14.ひとまず最終決戦(後編)

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「行くわよ、キングドラ!」
イブキさんの手のボールから伸びる光は水面まで届き、青い竜が水中から顔を出す。……イブキさんが繰り出すドラゴンポケモンはみんな青いけれど、その特徴は様々だった。ギャラドスのように凶暴性を隠さずこちらを睨むでもなく、ハクリューのように神秘的なオーラを振り撒くでもなく、キングドラは……ただ、静かにある1点を見つめている。相手であるあたしの方を見ているはずなのに、別の何かが覗き見られているようで変な気持ちになる。
水のバトルフィールドが似合うドラゴンタイプのポケモン……思っていた通りだった。水タイプということであればギャラドスもそうだけれど、あいつは水より炎、それも破壊の限りを尽くした後の焼野原を背にしている方が似合っている。空中より水中、さらに潜って光の届かないような深海へ……キングドラには、そんなイメージがあった。
けれど……と、ボールを握り締めた手の力が強くなった。水のステージが似合うポケモンはこちらにもいる。いや、似合うというより、水そのものだ。とびきり冷たくて、とびきりバトルに燃えているヤツが!!
「シャワーズ!!」
あたしのいる場所からいちばん近い足場に立ち、姿勢を低くして早速キングドラに向かって唸っているシャワーズ。つれない態度が多いけれど、とっても頼りになるあたしのパートナー。一緒に旅するポケモンが増えても、パートナーと言えるのはこいつだけだ。……あたしがこの世界に来たその時から一緒にいる、あたしのパートナー。
「――――シャワーズ、勝とう」
興奮して大声を張り上げてしまいそうになるのをあえて抑えつつ、静かに告げた。それにシャワーズはピクリと片耳だけ動かし、けれど振り向くことはなく視線はキングドラに向けたままだ。……思った通りの反応が返ってきて、この状況には場違いなほど口元が緩んでしまう。やっぱりこいつはあたしのパートナーだ。
そんなあたしたちを見て、イブキさんは小さく息を吐くように笑っていた。
「あら、あなたの最後のポケモンもこのバトルフィールドにぴったりじゃない……」
「ほんと、余計燃えてきますよ!」
自分で言いながら、本当に身体中の血液が燃え滾っているように感じる。バトルが始まってからずっと、あたしのテンションは最高潮のままだ。そして今から始まるのは、最後のジムの最後のポケモン……まさに最終決戦だ。
……そういえば、とおぼろげな記憶が不意に心をくすぐる。最後のジム、最後のポケモン、キングドラ……この組み合わせは初めてではない。実際にその空気を肌で感じながらポケモンバトルをしている現在があるなんて想像すらしていなかった、あの頃……『ポケモン』というゲームを遊んでいたあの頃。ゲームの中で、最後のジムの最後のポケモンとしてキングドラを相手にしたことがあったはずだ。その頃から随分と経ってしまったような気がする……いや、実際にもう結構長くこの世界にいる。突然ゲームの中の世界に迷い込んで、何となく旅を始めて、それなりに目的を決めて。ゲームの中とは全然違うなんてことは何度も思い知らされた。元の世界に帰る方法がわからず自分の記憶も何故か曖昧なものになっていて柄にもなく不安になったりもした。それにこの最終決戦が終わっても肝心なことは何ひとつ成し遂げられていない、まだまだここは通過地点だ。
……そうだよな。ジョウト地方のジム全てに挑むのは、手っ取り早く強くなりたい……なんていうナメた考えがあってのことだったんだけどな。ジムリーダーとのバトルを通して経験値を得る……そんな、画面越しにこの世界を見ていた時と同じような考え。
改めて意識を現在の自分に戻すと、ちょうどあたしを見つめていたイブキさんと目線がかち合った。
「ここからが本当の勝負よ! 心してかかってきなさい!」
「……はい!!」
ひとつひとつこちらにぶつけられているようなイブキさんの高らかな声に煽られて、ついこちらの声にも力が入る。
――ややこしいことは今はもうどうでもいい、ただあたしは……あたしたちは、この人に勝ちたいんだ!!
