この世界に、リアリズムは必要か?

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作者:逆行
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読了時間目安:32分
 あらゆる物が散乱しており、カオス、という陳腐な言葉以外でもはや表現しようがない空間と化していた。食品は別所の冷凍庫に入れる規則を律儀に守り続けていたおかげで、腐臭は漂っていないのがせめてもの救いだった。
 ガルーラが貸与する探検隊向けの倉庫を何年も掃除しておらず、倉庫は要らない物や要るのか分からない物で溢れ返っていた。特に、タダの種が数え切れない程落ちていた。タダの種は復活の種を消費した後に惨めったらしくゴミとして残る物だが、いつの間にやら倉庫に溜まってしまっていた。売るなり捨てるなりすれば良いだけなのに、毎回倉庫に立ち寄った際に、他の道具と一緒くたに放り込んでしまう。
 少しずつ整理していこうと思い、ひとまずタダの種のみを回収し、隣のカクレオンの店へ持ち込んだ。
「すいません。こちら買い取りとかって可能でしょうか」
 巾着から大量のタダの種を出して並べる愚かな客に対しても、カクレオンは一切営業スマイルを崩さない。だが、こんな利益にならない物を纏めて売る輩に内心、商品を盗まれるのに匹敵する程の怒りを抱いているに違いない。
「あ、そうだすいません。復活の種ってあります?」
「あいにく、今日は入荷されていないんですよ」
 恥も外聞もなく言ってしまうと、復活の種は自分らにとってライフラインと呼べる物である。復活の種が買えるかを確認したいがためにカクレオンの店には毎日訪れている。入荷がない日は「悪い日だ」と率直に思う。
「分かりました。すいません、ありがとうございました」
 タダの種を売り終え店から出た時、丁度ピカチュウがこちらに向かってきていた。
「おーーーーーーーーい! お待たせ、変更してきたよサンド♪」
 探検隊としてのパートナーであるピカチュウは、エレキブル連結点で技の連結の変更対応をしに行っていた。
 ピカチュウはPP(技の使用回数)が七の『かみなり』とPPが十七の『電気ショック』を昨日まで連結させていた。連結技はどちらか一方の技のPPが切れると、連結が外れてしまう下衆な仕様になっている。そのため、彼はPPが回復するまで六回のみ連結技を使っていた。だがこれでは、『電気ショック』のPPが相当無駄になる。
 この非効率さに彼は気が付いていたが、何となく億劫だったらしく今まで変更対応せずにいた。
「ふう~~~っ! 終わった終わったー。これでボクらの探検がグッと楽になっちゃうね!」
 ピカチュウはいつも通りの調子で、太陽のような笑顔で明るく言った。だが連結技を変更した程度では探検難易度は然程下がらないだろう。そんな現実的で無粋な指摘は、彼にはしにくい。
「心機一転、なんだかワクワクしちゃうね! よーし今日も頑張るぞぉー! じゃあ、行こう! 依頼探しに!」
 ピカチュウは自分の手を引っ張りながら走った。体内に蓄積されているであろう電気が、彼の掌から少し伝わってきた。いつ何時も変わらず、彼は探検隊としての活動に前向きな姿勢しか見せない。探検隊として夢を追いかけるのが、心の底から楽しいと感じているのだろう。彼には変わってほしいとも変わらないでいてほしいとも思う。


