スイートベールは誰の手に

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作者:雪椿
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読了時間目安:16分
俺にとってこの日はずっと、ただの平日だった。
 今日は2月14日。俺にとってこの日はただの平日だが、世間ではバレンタインデーと呼ばれる日でもある。一説によるとジョウトやその近辺でチョコを贈り合うようになったのは、ここアサギシティが始まりなんだとか。
 もちろんこれは一説なので絶対にそうとは言えないが、そのせいかアサギシティではバレンタインデーに力を入れるところが多い。今もこうして外を歩いているとどこからか甘い香りが漂ってくる。
 一般的には幸せの象徴なのだろうが、俺にとっては不幸の象徴でしかない。元々そんなに甘いものが好きというわけでもないしな。うん。……負け惜しみじゃないぞ。
 何でこんな日に買い物に行かなければいけないのだか。自分で割ったお気に入りのカップくらい自分で買ってくれ、姉貴。心の中で呟くと、脳内の姉貴が笑顔で圧をかけてきたので慌てて想像を止める。
 気温もあって思わず震えあがると、緩んでいたマフラーを巻き直す。暖かさは増したが、寒気が消える気配はない。これは帰ったら脳内と同じ光景に遭遇するな。俺の第六感がそう告げている。
「ぺろっぱ!」
 寒気と戦いつつ目当ての店を探していると、観光客のポケモンだろうか。一匹のペロッパフが目をキラキラさせながらそこら中を歩き回っているのが見えた。道には少なくない人やポケモンがいるが、奇跡的にぶつかったり蹴られたりはしていない。
 何となくわたあめのような体が動き回るのを目で追いながら、ふと思い出した。以前甘いもの好きなポケモンが店に侵入し、チョコを盗んだり食い尽くしたりする事件があったらしい。多くの店が被害に遭い、その年のバレンタインは散々なものだったとか。
 それからセキュリティが大幅に強化されたようだから、それに関しては安心だが……。
「……」
 ちら、と周囲に視線を巡らせる。歩く人々の視線は基本的には進行方向を向いていて、店の合間を歩くポケモンに対する興味は欠片も見られない。あっても一瞬視線を向けるくらいだ。
 だが、一部の視線は確実にペロッパフの方を向いていた。微笑ましいものを見る目もあるが、中には未だに居座り続ける寒さに似た視線もある。
 気にしすぎかもしれないが、店の方向からも後者と同じ視線を感じる。近くの店のガラス越しにうっすらと見えた顔はペロッパフが近づくと僅かにこわばり、キラキラした視線から逃れるように姿を隠した。
 全員が全員店に侵入するわけじゃないんだから、その反応はちょっとオーバーなのでは。ペロッパフ自身は何もしていないのもあってそう思ってしまうが、店や商品を目当てに来た客にとっては決してオーバーではないのだろう。
 今はまだ何もないが、そのうち偶然を装ってペロッパフに何かあるのではないか。一度そう思ってしまったら道行く全ての人の行動が気になってしまう。一番の安全策はペロッパフをボールに戻すことだが……、トレーナーは何をしているのだろう。
 ここ、アサギシティに野生のペロッパフはいない。だからてっきり観光客のポケモンだと思っていたが、もしかすると何かしらの理由で野生化したポケモンなのかもしれない。ボールマーカーは目視では確認できないから、ありえないことではない。
 もしもペロッパフが野生化したポケモンだとすると、トレーナーの登場を待っているだけ時間の無駄だ。真相を確かめるためにも空のボールを取り出そうとしていると、後ろから来た人の足がペロッパフに当たったのが見えた。
 ぽかんとした顔のペロッパフが空中に高く舞い上がる。助けようとする人は……、俺の視界ではいるように見えない。

