9話ー2 なくした過去に、今日も泣く。

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

センが戦争に行ってから二週間がたった日曜日。

「カイト―!カイト―!ちょっといいかしらー?」
「なにー?」
キッチンで料理をしているフィンに呼ばれてダッシュでフィンのもとに向かう。

「お願いがあるの。ジャガイモとチーズと色々買ってきてほしいの。今火を使ってるから手が離せないのよ。」
「えーっ?!おつかいー?!いやだー!!ここからスーパーまで遠いもんー!めんどくさいー!」
カイトの家は山の中腹にあるので町へ行くには山を下らなければならない。往復で30分か40分かかるだろう。
「今日はカレーよ!」
「行ってきまーす!」
「ちょっ‥‥‥ちょっちょっと待って! お金―! 渡すからちょっと待ってー!」
よほどカレーが好きなのか、は手ぶらで家から飛び出そうとするカイトをフィンはええええ?!みたいな顔で焦って焦って呼び止める。
フィンがカイトに手渡したのは2900P(日本円換算で約12760円)。ちょっとのおつかいには高すぎる。そしてフィンはカイトをぎゅっと抱きしめて「いってらっしゃい。私のかわいい子♪」と呟いた。

ねぇ、お母さん。


どうして泣いているの?




カイトは早くカレーが食べたいのだろうか、おつかいを速攻で終わらせるべく全速力で山を駆け降りる。「頼まれた分買ってあとは何買おうかな~」
カイトはよくおつかいを頼まれることがある。おつかいで余ったお金はカイトの自由にしてよいルールがある。そのお金でいつもお菓子買ったり貯金したりする楽しみがあるのでおつかいが嫌いなわけではない。むしろ好きな方だ。今日も甘いお菓子を買って家に帰る。

いつものように…
しかし






帰った時には


ボゴォォォォォォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォぉォオオオオオオおおおおおおぉォぉォぉォおぉォぉォぉォぉォおおおおおぉォぉォぉォぉォぉおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!



忘れることはできない。この激しい音を。
この狂ったような色。




家が火事になっていた‥‥‥!

火はごうごうと天井を突き抜けて8mほどの大きさになって竜巻が起こっているかのように火が踊っている。真っ赤な衣装を着た火がフラメンコを踊っているような光景だった。この日は風が強く、踊りに踊って、暴れ狂った火の粉が真っ赤な色でカイトの家を焼いていた。

既に数十匹の水タイプポケモンの消防隊員が必死に消火活動を行っているところだった。数匹のポケモンが“あわ”を大量に家や付近の木の周りに放ち、森林に飛び火して山火事にならないようにガードを作っておく。残りのポケモンが交代しながら“みずてっぽう”や“ハイドロポンプ”で消火活動を行っている。
「いそげっ!このままじゃ燃え広がって山火事になるぞ!」
ラグラージが焦りの汗をかきながら大声を出して消火活動を行っている。
「隊長そんなのわかってますっ! でもこの火なかなか消えないんです! くそっ!どうして!」


こんなこと初めてだ。もう1時間近く経っているのに火は一向に消えようとしない。むしろ火の勢いが強くなっているように思えた。
ラグラージは思った。
なぜ?! 水で消えない火なんてあるのか?! まるで火が生きているかのようだ。このままじゃまずい。このままじゃ団員の体力が持たない…!
いくら水タイプとはいえ水を放出する体力が無限にあるわけではない。数10匹の水タイプのポケモンが2班に分かれて交代で消火活動をしたとしても1時間“みずてっぽう”や“ハイドロポンプ”を出し続けるけとはできない。すでに消防隊員の体力は限界に近かった。
消防団長のラグラージは爪を噛んで考える。そしてトランシーバー(通信電話機)を口に近づけて
「本部! 申します! こちら火災現場! 火が強すぎる! 18匹じゃ足りない! もっと応援をくれ! このままじゃ持たない! 大至急だ! 頼む!」
かすれたノイズ音が邪魔になる無線機に消防本部から「わかった!あと8匹応援を要請した!」と連絡が来るが「しかしそちらに到着するまであと20分かかる。それまで耐えろ!」と無茶な要望が来やがる。「20分じゃ間に会わない! もっと早くしてくれ頼む!」
くそっ。
ラグラージは持っているクソッたれな通信機械を地面に叩きつけた。


カイトはそんな光景を目の当たりにした。しかし
カイトは家が火事になっていることなど眼中になかった!
なぜなら

「お母さん!!!!!」
「!? ボウヤ! 危ないから下がってろッ!!」
家が燃えていることなんてどうでもいい。家にいたお母さんはどこに行ったの。カイトはそれしか頭になかった。
「お母さん!!ねぇ!お母さん!!」
燃え盛っているフラメンコに突っ込もうとするカイトをラグラージは必死に止めるもカイトはもがき暴れる。
「ねぇ!? お母さんはどこなの?! お母さんは?! お母さんは大丈夫なの?!」
「!‥‥‥まさか…あの家に…お母さんがいるかもしれないってのか?!」
カイトは3回も4回も首を縦に大きく振る。
‥‥‥まさか…あまり考えたくないが…。

すぅぅぅぅ。
ラグラージは大きく息を吸って
「お前のお母さんは大丈夫だ。安心しろ。安全なところにいるはずだ。今は火が完全に消えるのを待て。オジサン達に任せろ。完全に火を消し去ってやる。」
カイトは唾をごくんと飲んでうなずく。