拳を握ると、それに応えるようにシャワーズが大きな飛沫を上げながら尻尾を地面に叩きつける。……なんだよ、声に出さなくてもあたしの考えてることはわかるって言いたいのか? そうだな……お前の言いたいことも当ててやろうか?
――いいからさっさと指示を出せ、早くバトルを始めたい。……俺は、とにかくあいつに勝ちたいんだ。
もう一度、尻尾が地面に振り下ろされた。……あいつも痺れを切らしているらしい、いい加減最後のバトルを始めよう。

―――――…………

「シャワーズ! ハイドロポンプ!」
「こっちもハイドロポンプよ、キングドラ!」
あたしの声とイブキさんの声が一呼吸ずれて重なった。2匹のポケモンが大量の水を放つのはほぼ同時で、バトルフィールドの中央で激しくぶつかり合う。どちらも凄まじい威力で、両者一歩も譲る気配はない。
「互角、ね…………一旦潜るわよ!」
キングドラは急に放水を止めた。拮抗していた相手を失ったシャワーズのハイドロポンプが襲うも、素早く水に潜ったキングドラを追うようにして揺れる水面を荒らすだけとなった。……沈んだ地面に水が溜まり、プールのようになったバトルフィールド。早速キングドラはその環境を活かしている。
「追いかけろ!」
水の中を泳ぐことができるのはうちのシャワーズだって同じだ、あたしの指示に躊躇いなく水の中へと消えて行った。
……泳いでいるキングドラの頭やその先の底を見るに、水深はあまり深くはないようだ。所々にある足場も完全に底に繋がっているから、水の中は見た目ほど広くはないだろう。水の中に入ると姿が消えてしまうシャワーズにここから指示を出すのは少々難しいけれど、相手からその姿が見えないということはかなり有利だ。……いやでも、自分のポケモンが今どこにいるのかわからないっていうのは結構大変かも…………。
「ふふ、来たわね……」
見えないシャワーズの位置を何とか把握しようと水の中を凝視していると、何か嫌な予感を起こさせるような笑い声が聞こえてきた。もちろんその相手はイブキさんで、ちらりと視線だけ向けると強気な水色の瞳がギラついている。……これは、何が来るんだ?
「竜の波動!!」
今回のバトルで何度も聞いたその指示が、キングドラに対しても投げられた。キングドラが生み出す光の竜がバトルフィールド全体を覆いつくしながら襲ってくる……そう、思ったのに。
想像からあまりにも外れた展開に声を出す暇もなかった。今あたしの目の前で暴れているものは、キングドラとシャワーズが潜っている水そのもの……。
――――水の竜だ、水の竜がそこにいる。
『波動』という言葉には、『波』という漢字が含まれている。まさに今シャワーズを襲っているのは、荒れ狂うほどの大波。水中で放たれた竜の波動は大量の水を丸ごと巻き込んでキングドラの意のままに操られている……といったところか。原理はわからなくても、目の前の光景がそれを物語っている。
シャワーズは……今あの水の中にいるシャワーズはどうなっている!?
