おくりごと

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作者:ぽうん
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読了時間目安:61分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

※この話は『ポケモン不思議のダンジョン時/闇/空の探検隊』および『ポケモンLEGENDSアルセウス』のストーリーのネタバレ要素を含みます。


【キャラクター】

ビショップ(ヒノアラシ♀)
…探検隊主人公。元ニンゲン。

ルーク(ミズゴロウ♂)
…探検隊パートナー。






「Wake up!」

(な、何!?)

 誰かが呼び掛けてくる声で、ビショップは目を覚ました。

「あ、起きた!」

 目を開けた先では二匹のポケモンが自分をのぞき込んでいた。寝起きのぼんやりした頭に、矢継ぎ早に質問が投げかけられてくる。

「よかった~。キミ、ここで倒れてたんだよ。だいじょうぶ?」
「ヒノアラシは普通ヒスイには居ないはずですが……。どこから来たとか覚えてます?」

 話しかけられている間に、意識がハッキリしてきた。目の前に居る二匹のポケモンはモクローとミジュマル。どちらも〈草の大陸〉には生息していないポケモンだ。
 ビショップは目を細めて今までの記憶をたどった。

(私はビショップ。元はニンゲンだったけど、タイムスリップ中に事故に遭ってヒノアラシになった。ルークってミズゴロウと一緒にチェスってチームで探検隊をやってて、仲間も……。うん。全部、思い出せる)

 ビショップはこくんと頷いて、胸に手を当てて自己紹介した。

「ワタシはビショップ。〈草の大陸〉で探検隊やってたの」
「草……?」「たんけん……?」

 揃って首をかしげる二匹。
 ビショップは慣れ親しんだ説明を繰り返した。

「探検隊ってのは、不思議のダンジョンを探検する職業で……」
「不思議?」「だんじょん? なにそれ?」

 まさかダンジョンすら知らないとは。
 予想外の質問に、ビショップは身振り手振りでアワアワしながら言葉を繋いだ。

「……えっと、入るたびに地形が変わる場所! 森とか歩いてると周りの景色が変わって、襲ってくるポケモンがいたり、道具が落ちてるアレ!」
「ああ! “時空の歪み”だね!」「ですね! 間違いありません!」

 モクローとミジュマルが声をそろえる。ここではダンジョンのことを“時空の歪み”と呼んでいるのだろうか。随分とヘンテコな言い回しだ。

(そもそも、ここは?)

 ビショップはきょろきょろと周囲を見回した。見渡す限りに穏やかな草原が広がっている。視界を遮るような高い木も無いので見晴らしがよく、爽やかな風が吹きわたる。風は少し肌寒いが、日差しがポカポカと暖かく、とても気持ちのよい場所だ。

 ミジュマルは晴れ晴れとした表情でウンウンと納得している。

「確かに“時空の歪み”ならヒノアラシが居てもおかしくありません。でも……」

 二匹は空を仰いだ。つられてビショップも空を見上げる。何の変哲もない、抜けるような青空だ。
 それを見てモクローがほぼ真横に首をひねる。

「……ここ、お天気だよねえ。歪みじゃないよ?」
「ねえ。ここはどこなの? あなたたちは誰?」

 ビショップの問いにミジュマルがハッと居ずまいを正した。

「申し遅れました。オレはミジュマル。イッシュ地方のポケモンです」
「ボクはモクロー! アローラちほーのポケモンだよ。アローラ!」

 ニコニコと自己紹介した後の、何かを求めるようなモクローの視線。しばらくして、最後の『アローラ』が『よろしくね』的な言葉である可能性に思い至った。

「あ、アローラ……?」
「うん! アローラ! そんで、ここは“ヒスイちほー”ってところ! ちょっと寒いけど、きのみと自然とニンゲンがいっぱい――」
「ニンゲン!? ニンゲンが居るの!?」
「え!? うん……」

 突如、上がった大声にモクローはびっくりして言葉を失ってしまった。
 ビショップはハッと口をつぐむと、声量を落として言った。

「ごめんなさい。悪気は無かったの。少し驚いちゃって……」
「貴女が元居た場所にはニンゲンは居なかったんですか?」

 自分が振った話とはいえ、面倒な話題になってしまった。ビショップは慎重に、言葉を選びながら言った。

「……私が居たのは、ニンゲンのいない、ポケモンだけの世界だったの。だから、ニンゲンって聞いて驚いちゃった」

 互いに顔を見合わせるモクローとミジュマル。

「ねえ。ミジュマル。ポケモンだけの世界って……」「はい……」

 ミジュマルは真剣な顔で口を開いた。

「落ち着いて聞いてください。今現在、ポケモンだけの世界は存在しません。貴女が仰った『ポケモンだけの世界』というのは、二匹のポケモン……ディアルガとパルキアが、これから新たに作ろうとしている世界なんです。もし、ヒノアラシさんの話が正しいとすれば……」
「ここは私の元居た世界より過去の世界――私は未来から来たってことね」

 さらりと言ってのけるビショップに、ミジュマルは驚いたように目をぱちくりした。

「……すいぶん落ち着いていますね。未来は時間遡行が当然に行なわれているのでしょうか」
「そんなことないけど……。ちょっと色々なことに巻き込まれてたから」

 苦笑いするビショップ。実はもっと未来から来た元ニンゲンなんて言ったら話がややこしすぎるので、ビショップは黙っておくことにした。
 モクローがぴょんぴょん跳びあがって明るい声で言った。

「でも、それなら話が早いね! ディアルガとパルキアのところ行けばいーんだ! 元の世界に返してもらえばいーんだよ!」
「言うのは簡単ですけど、ここは“黒曜の原野”。二匹が住んでいるシンオウ神殿のある“天冠の山麓”まではかなり距離があります。とんでもなく長く、険しい旅路ですよ」

 ミジュマルの話で、ようやく自分が置かれている状況を理解した。
 しかし、自分はギルドでスパルタ修行を積んだ上に世界を救った身。長く険しいと言えど野垂れ死ぬことはないだろう。
 別れの言葉を用意していると、モクローが翼を広げてミジュマルに言い張った。

「それなら、ボクたちもついて行こーよ! みんなで居れば助け合えるし、原野にいても面白くないじゃん!!」

 それからモクローは翼をたたむと、くるりと首を回してビショップに尋ねた。

「ね! いーでしょ? ボクたちもついてく!」
「いいけど……。あなたたちこそ、いいの? ニンゲンのパートナーが居たりするんじゃ……」
「いーの! ボクたち、ニンゲンから逃げてきたんだから!」
「ええ。善は急げと言います。早速、出発しましょう!」

 二匹に背中を押されるようにして、ビショップはヒスイ地方の大地を踏みしめた。



***



 見渡す限りの草原が広がるこの場所は“黒曜の原野”という場所らしい。そして、シンオウ神殿のある“天冠の山麓”は遥か北東にあるとのこと。
 とりあえず“黒曜の原野”を抜けるのを目標に北東に進んで行くと、幅広の川に当たった。透き通るような水は、高く昇った太陽に照らされてキラキラ光り、流れも穏やか。浅いようなら渡れるかもと足先をつけてみたが、すぐ足をひっこめた。

「うわ! 冷たい!」
「ほのおタイプのヒノアラシさんにはお辛いでしょう。どうぞ、オレの背中に乗ってください」

 そう言ってミジュマルは仰向けになって水の上に浮かんだ。直後は下流に流されかけたが、すぐに川岸近くのほぼ一点に落ち着いた。それからくるりと寝返りを打って、うつ伏せになるとビショップに目配せした。
 ビショップは恐る恐るミジュマルの背にまたがって体重を預けた。乗った時にいくらか沈みこんだが、それでも足が少し濡れる程度だった。想像以上に安定した乗り心地だ。
 ビショップはそっとミジュマルに尋ねた。

