06.眩しい世界

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結論から言うと、昨日の出来事は夢ではなかった。
目を覚ますと昨日の繰り返しのようにあたしのお腹の上に乗っているイーブイと目が合った。けれど昨日とは違ってここは屋内、閉じられたままのカーテンから微かに朝日が射し込んでいる。
あたしは本当にこの世界にやってきてしまったらしい。
改めてその事実を噛み締めていると、あたしの顔面にイーブイの頭突きがヒットした。めっちゃ痛かった。

「あれ、リンさん。もう起きてたの?」
身支度を終えて部屋を出ると、今研究所に入って来たらしいウツギ博士に出会った。ポケモン博士の朝は早い、のか?
「はい! いや、あたし早起きだけは得意なんですよ! こいつもすっかり目が覚めてたし」
足元で欠伸をしているイーブイに目をやる。旅をするにおいてイーブイはずっとモンスターボールの中に入れておくのではなく、できるだけ連れ歩きをすることにした。連れ歩きとは、手持ちのポケモンをモンスターボールの外に出して一緒に歩く事。ウツギ博士が連れ歩きについて研究していて、ヒビキにヒノアラシを渡したのもその研究のためだということは昨日ウツギ博士自身から聞いていた。別にあたしは頼まれたわけではないけれど、せっかく旅をするんだから一緒に歩いた方が楽しそうだ。イーブイなら見る分には可愛いし、仮に進化したとしても連れ歩き出来そうだし。
「早速仲が良いんだね」
「まあ、昨日は一緒に寝ましたけど、だいぶ扱いが悪いですよ」
「それだけ気を許しているってことだよ」
そう言われてイーブイを見下ろすと、ふいと目を逸らされた。あたしと一緒に旅に出るくらいには懐いているのはわかったけれど、きちんと信頼関係を築くまでにはまだまだ時間が掛かりそうではある。
「そうだ、朝食はまだだよね? 今日は偶然多めに作っちゃったし、よかったらこれから一緒に食べようか」
そう言ってウツギ博士は手近なテーブルにラップにくるまれたおむすびを並べ始めた。

とりあえず、ひとつおむすびを頬張ってみる。まだ温かい。海苔の巻かれた三角形のよくあるおむすび。中の具は梅干しで、塩加減も丁度良く、とてもおいしい。
「いつも自分で朝ご飯作ってるんですか?」
聞けば、これらは今朝自宅でウツギ博士自身が握ってきたものらしい。おにぎり片手にモニターに向かって何やら作業をしている姿は無駄がなくて、この光景は日常茶飯事のものであることが窺える。
「まあね。妻には家や研究のことで苦労をかけてるから、せめて朝は僕の都合で振り回したくないんだ」
「奥さん思いなんですね」
「はは、ありがとう」
うちの父さんとは大違いだ、と考えてふと家族のことを思い出した。もしかすると今ごろ、いや昨日から大騒ぎだったかもしれない。家出したと思われて、警察沙汰になっているかもしれない。母さんは絶対に正気じゃいられないだろうし、父さんも態度には出さなくともこっそり心配はしているだろう。一緒に入れてもらったインスタントコーヒーを一口飲んだ。……やっぱり違う味だ。
「ああそうだ忘れてた、確かリンさん、ポケギア持ってないんだよね?」
心配そうな両親の顔を頭の中で思い描こうとしたところで、思考を引き戻される。ポケギア……ああ、ヒビキが持っていた腕時計のような携帯電話のような機械だ。確かに持っていない。
「はい、だからヒビキにここまで案内してもらえて助かりました!」
「だったら丁度よかったな」
ウツギ博士は懐から電子辞書のような薄っぺらい機械を取り出した。手に持っていたマグカップを置いて覗き込む。
「これ……」
「タウンマップだよ」
まじまじと見ていると、それに気付いたウツギ博士がそれを開いて電源を入れてくれた。自分の良く知るゲーム機のようにモニターは上下に2つ付いていて、下画面にはジョウト地方のマップが、上画面にはワカバタウンのマップが映し出されている。ウツギ博士がいくつか操作すると、上画面のマップにワカバタウンの詳細な情報を表す文字列が映し出された。
「昨日ちょっと棚の整理をしていたら偶然見つかってね。今はポケギアにマップ機能が付いているから、ジョウトではもうあまり使わないんだ。僕ももう使わないだろうし、よかったら持って行きなよ」
「ありがとうございます!」
遠慮をしても無駄だということは昨日学んだ、ありがたく受け取る。冒険に出るその日にタウンマップをもらう、いよいよ旅の始まりらしくなってきた。

朝食も済み、一晩お世話になったここともお別れだ。研究所を出て、中にいるウツギ博士に一礼する。
「じゃあ、いろいろありがとうございました! 奥さんと息子さん、あと助手さんにもよろしくお願いします! では、行ってきます!」
「行ってらっしゃい! 何かあったら、ポケモンセンターから連絡するんだよ!」
大きく手を振って、研究所に背を向けて歩き始める。何はともあれ、動き出さないことには何も始まらない。