「えーと……。どれにしようかな♪」
 掲示板には依頼が何件か残されているが、喜ばしい物はどうも見当たらない。少しの労力で捌けてなおかつ実入りが良い、俗に言うおいしい依頼は大抵他者に奪われるのだ。おいしい依頼、という呼称は探検隊間では平然と用いられているが、間違っても表で口走ってはいけない。
 現在売れ残っているのは、依頼主をダンジョンの指定階層まで連れて行く『同行系』のみであった。道中の野生ポケモンが強くて一人では探索に危険が伴うため、探検隊にボディーガードを依頼するポケモンは多くいる。だが、いかんせん『同行系』は探検隊側からの人気が低い。途中で依頼主の体力が尽きる事故が頻発するうえに、緊急性が然程ないため報酬額も並だからである。
 隣には、やや小さめの赤で塗られた掲示板が立っている。だが、本日はこっちの掲示板には依頼は無かった。普段ならこっちには、他の探検隊が失敗してしまった依頼や、請け負ったものの長らく放置されている依頼が掲載されている。
 特に多いのが、依頼を二つ同時に受けたが、片方の依頼を放置してしまうパターンである。例えばダンジョンの5Fの依頼をこなした後、もう片方の15Fまで行く必要のある依頼は面倒になり、そのままダンジョンから離脱してしまう、という感じだ。
「今日はもう依頼受けるの無理だろう。諦めよう」
『同行系』は自分も苦手意識が強いうえに、おいしい依頼とは対極であるため、こう提案した。だが、即ピカチュウから反論が飛んでくる。
「ええ~~~~~っ!!? ちょっと!? できそうな依頼あるよ! これにしようよ!」
「あ、まあ、分かった」
 彼は『同行系』の一つを人差し指で何度も叩き、受ける気満々のご様子であった。パートナーがこのようなご様子では、自分が悪者になりかねないので、仕方なく同意の意を示した。
 割に合うか否かで依頼をふるいに掛けることを、彼はまず好まない。探検隊として、ポケモンのお助け役として、至極清らかな気持ちで依頼を受ける。効率的に稼ごうというキャピタリズム精神が、微塵も感じられない。
 結局、依頼は失敗に終わった。依頼主のコダックはモンスターハウスで電気ポケモンからの襲撃を受け、倒されてしまった。回復後、頭を下げて謝罪する自分達にコダックは「まあ、難しいのは分かっていたんで、気にしないで下さい。こちらこそお手数おかけしてすいません」と言った。得られたのは罪悪感のみで、報酬は無しだ。そして、探検家が各々こっそりと誰にも言わず抱えている、承認欲求と呼ばれる類のものも満たされず終わった。
「う、う~ん、失敗しちゃったかあー。何がダメだったのか原因を考えなきゃ!」
「『同行系』は復活の種持っている時じゃないと厳しいから」
「そっかぁ。……いや違う、ボクには強さが足りないんだッ! 強くならなきゃ! みんなを守れるくらい!」
「雷の石で進化すれば良いんじゃない?」
「ううっ……進化はしたくないよぉ。ピカチュウのままがいい」
「なら地道にレベル上げるしかないね」
「うぐっ……そうだね。よーし、今度ガラガラ道場で鍛えよう! 次は頑張るぞぉー! おおーーーーーーーっ!!」
 依頼が失敗した直後は流石の彼も肩を落とすが、すぐに気持ちを切り替え、HPが少し減るのではないかと思う程自身の頬を強く叩き、毎度健気に一人で掛け声を上げている。黄色い頬から軽く散る火花を見て「よく明るく振る舞えるなあ」と感心するのも毎度のことであった。


 世界には、多くの探検隊は必要無かった。
 秘境の地に隠された宝箱を開けたり、未知なる強敵に果敢に挑んだり、そんな職を全うする者なんて数多くいなくとも、世界は健全に回っていくし、明日の衣食住に悩む者はいないし、突然平和が壊されることもない。
 時の歯車を在るべき場所に納めることで世界を救った英雄の存在が知れ渡ってから、探検隊を志望する輩が急増した。自分は有象無象ではないと信じた有象無象共があらゆる地を探索した結果、世界にはもう、足跡が付いていない地が残されていなかった。解明されていない謎も残されていなかった。
 だからもう、探検隊は必要ない筈なのに、地図に記されていない地が未だどこかにあると夢想し、凝りもせず探検を続けている者がいる。ああ、そうだ。紛れもなく、自分もピカチュウもその内の一匹だ。
 尤も自分はだいぶ諦め気味である。だがピカチュウは未だ夢想の渦中にいる。彼を現実に引き戻すのはパートナーの自分の役目であろう。しかし、昔から変わらず純粋で真っ直ぐな彼を真っ向から否定する気が、どうにも起きない。彼は楽しんでいるのだから、そのまま夢の中にいたって良いではないか。茶々を入れる必要がどこにある。そんな反倫理的な考えすら浮かんしまう。
 自分はピカチュウに憧れて探検隊の道を選んだ。憧れているのは、今だって変わっていない。だが、なんと言ったら良いだろうか、憧れの種類というものが、今と昔では異なっていた。
 本日の活動を終え、自分らは何年も前から拠点としている森の洞穴に帰宅した。自分は寝ずに洞穴から出て近くの巨木に腰掛け、溜息をついた後、絵に描いたかのように頭を抱えた。
 いい加減自分らは、解散すべきだと分かっていた。探検隊の数は阿呆みたいに膨れ上がり、依頼の取り合いが勃発しているレッドオーシャンな状況で、自分らみたいな輩が生き残れる筈がない。     
 ピカチュウのように光が見えない状況でも、自ら光を発して前進するエネルギーを、自分は持っていない。だから、最低でも自分は船から降りるべきだ。だが、辞めることにも同様にエネルギーがいるのが、厄介なところである。自分は、決断を先延ばしする他なかった。


