episode2.お祈り

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

(さて、どうやって人間のポケモンになろう?)
 野生を引退することにした私は、ヤドンすら呆れるほど初歩的な課題にぶち当たっていた。
 相手をひんしにさせたり眠らせたり、オシャマリの喉から発せられる歌声には様々な効力がある。そのくせ人間の言葉は1語たりとも発音できないのだから、我々の種族の喉における進化の方向性にイチャモンを付けたくなる。おかげで人間とのコミュニケーションは一方通行になってしまう。捕獲をこっちからお願いするなんて不可能だ。
 仮に人間の言葉を話せても、課題は解決され得ない。「私をそのボールに入れて下さい」と、何の前振りもなしに頭を下げてきたポケモンが眼の前に現れたら、途端に人間は違和感と訝しさで体が痒くなってくるだろう。
 人々の中には、ポケモンを手中に収め自由を奪うことに、大なり小なり罪悪感を覚える人がいると聞くし、そういう心理に到らずとも、誰かから後ろ指さされた経験があるだろう。にも拘わらず、自ら拘束を望む変態がいたと知ったら、さあ彼らは何を思うのか。想像するだけで身の毛がよだつ。
 また話が脱線した。とにかく捕獲されるために、こっちから歩み寄るのは難解である。あっちが捕獲することを希望し、ボールを投げてくるのをがむしゃらに待つ他ない。
 宙を舞うボールが私から軌道を逸らしたとしても、私はさり気なく当たりに行く予定だ。私に命中したボールは、開閉スイッチが作動する。ボールに吸引されたら激しい抵抗はせず、適当に悲しそうな表情でも浮かべつつ、ボールの内側をぺしぺしと叩いている。だいたい、これぐらいで丁度良い。
 別に捕獲待ちしなくても一応手段はあるが、何となく気が乗らない。
 それは余りにも薄ぼんやりとした噂だが、アローラには野生ポケモンの保護を営む団体がいるのである。彼らは、枝を噛み千切られ瀕死状態となった憐れなサニーゴを救出し安全な場所に保護した。サニーゴは現在、毒トゲに狙われない環境で気楽に過ごしているそうだ。
 彼らの元へ向かう手もある。『保護』と謳うからには安全な暮らしを保証してくれるのだろう。
 だがその団体の所在地が分からない。しかも彼らがいるというのはあくまで噂。存在の有無が定まらない救いの手を、必死こいて探す。内向的な私にその行動力は生まれない。
 一歩踏み出せばそこはパラダイスだろうと、大多数と違う道を辿る勇気は自分にない。
回りくどくなったけど、ようするに煩わしいのだ。何だか得体の知れないものを調べたり探したりするのはこの上なく面倒くさい。


 さて、私はひとまず陸地へ泳いだ。海中を漂っていても、チャンスは当分巡ってこない。餌が付いた釣り針でも見つけようものなら即座に食い付くのだが、たぶんなかなかないと思う。人間と一緒に暮らしたいなら、人間の住処へこっちから出向くべきだ。
 今日は人間の前に姿を現して、ただひたすら待つだけにする。他は何もしない。明日以降は威嚇したり襲いかかる素振りを見せたりして積極的にゲットされにいく予定だ。
 本日中に目標達成! という甘い考えは心の隅にもない。今日は練習だと思って取り組む。
 私は練習だと思うことで、失敗時の予防線を張っている。それで構わない。精神的負担を軽減するためならどんなに惨めでも予防線を張ろう。最後に笑えればどんな心持ちで挑もうが関係なし。
 水面から顔を上げると、近辺のビーチで数え切れない程たくさんの人間が遊んでいた。人ってこんなにいたのかと目を丸くする。
 これだけ数がいれば一人は私に目を向けそう。そう考え、せっかく張った予防線をつい切りかけた。いけない。世の中はそんなに甘くはない。そんな簡単に行く訳がない。世の中は甘くないという予防線は、言い訳めいた響きを帯びないから使いやすくて便利だ。
『とにかく選り好みはしないこと!』
