、家の中から聞こえる音があった。何か大きなものが倒れるような音。複数の声。そしてそれらの音をかき消す、何かが争い暴れているような……。
閉じかけていたドアを豪快に開き、勢いのまま中に入ると、物音がさらにクリアに聞こえてくる。奥へと続く廊下には黒い足跡がいくつもあって、あたしはそれを追った。律儀にロングブーツを脱いでいる暇はない、あれ脱ぐの大変なんだよ。これまた開け放たれたままのドアを土足のまま通り過ぎれば、そこは今まさに乱闘の最中だった。
丁度手に持っていたモンスターボールのボタンを押し、出てきた彼に早速指示を飛ばす。
「シャワーズ! ハイドロポンプ!」
唐突に外に出されて戸惑うこともなく、シャワーズは目の前のポケモンたちの横っ面へ向けて放水を開始する。想定外の方向からの攻撃に、奴らはまとめて吹っ飛ばされて壁にその身を打ち付けていた。一撃必殺とはいかなくても、床に身を投げ出したポケモンは全員そこそこのダメージを受けているようだ。体勢を立て直すのに時間がかかっているうちに、あたしとシャワーズは部屋の奥へと潜り込み、奴らと正面から向き合った。
「よし……」
「えっ、誰!?」
奇襲が成功したことに一息つくと、背後から女の子の声が聞こえる。ちらりと目を向けるとそこにいるのは、疲弊している様子のポケモンたちを連れた2人の女の子。後ろには怯えたように固まっているイーブイたちと、その中心で腰を抜かしたように床にへたり込んでいる若い男もいた。
女の子のうちひとりは想像していた通りの人物、ミサキちゃん。そして、もうひとりの女の子もあたしの知る人物だった。
「コっ……!?」
コトネ!? どうしてこんなところに!! あの特徴的な白い帽子の下と目が合って、その名前を呼ぼうとして、何とか喉元まで押し込めた。ここで名前呼んで、あいつらにこの子らの個人情報を渡してどうする。
コトネの視線から逃げて、代わりに丁度真正面にいた女下っ端を睨んだ。濃い口紅の塗られたその口から、怒声が飛び出す。
「何なのあんた! どの幹部の指示!?」
「……は? 幹部?」
「おいやめろ、余計な口利くな!」
反射的に返事をすると、あたしに食って掛かる女はまた別の男に肩を掴まれていた。あとに続けようとしていた言葉を一旦飲み込んだ女は誤魔化すように、咳払いをひとつ。
「と、とにかく! あたしたちはあの男に用があるの! ただの下っ端のあんたには関係ないんだからさっさとそこを退きなさい!」
彼女のポケモンであるらしいクサイハナが、あたしとシャワーズを牽制するようににじり寄ってくる。花の部分をこちらに向け、指示さえ出てしまえばそこから何か技を放つ気なのだろう。その背後に控える奴らも臨戦態勢だ。
ざっと見て人間は6人、ポケモンも6匹。そこそこ腕の立つ相手であるらしく、進化しているポケモンがほとんどだ。
「もう誰でもええから助けてえな! 何でか知らんけど、わいこいつらに誘拐されそうになってん!!」
後ろから男の情けない声が聞こえる。そうか、この戦いはこの男を巡るものだったのか。ひとり納得していると、後ろからぞろぞろとポケモンたちがやってきてシャワーズの隣に並び始める。あたしがここに来る前に既に消耗しているはずの彼らは、まだ戦う気だ。
――さて、どう戦うか。一触即発のこの空気の中、あたしは背後に問いかける。
「……警察は呼んでますか」
一瞬の静寂。誰に問いかけられたものか考えていたのだろうか、遅れて男の声が投げられた。
「よ、呼んどるけど……」
「警察!? いつの間に!!」
口を挟んできた焦った声には耳を貸さず、続けて問いかける。
「あとどのくらいで来ますか」
「それはわからん、なんせこの状況やからな!」
何となく予想していた通りの答えに、内心溜息を吐く。コガネ中が大混乱の中、ただの民家であるここを優先してくれるはずがない。
どうやってこの場を切り抜けよう。奴らを捕まえておくのか、追い出してしまうのか。……この部屋からの出口を押さえてしまうのか、奴らを出口まで追いやるのか。作戦を練るために、あたしが入ってきた扉の方向、この部屋からの唯一の出口であろう場所を見やる。
――あいつだ、あいつがいる。開け放たれたままのドアの枠に手を掛け、少し身をかがめながらこちらを見て、目を丸くさせている。……フードの下から、あの赤い目が見えている。
「――ゴーグル!! ゴーグル付けて!!」
思わず叫んでしまっていた。こんな大声を上げてしまっては、奴らにも気付かれてしまうのに。すぐにそんな後悔が浮かぶ、それでも一直線にシルバーの元へと走った。あの野郎、待っとけって言ったのに!
