11.戻ってきた平穏

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「ヒビキ! リン! ヤドンは無事か!?」
「……ガンテツさん!」
ヤドンを見つけて暫し呆然としていたあたしたちは、その声で我に返った。
振り返るとガンテツさんを筆頭にたくさんの男たち、たぶんヒワダタウンの住人だ。ガンテツさんがあたしの言った通り呼んできてくれたんだろう、ヤドンを見てそれぞれ歓喜やら安堵やらの表情を浮かべている。
「おお、ヤドン……! ようやったな、お前らのおかげや!」
そう言ってあたしたちの肩を強く叩くガンテツさん。隣で頭を下げるヒビキの姿も見えたけれど、あたしの体はまだ動かないままだ。
「でもすみません、ロケット団には逃げられちゃって……」
「ヤドンを取り戻せたんや、そんなことは今はどうでもええ!」
ガンテツさんのほかにも、たくさんの手がヒビキ、そしてついでにあたしの肩を叩く。ヒビキは困ったように笑っていたけれど、今のあたしはどんな顔をしているだろう。自分ではよくわからない、とにかくいい表情じゃないのは確かだ。その時。
「あっ……! ヤドン…………!」
この場にそぐわない、幼い女の子の声が聞こえた。それはガンテツさんの後ろから聞こえていて……ああ、チエちゃん、ついて来てたのか。小さな手で押しのけるようにあたしとヒビキの間を駆けて行った先には大勢のヤドン、そしてその中の1匹の前でしゃがみこんだ。
「ごめんね、しっぽ、痛かったよね……!」
震える手でその体を撫でて、同じく震える声で絞り出すように話しかけるチエちゃん。
「でももう大丈夫、あたしがついてるから……!」
ヤドンを抱き締めながら大粒の涙を流すチエちゃんを見て、体が動いた。いけない、なんであたしはここにいるんだ、なんでこの子を泣かせたまま突っ立ってるんだ。
「……は、早くヤドンたちをポケモンセンターへ! みんな、シッポが…………!」
やっとの思いで出した声は、震えてはいなかっただろうか。

ヤドンの井戸で見つけたヤドンたちは、みんなそのシッポを切られていた。その断面は血は出ていないにしても結構グロテスクなもので、もうあまり思い出したくはない。冗談抜きで吐きそうだ。
それからは早かった、ポケモンの力も借りながらシッポを切られたヤドンたちをただひたすら井戸の外へ、そしてポケモンセンターへと運んだ。ジョーイさんはそのあまりの多さに驚いていたけれど、きちんと適切に処置すれば切られたシッポもやがて復活するらしい。みんなそれを知っていたから大人たちはあんなに楽観的だったのか……ポケモンって本当に不思議だ、それなら一安心なんだけれど。
ヤドンの運搬作業の途中、ガンテツさんの呼びかけで駆け付けたヒワダタウンの住人たちは、今回の事件について各自思ったことを自由に話していた。基本的にポケモンの肉体を食すことは一部の例外を除いて認められていないこと、けれど昔から珍味として有名だったヤドンのシッポは管理にさえ気を付けていればいずれ復活するためその例外に含まれていること、とはいえ一時ヤドンのシッポを求める人間が急増したことでヤドンの乱獲騒ぎとなりヤドンのシッポは認められた一部の人間しか生産・販売できなくなったこと、そのためヤドンのシッポは高値で取引されていること、過去にもヒワダタウンでは野生のヤドンが多いことからヤドン狩りをする人がいたこと、その対策としてヤドンの井戸にはいつも見張りの人間がいたこと、けれど今回はその人間が拘束されていたこと、そしてそれを発見した町の人がガンテツさんに報告したこと。そして、今回のこの事件の首謀者であるロケット団のこと。
あたしは両腕にヤドンを抱えながら、黙ってその全てに聞き耳を立てていた。ヤドンの井戸とポケモンセンターまではそこまで遠くはない、思っていたよりスムーズに往復できて助かった。ヒビキは意外に重たかったらしいヤドンを自分の力だけでは抱えきれず、早々にポケモンセンターでの待機に回ってしまったけれど。そちらにはヒワダジムから急遽駆け付けたツクシくんもいたらしい。ジムリーダーだからとロケット団のしたことの――言い方は悪いけれど、後始末をしなければならないなんて気の毒に。
ロケット団の今回の目的は間違いなくヤドン狩り、そしてヤドンのシッポを高値で売ることによる資金調達だ。けれどヤドンをそのまま連れて行くことはせず、井戸の奥の洞窟の中でシッポだけを手に入れ、去って行った。ヤドンは帰って来たけれど、あいつらの目的は無事に達成されてしまったわけだ。
ヤドンのシッポを売って稼いだお金で、あいつらは一体何をするつもりだろう。やっぱり世界征服? でも世界征服って具体的に何から始めるんだ?
あれこれ考えても答えは浮かびそうもない。周りに倣って両腕にヤドンを抱えたヘラクロスがあたしを追い越すのを見て、あたしも歩く速度を速めた。

