第1話 “新たなるフロンティア”(1)

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます
読了時間目安:14分
ここからのお話は第1話のリメイク版です!
完結した時点で既存の第1話を削除し、完全に入れ替えます。


地球歴 2108.03.04

 昼と夜が融けあう空の境界線、夕闇にひとつ小さな星が灯った。

 人里から遠く離れたどこかの山奥。枝葉の隙間から覗く空を見上げる。
 獣のように身を守る衣類をまとわず、野生児らしく乱れた白い髪をなびかせて、幼い少女は虚ろな蒼い瞳に小さな星を映した。

 生まれて初めて星というものを見たのに、それが何なのかすぐに分かった。
 試験管の中で生まれたときから、あらゆる答えが用意されていた。人類が積み上げてきた英知が、この身体を形作る遺伝子に刻み込まれている。
 初めて見た星空にドキドキしない。初めて嗅いだ森の匂いにワクワクしない。
 世界はひどく色あせた単純なモノクロームだ。
 この真実に気づいている自分は普通の人間より優れているのだと、少女は当然のように悟った。

 春の季節が近づいているとはいえ、まだ白い息が漏れる。華奢な四肢を風にさらし、素足で山をふたつ越えて、日が暮れてもなお歩き続ける。
 ふとした拍子に、落ち葉に隠れた木の根に足を取られ、危うく転びそうになった。
 ようやく運動機能が著しく低下していることに気がついた。低い根っこに足を引っかけたのがいい証拠だ。
 疲労感はまったくない。だが、足の筋肉は小刻みに痙攣(けいれん)して、悲鳴を上げていた。
 これではまるで普通の人間のようだ。少女は膝を折って足を休めながら、少しだけ自分に失望した。

 道中通りがかった山小屋の物置きから、カビ臭いボロ布を拝借して身に(まと)った。
 山小屋にはまったく人気(ひとけ)がない。ドアは閉まっていたが、窓から中をうかがうと、ずいぶんと埃が積もっていた。もう長い間誰もここを訪れていないのだろう。

 ちょうどいい。
 ここで暖を取って休もう。

 ドアのぶに手をかけた。
 そこで、少女は動きを止めた。
 誰もいないと思っていた山小屋には、小さな生き物が住んでいた。
 高床の下からオオタチがひょっこりと顔を出して、全身の毛を逆立たせてこちらを威嚇している。奥には怯えた目をして丸まっているオタチがいた。
 親子だ。
 初めて目にする親子というものを、少女は訝しげに観察した。

 なんてかわいそうなんだろう。
 遺伝子に組み込まれたプログラムに縛られて、子供のために命を捨てようとするなんて。

 憐憫(れんびん)の視線を傾けたのち、少女は彼らを無視して山小屋を離れた。
 殺めることは簡単だった。本意であれ不本意であれ、今までたくさんの命を殺めてきた。
 それが使命だと思っていた。なぜなら、この遺伝子にそうプログラムされているからだ。
 なのに、何も感じないのはどうしてか。
 決められたプログラムに従って生きるのは、ひどく退屈で、終わりのない殺風景の道を延々と歩き続けるようだった。

 自分が生まれ育った研究施設から逃げたいと思ったキッカケは忘れたが、何かしらの激情に駆られたことを覚えている。
 とても強烈な体験だった。
 振り返ると、あのときほど生を実感できた瞬間はない。
 もう一度それを味わいたいが、どうすればいいのか分からない。

 当て所もなく、少女は一日中歩き続けた。
 次の日も、険しい山道を歩き続けた。
 その次の日も、そのまた次の日も。

 もうあそこに戻ることはないだろう。
 未来のことは分からないが、遺伝子に縛られた日々を送るのはもう嫌だ。
 可能性のない世界に生きるぐらいなら、喜んで死を選ぶ。
 わたしは最期の瞬間まで、遺伝子に逆らい続けよう。


 *


 利己的な遺伝子という話を聞いたことがある。
 どうやら生物は皆、遺伝子によって操られているらしい。だが皆はそれを自分の意思と錯覚する。
 意思など、どこにも介在する余地がないというのに。

 ならば、自由とは何だろう?
 少女は暗い洞窟の奥で独り、うずくまって思考の殻に閉じこもる。

「ねえ、ミュウ。せっかく自由になれたのに、この子、まだ考えごとしてるの?」

 お日様のように暖かい少女の声が言った。

「仕方ないよ、アイ。この子は考えるのが好きなんだ」

 お月様のように優しい少年の声が言った。
 また出てきた。
 少女は頭の中に響く声にうんざりしていた。

「ほら、すっかり雨が上がっていいお天気よ。お外に出て遊びましょ?」
「いいね! 走って泥に飛び込んでみようよ!」

 それに何の意味があるの?

