第4話 「鋼の心」 (4)

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2012.02.03. 投稿


◆6


「クロ、“サイコキネシス”!」

 ユウトの声に応え、クロは手近な石に意識を集中して持ち上げ、「敵」に向けて打ち出す。しかし。

「ハッ、遅え!」

 敵は難なくそれをかわし、かする様子もない。ユウトとクロが対峙する金髪の女性。彼女がモンスターボールから呼び出したのは、肉食獣を思わせる大柄なポケモン。鋭い眼光、波立つ黒いたてがみに、丸い耳。先端が十字の星のような形をした、長いしっぽ。
 がんこうポケモン、レントラー。透視能力を備えた眼と強力な発電能力をもち、決して獲物を逃がすことがないというポケモンだ。

「クロ、まずはあいつの動きを止める! “サイコキネシス”!」
「甘えな! “ほえる”!」

 クロがレントラーの動きをとらえようと意識を集中した途端、レントラーが唸りをきかせて吠え声を上げた。その声は空気をびりびりと震わせ、聞くものを委縮させる。クロの集中が途切れる。

「攻撃ってのは、こうやってやんだよ! “でんげきは”!」

 レントラーがどしんと前足を踏み鳴らすと、その爪からバチバチと火花が起こり、黒い体毛を伝ってたてがみで増幅される。そして大気を震わす吠え声とともに、ユウトとクロに向けて一直線に打ち出された。

「くっ!」

 ユウトがとっさに避けようとするが、放電のスピードにかなうはずもない。吸い寄せられるように軌道を曲げる電撃が、体を直撃する。

「ぐがっ!」

 全身を突き抜けるような痛みに、心臓が跳ねた。叫び声は全身を走る痛みにかき消される。
 電撃を直にくらったのは初めてだった。思考が停止し、脳みそが白く塗りつぶされるようだ。
 痛みによるものか猛烈な疲労感に襲われ、視界が明滅する。体が動かず、肺の中が焼け付くようで、血を吐くんじゃないかと思った。こんなものが治療に使われることもあるなんて、絶対に嘘だ。

「おとなしく渡す気になったか? 動くこともできねえかな。そんなら、遠慮なくもらってくけどよ」

 金髪が乱暴な歩き方で近づいてくる。膝をついて俯いた姿勢のユウトと、体をだらりと伸ばして気を失っている様子のクロ。彼らを金髪は、感情を殺したような瞳で見下ろす。

「船でちゃんと言ったぜ? 後悔すんじゃねえぞって。悪く思うなよな」

 金髪が、クロを抱き上げようと両手を伸ばす。その瞬間。

「っ!」

 ひゅっ、と小石が女性の鼻先をかすめた。寸前に気付いて避けたが、頬に鋭い痛みが走る。石がかすって、浅く切れているようだ。

「てめえ!」

 ユウトとクロが、同時にぱちっと目を開いて女性を見る。
 女性は乱暴に手の甲で頬を拭うと、凶暴な顔をして言った。

「いい度胸してんじゃねえか」

 ユウトとクロは黙ったまま、「敵」を見据えて立ち上がる。



◇7


 悪者と戦う。
 そんなことは、物語に出てくるヒーローの特権だと思っていた。
 ツバキももっと小さい頃、ユウトと一緒にヒーローごっこはしたことがある。けれど本物の「悪党」とか「怪人」とか「化け物」というのは、物語の中だけに存在するものだと心のどこかで思っていた。
 しかし少なくとも「悪党」は実在していたらしい。いや、見た目的には「怪人」でもオーケーかもしれないが。

 戦う。
 改めてたったひとつの選択肢を突き付けられて、ツバキはぶるりと身震いする。

 これまでだって、野生のポケモンとは戦ってきた。タビダタウンの研究所では、巨大な怪物みたいなポケモンとも戦った。つい昨日、初めてポケモンバトルというものもした。
 けれど、今目の前に迫っている戦いは、そのどれとも違う。
 野生のポケモンが縄張り主張のために襲ってきたわけではないから、適当に追い払ったり逃げたりはできない。他人がモンスターボールから出したポケモンは確か、他のボールで捕まえることもできない。ルールにのっとった競技じゃないから、勝負がついたら握手をして再戦を誓う、なんてこともない。

