36杯目 探す存在2

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 飛翔する一つの影。
 頬に風が当たる。それが少しだけ冷たい。
 季節が春とはいえ、寒さはまだ少しだけ残っている。
 けれども彼女は、すぐにぬくもりを得ることが出来る。
 振り落とされないように掴まる彼の首もと。白の毛はもふもふなのだ。
 そこに身を沈めれば、もふもふの感触と彼の体温が伝わってくる。
 しばらく頬でその感触を楽しんでいたとき。
 不意に彼女の赤紫の瞳が瞬いた。
 またいでいた彼の背。その脇腹あたりを軽く足で小突く。
 ばさり。応えるように彼は羽ばたく。

「もふすけ、“超音波”」

 身体を起こしたるいは、お気に入りの白の猫耳帽子を手で抑えながら、またがるオンバーンへ告げる。
 ばさりと一つ羽ばたかせた彼は、すぐに背に乗る主の言葉を実行する。
 口から音波を放つ。
 人の耳では聞き取れない高音域。
 戦いの最中に放てば、相手の意識をかき乱して混乱させる技となる。
 だが、彼は普段から別の目的で使用することが多い。

「相手の位置分かる?」

 オンバーンの両耳が動く。
 自らが発した高音域の音波がはね返り、その音を聞き分けることによって。
 その先にある物、大きさ、距離。
 様々なことを把握することが出来る。
 それは視認するよりも正確な情報。
 オンバーンの耳がぴくりと動く。
 背の主が欲する情報を得た。
 一言鳴いてそれを訴える。

「オッケー、もふすけ。近くまで下降」

 主の言葉に音のしない羽ばたきで応える。
 そしてそのまま、西へ行路を変更してゆっくりと下降を始める。
 音もなく。風が吹いたのかと錯覚してしまうくらいに。静かに静かに。
 やがて、緑の海へと沈んだ。



   *



 気配を殺し、背丈のある茂みに身を隠す。

「ここから西の方角ね」

 るいと同じく身を低くして潜むオンバーンへの確認。
 ちらりとるいが肩越しへ振り替えれば、彼は小さくこくりと頷いた。

「オッケー」

 小さくぽつりと呟く。
 ひらり。片手を上げる。
 それが合図。
 凪いでいた茂みが動いた。風。否。彼だ。
 彼の気配が遠退いた。
 るいの手が腰へと伸びる。
 彼女の手の中できらりと光を弾く二つの球。赤と白の球。
 かちり。同時に球の頭頂、突起を指で押す。
 瞬間、球が掌大にまで大きくなる。
 ぺろり。るいが口元を舐めた。
 風はこちらの味方をしてくれるらしい。
 風下ならば、音も匂いもこちらのものは届きにくい。
 瞑目。内で目標を反復する。
 近頃、この近辺で野生ポケモンの乱獲用設置罠が見つかっている。
 その他の情報も照らしてみる。
 結果、自分達の探し求めている存在との関わりは低いと判断する。
 それでも。何かしらの情報は掴めるかもしれない。
 開眼。赤紫の瞳が煌めく。
 それが、ゼロに近い数値だとしても。
 立ち止まるわけにはいかない。

「りんのすけ、ヴィヴィ」

 二つの球を高く放る。

「目標は西の方角」

 放たれた白の光。それが形を成す。
 片方は金の瞳を煌めかせ、まといつく白の光を振り払うように身を震わせる。
 片方はるいの隣。白の光の中から青の四肢が現れ、開かれた瞳は蒼。

「りんのすけ、透視で相手の詳細位置を」

 レントラーの瞳が光を発する。
 彼女は透視の力を持ち合わせる種族。
 すぐにそれらしき存在を捉える。
 ちらりとるいを振り返り、一つ頷く。
 にやり。るいの口端が不敵に嗤った。