コイツ、手が震えている。親が火事で死んだかもしれないという恐怖。すごい怖がっている。だからこの子を落ち着かせるためにはこう言うしかなかった。無事かなんてわからない! 消せるかなんてわからない! こう言うしかなかった! 俺たちが現場に駆け付けた時からすでに火は燃え盛っていた。その時周りには誰もいなかったし誰かがいた形跡もなかった。大丈夫だ。それよりこの火を消さなければ。クソッ。さっきと状況が全く変わっていない。
「全員消火活動やめっ! “バブルこうせん”、“あわ”を家の周りに吹け! 周りの被害を…」
「何言ってるんㇲか! 火を消そうとしないなんて諦めてるのと同じっス!」
一匹のオスのシャワーズが言う。
「もうすぐで応援が来る。それまで無駄な力は最小限に抑えるんだ。」
みずてっぽうやハイドロポンプ、カノンは水の消費量が激しい為かなりの体力を使う。1時間もの間、水の消費が激しい消火活動を行っている消防隊員達の体力はとうに限界を超えている。これ以上無理して放水してると脱水症状になりかねない。命を救う側が命の危機にさらされてはならない。“ハイドロポンプ”や“みずてっぽう”と比べて“バブルこうせん”や“あわ”なら水の消費は約8分の1に抑えることができる。反抗したシャワーズもかなり疲れているだろう。無理はしてはならない。応援を待つしかない。

「隊長! もうダメです! ますます火が大きくなっていきます!」
「うそ…だろ…。」
消火開始からすでに一時間半も経過している。それなのに火は勢いを増している?!こんなことがあろうはずがない。あってはならない。火が水より強い存在になることなど、あってはならない。
常識的な、科学の概念が、壊れる。
火に水を注いて火は勢いを増す。
そんな、常識は、絶対に、あってはならない。

もうダメだ。俺たちはこのまま木々に火が燃え移って山火事になるのを指を咥えて見つめることしかできなくなってしまうのか?! クソッ!! 火!! 消えてくれよ!!! 火っ!!
ラグラージは僅かな体力を絞り切って、今日一番、渾身のハイドロカノンを火の舞にぶち込む。
しかし!
「う…嘘だろ‥‥‥。」
ラグラージは唖然とした。俺は幻覚でも見ているのだろうか…。
あの火は俺のハイドロカノンを…吸収するかのように…なにもなかったかのようにしやがった…!
その時だった……!


“その程度の水滴で私を消せると思っているのか?”


!!??
俺は幻聴が聞こえるようになってしまったのか…?!

さっき…“火”が俺を挑発してきやがった…!

この火は生きてるんじゃねぇのか?!
そう考えたが、これ以上考えるのはやめにしよう。
とりあえず……火を……
無理だ、こんなバケモノに勝てるはずがない…。
俺は頭がおかしくなってきている。まさか“火”をバケモノ扱いする日が来るなんて…。
水が火に圧倒される日が来るなんて…考えてすらなかった…。
神様がお怒りだ‥‥‥。
俺たちには無理だ。

そして、家の周りの木々にだんだん火が移り始める。
終わった………山火事は避けられない………。もうダメだ………。


その瞬間であった。
突然の雨が降り出したのは。
空は急に雲に覆われ薄暗くなった。風が一瞬で治まり、薄暗くなったと思えばさらさらと雨がそぼ降りて数秒もしないうちにざぁぁっと炎の燃える音を遮るかのように大雨が降る。するとどうだろう。踊り狂っていた家の火は徐々に小さくなっていく…!

「き・‥‥‥‥奇跡だ‥‥‥。」
その“奇跡の雨”は わずか2分で火を鎮めてしまったのである!!
消防隊らは唖然。なぜ雨で火事が治まったのだろうか。分からない。神秘の力、奇跡の力なんて言葉を信じたくないが、当てはまる言葉はこれしかない。
今更になって応援部隊がやってきた。しかしもう火は鎮火。駆け付けた応援部隊らは「せっかく助けに来てやったのに~治まってるじゃねぇかよ~」「無駄足させるんじゃねぇよ~」と冗談交じりなことと言うが、この雨が無かったら応援が来ていたとしても無駄だっただろう。




火が治まってカイトは灰となってしまった家に駆けより。お母さんを探した。しかし、いない。リビングのタンスの上には見慣れた家族写真が置いてあったがどこにも見つからない。リビングのタンスの引き出しを開ける。しかし、アルバムや大切なもの、タンスに詰まっていた今までの思い出全部が火に燃えて灰となってしまった。

そ ん な こ と は
ど う で も い い。

カイトは思い出にすがらない。
カイトは幼稚ではない。
カイトを侮ってはならない。
カイトは思い出にそっぽを向いてお母さんを探した。灰となってしまった家の中を探しまくる。
近くでお母さんのにおいがする…!
しかし、
探しても探しても、
いない。


「カイト君~!!!家が火事になったって本当?!…ハァ、ハァ…」
「こりゃぁひでぇ‥‥‥。」
カイトのお父さん、センの親戚のマニューラとブーバーンがカイトを心配して家がある山の中腹まで駆け付けてくれた。
「家が火事になっちまって帰る場所がないだろ?」
「だったらアタシの家に来たらどう?アナタのお母さんも行方不明だし…」
声低いオスのブーバーンとクールなメスのマニューラから家に来ないかと誘われた。行方不明のお母さんが戻ってくるまで…。親戚とはいえとても心配だった。しかし、帰る場所もなく頷かざるを得なかった。




親戚のマニューラとブーバーンの家に住んで3日が経過した。カイトにニュースが飛び込んできた。
「残念なニュースよ。」
マニューラが渋い顔をして言った。

“3日前に起きた火災の現場でルカリオらしき姿を発見。そのルカリオはカイトの母親、フィンであることが判明した。”

お母さんは死んだ。

「えっ。」
カイトの口が閉じることはなかった。

カイトは3時間その場に立ち尽くした。
死ぬってなに? お母さんはどこ? お母さんが死んだの?