 彼に唆されてから、どれだけの月日が流れたのか。数えてはいけないものの一つである。
 探検隊を結成する以前は、サンドらしく砂嵐吹き荒れる砂漠で暮らしていた。ある時に、炎天下という言葉が生易しく感じるほど暑い夏期の砂漠に、無謀にも僅かな食料と水で足を踏み入れてきたピカチュウを見つけた。倒れ込みかけていた彼に自分は声をかけ、水を渡した。その後、暫く比較的涼しい場所で休ませた後、彼から探検家の活動に関する話を聞いた。彼は壮大かつ高揚感をひたすら煽る夢を延々と語った。当時何も目標がなく、枯れた砂漠をぼんやりと眺める日々を過ごしていた自分には、彼はあまりにも破壊力があった。いつしか気持ちが惹き寄せられていった。
 当時の自分はまるで彼が、小さな革命家のように思えた。
 特に目的や夢がないなら一緒に探検隊をやらない?、と誘われた。自分は迷わず首を縦に振った。探検隊の活動には以前から少し興味があったが、自分がなるなんて夢にも思っていなかった。
 

 数年が経過して、すっかり枯れた砂漠に戻った自分は、夢を追うという呪縛に苦しみ続けていた。探検隊を辞めるべきと、心では分かっているにも関わらず、体はいつもと変わらぬ流れを求めてしまう。今日も自分らは、依頼をこなすべくダンジョンを探索していた。変わらない日常を歩むことの安堵感は、将来への漠然とした不安如きとは比較にならない程、尊いのである。
「あちゃあ〜。お荷物、いっぱいになっちゃたね」
 探索が後半に差し掛かる所で、いつもトレジャーバッグの容量不足に悩まされる。何か道具なり食料なりを捨てなくてはいけない。自分は乱雑に詰め込まれた鞄の中を覗き込んだ。
「これ、捨てるか」
「ええ~~~~~っ!!? ちょっとぉ~~っ!? ダメだよ!」
 先程手に入れた『たからばこ』を捨てようとした自分を見て、ピカチュウは目を見開いて煩く叫んだ。
「大したものは入ってないから、どうせ」
『たからばこ』はネイティオ鑑定所で開封できるが、喜べる物が入っている確率は低い。開封した後は大抵、倉庫に眠らせたままになっている。それに、開封にはお金がかかる。開封を依頼する手間もかかる。つまり、ダンジョンで『たからばこ』を見つけても拾う価値はないのである。
「そんなあ~! 分かんないよ、すっごいお宝入ってるかもしれないよ!!」
「そんな『たからばこ』はこんな変哲もない場所にはないから。そもそも、あれじゃない? 他の探検隊が捨てた『たからばこ』なんじゃない、これ」
「……うーん。でも、やっぱりもったいないよぉ。そうだ! 『たからばこ』よりも復活の種を捨てようよ! 今日はまだ三つもあるんだし、いいよね?」
「たからばこ』より復活の種の方が価値高いよ。復活の種はライフラインだから」
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなワケないよ。探検隊だったら『たからばこ』は一番大切にしないといけないものだよ!! サンドの言ってること、ボクさっぱり分かんないや」
「まあ、確かに『たからばこ』の方が一般的には価値あるけど。一般的には」
「ハハハハ。じゃあ、捨てちゃダメじゃない〜。どうしちゃったのサンド? 昔は『たからばこ』なんて見つけたら、すぐに飛びついてたくせにー」
「そうだった?」
「うんそうだよ! ここ最近、どうしちゃったの???」
「……」
「元気ないよ、もっと張り切っていこうよぉ!」
 小さな革命家に面と向かって言われると、それは紛うことなき真実に変わってしまう。そして、自分に嘘を付いたまま探検隊を続ける行為が、あまりにも愚かだと感じられるようになった。
 もう、惰性なのだ。ここまできたら、もう惰性なのだ。自分は探検隊としての情熱が冷めきっている。これ以上続けても、悲劇しか待ち受けていない。探検隊を辞めるのもエネルギーがいるが、一年後、二年後からエネルギーを前借りしてでも、悲劇を終わりにしないといけない。
 探検隊として生きて楽しいと感じる瞬間もあった。依頼主に感謝されれば嬉しいし、決死の思いで倒したお尋ね者が連行される瞬間は気分が良いものだ。しかしそれらはあくまで、反射的な感情なのだ。生活に困らないという安心を蹴飛ばしてまで欲しいものではない。
 今日の件がきっかけで、自分はようやく決心できた。