よく目を凝らすと、暴れ回る水の中に少しの違和感があった。飛沫を上げる白い波の中で、ある部分だけが透明なままだ。……シャワーズは、あそこにいるんだな。
水中で好き勝手に振り回されているようだけれど、あいつはこのまま何もできないままやられるような奴じゃない。
「シャワーズ! 何とかキングドラの下につけ!」
この中でハイドロポンプを撃ってもキングドラに辿り着くまでに荒波に阻まれてしまう、まずは相手に近付かなければ。何とか指示通り動こうとしているシャワーズから目を離さないようにしながら、あたしは考えを巡らせる。
こんなバトルフィールドを用意したうえでのこの展開、イブキさんとキングドラは水中でのバトルに慣れている。それに比べてあたしはどうだ、慣れないこの状況だと拙い指示しか出すことができない。このままだと確実にあいつの、シャワーズの足を引っ張ってしまう。
……となれば、慣れない状況からは一刻も早く脱しなくてはならない。
シャワーズだと思われる透明な何かがキングドラの真下を捉えた瞬間、叫ぶ。
「ハイドロポンプ! 打ち上げろ!」
竜の胴体に穴が開けられ、そこから噴き出した水柱に押し出されるようにしてキングドラが空中に放り投げられた。動力源を失った水の竜は途端にコントロールを失い、ただの水となってバトルフィールドへと叩きつけられる。……地面にぶつかった勢いのまま、離れた場所にいるはずのあたしにまで水がかかる。少し温かい、元々地下に溶岩が流れていたからなのか水温は高いらしい。ぬるま湯に濡らされた衣服はしっとりと重くなり、さらに周りの空気に冷やされて余計鬱陶しい。
顔にかかったぬるま湯を拭いながらあたしは2匹のポケモンの位置を確認する。水の竜から解放されたシャワーズはバトルフィールドの足場に立っており、打ち上げられたキングドラはそのままバトルフィールドへと落下しようとしているところだ。今のキングドラには、攻撃を避ける手段がない。
「冷凍ビーム!!」
――この技は、随分と前から特訓していた技だった。ジョウト地方のジム全てに挑むと決めて最初に調べたのはジムリーダーの使うポケモンのタイプ、そして場所的に最後に挑むであろうここフスベジムのジムリーダーイブキはドラゴン使い……その時からシャワーズにはこの技を覚えてもらおうと決めていた。けれど習得までの道のりは思っていたよりも厳しく、ちゃんと技として完成したのはフスベシティに到着する直前だったりする。
技の完成の決め手となったのは2つ。1つ目は環境、フスベシティに向かう際に通った氷の抜け道だ。辺り一面氷に囲まれて常時冷気の立ち込めているあの場所は、氷タイプの技を習得するのに打ってつけの場所だった。
そして2つ目は、今は力尽きてモンスターボールの中で眠っているウリムーだ。ウリムーに道案内をしてもらうついでにシャワーズの特訓の相手をしてもらったあの時、シャワーズの冷凍ビームは初めて技として成立した。
氷の抜け道に元々存在する冷気と、ウリムーの凍える風による冷気……それらを直接浴びて、感じる。肌に突き刺さってそのまま心の臓まで氷漬けにしてしまうほどの冷気、感じたままのそれを凝縮して、放つ!
そうやって生まれたシャワーズの冷凍ビームの威力はもちろん強烈で、それをまともにくらってしまったキングドラはたちまち氷の塊にされてしまう。ドボンと重い音を鳴らしながら水面に叩きつけられた。……足場に落ちてくれればもっとダメージ入ったのに。
水中に沈んだ氷漬けのキングドラは、やがて浮き上がってくる。そこに追撃を与えようとしていたシャワーズが、すんでのところで踏みとどまった。あたしもよく確認すると、キングドラの氷はもう半分ほど溶けている。特に顔の部分は完全に回復しており、既に反撃の体制が整っていた。
……そうだな、氷くらいすぐ溶けるよな、このくらい温かい水だったら。
もしかするとこれも計算のうちか、なんて疑念が頭をよぎる。大量の水を利用した竜の波動、ぬるま湯で凍らされた身体を回復させる……灼熱の溶岩だけではない、最後のジムにふさわしくバトル環境においても挑戦者に試練を与えようとしているのか。本当に、どこまでも高い壁だ。
「……すみません、こんなバトルフィールドだからって素直にそっちの思い通りには戦ってあげませんよ!」
それでもあたしはイブキさんに強気な発言をする。目の前に立ちはだかる壁は高ければ高いほどいい、その分乗り越えたときの達成感がより強いものとなる。それに諦めなければ、きっと越えられない壁なんてない……絶対に、勝つ!!