 お母さんが口を酸っぱくして話していたことが胸を擦る。言われた通り人間を取捨選択せず、手当たり次第に突き進むのである。ポケモンは選ぶ側ではなく、選ばれる側であるのが常なのだから、人間に点数を付けたりふるいにかけたりするのは図々しい。
 等とほざきつつ結局私は、無意識に、近寄り易い人を探すべく目を泳がせていた。サングラスとかかけていて怖そうな人は避けた。他にもスイカ割りを楽しんでいる人達、サーフィンをしようとしている人達、水を掛け合ってはしゃいでいる人達、といった明るくギラギラしている人達には近づきがたかった。
 ビーチの隅でパラソルを立てて寝っ転がっている若い女性2人組を発見し、彼らを近寄るハードルが最も低い人達だと判定した。彼らは海から近い位置にいるのも大きい。
 私は陸へと上がり体に付着した水分を飛ばした後、その人達の傍へと静かに向かった。ビーチの賑やかな声が緊張によって耳に届かなくなる。パラソルの下まで入ってしまうことは勿論せず、そんな余裕は流石になく、1メートル離れた場所で大人しく待機した。
(さてと、この人達はどう動くのだろう。何を思うのだろう)
「このオシャマリ、何してるの?」
「さあ」
 二人組が、近くの水色の物体の存在に気が付いた。嫌悪感を抱いてそうな声色でひそひそ話す。椅子から立ち上がろうとする雰囲気もあった。
「なんか、さっきからずっとこっち見てくるんだけど」
「怖っ、何考えてるのこいつ」
「どうする?」
「逃げよ逃げよ」
(…………)
 誰がどう偏聞しようが、紛れもなく拒否反応である。やがて2人は完全に立ち上がり、一匹の気持ち悪い生物から離れ去っていく。彼らは一度振り返った。未だ私がいることを確認し口に手を当てて足を速くした。
 胸の底に鉛が伸し掛かったような感覚、とでも表現したら良いだろうか。自分のみが地面から幾分か沈んだ場所にいて、世界からぷっつり切り離されたような感覚を覚えた。周囲の景色が一変して灰色に見えた。私達は部外者だとでも言うように、何の遠慮もなく海風が私の肌を絶えず駆けていく。人間の声が全てノイズに聞こえたが、否ノイズなのは自分の方ではあるまいか。空を飛び交うキャモメの鳴き声が私を馬鹿にしているかの如くに耳に入るのが、むしろせめての情けだった。
 自分はこれまで、目の前が真っ暗になる程の絶望を幾度となく経験してきた。だが今私の胸を締め付けている絶望は、これまで潜り抜けてきたものとは種類が異なった。絶望には様々な種類があることを生まれて初めて知った。
(絶望? まだ一度失敗しただけじゃないか? 「これは練習だ」と傷ついたとき用に予防線も張っておいたじゃないか?)
 私は、裏切られた訳でもない。
 私は、失望された訳でもない。
 私の人格の根本的な部分が、真っ向否定された訳でもない。
 私の意思が伝達され得なくて訝しい目で見られた。ただそれだけのことである。知らない赤の他人なのに、もう二度と会うことはないのに、酷く彼らの感情に対して怯えていた。彼らの記憶の中に一滴でも私が入ってしまったことが、怖くて羞恥を感じた。
 なぜこんなにも、『不安』なのだろうか。
 己の存在意義すら圧倒的に否定された気分だった。乱暴な言葉なので使いたくないが、「お前死ねよ」って言われている気持ちになったと言っても、満更誇張ではなかった。
 彼らの厭味ったらしい言葉が今もなお頭の中で反芻する。繰り返される程その言葉は、研がれたナイフの如く私の胸を抉ってくる。
 感情を掘り下げていく内に更なる悲劇が巻き起こる。あの二人だけではなく私は、全世界の人間から拒絶され、私の存在に大きなバツを付けてくるかのような、そんな錯覚まで自分を襲い始めたのである。私のことなんてもう、誰もゲットなんかしてくれない。
 私は今日この後、何もできなかった。
 太陽が没落する直前になろうと人気の絶えないビーチから、広大な海中へ後腐れありで退散した。
海水は私の涙よりも圧倒的に塩辛く、自然環境の厳しさを思い起こさせた。そうだった。海中は陸地より遥かに危険な場所である。
 そうだ、私はこの塩辛さから逃れたく頑張ろうと決意した。この程度で挫けてはいけない。食べられてしまうよりマシな筈なのだから。