「重くない?」
「このくらいへっちゃらです。しっかり掴まってください!」

 ミジュマルはそう言ったかと思うと、地上でのぽてぽてした動きからは想像もつかないスピードで泳ぎだした。周囲の景色がどんどん流れていく。ビショップが走るのとほとんど同じか、それ以上の速さだ。偵察のために先を飛んでいたモクローにもすぐ追い付いてしまった。しかし、そのモクローはすぐに高度を下げて、川面から突き出した岩の一つに止まってしまった。その理由は、目の前に立ちはだかる大きな一本の滝。モクローが声を張り上げる。

「滝だよ! すごい滝!」
「本当だ。それなら、近くの崖を登――」

 ビショップは滝のすぐそばの崖を見やったが、滝のそばの岩肌は水しぶきで濡れており滑りやすくなっていた。そうでなくとも、ほぼ垂直に反り立つ険しい岩場。わずかながらも爪がある自分はどうにかなったとしても、足がヒレのようになっているミジュマルがロープも無しに登るのは不可能だろう。

「それじゃー、ボクの出番だね!」

 モクローが得意げに胸を張った。
 音もなくスッと飛び上がると、橙色の足でビショップの両肩をがっちりと掴んだ。小柄でまんまるな見かけによらず、身体を掴む握力がものすごい。本気を出せば、ビショップの腕の骨を折ることが出来そうなほどだ。モクローがせわしなく羽ばたくと、少しづつビショップの身体は垂直に持ち上がっていった。

「ずーっととか、たかーくは、難しいけど、このくらいの、高さなら、へーき!」

 言葉ではそう言いつつも、モクローの息は絶え絶えで、羽ばたきは必死そのもの。崖の中腹部分に着地したものの、モクローはぐったりと地面に伏していた。

「重かったでしょ? 大丈夫?」

 ビショップはモクローに駆け寄って、その肩に手をかけた。羽毛はふわふわしているが、すぐ地肌に触れられるほどに薄い。この寒さからは思えないほどの軽装だ。驚いて手を止めていると、モクローが顔だけをくるりと回してビショップに笑いかけた。

「えへへ。ビショップって、ぽかぽかだねえ~。ボク、寒いの苦手だからしあわせ」
「ほのおタイプだからね。いつでも温めてあげる」

 しばらく休憩したのちにミジュマルも無事に引き上げて、三匹はそろって南東へと進路を取った。北は岩肌が広がって足場が悪いので、多少遠回りでも地面が安定している方を通っていくことにした。そうは言っても山の上。互いに手を貸して貸されて、どうにか尾根を伝うように進んで行く。

 その先は草原が広がる低地とは違い、林が広がる高台だった。落ちると痛そうな高さの段差はモクローに下ろしてもらって、ようやく平らな地面に足をつけることができた。木と木の間は十分に空いていて見通しもよく、身を隠せる場所も十分にある。日が傾いてきたのもこちらにとっては好都合だった。日が当たらない場所が多くなれば、それだけ隠れやすくなる。ダンジョンであろうと無かろうと、余計な戦闘は避けるに越したことはない。

 だいぶ日が落ちてきて視界が悪くなってきた頃、空を飛んでいたはずのモクローが突如高度を下げてきた。随分と緊迫した様子だ。音もなく降り立ったモクローは小声でビショップとミジュマルに警告した。

「気を付けて! この先、オヤブンがいる!」
「オヤブン?」

 ビショップが聞き返すと、二匹は「しぃーっ!」と言ったのちに、立て続けに口を開いた。もちろん、小声で。

「すごくつよくて、おっきいポケモンのこと!」
「この辺り一帯をまとめてるボスのことです。ナワバリ意識が強いので、気づかれたらどうなることやら……」

 ガサリ

 斜め前方の茂みから不吉な音が聞こえてきた。
 恐る恐る顔を向けると、茂みの中には赤く光る一対の瞳。

「「あ……ああ……」」

 腰を抜かしてガクガクブルブルと震えあがる、モクローとミジュマル。
 しかし、ビショップは冷静だった。その正体が何か、じっと目を凝らして分析する。すっかり暗くなってしまったが、まだギリギリ輪郭は分かる。
 二つの大きな丸い耳、上部と左右の三方向に伸びたたてがみ、そして、茂みからはみ出した星型の尻尾。

(ルクシオ!)

 ビショップがそう思うのと、ルクシオが飛び掛かるのがほぼ同時だった。間一髪で転がって攻撃をかわす。綺麗に受け身を取ると、すぐに臨戦態勢に移行する。数多くの戦闘を繰り返して身に染みついた、無駄のない流れだった。

「「ビショップ!!」」

 しかし、モクローとミジュマルの二匹と分断されてしまった。しかも、ルクシオの注目は自分に向いている。ずっと目を合わせていたのだから、挑発されたと思われていて当然だ。
しかし、ルクシオはでんきタイプ。自分にはこの技があるのだ。ビショップは自信満々に技を繰り出した。

(“あなをほる”!)

 ガツン!

「痛っっっっっっったぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああい!?!?!?!?」

 じぃぃぃんと右腕がしびれる。思わず悲鳴をあげてその場にうずくまった。
 ジュプトルから教わって以来、何度も使ってきた十八番ともいえる技だ。“ゼロのしま”のように技が出せなくなっている感覚もない。失敗するなんて思ってもみなかっただけに、ビショップのショックと混乱は大きかった。

 ルクシオはこの隙を見逃さない。ここぞとばかりに牙を剥いてビショップに飛び掛かってくる。大きく開けられた口の目的は、捕食。ネズミは猫に食われるものだ。ここはポケモンがポケモンを食う世界なのだと、ビショップはこの時ようやく理解した。そして、自分の甘っちょろい考えを恨んだ。

 命の危機は何度も味わってきたが、食われる恐怖というのは初めてだった。鋭い牙が、ツメが、容赦なく自分の肉を狙ってくる。それは、ニンゲンであれば、そして、文化を持ったポケモンが栄える元の世界では決して味わうことのない感覚だった。
 このまま無抵抗ではどうせ食われてしまう。ならば、賭けるしかない。ビショップは大きく息を吸い込んで、ありったけの炎を吐き出した。

「“かえんほうしゃ”!」

 こちらは問題なく出た。真っ直ぐに伸びる炎の帯。一直線に突っ込んできていたオヤブンのルクシオは咄嗟にスピードを落とすも、かわせるはずもなく、あっという間に炎に包まれて炎上した。
 ビショップの息が限界を迎え、炎も消える。炎が駆け抜けた跡には、目を回したオヤブンのルクシオが丸焦げになっていた。ビショップはホッと胸をなでおろして一息。敵としては大したことは無かったが、予想外の出来事でドッと疲れてしまった。未だにじんじんと疼く右腕を抱えていると、一つの考えがのぼんやりと浮かんできた。

(“あなをほる”は一旦忘れた方が良い気がする……)

 はっきりした根拠があるわけではないが、練習どうこうの問題では無いと感じていた。そもそも、ヒスイの大地が“あなをほる”という技を受け付けていないような、そんな感覚だ。

 モクローとミジュマルは大丈夫だろうか。ビショップは急いで二匹の元に向かった。二匹は抱き合ったままの姿勢で固まっていた。

「大丈夫? ケガとか……」
「す……」「つ……」
「どうし――」

 かと思うと、最高にキラキラした四つの瞳がビショップを捉えた。

「すごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおい!!!」
「強ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおい!!」

 尊敬の念いっぱいに迫ってくる二匹の顔。
 突然の賞賛に面食らって、思わずのけぞるビショップ。それでもグイグイ二匹の賞賛は止まらない。

「いっぴきでオヤブン倒しちゃった!」
「しかも一発で!」
「チカラワザじゃないのに!」
「効果バツグンでもないのに!」
「「すごー-----------------い!!!!!!」」

