37杯目 もし。もしかして。

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 交わる瞬間は。重なる瞬間は。
 すぐそこまで来ていて。
 足音が、聞こえる。



   *



「それでは、お預かり致します」

 赤ふちめがねの奥で、灰白色の瞳が優しく笑んだ。
 白桃色の髪が優しげな印象を与える。
 この小さな街のポケモンセンターの医者だそうだ。
 通称、スマートなお姉さん。
 名前は知らない。
 そうとしか答えてもらえなかった。
 でも、るいとしてはしっかりと治療をしてくれるのならば。
 それで構わなかったから、別段、気にすることもなかった。

「大した怪我じゃないんですけど、りんのすけのことお願いします」

 そう言って、お姉さんへレントラー入りのモンスターボールを手渡す。
 受付カウンターの影。るいの足元で、グレイシアはきょろりと辺りを見渡していた。
 耳がそよぐ。
 不意に顔を上げれば、受付カウンターから顔を覗かせるお姉さんと目が合う。
 めがねの奥で灰白が瞬いた。
 グレイシアが小首を傾げる。

「どうかしました?」

 るいの声が降ってきたので、グレイシアは顔をそちらへ向ける。
 不思議そうにお姉さんを見やるるいに。

「あ、ううん。何でもありません。ごめんなさいね」

 お姉さんは曖昧に笑った。
 そして。じゃあ、治療が終わったら呼びますね。
 と言って、モンスターボールを助手であるパピナスに預けた。
 ハピナスが奥へと消えて行く。
 それから再度お姉さんを見るも、お姉さんはにこりと笑むだけで。
 首を傾げながらロビーへと戻ったるいは、長椅子へ座ると伸びを一つした。

「うーん……。待ってる間何しようか?」

 視線を落として問いかける。
 が。ふわあとあくびを一つしたグレイシアは、重ねた前足に頭を乗せて丸まっていた。

「あ、そう。オッケー」

 勝手にしていなさいってことですか。
 そうですか。はいはい。
 ちえっと口を尖らせながら、意味もなく足をぶらぶらとさせる。
 暇だなあ。そう思う。
 ところで。ぶらつかせていた足を止めた。
 お姉さんのあの反応はなんだったのだろうか。
 もう夢の世界へと旅立ったグレイシアをもう一度見やる。
 彼女を見て、一瞬動きを止めた。
 考えても答えなど出ない。出ないけれども。
 それが何だかひどく気になった。
 その時だった。視界の端で金が煌めいたのは。
 目線を上げれば、ちょうど外から人が入ってきたところで。
 金の髪を持った、きれいな人だった。
 少し急いた様子で受付へと向かって。
 そのままお姉さんが、奥へと案内していったのを見た。



   ◇   ◆   ◇


 かっかっ、と二つの足音が廊下に響く。

「結果から言うと、健康状態では全く問題ないわよ」

 と、受付から奥へ通すなり、お姉さんは紙をつばさへ差し出した。
 その間も両者の歩みは止まらない。
 それを受け取り、ざっと目を通すつばさ。
 確かにお姉さんの言葉の通りだ。
 ある意味予想通りだったので、やっぱりかという気持ちの方が大きかった。
 手持ち達の健康管理には自負がある。
 食べて寝るは普段通りの彼だから、おそらく健康面では問題ないと思っていた。
 そこまで思って、つばさは眉をひそめた。
 お姉さんの言葉に引っ掛かりを覚えたのだ。

「ん?健康状態ではって……?」

 つばさの問いかけに、お姉さんの歩みが止まる。
 ちょうど一つの扉の前へたどり着いたところだった。
 幾つも存在する診察室の一つ。
 そこへお姉さんが手をかけ、開け放つ。
 手で先にどうぞとつばさを通してから、お姉さんも診察室へと入る。
 入った前で待っていたのは。

―――つばさおねえちゃんっ!