 日を一周させてどうやらこうやら気を静めた私は、本日は若干離れた草むらに潜むことにした。ポケモンと言えばやはり草むらだろうというステレオタイプな発想ではなく、ちゃんと合理的だと自負を抱ける理由があった。
 海辺で遊ぶ人間達はそもそも、生き物を捕獲しようという思考を持たない観光客が多い。観光ついでに珍しいポケモンを捕獲する余裕のある人間は、マイノリティー側である。そもそも、あそこの人々はポケモントレーナーでない方が多い。トレーナー以外は野生ポケモンを捕獲することに積極的でない。
 そんな根本的なことに、私はひとまず初回は気が付かないフリをしていた。何も考えず、とりあえず試してみることに重点を置いていたから。
 本日から少々工夫を加える。工夫する以上『練習だ』と予防線は張ることはできなくなるから、相応に覚悟が必要だったが何とか乗り切れた。
 初めて嗅ぐ雑草の独特な匂いを鬱陶しいと感じつつ、草むらの端っこの方で忍んでいた。蹴飛ばされたら嫌だなあという不安だけあった。
 草むらを横断する人間の多くは旅のトレーナーだ。モンスターボールも確実に所持している。ゲットして頂ける可能性が高めだ。
 トレーナーが前を横切るとき私は襲いかかる体を装って飛び出す。そしたら、自分の身を守るべくボールから手持ちの仔を繰り出すだろう。
そうなれば自動的にバトルというものが開始される。戦いの最中で骨のある所を見せれば、仲間として迎えてくれるかもしれない。そうならないシチュエーションも想像できるが、もうそれは運に委ねるべきだろう。


 人間がやってくるのは意外と早かった。
 草むらに足を踏み入れようとしているのは一人の少年。アローラの慣習である島巡りの真っ最中だと思われる。初々しさがあまり感じられないので恐らく旅の中盤ぐらいか。
 さあどこからでもかかってこいと言わんばかりの好戦的な勢いで、私は雑草地帯から力強くジャンプして少年の前に飛び掛かった。
 少年は束の間目を丸くしたが、直ぐ様慣れた手付きで腰のボールの開閉スイッチに手を伸ばした。
 光の粒子を撒き散らしながら出現したのは、ラッタという悪タイプのポケモンだった。タイプ被りが発生していないことに一応安堵。
 私はそのラッタと全身全霊を込めてバトルした。
 結果私の惨敗に終わった。
 否、惨敗と安直に評するのは些か自分に手厳しい。一撃でひんし状態に追い込まれた訳ではない。ラッタの歯によるエグい攻撃を三発耐えるという偉業を成し遂げたのだ。加えて水鉄砲を顔面に思い切りぶち撒け怯ませた。
 だが少年は今後の戦力になるとは見做さなかったのか、ボールを投げることなく倒してしまった。
 やはり、ゲットされないという結果に終わったのだから惨敗と表現しても満更おかしくないか。
 私はまた失敗に終わった。しかもこれ、一度失敗するごとに戦闘不能になるから、何回も挑戦できないということに気が付いた。
 少年は何故かラッタを置き去りにしその場から離れた。少年はもう私を絶対に捕まえようとしない。人間は一度ひんしまでシバいたポケモンを仲間に加えようとはしない。理由は大方、ひんしにまで弱らせた相手を捕獲しても懐く訳ないと思っているからだろう。他のポケモンはどうなのか知らないが、自分はそんな些細な事柄は気に留めないし、構わないから捕まえてくれと言いたい。
 少年が私が見える範囲から消失して、生い茂る草の上には、一匹の横向きに倒れているポケモンと後もう一匹。ラッタはこちらをチラチラ警戒し視線が合うと慌てて空を見上げる。
さあ圧倒的に気まずい時間の始まりだ。気絶しているフリをして目を瞑ろうか。でも今更遅い。
 辛いと感じていた所救いの手が差し伸べられた。沈黙に耐えきれなくなったであろうラッタが、会話の入り口を開いてくれたのだ。
「間違っていたら申し訳ないけど、オシャマリって本来こんな草ボーボーの所に生息してないよね。どうしてこんな所にいるの?」