「大事な意味があるよ、ぼくが楽しくなれるんだ」
「わたしも賛成。泥んこ遊びってやったことないけど、とっても楽しそう!」
「あなたも一緒にやりましょうよ。ここでずーっと悩んでいるより、もっとステキな気持ちになれるよ」

 そんなことをしても無意味だ。
 わたしの脳は無意味な行為に快楽を感じない。

「そんなことないよ」
「そんなことないわ」

 声たちは揃えて言った。

「あなたはもう自由なんだから、世界の本当の姿が見えるはずよ。ほら、顔を上げて。勇気を出して、目を開けて」

 かくん。

 頭が垂れて、思わず肩がビクッと跳ねた。
 夢を見ていたようだ。体がフワフワ浮いているような気がする。
 蒼い瞳を動かして、奥に生える鍾乳石(しょうにゅうせき)を見上げる。
 滑らかな岩肌がはっきりと見えた。ツヤのひとつひとつが鮮明に見て取れる。
 奇妙な感覚だった。身体にはもう力が入らないのに、頭はむしろ冴え渡り、五感は今までになく鋭くなっている。
 湿った空気が肌を撫でる感触。鍾乳石から雫が垂れて水たまりに落ちる音。まとう布はいっそうカビ臭く、乾いた口に鉄の味が広がる。
 この世界をこれほど鮮やかに感じたことはなかった。
 しかし、感覚はすぐに薄れていった。世界は元通り色を失っていく。

 興味深い。
 少女は首を傾げた。
 世界のすべてはこの遺伝子に刻まれていると思っていた。
 しかし、それは大きな間違いなのかもしれない。
 ただ顔を上げて、周りを見回しただけで、世界はいつもと違って見えたのだ。この世界にはまだ知らないことが隠れているのかもしれない。
 そうであるなら、世界の頂点として運命付けられたわたしの遺伝子も、本当にそうであるのか疑わしい。
 遺伝子によって決められた運命も、変えられるかもしれない!

 それを確かめる方法が、ひとつだけある。

 わたしはNo.30。
 まだ見ぬ世界よ、わたしはここに在る。
 わたしの知らない世界を見せてくれ!

 洞窟に地鳴りが響いた。
 揺れている。洞窟だけでなく、山そのものが震えている。野生ポケモンたちは猛り狂ったように雄叫びをあげ、近辺の踏みならされた道をゆく旅人は恐怖に(おのの)いた。
 莫大なサイコパワーが華奢な身体から溢れだす。それはあっという間に膨張し、山を丸ごと呑み込んだ。

 山のナワバリを支配していた老獪なケッキングが、いち早く異変を感じ取った。
 歯向かうことさえ躊躇うほど強大な存在にナワバリを奪われた。
 のみならず、この侵略者はあからさまに挑発している。世界に向けて自分の存在をこれみよがしに誇示いるようだ。
 これはまるで……子供だ。


 *


 ふもとの救急病院に運び込まれた重軽傷者多数。人間28名、ポケモン33匹。
 ほとんどが打ち身や打撲、骨折ばかり。山が不可思議な念動力に覆われて、たったの3日間でこの有様だ。

 最初の被害者はそこそこ名の知れたポケモントレーナーのカイト君。12歳のやんちゃ盛りな男の子。相棒のオーダイルと一緒に山を越えようとして、念動力のテリトリーに足を踏み入れた。
 病院に担ぎ込まれたところ、事情を聞けば、いきなり腕がぐにゃりと曲がったらしい。オーダイルの方と言えば、アゴを外されていた。
 壮絶な痛みを伴うが、死に至るほどの重傷ではない。その怪我は強力なエスパーポケモンの存在を示唆していた。

 噂はテッカニンよりも速く、瞬く間に全国各地へと広がった。
 ひょっとすると伝説のポケモンかもしれない!
 聞きつけたポケモントレーナーたちが、こぞって山間の村へと押しかけた。
 自分の腕を試したい者、念動力の主をゲットしようと目論(もくろ)む者。狙いは多々あれど、目指すべき場所はひとつ。
 山の奥地、この事態を引き起こした謎のポケモンの住処とされる洞窟だ。

 だが、いくら名高いポケモントレーナーが屈強な仲間を揃えて立ち向かっても、謎のポケモンは強すぎた。
 誰一人として洞窟に近寄ることも叶わず、怪我人だけがコイキングの滝登りのように数を増やしていった。