「ええ~~~~~~~~~~っ!!?」
 昨晩眠れず、解散を持ち掛けた際のピカチュウの言動を絶えず想像していた。そして今日の彼の反応は、想像したものとあまりにも同一過ぎて苦笑いすると同時に後悔した。
 突然解散を持ち掛けるのは、やはり失敗だったか。本来は『伏線』を張るべきだろう。依頼が失敗した際に「辞めたいなあ」と呟くなど、『伏線』を張っておけば告白時の衝撃を和らげられた。
「突然こんな話してごめん。ただ、前々から思っていたことだから」
「えーと……そのぉ……サンドは探検隊楽しくないの??」
「いや、楽しいときもある」
「じゃあなんでなんで〜!! もぅーーーわけがわからないよーーー!!」
「これ以上続けても、もうどうしようもないから」
 自分達はそれはそれは様々な冒険を繰り広げてきた。だが、新しい発見など出来た試しがなかった。確か今から丁度一年前も、辺鄙な森に誰も侵入したことが無さそうな神殿を見つけたが、既に神殿は十年前に他の探検家が調べ尽くしたものだった、ということがあった。この世界にはもう、足跡が付いていない場所も、本当に宝物が入った『たからばこ』も、残されていないのだ。
「まだまだこれからだよー! 諦めるのは早いってば!!」
 ピカチュウは依然として解散に反対してくる。そうである、忘れてはいけない。彼は未だ夢の中にいる。探検隊は希望に溢れていると盲信している。ここは腰を据えて説明しないといけない。
「君も知っているだろう。ここ数年、探検隊の数は右肩上がりに増えている」
「うん、知ってるよ! 良いことだよね! みんなで頑張っていけるもんね♪」
「こんな多くの探検隊は、この世界に必要ないんだ」
「いやいやいやいやいやっ! そんなことないよ!」
「最近はおいしい依頼も殆どないだろう? そういうことなんだよ。
「おいしい依頼って何? ハハハハ。食べられる依頼なんてないよー」
「需要と供給のバランスが崩れている、ということだ」
「需要と供給? 難しいことはよくわかんないよぅ」
 嘘つけ。
「探検隊は強いポケモンだけがやれば良い。自分達のような弱い奴はやってもしょうがない」
「そっかぁ。じゃあさ、ガラガラ道場で鍛えようよ、明日から一緒に! おおーーーーーーーっ!!」
「ガラガラ道場? 一昨年に通っていたけど『もういい』って言ったの君だったから」
「あれれ? そうだったっけ?」
 これは本当の話である。常にパッションが満ち溢れているように見える彼だが、意外と途中で物事を断念することもあるし、やるべきことを先延ばしにすることもあった。
(否、やる気云々というより、そもそも、ピカチュウは)
「ピカチュウ」
「なあに?」
「君こそ今、楽しい?」
「え……。いや、いや……楽しいに……決まってるよ!」
「もう自分じゃ無理だ、探検隊として何も成し遂げられない、って思ったことはない?」
「……思ったこと……ないよ……。一度も……」
「本当?」
「そう、だよ……。うん……」
 いかんせん何年も一緒にいるのだ。流石に気が付いてはいた。だが、自分も認めたくなかった。 
 ピカチュウがいつも浮かべている笑顔は、明るくて元気の良い声色は、パッションに満ち溢れた行動は、全て作り物なのである。実は彼は、無理をしているのだ。

