第7話 「ハンター」 (2)

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2012.03.09. 投稿


◇5


 先に階段を駆け上がって行ったエネコのエリーたちが、半開きになったドアからひとつの部屋に入っていく。後ろを行く二匹のエネコは、前を行くエネコのしっぽを追いかけるようにして、「にあー!」と慌ただしく駆け込んでいった。おそらくあそこが、先ほどネコヤマが言っていた、エネコロロのエレンが寝ているという部屋なのだろう。

「さあ、入ってくれたまえ。驚いてくれよ?」

 そう前置きして、ネコヤマがドアを開ける。ツバキとユウトは遠慮がちに部屋に入ると、中を見回した。
 書斎、というのだろうか。本棚が並び、奥にはきれいに片づけられた机が一つ。その隣の窓は開いたままになっていて、窓のわきにまとめられたカーテンがわずかな風を受けてひらひらと揺れている。床は一面が毛足の短い絨毯で、その上をきょろきょろしながらエリーたちがうろついていた。その数は、一匹、二匹、三匹、

「あれ、四匹いる?」

 ツバキが不思議そうな声を出す。おかしいのはそれだけではなく、この部屋にいるというエネコロロらしきポケモンの姿が、どこにも見当たらない。
 エネコロロなるポケモンの姿を知らないツバキは、小首を傾げながら言う。

「進化形って言ってたけど、姿は全然変わんないの?」
「いや、そんなはずないと思うけど……」

 ふたりが疑問符を浮かべていると、「どうかしたかね?」と言ってネコヤマも部屋に入ってきた。

「あ、おじいさん。エレンって、どれ?」
「んん? ……おや」

 ネコヤマの視線が、一匹のエネコを捉えて、停止する。その後ネコヤマは、おかしなことを言った。

「お前は、なんだ?」

 そのエネコもまた、ネコヤマの視線に気づき、その目を見つめ返す。その口には、よく見ると小さくなったモンスターボールがくわえられている。しかしネコヤマがまず言及したのは、そのボールについてではなく。

「お前、エネコじゃないな?」

 はじめ、ツバキとユウトはネコヤマがなにを言っているのかわからなかった。ふたりがさらに疑問符を濃くする中で、ネコヤマだけが厳しい顔をして、言う。

「エレンをどこへやった。まさか」

 ネコヤマに見られていたエネコが、じりっと後ずさる。そして突如くるりと背を向けると、だだだっと助走をつけて跳躍し、窓から外へ飛び出した。

「っ!? おい、待て!」
「えっ、どうしたの、おじいさん!」

 窓に駆け寄って外へ身を乗り出すネコヤマに、ツバキが慌てて声をかける。ネコヤマは身を乗り出したまま、叫ぶように言った。

「あれは、エネコではない! エレンが、エレンが連れ去られた!」
「!?」

 驚くツバキとユウトには構わず、ネコヤマは大慌てで部屋を出て行こうとする。

「ちょっと、待ってよ! どういうこと? さらわれたって……」
「エレンはっ! “色違い”のエネコロロなんだ! その希少価値から、高額で取引されることもあるらしい……っ! ぐあっ!」

 答える途中で、どたたんと大きな音が響く。慌ててツバキたちが部屋を出ると、階段を駆け下りようとしたらしいネコヤマが踏み外して転んだところだった。状況を理解したユウトがとっさに部屋の窓を振り返る。

「そうか、あいつがくわえてたボールの中に……! シロ、頼む!」

「きゅん!」と返事をしたシロが、先ほどのエネコ同様助走をつけて、窓から外へ飛び出す。ユウトは戸惑ったようにぱたぱたと羽ばたいているネネを抱きとめると、階段を駆け下りて、ネコヤマを助け起こそうとしていたツバキを手伝う。何事かとやってきたニューラのニーナたちが、慌ててネコヤマに駆け寄る。

「わたしのことはいい……! 頼む、エレンを、連れ戻してくれ……ッ!」

 壁に手をついて苦しげに立つネコヤマが心配だったが、ツバキとユウトは目を見合わせて同時に頷くと、すぐに家のドアから外へ飛び出した。クゥも走って後に続く。

「ユウト、ネネに飛んで追ってもらえないの!? シロより速いかも!」
「ネネは、長距離は飛び続けていられない! クロ、シロがどっちに行ったかわかるな!? 追うぞ!」

