【滅ビシ獣ラ】剃刀花【三次創作】
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:16分
伊崎つりざおさん作「滅ビシ獣ラ」の三次創作にあたる短編です。時系列は本編の01章終了後辺りを想定しています。
人は思うだけでは伝わらない。されども、言葉は如何様にも姿かたちを変えていく。美しい花が猛毒を隠し持っているかのように。
しかし、やがて命あるものは全て潰えていく。盛者は必衰である。それだけは変わらない。
「よいですか、貴女には霊能の才がある。強くて優しい心もある。兄の分まで、弱き者を助けるのですよ」
「……それは母上もですか」
神妙に面を上げた私に映ったのは、笑顔を絶やさぬ母上であった。菖蒲色の髪は兄上と私にも、しっかりと継がれていた。
母上は静かに首を横にして否定する。
「私は大丈夫です。貴女の心配することではありません。それよりもセンリと柳家を頼みますね、センカ」
思えば、この時が初めてであったのだろう。
もとより病弱な母上は、私に対して明確な嘘を吐いた。そしてそれが“目で見て判る”ようになってしまったと、あの日の私が理解した瞬間であった。
◆
刹那、切っ先が真っ赤な花びらを載せて払った。彼岸花の花であった。次には、本来の手合いであった藁束が、ぼとぼとと三切りにされ倒れていく。
薙刀の矛を収めた少女に、すぐ傍で見ていたキリキザンは近寄った。
「……うむ、集中できていなかったな。太刀筋が悪い」
彼女は巻き込んだ彼岸花の花を手にすると、誰かに詫びるようにそう呟く。
ここは広大なGAIAの東地区・体育館脇。カントーやジョウトの様式をした庭園が整備され、茶道部や華道部の使用するエリアである。
そこで一人、薙刀での鍛錬に励んでいた少女。名を「悠久ノ蒼穹 」。超人類 であり、トレーナー養成プログラムを受講している黒衣の観測者 の一人である。
主である蒼穹 に何かを告げるように、膝を折ったキリキザンは近しい虚空を指し示す。
「ん、何だ。もしやお前は“ツイリ”か?」
「むまあ~!」
蒼穹とキリキザンの前に突如として現れたムウマ。彼女は「ツイリ」と呼ばれると、クイズの正解を言うかのような無邪気な笑顔を見せた。そのムウマの手には彼岸花の付いた小さな手紙が握られていた。
「なるほどな。通りで稽古中にも知らせてくる訳だ」
そのまま顔なじみのムウマから手紙を受け取った彼女は、しばしその内容に目を通していたが、あの厳しい目を綻ばせた。
キリキザンも珍しい主の姿には微笑ましくなったのだろう。昔を思い出すような感傷に浸っていた。
「……礼を言う。ツイリ、兄上はご健康でいらっしゃるか?」
「む、むう。むまあ~?」
「ああ、父上も変わらないらしいな。それは……分かっていたが」
少し首を傾げるようにしたムウマは、考えこむようにしたがその後はうんうんと頷いていた。まるで意思疎通が完璧にできているかのような、少女とムウマのやり取り。それらを見守るキリキザンにも、日常化された光景であった。
蒼穹はムウマの様子を少し見てから、小さなため息を吐く。
「そうか。兄上には世話をかけたな。私とキリキザンも元気でやっていると伝えてくれ」
そう彼女が言うと、無邪気なムウマは再び霧のように姿を消していった。
「さて」と一言呟くと、傍に咲くツツジの低木に向かって、彼女は力強く言い放つ。
「聞き耳とはあまり感心せんな。用があるなら素直に出てきたらどうだ?」
「……んぐっ」
「気配でバレバレだぞ、もっと迷霧 のように周囲に溶け込むことだ。“光霰 ”」
ややあってか、おずおずと茂みから現れた黒エプロンの少年とマネネ。蒼穹の鋭い眼力に気圧されたのか、普段から低い目線は更なる不鮮明に走った。銀髪の彼は黒衣の観測者の後輩にあたる。名を「波打ツ光霰 」。
キリキザンが手刀にて主への無礼を責め立てようとしたが、流石にそれ以上は彼女の方から「待て」との制止が出た。