「もう止めなよ、その口調。本当は無理しているんだろう」
 
 それが引き金となったのか、彼は途端に哀愁を漂わせ落涙した。頬から微量の火花が散っているが、それはとても弱々しく、むしろ悲壮感を助長させているように感じた。
「馬鹿だ」
 彼はなんとかして声を発しているようだった。
「僕は馬鹿だ」
 先程まで朗らかで若々しい口調だったが、急に疲れ切ったような、酸いも甘いも苦みも塩気も知り尽くしたかのような口調になった。そう。紛れもなくこちらが『現在の本当の姿』なのである。
「その通りだ。僕は常に無理をしている」
 彼は出会った当初から、成長譚の主人公のような振る舞いを続けていた。最初の数年だけは、素でこの口調だったと思う。だが、ここ最近は明らかに無理して口調を作っているのが分かった。
 自分は長い間そのことは、見て見ぬ振りをし続けた。憧れの存在だった彼が、社会の荒波に揉まれ、精神に暗い影を落としているという事実を認めたくなかった。
 それに、彼なりに苦しい状況を乗り越えようとして明るく振る舞っていたのだろうから、指摘するのも申し訳ないと感じていた。だが、もう仕方あるまい。
「さっきサンドが言ったこと、十二分に分かってるつもりだ。誰がどう見てももう限界だろう」
「……」
「このまま続けても成功することはない」
「……」
「しかしここまで来たらもう、引き返すことは不可能だ」
「そんなことはない。まだ自分達は、引き返せないような"あれ"でもないだろう」
「そういう話ではない」
 彼は一度しっかり涙を拭って言った。
「僕の体はもう、ここまで来たら最期まで続けないと、気が済まなくなってしまっている。頭では辞めるべきと分かっているが、体がいつも通りに依頼を探しにいってしまう。変わらない日常を歩むのが一番最善で、これ以上ない安心感に満たされる。現実逃避だと分かるが、どうにも」
 腑に落ちた。ピカチュウは自分と同じ状況に陥っていた。自分も日常を歩む安堵感が尊くて、辞められずにいた。自ら日常を破壊して探検隊を辞めるのは、かなりのエネルギーが必要だった。
 恐らく、彼は自分よりも更に、何倍も、何十倍も、辞めるのにエネルギーが必要なのだろう。前借りなどできない程に。辞めるとしたらもう、絶命してしまう程に。
「だから僕は、この生活を続けようと思う」
「……」
「サンドは辞めていい。僕の堕落した現実逃避に巻き込む訳にいかない」
 それでは駄目である。ピカチュウも辞めてもらわねばならない。パートナーである自分には夢から覚まさせる義務があるのだから。ここで辞めさせないと、彼は一体どんな最期を迎える?
 どうしたら良いのだろう。彼のようなポケモンを救う方法はあるのだろうか。
 一層のこと、夢の中にいさせてあげた方が良い? その方が幸福か?
 現実からがむしゃらに逃げて、夢の中で心地よく過ごして、それも一種の、健全の形なんじゃないだろうか。たとえ悲惨な最期を迎えたとしても、それまで穏やかに過ごせるのなら。
 結局、自分は。
「分かった。ピカチュウがそう言うなら仕方がない」
 反倫理的な方向に舵を切ってしまったのであった。