―――――…………

「あれっ、リンさん?」
さてワカバタウンを出発するぞ、というところで声を掛けられた。振り向くとそこにいたのはコトネで、足元にはやっぱりマリルもいた。
「コトネ! おはよう」
「おはよう!」
朝の挨拶をしながら近付くと、イーブイとマリルもお互いを認識して彼らなりの挨拶をしているようだ。お互いにお互いのしっぽを追いかけながらぐるぐる回っている。
「コトネはどうしたの? まだ朝早いだろ」
「あたしは……まあ、朝の散歩! リンさんも?」
「うーん……いや、実はさ、今からちょうど旅に出るところなんだ」
「本当? じゃあ、ウツギ博士のお墨付きもらえたのね!」
「もちろん!」
自分のことのように喜ばれると少し照れてしまう、ごまかすように他の話題を探した。
「それで、コトネに頼み事なんだけど……ヒビキに会ったらさ、あたしの代わりに昨日のお礼言っといてくれない?」
「えっ……じゃあ、もう行っちゃうの?」
「そのつもり」
明るい表情が打って変わって寂しそうなものになってしまった。あんまりそういう顔させたくないんだけどなあ、しんみりとした空気はどうも苦手だ。
けれどその表情はほんの一瞬で、すぐに明るい表情に戻る。
「……ねえリンさん! 急いでないなら、ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「うん? いいけど……」
「よし! じゃあ決まりね! じゃあ、着いて来て!」
何処へ? というあたしの問いはなかったことにされ、どんどん前を歩くコトネにただついて行った。

「おばさん、おはようございます! ヒビキくん起きてますか?」
「あら、コトネちゃん! ヒビキならちょうど朝ごはん食べ終えたところよ、呼んでくるわね」
ヒビキー、と呼びかけながら女の人は家の中に戻っていく。コトネが連れてきたのは、ヒビキの家らしい。そして今応対をしていたのはヒビキの母親ということで間違いないだろう。化粧っけのない、それでいて若々しい人だった。
「コトネ……」
「うん?」
「これって、お礼はヒビキに直接言えってこと?」
「うーん……それもあるけど」
やけにもったいぶっている。それに今に鼻歌でも歌いだしそうなくらい楽しげな様子だ。そんなコトネの態度を疑問に思いながら一緒に玄関先に立っていると、どたどたと階段を降りる音がして目の前にすっかり身支度を終えた様子のヒビキが現れた。後ろにはもちろんヒノアラシもついて来ている。
「おはよう、お待たせコトネ……って、リンさん!?」
「おはよう! いやあ、コトネにここまで連れて来られてさ……あと、昨日は本当にありがとう! おかげで助かったよ!」
「そんな! どういたしまして!」
満面の笑みを向けられて、思わず目を細めた。子供の笑顔はいつだって眩しい。あたしだってまだまだ子供だしよく笑う方だとは思うけれど、それでも眩しい。
靴を履いたヒビキが玄関から出て後ろ手にドアを閉めると、いつの間にかあたしの後ろに隠れていたコトネがひょっこり顔を出した。
「おはようヒビキくん! 早速なんだけど今日の予定、リンさんが一緒でもいいよね?」
「ぼくは大丈夫、というか最初からそのつもりだったんだろ?」
「まあね! ということで、リンさん!」
コトネは肩から掛けている黄色いカバンの持ち手を両手でぎゅっと握り、こちらを見上げるようにして言った。
「ヒビキくんも明日から旅に出るから、ピクニックみたいなことでもしようと思ってたの! お弁当も偶然多めに作ってあるし……リンさんも一緒に、どう?」
今日はやたら多めに作った食事を振舞われる日だ……とおかしく思ったところで、気が付いた。ウツギ博士もコトネも、もしかすると最初からあたしに振舞うつもりで多めに作ったのかもしれない。2人とも偶然だなんて言うけれど、コトネは思えばさっき出会った時からずっとそわそわしていたような気がするし、ウツギ博士も元々あのタウンマップをあたしに渡すつもりだったみたいだからきっとおにぎりだってそうだ。短期間でたくさんの優しさに触れすぎている。砂糖漬けにされるように甘やかされている気もするけれど、その厚意が純粋に嬉しい。
こうなってしまったらあたしの返事は決まったも同然だ。
「ここまで連れて来られて断るって方が変だろ!」
「やった! じゃあ、決まりね!」
「リンさん、早く行こう!」
コトネとヒビキが歩き出すと、マリルとヒノアラシもその後ろに続く。その横にはちゃっかりイーブイまで混じっていて、あたしは吹き出してしまう。その音にみんなが振り返る。
2人の子供と3匹のポケモンに急かされて、あたしは笑ったまま足を前へ踏み出した。