何が起きたのか全く分からなかった。今なんて言ったのか分からなかった。

10歳の幼い子に“親の死”は早すぎる。

さらにカイトの父親、センも死んだことが分かった。
戦死である。


カイトは僅か1日で両親を失った。


「信じてたのに………。」
と、カイトはボソッとつぶやく。昨日からマニューラとブーバーンの様子がおかしいと思ったら、こういうことだったのか。

カイトは

カイトはこの瞬間、お父さん、お母さんのことが大嫌いになった。大大大嫌いになった。
“僕は捨てられたんだ。裏切られたんだ。”
カイトは5時間考えた末の答えを導いた。


“両親の死”の意味を知らないまま。





カイトは両親を失った。帰る家もない、親もいない、センの親戚のマニューラ、ブーバーン夫婦が「一緒に暮らさないか?帰る場所もないし。面倒見てやるよ」と言ってくれてうれしいのだが不安でしかない。

新しい鞄を新調してもらい、カイトはいつものように学校へ行く。親が死んだなんて言いたくない。親がいないだなんて知られたくない。だから誰にも言わない。
しかし、2週間後に学校で“親に感謝しよう作文”を書いてクラスの前で発表しなければいけない。その作文を書くという宿題が出された。こういう宿題を出してくる先生が僕は嫌いだ。そこに両親は死んだと書いてやりたいがクラスの皆にバカにされそうな気がする。いやだ。嘘でも何でも適当に書いてやる。
カバンを持つ手が震えながらも僕は今日も学校へ行く。




カイトが学校へ行っているそのころ、マニューラとブーバーンは

「ねぇ見てよコレ!センったらこんなにも遺産を残してたのよ!」
マニューラが眺めてものは死んだセンの貯金通帳だ。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん…3300000Pだと?!」
ブーバーンは奇声を上げた。

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実は火事の後にカイトの家に何か残っていないか調べたら‥‥‥
「‥‥‥ん?金庫…。」
なんと金庫は防火耐性が強く、あの猛烈な炎の舞が襲い掛かったにもかかわらず、かろうじて中に入っているものは無事だった。このボロボロな金庫には鍵がかかっていたが火による劣化が激しく開けるのは容易であった。
金庫をぎぃぃと不気味な金属音をたてて開くと、そこにはセンの貯金通帳があった。
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後になって通帳を開くと330万P(日本円換算1500万円)もの大金が!!!
なぜこんなにもの大金があるのか。なぜならセンは軍のポケモンである。国を背負って戦って、国を守る国家公務員であるからだ。常に危険、死と隣り合わせのセンは稼げて当然なのだろう。
「これ‥‥‥すごいわよ…私達大金持ちになったじゃん!」
「道端に捨てられた宝くじの券を拾ってそれが1等大当たりしてお金貰わないような馬鹿はいねぇよ!センもフィンもいなくなってしまったし‥‥‥ありがたくもらってこうぜ!」
「そうね。でも…それにしても急にこんな大金貰っても使い道が分からないわ…。」
「まぁそうだな…ゆっくり考えればいいんじゃね?」
築15年の白いアパートの3階からにぎやかな声が聞こえているのであった。
しばらくしてからマニューラとブーバーンは玄関のドアを開けてどこかへ行くのであった。



ただいまーっ。
疲れたのだろうか。ため息を吐きながら学校から帰ってきたカイトは借りていた鍵を使い、ブーバーン、マニューラ夫婦の家のドアを開ける。しかし
「あれ?」
だれもいない‥‥‥。どこかへ出かけているのだろうか?
玄関を抜けてリビングに行くとテーブルに一枚の置き手紙と300P札が一枚置かれていた。
手紙を読むと
“今日は用事がある。‘それ’で適当に夜ご飯を済ませておいてくれ”

「えーっ。急にそんなこと言われても‥‥‥」
300P(1320円)あれば夜ご飯を済ませることはできるが、どうしようか。
レストランに行くのもいいが、まだ日没前の4時半でお腹は空いていない。時間が経つ頃には暗くなって9歳の子が一匹で夜の街を歩くのは危険すぎる。どうしよう。そんな時、大大大嫌いなお母さんと一緒に作った料理を思い出した。カイトはよくフィンと一緒にご飯を作ることが多くあった。ピザにグラタン、きのこたっぷりの麻婆豆腐、さらにチリコンカンというきのみと玉ねぎ、ニンジン、スパイスなどをトマトジュースで旨辛く煮込んだものなどなど、お母さんの作る料理はレパートリーが豊富で好きだった。一緒に料理するのが楽しかった。
これ、僕だけで作ってみようかな。作れるのかな?まずは材料調達だ!!
カイトは近くのスーパーまで走った。