「うん。聞いちゃってた。ごめんよ蒼穹先輩……」
「判ればそれでいい」
「ご、ごめんよ」
「それは何に対する詫びだ? 貴様の非はさっき消えただろう」
「あ、うん……えっと」
「ええいもういい! 気にするな! あのシラヌイという奴もそうだったが、貴様も私に怯えすぎだ」
正直に言うならば、光霰から見て蒼穹は最も取っつき辛い先輩であった。
ここまでどうにも所在なさげに会話する光霰だったが、彼女の持つ手紙と小さな袋には目線が行ってしまう。このまま気まずいのも問題かと思い、思い切って尋ねてみた。
「……お兄さん、いるんだね」
「ああ。3つ上の兄上がいる。聡明で立派な人だ、私よりもずっとな」
キリキザンはその言葉を聞き、膝を折ったままに無言で頷く。
それは光霰からすれば少々意外な言葉だった。彼女は見た目通りの強さを持つ戦闘員であり、正しさを全うし、自身の弱さはおくびにも出さない。そのような厳格な印象だったからだ。
「このキリキザンも、もとは兄上の手持ちだったのだ。それを私にお譲りくださった」
「え、そうなんだね」
意外そうに見た後輩に、全身が刃のポケモンが目つきは鋭くも、静かに肯定する。
それからぽつりと冷め入るように、彼女の方から呟いた。
「私がここにいるのは、兄上に託されたからだ」
菖蒲色の髪と赤い毬の耳飾りが微かに揺れた。それは彼女が「蒼穹」の名を貰うまでの記憶。
◆
柳家はエンジュシティに古くから存在する神宮の家系であった。シンベイ・ヤナギを開祖とした面妖な武芸術は、「人ならざる者」から護身する術に転用され、やがて『陽炎流・柳派』として子孫伝承されていった。
柳家の人間は代々に渡って、エンジュのジムリーダーを務める千里眼の伝承者を守護する役目にある。
彼らは生まれ持って高い霊能を有し、神社に祀られたご神体と千里眼の者を護衛する。それは彼女やその兄も例外ではなかった。
「また妹を泣かせとる! コマタナいったれ、容赦すな!」
「――じゃきん!」
センカ・ヤナギとはその柳家に生まれ落ちた彼女が持つ、人間としての真名である。
野生のゴースやそれらに紛れた、ヒトの悪意が醜く形成すもの。彼らに斬ってかかるのは、常にコマタナの役目であった。
「……兄上」
「もうええよ、大丈夫かセンカ」
「うん」
「泣いてない、ええ子やな。コマタナもご苦労さん」
菖蒲色の髪をした少年は、怯える妹に優しく言うと、頭を撫でた。
コマタナを労うセンリは、センカの3つ上の兄であった。紅い瞳と美しい髪色は兄妹そのままであり、双子のように彼女と兄は生まれてきた。
「……ほんま、ごめんな。兄ちゃんにも視えてればよかったんやけど」
大きく違っていたのは、柳家の霊能者としての才覚であった。
センカには幼少期より、幽霊ポケモンになりかけの霊魂すら当たり前に視えていた。霊能力でいえば兄や神主の父を上回るほどであり、彼女にはゴーストの性質のポケモンが交わす言葉すら理解できる始末であった。
対して兄のセンリには霊能はおろか野生のゴースやカゲボウズすら、彼らの意志で実体化するまでは、まるで視認ができなかった。
この兄妹格差には、一族郎党が頭を抱えてしまう。本来の柳家の当主は男児とする予定が狂い、二人をことある度に比較するのも、予想が容易い事態であった。
「いいえ。わ、わたしが弱いからです、兄上は何も……」
「あかんよ、センカ。そないに自分を卑下したら神さんに怒られるで?」
「そうでしょうか……」
「じゃき」
「ほら、コマタナもそう言うとるよ」
小さく謝ろうとした妹を、そのまま遮るように背負った。彼ら兄妹の後ろには、センリのコマタナがついて行く。
彼が視線を向けたのは、柳家が代々神主を務める御蔵。霊能の力を彼らに与えているという、古くからこのエンジュに眠る翼竜の神がいる本殿だった。
「“四ツ髪様”の加護があるんなら、オレにもいつか視えんのかねえ」