 そう、目の前の相手は正真正銘の「敵」であり、戦いに勝つ以外には、みんなで無事に帰ることはできないのだ。

 勝てるのか?
 ツバキは、ごくりとつばを飲み込む。

 でも。自分はひとりじゃない。

 隣には、シロがいる。
 隣には、クゥがいる。

 だから、大丈夫。

 生まれて初めて生の「敵」と対峙するツバキは、誰よりもその仲間の存在を強く感じながら、一歩を踏み出す。

「怖くはないの? お嬢ちゃん」
「怖いよ」

 ツバキは、あっさりと認めた。そう、怖くないなんて嘘だ。今まで感じたことのない「悪意」。そんなものと戦うのが、怖くないわけがない。

「でも、怖くない」

 ツバキは、きっぱりと言う。

「だって、あたしはひとりじゃないから!」

 そんなツバキをみつめて、大男は不敵に笑う。
 楽しそうに。獲物を見据える、獣のように。

「じゃあ、遠慮はいらないわね?」

 サングラスの向こうで、大男の瞳がぎらりと光ったような気がした。それが始まりの合図だったか。
 ルージュラが両手を重ね合わせ、前方に突き出す。大男が技名を叫ぶ。

「リップ、“れいとうビーム”よん!」

 重ねたルージュラの手のひらが青白く光り、そこから同色の光線が打ち出される。

「シロ、クゥ!」

 シロとクゥはそれぞれ左右に跳んで、光線を躱す。光線が当たった箇所の地面が、ビシッと氷で覆われる。

「!?」

 ツバキは驚き、しかしすぐにそれがこの技の効力であると判断した。

「シロ、クゥ、気を付けて! そのビーム、当たると凍っちゃう!」
「気を付けても、避け続けていられるかしら?」

 ルージュラは重ねていた手のひらを離し、今度は左右の腕を別々の方向に伸ばした。

「どんどん行くわよ。“れいとうビーム”ぅ!」

 そして手のひらをそれぞれシロ、クゥに向けて、二本の光線を打ち出す。両手で撃っていた時に比べ、光線は細い。二匹は今度もそれを躱したが、光線は次々に撃ち出され、徐々に二匹を追い詰めていく。
 ツバキは焦った。このままではいずれ命中して、二匹は凍らされてしまう。シロは飛び跳ねるようにして動き、クゥは体をずらすようにして避けている。クゥはシロほど俊敏に動くことができないから、連続して攻撃されるとどうしても避けながら動き続けるようなまねはできない。
 すでに何度か光線はクゥの体をかすめ、その体はところどころ氷が覆っている。このままではいつまでもつか。

(ダメだ、冷静にならなきゃ)

 ツバキは焦りでいっぱいになりそうな頭を振って、考える。アズミが言っていたことを思い出す。

(トレーナーは、ポケモンのサポート。前に出て戦うポケモンには見えない、一歩引いた視点で、状況を見る!)

 ツバキは、シロとクゥを見る。
 敵を、敵の攻撃を見る。
 そして、あれ、と気づく。

 クゥは攻撃を躱している。しかし、クゥが躱す前にいた場所とビームが通る場所が、ぴったり合っていない。
 そういえば最初に両手で撃ってきたときは、ビームは太かった。今のビームは細い上に、狙いも僅かにずれている。

(そっか、片手で撃つと、威力も下がるし狙いも甘くなるんだ)

 ツバキは必死に頭を回す。そして、反撃の道を導き出す。

(それなら、無理に全部避けようとしないで、かすりながらでも最小限の動きで避けていけば、近づける?)