「これで良かったんだろうか」
 基地としている洞穴を出た自分は、思わず呟かざるを得なかった。自分は彼の生き様を最後まで否定することをせず別れてしまった。本当はもっと粘るべきだっただろう。何なら彼の言い分など意に介さず、手を出しても良かったかもしれない。
 これで良かったかは分からない、というより、恐らく駄目なのだろうが、一先ず彼を心配するのは自分の身の回りが落ち着いてからにしようと思った。
 今日は、何も依頼をこなしてないのに酷く疲れた。
 取り敢えず、自分だけは辞めることができたのだ。それだけでも本来大きな前進の筈。これから新しい生き方が始まる。彼は彼、自分は自分。正しいと思う道を、盲信して歩き続けるしかない。
 突如として自分の黄土色の身体が眩い光に包まれ始めた。自分は一瞬、意識が飛びそうになる感覚を覚えた。眩い光はいつの間にか消えており、自分の四肢がはっきり見えるようになった。成長期をとうに終えた筈の自分の身体が一回り大きくなっていることに気がついた。背中には今まで無かった茶色の棘が急に生え出し、手足には今までより遥かに鋭い爪が備わっていた。




 橙色の光を静かに放つ哀れな夕日が、ゆっくりと水平線に沈もうとしている。昼間はあれだけ賑やかだった太陽も、自然の摂理に従って老衰し、やがて至極当然のように闇に飲まれていく。諦めろと言わんばかりにいずれ星々が顔を出し始める。最期の悪足掻きに精一杯の光を放つが、精々大海の表面の色を変えるのみであり、溌剌とした真夏の太陽の如く、海中まで熱を届ける力は残っていない。頭まで完全に海に浸かる頃には、もう光る気力など失われている。


 どれだけのヒトが、海岸の洞窟を出た後の、夕日の美しさに心浸るのだろう。
 どれだけのヒトが、何の効果があるのか忘れたまま、最初に巻いたスカーフを延々巻き続けるのだろう。
 どれだけのヒトが、初めてガルーラの像を見たとき、敵だと思って一瞬離れるのだろう。
 どれだけのヒトが、何階の救助依頼だったのか忘れて、依頼リストを道中で何度も開くのだろう。
 どれだけのヒトが、ガラガラ道場に行く前に、バッグに一つしかない道具を一旦ガルーラの倉庫に預けるかどうかで揉めるのだろう。
 どれだけのヒトが、パートナーとレベルが二つ以上離れ、何となく良くないことをした心持ちになるのだろう。
 どれだけのヒトが、パートナーと同じタイミングでレベルが上がり、少し嬉しい気持ちになるのだろう。
 

 もくもくとした雲と雲の間に、まん丸としたきれいな夕日があった。まぶしく光る夕日はなんだか、海の向こうからわたし達にほほえみかけているような、そんな感じがした。オボンのみと同じ色をしてる夕日は、真っ青な海にやさしく光を分け与えていた。海辺で暮らすクラブ達が吹いた泡も夕日から光をもらっていて、夜空に浮かぶお星さまに負けないくらい、ピカピカしていた。
「ふん、ふん、ふふん♪ 初めての冒険、大成功だね!」
 パートナーのロコンに向かって、わたしはぴょんぴょん飛び跳ねながら言った。自分でもちょっぴり「はしゃぎすぎかな?」って思う。でも、やっと憧れの探検隊になれて、初めての依頼を達成できて、今こんな嬉しい気持ちなんだから、しょうがないよね。
「あっ、そうだ! イーブイ、これなんだと思う?」
 ロコンがトレジャーバッグから取り出したもの、それはなんと、『たからばこ』だった!!!
「ええ~っ!? いつの間に拾っていたの?」
「実は……さっき倒した敵が持ってたんだよ!」
 ロコンは、今日の冒険でボサボサになった前髪を直したあと、「えっへん!」と自慢げに大きく胸を張った。くるりんと巻いた六本のかわいいしっぽが、ゆらゆら楽しげに動いていた。
「ちょっと!? ちょっとぉ~~っ!? 初めての冒険で拾っちゃうなんて、すごくない!?」
「うん、そうだね! ボクたちすごくツイてるよ! やったあ!」
「ひょっとしてわたし達、すっっっっっっごい探検隊になれちゃうかも!」
 将来の期待に満ちたわたし達は、思わずお互いにぎゅっと手を繋いだ。そのあと、肩を寄せ合いながら二匹してルンルンと海辺を歩いた。海の向こうで輝く夕日に、やさしく見守られながら……。





この世界に、リアリズムは必要か?