賽銭箱のある拝殿のさらに奥。固く閉ざされた扉には、先祖であるシンベイ・ヤナギの掛け軸や鳳凰の水墨画と共に、大きな翼竜の神が描かれた掛け軸が掛かっている。古くからのエンジュでの呼称は“四ツ髪様”。
髪のように伸びた大きな翼を持つ、この神社が祀る霊体の神様である。
幼いセンカは自分達の神様がムウマに似ていると思った。だがこれがスカーレットブックにてオーリム博士が記していた「ハバタクカミ」であるとは、この時はまだ知らないのであった。
「わたしは……兄上のようになりたいです」
「お、嬉しいなほんま。兄ちゃんもお前が誇りや、センカ」
兄・センリは勇敢で心優しい人であった。家族に冷笑されようとも、心根が変わらぬ立派な人であった。
センカも兄を尊敬しており、彼のようになりたいと日々鍛錬を続けていく。いつか彼が家督を継いだ際には、自身が兄を立派に補佐すると、そう信じてやまなかった。
その兄と別の道を歩むことになる契機は、それから長くも経たないうちであった。
母親を喪ったこと。そして――彼女が超人類 として目覚めてしまったことであった。
◇
「兄上」
「何や、言いたいことは分かっとる。お前は好きに生きていける。それで十分や」
「……しかしながら」
黒衣の観測者の一員として、また超人類 の保護の一環として。センカにはテイラーという女性から、「研究機関で引き取りたい」という話が出ていた。
もちろん、彼女の身を案じた柳家の人間は断固反対した。それでも反対を押し切ってまで、妹の意志を尊重させたのは兄のセンリだった。
「オレにできることってたぶんこれくらいや。だから気にせんでええよ」
結果として彼女は超人類 としての道を選んだ。これからは、兄妹で別の道を歩んでいくことになるだろう。いつ、また会えるかすらも定かではない。
母から譲り受けた耳飾りは、兄妹で分け合った。妹は左耳に、兄は右耳に赤い毬は揺れる。
「……お前も立派になったのう。妹に預けて正解やったわ」
「じゃききん」
コマタナの時と変わらぬ、精悍な顔つきをしたキリキザン。
兄のコマタナはセンカが譲り受けることになった。残酷にもトレーナーとしての才覚もまた、妹の方が秀でていた。武芸としての鍛錬が、彼女に第二の才を与えていたのだろう。長らく兄の元ではコマタナであったが、センカが指揮するようになってからは、間もなくキリキザンへと進化を遂げていた。
それを見たセンリが彼女に託すと決めたのだ。
「オレの代わりに頼むで。センカを、かわいい妹を護ったってな?」
「じゃきん!」
「おおう、ええ返事しよる。これは頼もしいわ」
兄からキリキザンを託された彼女には、母親の言葉が蘇った。
もう怪異に怯えていた少女の面影は、そこにはなかった。母の形見である彼岸花の髪飾りは揺れ、毅然とした赤い瞳には真っ直ぐな意志が宿る。
「私は戦います。弱きものが安心できるために。兄上のような人がこれから先、苦労なさらないように」
その背中を護るのは、もうセンリの役目ではなかった。厳しい鍛錬の日々を過ごしたキリキザンは付き従う。彼女のその意志となるように。誰よりも誇らしく、キリキザンの研がれた刃はセンカの右腕となっていた。
立派な兵となった、高潔な意志を持つ妹へ。兄として最後かもしれない言葉を、センカに掛けてやることにした。
「……お前さんは大丈夫や。どこへだって行けるし、きっと困難でも道を切り開ける。その『快晴みたいな心』を忘れたらあかんよ」
兄のセンリは家を出る妹へ、そう最後に言い残した。とても希望に満ち溢れた、心優しい言葉だった。妹は無言で頷くと、精一杯の誠意を持って、気丈な笑顔を兄に向ける。
「兄上、これまでお世話になりました。私が道を外れそうならば、キリキザンが正してくれることでしょう」
隣に立つキリキザンが目線を寄越す。主君を信頼しきった笑みだった。
そうして彼女はセンカ・ヤナギから、悠久ノ蒼穹と名乗るようになる。黒衣の観測者として、新たな人生を歩み始めた瞬間であった。
◆