 尻もちをついてしまって逃げ場がないビショップ。
 ぽかーんと二匹を眺めていると、モクローがぴょんぴょんと飛び跳ねてアピールした。

「ね! ね! ボクも強くなりたい!! 弟子にして!」
「あっ! オレもお願いします!!」

 二匹の様子に、かつての自分たちの姿が重なる。ギルドに入りたいと、星の停止を阻止したいと、ジュプトルのように強くなりたいと願ったあの日の自分たちの姿が。
 ビショップはにっこりと微笑んで言った。

「弟子だなんて、そんな。私でいいなら、いつでも教えるよ」
「「やったぁー-------ー------------!!!」」

 二匹の歓声が、“黒曜の原野”の穏やかな月夜に響き渡った。



***



 あれから二匹は懸命に稽古に励んだ。
 その甲斐あって、“黒曜の原野”を抜けて“紅蓮の湿地”に入る頃には、モクローはフクスローに、ミジュマルはフタチマルに進化していた。

 進化したフクスローは通常に比べて羽毛が厚くなり、以前より寒がらなくなった。質の良い筋肉が体温を高く保ってくれているおかげもあるだろう。全体的にがっちりした筋肉がつき、特に足の筋力は目を見張るものがあった。その影響だろうか。無邪気な性格が影を潜め、どことなく熱血的な性格になってもいた。
 一方、進化したフタチマルはいくらか性格が曲がってしまった。敬語は消え失せて言葉遣いは粗暴に、勝つためには汚い手を使う場面もちらほら見えるようになった。訳を聞こうにも口数が少なくなり、立ち入った交流を拒んだ。それでも根は真面目なのか仲間を見捨てたり軽視する言動はないし、鍛錬にも黙々と励んでいた。そして、綺麗好きなのか鍛錬の後は必ず水浴びをしていた。

 すっかり様変わりしてしまった二匹だが、それもまた、厳しいヒスイ地方で生き延びるために必要なことだった。
 ヒスイは本当に厳しい土地だ。生と死が絶え間なく交錯する。昨日、誰かの命を奪って食いつないだポケモンが、翌日には誰かの餌食になる光景など茶飯事だ。誰かの死が、誰かの生を繋ぐ、命の連鎖。言葉だけなら聞こえは良いが、それが明日は我が身に降りかかるかもしれないとなると話は違う。正々堂々と戦える強さを持つことも、時には卑怯な手を使う意地汚さも重要だった。だから、ビショップは二匹の変化を否定することは決してしなかった。ビショップも姿は変わらずとも、考え方は大きく変わっていた。「自分ひとりでも野垂れ死にすることは無いだろう」と高を括っていた認識は「明日死ぬかもしれない」という危機感に変わり、最初は目を覆っていた惨い光景にも見慣れてしまった。身体も精神も強靭でないと、この世界では生き残れない。

 “紅蓮の湿地”を北上すれば、シンオウ神殿のある“天冠の山麓”に入る。そのためにも、さらに強くならなくてはならない。三匹は鍛錬を重ね、計画を煮詰めていた。今回の最終目標はモジャンボ。“金色の平野”と“大口の沼”の境界辺りをナワバリとしているオヤブンだ。
 オヤブンのポケモンは強力だが、倒すことができれば戦いの経験は一気に上がり、辺りのポケモンが身を引く場合もある。そうすれば邪魔が入らず進みやすくなる。勝機があるならば積極的に戦って糧にしたいところだった。

 周囲をうろついている子分のマスキッパを相手に十分な経験を積んだ三匹は、計画の最終段階に入っていた。

「相手はくさタイプ。私とフクスローは有利だけど、フタチマルは相性が悪い。“ハヤワザ”で攪乱しつつ、不意打ちの機会を狙って。フクスローはとにかく“チカラワザ”で攻める。私は“でんこうせっか”で立ち回りつつほのおタイプの技で攻めていく。これでいいね?」

 二匹がしっかりと頷いたのを確認する。「さあ行こう!」と言うために息を吸ったその瞬間、空が急に暗くなり周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。
 フクスローとフタチマルの顔に、一気に緊張が走る。

「「“時空の歪み”だ!!」」
「ゆがみ?」

 確か、この地方での不思議のダンジョンの呼び方のはずだ。しかし本来、不思議のダンジョンに突入するのは、ダンジョンとそうでない場所の境界を跨いだ瞬間。立ち止まっている時に急に巻き込まれるなんて聞いたこともない。ダンジョンであれば恐れるに足りないが、不安をあおる不気味な紫色の空のてっぺんに、バチバチと稲妻のような光を放つモノクロの雲が見える。ダンジョンとは全く違うシロモノである。巻き込まれたらヤバいと直感が告げていた。ビショップたちは考えるより先に来た道を駆けだした。
 空を飛んでいるフクスローがビショップたちに向かって叫んだ。

「北に洞穴が見えるっす! そっちに向かってくだせえ!! “歪み”は洞窟の中までは来ないっすから!」

 進路を北にとり、緩い坂を駆け上がると入り口洞窟のような場所が見えた。吸い込まれるようにその中に入る。必死に逃げるあまりについ奥まで来てしまったが、フクスローの言った通り、奇妙な“歪み”の空間は入口の手前で止まっていた。洞窟の奥はかなり広い空間になっていて行き止まり。ポケモンの気配はなく、洞窟と言うよりは遺跡といった方が適切な様子だった。切り出した石がピッチリと詰みあがった空間は天然のそれではない。

「今日はここいらで足止めっすね……」
「広さはある。問題ない」

 フタチマルはそう言い残して再び一心不乱にホタチの素振りを始めた。

「ええー……。僕は外でやりたいっす」

 フクスローは不満そうに頬を膨らませると、入口近くに陣取って外の見張りを始めた。三次元で戦うことの出来るフクスローにとっては、天井という上限のるこの空間は狭いのだろう。

 それにしても、さっきまで全力疾走していたというのに二匹とも体力が有り余っている様子だ。これも進化の力なのだろうか。ビショップは奥の壁にもたれかかって息を整えることにした。ゆっくりと歩みを進めると、壁面に何かが書かれていた。

『SUBETE NO INOCHI HA BETSU NO INOCHI TO DEAI NANIKA WO UMIDASU』

(これは確か……アンノーン文字?)

 間違いない。“まぼろしのだいち”で見たことのある文字がいくつかある。
 しかし、その内容までは分からない。

(ジュプトルだったら、読めるのかな)

 懐かしい名前に想いを馳せて、壁の文字列を撫でた。

 キイィ――――――――――――――――――――――ン

 “時空の叫び”とはまた違う、ひどい耳鳴りがビショップの耳を襲った。細い糸が耳から入ってきて脳を貫通しているように頭に響く。思わず頭を押さえてうずくまったが、耳鳴りはすぐに消え失せた。

(どうしたんだろう。疲れてるのかな……)

 ふっと顔を上げて、ビショップは目を丸くした。

『すべて の いのち は べつ の いのち と であい なにか を うみだす』

 さっきまで意味を成さなかった文字列が、意味を成す文章に変わっている。いや、文字列そのものは変わっていない。自分がこの言語を理解して、文章として理解できるようになったのだ。本来であれば驚くべきことだろうが、既に一生分以上の不思議を体験してきたようなビショップは落ち着き払っていた。さらり、と壁を撫でて書かれている文章を口にする。

「全ての命は、別の命と出会い、何かを生み出す」

 読み上げると、理解していた文章はバラバラと砕け散り、再び意味を成さないものに変わってしまった。否、元に戻ったと言う方が正しい。自分にとっては何の意味も持たない、謎の文字列。ついさっきのことなのに、自分がどうやってこの文字を読んでいたのか見当もつかない。

 呆然と壁の文字を眺めていると、フクスローのよくとおる声が飛んできた。

「姐さーん! 時空の歪みが収まりやしたよー!! 鍛錬おなしゃーす!!」

 ただでさえ大きい声なのに、遺跡の反響があってとてつもなくうるさい。発した声と反響した声がぶつかりあって、頭にキンキン響く雑音だ。ついさっき聞いたようなその音で、ビショップはふと一つの可能性に思い至った。

(もしかして、“時空の歪み”との共鳴……?)