 ここまでたった3日のこととはいえ、少女は明らかに失望していた。
 やはり気の迷いだったのか。しょせんこの世界には、わたしの遺伝子プログラムを超えるほどの力はないのか。
 こんなにがっかりするぐらいなら、最初から何もしなければ良かった。
 もう自由のない世界にはうんざりだ……。

 少女がすべてを投げ出してしまおうと思い悩む、その一方で、世界は着実に動き始めていた。


 *


 国家安全保障機関ポケモンGメン、現象調査局は、一連の異変を察知していた。
 イッシュ地方の奥地でプラズマ団の過激派が極秘の遺伝子研究施設を保有し、違法な優生学の実験を続けている。Gメン捜査官、エージェント・レノードがまとめた報告レポートは、ポケモンGメン司令部を震撼させた。
 Gメンは即座に討伐隊を派遣したが、研究施設はもぬけの殻。建造物は無残に崩落した後だった。
 おそらく爆発事故が起きたのだろう。現場検証で内側から破裂したガス管が確認され、そのように結論づけられた。

 若くして白髪に染まった男、レノードは、瓦礫の山を眺めながら、歴史の記録を思い起こしていた。
 とても似ている。かつてミュウツーが自分を生み出した研究施設を破壊した時と同じだ。
 もしかすると、遺伝的に強化されたポケモンが、あるいは別の何かが、この世界のどこかを彷徨っているのかもしれない。

 それは確信からは程遠い曖昧な直感で、自分でも歴史的ロマン主義に酔いしれた妄想だと自嘲していた。
 だが数日後、そこからまっすぐ東の山間の村から広がった噂を耳にした時、稲妻に打たれたような確信を抱いた。
 直感は当たっていた!
 間違いなく研究施設から逃げ出してきた何かが、ここにいる!

 レノードはあえて上層部への報告を怠り、くだんの山を訪れた。
 もったいないと思った。きっと報告すれば討伐隊を結集し、どんな手を使ってでも排除するだろう。
 百年前のミュウツーの逆襲以来、ポケモンGメンはこれを裏の歴史に記録し、二度と優生学を用いたポケモンを生み出してはならないという絶対の規則を定めた。それは生み出された後のポケモンにも秘密裏に適用された。
 彼はそういう組織の保守的な考えに賛同できなかった。排除するのではなく、うまく活用すべきだと思っていた。

「さて、問題はこの尋常ならざる超能力にどう立ち向かうべきか……」

 パートナーであるサマヨールにわざとらしく視線を傾けて呟いた。
 やれやれ。答えは既に出ているのに。
 サマヨールは肩をすくめて、手のひらでサイコパワーを練り始めた。


 *


 はじめに少女は、またか、と思った。
 どうせこの挑戦者もあっという間に尻尾を巻いて逃げることだろう。
 それがどうしたことか、攻撃がまったく当たらない。どころか、しばしば挑戦者の位置を見失う。あちこちで時空が歪み、サイコパワーを阻んでいるのだ。規模は大きくないが、こちらの索敵をうまくかわしている。
 見事な戦略だ。時空の歪みの発生パターンを見出せない。これを破るのは多少の苦労を要する。

 ……苦労を要する?
 このわたしが?
 あらゆる生命より優れた遺伝子を持つわたしが?

 じゃり。
 洞窟に踏み入れた革靴の音を耳にして、少女の賢い脳は一瞬で敗北を悟った。
 遅かったのだ。相手の戦略を読み解くよりも先に、王手をかけられていた。
 少女はゆっくりと顔を上げて、レノードと視線を交わした。

「ふーむ……面白い」

 レノードはみすぼらしい少女を見つけて、赤い瞳を細めた。
 銃を突きつけ、いつでも射殺できるように引き金に指を置く。隣りのサマヨールも警戒を解かない。
 だが、まるで鏡を見るような錯覚を覚えた。お互いに口元が歪み、笑っているように見えた。

 ぴちょん、ぴちょん、と鍾乳石から垂れる雫の音に支配される時間と空間。交差する二人の視線。
 ふと、奇妙な親近感を覚えた。少女のことが、とても身近に思えてくる。
 おそらくテレパシーの類いだろう。見た目通りの子供らしく、まるで小さな手がすがり寄ってくるように、少女の思考が流れてくる。

 面白い。

 レノードはそう思った。
 外見こそ無表情で生気のない少女が、思考の中では抱きついてきて微笑んでいる。年相応らしく、人懐っこく甘えてくるのだ。
 これが少女の本当の姿なのだろう。

 初めて同じ人間と出会い、少女は、笑顔とはとても呼べないほどぎこちなく頬を引きつらせて。
 生まれて初めて、微笑んだ。

「……ありがとう」

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想

 この作品は感想が書かれていません。