―――――…………

「そうね、そう来なくっちゃ…………キングドラ、煙幕!」
ひょっとこのような細い口から黒いものが次々と噴出される。煙幕と言うからには煙だろうけれど、それにしては粘度があるように見える。普通のバトルフィールドならばいくらでも避けられるだろうけれど、今シャワーズは狭い足場の上にいる。さらにキングドラの独壇場になることを恐れて水中に入ることを躊躇っているらしく、いくつかその身に受けてしまう。そのうちのひとつは顔面ど真ん中に当たってしまい、黒く染まった顔からは焦りの表情が見える。もしかすると目の中にも少し入ってしまったのかもしれない。
視界を奪われる、非常に厄介だ。うちのシャワーズもよく使っていた戦法……だからこそ、こういう時の対処法は心得ている。
「スピードスター!」
シャワーズが咆哮を上げると同時に身体の周りに無数の星が生み出され、一斉にキングドラへと襲い掛かる。白い尾を引きながら、その全てが確実にキングドラを狙い撃つ。追撃も既に準備万端、絶え間なく攻めていく。
かつての対戦相手が使っていた技を、今のシャワーズは完全に使いこなしている。トレーナーの贔屓目かもしれないけれど、あの時……コガネジムでのアカネちゃんとのバトルの時にエイパムが放ったものよりも、今シャワーズが放っているものの方がスピードも威力も上回っているように見える。
バトルフィールドを駆ける星形の光線は、その見た目の可愛らしさとは裏腹にバトルでは非常に使いやすい技だ。必ず相手に命中するというのは言わずもがな、コツを掴んでしまえば一度に大量のスピードスターを放つこともできた。一撃一撃重いダメージを与える技を好んで覚えているシャワーズにとって、それらに威力は及ばなくとも手数を増やすことのできるこの技はとても大事な戦力だ。
水上のキングドラは避けられないものとわかっていながらも何とか避けようと潜り、結局水中まで追いかけてきた星の餌食となっていた。あのシャワーズの放つスピードスターが水の中に入ったくらいで凌げると思うなよ! 何なら岩まで砕くぞ!
無数の星に苦しそうな顔をしているキングドラに、イブキさんの眉間にしわが寄った。
「くっ……キングドラ! 竜の波動!」
キングドラが水の中から顔だけ出す。今度は水上でのこの技だけれど、こちらも避けることはできない。元々この技が影響する範囲はバトルフィールド全体に及んでいる、今回もやはりバトルフィールド全体を覆うような光の竜がシャワーズを喰らおうとしている。
「続けて! スピードスター!」
避けられないのならば、耐えるしかない。耐えながら、こちらも攻撃の手を緩めずに迎え撃つ。
とはいえ、スピードスターと竜の波動では技自体の威力に差がある。いくらシャワーズが連続して星形の光線を撃ち込もうとも、光の竜による噛み付きが強力なことはよくわかっている。大きな顎に飲み込まれ、シャワーズは苦しそうながらもじっと耐える。
……駄目だ、集中が途切れた。スピードスターはかなりの集中力が必要だというのに。これからキングドラに向かおうとしていた星が勢いをなくし、ボトボトと水の中へと落ちていく。キングドラへの攻撃の手が、緩んでしまった。
「破壊光線!!」
その一瞬の隙を突くように、イブキさんの鋭い声が刺さる。
「シャワーズ!!」
さすがにここでその技が来るのはまずい、けれどやはり避けるだけの足場はない。ここまでかなりのダメージを負ってしまったシャワーズがキングドラの破壊光線を耐えることのできる可能性は、限りなく低い。そんな、ここで終わり……いや、あたしが諦めてどうする! 何とか、この状況を打開できるような何かを思いつかないと……!
頭の中で色々な情報が目まぐるしく動き回る。どう動けばこの危機的状況に対応できる、どう指示すればシャワーズはキングドラに勝つことができる、どうすれば……! 緊迫感に息が上がり、目の前のシャワーズの姿が僅かに揺れる。
明確な答えを導き出せないまま、ついにキングドラが破壊光線の発射準備に入る。スローモーションのようだった。キングドラの口元に極彩色の光が集まり、膨れ上がり、シャワーズに向けて撃ち出され……!
……撃ち出された、はずだった。
「――――外したっ……!?」
――キングドラの渾身の破壊光線は、シャワーズの頭上すれすれを通り抜けて行った。
煙幕を受けて視界が塞がれているシャワーズとは違い、キングドラは万全の態勢で破壊光線を撃ったはずだった。まさか、という動揺がイブキさんの声からも読み取れる。
「……チャンス! シャワーズ、冷凍ビーム!」
破壊光線を受けた壁がひび割れ崩れるような音を聞いたところで我に返る。そうだ、破壊光線を撃った反動でキングドラはまだ身動きが取れない、今のうちに……!