 ルークの居る元の時代と、ジュプトルの居る未来とでは“時空の叫び”の性質も違っていた。この時代も、元の時代とはまた“時空の叫び”の性質が異なるのかもしれない。

(分からないことを考えたって仕方ないよね。早くフクスローの所に行かなきゃ)

 ビショップは最後に壁の文字を一瞥すると、フクスローの待つ出口に向かって駆け出した。それに気づいて、フタチマルもビショップの後をついてくる。いつも一匹で修行していても、なんだかんだ仲間思いなのだ。

 “時空の歪み”をやり過ごしている間に“金色の平野”はすっかり日が暮れてしまった。夜の平野はゴースが我が物顔でたむろしている。進化を残していて技のレパートリーが少ない三匹にとって、ノーマルタイプの技が通らないゴースは戦いにくい相手だ。今日は無理に進まず、遺跡を拠点に休んで、明るくなってからモジャンボに挑戦する流れになった。

 手分けして集めてもらった木材に、“かえんほうしゃ”を吹きかける。しかし、ここは湿地。湿っぽい木材に、火はなかなか点かない。
 先ほどの疲れも相まって、ビショップはすっかりヘトヘトになってしまった。どれもこれも、マグマラシに進化すれば解決する問題ばかりだ。体力が上がって疲れにくくなるし、火力も上がって多少湿っぽい枝だろうと点火できただろう。こんな状況に何度も遭遇すると、愛着のあるこの姿を呪いたくもなってしまう。

「……姐さん、まだ進化できないんすか」

 息切れするビショップの様子を見て、フクスローがしょんぼりした表情でうなだれた。ビショップは消沈しているフクスローの肩をポンポンと叩きながら困ったような笑顔を浮かべた。まるで立場が逆ではないか。

「そんな顔しないでよ。多分まだヒスイに順応できていないだけだって。私の居た場所は、こんな殺伐としていなかったから」

 しかし、それだけではないことも、何となく分かっていた。それはフクスローも分かっていたのだろう。大人しくビショップの次の言葉を待っている。

「あと……進化したくないって気持ちもまだ少しあるから」
「進化、したくない……? どーして?」

 フクスローもフタチマルも、以前にも増して「強さ」を求めるようになっていた。しかし、それも至極当然のこと。進化すれば全ての能力が上がり、強くなる。このヒスイの地は強さこそが全て。進化を求めないことの方が異質だった。

(それでも……)

 この世界のどこかに、優しさを求めてしまうのは筋違いだろうか。
 ビショップはそっと口を開いた。

「元の時代に、すごく仲の良いポケモンがいるの。そのポケモンは優しいから、私が勝手に進化しても怒らないと思う。でも、私と彼はこの姿で長い時間を一緒に過ごした。有り得ないような経験をして、楽しいことも苦しいことも、この身体で頑張ってきた。だから、あんまり変えたくない」

 小川で顔を洗っていたフタチマルがその手を止めて、ビショップを見つめた。
 順応して変化した二匹からすれば、こんなことお笑い種だろう。何より、今ですら力不足を感じている。自分のための旅なのに、肝心の自分が死んでしまっては本末転倒だ。ビショップはしんみりした空気を振り払うように明るい声を出した。

「……まあ、そんな甘いこと言っていられないから、私も進化できるよう頑張――」
「なら、進化なんてしなくていーっすよ! 僕らがその分、強くなるっす!!」
「同感」
「二匹とも……」

 ビショップは二匹の顔を見比べた。
 強さこそ全て、強さこそ正義のこの世界。それなのに、目の前の二匹は弱いままでも良いと言ってくれた。足を引っ張られて二匹自身も危なくなる可能性があるのに。
 殺伐として乾ききった心に、ほんのわずかな、一滴の優しさがじんわりと染みわたる。
 今、この場だけは、世界は優しくいてくれるようだ。
 ビショップはそっと視線を落とした。

「……うん。ありがとう。でも、自分の身は自分で守れるくらいには強くならないとね。だから……」

 胸がいっぱいで言葉が出てこない。
 嬉しい。
 大好きだ。
 優しくて、あったかい。
 そんな二匹に、報いたい。
 ビショップはゆっくりと視線を上げた。二匹の瞳と目が合う。

「私の準備ができるまで、待っててくれる?」
「「もちろん」っす!」



***



 “天冠の山麓”の中腹、“カミナギ山道”で、二匹のポケモンがポケモンの群れに囲まれていた。一匹は厚い羽毛と筋肉で覆われたジュナイパー、もう一匹は黒く禍々しいツノを持つダイケンキだ。

 ジュナイパーは鋭い爪でかかと落としを食らわせると、すかさず闘気の矢を放った。かかと落としでイワークの身体を構成する岩にヒビが入り、正確に撃ち抜かれた3本の矢で岩が完全に砕け散る。イワークは壮絶な断末魔をあげてのたうち回るが、頭と尾で真っ二つになってしまっては生きるすべはない。後は岩石を食らうポケモンの餌食になるか、地中に潜れず餓死するかの二つに一つ。そして既に、遠巻きからゴローンがそれを狙っているのが見えている。この戦闘が落ち着いたら、イワークは彼らの餌食になるだろう。

 そう分析するジュナイパーを隙ありと見たか、チリーンが背後から忍び寄る。十分に近づくと尾を振り回しジュナイパーに“じんつうりき”を送り込む。しかし、それは眉間に突き付けられた黒い刃によって阻まれた。あくタイプを持つダイケンキに遮られたのだ。ダイケンキはそのままチリーンを黒くギザギザしたアシガタナで切り刻んだ。怒涛の連撃によってチリーンのガラス質のボディに次々と切り傷が入る。これはたまらないとチリーンは退散しようとしたが、身軽なダイケンキは執拗に襲い掛かっていく。その様子を見てジュナイパーがダイケンキの肩に手をかけた。

「ダイケンキ。そこまでにしておけ」

 ダイケンキは不服そうにジュナイパーを一瞥したが、彼の気迫に巻けたのだろう。フンッと鼻を鳴らしてアシガタナを鞘に納めると、チリーンに向けて顎をしゃくった。チリーンは一瞬、怯えと恨みが込もった瞳でダイケンキを睨みつけると、すぐに脱兎のごとく逃げていった。

 ポケモンが居なくなったのを確かめると、ジュナイパーは近くの岩に向かって声をかけた。

「姐さーん! もう大丈夫っすよー!!」
「もう……その呼び方やめてって言ってるじゃない」

 岩陰から出てきたのは一匹のマグマラシ。進化したビショップだ。
 地形や気候が厳しくなるほど、そこに住むポケモンたちも気性が荒くなっていった。今まで何度、死を覚悟したか分からない。進化したくない気持ちが無かったとは言わないが、そんなことを言っていられない厳しい現実がビショップの進化させた。進化しなければ命が危なかった場面も多々あった。

「僕たちにとって姐さんは姐さんっすから。今日も稽古おなしゃっす!」
「二匹の方がずっと強いじゃない。教えられることなんて無いよ」

 進化して性格や体つきが大きく変わった二匹に対して、ビショップはと言うと、マグマラシに進化しても特別何かが変わっている様子は無かった。唯一の大きな違いといえばパッチリと見開いた2つの金色の瞳。だが、それはあくまでビショップという個体の特徴であり、ヒスイのマグマラシの特徴ではなかった。変化したいと思う訳ではないが、様変わりする感覚を味わってみたいという好奇心もあったので少し残念だった。