「危ない!」

 気付いた時には既に体が動いていた。人混みをかき分け、腕を伸ばし両手でペロッパフをキャッチする。それほど勢いを付けなかったため勢い余って地面に倒れ込む、なんて事態にはならなかったが代わりに店のガラスに顔をぶつけた。
 中にいた店員らしき女性とばっちり目が合ったのもあり、顔も心も痛い。ペロッパフは蹴られた時と変わらずぽかんとした顔で俺の腕の中に納まっている。声をかけてみるときょとんとした顔で俺を見て、「ぺろ?」と首を傾げた。
 反応を見る限り、ペロッパフは自分に何が起こったのか把握できていない。わざわざ教えるのもアレだからこのままでいいか、と思っているとすぐ近くでドアの開閉音が聞こえた。顔を向けると、そこには俺とペロッパフを見比べる女性の姿が。
 こうして見てみると、かなり可愛――何でもない。わざわざ出てきたところを見ると、ペロッパフはこの女性のポケモンだったのかもしれない。まさか「うちの店の前で何をしているのか」とは言われないはず。……言われないよな?
 相手が何も言わないため段々と不安になってきていると、ペロッパフがくんくんと香りを嗅いで目をキラキラと輝かせ始めた。視線は彼女が出てきた店の中に注がれている。……まずい、このままだとペロッパフが店に侵入し、いつかの事件が再発してしまう!
 慌てて腕の中の存在を強く抱きしめようとするも、時すでに遅し。俺の腕を抜け出してしゅたっと地面に着地したペロッパフは僅かに開いたドアの隙間から入り込み、甘い香り溢れる店内へと飛び込んでしまった。
「ぺ、ペロッパフ!」
 腕を伸ばすもガラスに阻まれ、届かせたい相手に届かない。わたあめのような体はルンルン気分で商品棚の周りをぐるぐる回っている。いつ中に入り込んで衝動のままにスイーツバイキングを始めるかわかったものじゃない。
 俺の手持ちではないと頭ではわかっているのに、顔が段々と青ざめていく。この反応はどう考えてもペロッパフのトレーナーがするものだ。事実は違えどトレーナーと認められてしまった場合、自覚が足りないと責められる。
 女性がトレーナーだった場合は何故青ざめているのか、とあらぬ罪を疑われる。事実を言ったところで言い訳にしか聞こえない。女性からの第一印象も最悪だ。どう転んでも救いがないとはこのことか。
 色々な意味でどうしようと思っていると、視界の端で何故か女性の顔も青ざめていくのがわかった。内心首を傾げていると、女性が慌てて店内に駆け込み恐るべきスピードでペロッパフを抱えた。
 ああ、そうだよな。商品が狙われているのをそのまま見ているわけがないよな。というより俺もガラス越しにじっと見ていないでそうすればよかった。何がガラスに阻まれ届かない、だ。すぐ横にドアがあっただろう。
 バカか? バカなのか俺は。いや、俺はバカだった。いつかのテストで俺が取った点数を見て姉貴が気絶していたな。それも三回くらい連続で。最後は白目を向いていたっけ。あの時はすまなかった、姉貴。
 感情が複雑に絡み合うがあまり変なところに思考を飛ばしていると、女性がペロッパフを抱えたままこちらに戻ってきた。てっきりボールに戻すと思っていたのだが、そうはしないらしい。ボールの調子が悪くて戻すに戻せないとか、そんな感じだろうか。
 今度は俺が女性とペロッパフを見比べていると、突然女性が頭を下げてきた。綺麗なうなじが見えたことといきなりすぎる行動に思わず固まると、下から心底申し訳なさそうな声が飛んでくる。

「ご、ごめんなさい! この辺りでは珍しいポケモンだとは思っていたけど、まさかトレーナーがいるとは思わなくて……。
 前にこの町で起きた事件を考えると本当はいけないことだとわかっていたんだけど、この子の顔を見たらついあげたくなっちゃって。だから、この子は悪くないの! 本当にごめんなさい!!」