後輩の目線に気が付き、手紙つきの小袋を蒼穹は開けてみた。中には小さな刃物が、赤い刺繍と呪符で装飾されていた。「それは?」と尋ねる彼に「お守りだろうな」と彼女は答える。
「時に光霰。お前は生きることに悩んでいたな」
「……そうだね。これという答えは、まだ出せていないけれど」
これまで彼女の身の上話であったが、その矛先が急に彼へと向いた。これには思わず言い淀む。蛇かのように這う自己嫌悪が、また光霰を支配しそうになる。
その様子を見かねてだろう。小さな切っ先のお守りを手にした彼女が助け船を出す。
「私には考えるよりも、前線で戦うことが相応しい。それが蒼穹である私のいる理由だからだ」
「蒼穹先輩は、悩むことがないのかい」
「あるにはある。しかしな、考えていても仕方がない。ならば行動で示せばいい」
彼女が柳家から継いだ薙刀が、その時一振りされる。
たちまちツツジの花が落ちて、彼女の耳飾りも宙を舞った。地面に落ちたツツジの花は、もう半分が枯れて朽ちていた。彼女を見上げた光霰のマネネが驚きつつも感心したようであった。
「これはお前宛だ。キリキザン」
「じゃききん?」
「これを持っていると、他のキリキザンとも決闘になるやもしれんな。しかし、それで臆するお前ではなかろう」
彼女の言葉を受け止めたまま、動かない光霰。マネネが彼を覗き込む。
そんな二進も三進もいかない後輩の様子を一瞥しつつも、彼女は刃物のお守りをキリキザンに投げ渡した。それは“頭の印”と呼ばれる、キリキザンの体の一部であった。
「私は道を切り開く。後ろは貴様の役目だ、キリキザン」
「――じゃきん」
その意志を汲み取ったのだろう。キリキザンは従者のようにひたすら頷いた。
「光霰。お前も嫌でなければ、ついて来ればいい」
蒼穹と光霰では歩んできた道はまた違う。それでも彼女が示した答えは、思考することはお前の一歩となるだろう。そのような温かくも眩しい答えだった。
光霰にも理解できたが、すぐにそう切り替えられる頑健さは、今の彼にはない。それでも彼女の示した道筋に、決して嫌悪感はなかった。
「……うん。そうするよ。蒼穹先輩は、不器用だけど優しいんだね」
「なっ、不器用は余計だろう貴様!」
「ご、ごめん」
「あ、謝るまでではないわ! く、もういい。アレだ、学食でも奢ってやる」
「……ふふ。ありがとう蒼穹先輩」
更なる強さを求め、彼女は戦い続ける。花のように可憐であっても、その意志は刃の如し。
永遠に晴れ渡る蒼穹は、これからも道を示し続けるだろう。
しかし、やがて命あるものは全て潰えていく。盛者は必衰である。それだけは変わらない。
「よいですか、貴女には霊能の才がある。強くて優しい心もある。兄の分まで、弱き者を助けるのですよ」
「……それは母上もですか」
神妙に面を上げた私に映ったのは、笑顔を絶やさぬ母上であった。菖蒲色の髪は兄上と私にも、しっかりと継がれていた。
母上は静かに首を横にして否定する。
「私は大丈夫です。貴女の心配することではありません。それよりもセンリと柳家を頼みますね、センカ」
思えば、この時が初めてであったのだろう。
もとより病弱な母上は、私に対して明確な嘘を吐いた。そしてそれが“目で見て判る”ようになってしまったと、あの日の私が理解した瞬間であった。
◆
刹那、切っ先が真っ赤な花びらを載せて払った。彼岸花の花であった。次には、本来の手合いであった藁束が、ぼとぼとと三切りにされ倒れていく。
薙刀の矛を収めた少女に、すぐ傍で見ていたキリキザンは近寄った。
「……うむ、集中できていなかったな。太刀筋が悪い」
彼女は巻き込んだ彼岸花の花を手にすると、誰かに詫びるようにそう呟く。
ここは広大なGAIAの東地区・体育館脇。カントーやジョウトの様式をした庭園が整備され、茶道部や華道部の使用するエリアである。
そこで一人、薙刀での鍛錬に励んでいた少女。名を「
主である
「ん、何だ。もしやお前は“ツイリ”か?」
「むまあ~!」
