時の村雨
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《村雨丸 》とは、動乱の時代を駆け抜けた一人の忍びの名前である。
その名は時代を統べる頭領たちに広く知られていたが、彼の姿を知るものは誰一人として存在しなかった。
彼は決して人前に姿を見せず。それがたとえ一国首領の大名であろうと、その姿を見たものは夜が明けぬうちに斬り捨てられてしまうからだ。
故に、この世で最も優れた忍びは、この世で最も命を奪った一個人でもあった。
·時の村雨·
『その生き様は水の如く。
高きにあれば低くに流れ、器に入ればその型に。
変幻自在をその身に写し、乱世をその身で駆け抜けよ。
それが月光に己を焼いた、水影に生きる忍の道。 』
自らに説いたその教えは、今も果てることなくこの身に染み付いている。
乱世を生き抜くために己を鍛え、たった一人で戦場を駆けた。信じられる者は己のみで、周りの全てが己の敵。そんな空気を五万と吸えば、他者を斬ることに抵抗も感じなくなっていた。
拙者の見出した《水影の忍道》は、状況が目まぐるしく移り変わる動乱の時代で確かな助けになったことは揺るぎないであろう。
問題は、動乱の終わったその後の時代を全く考えていなかったことだ。
時代の変化は唐突に訪れた。
最後に一度、戦とも祭りともわからない大きな争いが起き、それを最後に争いはパッタリと起きなくなってしまった。
首領の世代交代や自然災害、他にも争いの絶えた理由はいくらでも思いつくが、皆が口を揃えて言う言葉はやはり『戦うことに疲れた』であろう。
皆、戦うことは好きといえど、争いを好むものなどいないのだ。
動乱の時代は終わりを告げ、新たに平安の時代が訪れた。
そして平安の時代に《忍び》などという物騒な輩は必要なかったのである。
☓
「はて、どうしたものか……」
開いた口からだらしなく伸びきった舌を襟巻きにして、草団子片手に夜の桜並木をのんびり歩く一人のさすらいゲッコウガ。これがかの《千人斬りの村雨丸》だとはきっと誰も思うまいて。
「よう、忍び殿。また悩み事かい?」
「むっ……」
笠の向こうから調子の良い声がして、拙者はわざと笠を深く被りなおす。
物書きのファイアロー《鉄山火 》(呼びにくいので《テツ》と呼んでいる)の声は、空高くからでもよく聞こえる。
「おいテツ、拙者を《忍び》と呼ぶな。そんな時代はとうの昔に終わっておろうが」
「へへ、そうだっけかな」
テツはヒュッと一番近くの桜の枝に舞い降りてわざとらしく首を傾げるが、そんなことには一々突っ込まずに黙々と歩を進めていく。
テツは拙者の古くからの仕事仲間であり、拙者が村雨丸であるということを知っている数少ないポケモンでもあった。拙者が表に姿を見せない以上、依頼相手との文通役はテツが取り持ってくれていたのである。
「で、あれから何か進展はあったのかい?」
「うむ。それはこの道を登りきった先に、とでも言っておくでござるよ」
「焦らすねぇ」
「いつものことでござろう」
拙者は笠を頭の後ろに流して、桜並木を足音立てずに駆けていく。
闇夜も深まれば満月もすぐに沈む頃であろう。
拙者は懐から五芒星の刻まれた懐中時計を取り出し、桜の丘の頂きへと登り詰めた。
「……さて、動いてくれるかな。《時の天文台》よ」
懐中時計の蓋を開け、その中央にはめられた歯車のくぼみに雫を一滴、拙者得意の水芸で指の先から滴り落ちる。
ガキィン!!