 ポケモンセンターのスタッフポケモンである、ラッキーと共に待っていた彼である。
 つばさを視界に認めると、すぐに彼女へと飛び付いた。
 飛び付いてきた茶の毛玉、茶イーブイを受け止めた彼女に。
 彼はぐりぐりと顔をすりよせる。否、それは自分自身を押し付けているようで。

―――ボク、つばさおねえちゃんといるのっ!

「うん、離れてごめんね」

 必死な彼の背を、つばさはそっと撫でる。
 と、お姉さんが椅子へ座るようにとつばさを促す。
 すでにお姉さんは座っていて、その対面した椅子を示していた。
 つばさがそこへ座ったのを見れば、お姉さんが口を開く。

「健康状態では問題ないって言った」

 橙の瞳がお姉さんをとらえる。

「問題があるのは。たぶん、心の方」

「たぶん……?」

「心の状態なんて、数値じゃ現せないし、計れない」

 灰白の瞳が、腕に抱かれた茶イーブイを見る。
 先程からずっと顔を押し付けていた彼が視線に気付いたのか。
 ゆっくりと振り返ってお姉さんを視界に認める。
 お姉さんがそっと手を伸ばして、その頬を撫でようとした。
 けれども。彼は拒むように前足でそれを払った。
 灰白の瞳が震えた。
 拒むようにではなく、拒まれた。

「ほら、カフェちゃん。今とっても不安定」

 お姉さんの呟きに等しい言葉に。
 茶イーブイはぴくりと身体を震わせて。
 またつばさの方を向いて丸くなる。

「つばさちゃん以外に、心が向いてない」

 灰白が真っ直ぐにつばさへ向けられる。

「私、どうしたらいいのかな……」

 橙が伏せられ、茶イーブイの背に向けられる。

「すばるくん、帰ってきたんだよね?」

 お姉さんの言葉に、つばさの身体が僅かに跳ねた。
 お姉さんは構わずに続ける。

「たぶん、要因は”親“。ラテちゃんが持ってて、カフェちゃんが持ってないもの」

 つばさからの返答はない。

「つばさちゃんは、カフェちゃんの”親“にはなれない」

 橙がお姉さんの方へ向く。

「始まりのカタチがそうじゃなかったから」

 橙が震えた。震えて、それ、だけだった。
 そこに感情の揺らぎはない。
 俯く橙に、気づかうようにゆらぐ灰白。

「何となく、分かってた」

 ぽつりと言葉を落としたつばさ。
 だって、自分に出来るのは。
 繋がりのカタチとして、目に見える形として示すこと。そこまでで。
 それ以前のことを示してあげることができない。

「何も出来ない自分がもどかしい、な」

 ぽつり。言葉を、落とす。

「”親“にはなってあげられない。それでも、私はこの子に会えてよかったよ」

 そっと腕の中の幼子の背を撫でる。
 親じゃないから、示すことは出来ない。

「じゃあ、教えてあげればいいんじゃない?」

 突然紡がれたお姉さんの言葉。
 つばさが顔をあげる。

「どういった理由で生まれたのか」

 灰白に優しげな色が宿る。

「示すことはできないけど」

 お姉さんがふっと笑んだ。

「会えてよかったよって、教えてあげることはできる」

「今の、気持ちを……?」

「そう」

 つばさが視線を落とす。
 いつの間にか眠っていた幼子。
 すーすーと寝息が聞こえる。
 親ではないから、どういった想いに包まれていたのか。
 それを示すことはできないけど。
 それでも。会えてよかった。今、一緒の時間を共にできていて。
 その気持ちを教える、伝えることはできる。
 橙の瞳が仄かに笑う。

「私にできる、こと」

 ぽつりと呟いた言葉に。

「つばさちゃんだから、できることよ」

 お姉さんの言葉が続いた。
 私だから、できること。
 声にはならなかったが、つばさの口がそう紡いだ。

「私、やってみる」

 今度は発したつばさの声に。

「うん」

 と、お姉さんの声が重なった。



   ◇   ◆   ◇



 つばさが眠る茶イーブイを腕に抱えロビーへと出ると。
 一仕事を終えましたとばかりに、自信に満ちた風のファイアローと。
 こちらは彼に反して、ぐったりと疲れきった様子のブラッキーが、ソファに転がっていた。

―――あっ!つばさちゃんっ!