「オッケー」

 それを受けたレントラーも、愉しそうに瞳を細めて。

「ゴー」

 その一言が、瞳を煌々とさせると獣を駆り立てる。
 一直線にそれへと向かう背を見送り、るいは視線を下へ落とす。

「ヴィヴィ」

 名を呼べば、声の代わりに尾が揺れる。
 落としていた腰を持ち上げて、すらりとした四肢を動かす。
 まるで髪飾りのような長い房が優雅に揺れて。
 彼女、グレイシアは歩き出す。
 蒼の瞳が瞬く。
 そこに宿る色は何を現す感情か。
 それはるいにはまだ読み取れない。
 けれども。探す存在は同じ。
 それだけで、彼女達が一緒にいる理由は十分。
 グレイシアに続くように、るいも足を踏み出した。



   ◇   ◆   ◇



「これで最後っと」

 土をかぶせ、作業は完了である。
 用意していた罠は全て設置した。
 この周辺に幾つも仕掛け、あとは獲物がかかるのを待つだけとなる。
 僅かな重さを感じれば、罠が作動し、獲物の脚に縄がかかる。

「今回のは自信作だからな」

 男は呟く。

「前のは簡単にほどけたからなぁ」

 罠に使用した縄を手にし、力任せに引っ張ってみる。

「今度は頑丈な素材にしてみたんだぜ」

 見ろ、切れないだろ。
 と、男は自慢気に見せつける。
 その場にいるのは男だけだというのに。
 否。そうでもなかった。

「確かにこれ、頑丈そうだけど」

 男が反射的に言葉の方へ振り返った。
 男の瞳が見開かれる。そこに映るのは。
 鈍い光を弾く、鋭い爪。
 黒の獣が躍りかかる。
 男の口からひきつった悲鳴が。
 一閃。爪の軌跡が一線を描く。
 男の口からひきつった悲鳴がもれることはなく。
 爪の一閃にて引き裂かれた。
 はらり。男の手に握られていた縄が裂かれた。

「ポケモンの力なら」

 地に足を着けた獣が舞い戻る。

「造作もないよ」

 るいの赤紫の瞳が嗤う。
 るいの手には引き裂かれた縄。

「だからかな、つまんなーい」

 愉しそうな声から一転。気だるそうな声。
 口を尖らせて、裂かれた縄をぶらぶらとさせる。

「でも」

 ちらり。視線を横に向ける。

「りんのすけは痛かったみたい」

 レントラーの瞳が鋭く男を射抜く。
 前足を舐める部分が、少しだけ赤く滲んでいて。
 黒にその赤は映えていた。
 男は喉から何とかして、ひっ、というひきつれた声を出すことができた。
 できたから、何とかこの場を打開しようと頑張れたのかもしれない。
 気付かれないようにと、静かに手を腰へまわす。
 目の前の少女は、大丈夫かとレントラーに視線を向けていて。
 そのレントラーも少女に痛みを訴えるように、ひんひん鳴いている。
 逃げるのならば今だ。そう、確信した。
 男の指先が腰の球の突起に触れた。
 男が無意識下で安堵の息をついた。
 その、刹那。

「気付いてるよ」

 少女がこちらを向いた。にっこりと笑んで。
 同時に、背後に何かが舞い降りたのに気付く。
 きらり。視界の端。首もとで何かが光った。
 ひやり。首筋。冷たい何かが当たる感触。

「ああ。動かない方がいいよ、お兄さん」

 にっこり。少女は笑む。笑う。嗤う。

「もふすけの爪が間違って裂いちゃったら大変だもん」

 大変だもん、と口にしながらも。
 その声音は、微塵もそのように思っているとは到底思えない。
 そんな無邪気な声音。
 男の背筋に氷塊が落ちる。
 少女の足が一歩。男に踏み出された。
 一歩一歩。それは確実に縮まって。
 眼前にまでそれが縮まったとき。
 少女の赤紫の瞳が愉しそうに嗤った。
 そして。がくり。と、男の身体はくずおれた。



   *



「あれで気絶するとかありえないんですけどお」

 口を尖らせてぶつぶつと文句を言う。

「あたしがそんな、人の道を外す様に見えるとかって失礼なんですけどお」

 ぎゅうっと気絶した男を縄で縛る。
 オンバーンが。ため息一つこぼして。
 そりゃ、あのような振る舞いではそう思われるだろう。
 それに協力する自分も自分だけれども。
 そんなことを胸中で呟きながら、オンバーンは男を縛り上げた。
 ぶつぶつと文句を並べるるいは、膝を抱えて座っている。
 その横では、前足をるいに見せながら、ひんひんと情けなく鳴くレントラー。
 必死に痛みを訴えているようだ。
 それほど痛くはないだろうに。
 と思うのはオンバーンだ。
 それはるいも分かっているようで。