―――――…………

ヤドンの運搬作業は終わり、あたしとヒビキはポケモンセンターのロビーのソファーに腰掛けて休憩を取っていた。
「ああー疲れたー…………それにしても、リンさんって強いんだな……」
ヒビキが息を吐くついでというように呟いたその内容に疑問を覚えて聞き返した。
「ん? いや、あたしは別に何もしてないし、そもそもバトルすらしてないよ」
「そういうことじゃなくてさ……」
ちらり、とあたしの腕を見たヒビキに何となくその理由を察して、だらけきったその顔の頬を指でつまむ。すべすべしていて柔らかい。痛くはないように手加減しているからか、ヒビキは特に抵抗することもなくそのままでうーうー唸っている。
「リンさーん……なにするんだよー……」
「心配しなくてもヒビキの成長期はまだまだ先じゃん」
「うー……」
頬を引っ張られたままじとりと上目遣いで睨まれても、可愛いだけだった。とはいえいくら年下で可愛く思えるヒビキも男の子、女より自分が力がないことを見せつけられたのはプライドが傷ついたらしい。
けれど、あたしはお前がシッポの切られたヤドンを目の当たりにして驚いてはいたものの、そこまでショックを受けていなかったのを覚えている。ガンテツさんたちが来てからの対応も抜かりなく、あたしよりもよっぽど冷静だった。ヤドンのシッポの切断面に顔を青くしていたであろう、あたしよりも。ヒビキもヤドンのシッポのことについて色々知っていたんだろう、けれどその反応の差があたしとヒビキの間に存在する確かな隔たりに思えた。
こんなところでも別世界の人間なんだと改めて思い知るなんて、なんかへこむ。少し沈んでしまった心を慰めるように、しばらくヒビキの頬で遊ぶことにした。