 つばさに気付いたファイアローが、てってっと近寄ってくる。

―――落としたりんくんを拾ってきたよっ!

 だからほめて。と、その彼の笑みが語っていた。
 喫茶シルベを飛び出す際に、ブラッキーを忘れ“物”扱いした自分が思うのもあれだが。
 ここに来る道中に逃げ出した彼を、落とし“物”扱いするファイアローもどうなのだろうか。
 逃げ出した彼を追う時間が惜しく、つばさは一足先にポケモンセンターへ向かったのだが。
 どうやら。ファイアローは見事に、逃げ出した彼を捕まえることに成功したらしい。
 それが、落とし物。
 これはほめるべきなのだろうか。
 ぐったりとしたブラッキーの様子から、何となくその話題には触れたくない気がした。
 とりあえず。

「ありがとう、イチ」

 とだけ、告げておこう。
 その一言だけで、彼はきっと満足するだろう。
 だって、ほら。

―――えへへ、つばさちゃんにほめられたっ!

 えへへ、と声をもらして笑む。
 笑んで満足した彼は、弾む足取りでブラッキーの隣へと戻って行く。
 つばさもその後に続けば。
 気配で察したブラッキーの耳がそよいだ。
 閉じていたまぶたを持ち上げて、不機嫌よりも疲労が勝ったような瞳をのぞかせる。
 身体を動かすのも億劫そうで、瞳だけをつばさへ向けた。
 無言の何かをつばさは感じとる。

「あ。お疲れ、様、なのかな」

 そんな言葉が飛び出す。

《…………》

 あ。ブラッキーの金の瞳に苛立ちが見えた。
 これは。ご機嫌取りが必要かもしれない。

「プリン」

 魔法の言葉を呟く。ほら。

《――――》

 彼のまとう空気が色を変えた。

「で、どう?」

 彼の耳が跳ねる。

《二つだ》

 金が鋭くなる。

《二つ、だ》

「ああ、はいはい。了解です」

 呆れ気味な息が一つもれた。
 この頃の彼の流行りらしいプリン。
 自家製なのだが。消費量はおそらく、お客さんに提供している分よりも彼の方が多い。
 でも、プリンの一つや二つで彼の機嫌がなおるのならば、幾つでもつくろう。

「んじゃ、帰るよ」

 その一言で、彼はがばりと身を起こす。
 ほら。プリンは魔法の言葉。

《さっさと帰るぞ》

 気がつけば、もう外への出入口にいる。
 余程待ちきれないらしい。
 こちらを振り向いて、急かすような瞳を向けている。
 もう、仕方ないな。と。
 眠る茶イーブイを抱えて、ファイアローと共に向かおうと足を踏み出したとき。

「あ」

 短い呟きが耳に刺さった。気がして。振り返った。

「お姉さん?」

 短い呟きはお姉さんのもので。
 振り返ったら、何かを思い出したような素振りをしていた。

「目元が、似てるんだ。さっきいたあの子と」

 お姉さんの言葉に首を傾げる。
 後ろでは急かす声がする。呼ぶ声がする。
 ああ、もう。うるさいな。すぐに行くってば。
 そう思って、振り返った身体を戻した頃だった。
 それが聞こえたのは。

「ねえ、もし。もし、ね」

 身体の動きが止まる。
 何かに縫い付けられたように。

「カフェちゃんの母親が見つかったら」

 どくんっ。と、鼓動が響いた。

「どうする?」

 橙の瞳が見開かれた。
 周りの音が遠ざかって。
 世界から、音が、消えた。



    *



 交わろうとする足音が聞こえる。
 そして生まれる、一つの淡い想い。
 もしかして。その方が、この子のためなのだろうか。
 生まれたその想いに。そっと、ふたをした。

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