蒼穹とキリキザンの前に突如として現れたムウマ。彼女は「ツイリ」と呼ばれると、クイズの正解を言うかのような無邪気な笑顔を見せた。そのムウマの手には彼岸花の付いた小さな手紙が握られていた。
「なるほどな。通りで稽古中にも知らせてくる訳だ」
そのまま顔なじみのムウマから手紙を受け取った彼女は、しばしその内容に目を通していたが、あの厳しい目を綻ばせた。
キリキザンも珍しい主の姿には微笑ましくなったのだろう。昔を思い出すような感傷に浸っていた。
「……礼を言う。ツイリ、兄上はご健康でいらっしゃるか?」
「む、むう。むまあ~?」
「ああ、父上も変わらないらしいな。それは……分かっていたが」
少し首を傾げるようにしたムウマは、考えこむようにしたがその後はうんうんと頷いていた。まるで意思疎通が完璧にできているかのような、少女とムウマのやり取り。それらを見守るキリキザンにも、日常化された光景であった。
蒼穹はムウマの様子を少し見てから、小さなため息を吐く。
「そうか。兄上には世話をかけたな。私とキリキザンも元気でやっていると伝えてくれ」
そう彼女が言うと、無邪気なムウマは再び霧のように姿を消していった。
「さて」と一言呟くと、傍に咲くツツジの低木に向かって、彼女は力強く言い放つ。
「聞き耳とはあまり感心せんな。用があるなら素直に出てきたらどうだ?」
「……んぐっ」
「気配でバレバレだぞ、もっと
ややあってか、おずおずと茂みから現れた黒エプロンの少年とマネネ。蒼穹の鋭い眼力に気圧されたのか、普段から低い目線は更なる不鮮明に走った。銀髪の彼は黒衣の観測者の後輩にあたる。名を「
キリキザンが手刀にて主への無礼を責め立てようとしたが、流石にそれ以上は彼女の方から「待て」との制止が出た。
「うん。聞いちゃってた。ごめんよ蒼穹先輩……」
「判ればそれでいい」
「ご、ごめんよ」
「それは何に対する詫びだ? 貴様の非はさっき消えただろう」
「あ、うん……えっと」
「ええいもういい! 気にするな! あのシラヌイという奴もそうだったが、貴様も私に怯えすぎだ」
正直に言うならば、光霰から見て蒼穹は最も取っつき辛い先輩であった。
ここまでどうにも所在なさげに会話する光霰だったが、彼女の持つ手紙と小さな袋には目線が行ってしまう。このまま気まずいのも問題かと思い、思い切って尋ねてみた。
「……お兄さん、いるんだね」
「ああ。3つ上の兄上がいる。聡明で立派な人だ、私よりもずっとな」
キリキザンはその言葉を聞き、膝を折ったままに無言で頷く。
それは光霰からすれば少々意外な言葉だった。彼女は見た目通りの強さを持つ戦闘員であり、正しさを全うし、自身の弱さはおくびにも出さない。そのような厳格な印象だったからだ。
「このキリキザンも、もとは兄上の手持ちだったのだ。それを私にお譲りくださった」
「え、そうなんだね」
意外そうに見た後輩に、全身が刃のポケモンが目つきは鋭くも、静かに肯定する。
それからぽつりと冷め入るように、彼女の方から呟いた。
「私がここにいるのは、兄上に託されたからだ」
菖蒲色の髪と赤い毬の耳飾りが微かに揺れた。それは彼女が「蒼穹」の名を貰うまでの記憶。
◆
柳家はエンジュシティに古くから存在する神宮の家系であった。シンベイ・ヤナギを開祖とした面妖な武芸術は、「人ならざる者」から護身する術に転用され、やがて『陽炎流・柳派』として子孫伝承されていった。
柳家の人間は代々に渡って、エンジュのジムリーダーを務める千里眼の伝承者を守護する役目にある。
彼らは生まれ持って高い霊能を有し、神社に祀られたご神体と千里眼の者を護衛する。それは彼女やその兄も例外ではなかった。
「また妹を泣かせとる! コマタナいったれ、容赦すな!」
「――じゃきん!」
センカ・ヤナギとはその柳家に生まれ落ちた彼女が持つ、人間としての真名である。
野生のゴースやそれらに紛れた、ヒトの悪意が醜く形成すもの。彼らに斬ってかかるのは、常にコマタナの役目であった。