買ってきた材料でお母さんと一緒に作った料理のレシピを記憶だけで再現してみる。
たしかあの時に…これ入れて…何分だっけ?まぁ、このくらいでいいや♪
独り言をぶつぶつ言いながらカイトは笑った。
「さぁー! はじまりましたー! ヒュ~ヒュ~! 今日作れる簡単レシピを紹介! KAITO’Sキッチン! え~っと今回は~‥‥」
“いきなり! カイトの料理番組“がスタート。
「じゃじゃーん!グラタンを作ってみましたー! 作り方はですねぇ、えーーっと。……まぁいっか! わすれた!」
料理番組の司会をしているかのように。
料理番組とは作る料理の材料やレシピを紹介して手順を説明するものだ。しかしこれはただ単に作った料理を自慢する番組と化している。到底、料理番組とは言えない。
カイトは観客の「きゃ~!」「すご~い!もうできたの?!」という声や拍手も自演する。
「では!さっそくいただきまーす!」
実食タイムだ。料理番組の司会を努めるカイトはグラタンをスプーンですくってカメラを近づける。
「モーモーミルクでできた香ばしいチーズが食欲をそそりますねぇ~!」
ぱくっ! っと食べた瞬間にカイトの顔が急変した。
「うえぇぇ………しょっぱい‥‥‥。」

味はしょっぱいが食べられないわけではない。残さずたべた。えらい。
初めての料理番組は大失敗に終わった。





それからというもの、マニューラとブーバーンは家にいない日が増えていった。ほぼ毎日、お金と置手紙を机の上に置いてあるだけ。家に帰っても誰もいない。寂しさを紛らわせるためにカイトは食材を買ってきてご飯を作る。それが家で一番の楽しみになっていた。しかし、料理は数日たって飽きてしまった。家に帰っても孤独だから、カイトは夜遅くまで友達と遊ぶことが増えた。
ある日、家に帰ると置手紙はなく、お金だけが机に置いてあった。またある日は、お金といくつもの名刺が机に散らばっていた。その長方形の厚紙には全部女性らしき名前が書かれていて、呼んでほしいニックネームも店の名前や住所も書かれている。背景がとてもゴージャスで華やかだ。名刺の裏には“ブーバーンさん!ご来店ありがとう~!! またきてね~!!”と直筆のメッセージが書かれていた。後にこれはガールズバーやキャバクラでの名刺であることが分かった。



これが分かった瞬間カイトは、大人の怖さを知った。
“大人の欲”というものを知った。
すれ違う大人が怖くなった。そして大人を信用できなくなった。
こんなに怖くなるくらいなら、大人にならないほうがマシだ。

カイトは大人になりたくないと思った。








学校帰りの夕焼け。手をつないだ母親らしきオーダイルと幼いワニノコ。とても笑顔に歩いている。道ですれ違ったとき、なぜかモヤモヤする。何とも言えない感情に至ってしまう。そして立ち止まってしまう。
「‥‥‥‥‥‥あれ‥‥‥?‥‥‥おかしいな‥‥‥なんでだろう‥‥‥」

目から何かが…ボロボロと止まらない。止めようと歯を食いしばって我慢しても止まらない。

僕は何で泣いているの…?
目から出た水はボロボロと流れて地面の荒々しいコンクリートにくっきりと跡が分かるほど滴れ落ちる。
僕は涙が出ているだなんて認めたくない。
目から流れ出る不純物をカイトは歯を食いしばって止めようとする。

止まるわけがない。


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なぜなら。




なぜなら。




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なぜなら。

カイトはすれ違う幸せそうな家族に、幸せそうな親子に、


嫉妬しているのである。







小学校で出された“親に感謝しよう”の400字作文は期限が明後日までだというのに20文字を越えたあたりで書く手がぴたっと止まった。時間がどんどん過ぎていく。夕日が沈んで家の中が暗くなっていく。照明をつけてひたすら作文用紙と見つめ合い、必死に嘘の文を書こうとするが、作文用紙を見たくなくなってしまった。鉛筆が全く動かない。ついには鉛筆を持つことすら嫌になった。作文用紙を破ってやろうと考えたが、やめることにした。
これは学校の勉強にも影響し始めた。いつもは30点、35点は取れるはずなのに30点以下の22点や15点、ついには5点と過去最低点を出してしまった。
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カイト! また40点?! いっつもこんな点数とって恥ずかしいと思わないのか?! はぁ…。父さんお前をこんなバカに育てたつもりはないぞ。
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死んだクソジジイの呆れた声が鼓膜を震わせる。思い出したくない時に思い出してしまう。


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カイト。勉強って本当に大事なのよ♪ お父さんあんな言い方するけどカイトの事すごい応援してるのよ。
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死んだ…大好きだった……大嫌いなお母さんの説得力のない言葉が鼓膜を惑わせる。

カイトはもともと嫌いだった勉強がもっともっと嫌いになった。


そして作文発表の日になってしまった。
その日は40匹で窮屈なクラスルームに親が来る授業参観の日だった。カイトにとっては最悪の日だった。今日は授業参観。クラスルームの後ろにみんなの親がぞろっと窮屈そうに立っている。48匹いるクラスの中で親が来ていないのはカイトだけである。
「カイト~お前の親は来てないの?」
席の後ろからヒトカゲに話しかけられ、振り向き、
「もうすぐで来るよ。」
「ホントかよ。もう授業始まっちゃうぞ?」
「僕の親いつも遅刻するからね。」
とっさに嘘をついてしまった。



