残香

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作者:雪椿
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読了時間目安:10分
あの香りが、わたしにとっての幸せだった。
 青々としていた山も今ではすっかり赤や黄色に染まり、秋らしい景色になってきた。そこで観光がてらやってきたのは、紅葉が綺麗なエンジュシティ。紅色の絨毯が敷き詰められた小道を歩きながら、わたしはもうすぐやってくるクリスマスに思いを馳せる。
 クリスマス。それは恋人と過ごす特別な日だ。とはいってもそういう認識があるのはジョウトや周辺の地方だけで、他の地方では家族が集まって過ごす日という認識らしい。わたしがそれを知ったのは今の彼ができてからで、それまではずっと平日扱いしていた。
「せっかくのクリスマスなのに、今まで誰とも一緒に過ごさなかったの?」
 疑問符たっぷりの顔で聞かれた時、思わずムーンフォースをぶつけそうになったのは記憶に新しい。これまで家族以外の異性と縁らしい縁がなかったわたしにとって、その疑問はタブーもタブーだったからだ。
 わたしの機嫌が悪くなったことに気付いた彼に事実を教えて貰わなければ、彼の縁はそこで終わっていたかもしれない。彼に感謝するとともに、地方の認識が世界の認識と思っていた過去のわたしを恥ずかしく思う。
 今は色々と勉強しているから、もうそんな過ちは犯さない……はず。言い切れないのは世界が広いのが原因だと思う。だって、地方が変われば認識なんていくらでも変わってしまうのだから。
 認識のアレコレが原因で、彼とここまで来るのにどれだけの波乱万丈が……って、今はそんなのどうでもいいか。大切なのはこれからやってくるクリスマスの準備だ。
 数日前、彼に「今年のクリスマスはパートナーポケモンを交換しよう」と言われた。お互いのポケモンに道具を持たせ、通信進化させることでより絆を深めるとか何とか言われた気がする。
 わたしのパートナーはシュシュプ。彼は旅行先でゲットしたポケモンだ。わたしが食べていたサブレの匂いにつられてやってきて、そこからポフレを与えてなかよくなった記憶がある。彼と出会ったのもそこなので、カロスはなかなか思い出深い場所だ。
 彼のパートナーはペロッパフ。ガレットを食べていた時に突然現れ、そこからいくつかの攻防戦を得てなかよくなったらしい。今も電話をしていると時折物音が聞こえるので、スイーツを巡る戦いは続いているだろう。
 スイーツの中でもケーキ系がお気に入りで、誕生日は更に戦いが激しくなるって言っていたっけ。特にチョコレートケーキが好きなんだと言われた時は、あまりの一致具合に一瞬わたしのことかと思ってしまった。
 お互いお菓子がきっかけでパートナーポケモンと出会ったのもあり、不思議な縁を感じていた。離れ離れになってしまうのは寂しいけれど、好きな人のところで新たな絆を育めたらいいと思っている。彼の片割れが傍にいれば、心の穴もそのうち埋まるはず。
 シュシュプの進化に必要な道具は匂い袋。少し遠出をすれば買えることは買えるけど、シュシュプが好きなものは手に入らない。施設でポイント引き換えするか、自作するしか道はない。
 どちらを選んでも長い道のりだけど、彼との絆のためならいくらでも頑張れる。だって、わたしは彼のことを愛しているのだから。
「よ~し、やるぞ!」
 青く澄んだ空へ拳を突き上げると、同調するようにシュシュプのボールがかたりと揺れる。

 ふわ、ふわり

 ボール越しに漂ってきた甘い香りが、優しく鼻腔をくすぐった。

*****

 準備を始めてから一か月。遂にこの日がやってきた。涼しさは寒さに進化を遂げ、季節はすっかり冬色に染まっている。わたしの住んでいるアサギシティにはツリーも雪もないけれど、「そういう日」だと思うだけで不思議と景色が輝いて見えた。
 待ち合わせ場所として選んだ灯台の下、ひりひりと痛む指先を擦りながら彼の訪れを待つ。待ち合わせの時間はとっくに過ぎているけれど、彼が来る気配はない。こちらに来る際、何かトラブルに巻き込まれたのだろうか。
 いや、何かあれば連絡の一つくらい来るはず。きっと慣れない地方で道に迷っているとか、お土産選びに夢中になっているとかそういうのなんだ。震えるのは寒さのせいで、そこに別の理由なんてない。不安なんて、感じていない。そう自分に言い聞かせる。
 シュシュプがこちらを心配そうに見ている。寒いのにボールの外にいると言って聞かなかった彼は、こうなることを知っていたのだろうか。これは違うから、大丈夫。そう微笑もうにも、寒さにやられた顔は嘘くさい笑みしか浮かべてくれない。