真っ直ぐ向かってくるあたしを見て何を思ったのか、シルバーが後退る。おいこら、逃げてんじゃねえよ。それよりさっさと顔隠せ。無理やりにでもゴーグルを付けるため、とりあえずシルバーの胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「マタドガス、煙幕だ!!」
突如耳に飛び込んできた声に振り返ると、そこはもう既に黒煙の中だった。部屋全体が黒に塗りつぶされ、ドアの近くのあたしたちまでもが黒に飲み込まれる。
「お兄ちゃん!!」
ミサキちゃんの悲鳴、そして煙幕の中で大勢が動く気配。あたしがシルバーに気を取られたせいだ、この隙に男を連れ去ろうとしている!
「シャワーズ、スピードスター!!」
黒煙の中にいるはずのシャワーズに指示を飛ばす。煙の中で数多の星が微かに煌めき、続けてポケモンたちの呻き声が聞こえる。さすがスピードスター、百発百中だ。
ふと、シルバーの胸ぐらを掴んだままの手が叩かれる。黒煙の中何とかシルバーと目が合い、抗議の視線を向けられているとわかった。この視界の悪さならゴーグルがなくても顔は良く見えないな、そう思い素直に手を放した。――その瞬間、あたしは横から体を突き飛ばされた。
「ぐっ……!?」
肩を肩で押されたような、すれ違いざまにぶつかってしまったような。そんな不意打ちにあたしは数歩よろめき、手を伸ばした先にあった壁の力を借りて何とか踏み止まった。
「おい! どうした!?」
呼びかけの後、こちらに近付いてくる気配。大丈夫、そう言おうとして別の気配に気が付いた。いや、気配というより、足音。今まさにあたしの横を走って通り過ぎ、すぐに消えてしまった。
いつの間にか煙幕も薄れ、目の前の赤い瞳としっかりと目が合う。とても静かだ、振り向いて部屋を見回した。倒れた家具やら汚れやらでぐちゃぐちゃのそこにいるのは、男と、彼を囲む2人の少女とたくさんのポケモン。……そのほかには、誰の姿もなかった。

―――――…………

「あの……シルバーくん、だよね?」
誰が開けたのか、窓から冷たい風が流れ込んでくる。煙幕が晴れたのはこのおかげだろう。そうして視界を塞ぐものがなくなり、さらに男を誘拐しようとしていたロケット団が消えたことで、彼女はようやくはっきりとシルバーの顔を見ることができたというわけだ。コトネが、おずおずと問いかけて来る。
結局シルバーはゴーグルを付けないまま、この混乱の中でフードすら外れてしまっていた。彼の特徴的な赤を隠すものは何もない。ちらりとシルバーの顔を窺えば、わかりやすく目を逸らそうとしている。
「それで、そっちはリンさん?」
「――あたしィ!?」
急に矛先がこちらへ向いた。これからシルバーがどうやって取り繕うのかにやにやしながら見てみようと思っていたのに、急な流れ弾に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ほら、その声! リンさんでしょ!」
ビシッとあたしを指差し、勝ち誇ったような笑みを浮かべるコトネ。……あれっ、今の奇声で確信持たれた? えっ? コトネの中であたしってそういうキャラ?