 二匹がポケモンを蹴散らしたおかげで、“天冠の山麓”の旅路はとても順調だった。しかも、日を跨ぐごとに暖かくなり、とても心地よい陽気。“天冠の山麓”にも、ようやく本格的な春が訪れたようだ。

 “祈りの広場”に着いたのは日が傾きはじめた時間帯だった。
 ビショップはまだ雪が残る“祈りの広場”で足を止めた。

「今日はここまでかな」
「っすね。夜の雪山は危険っすから。明日、一気にテッペンまで登っちまいやしょー!」

 元気いっぱいに右の翼を上げるジュナイパー。
 ビショップは道すがら拾い集めていた木材を置いて火を吐いた。雪解けで湿った地面だろうと、枝は難なく燃え上がる。ゼェゼェ言ってようやく点火していた頃が嘘みたいだ。

「へへ……。ついにヒスイのテッペンかあ……。姐さんも進化して、僕たち本当に強くなりやしたよね! どんな景色が見れるか楽しみっす!」

 ジュナイパーは満面の笑顔をビショップに向けた。ひこうタイプを失っても、やはり鳥ポケモン。高い所とそこから見える景色は大好きなようだ。
 一方、進化して更に寡黙になったダイケンキは、テンガンざんの頂きをじっと見つめていた。そして、おもむろに口を開く。

「……明日、ついに、終わる」

 彼の静かな言葉で、別れの時が近いことを思い知らされる。

「……そうね。長いようで、あっという間だった」
「やっぱ信じらんねーっす……」

 ビショップとジュナイパーもつられて山の頂きを見つめる。
 今、沈む準備をしているこの太陽が再び昇れば、ビショップたちは山頂を目指して歩かねばならない。
 そして、ビショップと二匹はお別れしなければならない。
 このヒスイ地方での日々は、かけがえのない思い出ばかりだった。
 必死に生き抜いた一日一日が、苦い経験も含めて宝石のように輝いている。互いに高めあい、認め合い、護り合った。互いの命を預けあった。そして、互いの命を守るため、関係ない他者の命を奪った。失われた命を踏みつけては「今日も無事だったね」と互いの無事を喜び、また生きた。自分たちがここまで生き残っているのは、誰かが代わりに死んでくれたからに他ならない。それで、初めて知った。

 命というものはとても重いのに、いとも簡単に吹き飛んでしまう。

 他者の命が直接のしかかる、ヒスイの大地が教えてくれたことの一つだった。

 しかし、ここに来てから、かなりの日数が経ってしまった。皆さぞかし心配していることだろう。何も言わずに失踪しているのだ。まだやりたいこと、やるべきことも山ほどある。帰らない選択肢は無い。
 そう分かってはいても、ビショップの金色の瞳にじわり、と熱い液体が滲む。

(いけない。まだお別れじゃないのに)

 しんみりした雰囲気を吹き飛ばそうと、ビショップはパンパンと前足を打ち合わせて口角を上げた。

「さ。ご飯にしよう! 今日はとびっきり美味しいの作るね!」
「僕も手伝うっす!」
「……オレも」
「二匹は休んでて。さっき戦ったばかりで疲れてるでしょ。自分の身くらい自分で守れるもの」

 ビショップはそう言い残すと、二匹に背を向け走り去った。
 潤んだ瞳がバレないように。

「気を付けてー!」
「……」

 まだ別れの時間ではない。
 美味しいご飯を食べて、思い出話に花を咲かせながら、ゆっくりと心の準備をしよう。



***



(うーん。これは中々……)

 あの後、ビショップは“天冠の山麓”のふもとまで下りてしまっていた。めぼしいきのみがまるで無かったのだ。
時期は雪解け。ここ数日で一気に暖かくなったことで、冬眠していたポケモンが一斉に目を覚ましたのだろう。冬眠から目覚めたポケモンは皆、腹ペコ。そんな彼らにとってきのみは簡単にありつけるご馳走。美味しいきのみは徹底的に食いつくされてしまっていたのだ。
ビショップは腕の中のきのみを見てため息をついた。

(最後の晩餐だってのに、こんな虫食いきのみって)

 しかし、これ以上探し回っていても見つかる見込みは無かった。それどころか、日が沈んで暗くなれば、きのみのなる木は見つけづらくなるし、凶暴なポケモンも多くなる。
これ以上、遠くに行くのは得策ではなかった。

(……帰ろう。一緒に過ごせる時間は限られてるもの)

 ビショップはよいしょ、と立ち上がり、目指すべき山を見上げた。
 西日に照らされた雪山は燃えるように輝いていて美しかった。

 と、その時。

 ドドドドォォォォォォオオオオオオオオオ――――――――

 白い波がテンガンざんの斜面を流れ落ちるのが見えた。
 雪崩だ。
 しかも、大きい。
 ただでさえ大きい雪崩は斜面の雪を巻き込んで巨大化していく。
 煙をもうもうと上げて、遠く離れた場所からも視認できる大きさの氷塊を削って押し流した。
 白い津波とでも呼ぶべきそれの勢いは衰えることなく、どんどん加速して、“祈りの広場”と思しき場所をも呑みこんだ。

(二匹が!)

 雪がほとんど残らない平地にたどり着いた雪崩は徐々に勢いを落とす。
 そして轟音もピタリと止んで“天冠の山麓”に静寂が訪れる。
 その間、約数十秒。
 永遠とも思える一瞬だった。

 ビショップはきのみを捨てて駆けだした。進化した脚は地面を強く蹴り、爆発的な推進力を見せていた。しかし、ただでさえ急な傾斜が雪解けでぬかるんでしまって進まない。登ろうと手をかけてはずるりと滑り落ちることの繰り返し。もどかしさで食いしばった歯がギっと音を立てる。僅かに発達した爪に泥が食い込む。よじ登って擦れた腹が泥にまみれる。
普段なら難なく進める場所であるのに、焦りが歩みを遅くしていることに気づく心の余裕は無かった。

 焦って、もがいて、泥だらけになりながら、ようやく“祈りの広場”に着いた。
時刻は既に黄昏時。ビショップは肩で息をしながら広場を見渡した。ついさっきの僅かな緑が芽吹いていた景色は見る影もなく、ひたすらに濁った雪と氷塊が広がるだけだった。耳を突く静寂が、毛皮を突き刺す寒さが、痛い。

 声を上げようと深く息を吸ったが、空気を求める肺に追いつけず息が詰まる。咳き込むと走った後によくある血の味が喉の奥に広がる。呼吸が安定する僅かな間ですら今は惜しい。ビショップは声を張り上げた。

「ジュナイパー! ダイケンキ!!」

 返事は無い。
 胸が締め付けられるように痛い。心臓が、肺が、息を求めている。
 胸を押さえてその訴えから目を逸らしつつ、ビショップはなおも叫ぶ。

「私よ! ビショップよ!! 返事をして!!」

 山の天気は変わりやすい。さっきまで鮮やかな夕焼けが見えていたのに、あっという間に厚い雲に覆われ、みぞれ雪が降り始めた。ベシャベシャした雪は形を保てず、落ちてはグシャリ、と潰れていった。雨混じりの雪は、雪崩を融かしてぽつぽつと穴を空ける。ビショップも雪崩を掻き分け、そこかしこに穴を空ける。

 いつの間にか日はとっぷりと暮れ、冷たい北風が吹き降ろしていた。
 生き物が居ないこの場所は、春先だというのに驚くほど寒い。その上、雪で濡れた毛皮が地肌に張り付いてきて、冷え切った身体に追い打ちをかける。毛皮の下では地面に擦った時に出来た大小さまざまな無数の擦り傷。泥が刷り込まれたいくつかの傷がミミズ腫れになっているのか、所々ピリピリと痛む。一刻を争うのに時間ばかりが過ぎていく状況で精神も摩耗し、ビショップは心身ともにボロボロだった。それでも声を上げようとしたが声帯が動かず、音を載せ忘れた吐息だけが口から出て行った。その息と一緒に、わずかな気力も出て行ってしまったようだった。もう指一本、声ひとつ上げられない。
 ビショップはデコボコになった雪原の真ん中で途方に暮れ、しばらく呆然と立ち尽くした。鈍った頭にぼんやりと、一つの可能性が浮かぶ。