「……兄上」
「もうええよ、大丈夫かセンカ」
「うん」
「泣いてない、ええ子やな。コマタナもご苦労さん」
菖蒲色の髪をした少年は、怯える妹に優しく言うと、頭を撫でた。
コマタナを労うセンリは、センカの3つ上の兄であった。紅い瞳と美しい髪色は兄妹そのままであり、双子のように彼女と兄は生まれてきた。
「……ほんま、ごめんな。兄ちゃんにも視えてればよかったんやけど」
大きく違っていたのは、柳家の霊能者としての才覚であった。
センカには幼少期より、幽霊ポケモンになりかけの霊魂すら当たり前に視えていた。霊能力でいえば兄や神主の父を上回るほどであり、彼女にはゴーストの性質のポケモンが交わす言葉すら理解できる始末であった。
対して兄のセンリには霊能はおろか野生のゴースやカゲボウズすら、彼らの意志で実体化するまでは、まるで視認ができなかった。
この兄妹格差には、一族郎党が頭を抱えてしまう。本来の柳家の当主は男児とする予定が狂い、二人をことある度に比較するのも、予想が容易い事態であった。
「いいえ。わ、わたしが弱いからです、兄上は何も……」
「あかんよ、センカ。そないに自分を卑下したら神さんに怒られるで?」
「そうでしょうか……」
「じゃき」
「ほら、コマタナもそう言うとるよ」
小さく謝ろうとした妹を、そのまま遮るように背負った。彼ら兄妹の後ろには、センリのコマタナがついて行く。
彼が視線を向けたのは、柳家が代々神主を務める御蔵。霊能の力を彼らに与えているという、古くからこのエンジュに眠る翼竜の神がいる本殿だった。
「“四ツ髪様”の加護があるんなら、オレにもいつか視えんのかねえ」
賽銭箱のある拝殿のさらに奥。固く閉ざされた扉には、先祖であるシンベイ・ヤナギの掛け軸や鳳凰の水墨画と共に、大きな翼竜の神が描かれた掛け軸が掛かっている。古くからのエンジュでの呼称は“四ツ髪様”。
髪のように伸びた大きな翼を持つ、この神社が祀る霊体の神様である。
幼いセンカは自分達の神様がムウマに似ていると思った。だがこれがスカーレットブックにてオーリム博士が記していた「ハバタクカミ」であるとは、この時はまだ知らないのであった。
「わたしは……兄上のようになりたいです」
「お、嬉しいなほんま。兄ちゃんもお前が誇りや、センカ」
兄・センリは勇敢で心優しい人であった。家族に冷笑されようとも、心根が変わらぬ立派な人であった。
センカも兄を尊敬しており、彼のようになりたいと日々鍛錬を続けていく。いつか彼が家督を継いだ際には、自身が兄を立派に補佐すると、そう信じてやまなかった。
その兄と別の道を歩むことになる契機は、それから長くも経たないうちであった。
母親を喪ったこと。そして――彼女が
◇
「兄上」
「何や、言いたいことは分かっとる。お前は好きに生きていける。それで十分や」
「……しかしながら」
黒衣の観測者の一員として、また
もちろん、彼女の身を案じた柳家の人間は断固反対した。それでも反対を押し切ってまで、妹の意志を尊重させたのは兄のセンリだった。
「オレにできることってたぶんこれくらいや。だから気にせんでええよ」
結果として彼女は
母から譲り受けた耳飾りは、兄妹で分け合った。妹は左耳に、兄は右耳に赤い毬は揺れる。
「……お前も立派になったのう。妹に預けて正解やったわ」
「じゃききん」
コマタナの時と変わらぬ、精悍な顔つきをしたキリキザン。
兄のコマタナはセンカが譲り受けることになった。残酷にもトレーナーとしての才覚もまた、妹の方が秀でていた。武芸としての鍛錬が、彼女に第二の才を与えていたのだろう。長らく兄の元ではコマタナであったが、センカが指揮するようになってからは、間もなくキリキザンへと進化を遂げていた。
それを見たセンリが彼女に託すと決めたのだ。
「オレの代わりに頼むで。センカを、かわいい妹を護ったってな?」
「じゃきん!」
「おおう、ええ返事しよる。これは頼もしいわ」
