◇1
どこまでも広がる海原に白い筋を描きながら、船は進んでいく。
ここはウミベシティからやや南東の沖合。ふたりと三匹を乗せた船は、シラナミ地方の東端に位置する島を目指していた。
船は小型の連絡船だ。船室を挟んで船首側と船尾側に甲板がある。
そのうち船首側の甲板に座り込むツバキは、舳先に立ってまっすぐに前を見ているクゥの背中を、ぼんやりと眺めていた。
ウミベジムでのバトルの後から、クゥはツバキの顔を見てくれない。それはバトルから一夜明けた今でもそのままだった。シロはそんなツバキの隣に座り、その横顔を見つめている。
「あ~らまあまあ、かわいいお嬢ちゃんに、かわいいポケモンちゃんじゃないのお!」
突然背後から声が聞こえて、ツバキとシロはびくりとしながら振り返った。裏声混じりの野太い声色。その主は、影だけでツバキをすっぽり覆ってしまいそうな大柄な体躯を曲げてぬっと顔を出していた。
二メートル近い長身は、がっちりと鍛えられているであろうことが服の上からでも見てとれる。その頭部は日差しを受けてまぶしく輝くスキンヘッド。縁なしのサングラスをかけ、耳には大きな金輪のピアス。整えられたアゴヒゲ。極めつけに、唇にはたっぷりと塗られた口紅。一度見たが最後、忘れることのできない顔だ。
真っ黒いスーツに身を包み、指には幅の広い金の指輪。
大男は妙に艶めかしい仕草で近づいてくると、大きな手でシロを抱き上げた。
「あらまあ、近くで見るとほんっとにかわいい。よしよし、怖くないわよおん?」
片腕で胴をがっしりホールドされたまま頭をぐりぐり撫でられて、シロは背筋を震わせる。シロはツバキと違って人見知りをするが、ここまであからさまにイヤがっているのも珍しい。
「あ、あの、シロを放してよ!」
ツバキが見かねて立ち上がり、シロを取り戻そうと手を伸ばす。すると大男は意外にもあっさりシロを解放してくれた。ツバキに抱かれたシロは、心底ほっとしたように背中を丸める。
「ごめんなさいねえ、びっくりさせちゃったかしら。あんまりかわいかったものだから、つい」
大男は悪びれた様子もなく、くねくねしながら謝ってくる。
ただならぬ気配を感じ取ったのか、クゥはそっぽを向いたままの振りをしつつも、ちらちらと振り返って様子を窺っていた。
「おじさんも、この先の島に行くの?」
「あら、失礼ねえ。おねえさんでもおにいさんでもいいけど、おじさんはよくないわあ」
大男は不可思議なポーズをとりながら、ツバキの鼻先をつつく。
「あたしは、探し物にきたの。とっても珍しいものを、ね」
ぞくっ。
理由はわからない。しかしその瞬間、悪寒が背筋を走り抜けた気がした。
大男は「それじゃあね」と小さく手を振りながら、さっきまでと変わらない様子で船尾のほうへ去っていく。
「気のせい……だったのかな」
ツバキとシロは、顔を見合わせて首をかしげた。
◇
「うぷっ……くそっ、なんで船ってのは、こんなに揺れんだ、気持ちわりい……っ」
もう何度目になるだろうか。そんな品のない口調で悪態をつく声がまた聞こえてきた。
声の主は若い女性。髪は金髪、顔は俯いているせいで長い髪に隠れてよく見えない。服装は細身の真っ黒いスーツだが、乱雑に着崩されていた。
サイドテールの髪の根元につけられた、十字の星のような可愛らしい髪飾りが、不良のような外見や口調とやや不釣合いだ。
先の悪態が示す通り船酔いしているようで、極めて機嫌は悪そうだった。
「うえっ。ちくしょう、いつまで動いてんだよ、さっさと停まれ、クソ船っ」
「あの……大丈夫ですか?」
女性があんまり苦しそうなのを見かねて、ユウトは試しに声をかけてみた。狭い船室でじっとしているだけというのもあまり気分がいいものではないし、この女性にしたところで、何か話せば気がまぎれるということもあるだろう。そういう程度の軽い気持ちだったのだが。
「あァン!?」
血走った眼で、思いっきり睨まれてしまった。乱れた髪の間から見上げるような格好になっていたので、なおさら凄味があって怖い。
「えっと、なんでもないです」
ユウトは、そそくさと自分の席に戻る。女性もすぐにユウトに興味を失った、というよりそんな余裕もなかったようで、すぐに元の姿勢に戻り、またうーうーとうなり始めた。