――そんな風に心を慰めていても、お腹は膨れない。
「なんか色々ありすぎてお腹空いてたのも忘れてた……」
「うん、もうすっかり暗くなってるし……」
空っぽの胃にもちもちとしたうどんと共にお出汁が染み渡る。こういう疲れたときには温かいものが食べたくなるよな。
あのあとあたしのお腹の虫が鳴き出してしまい、あたしたちは急いでポケモンセンターの食堂へと駆け込んだのだった。
「おいしい……」
器を両手で持ったままとろけるような顔で花を飛ばしているヒビキ。その隣には同じく花を飛ばしながらポケモンフーズを頬張っているヒノアラシがいて、ポケモンもトレーナーに似るもんかなと我ながら優しい笑みを浮かべてしまった気がする。けれどそれも仕方がない、ヒビキのあの顔はあまりにも平和すぎる。ヤドンのシッポの切断面によるダメージがないにしても、あのときのロケット団との対峙はかなりの修羅場だったはずなんだけれど。ヒビキはあの鈍く光った緑色の瞳を見なかったのだろうか。
……でもこのうどん、確かにおいしい。あとでおかわり貰いに行こう、そう決めてさらに麺をすすった。
「そういえばなんでイーブイはずっと機嫌悪そうなんだ?」
「あー……そういえばそうだったな……」
ヒビキに聞かれて目線だけ右隣に向ければ、そこには花ではなく明らかによろしくないオーラをまき散らしている茶色の怪獣……イーブイがいた。はは、とつい乾いた笑いがこぼれる。冷や汗もかいたかもしれない、それくらい今のこいつは機嫌が悪い。ポケモンフーズはがっつり食べているけれど。
「こいつ、今日はずっとバトルお預け状態でさ……さっきもロケット団相手にひと暴れできると思ってたところで逃げられたから……」
「そうなんだ……大丈夫?」
顔を近付けながらイーブイに話しかけてくれるヒビキは天使か何かか? それともこの世界の子供たちはあたしの世界の子供たちより心が綺麗なのか? ……いや、そうなるとシルバーも天使ってことになるからそんなわけはないな。脳内に浮かべたシルバーの顔に大きくバツ印を付けた。……ああそれはさすがに可哀想だな、その代わりに悪魔っぽいツノでもつけてやろう。
「それはそうとヒビキ、こいつは新入り?」
イライラしているのか毛が逆立っているイーブイの背中をできるだけ優しく撫でながら、ヤドンの井戸で見てからずっと気になっていたことを口に出した。こいつ、というのはあの水色の謎のポケモン。今は椅子に座るのが面倒なのかお行儀悪く直接机の上に乗って食事をしている。ぷるんとした体、手はなく足は短い。そして顔の左右にはアンテナのようなものを引っ付けていて、とにかく謎だ。
「そうなんだ! もしかしてリンさん、知らないポケモン?」
「うーん、見たことあるような気はするんだけど……」
こんなやついたっけ。いたかもしれないけど、この顔じゃ記憶に残らないよな……。
子供の落書きのような顔をしたそいつをじろじろ見ながらそんな失礼なことを考えていると、一旦うどんの器を置いたヒビキがそのポケモンを抱き上げてあたしの目の前に差し出した。
「こいつはウパーって言って、水タイプと地面タイプを持つポケモンなんだ!」
うぱー。なんだその名前、もしかしなくてもウーパールーパー? 小学生のころクラスの男子が家で飼っていると自慢していた気がするけれど、それも過去の話だ。今の小学生は名前すら知らないかもしれない。
うぱー、と自分で自分の名前を言うようにその口を大きく開けたウパー。試しにその頬をつまんでみればよく伸びる。なぜか指先がピリピリし始めた気もするけれど、冷たくてやわらかくて気持ちがいい。
「……なんかヤドンみたいに間抜けな顔してるよな」
「わかる……」
思いがけず同意が得られて、お互い顔を見合わせて笑ってしまった。当の本人は意味がわかっていないのか表情を変えないままぼんやりしている。そんなんだから今みたいなこと言われるんだぞー?
「それでさ、リンさんも!」
「ん?」
「そのヘラクロスのこと、教えてくれよ!」
だってすごく強そう! そう言って目をキラキラ輝かせるヒビキはやっぱり男の子だ。あたしの左隣で黙々とポケモンフーズを食べていたヘラクロスもその眼差しに少し照れているように見える。
「ふっふっふ。じゃあ捕まえたときのこと話そうかな」
なになに、と身を乗り出して聞いてくるヒビキにこちらも楽しくなってきて、わざと勿体付けて焦らしながら話を進める。
「朝早くにここのポケモンセンターの裏でさ、ヘラクロスの集団を見たんだよ」
「うん」
「それで元々捕まえようと思ってたからさ、その集団の前に出て行って」
「うんうん!」
「まあ簡単な自己紹介のあと…………」
「そのあと?」
「相撲取ったんだよ」
………………。
「――――何やってんだよ!?」
思わず叫んだヒビキに我ながら吹きだしつつ、無茶をしたという自覚のある行動を洗いざらい話すと、案の定ヒビキはまた驚いてお笑い芸人顔負けのリアクションを見せてくれた。

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