兄からキリキザンを託された彼女には、母親の言葉が蘇った。
もう怪異に怯えていた少女の面影は、そこにはなかった。母の形見である彼岸花の髪飾りは揺れ、毅然とした赤い瞳には真っ直ぐな意志が宿る。
「私は戦います。弱きものが安心できるために。兄上のような人がこれから先、苦労なさらないように」
その背中を護るのは、もうセンリの役目ではなかった。厳しい鍛錬の日々を過ごしたキリキザンは付き従う。彼女のその意志となるように。誰よりも誇らしく、キリキザンの研がれた刃はセンカの右腕となっていた。
立派な兵となった、高潔な意志を持つ妹へ。兄として最後かもしれない言葉を、センカに掛けてやることにした。
「……お前さんは大丈夫や。どこへだって行けるし、きっと困難でも道を切り開ける。その『快晴みたいな心』を忘れたらあかんよ」
兄のセンリは家を出る妹へ、そう最後に言い残した。とても希望に満ち溢れた、心優しい言葉だった。妹は無言で頷くと、精一杯の誠意を持って、気丈な笑顔を兄に向ける。
「兄上、これまでお世話になりました。私が道を外れそうならば、キリキザンが正してくれることでしょう」
隣に立つキリキザンが目線を寄越す。主君を信頼しきった笑みだった。
そうして彼女はセンカ・ヤナギから、悠久ノ蒼穹と名乗るようになる。黒衣の観測者として、新たな人生を歩み始めた瞬間であった。
◆
後輩の目線に気が付き、手紙つきの小袋を蒼穹は開けてみた。中には小さな刃物が、赤い刺繍と呪符で装飾されていた。「それは?」と尋ねる彼に「お守りだろうな」と彼女は答える。
「時に光霰。お前は生きることに悩んでいたな」
「……そうだね。これという答えは、まだ出せていないけれど」
これまで彼女の身の上話であったが、その矛先が急に彼へと向いた。これには思わず言い淀む。蛇かのように這う自己嫌悪が、また光霰を支配しそうになる。
その様子を見かねてだろう。小さな切っ先のお守りを手にした彼女が助け船を出す。
「私には考えるよりも、前線で戦うことが相応しい。それが蒼穹である私のいる理由だからだ」
「蒼穹先輩は、悩むことがないのかい」
「あるにはある。しかしな、考えていても仕方がない。ならば行動で示せばいい」
彼女が柳家から継いだ薙刀が、その時一振りされる。
たちまちツツジの花が落ちて、彼女の耳飾りも宙を舞った。地面に落ちたツツジの花は、もう半分が枯れて朽ちていた。彼女を見上げた光霰のマネネが驚きつつも感心したようであった。
「これはお前宛だ。キリキザン」
「じゃききん?」
「これを持っていると、他のキリキザンとも決闘になるやもしれんな。しかし、それで臆するお前ではなかろう」
彼女の言葉を受け止めたまま、動かない光霰。マネネが彼を覗き込む。
そんな二進も三進もいかない後輩の様子を一瞥しつつも、彼女は刃物のお守りをキリキザンに投げ渡した。それは“頭の印”と呼ばれる、キリキザンの体の一部であった。
「私は道を切り開く。後ろは貴様の役目だ、キリキザン」
「――じゃきん」
その意志を汲み取ったのだろう。キリキザンは従者のようにひたすら頷いた。
「光霰。お前も嫌でなければ、ついて来ればいい」
蒼穹と光霰では歩んできた道はまた違う。それでも彼女が示した答えは、思考することはお前の一歩となるだろう。そのような温かくも眩しい答えだった。
光霰にも理解できたが、すぐにそう切り替えられる頑健さは、今の彼にはない。それでも彼女の示した道筋に、決して嫌悪感はなかった。
「……うん。そうするよ。蒼穹先輩は、不器用だけど優しいんだね」
「なっ、不器用は余計だろう貴様!」
「ご、ごめん」
「あ、謝るまでではないわ! く、もういい。アレだ、学食でも奢ってやる」
「……ふふ。ありがとう蒼穹先輩」
更なる強さを求め、彼女は戦い続ける。花のように可憐であっても、その意志は刃の如し。
永遠に晴れ渡る蒼穹は、これからも道を示し続けるだろう。
オススメ小説
この作品を読んだ方にオススメの小説です。