 確かにそこは気になるだろう。さてどう返答したら良いものか。どうせ彼とは一期一会。本当のことを話しても特に問題はないだろう。いわゆる普通の思想のポケモンが、どう言った反応を示すのかも興味がある。
 それに、人間のポケモンとして生きるなら、他種族とのコミュニケーションに喉を慣らしておこう。私はこれまでほとんど、他種族と言葉や意思疎通を交わす機会がなかった。
「なんていうかその、私は人間にゲットされようと思っているんだ。それでトレーナーが多い草むらまでやってきたんだけど……」
ラッタの表情には訝しい感情がありありと見て取れた。やはり他から見たらそういうことなのか。
「そうなんだ……。どおりで君から『人間を襲ってやるー!』っていう覇気が全く感じなかった訳だよ。なんか珍しい。自分から拘束されにいく仔なんてなかなかいないよ」
「珍しいのか……。あー、やっぱり私って変なことしようとしているのかな」
「なんで人間のポケモンになりたいの? やっぱりバトルがしたいから?」
「……うん」
 喉が、本心の通過を許さなかった。
 安全な環境に囲まれたいという動機は、絶対に明かしてはいけない予感がした。利己的で不純なその動機は隠し通しておくべきだ。
「そうなんだ。それで今まで捕まえてくれそうな人間って見つかったりした?」
「まだまだ全然。人間の前に飛び出すようになったの、つい最近だから。でもたぶん、なかなか見つからないような気がする」
「そっか……」
「私さあ、一度捕まえてもらえないことがあると、すぐ落ち込んじゃうんだよね。どうしてなんだろう」
 だんだん私は、愚痴を放つようになってきた。
「え、なんでそんなに落ち込むの?」
「一人の人間が私をゲットしないと、他の全ての人間も私のことをゲットしないんだろうなあと思うというか」
「なにそれ」
 自分で喋りながら、突拍子もない思考を働かせていると嘲笑えた。とんだ被害妄想だ。しかし現にこの発想が脳内に纏わり付いて苦しんでいる。
「そんなことはないと思うけどなあ。いろんな人間がいる訳だし、君のことをゲットしてくれるような人もいると思うよ」
 ラッタがその言葉を放った途端確かにひんしだった体が、じわじわ回復していく感覚を覚えた。「本当はこうじゃないか」と自分が胸の奥底でひっそり感じていたことと内容は変わらないが、他者の口から発せられた言葉は確実な説得力を持って心に染み渡っていく。
「そうなのかなー、私を捕まえてくれる人間なんているのかな」
 私はこの有り難い仔からHPを回復してくれる言葉を、もっと引き出したいと願った。
「いるよきっと! 手に入れたいポケモンはみんな人それぞれ違うから! どんなポケモンだって必ず仲間にしてくれる人はいるよ」
 その言葉を念入りに心に練り込ませる。私は体を起こせる状態にまで回復を果たした。
 実際は、時間が経ったから立てるようになっただけだ。だが、心のダメージが身体と共鳴しているような感覚を私は覚えていた。
「ありがとう。私、頑張ってみるね!」
 最後のひと押し。元気よく宣言することで、私はラッタの言葉を全力で味方に付けた。
 彼の言っていることが真実であり、素直に受け止めるのを怠らなければ、私は崖っぷちから忽ち救われ明日を生きる活力が生まれる。
 丁度言い終わったタイミングで、少年が戻ってきた。少年はラッタをボールに戻しつつ、私の傍に橙色の木の実をそっと置いた。少年は何も言わず町の方角へと進んでいった。
 橙色の実は食べてもお腹は膨れないが、生物に生命力を与えHPを回復させる。少年は倒れていた私のことを気遣ってくれたようだ。なんて優しい人間だろうと感激した。
 橙色の実の水分が喉を潜った後は、身も心も良い具合に復活した状態になることができた。
 私は今日の出会いに感謝すべきだ。今後は、どんな困難が巡り寄せても挫けることはない。


 そして三日後。彼の言葉を盾にして突き進んだ結果、ゲットされることに成功した、かのように思われたが……不具合が発生した。
 人と遭遇できるスポットとして中々に優秀であると悟ったから今日も同じ場で待機した。僅か30分程度で頭上からボールがドロップされた。ボールの色は何故か赤ではなく黄色だったが球の色なんてサンゴの色程他愛もない。