「えっ!? リンさん!?」
ミサキちゃんからも素っ頓狂な声が上がる。――ああもういいや! バレちまったのは仕方ねえ!!
「そうですよ! リンさんですよ!! 悪いか!!」
勢いに任せて黒いハンチング帽を勢いよく剥ぎ取ってしまい、アカネちゃんにやって見せたように自分の顔をよく見せる。元々正体がばれていたとはいえ、実際にこの黒ずくめの格好からあたしの顔が出て来ると衝撃的に映るらしい。コトネもミサキちゃんも、あたしと目が合って瞬きを繰り返している。
「最初に言っとくけど、この格好はロケット団の目を騙すため! あたしはロケット団じゃない! ついでにシルバーもロケット団じゃないから!!」
後で色々説明するのも面倒だ、さっさと要点だけ言ってしまう。どうせこれ以上の詳細は話す気がないのだ。一気に言い終えたあたしにみんなが気圧されているうちに、あたしはあたしで聞きたいことを聞こう。
「あとコトネ!」
「はい!」
「何でコトネはここにいるの!?」
唐突に呼ばれて反射的に返事をしたコトネは、一瞬考え込んだ。
「えっ……あたしは、元々ミサキちゃんとは友達で、今日は遊びに来てただけなの」
「そう。それで、その途中にラジオがおかしくなって、外を出歩くのも怖いから一緒にうちにいたら、こんなことになって……」
コトネの言葉に、ミサキちゃんが続く。いつの間にかその手にはいくつかの傷薬が抱えられている。するとポケモンたちがミサキちゃんの前に並び始めた。しゃがみ込んだミサキちゃんは余分な傷薬を床に置き、まずはブラッキーの手当に入る。コトネも床の傷薬を拾い、自分のポケモンの手当を始めるようだ。
「そっか。……ってコトネ、ポケモン増えてない?」
手伝おうとあたしもその傷薬をひとつ手に取り、手当てするポケモンを探してようやく気が付いた。イーブイやその進化形たちは元々ミサキちゃんの家にいたポケモンだとわかるけれど、それ以外のポケモンとあたしの記憶の中のコトネの手持ちの数が合わない。それどころか、記憶の中にある姿と一致するポケモンは誰もいなかった。
初めて会った時から一緒にいたマリルはマリルリに進化しているし、エンジュで会った時に顔を合わせたメリープも同様にモココに進化していた。そのほか、見慣れないポケモンが2匹。……この2匹も、コトネのポケモン?
「そいつ、ジム巡りの旅始めたらしいぞ」
しゃがんだあたしの上、手伝うつもりはないらしいシルバーがそう投げかける。
「えっ!? そうなの!?」
「ちょっと!! それは内緒だって言ったでしょ!?」
驚くあたしに、急に取り乱して立ち上がるコトネ。それにつられてコトネの手当てを受けていた緑色のポケモンがこちらを振り向く。四足歩行、頭と首のまわりに葉っぱが付いているそいつは、一体何というポケモンだったっけ。草タイプ、だよな?
「内緒なのはあいつだけだっただろ」
「そっ、それはそうだけど!」
少し顔を赤くしたコトネは、しばらくそっぽを向いた後またしゃがみ込んで手当を再開させる。今手当を受けているあのポケモンは、きっと旅を始めてから捕まえたポケモンなのだろう。
そういえば前に会った時、コトネは悩んでいた。ヒビキがバトルの時に見せる表情に、ヒビキに追いつけない自分に。その悩みは今どうなっているだろうか。少しは光が見えているといい。
「……それよりシルバーくん、あなたは何でここに? リンさんと一緒だったみたいだけど」
明らかに自分の動揺を誤魔化すための話題逸らし、リンさんにはわかってるぞ。あたしに旅をしてることがばれることで、ヒビキにもばれやしないかとひやひやしてるんだろ。だってなあ、ヒビキのことで悩んでたもんなあ。旅してる理由なんて一目瞭然だよ!