とうとう、カイトの親が来ないまま授業が始まってしまった。
(カイトどうしたんだろうなぁ。最近元気が全くないよなぁ。俺何か嫌なことしたっけ?)
ヒトカゲは心配していた。
席の窓側前から後ろにかけて順番にそれぞれが書いた作文を発表していく。作文を読み終えたヒトカゲ大きな拍手音が響いて次はカイトの作文発表になる。
「じゃぁ次はカイト君!……お父さんお母さんは来てないけど…どんな内容だったかは後で伝えておくよ。さぁ読んで。」
オスのコジョンド先生がボソッと呟くように言った。
「はい。」
カイトは作文用紙を持って立ち上がり、
「  僕の両親    カイト・ロッツォ」
「僕の両親は‥‥‥‥‥。」


大好きなヒーローです。僕の大切な家族です。
僕は‥‥‥

と、すらすらと読み始めた。

そして読み終わり、周りから大きな拍手が。

「?!」
その時、ヒトカゲは驚いた。






「俺、正直親に作文書くとか嫌いなんだよねぇ」
「あっ、それ分かる分かる~」
学校が終わり、ヒトカゲ、ゼニガメ、カイトの三匹で家に帰っているときである。
「なぁ、カイト。」
「んっ?なに?」
下を向いて歩いていたカイトはぴくっと顔を上げてヒトカゲの方を見る。
「結局さ、お前の親、来なかったね。」
……。
「‥‥‥そうだね。」
「授業参観に来るって言ってたんだろ?」
「‥‥‥うん。」

また僕は、友達に嘘をついてしまった。

「お前の親サイテーだなっ。親への手紙を渡す授業ってのに来ないなんてよ。」
ゼニガメがケケッと冗談交じりな言葉を放って笑う。
「ほんとそれ。親なんて大嫌い。」とカイトは苦笑いして便乗。

「なぁカイト?」
「なに?」
ヒトカゲが口を開く。


“お前の作文の内容全部、嘘なんじゃね?”


「‥‥‥!」

僕はこの瞬間、心臓が止まって死んだかのような目をしていたらしい。


「俺、カイトの席の後ろだったんだけど
“”作文用紙に何も書いてなかった“”
んだよね。でも、どうして、すらすらと読み上げて発表していたのか。」

「そ、それってさ、」
ゼニガメがはっとして言う。


アドリブ‥‥‥?


カイトは発表直前ですら作文用紙に何も書いていなかった。全く書かれていない作文用紙を持ってカイトは詰まることなくスラスラ読んでいたのだ。つまりアドリブ。何を言うかは即興で思いついたのだろう。


「即興で思いついて言ったんだろ?‥‥‥それって嘘なんじゃないのか…?それって本当の事じゃないと俺は思う。」

そしてカイトは嘘を発表していたのである。

僕は嘘を完璧に見抜かれてしまった。

「親もお前も嘘ついてどうすんだよ……。」

刹那!!!!!

ヒトカゲがこう言った瞬間、カイトの中で何かがこみ上げてくる…。
手汗が止まらず自分の手を横腹にこすりつけても汗は止まらない。
不思議と手に、顔の表情に力が入ってしまう。
気が付くと、自分の手に“何か”を持っていた。

「お前…最近すごい変だぞ…。どうしたんだよ…。何があったんだよ…。」
「なんかあるなら…相談に乗る…よ?」


僕とクソジジイを同じに…しないで!!!
相談なんか…乗らない!!
君に何が分かるの?!!!!
何でそんなこと言うの!
何も言わないでよ!
誰にも言いたくない…! 誰にも言いたく…ない…! 誰にも!誰にも誰にも誰にも…


「うわああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」
訳が分からなくなった。なぜ、こんなに荒れているのか、さっぱり分からなかった。

気が付けば僕は持っていた“何か”を強く握りしめてヒトカゲに向けて振り下ろしてしまった。

スパッッッ。

刹那。ヒトカゲの“左頬”が切れて  血がただれる…!

ヒトカゲは痛さのあまり声を出して泣く。
ゼニガメはとっさの判断で血を止めようと手拭きを左頬にあて、周りに救助を求める。

僕は。立ち尽くしていた。
手に持っていたのは  骨。
“ホネこんぼう”を繰り出してしまった。

ポケモンが初めてワザを覚えるのは平均9歳から10歳。その年になれば誰でも自然にワザが出せるようになる。カイトはこの瞬間にワザを身に付けたのである。しかし、あまりにもタイミングが悪すぎる。

これがカイトの“生まれて初めて繰り出したワザ”だった。
そしてカイトは
“生まれて初めて友達を傷つけてしまった。”

疑問に思うことがある。たかが“骨”ごときで皮膚を切れるはずがない。なぜなのか。
それは、カイトが手で作ったホネを見ればわかる。



挿絵画像











先端は鋭く、剣のように尖っていた。

なにかを生成するワザは精神状態で大きく変化する。精神状態が普通の場合、“骨こんぼう”であれば何の変哲もないただのホネだが、カイトは精神が不安定な状態だった。そのため、手に作ったホネは歪な形をしており、棘があったり先端が尖ったりすることがある。


僕はこの時、ゾクッとした。背筋が震え、怖かった。こんな怖さをするなら死んだほうがマシだと思った。お母さんの作ったホネはいたって普通だったのに僕のはどうしてこんなに尖っているの…?
考えるのが怖くなった。

そして変えられない恐ろしい現実がカイトに突き付けられた。

“僕は友達を傷つけた。”
やってしまった。

カイトは一生この“罪”を背負って生きていかなければならない。

ヒトカゲは進化してリザードになっても、リザードンになっても変わることがないこの“左の頬の傷”を一生背負って生きていかなければならない。

30分後、ヒトカゲの親が来た。
ヒトカゲの母親は彼をつけて病院へ向かった。
僕はヒトカゲの親、リザードンに首をつかまれ
「テメェ――――――――――――ッ!!!!!」