「ああ、はいはい。痛いのね。あとで近くの街のポケモンセンター行こうね」

 と、レントラーの頭を一撫でして終わる。軽い対応だ。

「それよりもさあ、こいつが気絶しちゃったら聞くに聞けないじゃん」

 るいの関心はあくまで男の方。
 それに対してレントラーは少々不満そうだが、ひんひんと鳴くのはやめた。

「ねえ、血統のいいポケモンのタマゴを盗む連中知らない?」

 男を指でつつきながら言葉を続ける。

「最近だと、イーブイのタマゴとかさ?」

 と、数回つついたところで諦める。

「って、聞いても無駄だよね」

 すくっと立ち上がると、腕を伸ばして筋を伸ばす。
 対峙した手応え、罠の出来。
 それらを踏まえて、おそらくこの男はまだ経験が乏しい。
 近くに仲間らしき影もなし。
 それはレントラーの透視能力や、オンバーンの関知能力で確認済み。
 つまり、目の前で転がる男は。
 まだこの世界に足を踏み入れて日が浅いということで。
 横の繋がりもまだ持っていないと判断する。
 ふう、と息を吐き出して、伸ばした手を下ろす。
 何となく空を仰いで、流れる雲を追った。
 風が吹いて、紺の髪を揺らせば。
 顔にかかるそれが鬱陶しくて耳にかけた。

「なかなかたどりつけないね」

 ぽつりと落とした言葉は風に溶ける。
 盗まれたタマゴ。それを見つける旅をしている。
 そのタマゴの母親と共に。
 不意に仰いでいた赤紫が瞬いた。
 るいが振り返ると同時に、茂みからグレイシアが姿を現した。

「お疲れ、ヴィヴィ」

 そう言って駆け寄るるいに、彼女は引きずってきた罠の残骸を見せる。

「罠はこれで全部?」

 そう問えば、グレイシアの瞳が瞬いた。
 これは彼女の是。
 予めレントラーの透視能力で罠の設置場所を確認していた。
 その場所をレントラーがグレイシアに教え、彼女は罠解除の作業をしてくれていた。

「オッケー」

 この様子だと、罠にかかったポケモンはいなかったようだ。
 まあ、あの出来だったのだから、万が一かかってしまったとしても。
 自力で脱することは出来ただろうが。

「それじゃ、これを警察に突き出して報償金貰いに行きますか」

 問い。蒼の瞳がぼやくるいを見上げる。
 応え。赤紫の瞳が少し揺れた。

「今回も収穫なし」

 それを受け取ったグレイシアは、そっと蒼の瞳を伏せた。
 そうか。そっと胸中でその応えを溶かす。
 期待はしていなかったけれども。
 落胆している自分も居るということは。
 やはり、淡い期待はあったのかもしれない。
 未だ見ぬ子。それを求めて、随分遠くまで来たものだなと改めて思う。
 求めて探す。その距離も分からぬままに歩く。

「次の街にさ、評判のいい喫茶店があるんだって」

 るいの言葉に顔を上げる。

「そこで少しだけのんびりしようか」

 赤紫の瞳が仄かに笑った。
 彼女が小首を傾げれば、紺の髪がさらりと揺れた。

「ね、ヴィヴィ」

 少しだけのんびり。
 その言葉がとくんと響いた。
 そうしようか。そうしようかな。
 気が付けば季節が一巡していた。
 探し歩いて。その事ばかりに気を向けていたから。
 その事実にも気が付かなかった。
 少しだけのんびり。
 るいを見上げて、グレイシアは小さくこくりと頷いた。



   *



 別の道を歩んでいた存在達。
 その道が、交わろうとしていた。
 別の時間を刻んでいた存在達。
 その時間が、重なろうとしていた。

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