それを合図に懐中時計のからくり歯車が勢いよく回り始め、内部に組み込まれた無数の金属片が無造作に時計から飛び出し、それは瞬く間に拙者の身長の倍はある巨大な望遠鏡へと組み上げられていった。
そして残った金属片は拙者の周りへと集まり、西洋風の厚めの礼服となって体中を包み込んでいく。
「うまくいったかい?」
「うむ。ここまでは想定通りでござるな」
望遠鏡の台座から伸びる足場に泊まるテツに軽く袖を振りつつ、拙者も足場の上に飛び乗った。
かつて動乱を駆け抜けた忍びが、一体何をしているのか。
拙者がやっていることは、かつて西洋で作られたと言われている古代マシーンの一つ《時の天文台》の修復作業である。
要するに、今の拙者は《学者》をやっているということだな。
☓
きっかけは、ある時ふらっと立ち寄った神社に飾られた《算額》を解いたことだった。算額とは和算(数学)の問題が書かれた絵馬のことで、それらは大概難問であった。
忍びは多芸でなければ務まらぬゆえ和算は得意な方であったから、試しに端から一つずつ算額を解いていったのだ。そして最後の一枚を解いたとき、神主のキュウコンから託された物がこの懐中時計だった。
「しっかし何度見てもわかんねぇなぁ。こんなちっこい時計から大筒が出てくるなんて」
「大筒ではなく望遠鏡でござる」
「ぼう、えん……?」
「……まあ、これで夜空を見るんでござるよ」
キュウコンが言うには、この時計は西洋の《水の都》の技術を用いて作られたそうで。滅びの危機を乗り越えた水の都の一部の住民たちが大海原へと漕ぎ出すときに所持していたものがここへ流れついたのだそうだ。
雫一滴で3時間稼働するこの時計の中には無数の金属片が収納されており、それを外に展開して自在に組み立てることで、例えばコンパスや四分儀といったあらゆる航海道具から、今出している望遠鏡のようなものまで構築することができる。その時一緒に生成されるこの礼服は金属片の制御機になっているようで、これを使って金属片をパーツ単位で組み替えることで様々な効果を発揮させることもできるのだ。
まあ、こう言っている拙者も細かい仕組みはまだ解明できていないのだが、この妖術と見紛うほどに面妖なからくり仕掛けを作ってしまう水の都の技術というものは全くもって想像もつかないということは確かだ。
「で、夜空のどこを見るのさ」
「うむ。それはだな」
拙者は袖を一振りして、望遠鏡の向きをぐるりと半回転させる。向ける方向は、夜空の中で一頭《時空のゆらぎ》が大きい方角。確かこの方角の先には《テンガン山》なる山があると噂には聞くが……。
ガガガガガッ
「むっ」
時計の歯車が噛んで、望遠鏡の軸がギシリと音を立てて止まってしまった。
やはりまだ駄目か。
拙者は足場から飛び降りて、懐中時計の蓋をパチンと音を立ててしめる。すると、望遠鏡と礼服は再び金属片の状態へバラバラに分解されていき、それは瞬く間に時計の蓋へと吸い込まれていった。
「なんだい、もう終わりかよ?」
「変にいじって壊すわけにはいかぬ。それに以前は首も回らなかったのだから、これでも進展でござるよ」
「ちぇ、つまんねぇの」
テツはつまらなさそうにしていたが、正直これは拙者も同感ではあった。
先も言ったようにこの時計はまだ修復中で、恐らく当時の性能の2割ほどしかまだ引き出せていない。
時の天文台がその性能を発揮すれば、古に伝わるポケモンたちと時空を超えて交信することもできる。と古文書には記されてあったのだが、果たしてそれをこの目で見ることはできるのか、この進展の遅さに一抹の不安を覚える。
だが、受け取った時には本当に時計としての機能しかなかったこれが徐々に古文書通りの性能を取り戻していくのを体験するのは、忍ばかりの暮らしをしていた拙者にとってはじめて歓喜というものを体験するに相応しい出来事でもあったのだ。
「じゃあ、また部品集めかい」