ユウトとしては、こういう乱暴な態度の人間とあまり関わり合いにはなりたくない。しかしそれ以上に、あからさまに具合が悪そうな相手を無視できないくらいには、ユウトはお人好しでもあった。
「あの、すみません」
「あァ!?」
やはりすごい顔で睨まれる。しかしここで引いてはいけない。
「これ酔い止めの薬なんですけど、よかったら」
その言葉に、ピクリと女性の眉が動いた。
「……」
女性は黙って、乱れた髪の間からユウトを見上げている。
「えっと、よかったら、どうぞ」
ユウトがそう言って、一粒分薬を差し出す。
「……」
女性は少しの沈黙の後、無言のまま錠剤を受け取ると、一息にごくりと飲み込んだ。ユウトもそれ以上は何も言わず、自分の席に戻った。
その後、女性の悪態は聞こえてこない。たまたまユウトと目が合うと、女性はばつが悪そうにそっぽを向いた。
「おい、お前」
「はい?」
ユウトは女性のほうを見て答える。女性は椅子の背もたれに肘をついて、窓の外を向いたまま言った。
「あとで、後悔すんじゃねえぞ」
「?」
言っている意味はわからなかったが、それきり女性が何も話す気がなさそうなので、ユウトは聞き返さないことにした。あれだけの悪態を見せた手前、素直に礼を言うのが気まずかったのかもしれない。このときはそう思っていた。
◇
「船の上でさ、なんか、変な人に会った」
「ああ、おれも」
船が到着し、ふたりと三匹は港に降り立つ。ふたりが船で出会った「変な人」たちはすでに降りてしまったようで、再び顔を合わせることはなかった。
ツバキたちの後に続いてもう一人、板を渡しただけの簡素な橋をギシギシ鳴らせながら、船から出てくる少女がいた。ツバキもユウトも船上で会った記憶がなかったので、おそらくは船尾側の甲板にいたのだろう。
その足取りは覚束なく、腕に抱いた夕焼け色の小さなポケモンを、もしも落としたらこの世が終わるのではというほど、ぎゅうっと抱きしめているようにみえる。なにか呟いているようで、「ここは、森……森の中だから、大丈夫……」というような言葉が細々と聞こえた。長い前髪に隠れた俯きがちな視線は、前が見ているのかも怪しい。そして。
どんっ。
「あたっ」
「きゃっ」
つられてぼうっとしていたため避けることが頭になかったツバキと、正面からぶつかった。短い悲鳴と共に少女はふらりと尻餅をつく。
「何やってんだよツバキ! 大丈夫ですか?」
あたしが悪いのか、とツバキは一瞬不満に思ったが、転ばなかったツバキが少女を見下ろしているような構図に気づくと、なんだかやっぱり自分が悪いような気がしてくる。ユウトが心配そうに少女に近づくと、少女は急にびっくりしたような顔をして、
「木が、動いて……!」
とかろうじて聞き取れる言葉を、消えそうな声で呟いた。「木?」とツバキとユウトが疑問符を浮かべると、はっとしたように少女が首を振って、ようやくツバキたちの方を「みた」。
文字通り、まるで今初めてツバキたちの存在を認知したかのようだ。腕に抱かれていたポケモンもぱちっと目を開く。
「あっ、あっ……。えっと、その、ごめんなさいっ……!」
少女は慌てて頭を下げる。その声はやはりとても小さく、しっかり聞いていないと波の音に消されそうだ。
「えっと、あたしもごめんなさい。だいじょうぶ?」
ツバキが差しのべた手に、少女は戸惑う。しかしポケモンを抱いていた手を右手だけ放しておずおずと差し出してきたので、ツバキはその手をしっかりとつかんで、少女が立ち上がるのを手伝った。
「あ、ありがとう、ございます……」
少女が、また消え入りそうな声で礼を言う。
少女はツバキたちより年上にみえた。黒い上着と黒いスカート、そして背中まで届く髪の色もまた混ざりっ気のない黒で、シラナミ地方では少し珍しい。髪に隠れがちなその瞳も、吸い込まれてしまいそうな黒。
抱いている夕焼け色のポケモンは、大きな耳と、くるんとカールした頭の毛が可愛らしいポケモン、ロコンだ。シロやクロより二回り以上小さな体は少女の腕にすっぽりと収まり、ぶら下がる大きな尻尾がふさふさと揺れる。
ロコンが少女を見上げて「こんっ」と鳴き、少女は慌てたように頭を下げる。「それじゃあ……」とまたか細く言うと、声をかける間もなくすぐに走り去ってしまった。
「なんか、変わった人がたくさん乗ってる船だったね」
「本当に」
ツバキたちは不思議な少女が去って行った方を見る。しかし彼女とロコンの姿は、もうどこにもみつけられなかった。