 そしてツバキは、決断する。

「シロ! 躱しながら、あいつに近づいて!」

 動く余裕があるのは、シロだ。多少攻撃は受けてしまうかもしれない。たとえ少しでも当たれば痛いだろうし冷たいだろう。しかし、信じる。シロはそんなことでは屈しない。

 そして、シロもツバキを信じた。シロはルージュラを見据えると、姿勢を低くしたり少しだけ横に跳んだりと、最小限の動きだけで光線を潜り抜けながら、ルージュラに迫っていく。その耳を、背中を光線が掠め、柔らかい毛が凍りつく。しかし、怯まない。シロは着実に、ルージュラとの距離を詰める。

「いっけえ! “でんこうせっか”!」

 ツバキの掛け声で、シロが全身のバネを使い、跳ぶ。その勢いのまま、ルージュラに突っ込む。
 しかし。

「ざーんねん」

 シロの体当たりがルージュラに届く、その寸前で、シロの動きがぴたりと止まる。
 見ると、シロの胴にルージュラの金色の髪が巻き付いていた。髪はシロの体を縛り、締め上げる。シロが、苦痛のうめき声をあげる。

「シロっ!」
「甘いわね、お嬢ちゃん。ルージュラのリップちゃんは、氷の技だけじゃなくて、エスパーの力も使えるのよ。自分の髪の毛を操るくらい、かーんたん。悔しかったら、あなたもエスパーの力で抜け出してみるといいわよん?」
「っ!」

 ツバキは、歯を食いしばる。それができるのなら苦労はしないのだ。超能力が使えるのなら、初めから遠距離攻撃だってできた。

「おかしいとは思ってたのよねえ」

 大男が、芝居がかった口調で言う。

「洞窟が崩れた時、あたし最初は、あなたたちはすぐに出てくると思ってたのよ? あれくらいの岩なら、すぐにどけられるんじゃないかと思ったのよねえ」

 ツバキは歯を食いしばったまま、大男を睨む。

「なのに、そうしなかった。岩を壊したのは“いわくだき”でしょう? そっちのクチートちゃんがやったのよね。妙に時間がかかってたから、もしかして未完成の技だったのかしら? それならさっさと超能力を使えばいいのに、そうしなかった。と、いうことは、やっぱりその子、“使えない”のね?」

 ツバキは、大男を睨みつける。
 言わないようにしていた。
 閉じ込められて、怖かったけど、でも口には出すまいと思っていた。「シロが超能力を使えたらいいのに」。それは、シロを傷つける言葉だから。言わないようにしていたのに。

「ざーんねんだわあ。いくら珍しい種類だからって、これじゃあねえ。せっかく捕まえていっても、これじゃあかえって怒られちゃうんじゃないかしら?」
「やめて!」

 ツバキは、たまらなくなって叫んだ。
 何も知らないくせに。
 勝手なことばかり言われるのが、悔しくてたまらない。シロは何も、悪くなんてないのに。

「クォオ!」

 その時、クゥが突然声を上げ、走り出した。シロを捕えるルージュラめがけて、突っ込んでいく。

「っ! 待って、クゥ!」

 ツバキはとっさに叫ぶ。しかし、静止は間に合わない。
 クゥの拳が体に届くよりも早く、ルージュラはクゥの体を金色の髪で捕まえ、同じように締め上げる。

「クゥ!」
「だめだめ、ただカッとなって突っ込んできたって、何もできないわよう」

 ツバキは焦った。反撃しようにも、クゥの腕は短い。ルージュラに縛り上げられた位置からでは、クゥの拳は当たらない。せっかく新しい技を身に着けたところで、当てられないのでは意味がない。

 クゥは、クールに見えて感情的だ。あの大男の言葉をすべて理解していたわけではないだろうが、仲間であるシロが侮辱され、それに対してツバキが怒っているのを見て、たまらずに突っ込んで行ってしまったのだろう。
 その気持ちは、うれしい。
 しかし、届かない。
 その怒りは、仲間への想いは、この「敵」には届かない。

 まだ、手はないこともない。クゥには大きな角がある。あれを振り回せば、ルージュラに攻撃が届くかもしれない。
 でもダメだ。それはできない。クゥは、角を使うことを嫌っている。
 ツバキにはもう、わかっていた。
 かつての仲間に噛みつかれても、キノガッサに拳が届かなくても、クゥは角を使って防御することも、攻撃することもしなかった。

 あの角は、象徴なのだ。

 クゥが何よりも嫌う、騙し討ち。クゥのかつての仲間は、あの角をそのために使っていた。だからクゥは、自らがあの角を使うことを禁じている。
 ツバキには、できない。
 仲間のために怒り、敵に立ち向かってくれたクゥに。
 彼が何よりも嫌うことを指示するなんて。

 ツバキは歯を砕けそうなくらいに喰いしばった。
 届かない。
 仲間を信じても、仲間が信じてくれても、知恵を絞っても、仲間のために心を燃やしても。届かない。
 自分たちの力では、この理不尽な「敵」を、どうすることもできはしない。

 だからって。
 諦めるわけには、いかない!