1発目、照準の合わない冷凍ビームは水面に突き刺さり、一部を氷の床へと変化させる。2発目、またしても外れて氷の床がどんどん増えていく。キングドラはまだ動かない。
……3発目、ようやくターゲットを捉えた。一瞬にして氷漬けになったキングドラはぷかぷかと水面に浮いている。けれどこれもほんの少しの間だけだ、もうすでにその氷は溶け始めているだろう。
シャワーズがひとりでに今いる足場から走り出し、氷の床へと飛び移る。視界が悪いはずなのに、途中元々の足場も経由しながら、確実に、段々と氷漬けのキングドラの元へと近づいて行く。……そうだよな、最後はあの技で決めたいよな。
進化してからすっかり特殊攻撃が得意になったシャワーズだけれど、元々の性格からしてそれだけでは物足りないらしかった。イーブイの頃から変わらない、戦闘意欲剥き出しなその態度。バトルの最後はどうしても自分で、自分の身体を使って直接決めたがった。
シャワーズだからこそ、あたしのパートナーのシャワーズだからこそのこの技。この技で、決めろ!
「アクアテール!!」
キングドラの目の前の氷の床に着地したシャワーズは、そのまま飛び上がって相手の上を取る。空中で身体を丸めて前転の構えを取ると、飛び上がった勢いで少し回転がかかりシャワーズの太い尻尾が天井に向かって伸びる。飛び上がった最高到達点から真っ逆さまに振り下ろされる尻尾は渦のような水流を纏い、そのまま、氷漬けのキングドラの頭上に振り下ろされた。

―――――…………

「――――キングドラ、戦闘不能! よって、挑戦者リンの勝利!!」
気を失った状態で水上に浮かんできたキングドラを確認して、ついにバトル終了のアナウンスが流される。途中から完全に静まり返っていた観客席が、ようやく歓声で溢れ返った。
――勝った、勝ったんだ。ジョウト地方最後のジムリーダーに!
「……シャワーズ!!」
一目散にシャワーズへと駆け寄ろうと、けれどその先には深く水が張っていることを思い出して数歩だけ足を踏み出して止まる。あたしの呼ぶ声に振り返ったシャワーズは、ざぶんと躊躇いなく水に潜り、瞬時にあたしの目の前から顔を出す。……お前こんなに早く泳げたのか、知らなかった。しゃがみ込んで目線を合わせ、顔に手を当て、親指でその頬を優しく撫でた。
「本当に……本当に、よくやったな」
自分でも驚くほど柔らかな声が出たと思う。そして普段ならこんな甘やかすような扱いを受けることを嫌うシャワーズが、今だけはあたしの親指の動きを拒まず、目まで閉じてされるがままだ。その表情には疲労の色がにじんでいて、先程までのバトルが本当に過酷なものだったことが改めて見て取れた。……本当に、よく勝ってくれた。
「……運が良かったわね、私に勝つなんて」
背後から聞こえてきた声に、一旦シャワーズから手を離して振り返る。……イブキさんだ、どうやらわざわざバトルフィールドの向かいからここまでやって来てくれたらしい。にこりともせずに右手を差し出されて、こちらも表情を引き締めてから右手を差し出した。
「あの最後の破壊光線を避けられなかったら、たぶんこっちが負けてたと思います」
「破壊光線……あなた、あれも計算のうちだったの?」
正直にバトルの最中に感じていたことを白状すると、想定外の唐突な問いに握手をしていた手をつい離してしまう。
「あれ、って?」
あたしの顔を見たイブキさんの目は見開かれ、けれどすぐに細められる。そこから少し考えるようにして、また口を開いた。
「…………あの時、キングドラは完全にシャワーズの姿を捉えていたわ。けれど、外した。キングドラが捉えていたシャワーズは、ただの幻だった」
「幻……?」
水から上がったシャワーズがあたしの横につく。シャワーズは実際にここにいるのに、幻? 一体何の話だ?