◆2
港に降り立ったふたりと三匹は、やってきた島をの姿をみた。島の中心は山になっているようで、緑は少なく岩肌が目立っていた。その麓から階層を作るように建物が見えるが、対してあまり人気がない。吹き抜ける風がどこか寂しげな、とても静かな場所だった。
ゴクトー島。シラナミ地方の最東端。シラナミ本島を時計に例えると、だいたい二時のあたりにあるウミベシティに対して、ゴクトー島は三時の位置からまっすぐ東の先にある。ツバキたちが暮らしていた島よりも大きく、鉄鋼石が採れる鉱山の島として栄えていたらしい。
ユウトたちふたりと三匹がこの島にやってきたのは、昨日出会ったウミベシティのジムリーダー、ホクトの「提案」を聞いたからだ。
それは、ポケモンバトル初心者であるツバキに、ジムでバトルを学んでみないかというものだった。
「あのクチートは、どうやら格闘の技に興味があるようだね。もちろんおれが直接教えてもいい。でもあの子たちにとってたぶんおれは、教えを乞うより、リベンジしたい相手なんじゃないのかな」
自身もそれを望んでいるような、どこか楽しそうなホクトが示したのが、このゴクトー島だった。この島にもポケモンジムがあり、ホクトはそのリーダーと知り合いらしい。それをユウトが伝えると、ツバキは眠るクゥを前にしながら、「行ってみたい」と拳を握ったのだった。
「えーと、ジムってどこにあるんだろ?」
ツバキが、きょろきょろとあたりを見回す。船に疲れてしまったのか、前足をだらんとさせているクロを頭上に乗せながらユウトが言う。
「さっき船長さんに聞いたら、山に向かって島の中心のほうへまっすぐ行けば、見えてくるって言ってたけど」
「そっか。じゃあ、行ってみよ!」
ツバキが元気よく歩き出して、クゥは一瞬ためらった様子を見せてから、少し距離を置いてついて行く。ツバキとクゥは、昨日からずっとこんな調子だ。シロが心配そうにユウトの顔を見上げる。
「大丈夫だよ、シロ。おれたちも行こう」
そう言ってシロを励ましてはみるものの、ユウトもやはり心配だった。
クゥの気持ち。その全てはクゥ自身にしかわからないが、昨日の戦いで感じただろう悔しさ、無力感、そしてツバキへの不信感が生まれつつあること。クゥの中にあるそんな想いが、見ていてわかるような気がしてしまう。そしてそのことをツバキは、少なくともユウト以上には、感じ取っているに違いない。空元気を振りまいてはいるものの、どこかぎくしゃくとしていて明らかにいつものツバキと違うのが、見ていて少し痛い。
船長に聞いた通りの道を歩いていくと、体育館のような建物が見えてきた。建物の前にはグラウンドのような殺風景だが広い庭があり、門には文字がひとつずつ書かれた板を並べて貼った、手作りの表札がついている。そのあまり統一感のないカラフルな文字は間違いなくここが「ゴクトージム」であることを示しているのだが、これだけの印象だとジムというより子どもの集まる施設のようだ。
「なんか、昨日のジムと違うね」
「ここにも人が見当たらないけど、ほんとにここで合ってるのかな」
港からここにいたるまで、全く人に出会っていない。みかけたのは空で鳴き声を響かせるキャモメと、さらに高くを悠然と滑空する金属を纏ったような鳥ポケモンだけだった。建物はあるが、本当に人の住んでいる島なのだろうか。
「でも、ここにジムって書いてあるよ? とにかく入ってみよ!」
ためらいなく入って行くツバキに続いて、敷地内へと進む。グラウンドの中ほどまで来たところで、シロが何かを感じ取ったように、ぴくんと耳を動かして止まった。クゥも気付いて立ち止まり、何かを警戒する顔になる。どうしたの、とツバキが聞く前に、ことは起こった。
ぼこっ。
突然一行の目の前の土が盛り上がり、そして。
「コテツ、“どろかけ”だっ!」
という子どもの声が聞こえたとたん、真っ黒い泥が巻き上げられてツバキたちに襲い掛かった。突然の広範囲攻撃に、気配に気づいていたシロとクゥも反応できず、ふたりと三匹はそろって頭から土まみれになってしまう。
土に水気が少ないせいか、“どろかけ”といっても湿った土程度のもので済んだ。洗濯的には不幸中の幸いだったと、頭がすぐ家事関係にはたらくユウトはいくらか安心する。
今ので目が覚めたらしいクロが、ユウトの頭上で不機嫌そうに体を震わせる。