 ふわ、ふわり

 シュシュプから甘い香りが漂ってくる。いつも嗅いでいる香りは揺れる心に確かな安らぎをもたらしてくれた。気持ちが落ち着くと同時に、嘘くさい笑みがちょっとだけ本物に近づく。
「!」
 香りが目覚まし代わりになったのか、眠っていたスマホロトムが突然着信を知らせてきた。画面に表示された名前は、今まさに会いたいと思っていた彼のもので。
「も、もしもし!?」
 やっぱり何かあったんだ! そう思った瞬間、物凄い勢いで電話に出ていた。あまりの勢いに少し引いたような声が聞こえたけれど、彼の無事と比べればそんなのどうでもいい。焦って何度も噛みそうになりながら、何があったのか問いかける。
 彼は申し訳なさそうに、急な予定ができてそちらに行けなくなった。だけどポケモン交換はしておきたいので、これから交換しよう。そう言ってきた。
 わたしは彼に何事もなければそれでよかったのだけど、せっかくのクリスマスに思い出の一つもないのはあれだろう。彼と一緒に過ごせない寂しさは彼の片割れに埋めて貰おう。足りなければ弟も巻き込んでしまえばいい。そう思い、すぐに了承した。
 交換するにはシュシュプをボールに戻さないといけない。電話が来る前からボールに入るのを拒んでいた彼は、わたしがボールを向けると嫌そうな顔をする。大きな目は本当にそれでいいのかと訴えてくるようで、なかなか開閉ボタンを押す指に力が入らない。
 一瞬中止を提案しかけたけど、すぐに了承しておいてそれはない。言ったら彼からの信頼を失うかもしれない。信頼は築き上げるのには長い時間が必要だけど、壊れる時は驚くくらい一瞬で壊れるのだ。こんなところで彼と終わりを迎えたくない。
 自分の未練を断ち切るべく、無理やりボタンを押す。光線によって赤い光に姿を変える前、シュシュプの目が大きく開いたのがわかった。
「……ごめんなさい」
 謝罪の言葉が冷たい空気に溶けていく。シュシュプはボールから出ないまま、静かにわたしに絶望していた。もう、どんな言葉も彼には届かない。彼との絆を選んだ結果、わたしはシュシュプとの絆を失ってしまった。
 後悔したところでシュシュプからの信頼が戻ってくることはない。わたしがボールを押した時点で、結果は決まっていたも同然なのだから。
 クリスマスに不釣り合いな空気と甘い香りが漂う中、彼とのポケモン交換が始まった。

「――え?」

 そしてやってきたのは、道具も何も持っていない・・・・・・・・・・・ただのペロッパフだった。

*****

 彼はわたしを愛してなんかいなかった。彼の目的は最初からシュシュプ――フレフワンだったのだ。そう気付いた頃には既に電話もメールも繋がらなくて、手紙を送ろうにも住所がわからない。
 最初は色々と警戒して教えなかったとしても、付き合い始めてかなりの時間が経つ。それなのにわからない――教えて貰っていないということは、元々教える気がなかったということだ。
 何だ、こうなる予兆は既にあったのか。考えてみると彼との話はパートナーポケモンに関するものばかりで、わたしや彼自身に関する話題はほとんど出なかった。本当はシュシュプが欲しかったからわたしが羨ましい。そうも言っていた。
 考えれば考えるほど彼の目的はわたしじゃなかったことが浮き彫りになって、一体何に浮かれていたのかわからなくなる。恋は盲目だと言うけれど、その通りだ。わたしは彼に夢中になって、大切なことが何も見えていなかった。
 わたしが愛していた彼は幻だった。パートナーだったシュシュプも、もういない。彼から送られてきたペロッパフだけが、ぽかんとした顔でわたしを見つめていた。この顔を見る限り、彼女は自分の置かれている状況がわかっていないのだろう。
 わたしと同じで、彼に利用するだけ利用された。一方的な感情だとしても、彼女はわたしの仲間と言っても過言ではない。それはわかっている。わかって、いるのだけれど。 
「……ごめんなさい」
 消え入りそうな声で謝罪の言葉を零し、ペロッパフが入っていたボールを地面に叩きつける。固いアスファルトにぶつかったボールは簡単に壊れて、ぷつりとポケモンとの繋がりを消し去った。
 本能で自由になったことを悟ったペロッパフが、転がるように人混みの中に消えていく。わたあめのような体が完全に見えなくなるのと同時に、わたしは膝から崩れ落ちた。目の前はとっくの昔にぼやけきって、人や町がどんな表情をしているのかわからない。
 思い出した。わたしが今まで幸せを感じていたのは、傍にシュシュプがいたからだ。彼はわたしに合わせてよく甘いものを食べていたから、出す香りも甘かった。それがとても心地よくて、あの香りを嗅いでいる時が一番幸せだった。
 今はまだ残っている香りも人や風にかき乱され、じきに消えてなくなるだろう。甘く切ない香りに包まれながら、わたしは静かに涙を流し続けた。

「残香」 終わり

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