11杯目 追憶 終わりへの始まり

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 追憶。
 意識は、あの頃のあの日へと。
 静かに、静かに。遡る。







   ◇   ◆   ◇








「あ、落ちちゃった…」

 ファイアローの背にまたがるつばさが静かに呟く。
 その声音に、焦りの色はない。
 ファイアローの背にまたがり、飛翔していた。
 ファイアローへと進化を遂げたばかりの彼。
 そんな彼の。慣らす意味でも、練習になればよいなと。
 そう思い、空を駆けていたのである。
 決して、歩くのが面倒くさくてとかではない。
 鬱蒼と生い茂る、緑の森を通過するのが面倒くさかったとか。
 そんなことは決してない。
 ないのだ、ないのだ。
 そう必死に心で唱える。
 だから、抱えていた白の毛玉が落ちてしまったのは。

「事故よ、事故」

 だから、落ちてしまったのだ。
 そう、落ちてしまった。事故なのだ。
 決して、落としてしまったとかではない。
 ほんの一瞬だったと記憶している。
 ファイアローの背で感じる風圧が新鮮で、ちょっと支えとして彼を掴んでいた手を離してみたくなった。
 そして、白の毛玉を抱えていたことなど忘れて。
 うわあ、と手を離してしまった。
 一気に襲ってくる風圧に、一瞬はしゃいだ。
 そんなつばさの視界の端で、白の毛玉が風圧に負けて弾かれる様をみた。
 そして、先程の呟きである。
 落ちちゃった。
 決して、落としてしまったとは言わない。
 落ちてしまった白の毛玉。
 けれども、つばさは心配する素振りはなく。
 落ち着いたものである。
 だって、つばさは知っている。
 慌てなくとも、彼が掴みに行ってくれると。
 ほら、ファイアローが下降を始めた。
 そして。程なくして彼の脚が、がっしりと白の毛玉を掴んだ。



   *



 程なく、森の拓けた場所へとファイアローは舞い降りた。
 地へと足を着けたつばさは、ぶるり、一つ身震いする。
 緑の生い茂る森。だが、その様は白化粧。
 地表を染めるは白銀。季節は冬。
 その寒さに思わず身が震えたのだ。
 着込んでいるとはいえ、寒いものは寒いのだ。
 ファイアローの背に乗っていた際は、彼の持つ特性に助けられていた。
 特性、焔のからだ。
 生命を育むそのあたたかさは、触れている者にも熱を伝える。
 さながら、空飛ぶカイロ。
 便利。とは思っては駄目なのかもしれないが、今の時期には最適なものだと思う。
 そしてつばさは白の毛玉を探すため、きょろっと周辺を見渡す。
 けれども。

「りん?どこ?」

 りん、とは白の毛玉の名。
 その姿がどこにもない。
 おかしいな。
 そう思ったとき、くるるっと鳴くファイアローの声が聞こえた。
 その声に振り向けば、よいしょっと片足を持ち上げた彼がいて。
 その下に尾が生えていた。
 否、それが。

「りん!?」

 つばさの探していた白の毛玉。
 またを、イーブイと呼ぶ。
 慌てて駆け寄ったつばさ、そのまま慌てて雪を掘り出す。
 すぐにイーブイの発掘に成功する。
 よかった、意識はあるようだ。
 冷えてしまったイーブイの身体をあたためるように、そのまま彼を抱えてファイアローの身体へ密着させる。
 すぐに彼の体温が伝わり、ほっと息を吐いた。

「イチはあったかいね」

 ほおっと、再度息を吐き出す。
 イチと呼ばれたファイアローは、嬉しそうにつばさへ頬を擦り寄せた。
 よしよしと、そんな彼の首すじを撫でると、つばさは抱えたイーブイの顔を覗きこむ。
 そろそろあたたまった頃合だろう。

「りん、どう?」

 そんな問いかけをしたのだが。
 ぎろり。
 返ってきたものは、そんな鋭い目付。
 その瞳が語る。
 誰のせいでこんなことになったのか、と。
 思わず目をそらすつばさである。
 仕方ないではないか。
 事故だったのだから。
 落としてしまったのではなく、落ちてしまったのだから。
 あはは、と乾いた笑みがこぼれた。
 そんな彼女に、さらに鋭い視線が突き刺さる。
 あはは、はは。
 ぎろーり。
 あは、は。
 ぎろぎろーり。