 その時だった。
 突然、シロの体が光を放った。正確にはその額の珠が。

 バチン! と強烈な音を立て、シロを束縛するルージュラの髪が弾けとぶ。たまらずルージュラは身をよじり、拘束が緩んでクゥも抜け出す。シロの光は一瞬で消えたが、その閃光がルージュラの目を焼いたらしい。ルージュラは顔を覆いながら、よろよろと後ずさる。

 何が起こったのかはわからない。
 しかし。
 その隙を、ツバキは、クゥは、見逃さない。

「今だっ! クゥ、“いわくだき”!!」

 ツバキの声に背中を押されるようにして、クゥが勢いよく地面を蹴る。そして、拳に力を集中させ、隙だらけのルージュラの顔面に向けて、拳を叩き込む。そのインパクトの瞬間に、ため込んだ力を解放する!

「ジュラアアッ!」

 “いわくだき”をまともに受けたルージュラが、苦痛の声を上げてよろける。倒れそうな体をざわざわと動く長い髪で支え、殴られた顔を覆う。

「くっ、なによ、今のは……っ!」

 大男は突然の形勢逆転に歯ぎしりする。
 しかし驚きはしても動揺はしていなかった。

「リップ、しっかりなさい! 立て直すわよ!」

 大男の声で、ルージュラがうめきながらも顔から手をどけ、視力の戻ったらしい眼で、シロたちを鋭く睨みつける。

 ツバキは焦った。シロが放ったあの力。シロ自身も戸惑っているらしい様子を見る限り、あれは意図的に使った力ではない。しかし、敵は考える暇など与えてはくれなかった。

「リップ、もう一度二匹を捕まえなさい!」

 大男の指示で、ルージュラの髪の毛がざわざわと波打つ。そしてどういった仕組みか髪の毛が伸び、シロとクゥに襲いかかった。シロとクロはとっさに逃げようとするが、間に合わない。
 その時。

「ジュラアッ!」

 蒼く光る何かがルージュラの背中に激突し、爆発した。
 ルージュラは痛みに声を上げ、同時に髪の毛の動きが止まる。その隙にシロとクゥはルージュラから距離をとる。

 何が起こったのか。ツバキはシロとクゥが助かったことに安堵しつつも、くるくると変わる状況に思考が追い付かない。頭がショートして何も考えられなくなりそうな、その時だった。

「ツバキ!」

 声がした。自分を呼ぶ声が。
 ツバキは声のした方を見る。
 そこに、いた。
 困ったとき、助けてほしいとき、わからないとき、できないことがあるとき。
 いつでもそばにいてくれた少年が、そこにいた。

「っ! ユウトっ!!」

 ツバキは、力いっぱい彼の名を呼んだ。ユウトが走ってくる。彼の隣にはクロがいて、後ろにはアズミも一緒だった。彼女の手持ちらしい見知らぬ青いポケモンもいる。

「ジムリーダー!? んもう、ヒナってば、しくじったわね!」

 ユウトとアズミは大男の後ろに立ち、ちょうどツバキと合わせて三方を囲む格好になる。
 大男は最も脅威と判断した相手を警戒してか、アズミの方を向いてルージュラと背中合わせになった。

「そこで何をやっている」

 息を切らせた様子もなく、アズミが凛とした口調で問う。ジムにいた時とは別人のようだ。彼女の隣に立つ青いポケモンが、いつでも攻撃できるというように構える。

 大男は小さく舌打ちすると、ふっと表情を和らげて、不敵な笑みを作った。
 大男とアズミの視線がぶつかる。アズミの厳しい表情に対して、大男は余裕をみせたまま、くだけた調子で言った。