 クロは少しの間目を閉じて意識を集中していたが、すぐにユウトの頭上から飛び降りて、走り出す。その後を、ネネを頭にとまらせたユウトとツバキ、クゥが追う。

「おねがい、シロ、逃がさないで……!」

 ツバキは、走りながらぐっと拳を握りしめた。



◆6


 速い。こちらの方が歩幅では勝っているはずなのに。エネコというのは、こんなに速く走れるポケモンなのか?
 シロは、前方を走るエネコを追いながら、焦る頭で考える。前方とはいっても距離はかなり離されていて、見失わないようにするのがやっとだ。エネコは人気のない町はずれの方へと向かっているらしい。徐々に、林のようなものが見え始めている。

 もともと島に住んでいた時からツバキたちと駆けまわって遊んでいたので、体力は並のポケモンほどにはあると思う。旅に出て、ゴクトー島で訓練を受けて、足腰だって多少は強くなっているはずだ。それでも、どう見ても体格で勝っているはずのエネコ相手に、追い付くことができない。シロは走りながら、奇妙な気味の悪さを感じ始める。あれは、なんだ?

 足元が土の地面に変わった。多少は走りやすくなるが、それは向こうも同じことだ。むしろ木々や草むらで見通しが悪くなり、油断したらすぐに見失ってしまいそうになる。それでもシロは必死に追い続け、そしてようやく、追い付いた。木々に囲まれた、開けた場所。そこでエネコが、こちらを向いて立っている。口にくわえていたモンスターボールは、近くの地面に転がしてあった。

『あなたの主が、ちかくにいるの?』

 シロは試しに、語りかけてみる。反応は、ない。しかし、シロはほぼ確信する。主の近くまで逃げてきてしまって、帰りつくまでにシロを撒けそうにないから、方針を変えた。
 戦って、撃退するという方針に。
 歯をむき出しにして唸り声を上げ、エネコが突っ込んでくる。シロはそれを横に跳んでかわし、反撃しようとした。しかし、

『っ!』

 シロの反撃の前に、ほぼ九十度に素早く方向を変えたエネコが、ふたたびものすごい勢いで突進してくる。今度は避けきれず、わき腹にエネコの頭が直撃する。呼吸を強引に止められ、弾き飛ばされたシロは地面を転がる。わき腹が痛み、シロはどうにか立ち上がりながら、げほげほと咳をする。が、

『っ!?』

 立ち上がった直後、再びわき腹の同じポイントに衝撃を受け、さらにシロは地面を転がる。短い草が体にチクチクと当って痛い。呼吸がおかしくなりながらも、そういうどうでもいいことだけは妙に頭に入ってくる。
 強い。
 いや、ただ強いのではない。

 容赦が、ない。

 ウミベジムやゴクトー島で経験したバトルでは、こんなことはなかった。立ち上がって、息をつくヒマも与えてもらえないほどすぐに次の攻撃が来るなんていうことは。手加減されていた。それが文字通り痛みとして、身に染みてわかる。
 しかし、この敵は違う。容赦なく、確実に、こちらの意識を奪いにきている。戦っているというより、襲われているという気分にさえなってくる。

 怖い。
 まぎれもない“敵”を前にして、シロは逃げ出したくなるような恐怖に駆られる。
 でも。
 だからといって、立ち上がらないわけにはいかない。

 先ほどツバキとネコヤマたちが話していた、その内容の全てが理解できているわけではなかった。だけど、これだけはわかる。あの老人は、自分のポケモンたちのことを、心から愛している。
 ツバキとユウトが、自分にそうしてくれるのと、同じように。

 それなら。
 立たないわけには、いかないじゃないか。

 シロにはわかる。クロが自分の居場所を探って、近づいてきていることが。
 倒れるわけにはいかない。
 ツバキたちが来るまでは。

 シロは、げほげほと絞り出すように息を吐き、目の前の“敵”を睨みつける。



◇7


「シロっ!」

 ツバキが叫んで、シロに駆け寄った。林の中、木々に囲まれた開けた場所。それほど長い時間の戦闘はしていないはずだが、既にシロはふらふらで、今にも倒れてしまいそうだった。それだけ、敵が強大だったということ。それでも、シロは倒れていない。
 ツバキは、シロの体を支えてやりながら、対峙するエネコを睨みつける。

 エネコは、焦っているようだった。追ってきたシロを撒けず。シロを撃退する前に、彼女の仲間たちに追いつかれてしまった。自分の力に自信はあるのだろう。しかしさすがに、多勢に無勢だ。

「エレンのボールを、返して!」

 ツバキが鋭く言い放つ。言葉を理解したのかどうかはわからないが、エネコは地面に置いたボールを背中にかばうように、じりじりと後ずさる。クロとクゥ、ネネを頭に乗せたユウトが、三方から囲い込むように、エネコに迫る。
 その時、エネコの後ろで、がさりと草が踏まれる音がした。