 とにかく私は捕獲されて喜びに満ち溢れた。胸がすぅっと落ち着いていく。これからどんな拒絶を受けようともこの成功体験を印籠代わりにして掻き消すことができる。そんな希望で一杯になった。
ここまでの自己否定で遮二無二傷つけられた心臓が修復活動を開始する。安心感に包まれた私は途端に目の前の景色が明るくなった。
 好みや思想、如何なるポケモンが欲しいか、ポケモンは何を重視して選択するか、それらは大抵千差万別であり、十人十色、蓼食う虫も好き好きであることは、圧倒的
な真実であり、私をゲットした人間もいたのが最大の証拠だ。全ての人間から見捨てられるポケモンなんてこの世に一匹も存在する筈ない。
 と、思っていたのだけれども……。
 

『ボールから出て下さい』
 これまで結構な数の人間の声を鼓膜に通過させたけど、1番淡々としているトーンだった。私のトレーナーとなる人の声だろうか。
 出ろと言われたので私は指示通りにした。辺りには誰もいなくて、怖くはないけど殺風景な部屋に出た。少しだけ肌寒い感じがする。ここが異質な空間であると瞬時に察した。
 左右は真白い壁になっていて一切の装飾が施されておらず、壁の四方では無機質な監視カメラがぐるぐると回転していた。とあるカメラだけは絶えずこっちを凝視しており、私は思わず戦闘態勢すら取ってしまった。
『決して振り返らず真っ直ぐ進んで下さい』
 声の主は不明だが逆らってはいけない声質だった。殺意に満ちた捕食者の声ではないし、やけくそに身を任せた非捕食者の声でもないから、別に怯えはしなかったけれども、「私がルールだ!」と言わんばかりの説得力を帯びていたため私は無心で真っ直ぐ進む。
 進んだ先には透き通った水を溜めたプールがあった。水には一切の淀みがなく、気持ち良さそう過ぎて逆に気持ちが悪かった。
『これから能力検査を行います。ますは「すばやさ」を計測します。向こうまで泳いで下さい。本気でお願いします。必ず全力を発揮して下さい』
(これは何? どういうこと? 能力検査って何? トレーナーは能力をチェックしたいってこと?)
『それでは、始めて下さい』
 考える間もなく検査がスタートされた。戸惑いながらも私はプールにじゃぽんと飛び込む。向こう岸まで一心不乱に泳ぎ続けた。プールの消毒液の匂いが結構きつかった。
『続いて「こうげき」の能力を計測します。ボールを遠くへ飛ばして下さい』
 泳ぎ終えて一拍休憩していた私の眼前に、己の4倍の大きさはある巨大な球体があった。続け様に私に何をさせるつもりだろう。ボール遊び如きで攻撃力など推し量れるのか。
 疑心暗鬼ながらも私はそのボールを右手で叩いた。固くもなく柔らかくもないボールは思いの外バウントを繰り返して遠くまで飛んだ。
『続いて「とくこう」の能力を計測します。水鉄砲を打って下さい』
 ウィーンという機械音を立てながら5つの赤と白のマトが私の行く手を厳格に遮った。
 私はマトに向かって水鉄砲を連射した。これで測定が可能できるのだろうかという気持ちがまた遮り、少しだけ水の勢いを弱めた。後に防犯カメラで確認され怒られるかもだが、ほんの少々の手加減だし大丈夫だろう。
『続いて「ぼうぎょ」と「とくぼう」の能力を計測します』
 それを聞いて胸内が穏やかでなくなった。突として白壁に丸い穴が空いて中からブビィというポケモンが飛び出してきた。
「はあ……またこれか。飽きたわこの単純作業」
 ブビィはブツブツボヤきながら私の目の前に立った。とても怠そうな表情を浮かべていた。
「はいはい、さてと。じゃあやります。これから弱めに攻撃しますので、痛かったら右手上げて下さいね。後これバトルじゃないんで、反撃するのはお願いだから止めて頂戴ね」
 ブビィは炎のパンチ、そして火の粉を繰り出した。炎技は私には効果今ひとつであるし、ブビィの攻撃は非常にか弱いものだったから、一瞬熱っという痛覚を感じたのみで、全然ダメージを負わなかった。HPは0.5程しか減少していないのではないだろうか。