少しだけ頬を染めたコトネを何となく見ていると、上から聞こえるはずの声がいつまで経っても聞こえてこない。顔を上げると、腕を組んで口を噤んだままのシルバー。……こいつ、なんで自分で話す気ゼロなんだ、仕方ないな。とりあえず目の前に来てくれたイーブイの手当を終えたところで、あたしが代わりに説明してやることにする。
「コトネ、今回のこいつは味方だと思っていいよ。詳細は省くけどさっき一緒に人助けしてきたとこだし」
……あれ? 説明とは? 今にもツッコミが飛んできそうだ。説明なのに詳細を省くってどういうことだ、みたいな。ただその詳細を全部説明するとなると時間かかるからなー、そう言い訳して次に手当てするポケモンを探すと、遠くでじっとこちらを見ているポケモンに気付く。緑色の、小さな鳥ポケモン。ネイティ……だっけ、あの子。ちょいちょいと手招きしてみても、そのままそこを動かない。こっちおいで、と直接呼びかけてみると、なぜかあたしを無視してマリルリの手当をしているコトネの方に走って行ってしまった。……なんだこれ、初対面からいきなり嫌われてる?
ネイティのことは諦めて他に手当てするべきポケモンを探すも、テキパキと動くミサキちゃんのおかげでもうあたしの出番はなさそうだった。あたしのところにやってくるのは無傷であるうちのシャワーズと、男。先程ようやく調子を取り戻したらしい、今の今まで腰を抜かしていたのだ。
「……い、いやー、とにかく助かったわ! ほんまおおきに……リン、はん?」
そう言いながら、ぎこちなく片手を差し出してくる。あたしは立ち上がり、その手を取って握手をした。
「えーっと、ミサキちゃんのお兄さん、ですよね?」
どことなくミサキちゃんに似た顔立ちの、茶髪の男性。筋肉のあまりついていないひょろっとした体格で、ケンカは弱そうだな、というのが第一印象だ。
「せや。君は……ミサキのお友達?」
「そうですね、近くまで来たんで心配になって様子見に来たところだったんです……ってそういえば、今ここにいるのってこれだけですか? 前に来たときはお母さんもいたと思うんですけど」
「ああ、おかんもおとんも無事やで。ここにはおらんけど、どっちとも連絡は取れとる」
「そうですか、なら安心です」
穏やかに話は進む。話すうちに心も落ち着いてきたのか、男の声や表情がどんどん柔らかくなっていく。元々明るい人なのだろう、妹にはないコガネ訛りも相まってそう感じられた。
「――で、話を戻しますけど」
ただ、今はのんびりと談笑するときではない。意識して緩んだ表情を引き締め、同じく僅かに表情を硬くした男に問う。
「ロケット団に狙われる理由、なんか心当たりあります?」
男は瞬きを繰り返した後、口元に手を当て考え込む。
「んんー、別に表立ってロケット団に楯突いたわけではないしなあ……ただ」
「ただ?」
「装置の改造にわいの力がいる、みたいなことは言いよったな」
「装置? 改造……?」
なんだか聞き覚えのある単語だな、と記憶をたどろうとしたその時。どこからか甲高い電子音が鳴った。ピピピピ、ピピピピ。それはタイマーか目覚まし時計か、いやこれはきっと。
電子音に辺りをきょろきょろと見回した男が部屋の隅まで走り、落ちていた機械を手に取る。あれは、そう、ポケギアだ。いつか見たヒビキのものは確か腕時計のような形だったはずだけれど、男はそれを携帯電話のように扱う。片手で持ち、耳に当て、誰かと話している。はい、はい、と短く返事をし、通話が終わると男はパッと顔を明るくさせた。
「警察や! もうすぐ来る言うとる!」
「――ああああ!! 警察!!」
忘れてた!! 一番忘れてちゃいけないこと忘れてた!!