散々に殴られた。
大人は容赦なかった。子供だから少しは手加減してくれると思っていた。その考えが甘すぎた。甘甘甘甘甘甘すぎた。岩を砕くかのようなその右手で首をつかまれた。リザードンの三本の爪が首に食い込む。食い込んで食い込んで……息ができなくなって死ぬより先に、首をえぐられて、首の骨を折られて死ぬのではないかと思った。流した血の量なんて覚えていない。知らない。
爪が首に食い込む…。
リザードンを見た。自分を恨んでいるのがよく分かる。歯ぎしりの音がよく聞こえる。
桃太郎に傷つけられて財産を奪われた鬼のような顔をしていた。
この瞬間を一生忘れることはできない。
忘れようとして忘れられることではない。
忘れようとすることは覚えることより困難である。
この瞬間を一生忘れることはできないだろう。
もぅ、生きているのが怖かった。
右手で首をつかみ、左手は大人の渾身のパンチが襲いかかる。そして真下に叩きつけられ、大人は顔つきを変えずに僕を見ながら帰っていった。



この世界では法というものが不完全である。よく考えてほしい。ポケモン達は“ワザ一つ”で誰かを簡単に傷つけることができる。ニンゲンで例えるならば、全世界の人間が3本ずつ太ももや足にナイフを。二丁の拳銃を腰に装備しながら生活するということと全く同じである。諍いがあれば人間は持っているナイフを突きつけるだろう。腰に付けている拳銃を出すはずだろう。こうなれば傷つけ合いは日常茶飯事と化す。ポケモン達も同じである。
ワザ一つで簡単に誰かを傷つけることができるこの世界で、基本的に盗みや殺しは犯罪であるが

暴力は合法

と、一つの簡単な決まりをつけた。

死ななければ、すべて合法!

そう、合法なのである!!


10歳の幼い子供が大人の本気の暴力を食らえば意識が飛ぶだろう。最悪、死に至ることもある。
しかし、カイトは足を震わせながら立ち上がった。顔は殴られボロボロ。地面に叩きつけられて右肩は砕けたかのように痛い。首を触って手を見ると血がついている。

そしてカイトは泣きながら、昔、こんなことがあったなと思い出した。

_________________________

カイトは6歳のころ、親が出るほどの大きな揉め事が起きてしまった。
「一体よぉ、どうしてくれんだぁ?あぁん?」と体型がカイトの5倍ほど大きい親のボスゴドラがカイトに殴りかかろうとして
うわっ! と目を塞いだ時、
「俺の息子に手を出すな!」
と、親のセンがカイトの前で翼を広げて庇ってくれた。


ボスゴドラがセンの後ろにいるカイトを指差して、
「俺はコイツにキレてんだ。偉そうに庇ってんじゃねぇよ。俺ァ、コイツをブン殴らねぇと気が済まねぇんだよ!さっさとどけ!」
「カイトがやったことは全部私の責任だ!殴りたいなら私を殴れ!気が済むまで殴ればいい!」
とセンは言い返した。

「あっそうですかハイハイ。ご好きに殴らせてもらおうかなッ!」
勢いよくボスゴドラが腕を振りかぶってセンを思いきり殴った。

ドガ!
ドガ!
バキ!
ドガ!
バキ!
ドガ!

センは散々に殴られても

「やり返さないのかなぁ~?ムクホークの方ァ~?」
ボスゴドラが握り拳をさらに強く握りしめて言ったが、
「はい。何もしません。あなたの気が済むまで、どうぞ。」
センは口から出る血を手で拭いて即答した。

センはやり返さなかった…!

「ッ…!」
ボスゴドラは舌打ちを大きく鳴らして本気でセンを殴った。





「チッ…もういい!」
数分、散々殴っても全くやり返さないセンにボスゴドラは呆れた顔で言い、せっせと帰っていった。


「‥‥‥。」
僕はそれをずっと見ていた。
お父さんは僕の方を振り返って
「大丈夫だったか?ケガはなかったか?」
と全身ボロボロのお父さんは言った。

僕は首を縦に振ったらお父さんはにっこりとして
「さぁ、帰ろうか。今日の晩飯は何だろうかなぁ。」
センと手をつないで家に帰った。

僕はその時、お父さんが


“超カッコ悪い”


と思った。

お父さん、ヒーローなら殴ってくる悪い奴をやっつけるんじゃないの?
なんで何もしないの?
ヒーローじゃなかったの?

やられっぱなしのお父さんは
超カッコ悪い。

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それが間違いだったんだ!

カイトは今になって気付いた。

僕はずっと、お父さん、お母さんに守られて生きていたんだ。
僕の身に危険がせまったらお父さんはいつも助けに来てくれた!
お母さんは僕のことを心配してくれていた!
僕を守るためだけに!
守られるってこういうことだったのか…!

‥‥‥僕を守る以外のことは何もしなかった!
だから何もしなかったんだ!
僕は‥‥‥
僕は‥‥‥

どうして僕はお父さんを嫌いになったの!
どうしてクソジジイなんて言ったの!
いつも助けてくれたのに!
いつも守ってくれたのに!
どうして僕は!