「うむ。欠けた歯車を取り替えて、足らぬ部品はまた自作。まだまだ道は長いでござるな」
拙者は時計を懐にしまって、またも早足で丘を降りる。
やることが決まれば、次はまたそれに打ち込むのみ。
学者もまた忍びと同じく足頼みであるが、それは字を読むよりも得意なことだ。
「なあ、また今度もついてっていいか?」
「好きにするでござるよ」
ただ一つ決定的に違うことがあるとすれば、それはたった一人でいつまでも気を張らなくていいことかもしれない。それもまた学者の一興であると、拙者は小さくため息をついていた。
時の天文台長、ゲッコウガの村雨丸。
些かしっくりこないではあるが、千人斬りよりは随分とましに思える名前ではあった。
その名は時代を統べる頭領たちに広く知られていたが、彼の姿を知るものは誰一人として存在しなかった。
彼は決して人前に姿を見せず。それがたとえ一国首領の大名であろうと、その姿を見たものは夜が明けぬうちに斬り捨てられてしまうからだ。
故に、この世で最も優れた忍びは、この世で最も命を奪った一個人でもあった。
·時の村雨·
『その生き様は水の如く。
高きにあれば低くに流れ、器に入ればその型に。
変幻自在をその身に写し、乱世をその身で駆け抜けよ。
それが月光に己を焼いた、水影に生きる忍の道。 』
自らに説いたその教えは、今も果てることなくこの身に染み付いている。
乱世を生き抜くために己を鍛え、たった一人で戦場を駆けた。信じられる者は己のみで、周りの全てが己の敵。そんな空気を五万と吸えば、他者を斬ることに抵抗も感じなくなっていた。
拙者の見出した《水影の忍道》は、状況が目まぐるしく移り変わる動乱の時代で確かな助けになったことは揺るぎないであろう。
問題は、動乱の終わったその後の時代を全く考えていなかったことだ。
時代の変化は唐突に訪れた。
最後に一度、戦とも祭りともわからない大きな争いが起き、それを最後に争いはパッタリと起きなくなってしまった。
首領の世代交代や自然災害、他にも争いの絶えた理由はいくらでも思いつくが、皆が口を揃えて言う言葉はやはり『戦うことに疲れた』であろう。
皆、戦うことは好きといえど、争いを好むものなどいないのだ。
動乱の時代は終わりを告げ、新たに平安の時代が訪れた。
そして平安の時代に《忍び》などという物騒な輩は必要なかったのである。
☓
「はて、どうしたものか……」
開いた口からだらしなく伸びきった舌を襟巻きにして、草団子片手に夜の桜並木をのんびり歩く一人のさすらいゲッコウガ。これがかの《千人斬りの村雨丸》だとはきっと誰も思うまいて。
「よう、忍び殿。また悩み事かい?」
「むっ……」
笠の向こうから調子の良い声がして、拙者はわざと笠を深く被りなおす。
物書きのファイアロー《
「おいテツ、拙者を《忍び》と呼ぶな。そんな時代はとうの昔に終わっておろうが」
「へへ、そうだっけかな」
テツはヒュッと一番近くの桜の枝に舞い降りてわざとらしく首を傾げるが、そんなことには一々突っ込まずに黙々と歩を進めていく。
テツは拙者の古くからの仕事仲間であり、拙者が村雨丸であるということを知っている数少ないポケモンでもあった。拙者が表に姿を見せない以上、依頼相手との文通役はテツが取り持ってくれていたのである。
「で、あれから何か進展はあったのかい?」
「うむ。それはこの道を登りきった先に、とでも言っておくでござるよ」
「焦らすねぇ」
「いつものことでござろう」
拙者は笠を頭の後ろに流して、桜並木を足音立てずに駆けていく。
闇夜も深まれば満月もすぐに沈む頃であろう。
拙者は懐から五芒星の刻まれた懐中時計を取り出し、桜の丘の頂きへと登り詰めた。
「……さて、動いてくれるかな。《時の天文台》よ」
懐中時計の蓋を開け、その中央にはめられた歯車のくぼみに雫を一滴、拙者得意の水芸で指の先から滴り落ちる。
ガキィン!!