「………」

 負けたのはつばさであった。

「そうよ、悪いのは私よ。落としたのはわたしですう」

 不貞腐れて呟く。
 こうなったら、開き直りも大切だ。
 はあ、と大きなため息は誰のものか。
 目で追わなくとも分かる。
 抱えるイーブイだ。彼しかいない。
 呆れてものが言えない。
 そんな心境だろう。
 イーブイの思っていることなど、言葉が交わせなくとも分かる。
 物心ついた頃からずっと一緒だった。
 家族のようで、親友のような存在。
 お互いに、出会うべくして出会った。
 つばさはそう思っている。
 自分達なら、何があっても大丈夫。
 何にも負けることはない。
 そう、思っていた。


   *



「さて、そろそろ行こっか」

 暫しファイアローに寄り添って暖をとっていたが、いつまでもじっとしているわけにもいかない。
 すくっと立ち上がったつばさは、強ばった筋を解すように大きく伸びをする。
 出来れば、今夜中には最寄りの街へたどり着きたい。
 小さな街なのだが、石造りを基調とした街並みは、隠れ名所として囁かれている。
 少し観光気分を味わうのもいいだろう。
 それに、その街にはつばさの叔母にあたる人が喫茶を営んでいる。
 久しぶりに叔母にも会いたいと思っていた。
 それに。こんな冬の半ばに野宿など。
 下手をすれば生命の危機すら感じる。
 とりあえず、野宿は避けたい。
 急ごう。徒歩で進むにしても、街までそれほど遠いわけではない。
 きっとたどり着ける。
 よし、と気合を入れ直し、つばさはファイアローへと振り返る。

「イチはボールの中で休んでて」

 そう言うとファイアローが、いやいや、と首を横に振る。
 ほら、僕が連れていくよ。
 そう訴えるように、つばさに背を向けて体勢を低くする。
 まだ飛べるよ。
 そう言っているのだと分かった。
 けれども、つばさは気付いている。
 近くまで歩み寄ると。

「だめだよ。実は限界に近いって、分かってるんだから。無理はだめ」

 そう言って、つんっと彼の額を軽く弾く。
 そしたら、彼の瞳が涙で揺れ始めて。

「そんな目で見てもだめ」

 見上げてくるその瞳に、一瞬が心が揺らぎそうになる。
 けれども、ここで負けてはだめなのだ。
 だって、知っている。
 知っているから、譲れないのだ。

「イチ。私は知ってるんだからね」

 何を、と問い返すように、ファイアローは首を傾げる。

「この間のジム戦で進化したけど。あなた、気合で進化したでしょ」

 その言葉に、ファイアローがさらに首を傾げた。
 何のことか分かりません。

「進化するには、まだ、十分な強さは得られてなかったでしょ」

 今度は反対方向へと首を傾げるファイアロー。
 言っている意味が分かりません。

「それを気合で補って進化したから、身体に負担をかけてるんでしょ」

 さらに首を傾げ……る前に、つばさに抱き付かれてしまったファイアロー。
 顔を埋められた首もとから、くぐもったつばさの声が聞こえた。

「だから、無理しないで。今は少しずつ、身体をつくっていかなくちゃだめ」

 そのように言われてしまっては、とぼけるわけにはいかないではないか。
 観念したファイアローが、くるるっと声を発した。
 無理をした自覚はある。
 だって、つばさの笑顔が見たかったから。
 だから、君に“勝利”をあげたくて。
 でも、それには圧倒的に強さが足りないと思って。
 強さが欲しいと思った。
 まだ早い。それは分かっていた。
 進化できるだけの。進化に耐えうるだけの身体ではない。
 それは分かっていた。
 けれども。
 たぶん、今しないと後悔をする。
 後悔をするくらいなら。
 そう思って、足りない強さを気合で補い。
 新たな姿、新たな強さを得た。
 完全ではないと思うけれども、進化前よりも断然に違う強さを自覚した。
 そして、何とか“勝利”をもぎ取った。
 けれども、その代償は決して小さくはなかった。
 まだ不十分だった身体は。
 成長をしきれていなかった身体は。
 その新たな強さには耐えられなくて。
 その様が今なのだ。
 長時間飛ぶことも出来ない。
 すぐに疲れが現れる。
 発達した筋肉に、身体が悲鳴をあげる。
 だから、今は少しずつこの身体にならす時期なのだ。
 幸い自分は、まだ成長期。
 無理をしなければ、身体は馴染んでくる。
 でも、君の役に立ちたくて。
 まだ飛べるよ。
 そう、言った。
 だから決して、君にそんな顔をさせるつもりはなかった。
 何よりも大切なのは、君の笑顔。
 だからここは、素直に観念する。
 こくり、一つ頷くと。
 顔をあげた彼女が笑った。