自分で自分を殴った。
お父さんを嫌いになった自分が嫌いになった。
自分が情けなくなってきた。

僕はいつも大人に守られていたんだ。
守られていない環境になってカイトは初めてわかった。

自分が大人にボッコボコに殴られて初めてわかった。

こんなにも痛いのか!
こんなにも苦しいのか!
お父さんはこんなに痛い思いをしていたのか!
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「カイト、大丈夫だったか?ケガはないか?」
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お父さんはこんな痛い、苦しい思いをしていたのに僕の心配をしてくれたのか!



自分が受けて初めてわかる他人の痛み。


僕は後悔して泣いた。
あんなことを言うんじゃなかった…!

失ったものはもう二度と取り戻すことはできない…!
失って初めてわかる……家族の大切さ…!
カイトは声を上げて泣いた。
でも
後悔したって親は戻ってこない。
死んでしまったのだから。

お父さんなんか大嫌いだ。
僕は正直、お父さんが死んで「いい気味だ」と思っていた…!
いや
そんなはずがなかった!
ごめんなさい…!お父さん!お母さん!いい子でいるから…!何も悪いことしないから…!大好きだから…!戻ってきて…!!!


謝っても、謝っても、親は戻ってこない……。
死んでしまったのだから‥‥‥。


カイトは

また、


泣いた。




そしてカイトは泣きながら家に帰ろうとするが
立てない。
足が動かない。
手が動かない。
顔を上げられない。

助けなんて来ない。
そのくらい分かってる。
誰にも守ってもらえない。
分かってるから! そのくらい! 弱音なんか吐いちゃダメだ!!
「立てよ! カイト!」
自分で自分に喝を入れる。
目から溢れ出る罪悪感で濁った流水を、歯を食いしばって止める。
そして、足を震わせながら立ち上がる。
そして、一歩ずつ、カイトは歩き始める。



めまいや頭痛、肩は痛くて動かせない。身も心もボロボロのカイトはよろめきながら家に帰ると珍しく、ブーバーンとマニューラがいた。なにやらケンカしているらしい。玄関のドアを開ける前からマニューラの怒鳴る声が聞こえた。


「ただいまー」
「おまぁえええええッ!!!!! どうなったか分かってんのかぁぁぁ!!!」
「わ……分かってるって……。でも、過ぎたことはもう遅いだろ?」
「はぁぁぁぁ?!死ね!!!」
ブーバーンがマニューラに責められているようだ。
「遊んで遊んで賭博で借金の通知が来てるじゃない! ふざけんじゃないわよ! 有り金全部使ってオマケに借金! 過ぎたことはもう遅いだって? 遅すぎるのよ!!」
「お、お前も使い込んでたクセに!!! 偉そうに言うな!!」

どうやら、センの遺産を使い切り、そのうえ借金をしたそうである。


「ね、ねぇ……マニューラさん……ブーバーンさん………やめて………」
喧嘩を見ていると気分が悪くなる。僕はケンカを止めたくなった。

「ぬぁーーにが偉そうによ!! ガミガミガミガミ‥‥‥」
僕の話を聞いてくれない。

「ねぇ! やめて!」
大きな声で言った。

すると、マニューラは

カイトに向かって鋭い爪を振りかざした。
カイトは顔面に飛んできた“それ”を後ろに沿ってギリギリ避けることができたが、思い切り沿った勢いで尻餅をついてしまった。

「はぁ? “養ってあげてんのに”偉そうに言ってんじゃないわよ。真剣に話してんのに邪魔しないでくれる? そんなんなら追い出すわよ。」


危なかった‥‥‥! 危うく当たってケガしそうだった…!

間一髪である。もし、この鋭い爪が顔に当たっていたらタダじゃ済まなかっただろう。ヒトカゲのように一生残る傷を作っていただろう。

ねぇ、

どうして僕に爪を立てるの?
どうして僕を追い出そうとするの?
僕たちは家族じゃないの?


「………!!」
僕はその時、気付いた。

僕を、面倒くさそうな目で見ている……!

こ…この人は僕の家族じゃない…!
僕の親じゃない…!
いくら親戚でも…赤の他人だ…!
僕は仕方なく養われていたんだ…!


カイトは現実を知った。恐ろしい現実を知った。

このままじゃ、
いつか怪我をする!
いつか追い出される!

僕は逃げたかった。
こんな家で暮らすくらいなら逃げたほうがマシだ。

だから僕は

何も持たずに家から飛び出して

にげた。







‥‥‥午後11時。
4時ごろに家から飛び出して、7時間が経っていた。
カイトはナイロシティを彷徨っていた。
足を引きずって。
こんな深夜になってもナイロシティは賑やかだった。街灯は真っ暗な夜に対抗すべく、ぎらぎらと光っていた。
通りすがるポケモンがたくさんいて「おやおや~怪我してるじゃァないかぁ~大丈夫かいボウヤぁ?」と酔っぱらったバンギラスが声をかけてくるが無視して素通りした。バンギラスが「オイ待てよせっかく心配してやったのにぃ」としつこく追いかけてくる。だから僕は持てる限りの力を振り絞って走り、上手く撒いた。