 若干汚れがあるがどこも切れてはいないスカーフを巻いたイーブイとロコンが、トレジャーバッグの蓋が開けっ放しであることも気にせず、愉しげに会話しながら海岸の洞窟から出てきた。探検隊結成当初は自分も、彼らに負けないくらい眩しく輝いていたのかもしれない。海岸に浮かぶ夕日はどれ程に輝きを放っていても、時が経てば自然の摂理に従って夢の底に沈んでいく。
 彼らもいずれその順序を追う運命なのだろうか。されどどうにか、嘘でも見栄でも思い込みでも良いから、ギリギリの所で美しさを保ってほしい。たとえ現実を目の当たりにしたとしても、そこからさり気なく目を背けて明るい道を歩き続けてほしい。完全にエゴだがそう思う。
 過剰なまでにひたむきに夢を追い続ける太陽を眺めることで、かつて自分の中にも確かに一つの太陽があったことが思い起こされ、密かに溜飲を下げることができるのである。
 あの日から、それなりの月日が流れた。現在自分は、急に鋭さを増した爪を活かしトンネル工事を仕事を行っていた。荷物を運搬するポケモンが効率的に運べるようにするために、去年から行われている大掛かりな工事に参加していた。ダンジョンの敵を倒すために培った技や体力は、硬い土に攻撃する際にも大いに役立っている。お蔭様で健全に健康に日々を送っていた。
 生活環境の大きな変化もあって忙しく、未だピカチュウに会いにいけていなかったが、今日こそ好い加減様子を見に行こうと思った。彼からは全然便りなどないし、こちらから便りを送るのも気まずくて出来なかった。何も、変なことは起きてないことを願うばかりだ。


 かつて鼠二匹が、ほぼ寝るためだけに使っていた洞穴にやってきた。洞穴を眼の前にした自分は思わず苦笑いしてしまった。身長が二倍近くに伸びた自分には天井が低くて、少々屈まないと洞穴は入れそうになかった。今までこんなに狭い場所で暮らしていたのか。
 屈んだ状態で話すのは嫌であるため、ピカチュウを外に呼ぼうと思った。と、丁度その時、一匹のポケモンが洞穴から出てきた。だが、出てきたのは黄色い鼠ではなくリオルという格闘タイプのポケモンだった。一瞬頭に疑問符が浮かんだが、すぐにそういうことか、と納得した。
「えっと、新規の依頼のご相談でしょうか? 大変お手数をおかけ致しますが、緊急の依頼以外でしたら掲示板の方に貼って頂けますと幸いです」
 ピカチュウの新しいパートナーと思わしきリオルは大変礼儀正しい口調で言った。
「あ、いえ、違います。自分はピカチュウと昔探検隊をやっていた者です」
「ああ! そうだったんですね。どうも失礼致しました。ピカチュウからお話は伺っております。進化なされたんですね。おめでとうございます。ええと、今日はピカチュウに会いに?」
「はい、そうです」
「彼は今中にいるので呼んできますね。どうぞどうぞ、ゆっくりお話ししててくださいね。その間、私は捌けてますので」
「あ、すいません。突然お邪魔しちゃって」
「いえいえ。元々私は出掛ける予定だったんですよ」
「買い物とか行く予定だったんですか?」
「いえ。私、探検隊以外にも仕事掛け持ちしてるんですよ。依頼の選択とかダンジョンの情報収集とか道具集めとか、そういうのは彼が率先して楽しそうにやってくれるじゃないですか。その間私は暇なんです。最近あそこにパッチールのお店できたじゃないですか。そこで働いているんですよ」
 リオルは歯切れよく説明してくれた。
「ああ、そうか。なるほどなあ」
 溜息をついて関心している最中、リオルは中に入りピカチュウを呼びにいってくれた。