(もしかして、二匹はここに居ないんじゃ……)

 可能性は願望に変わり、願望は根拠のない確信に変わる。

(きっと、逃げてるのよ。そうよ。そうに違いない……)

 根拠のない確信は、希望という名の甘い蜜となってビショップを手招きした。甘い香りのする木に引き寄せられる虫ポケモンのように、ビショップもその希望に縋った。ほんのわずかな儚い希望だが、疲労困憊のビショップを酔わせるには十分だった。
 さっきまで一歩も歩けないと思っていたが、ここに居ないと分かれば意外とすんなり動いた。ビショップは前足を下ろして四足歩行になると、足場の悪い雪崩現場から去ろうと足を踏み出した。再び雪崩が起こる可能性があるのだから、賢い二匹がこんな危険な場所に居るわけがない。どうして気が付かなかったのだろう。

 ザクリ

 右後足の裏に何かが刺さってビショップは顔をしかめた。何だろう。せっかくいい気分でいたのに。
 心の中で舌打ちをしながら右後足をずらすと、すくっと立ち上がって方向を変え、何かがあった場所に目を凝らした。しかし、厚い雲に覆われた夜では何も見えない。四つ足になって頭の炎を噴き出すと、見覚えのある、禍々しい黒いツノの先端と目が合った。

 脳が理解することを拒んでいる。それでも『淡い希望』という名の酔いは急速に醒めて、受け入れがたい現実だけが残っていく。
 ビショップは刺の周囲をがむしゃらに掘り始めた。涙か汗か、しょっぱい液体が頬をつたって歯を食いしばる口の中に入ってくる。それでも一縷の希望に縋って、固い雪を一目散に掘り進めていった。過ぎ去った時間のことを考える余地を与えないように。

 しばらくすると、瞼を閉じたダイケンキの顔が出てきた。

「あ……ああ……」

 ビショップは口元を覆って、その場にへたり込んだ。自分の顔から血の気が引いたのが分かった。目の焦点がぶれて平衡感覚を失い、暗闇にぐらっと意識が持っていかれそうになるが、発達した前足で身体を支えてどうにか踏ん張った。一瞬の意識の喪失で散々ひっかきまわされてきた感情がわずかに整理されて、寝起き直後の靄がかかったような冷静さがビショップに訪れる。
 ぼんやりしたまま、きしむ両腕を使って雪を掘り進めると、ダイケンキに折り重なるようにしてジュナイパーが倒れていた。まるで雛鳥を守る時のように、枯れ葉色の翼でダイケンキの背を覆っている。

「嘘……だよね……? 起きて……起きてよ……」

 金色の瞳を潤ませながらビショップは口角を上げた。今にも起き上がって『引っかかったー!』と無邪気な笑顔を向けてくれるだろうと思った。
 ジュナイパーの冷えた体を自らの体温で温めた。だって彼は寒いのが苦手だから。
 ダイケンキの汚れた顔を炎で融かした雪で拭った。だって彼は綺麗好きだから。
 それでも二匹が目を開けることはなかった。辛うじて保ってきた儚い希望が、涙となって目から零れ落ちていく。

「ダメ……ダメだよ。こんなの……」

 ここまで守ってきたのに。ここまで助けてきたのに。
 ここまで守られきたのに。ここまで助けられてきたのに。
 そうやって、ここまで生き延びてきたのに。
 命と言うものはとても重いのに、いとも簡単に吹き飛んでしまう。
 分かっていたのに。

 それでも、こんな結末は、あんまりじゃないか。

 だって、準備ができるまで待つって、二匹とも言ってくれたんだもの。
 私まだお別れの準備なんて出来てない。
 約束したじゃない。一緒にディアルガに会いに行くって。私の旅路について来るって。みんなで居れば助け合えるって。どうして、過去一番の困難の時に助けてくれないの。
私を置いて行かないでよ。

「Wake up……」

 二体の亡骸に顔をうずめて、小さくつぶやいた。しばらくそのまま泣いていた。自分の身体からとめどなく出ていく涙は熱かった。このまま泣き続ければ、自分の体温を二匹に分けてあげられるような気さえした。

 明け方、泣き疲れてウトウトしていた頃、何者かの気配でビショップは顔を上げた。周囲をポケモンに囲まれていた。
 春は食料も豊富だが冬眠から目覚めるポケモンも多く、競争率は高い。しかも、ここは万年雪が広がる山頂付近と近く、きのみなどの自然の恵みは常時少ない。その僅かな恵みも雪崩で失われた。そうなれば捕食者たちは狩りに手を付けるしかない。

 昨日、誰かの命を奪って食いつないだポケモンが、翌日には誰かの餌食になる光景など茶飯事だ。誰かの死が、誰かの生を繋ぐ、命の連鎖。言葉だけなら聞こえは良いが、それが明日は我が身に降りかかるかもしれないとなると話は違う。

 ビショップはよろよろと立ち上がると、尻と頭の炎を上げて捕食者に対峙した。グルル、とうなったレントラーの生臭い吐息が鼻を突く。ガチャガチャとハサミを打ち鳴らすグライオンの音が耳につく。オヤブンのエレキブルが放つ威嚇の電撃でビリビリと肌がしびれる。行動というのは時に、言葉より分かりやすい。皆揃って、ビショップに「その死体を差し出せ」と命じている。
 それでもビショップは引き下がらない。ならば、示す意味は一つ。

(来るなら、来い!!!)

 ビショップは、強かった。
 進化の余地を残した状態であるにも関わらず、敵の群れを殲滅した。それどころか、二度と来ないようにと見せしめに執拗に痛めつけた時もあった。その過程でいくつかの遺骸が増えた。雪と静寂で覆われた広場は今や見る影もなく、血と怒号に包まれた戦場だった。濁った雪が鮮血と共に流れだしていく。その血の匂いが、新たな刺客を呼んでいるのだが、それすら蹴散らしてしまった。
 負けてしまえば諦めもついただろうに。
 自身の弱さを認めて潔く身を引くことができただろうに。
 強かったばかりに、引き際を失ってしまった。



***



 既に本格的な春が来ていた“天冠の山麓”は、数日で雪崩が解け始め、死体の腐敗が始まった。ぽかぽかと暖かく、うららかな日差しに照らされて生温かい血がてらてらと光っていた。
 いくらビショップが強いと言っても一匹では限界があった。動きは鈍り、傷も増えていった。足はふらつき、技は当たらない。深緑とクリーム色の毛並みは見る影もなく、ほとんどが泥と血で染まっていた。

 ポケモンがまた一匹、隙を突いて死体に手をかけようとしたので、ビショップは“かえんぐるま”で追い払った。今のはグライガーだったか、ルクシオだったか。気にする余力もないほど、ビショップは追い詰められていた。それでもポケモンは次々にやって来る。見せしめとして同族が殺されても、幾度となく追い払われようと、自らが生きるため、死を覚悟して突っ込んでくる。

(まだ、来る、の……)

 正直、立っているのすら難しい。それでもビショップは立っていた。この肉体は彼らが生きてきた証明であり、ビショップが必死に守ってきた証明でもある。不慣れな地でありながらも努力し培ってきた身体を、敬意もなく食い散らかそうと目論む輩が心の底から憎かった。
 憎悪で頭と尻の炎を燃え上がらせ、ポケモンの群れに突っ込んでいった。

「うぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!」

 ビショップが群れの中心に飛び込んだその瞬間、ビショップの炎とテンガンざんの霊気が共鳴した。放たれた進化のエネルギーが爆風となって取り囲んでいたポケモンを蹴散らす。ビショップを中心に渦巻く風は、そのまま外と内の二層に分かれた。外側の激しい風が進化のエネルギーがぶつかり合って弾ける火花と共に、蛹のようにビショップを守る。内側の風は渦潮のように霊気を取り込んでビショップに注ぎ込む。大量のエネルギーと霊気はマグマラシの身体には収まりきらず、器である身体を押し広げる。体は大きくなり、頭と尻に分かたれていた炎の噴出孔はうなじに結集する。変化した噴出孔に霊気が特に強く集まってきて、首に新たな噴出孔を作り出した。霊気はそのまま背に沿って流れて尾に纏われていく。一部は頭の方にも遡っていき、耳から溢れた霊気が瞳を覆う。

 やがて外側と内側は一つの風となって収束し、エネルギーが一滴残らずビショップの新たな身体に注がれた。本能のままに天に向かって雄たけびをひとつ上げると、ビショップは自分の身体をまじまじと見つめた。通常のバクフーンとは異なる紫紺の毛並み。安定して二足歩行ができるまでに発達した足腰。すらりとした華奢な体形に長い腕。

(これが……ヒスイのバクフーンなの……?)

 金色の瞳は、今まで見ることができなかった生命エネルギーの流れも見えていた。生き物が動いた軌跡は残像のように映り、まさに今、一匹のレントラーが死体に牙をかけようとしていた。ビショップの中に、強い怨恨が、怒りが湧き上がる。

「許さない……許さない……ユルサナイ!」

 首周りの炎が天を貫く勢いで燃え上がる。その炎から生み出された無数の鬼火が、恐ろしい獣のような形相となりレントラーに襲いかかっていく。 強い恨みの力を持った鬼火で、レントラーはあっさりと死んだ。それでもビショップの怒りは収まらない。

「許さない許さないゆるさなイゆるサなイゆルさナイゆるサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ!!!!!!!!!」

 鬼火は次々と生み出されて周りのポケモンにも襲いかかっていく。“祈りの広場”はポケモンたちの阿鼻叫喚に包まれたが、ビショップの耳には届かない。それどころかその声にますます怒猛り狂い、辺り一帯を燃やし尽くさんばかりに鬼火を生み出した。

 首元から生み出された数々の鬼火のうち二つが、敵ではなくビショップに向かってきた。そして、ビショップを止めるように鼻先に飛びついてきた。

《ちゃんと見て! ぼくたちは死んじゃったんだよ!!》
《何のために、ここまで来たんですか! 元の世界に帰るためでしょう!?》

 二匹の魂――モクローとミジュマルの魂が、ビショップの金色の瞳を見つめていた。死して身体から解放された魂は、生前に身に着けた全てから解き放たれる。そして本来あるべき姿、あるべき気質に戻り、あるべき場所へと還る。そのため、二匹の魂は生まれ落ちた時の姿──モクローとミジュマルに戻っていた。
 二匹の、今にも泣き出しそうな二匹の顔を見て、ビショップの炎がしゅるしゅると縮んでいく。

(そう、よ……。私たちがここまで来たのは……)

 ビショップはようやく思い出した。ここまで来た理由を。

 元の世界に戻るため。
 ルークの、仲間たちの元に帰るため。
 自分が本来、あるべき場所へ還るため。

 心のどこかでは分かっていた。
 戦った先には何もないと。
 自然の摂理に逆らうのは不可能だと。
 亡くなった彼らが望むのはこんなことではないと。

(……)

 ビショップが攻撃の手を緩めると、死体の掃除屋たちは我先にと死体に群がった。ぐちゃぐちゃと肉を咀嚼する音が辺りに響く。少し腐った程度では全く気にしないようだった。
誰かの死が、別の誰かの命を繋ぐ。
 ヒスイではあまりにもありふれた光景。しかし、あまりにも残酷な光景。
 ビショップは踵を返して、振り返ることなく山頂に向かった。



***



「ビショップだな」

 “岩の門”をくぐり抜け、高みに伸びる階段を登り、柱と見慣れないポケモンの石像が立ち並ぶ通路の先の祭壇にディアルガは居た。
 ビショップがゆっくり頷くと、ディアルガは首を垂れて謝罪した。

「一度までならず二度までも、こちらの事情に巻き込んでしまって本当に申し訳ない。お前が持つ時空エネルギーと、この世界の“時空の歪み”が共鳴してしまったようだ」

 ビショップがかつて思った通り、“時空の叫び”の能力は、この世界の“時空の歪み”と同じ波長をもつようだった。その時の思い出をえぐられて、ビショップの眉根に力が入る。

「お前を元の時代に返す前に、伝えおくべきことがある」

 きた。心臓がどくんと跳ね上がる。
 弾かれたように顔を上げ、ビショップは口を真一文字に結んでディアルガの次の言葉を待った。

「お前をタイムスリップ直前の世界に戻す。それゆえ、ここで過ぎた年月を気にする必要はない。その代わり、お前がこの世界で得た全ての経験と記憶を消し、姿も含めたすべてをタイムスリップ直前の状態に戻す。お前はタイムスリップしたことすら忘れ、元の世界でルークたちと何も変わらない生活を送るだろう」

 ディアルガの説明はヒスイ地方での思い出や進化を、すべて、忘れてしまうことを意味していた。
 出会った日のことも。あの賞賛の瞳も。恐ろしい”時空の歪み”も。交わした約束も。
 命というものはとても重いのに、いとも簡単に吹き飛んでしまうことも。
 何もかも、忘れてしまう。
 しかし、言葉の割にショックは少なかった。既に記憶喪失を経験しているからというのもあるだろうが、この時代はポケモンが文明を築く世界ができる前。創世より前の記憶が残っていては、きっと世界に何かしら良くない影響を及ぼしてしまうのだろう。
 そう悲観することは無い。
 何もかも、元に戻るだけなのだから。

 ビショップは穏やかな笑みを浮かべてディアルガに尋ねた。

「じゃあ、ここで出会った仲間たちも、元に戻るのね。私が、来なかったことになるから」
「……いや。記憶や経験の諸々が消えるのはお前だけだ。既に世界に及ぼされた事象を変えるほどの力は、我には無い。元の世界でも、お前の存在が消えようと、星の停止を食い止めた事実や残された仲間の記憶が消えた訳ではなかっただろう。……それと同じだ」

 ビショップにとって、これほど分かりやすい説明は無かった。
 しかし、最期の希望をも絶つ残酷な説明。

(死んだ二匹は、戻らない……)

 うなだれるビショップの様子を見て、ディアルガが言葉を続けた。

「……もし、この世界でやり残したことがあるなら済ませて来い。お前の記憶や今の姿は無くなろうと、お前がこの世界に及ぼした事象は消えぬ。用を済ませたらば、またここに来るが良い」

 ディアルガはそう言い残してビショップに背を向けてしまった。

(やり残した……こと……)

 思い残しはあるが、方法が分からない。目の前には過去も未来も見通す時の神ディアルガが居るが、助言を求めたところで返事は何も返ってこない。世界の根幹に関わるポケモンは、特定のポケモンに肩入れすることが出来ない。個体の意思の問題ではなく、発言や行動を起こすことが不可能なのだ。この世のあらゆる物体が重力に逆らうことが出来ないように、世界の原理そのものに許されていないと言えばよいだろうか。

(……とりあえず、戻ろう)

 お別れの言葉ひとつすら言わずに来てしまったことにようやく気が付いた。
 霊が見えて会話できる身体になったのだから、お別れの言葉の一つや二つ、言っておくべきだった。正気に戻してくれたお礼すら言っていない。
 重い足を引きずって、ビショップは”テンガンざん”を下りた。