「やった、しんにゅうしゃにこうげきせいこう! ほら、おまえもこうげきしろよ!」
「う、うん。えいっ!」
どこに隠れていたのか、いつの間にか現れた子どもふたりが構えていたのは水鉄砲。狙いがろくに定まっていないせいで水流はまんべんなく襲い、結局全員が泥をかぶったのと変わらない状態になる。ユウトの表情が落胆の色に変わった。
最初の声の主は、つばを後ろにして帽子を被り、体のあちこちに絆創膏を貼りつけた男の子。もうひとりは対照的におとなしそうな女の子で、肩まで伸ばした明るい髪をおさげにしている。
そして地中から顔を出したのは、頭と背中が金属の甲羅で覆われた小さな生き物。てつヨロイポケモン、ココドラだ。
「こら、コウタ、セキナ! おまえら何やってんだ!」
さらに別の声がして、体育館の隣に立つ家から少年がひとり飛び出してくる。年齢は先の二人よりも上のようだが、ツバキたちよりは少し幼い。短く刈った髪と利発そうな顔つきをしていて、イタズラを止めに来たところから見ても兄貴分といったところだろう。
セキナと呼ばれた女の子のほうは途端に委縮して泣きそうな顔になり、コウタというらしい男の子は「やべ」と言って素早く逃げ出す。少年はツバキたちの前まで来るとココドラを抱き上げ、「おまえまで何やってんだよ、コテツ!」と硬そうな頭を拳で小突いた。
「わるい、あんたたち、大丈夫だったか?」
言葉づかいこそ丁寧ではないが態度はしっかりしていて、どうも弟分のイタズラの謝罪には慣れている様子だ。
「あ、うん。ちょっとびっくりしたけど、平気だよ。ね、ユウト」
「ん、まあ。こっちこそ、勝手に入っちゃ悪かったかな」
ツバキが笑顔を返し、ユウトも怒ってはいないことを示すと、少年はほっとしたように息を吐く。
「ううん、全然。あいつらはふざけてただけだよ。あんたたち、ジムの挑戦者か?」
「えっと、挑戦っていうわけじゃなくて。ジムリーダーの人って、いる?」
「アズ姉に用事か。挑戦者以外のお客さんは珍しいな。まあいいや、じゃあ、案内するよ」
少年がくるりと後ろを振り向くと、彼のすぐ後ろに、とても申し訳なさそうな表情でさっきの女の子が立っていた。今にも泣き出しそうに少年のことを見上げている。
「テツ兄ちゃん、ごめんなさい」
「セキ、謝るんならおれにじゃなくて、こっちの人たちにだろ」
少年が厳しい顔で言うと、女の子はきゅっと委縮して、少年のシャツの裾をつかみながらツバキたちのほうを見た。
「ごめん、なさい……」
「ううん、いいよいいよ。気にしないで、ね」
そう言ってツバキが女の子と視線を合わせようとしゃがみこむが、女の子は途端に少年の後ろに隠れてしまった。
「ツバキ、怖いってさ」
「ええ? そんな、怖くないよ? 怒ってないし。ね、ほら、だいじょうぶだからー」
ツバキが女の子の頭を撫でようとすると、女の子はさらに委縮して、家のほうへ逃げて行ってしまった。
「あ、えーと……。あんたたち、とりあえず拭くもの貸すからさ、中へ入んなよ」
伸ばした手のやり場に困っているツバキの情けないポーズを見ないようにしながら、少年が気遣いの言葉をかけた。
◇
通されたのは、一面が窓になっている開放的な部屋だった。テツロウと名乗った少年は「アズ姉」なる人物を呼んでくると言ってどこかへ行ってしまったきり、まだ戻ってこない。ふたりと三匹が手持ち無沙汰に突っ立っていると、先ほどの水鉄砲少女がタオルを持ってやってきた。
「あの、これ……」
「ありがと!」
ツバキがにこっと笑って受け取ると、セキナは急いでドアのところまで引き返してしまう。
「ツバキ、嫌われたな」
ユウトは顔を拭いながらからかい、シロとクロも拭いてやる。ツバキが「なんでー」とぐずぐず言っていると、セキナが顔だけ出してこちらを見ているドアから、「セキ、なにやってんだそんなとこで」とテツロウの声が聞こえてきた。テツロウがセキナを中に入れ、自分も入ってくる。そして彼の後に続いて、すらりとした長身の女性が現れた。
「すまない、待たせたね」
澄んだ声でそう言って、女性はふたりに挨拶する。
切れ長の目をした整った顔立ちは穏やかな大人の女性の雰囲気をもち、ゆるくウェーブのかかった長い髪はうなじのところでまとめられている。服装は袖幅の広いゆったりしたシャツにロングスカート。