「え?」

 思わぬところからの思わぬ謝罪にぽかん、とする俺と、

「へ?」

 俺の反応に顔を上げ、同じくぽかんとした顔をする女性。

「……ぺろ」
 互いに状況が掴めずじっと見つめ合う中、ペロッパフだけが不満そうにガラス越しの世界を見つめていた。

*****

 あの後周囲の冷たいような温かいような視線もあり、ここで立ち話をするのも……ということで店内に移動。持っている情報を交換した。
 それでわかったのは以下の三点。

・俺も女性もペロッパフのトレーナーではないこと
・女性が周囲には内緒でペロッパフにスイーツを与えていたこと
・店に来るようになったのは数か月ほど前からで、その間トレーナーらしき人物は一度も見ていないこと

 トレーナーがいるのなら一度くらいは姿を見てもおかしくはないから、やはりペロッパフは野生化したポケモンなのだろう。わざわざ別の地方に来てまで逃がすのはどうなんだと思うが、逃がした張本人がいないから何も言えない。
 その点については彼女も同じ気持ちだったようで、もし見つけたら全力でパイ投げ用のパイを顔面に投げつけると言っていた。パイ投げ用のパイって普段から持ち歩くものだっけ。しばらく考えたのは俺だけではないと思いたい。
 とにもかくにもこのままだと色々な意味で危ないということで、ペロッパフは女性――チハルさんの手持ちになった。最初は内緒でスイーツを与えていた自分がゲットするのは……と俺に譲ろうとしたが、ペロッパフが嫌がったのでダメだった。
 俺の時とは違いすんなりとボールに入ったペロッパフを涙目で見ていると、今度は別の意味で申し訳なさそうな声が聞こえた。やめてくれ、今のタイミングでの声かけは逆に傷が悪化する。
 俺の心はとっくの昔にレッドゾーンを飛び越えてひんし状態だ。人間にも使える回復薬はどこですか。
 それにしても、さっきの鋼か毒タイプのポケモンにでも遭ったのかというような嫌がり方。あの嫌がり方からして、このペロッパフはメスだ。生まれてから今日までずっと、家族以外の異性という異性に縁がない俺だからこそ断言できる。
 というか、

「ポケモン相手にもモテないのかよ!!」

 心からの叫びが空を切り裂いた時、今まで無言を貫いていたスマホロトムがケタケタと着信を知らせてきた。
「……あ」
 電話の相手は姉貴。そうだ、カップ買うの忘れていた。俺が家を出てからどのくらい時間が経ったのか覚えていないが、姉貴が電話をかけてくるくらいだ。決して短い時間ではないのだろう。今から全力で探して帰れば何とかなるか?
 いや、電話が来た時点でダメか。無駄に時間を消費して更なる怒りを呼び寄せるより、さっさと出て少しでも怒りを鎮めた方がいい。暖かな店内のはずなのにがくがく震える指先で応答ボタンをタップすると、静かな怒りが鼓膜を凍らせた。
 それほど強い言葉も厳しい言葉も使っているわけではないのに、言葉が心にグサグサ刺さって来る。震える体を抱きしめつつ、すぐに買って帰ることを伝えた。通話が終わる直前、こちらが聞き取れない音量でぼそりと何か言ったのが怖い。一体何を言ったのだろう。
「た、大変なんですね……?」
 第三者も聞き取れる音量だったのか、チハルさんが同情の視線と声を投げかけてくる。新たな涙の膜が張った目で答えを返すと、ぼんやりとした商品棚が視界に入った。ああ、そうだ。ひらめきと共に、脳内でぴこんと電球が光る。
 俺とは違って姉貴は大の甘いもの好きだったはず。なら、ここで詫びの品を買えば少しは機嫌もよくなるのでは? ちょうど今日はバレンタインデー。姉貴の好きなチョコレートケーキは多めにあるはず。
 涙目で注文するのは少し、いやかなり恰好が悪い。涙目の時点で既に恰好悪いという声は聞こえない。袖でさっと涙を拭い、声をかける。
「すみません、チョコレートケーキ一つ下さい」
 姉貴のご機嫌取りしたいので。そう付け加えると、チハルさんはなるほどといった表情をした。そして手渡された袋片手に俺は近くの店で割れたのと同じカップを買い、駆け足で家に戻ったのだった。
 ちなみにチョコレートケーキの効果により、ひんし状態だった心は半分近くまで回復した。全快まで行かなかったのは、それだけ心の傷が深かったのだと思って頂きたい。