 “祈りの広場”の雪はすっかり解け、所々に雪が残っていた。掃除屋はすっかり引き払った後で、遺骸のあった場所には僅かな骨が残るのみとなっていた。あと、二匹の魂。

《……なぜ戻ってきたんですか》

 ミジュマルが軽蔑するような視線を向けてきた。
 ビショップはうつむいて、ぎゅっと拳を握りしめた。

「ディアルガから聞いたの。私が元の世界に帰っても、あなたたちが生き返ることはない。それどころか、元の世界に帰ると私の記憶は消え、姿も元に戻ってしまう。この世界に居た証拠は何も残らない」

 涙は枯れ果てたと思ったのに溢れてきて、ぽたぽたと地面にしみを作った。

「まだ……まだ何も出来ていないのに……! この姿になって、ディアルガに会って、何かしてあげられると思ったのに……!」
《別れの言葉もなく居なくなったと思えば、そういうことでしたか……》

 ミジュマルはやれやれと肩をすくめた。モクローがぽつりと零した。

《……ヒスイちほーのテッペン、見たかったなあ……》
「見れないの?」
《誰かさんが暴れ回ったせいで、オレたち地縛霊なんですよ。どこにも行けやしません》
《あのね、ぼく、アローラ居た時はレーカンあったから、こーゆーの詳しいの。こーなったら、たましーが消えるまでずっとこのまま》

 なんてことだ。自分のせいじゃないか。彼らの望みを無視した挙句、地縛霊にしてしまうなんて。ビショップ胸は申し訳なさと罪悪感でいっぱいで、バクフーンに似合わず、座り込んでべそべそと泣いた。

《泣かないで。ぼくたちはだいじょーぶだから》

 モクローはそう慰めるが、自分のせいで彼らは天国に行けなくなってしまったのだ。
せめて、自分が引き起こした事は自分で始末をつけたい。それが、せめてもの礼儀だと思った。

(でも、天国に送る手段なんて……)

 霧が晴れるようにスっと一つの考えが頭に浮かぶ。
 本能が、方法を知っていた。
 読めないはずのアンノーン文字が解読できた時のように、何をどうすれば良いか全て分かっていた。

「……来て。ヒスイ地方のてっぺんを見に行こう」

 ビショップはそう言って二匹の魂に手を差し伸べた。そして、そのまま――

 ぱくり

 噛み砕かないように、でも、地に縛る怨念はぷつりと噛み切ってから、二匹の魂を口に含んだ。
 二匹の魂は喉越しよく、つるりと体内に収まった。きっと、二匹も分かっていたのだろう。

 ビショップは山頂に向かって歩き出した。
 途中の“笠雲の切り通し”にオヤブンのエレキブルが居たが、ビショップを見ると慌てたように道を譲った。怒り狂ったビショップの返り討ちに遭った一匹だ。ごめんね、と心の中で思いながら、目を合わせないようにしてその脇を通り過ぎた。こちらの邪魔をしないのならば、無駄に怯えさせる必要はない。

 ひんやりとした“岩の門”を抜け、神殿に至る階段の出迎えを受け、ビショップは再びシンオウ神殿に戻ってきた。今度は二匹も一緒だ。
 ディアルガは何も言わない。きっと、この結末を知っていたのだろう。ビショップたちが通り過ぎるのを見届けると、神殿の入口の方に向かって仁王立ちした。別れの邪魔をしないように、万が一にも邪魔されないように。

 ビショップは祭壇に登ると、その淵ギリギリに立って、ヒスイの地を見下ろした。

「……ほら見て。ここがシンオウ神殿。ヒスイで一番高い場所、ヒスイのてっぺんよ」

 二匹は答えない。当たり前だ。ビショップの体内に居るのだから答えようがない。しかし、二匹はビショップの目を通して、確かにその光景を見ていた。ビショップにも分かっていた。

 天を仰げば抜けるような快晴の青空。
 眼下に広がるのはいっぱいの雲海。その雲の隙間から”天冠の山麓”の険しい自然が見え隠れしている。
 雲と空の境目であるこの場所は、生者が至ることのできる一番の高みだった。

「でも、あなたたちは、もっと高い場所からヒスイを見ることができる」

 ビショップがスっと目を閉じる。夜の帳をおろすように、紫の瞼が金色の瞳を覆い隠す。
 すぅっと息を吸うと、ゆるやかな春の匂いが混じった冷たい空気がビショップの肺を満たした。春風に、ふわりと声を乗せた。

「……いってらっしゃい」

 ゆらり

 首周りの炎を燃やすと、揺らめく炎から二匹の魂が滑り出たのを感じた。
 二匹を土地に縛り付けていた未練の縄は跡形もなく焼失し、魂は炎の熱の上昇気流に乗って高く昇っていく。

《すごい……! ここが、ヒスイのテッペン……!》
《とても、とっても綺麗です……! オレたち、こんな所で生きてたんですね!》

(そうよ。あなたたちは生きていた。美しくも残酷な、このヒスイの大地を生き抜いた!)

 陽光を背にはしゃぎまわる二匹の魂を目で追って、ビショップは思わず涙ぐんだ。
 自らの生を全うしたという尊厳を、誰が否定することができようか。
 二匹にはどんな光景が見えているのだろう。山脈の向こうの“黒曜の原野”や“紅蓮の湿地”、ビショップの知らない彼方の土地まで、ヒスイの全てが見えているのだろうか。

 ひとしきり舞い終えると二匹が上昇気流に逆らって降りてくる。そして、ビショップの顔をギュっと抱きしめた。

《ありがとう。ビショップ。そして、さよーなら!》
《オレたちのことは忘れて……元の世界でしっかり生きてください!》

 二匹の魂はそのまま、暖かな春風と上昇気流に乗って天に消えて行った。
 きっともう、迷うことはない。ヒスイは、こんなに明るく、温かいのだから。

「……用は済んだか」
「うん。ここに、ヒスイに、もう用は無い」

 ビショップが言い終わると同時に祭壇に時空ホールが現れる。
 かつては引きずり込まれた時空ホール。今度は自分の意思で飛び込まねばならない。
 ビショップは数歩下がって深呼吸すると、助走をつけて一気に飛び込んだ。


 時空ホールの中を落下しながら目を閉じる。
 思い出が、経験値が、進化のエネルギーが、ほどけて時空のはざまに消えていく。
 身に纏った衣がはがされていくような感覚だ。
 急速に身体が縮む。
 あるべき姿に、あるべき場所に

 私も、還るのだ。


***



「起きて!!」

 聞きなれた声が呼び掛けてくる声で、ビショップは目を覚ました。

「あ、起きた!」

 いつもの部屋、いつもの場所、いつものルークの声。
 いつもと少し違うのはルークが自分を覗きこんでいること。

「よかった~。なかなか起きないから心配したんだよ。大丈夫?」
「うん。大丈夫。でも……」

 ビショップは胸に手を当てた。温かいものがじぃんと広がっている。

「……なんだろう。今、こうやって生きてるのがすごい幸せな気がする」
「どうしちゃったのさ。いきなりそんなこと言って」

 ルークは怪訝そうに顔をしかめたが、フッと表情を元に戻した。

「……でも、分かるな。ボクも今朝、起きた時、隣にビショップが居て『ああ良かった』って思ったんだ。今日はそんな日なのかも」

 それから、ルークはビショップに向かってニコリと笑って言った。

「今日も頑張ろうね!」

 全ての命は、別の命と出会い、何かを生み出す。
 それは、喜びや悲しみといった感情かもしれないし、困難に立ち向かう意思かもしれないし、新たな発見や知識かもしれない。

 ただ一つ、言えることがあるとするならば

 物語とは、命と命が出会うことだ。






Fin.


あとがき(外部サイト)
https://privatter.net/p/9506042

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