それを合図に懐中時計のからくり歯車が勢いよく回り始め、内部に組み込まれた無数の金属片が無造作に時計から飛び出し、それは瞬く間に拙者の身長の倍はある巨大な望遠鏡へと組み上げられていった。
そして残った金属片は拙者の周りへと集まり、西洋風の厚めの礼服となって体中を包み込んでいく。
「うまくいったかい?」
「うむ。ここまでは想定通りでござるな」
望遠鏡の台座から伸びる足場に泊まるテツに軽く袖を振りつつ、拙者も足場の上に飛び乗った。
かつて動乱を駆け抜けた忍びが、一体何をしているのか。
拙者がやっていることは、かつて西洋で作られたと言われている古代マシーンの一つ《時の天文台》の修復作業である。
要するに、今の拙者は《学者》をやっているということだな。
☓
きっかけは、ある時ふらっと立ち寄った神社に飾られた《算額》を解いたことだった。算額とは和算(数学)の問題が書かれた絵馬のことで、それらは大概難問であった。
忍びは多芸でなければ務まらぬゆえ和算は得意な方であったから、試しに端から一つずつ算額を解いていったのだ。そして最後の一枚を解いたとき、神主のキュウコンから託された物がこの懐中時計だった。
「しっかし何度見てもわかんねぇなぁ。こんなちっこい時計から大筒が出てくるなんて」
「大筒ではなく望遠鏡でござる」
「ぼう、えん……?」
「……まあ、これで夜空を見るんでござるよ」
キュウコンが言うには、この時計は西洋の《水の都》の技術を用いて作られたそうで。滅びの危機を乗り越えた水の都の一部の住民たちが大海原へと漕ぎ出すときに所持していたものがここへ流れついたのだそうだ。
雫一滴で3時間稼働するこの時計の中には無数の金属片が収納されており、それを外に展開して自在に組み立てることで、例えばコンパスや四分儀といったあらゆる航海道具から、今出している望遠鏡のようなものまで構築することができる。その時一緒に生成されるこの礼服は金属片の制御機になっているようで、これを使って金属片をパーツ単位で組み替えることで様々な効果を発揮させることもできるのだ。
まあ、こう言っている拙者も細かい仕組みはまだ解明できていないのだが、この妖術と見紛うほどに面妖なからくり仕掛けを作ってしまう水の都の技術というものは全くもって想像もつかないということは確かだ。
「で、夜空のどこを見るのさ」
「うむ。それはだな」
拙者は袖を一振りして、望遠鏡の向きをぐるりと半回転させる。向ける方向は、夜空の中で一頭《時空のゆらぎ》が大きい方角。確かこの方角の先には《テンガン山》なる山があると噂には聞くが……。
ガガガガガッ
「むっ」
時計の歯車が噛んで、望遠鏡の軸がギシリと音を立てて止まってしまった。
やはりまだ駄目か。
拙者は足場から飛び降りて、懐中時計の蓋をパチンと音を立ててしめる。すると、望遠鏡と礼服は再び金属片の状態へバラバラに分解されていき、それは瞬く間に時計の蓋へと吸い込まれていった。
「なんだい、もう終わりかよ?」
「変にいじって壊すわけにはいかぬ。それに以前は首も回らなかったのだから、これでも進展でござるよ」
「ちぇ、つまんねぇの」
テツはつまらなさそうにしていたが、正直これは拙者も同感ではあった。
先も言ったようにこの時計はまだ修復中で、恐らく当時の性能の2割ほどしかまだ引き出せていない。
時の天文台がその性能を発揮すれば、古に伝わるポケモンたちと時空を超えて交信することもできる。と古文書には記されてあったのだが、果たしてそれをこの目で見ることはできるのか、この進展の遅さに一抹の不安を覚える。
だが、受け取った時には本当に時計としての機能しかなかったこれが徐々に古文書通りの性能を取り戻していくのを体験するのは、忍ばかりの暮らしをしていた拙者にとってはじめて歓喜というものを体験するに相応しい出来事でもあったのだ。
「じゃあ、また部品集めかい」
「うむ。欠けた歯車を取り替えて、足らぬ部品はまた自作。まだまだ道は長いでござるな」
拙者は時計を懐にしまって、またも早足で丘を降りる。
やることが決まれば、次はまたそれに打ち込むのみ。
学者もまた忍びと同じく足頼みであるが、それは字を読むよりも得意なことだ。
「なあ、また今度もついてっていいか?」
「好きにするでござるよ」
ただ一つ決定的に違うことがあるとすれば、それはたった一人でいつまでも気を張らなくていいことかもしれない。それもまた学者の一興であると、拙者は小さくため息をついていた。
時の天文台長、ゲッコウガの村雨丸。
些かしっくりこないではあるが、千人斬りよりは随分とましに思える名前ではあった。
ご高覧いただき、ありがとうございます。
かそうパーティスタイルゲッコウガが学者さんみたいでかっこいいなぁ〜、から始まったお話。
水の都の古代マシンであったり、ポケモン同士の動乱の時代であったり、少し歴史を感じる作風になったかと思います。
ゲッコウガの村雨やファイアローの鉄山火はかなりのお気に入りで、これからもあらゆる作品に登場して参ります。
どうかお楽しみに。
かそうパーティスタイルゲッコウガが学者さんみたいでかっこいいなぁ〜、から始まったお話。
水の都の古代マシンであったり、ポケモン同士の動乱の時代であったり、少し歴史を感じる作風になったかと思います。
ゲッコウガの村雨やファイアローの鉄山火はかなりのお気に入りで、これからもあらゆる作品に登場して参ります。
どうかお楽しみに。
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