*****

「いらっしゃいませ!」
 色々な意味で記憶に残ったバレンタインから二日後。俺は再びチハルさんの店を訪れていた。あの時は店員の一人だと思っていたが、話によると彼女はここの店長でもあったらしい。言われてみれば、彼女以外の店員を見た記憶がない。
 姉貴からの評判も上々で、またチョコレートケーキを食べたいと言われたのでやってきた。拒否権はあるにはあったが、無言の圧力の前には紙クズ同然だった。チョコレートケーキを注文していると、商品棚の後ろからペロッパフが歩いてくる。
 俺が来る直前に彼女からスイーツを貰ったのか、口の周りには大量のクリームが付いていた。俺のところに来たのは運がよければお零れが貰えると思ったからだろう。ケーキはやらんぞと視線で牽制していると、商品を詰め終わったチハルさんが声をかけてくる。
 ペロッパフから視線を外して袋を受け取り、店を出る。まだまだ寒さは和らがないが、これからゆっくりと暖かくなっていくのだろう。
 何となく長い息を吐いた後、リュックに入れておいたホイップポップを取り出す。ケーキの礼にと姉貴から押し付……贈られたものだ。何もしないでリュックに入れていいのかとも思ったが、世の中にはパイ投げ用のパイを持ち歩く人もいるのだからセーフだろう。
 しかし、俺はあまり甘いものが好きではないし、ペロッパフが手持ちというわけでもない。姉貴は一体どういうつもりでこれを贈ったのだか。
「……」
 いや、本当はどういうつもりで贈ったのかわかる。これを渡されたのはケーキを渡した次の日。戻るのが遅くなった理由を一から十まで話した翌日だ。絶対何かしらの期待か勘違いをしている。
 残念ながら俺はチハルさんに一目惚れしたわけでも何でもない。ペロッパフを通して出会っただけの店長と客。それだけの関係だ。
 姉貴には悪いがこれは甘いもの好きな友達にあげることにしよう。友達の性別? 縁がない故に異性の友達もできず、全員が全員同性ですが何か。……俺は一体誰に喧嘩を売っているんだ。
 虚しさを覚えつつスマホロトム片手に友達の連絡先を探していると、ふと脳裏にチハルさんの顔が浮かんだ。俺には必要のないものだが、チハルさんには必要かもしれない。ペロッパフさえよければ進化させたいと言っていたし。
 待て、それじゃ姉貴の思うツボだ。勝手に決めつけて行動するよりはマシだが、姉貴の思惑通りになるのは何か嫌だ。かといって友達にあげるのは色々複雑だし、ホイップポップをそのままにしておくのもダメな気がする。これって消費期限とか賞味期限ないの?
 あ~、わからん。俺の頭では考えに考えても数秒が限界だ。興味がないからそれ関連の情報を右から左に聞き流していたし。スマホロトムで調べてもペロッパフに与えると進化することしか出てないし。詰んだ。
 どうしようと頭を悩ませながら足を動かす。こんな調子ではすぐに結論は出そうにないし、出すつもりもない。これは結論を急いではいけない問題だ。長年連れ添った俺の勘がそう告げている。
 こうなったのは全部バレンタインデーのせいだ。脳内で文句を言いながら、自然と口の端が上がっていくのがわかる。この笑みの理由を俺はまだ知らない。知らないことにしておきたい。
 だって、俺とチハルさんはペロッパフを通して出会った客と店長でしかないのだから。彼女もきっと、俺のことをただの客としてしか見ていない。色々大変そうな客だと思われている可能性なら十分あるが、それで満足していたらダメなんだ。
 家族以外の異性に縁という縁のない俺のことだ。結果は既に見えているも同然だが、少しくらい頑張っても罰は当たらないだろう?
 どうやら、これからのバレンタインデーは今までとは少し意味の違うものになりそうだ。家に着く前にこの笑みをどうするか考えながら、俺は帰りを急いだ。

「スイートベールは君の手に」 終わり

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