39杯目 カタチ

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「そんで、何でああなったわけ?」

 うつむき加減のつばさ。
 その声に上目遣いで橙の瞳を向けた。
 二人がけのソファにちょこんと座る彼女は、膝上にブラッキーを乗せて抱えていた。
 彼の頭に顎を乗せ、その顔はオクタンの如く赤く染まっている。
 対して声の主であるすばる。
 すばるの家には二人がけのソファしかないため、寝室から椅子を引っ張ってきた。
 つばさの対面へ引いてきた椅子に腰掛ける。
 さすがに茹でオクタンと化しているつばさの隣に座る気はなかった。
 これ以上、彼女を刺激するのは可哀想だ。

「…………」

 視界の端に、によによと笑む紫の瞳がちらつく。
 何だよ、と視線を向ければ。

《本当にそうなの?ね、すばるん?》

 エーフィがひょいっとすばるの膝上へ飛び上がった。
 飛び上がって、見上げて。によによと笑う瞳を向ける。
 思わずすばるは渋面になる。彼女にはお見通しらしい。
 そうだ。そうだよ、認めよう。
 今のつばさの隣に座って、平常心を保てる自信がないのだ。
 こうして、自制を保って同じ空間に居るだけでほめて欲しいくらいだ。
 何とか全神経を集中させて、平静を装っているだけなのだから。
 気を抜けば。彼女をつい、いじめてしまいそうになる。
 たぶん本当ならば、互いの顔が視界に入りにくい、隣に座った方がつばさにはいいのだろうけれども。
 そこは悪いが、自分を抑えられる自信がない。
 ふいに手が伸びて、彼女の髪にでも触れてしまいそうだ。
 そうすれば、彼女の茹でオクタンも度を増すだろうなと思う。
 それはそれで見てみたい気もするが。
 いや、その前に彼女の膝上にいる彼が動きそうな気がする。それは勘弁だ。
 時折こちらに向ける金の瞳に、警戒の色をにじませているのは気付いている。
 だから。それを分かっているエーフィの、その、によによが心の底から鬱陶しかった。
 それに。ちらりと視線をあげる。
 正直に言ってしまえば、つばさのその上目遣いもやめていただきたい。
 何だか煽られるようで、彼女をいじめてみたくなる気持ちがうずうずする。
 くそ、可愛いな。
 眉間にしわが刻まれる。本音がもれそうだ。
 すばるは慌てて言葉を絞り出す。

「で、何でだ?」

 再度の問いかけ。
 なぜ、そんな結論に至ったのか。その流れを知りたい。
 たぶん、つばさのこの様子だ。自分とどうこうという展開ではないだろう。残念だけれども。
 おっと、また本音が。
 誤魔化すように咳払いをする。

「…………」

 沈黙だけが降り積もる。
 空気が重いと感じたのは久々な気がする。
 その時、嘆息が聞こえた。
 ちらりとすばるの視線が動く。
 つばさの少し下。彼女に抱えられているブラッキーへ。

《俺が話す》



   *



《――――というわけだ》

 昨日のポケモンセンターの件。そしてなぜ、すばるの家へ向かうことになったのか。
 今に至る大体の流れをブラッキーから聞いたすばるは、ふむと腕を組んで考える仕草をする。
 それでつばさの“あの”発言に繋がるわけか。
 ちらりと視線を向ければ、茹でオクタンから立ち直ったつばさがこちらを見ていた。
 ラテ>すばる。か。
 と、少しだけ沈む気持ちは無視だ。

「それでラテを迎えにきたの」

 膝上のブラッキーを抱え込んで、つばさは続ける。

「カフェにとってラテは、たぶん大きな存在だと思うの。きっと、ラテが傍に居ないのも要因だと思う」

 でも、と。つばさが俯く。

「ラテをふうちゃんから引き離していいのかな、とも思って。これって、私の都合の押し付けだよね……。勝手だよね……」

 言葉が落ちる。失速する声音。
 それにわずかな反応を示すブラッキー。
 だらりと下がった尾が少し揺れた。
 つばさが言葉にしたそれ。心当たりは、ある。
 奥底で燻るものが、ちりちりとブラッキーの感情をやいた。

《…………》

 輪模様が仄かに明滅する。
 隠すのが下手だな、とすばるは思う。
 つばさ達がセンターから戻ったあと。すばる達が追い出されたあと。
 その後のことは言葉にされていないので知らない。
 だが、彼らのこの反応。何かあったのだなとは察しがつく。
 沈んだ空気がまとわりつくように重かった。
 すばるは考える。何がいいのか。どうするのがいいのか。
 確かにつばさが口走った、“一緒に暮らす”というのも一つの方法ではある。
 だが、それは今の段階ではない。
 カフェにとっていいのは、元の環境に戻してあげることなのではないだろうか。
 確かにラテから母を引き離すのは心苦しい。人の勝手だとも思う。
 けれども。それでも。すばるは、でも、と思うのだ。