―――――…………

コトネが計画していたのは、昨日初めてここへやって来たあたしのためのワカバタウン案内だった――といっても、ここにあるのは民家のほかだとポケモン研究所と風車くらいで、特に観光するような場所はないらしく、少し散歩するだけで案内は終わってしまった。だから、あたしたちは見晴らしの良い小高い丘に向かい、並んで腰を下ろしてただのんびりとワカバタウン全体を眺めていた。
「ね、ここ、なかなかいい景色でしょ?」
コトネの言葉に頷く。
「うん、すごく気持ちいい」
吹き抜ける風に身を任せて深呼吸をした。ヒビキの家やポケモン研究所からはそんなに離れていないはずなのに、さっきまでヒビキやコトネに案内された場所が全て見える。立派な研究所とぽつぽつと点在する民家、隙間と言うには広すぎる土地を埋めるように配置されている風車の数々。景色を遮るような建物の少ないワカバタウンだからこその景色だ。少し歩いただけで、こんな景色が見られるなんて。
「ポケモンたちもすっかり仲良くなったみたいだ」
ヒビキの言葉に後ろを振り向くと、ヒノアラシとマリル、そしてイーブイがじゃれつくようにして遊んでいた。あたしの前だと素っ気ないのに、ポケモンの前だと子供みたいにはしゃぎやがって。
コトネもその様子を見てか、おかしそうに小さく笑っていた。
「そうね! みんなまだ出会ったばっかりなのに」
「それはあたしたちも一緒だろ?」
「ふふ、そうだったわ!」
またコトネがおかしそうに笑う。あたしもイーブイも昨日ワカバタウンへやって来たばかりで、話したのだって少しの時間のはずなのに、驚くべき速度で打ち解けてしまった。
「リンさんってさ、なんだか話しやすいんだよなあ」
「そう?」
「元々友達だったみたいな感じがする」
ふいに、これまで心地よいと感じていた風が冷たくなった。その風は隙間風のようにあたしの心を淋しくさせる。元々友達……そんなこと、ありえない。だってあたしはこの世界にとっては部外者、しかもそれを隠しているのに……。
「……それはさ、ふたりが優しいからだよ」
つい言ってしまった。無意識だった。ヒビキとコトネは顔を見合わせている。我ながらなんてクサいセリフなんだ、思わず目をそらした。そこにあるのはほんの少しの羞恥心と、罪悪感。こんな優しい子たちに、あたしは嘘をついている。……やっぱり慣れないことをするのは駄目だな、つい余計なことを考えてしまう。嘘をつこうと決めたのはあたしなのに。沈黙が続く。
「……あー! お腹空いた!」
気持ちを切り替えるように、大きな声を出した。そこでようやく目線を戻すと、ちょっと驚きながらも少し嬉しそうな顔をした2人がいた。
「そ、そうね! そろそろお昼の準備でもしようかな!」
「ぼく手伝うよ!」
「あたしも!」
どたばたとコトネによる指示のもと本日の昼食の準備が始まる。そうだ、せっかくの楽しいピクニック……のようなものなんだから、しんみりとした空気なんて似合わない。そうでなくともあたしにシリアスな雰囲気なんて全然似合わない。
そうだ、そんなもの全部吹き飛ばしてしまえ。

「じゃあ、あたしは行くよ」
今朝あたしとコトネが出会った辺りまで来たところで一旦立ち止まる。隣を歩いていた2人と3匹も同時に立ち止まる気配がする。
そこから数歩前に出て、くるりと振り返る。並んであたしを見るヒビキとヒノアラシ、コトネとマリル。ポケモン同士仲良く歩いていたはずのイーブイはいつの間にかあたしの隣に並んでいた。彼らは既に別れの挨拶を済ませたらしい。
「リンさん、元気でね!」
「うん! コトネも元気で! お弁当おいしかったよ!」
少し眉を下げた笑みを見せるコトネに、できるだけ明るく答えた。やっぱりあたしはこういう寂しそうな顔にはめっぽう弱い。
「ぼくも明日から旅に出るし、どこかで会えるかな?」
「もちろん……その時を楽しみにしてるよ!」
打って変わって希望にあふれた笑顔。眩しすぎた。あたしには眩しすぎる笑み。やっぱり彼は主人公だ。その笑顔につられて希望的観測を口に出してしまう。守ることができるのかどうかわからない約束、それでもあたしは約束せずにはいられなかった。ヒビキだけではない、コトネにもまた会えるといいな……嘘偽りのない、本心だった。
あたしは大きく手を振り、改めてワカバタウンの外に向き合い、イーブイと共に歩きだした。

ワカバタウンを出て、振り返った先にいたはずのヒビキたちもついに見えなくなってしまった。
風車を回す風に押され、イーブイと共に、1歩、また1歩と離れて行く。
突然迷い込んだ、この世界。ポケモンが実在している以外にはあたしの良く知る世界に似ているはずの、それでいて色々なものが輝いて見える、この世界。
そんな世界にやって来てしまったあたしの、特に目的のない旅が始まったのだ。

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