「なら、いいや」

 そのままつばさは立ち上がる。
 モンスターボールをファイアローへと向けると、一本の筋となって光が走った。
 赤の光に包まれた彼は、そのままボールへと吸い込まれていく。

「よしっと」

 彼も分かってくれたようでよかった。
 今は無理をさせられない。
 きっと自分の責任でもある。
 勝利に拘るあまり、彼に無理をさせてしまった。
 だから、自分がしっかりとしなければ。
 ボールを腰のホルダーに戻す。

「じゃあ、りん。行こっか」

 ここからは徒歩。
 それほど遠くはないとしても、不慣れな雪道。
 気を付けて進まなくては。
 そう思って、イーブイの姿を探す。
 なのに、どこにも彼の姿がない。

「りん?」

 再度呼ぶ。
 そしたら、遠くで彼の声がした。
 声の方へ目を向ければ、その先は草木が生い茂っており。

「そっちにいるの?」

 少し億劫な響きを持たせて、つばさは歩みを進めた。
 視界を遮ろうとする草木を避けながら、声のした方へ進む。
 進むにつれて、水の音が聞こえてきた。
 そして、視界が拓けた頃。

「川じゃん」

 その川縁に、イーブイがいた。
 川があったのか。それならば、あの子の力を借りられる。

「さすがりん。これなら早く着きそう」

 足もとまで近寄ってきたイーブイが、にやり、と笑った。
 彼だって、こんな雪道を歩いて進むのは御免なのだ。
 ならば、使える手段は使った方がいい。
 幸いにしてこの川は、流れが街の方へ向かっている。
 この流れに沿って下れば、歩いて向かうよりも時間の短縮になるだろう。
 そして何より。
 ここで、イーブイの口の端が持ち上がる。
 そして何より、自分が楽なのだ。
 歩かなくてすむ。なぜか雪にはまる予感しかしないのだ。
 これではまる心配はないな。
 ふっ、と笑っていたら。

「りんっ!置いてくよっ!」

 そんなつばさの声がして。
 気が付いたら、傍に彼女の姿はなくて。
 声の方向に顔を向けたら。

《りんりん、置いていきますよ》

 彼女の背に飛び移った、彼女がいた。

「もう、置いていっちゃおう」

 つばさの言葉に。

《それもそうですね》

 くすり、と応じる気配がして。
 頷く彼女は、そのまま川縁を離れて。
 イーブイは慌てて川縁を蹴り上げる。
 だが、広がった彼女との距離は、縮まることはなく。
 そのまま空しく、降下を始める。
 まずい。このまま冬の川に飛び込む。
 そう思ったのだが。
 自分を優しく抱き止めたのは、つばさの腕だった。
 顔を上げると、にひっと笑むつばさがいて。
 ああ、嵌められたのだ。
 そう思った。
 はあ、と深いため息ついた。
 そしたら、ふふっという声が聴こえて。

《りんりんが呆けているからですよ》

 別に呆けてなど。
 いや、彼女に言ったところで。

「そうだよ、りんが呆けているからだよ」

 うるさいのがうるさくなるだけ。
 ね、と彼女達が互いに頷き合うだけで。
 反論する気も失せる。

「ライラ、街の近くまでお願いしてもいい?」

《はい。もちろんです、つばさ》

 つばさの言葉に頷く彼女は。
 海色の身体に大きな甲羅を持つ。
 海の竜こと、ラプラス。
 もともと高い知能を持つと言われるラプラス。
 そのためなのか。
 彼女は人の言葉を解する。
 そして不思議なことに、自らの意思を伝える術も有していた。
 だがそれが、つばさと同じ言葉を扱っているのか、そうでないのか。
 それは彼女にも分からない。
 ただ分かるのは、つばさと波長が合った。
 それに触れてみたら、つばさに自分の気持ちが伝わった。
 ただそれだけだったし、それだけでよかった。

《それでは参りましょう》

 つばさ達を背に乗せ、ラプラスは川の流れに身を委ねた。
 目指すはあの街だ。

「川下りも楽しいね!」

《ふふっ、そうですね》

 久しぶりの水の感触が嬉しかったのか、ラプラスが一つ跳ねると。
 踊る水しぶきがきらきらと煌めいた。


 それが。終わりへと向かう、始まりの瞬間だった。
 終わりへの始まり。
 つばさ達の運命の街は、もうすぐだ。


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