慌てて辺りを見回し、床に置いてあったハンチング帽を拾い上げ、深く被る。そしてあたしの横に控えているシャワーズをボールの中に戻し、シルバーを見た。彼もあたしに倣い、ゴーグルとフードで顔を隠している。
「ど、どうしたの? そんなに慌てて……」
「そうよ、やっと警察が来てくれるっていうのに」
そのまま玄関まで走ろうとして、ミサキちゃんに呼び止められる。その後ろからコトネもやってきて、悪意のない足止めにどうしてもイラついてしまう。
「だからダメなんだって! 考えてみろよ、ロケット団の格好した女と前科持ちのガキ! どう考えてもまず捕まるのはあたしらだよ!!」
「……そうよ、こいつ泥棒じゃない!!」
なんだよコトネ、今の今まで忘れてたのか! そうツッコミを入れようとすると、ピンポーン、この場にそぐわない間抜けな音が響いた。チャイムだ、チャイムが鳴った。ということはつまり、もう来てしまった!?
どこか逃げ道がないかとすがる思いで開かれた窓を見る。腰の高さからおよそ1メートル程度の大きさ、人ひとり程度なら少し時間を掛ければ簡単に潜り抜けられる。
散らかった部屋の中は、異様なほどの緊張感が漂っていた。だからこそ聞こえる、ゆっくりと玄関の扉が開く音。ロケット団の奴ら、出て行くときにご丁寧にドアを閉めて行ったらしい。廊下越しに玄関と向かい合っていたあたしは素早く部屋の扉を閉じ、後ろのシルバーの腕を引っ掴んで、窓の近くまで走る。扉を閉じる前にちらりと見えた、見覚えのある制服。間違いない、あれは警察だった。
「シルバー、窓から出て! で、あたしのことはほっといてさっさと逃げて!」
小声でそう告げると、シルバーは目を見開く。その口から何か言葉を出そうとしているのを見て、彼があたしの言動の真意に気付いていることを察する。
警察はもうすぐそこだ。脱出口はある、少し時間を掛ければ確実に外に出ることができる。時間だけが足りない。だから、あたしが時間を作るのだ。
あたしとシルバーが警察と対峙して、真っ先に捕まるのは間違いなくあたしだ。ロケット団に攫われそうになった人の家にいる、ロケット団の格好をした謎の人物。これを捕まえなかったら職務怠慢だ。あたしに警察の注意が向いている間にシルバーを脱出させることができれば、とりあえず彼だけは助かる。
そう思っているのに、シルバーは頑なに動こうとしない。なんでだよ、お前さっさと逃げろよ。せっかくあたしが囮になってやろうっていうのに。
「シルバー、早く! 早く行けって!!」
だからあたしの気が変わらないうちに、早く行けよ。……それでもシルバーは動かない。ゴーグル越しの赤い目が、あたしを睨みつけている。
くそっ、何でコイツ動かないんだよ! 焦って周りを見回す。コトネが、ミサキちゃんが、その兄が、ポケモンたちが。あたしたちを心配そうに見ている。彼らはあたしたちを逃がそうとしているらしい。だから、その厚意にありがたく甘えて、お前はさっさと逃げるんだよ……!
ついに、この部屋のドアノブが回る音がする。駄目だ、入ってくる。もうこうなったら無理やりにでも、そう思いシルバーの身体を担ぎ上げようとした。
その瞬間。
「えっ……」
目の前の空間がぐにゃりと曲がり、ねじれ、そして……消えた。

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