知的だがそれでいて柔らかな印象のこの女性こそが、どうやらテツロウの言う「アズ姉」であり、そしてこのゴクトージムのジムリーダーらしい。
「はじめまして。アズマ・アズミだ。きみたちは、ツバキさんにユウトくんだね。話は聞いているよ」
「え? 聞いてるって、だれから?」
きょとんとするツバキに、アズミは柔らかく微笑む。
「もちろん、ウミベシティのジムリーダー、ホクトからさ。見どころのある少女と少年にわたしのことを紹介したから、今日にでもここに来るだろうとね。きみたちのことだろう?」
見どころと言われて照れるツバキを、横目で疑わしそうにユウトが見る。
「じゃあ、ホクトさんもここにきてるの? 同じ船に乗ってたのかな」
「ああ、すまない、説明が足りなかったかな。ホクト自身が、ここに知らせに来たわけじゃない。ここには電話があるんだ。まだどこにでもあるものではないから、珍しいかな」
他地方では当たり前に使われているものでも、シラナミ地方には普及していないものは多々ある。
この地方でもっとも高い技術を有しているのは、シラナミリーグ関係施設だ。ポケモンジムやポケモンセンターには、たいてい有事に備えた通信設備が置かれている。リーグには四天王と呼ばれるトレーナーがいて、そのうちの一人が電気ポケモンの使い手であると同時に機械技術に長けており、リーグ本部でさまざまな設備の管理・開発を行っているという。
しかし住んでいた島からほとんど出たこともなく、電話など見たことも使ったこともないツバキたちには、昨日のことがもう伝わっていることが不思議に感じられるのだった。
「ホクトから、だいたいの経緯は聞いている。だけどわたしは、きみたちをジムに入れてくれと頼まれているわけじゃない。彼からはきみたちの望むようにしてやってほしいと言われている。そしてわたしも、そのつもりだ」
アズミはそう言って、一度言葉を切った。ふたりも自然と背筋が伸びて、彼女の次の言葉を待つ。
「ジムリーダーのわたしがこう言うのもなんだが、ポケモンバトルはあくまで競技。無理強いする気はない。でもきみたちが望むなら、わたしはできる限りの協力をしよう。若輩ながらジムリーダーの名前を背負う以上、それなりのことはできるつもりだよ。そこは安心してもらっていい」
そこでアズミは、ふっと真剣な表情を和らげた。
「恥ずかしながら、このジムには訓練生がいないんだ。きみたちがここでなにをしていくかは自由だが、島に滞在する間はここにいてくれて構わない。部屋は余っているからね」
「え、でも、そこまでお世話になるわけには」
「気にしなくていい。この島にポケモンセンターはないが、ここはジムの訓練生が泊まりこむための家だ。だから広いし部屋数も多いんだが、今はわたしとこの子達しか住んでいないんだ。子どもたちも喜ぶ。歓迎するよ」
遠慮がちなユウトに、アズミは微笑んで言った。するとツバキがしびれを切らしたように進み出る。
「じゃあ、じゃあ早速! あたしたちに、バトルを教えて! ここで強くなって、もう一度ホクトさんたちに挑戦するんだ!」
ツバキは、拳を握って力説する。そんな後姿を、クゥがみつめている。
アズミがそんなツバキとクゥを順に見た。
「そうか。それなら責任を持って指導させてもらおう。そうだな、きみたちは旅の途中なんだろう? どこか急ぎの目的はあるのかい」
「ううん! 目的はシラナミ地方一周だけど、全然急いではないよ!」
「よし、ならこうしよう」
そう言って、アズミは指を二本立てた。
「二週間。それでわたしは、きみたちにバトルの基礎と、いくつかの技を教える。もちろんそれで不足ならもっといてもらって構わないが、目標はあったほうがいいだろう?」
「うん、わかった! それであたし、絶対強くなるから! いいよね、ユウト?」
ツバキは力強く言うと、くるりとユウトのほうを振り向いた。ユウトは小さくため息をついて、「だめって言っても聞かないだろ」と微笑み返す。
ようやくいつものツバキらしくなってきた。
あとは、と思いながら振り向くと、クゥが硬い表情でツバキをみつめていた。
アズミはそんなふたりと三匹を柔らかい笑顔で見ていたが、ぱん、と手をたたいて言った。
「よし、じゃあ少し早いが昼食にしよう。訓練はそれからだ。さあ、短期間とはいえ、きみたちはこの家の住人だ。手伝ってもらうよ、ツバキ、ユウト」