「お〜い、ピカチュウ〜♪」
「リオル! すっごい面白そうな依頼見つけたよ! これ受けよう!」
「やったぁ! 新しい依頼嬉しいな♪ ピカチュウすごーい!」
「早く探検行こーよー。お宝たくさん見つけるぞー! ワクワクしちゃうね!」
「あ、でもその前にピカチュウ。今玄関にお客さんが来てるんだよ」
「えっ! だれだれ?」
「えー教えてあげなーい」
「ええ~っ!? リオルひどいよぅ……」
「ハハハハ。じょーだんだよぉ。今来てるのは、なななななんと!! ピカチュウの元パートナーでした〜〜!」
「本当に?? やったぁ! すっごい久しぶりだよ」
「私はお出かけしてくるから、二匹でしばらくお話ししててね!」
「はーーーい!」

 
「すいません、少々長引いてしまって。それじゃあ、ゆっくりしていってくださいね」
 リオルは一礼して駆け足で去っていく。その背中は小さいながら妙に大人びて見えた。
「えらく器用な子だなあ」
 あのポケモンの振る舞い、そして生き方に感銘を受けた自分は、思わずそう呟いた。
「そうか。こういう生き方もあるのか」
 今の時代における探検隊の在り方を自分は学んだ。探検隊以外の仕事も掛け持ちし、オンオフを切り替えて生活する。このような器用なことは自分には出来なかったし、思い付きもしなかった。
 もしかしたら、先程見た二匹の新芽も「探検隊としての新しい生き方」を選んでいるのかもしれない。そうであっても、そうでなくても、探検隊のこれからの時代は、イーブイやロコン、リオル達が作り上げていくのだろう。無論、ピカチュウもそこには含まれていてほしい、のが願望だ。


「久しぶり〜♪ すっごく会いたかったよ!」
「久しぶり。元気だった?」
「うん! とーーーっても元気だよ!!!」
 洞穴から出てきたピカチュウは、時が止まっているかのように、以前見た時から外見も性格も何一つ変わっていなかった。喜ぶべきでは無いかもしれないが、思わず少々口角を上げてしまった。
 本日自分がここへ来たのは彼が心配だったためであるが、もしかしたら、探検隊として眩しく生き続ける彼を見て心安らかになりたかった、というのもあるかもしれない。つまり自分は彼のことを観光地としても見ているのだろう。 
「ねえねえ聞いて! 今日はねー、ここを探検するんだよ!」
 ピカチュウはボロボロになっている地図を目の前で勢い良く広げた。記憶が定かではないが、彼が指を指した密林地帯は何年か前に行ったことがある気がした。
「ここ、まだ誰も入ったことがないんだって。キラキラしたお宝がたくさん眠ってるんだよ、きっと!!」
 悲劇も貫き通せば喜劇になる、とはどこかで聞いた覚えがある。ピカチュウは相変わらず自分の生き方を貫いていた。彼を支える役としてあまりにも優秀なリオルと組めたのは、運が良かったからなのか。それとも、彼が持つ他者を惹き付ける力の賜物なのか。
 思っていたよりも、彼は探検隊として延命できそうではある。だが、それでもいずれ限界は来る。太陽が沈むのは自然の摂理である。リオルもいずれ、彼の隣から去るかもしれない。
 そうなれば、いよいよ笑えない状況になる。そして、自身がそれを受け入れている以上、自分にはどうすることも出来ないのだ。ならば一層のこと、それまで明るく過ごしてほしい。たとえ無理をしていたとしても、間違いだとしても、現実から目を逸らして楽しい夢の中で暮らしてほしい。
 それは有象無象には不可能な生き方である。特に自分なんかは、どう頑張っても現実を見てしまう。夢の中で全力で遊ぶことが出来ない。何か良くないことが起こると、すぐ探検隊は先がないとか、どこにも宝なんてないとか考えてしまう。
 だが、彼は夢の中で生き続けることができるのだ。それはきっと、素晴らしいことだ。
 自分は夢の中で生きることは出来ないが、夢の中で楽しく生きる者を見るのは好きだ。だからこれからも、ひっそりと現実を生きながら、ちょくちょくピカチュウに会いに来るのだろう。
 輝かしい探検隊の世界の話を、ぜひ聞かせてほしいと思う。
「そう言えばサンド、進化したんだね♪ おめでとう!!」
「あーありがとう。ピカチュウは進化にはやっぱり興味ない? 石があれば簡単だけど」
「ううっ……進化はしたくないよぉ。ピカチュウのままがいい」

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