「水面や地面の温度と気温との差が大きいと、実際とは違ったものの見え方をすることがあるの。いわゆる蜃気楼ってやつね」
何故だか理科の話になってきてしまった。えっと、温度と気温の差? 蜃気楼? 頭の中に疑問符をたくさん浮かべながらも、続けてイブキさんの話を聞く。
「今回は溶岩によって温められていた地面とそこに流れ込んだ水、それとあなたのウリムーによる凍える風で冷え切っていたバトルフィールドの空気。それらの温度差によって起こった蜃気楼のせいで私のキングドラはあなたのシャワーズの幻を見てしまったようだけど……」
急に、イブキさんはあたしの顔を覗き込むように身を乗り出した。驚きながらもまっすぐその視線を受ける。見つめ合っていたのは数秒程度、小さく笑ったイブキさんはすぐに視線を逸らした。
「……その様子だと、本当に偶然だったようね」
何がどうなってそういう結論に至ったのかもわからないし、そもそも何の話をしていたのかもよくわからない。とにかく、シャワーズが最後の破壊光線を避けられたというのはただの偶然というだけではなく、ちゃんとした理由があったということだ。その理由はまだよくわからないから、結局はただの偶然ということになるのかもしれないけれど。
「……運も実力のうち、ってことですかね?」
「調子に乗るんじゃないわよ! 全く……」
何とか捻り出した言葉は即座に打ち返された。溜息を吐いたイブキさんは後ろに控えていたジムの職員らしき女性から何かを受け取り、再びあたしに向き直った。
「これを渡すのも随分久しぶりなのよ?」
その手の中にあったのは、黒いドラゴンの顔を模したような小さなバッジ。溶岩を思い出させる赤い瞳と赤い角を持っていて、まさに、このフスベジムを象徴させるもの。
「……ライジングバッジよ。とにかくこれであなたは、ジョウト地方のジムリーダー全員に認められたトレーナーってことになるわ」
イブキさんの手から、あたしの手へ。ゆっくりと厳かに、儀式のようにバッジの受け渡しが執り行われる。小さいけれど、確かな重みを感じる。
「ありがとうございます!」
深くお辞儀をし、早速ウエストポーチからバッジケースを取り出した。開くとこれまで勝ち取ったジムバッジがずらりと並んでいる。右下の空いているスペースにはめ込むと、途端にケース全体が輝き始めたように見えてきた。
この世界にやって来たとき、旅を始めたときにはまだ空っぽだったこのケースが、ついに埋まった。ここに、ジョウト地方のジムリーダー全員に認められた証が詰まっている。
「この後はポケモンリーグにでも挑むのかしら」
ポケモンリーグ、正式にはポケモンリーグ本部。……長いな、本部リーグでいいや。一旦目を閉じてその場所を思い浮かべる。
ジョウト地方には独自のポケモンリーグがない、だからジョウト地方の全てのジムバッジを集めて得られるポケモンリーグへの挑戦権はカントー地方にある本部リーグのものだ。だからこのバッジケースはまさに本部リーグに挑むための許可証代わりとなる。けれど。目を開けてもう一度8つ揃ったバッジを目に焼き付ける。
「……いや、リーグには行きません。他にやることがあるんで」
「あら、そう……」
バッジケースを閉じて、ウエストポーチの中にしまい込む。あたしにとってあのバッジケースは、リーグへの挑戦権を与えてくれるものではない。あたしの、あたしたちの強さを証明してくれるものだ。自信をもって、次なる目的に向けて進んで行ける。
あたしの答えに少しつまらなそうな顔をしたイブキさんは、目線を逸らしたまま腕を組んだ。
「この私に勝ったんだから…………何であろうと、せいぜい頑張るのね」
高圧的な口調と声色、そして気恥ずかし気に明後日の方向を向く瞳。不器用ながら、今の言葉は確かにあたしへのエールだった。
「……はい! ジム戦、ありがとうございました!!」
「どういたしまして」
もう一度深々と頭を下げると、足元のシャワーズと目が合う。澄ました顔が僅かに緩んで、穏やかに笑いかけられる。お疲れ様、と何故か労われているようだった。お前こそ、とあたしも頬を緩めて答えた。

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