「いやあねえ、ジムリーダーさん。きれいなお顔で、そんなに睨まないでちょうだいな。あたしは、ちょおっとそこのお嬢ちゃんに遊んでもらってただけよお?」
「あなたの狙いはシロ、エーフィだな?」

 大男の言葉を無視したアズミの指摘に、むっ、と大男はつまらなそうな顔をする。

「そんなことあなたにはカンケーないじゃない? ポケモンリーグって、正義の味方ごっこが趣味だったかしら」
「あなたたちは、“バラックカンパニー”か?」
「あら」

 アズミの問いかけに、大男は意外そうな顔をする。

「どうかしら。でもそれをあたしに聞くってことは、あの子は捕まってはいないみたいね。ちょっとアンシン」
「あなたが捕まれば、同じことだ」
「そうね。捕まってあげないけれど」

 大男はふふんと笑う。アズミの視線が厳しさを増し、隣に立つ青いポケモンの放つ光が、一層強くなる。しかし大男は表情を変えることなく、代わりに何かの合図のように、すっと右手を挙げて見せた。

 その時。
 大男の周りに、ぽうっと奇妙な灯りがともった。それは青白い、火の玉、のように見えた。

 その火の玉が消えた途端、大男の姿がぐにゃりと歪んだ。

「っ!?」

 大男とルージュラ以外の全員が、奇妙な現象に驚く。大男はその輪郭をあいまいにしながら、ツバキにひらひらと手を振った。

「じゃあねん、お嬢ちゃんにシロちゃん。近いうちに、また会いましょ。もちろん、そっちの坊やと黒い子も一緒にね」
「待て!」

 アズミが鋭く言ったのと、ほぼ同時。男とルージュラの姿が、まるで周辺の空気に溶けるようにして消えてしまった。歪んで見えた空間も元に戻っていて、はじめから何もなかったかのようだ。
 不可解な去り方に、まるであんな人物は始めからいなかったのではと疑ってしまいそうになる。

 誰もが困惑して何も言えずにいたが、やがてユウトがはっと顔を上げて、ツバキの方を見た。

「ツバキ、大丈夫か!? ケガは!?」

 ユウトがツバキに駆け寄る。クロもユウトに続き、シロとクゥも戻ってきた。

「あ、うん、大丈夫……」

 ツバキは、ぼんやりとユウトの顔を見る。
 ユウトは、ツバキの顔や服が汚れていたり擦りむいたような傷があるのを見つけ、顔をしかめる。

「どうしたんだよそれ。戦ってケガしたって感じじゃないけど。どっかで転んだ?」
「あ、うん……」
「まったく、気をつけろよ。シロとクゥは? シロの毛、凍ってるのか。皮膚までは何ともないみたいだけど……。クゥは手が傷だらけじゃないか」

 ユウトはしゃがみこんで、シロやクゥの体も見ている。全員薄氷や砂埃まみれだが、目立ったケガがないことを確認すると、ユウトはほっとした顔をしてツバキに向き直る。

「ホントに大丈夫か? なんかぼーっとしてるけど」
「……」

 ツバキは、自分でもよくわからず、ただぼうっとユウトの顔を見る。
 突然その視界が、じわりと霞んだ。
 とたんに、胸がきゅうっと苦しくなって、気が付いたら、ぼろぼろと涙がこぼれていた。

「うわっ、ツバキ? おまえ、なんで泣いて」
「ユウトっ!」

 ぎゅっ、と、ツバキはユウトの肩をつかむ。服越しだが彼の体温が伝わってきて、たまらなくほっとする。ツバキはそのまま、ユウトの胸に顔をうずめ、すがりつくような姿勢になった。

「ちょっ、ツバキ、おい……」
「うぐっ、ごべん、ユウト……。すこし、だけっ、ぐず、このままで、いさせて……」

 怖かったのだ。本当は、とても。
 シロたちが助かって、ユウトが無事だったことがうれしくて。抑えていた不安や恐怖が、安堵になって溢れ出してしまう。
 自分たちの力ではどうにもならない敵の存在。それでもツバキは、今だけはただ安心して、少年のぬくもりを確かめて泣いた。



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