「ハァ…ハァ‥‥‥。」
こんなに走っているのに体が寒い‥‥‥。

冷たい空気に、かいた汗が冷えて、カイトの体温をどんどん下げていく。

息が苦しい。
今日受けたダメージが全身を蝕んでいく。
右肩は動かせない。
首から血が出ている。
オマケに目眩もする。



とうとう、足の感覚がなくなってきた。
僕は本当に地面の上に立っているの…?
本当は宙に浮いているんじゃないの…?
立っていることさえも疑った。
「うっ‥‥‥。」
体、腕、顎に強い衝撃が走る。僕は歩けなくなって地面に倒れたんだと理解した。
通りすがるポケモンは僕を見て見ぬふりをする。そしてヒソヒソと会話する。こんなのもう慣れた。好きなだけ見ればいい。笑え笑え。好きなだけ笑え。
「………。」
なんだか視界がぼやけて、暗くなってきた。
頭が回らない。いつものことだけど。

僕、もうだめだなぁ。

そんな時だった。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ。そこの小僧、死んだ目をしておるぞ。大丈夫かの?」
「‥‥‥。」
視界はぼやけているがどんなポケモンかは大体分かる。老いぼれたコータスがのそのそとこちらに近づいてきて話しかけてきた。もう大人は信用できない。僕は無視をする。
「‥‥‥? ふぉっ? どうしたんじゃ? そんなワシを嫌がった眼をして。」
「……。」
僕は無視を続ける。
「聞いておるのか小僧。ちょっとと待たれよ……当てて見せよう。」
コータスは線のように細い目で僕をじっと見つめてくる‥‥‥。見ただけで分かるものか。

「さぁては家出してきたな?」
「…………。」
見事に当てられた僕は……無視を続ける。

「なるほど、図星じゃな? ふぉっふぉっふぉっふぉ☆」

「そして、右の肩甲骨と鎖骨の粉砕骨折……。小僧、交通事故でも起こしたのか?」

「!?」
気が付けば僕は首を横に振っていた。交通事故ではないからだ。
右肩が痛くて動かせないのも見抜かれた。肩甲骨?! 鎖骨?! なにそれ?! なぜそこまでわかるんだ?!

「あ~ちょっと違ったかぁ~。見る目がねぇのぅ~。ワシも歳じゃのぅ…。はぁ~。」

「ど‥‥‥どうして……僕を一瞬見ただけでそこまでわかる…の?」
思わず、気になったことを言ってしまった。

「‥‥‥質問を質問で返させてもらおうかの。」
年寄りのコータスは言った。


なぜ、まだ生きているんじゃ。


「???」
コータスの言っている意味が分からなかった。

「10歳の小僧よ、首に数か所の刺し傷がある。血が大量に出た痕跡が残っておる。手当てした跡もない。それなのになぜ血が止まっておるんじゃ。血が出たところは呼吸器官に近い場所じゃ。 それで、なぜ呼吸をしておるんじゃ。なぜ会話ができるんじゃ。」

「???」
言っていることがますます分からなくなってきた。


………なんだ、この子は。

コータスは思った。

98年間生きてきてこんな生命力の高い小僧は初めてだ。ワシァ目が良いから小僧の体を見ただけで大体は分かる。首は血液の循環が多い場所。首。鋭い爪をもつ誰かの手で首を掴まれたのだろう、そして、どれくらい強く首を握られたのだろう。この痛々しい首の傷跡を見ただけでワシでさえ怖く思う。掴まれて、えぐられて、首から血が出たら簡単には止まらない。普通、出血多量で数分も経たないうちに死ぬ。でも小僧は死なないどころか、数分…いや、ほんの数秒で首から出る血が完全に止まった状態まで回復しているとみた。 しかも右の鎖骨と肩甲骨が砕けておるというのに動かせるとはどういうことだ。

なんという自然回復力。ありえへん。

でも、小僧の命に危険が迫っていることに間違いはない。徐々に呼吸が弱くなっている。目の色が暗くなってきている。首の傷は治りかけてはいるものの、時間が経てば傷口が腐ってしまう。この状態があと数時間続けば小僧は死ぬ。
深夜11時。病院は今、開いていない。医者を叩き起こしても治療はしてくれない。ワシァの家で手当てしよう。

「すぐに手当てするぞ小僧。背中に乗っかれ。」
「‥‥‥大嫌い。」
「‥‥‥はい?」

僕はもう、大人は信用しない。そう心に決めたんだ。
「助けなんかいらない! 僕は! 全部全部全部! 信じない! ふざけんな! お前なんか大嫌い! 僕は…ゲホッ…!」
カイトは無理をして言ったせいで少し血を吐いてしまった。


「‥‥‥。‥‥‥やかましいわいボケェ。」
そう言って年寄りのコータスはカイトの腕を食いで咥えて首の振りだけで簡単にカイトを真上に投げ飛ばした。
どしん!
「ぐえっ」
綺麗な曲線を描いてカイトはコータスの硬い甲羅の上に乗っかることができたが、コータスの乗せ方があまりにも雑だったので衝撃が強かった。
意識が飛びそうになる…!
目が開かなくなってきた。
あぁ‥‥‥瞼が重い‥‥‥!

「小僧…名前を聞かせてくれ。」
意識が薄くなっていく中でカイトは必死に答えた。

「カイト‥‥‥ロ‥‥‥。」
最後まで言えないまま、カイトは意識を失った。




‥‥‥手荒な方法じゃが、安静にするには“これが”一番なんじゃ。すまないのぅ。

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「助けなんかいらない!僕は!全部全部全部! 信じない! お前なんか信じない!僕は…ゲホッ…!」
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‥‥‥カイトと言ったか。いままでよく頑張ったのぅ。辛かったじゃろう。ワシん家でゆっくり休め。

この子に何があったかは分からない。

でも、

コータスは全てを察した。



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