「はい終了です。別に火傷とか負ってないですよね、大丈夫ですよね。お疲れさまでしたー。それでは向こうの出口から、トレーナーの元にお帰り下さい。後これ、入り口に忘れていったでしょ、あなたのボール。ちゃんと持っていって下さいね」
 能力検査だか体力検査だかいうものは終結したのか。ブビィに案内されてこの謎空間から脱出した。
 出口を通れば、私を捕獲した張本人の顔が見えた。ボールを持ちながらトレーナーの元へ向かうと彼は素早くボールを取り上げ、何事もなかったかの如く淡々と開閉スイッチを押した。
 気が付けば自分は球体の中でじっと座っていた。少々色彩が変になったりするけれども、一応ボール内からは外の世界が見渡せる。私のトレーナーである筈の人物は、一枚の薄い赤色の紙切れを持ちながら、何とも残念そうな表情を浮かべていた。
「平均ちょい上ぐらいの能力ねえ……」
 先程の検査の結果だろう。平均より上で良かったと小躍りするのは、彼の傍らでは空気の読めない行為となるのだろうか。彼は私にさらなる増大な力を求めていた様子だった。
 とてもとても嫌な予感がする。これから何をされるのかある程度予測が付いていたが、どうしてもその予測を私は直視したくなかった。そんな悲しい結末であっては堪らない。
「こいつはちょっと駄目だな。使い物にならん」
(お願い……それだけは止めて)
「なんだよ。オシャマリが草むらにいるからてっきり珍しい能力でも持っているのかと」
(嫌だよ、見捨てないで……私を仲間に加えて……)
「全く時間の無駄だったな。無駄にした時間返せよ」
(せっかく捕まえてもらえたのに、なんで。こっちだって時間返して!)


 その後トレーナーが向かったのは近辺の海辺。皆さんもうお分かりであろう。私とこの人間の旅はここでピリオドを打つようだ。
 喜びに浸った時間がほんの数分だったのが、せめてもの救いだった。もっと長く喜んでいたらもっと強くショックを受けていた。
 トレーナーはボールから出た私の頭を優しく丁重に撫でた。そして包容力のありそうな笑顔を浮かべた。尋常でない変貌ぶりにゾッとした。空いた口が塞がらなかった。
「ごめんね、バカみたいなことに付き合わせちゃって。あなたじゃきっとこの旅には付いていけないと思う。本当にごめん。僕のトレーナーとしての実力じゃ、君を活躍させて上げることが難しい。全部、僕のせいだ」
 この人間は、ボールに入っていたポケモンは外の音が聞こえないと誤解しているのか。聞こえていると知っていてあえて皮肉を唱えているのか。
 後者ならともかく前者だとしたら、彼は裏表の顔を使い分けているということに他ならない。非常に腹立たしかったし、そういう邪悪なことを行なうと、今後人間を信用できなくなるのに繋がるから止めて欲しい。
なぜ面と向かって君は使えないって言わないのか。なぜ平気な顔をして欺くようなことができるのか。一から十まで理解できずじまいだ。
「さあ、お母さんとお父さんのとこ行っといで。きっと待っているよ。お友達もみんな心配しているよ。早く顔見せておいで」
(いや、もうみんないなくなったんですが……)
 ここで優しい言葉を投げかけるのは危険な行為だ。感情が籠もっていない言葉は大抵的外れだし、一切慰めにならず翻って他者の怒りを増幅させる。
「じゃあ、本当に名残惜しいけどさよなら。今後の幸せを心から僕はお祈りしているよ」
『お祈り』とは、なんぞや。
 祈りを捧げて、一体何がしたいのだろう。祈ることで目に見えるメリットがあるのだろうか。お祈りするぐらいなら捕まえて欲しかった。
 そもそも本当に本心から祈っているのか。実際は他者の幸福なんか一寸も希望していない。
 自分はあなたにとって、裏切り者ではない。そう伝えるためにお祈り等と綺麗な言葉を使用した。
 何としても、己を悪者側に回らせないために。
 本音と建前を使い分ける人の悪性を私は激しく嫌悪した。
 

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