「なあ、つばさ」

 すばるの声に、俯いていたつばさが顔を上げる。
 どかりと椅子の背もたれに背を預け、すばるは一つ息を吸って彼女へ問う。
 すばるの膝上。エーフィの額を飾る珠がきらりと光を弾いた。

「ラテは自分からモンスターボールに入ったって前に言ってたよな?」

 まだ、すばるがこの街へ戻ってくる前だ。
 旅先でつばさから連絡があった。
 カフェとラテを手持ちにした、と。
 弾んだ声音で、とても嬉しそうに語っていた。その一部始終を。
 つばさは緊張したそうで。ラテへボールを構えようとしたのだが、もたついてボールが手から逃げ出したらしい。
 その転がった先。嬉々として駆けた彼女はそのまま、自らボールへと吸い込まれていった、と。

「…………うん」

 つばさは首肯する。
 忘れるはずがない。あの時の記憶は、まだ鮮明に思い出せる。

「だったら」

 すばるの瞳が自身の膝上へと向けられた。

「ラテも決めたわけだ」

 彼を見上げる膝上のエーフィの頭をくしゃりと撫でる。

「決めたって、何を?」

「トレーナーを。人と共に歩む世界を」

 桔梗色の瞳が、真っ直ぐつばさを見据えた。

「なら、在るべきカタチに戻すだけだ」

 橙の瞳が瞬いて、俯いた。
 つばさはゆっくり、すばるの言葉を飲み込んでいく。
 そうか、選んだのか。あの時。彼女もまた、人と共に歩む道を。だから、本来のカタチ戻すだけ。
 それでも、と。つばさの気持ちはまだくすぶる。

「それでも、さ」

 ゆっくり顔を上げて。

「また、いつ会えなくなるのか分かんないし」

 橙が濡れて見えた気がした。

「次はいつ会えるのかも分かんないし」

 そんな状況で。
 いつまた会えなくなるのか。次はいつ会えるのか。
 それが分からない相手から引き離すことは出来ない。
 つばさには出来ない。と思った。
 いくらつばさが彼女のトレーナーだったとしても。
 彼女がその道を選んだのだとしても。
 ブラッキーを抱える腕に力がはいる。

「やっぱり、私には出来ないよ……」

 濡れて揺れるその声に、彼が口を開く。

「ああ、言ってなかったけど、俺」

 桔梗色の瞳が不意に笑んだ。

「しばらく旅にはでねえから、いつ会えるかとか心配しなくていいよ」

 え。と、思わずもれでた声はつばさのもので、彼女の瞳が驚きで見開かれる。

「今まではふうに付き合わせてたんだ。今度は俺が合わせる番だと思ってる」

 すばるが視線を落とし、膝上のエーフィの頭をぽんぽんと軽く叩く。
 そんな雑な扱いにエーフィは眉をよせ、抗議のつもりで少しだけ尾を揺らした。
 わりい、と一言謝ると、すばるは彼女の頭を撫でる。
 撫でて、撫でながら思う。
 本当は親子そろって暮らせたらのならば、それがいいカタチなのだろう。
 けれども、それはしてやれなくて申し訳ないと思う。
 自分とつばさはそこまでは近しい関係ではないのだ。少なくとも今は。
 せめてと思い、旅は当分の間は再開するつもりはない。それが今の自分の精一杯で。
 不意に思うときがある。本当は自分なんかと出会わない方がよかったのではないかと。
 そうすれば。彼女が想う相手とも、子供とも一緒に居られて。
 自分に出会ってしまったから、存在する場所に縛りが出来てしまう。そう思ってしまう。
 けれども。それを口にすれば、彼女はきっと怒るのだろうなと思うので。それは絶対に口にしない。
 刹那。撫でていた薄藤がこちらを見上げて、にやりと笑った。
 その額を飾る珠が淡く光を発しているのが見えて。
 まさか、と思って頬が少しだけ熱を帯びたのを自覚する。
 これはシンクロだ。

「おまっ、心をよんっ……!」

 すばるの様子に、によによと笑いをうかべて。

《安心してよ、すばるん》

 ぱしんっと、彼女が尾を軽くふる。

《ボク、すばるんの傍に居られれば、それだけでいいし》

 そこでさらに、彼女の笑みが悪い意味で深くなる。

《それに、一緒に暮らせないのは、”今“、だけでしょっ》

 エーフィの言葉を飲み込んで、その意味を正しく理解して。
 瞬間。すばるの頬が朱に染まる。

《一緒になるのはいつの予定なのかな?》

 彼女の言葉。一緒になる、はつまり。
 近くに居るとかそんなことではなくて。
 繋がりのカタチが名前を変えることで。
 つまり、それは。つまり。

「…………」

 全ての言葉を飲み込んだとき、すばるは膝上のエーフィを叩き落とした。
 視界の端。何を騒いでいるのかと、不思議そうにつばさが首を傾げていたのが救いだった。

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