「ネンド、もういい。よくやった」

 それは、鋭い緊張感を感じさせる、青年の声だった。
 百八十センチに届くと思われる長身。暗い色の髪で顔の半分程が隠れ、映画で殺し屋がしているようなゴーグルまでかけているため、その表情は読み取れない。服装は丈の長いロングコート。細長い布袋に入った何かを、左肩に掛けている。
 彼の傍らには、白いベレー帽をかぶったような、先端が筆のようになった長いしっぽを持つポケモン。えかきポケモン、ドーブル。その種にしか扱えない特別な技で、一度見た相手の動きや能力を写し取り自分のものにしてしまうというポケモンだ。

「あなた、だれ?」

 ツバキが青年を睨みつけながら言う。ユウト、クロ、クゥが、包囲の輪を縮める。
 エネコがじりっと後ずさり、ドーブルが長いしっぽをまるで刀を持つように構える。

「コフデ、やりすぎるな」

 それが合図だったか、ドーブルが動く。わかったのは、動いた、ということだけだった。なにかものすごい速さでしっぽを振ったように見えた。直後、
 がさっ。
 なにかが草の上に落ちる音がして、見ると、近くに立つ大きな木の一部が楔形に切り取られている。その行動の意味を悟るより早く、ユウトたちに向けて大木が倒れこむ。

「ユウトっ!」
「くっ!」

 ユウト、クロ、クゥは、とっさに退がって大木を避ける。青年にとって、隙はそれだけで十分だったらしい。その直後に起こった現象に、ツバキたちは驚愕した。
 一瞬前まで、エネコだったはずのもの。それが突然ぐにゃりと形を歪ませたかと思うと、何倍もの大きさに膨れ上がった。薄紫色をしていた「それ」は、すぐに別の形と色をとり始める。
 大きな翼。橙色の体。細い首に、鋭い牙と眼光を持つ頭部。ツバキたちは、そのポケモンを知らなかった。かえんポケモン、リザードン。シラナミ地方では生息の確認されない、大型の炎ポケモン。
 ツバキたちがあっけにとられる目の前で、リザードンは翼をしならせ、飛びたつ。その背中には青年とドーブル。青年の手にはモンスターボール。

「行かせない! シロ、“でんこうせっか”! クゥ、“アイアンヘッド”!」
「クロ、“サイコキネシス”!」

 ツバキとユウトが、ほとんど同時に声を上げる。

「無駄だ」

 リザードンが口を大きく開け、炎の塊を吐き出す。それはツバキたちの足もとで爆発し、爆風がツバキたち全員を吹き飛ばす。シロたち三匹ともが技を中断され、地面を転がる。高温の熱風を受けてひりひりする肌を無視して、ユウトがいち早く起き上がり、青年たちを睨む。

「まだだ! ネネ、“リフレクター”!」

 ユウトの声に応え、ネネがふわっと目を光らせる。リザードンが飛び去ろうとするそのほぼ真上に、見えない“壁”が出現する。しかし。

「コフデ」

 青年が指示するのとほぼ同時に、ドーブルがリザードンの背から真上に跳ぶ。構えたしっぽが輝き、若葉色の刀のように変形する。それを宙返りをするように叩きつけると、“壁”はあまりにもあっさりと破壊された。“リーフブレード”を用いた、斬撃による“かわらわり”だった。

「そんな!」
「くっ……!」

 ツバキが叫び、ユウトは悔しくてたまらないという表情で青年たちを睨みつける。
 リザードンが、太陽を背にして宙に舞う。逆光でその姿が見えなくなる。

「ひとつだけ、忠告しておく」

 青年が、短く鋭い声で言う。

「あまり希少なポケモンを、見せびらかして歩かないことだ。狙われるぞ」
「っ! 待って!!」

 青年はそれ以上は何も言わず、リザードンはもう届かない高さへと舞い上がる。

「どうして……! どうして、こんなこと……っ!!」

 青年たちをのせたリザードンは、あっという間にどこかへ飛び去ってしまう。ツバキの叫びは、もう届かない。
 助けられなかった。エレンは、連れ去られてしまった。
 何もできず。こんなにもあっさりと。青年のあまりにも無感動な言動や表情が思い出されて、ツバキはたまらなくなる。
 だんっ!
 ツバキは、握った拳で地面を叩く。
 なぜ、あんな顔で、こんなことができるのか。まるで、何も感じていないかのような表情で。
 大切だったのに。おじいさんは、あんなにも自分のポケモンたちを大切に想っていたのに。
 その想いを、絆を、どうしてこんなにも簡単に、引き裂いてしまうことができるのか。

「なんでっ! どうして、どうしてこんな! こんなのひどいっ! こんな、こんなの……っ!!」

 それ以上は言葉にならず、ツバキは、青年たちの去って行った空に向けて、大声で叫んだ。



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