Lunarmare

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作者:きとら
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読了時間目安:15分
「あんたって子は、人前に出るなって何度言ったら分かるの!」
 かつて夢幻ポケモン一番の淑女と名高かったラティアスとて、まったく親の言うことを聞こうとしない娘を前にすると、頭からツノを生やして雷を落とす鬼婆と化すのである。
 海に囲まれた島、水の都と謳われる『アルトマーレ』に隠された、ここ『秘密の庭園』から穏やかな日々が失われて久しく、その渦中にはいつも小さなラティアスがいた。満月が彼方の海にくっきりと映るほど凪いだ夜に生まれた彼女は、その海のごとくお淑やかで美しく育つことを祈って、『ルーナメア』と名付けられたのだが、4歳を迎えた彼女の言動たるや、風のない日でも嵐を起こすほどのやんちゃ者であった。
 ルーナメアは「いーっ」と返した。
「いやじゃ、いやじゃ! どうしてわしらがコソコソかくれにゃならんのじゃ!」
「いいこと? 島の護神である私たちは、神聖な存在として人間と一線を引かなければならないの。人間が作った翻訳機でお話ができるようになった今でも、一族の役目は変わらない。そもそも人間と関われば、また大いなる悲劇が起きてしまうのよ」
「そんなことしらん! わしはわしのやりたいようにやるんじゃ!」
 ピューッと勝手に飛び去ろうとするルーナメアの首根っこを、母親ラティアスの『サイコキネシス』が掴んだ。
「ぐえっ」
「どこにも行かせないわよ、ルーナメア。今日という今日は堪忍袋の尾が切れました。罰として『秘密の庭園』を掃除しなさい。私が良いと言うまで続けること!」
「いやじゃ、オニババ」
「日暮れまでに庭園をキレイにしないと夕飯は抜きですからね!」
「おに! ちくしょう!」
 ジタバタと抜け出そうと暴れても、成竜と子竜では力の差が明白だ。どうにも抜けられないと悟るや、ルーナメアはすっかりふて腐れて観念した。

 夢幻ポケモンの一族と言っても、数は多く世界中に散らばっている。血の繋がりもある程度は見ながら、それだけを重視するのではなく、アルトマーレを守護する任に従事したいと思えば、ラティオスとラティアスなら誰でも秘密の庭園に棲まうことができた。
 ルーナメアの両親は、かつて島を『大いなる悲劇』が襲った後、まっさきに大陸本土から海を渡って任を引き受けた。彼らはいわゆる保守派と呼ばれ、遠い先祖の意思を継いで終身に渡ってこの島を護り続けることを誓うとともに、自分たちの娘にも後継を託そうと決めていた。
 父も母も、口癖のように言っていた。
 我々には伝統を守り通す義務がある。この島を護ることで、かつて先祖が受けた大恩を島に返し、そして島の繁栄を見守ることで、代々先祖たちの託した想いに報いるのだ、と。それを聞く度に、ルーナメアは「うえっ」と舌を出していた。
 先祖と言われてもピンと来ない。そんな誰とも知らないような奴らのために、どうしてこんな狭い庭に閉じ込められなければならないのか。庭園に落ちている枯れ葉をちまちまと拾いながら、ふと空を見上げると、ちょうど流線型の飛行艦艇が島の上を通り過ぎていった。みるみる小さくなって、空の彼方に消えていく。以前「あれはなに?」と、人間にして夢幻ポケモンの守人である『カノン婆』に聞いてみると、「新しい世界に漕ぎ出す、とても大きなゴンドラなのよ」と答えた。

「気になる?」
 そよ風の声が、優しくカーテンのようにルーナメアを撫でた。
 それは母と同じラティアスなのに、深い橙の穏やかな瞳を携え、そばにいるだけでやんちゃ者のルーナメアも大人しくなるほど警戒心が抜けてしまう。彼女には何でも話せたものだ。ニンゲンの子供たちを相手に大立ち回りをしたことなんか、母に知られれば雷鳴が轟くほど怒り散らすというのに、彼女は玉を転がすように可愛らしく笑うものだから、思わずルーナメアも見惚れて照れてしまうのだった。
「わしにもツバサがあるのに、なんでアレのほうがたかくとべるんじゃろうか……」
「本当ねえ、どうしてあんなに高く遠くまで飛べるんだろう」ラティアスはルーナメアと揃って空を見上げて、不思議そうに首を傾けた。「知ってる? あれは世界の境界を超えて、まったく別の世界にまで飛んでいけるんですって。ポケモン語の翻訳機に、世界を超える船、人間って次々と面白いものを作るのね」
「へえ……ニンゲンって、ええのう……」
 彼らだけが見れる景色を、いつか自分も見てみたい。そう思ったが、ルーナメアは口に出さなかった。言ったところで叶わぬ夢だ。
 寂しげな横顔を見つめて、ラティアスは尋ねた。
「行ってみたい?」
「うん」
「じゃあ行こうよ」
「でも、かあさまがおこるからのう……」
「……それもそうね」
 今度は彼女の曇った横顔を、ルーナメアが見つめた。
 幼いなりに、しまった、と頭を抱えた。
 両親が今のように厳しくなったのは、『大いなる悲劇』が起きてからのことだった。人間が島の宝玉『心の雫』を盗み、古代の治水装置を悪用した。愚行の代償は高くついた。雫は砕け、制御を失った海が大津波と化し、死の大顎がアルトマーレを呑み込もうとしていた。当時の護神、ラティオスとラティアスは文字通り命を賭して大津波を治めることに成功したが、ラティオスが負った傷は深く、天に昇る光となって新たな『心の雫』の礎となってしまった。
 それは彼女の兄であった。
 人間と関われば、いつかまたラティオスのように犠牲者が出る。ならば今まで通り、いや今まで以上に、人間と安易に関わってはならない。
 頑なになっていく両親のことを、ラティアスやルーナメアには止めることができなかった。

 ラティアスはふわりと舞って、兄の眠る泉の台座を覗き込んだ。ルーナメアもそれに続いた。台座に溢れた水の中には、淡い輝きを帯びたきれいな宝玉が沈んでいた。
 それを見つめるラティアスの顔は、いつ見ても奇妙に思えた。悲しくもあり、嬉しくもあり、楽しくもあり、寂しくもある。それを雫が写し取っているのか、同じ顔をしているように見えて、ますます不思議になった。
「兄さんも私も、武芸の才はあまり伸びなくてね。よくお父さんに稽古をつけてもらっていたんだけど、私は痛いのが嫌で、稽古の時間になると人間に化けて、街に隠れてたのよ」ラティアスは懐かしむように目を細めて語った。「戦う訓練より、人間や街のポケモンと遊ぶ方がずっと楽しかった。兄さんはあんまり良い顔をしなかったけど、渋々でも一緒に来てくれたのが嬉しかったなぁ」
「あとでおこられんかったのか……?」
「お父さんに? もちろんこっぴどく叱られたよ、それも毎日ね。だけど兄さんが言ったの。アルトマーレの文化を見て、聞いて、触れることこそ、護神の在り方を考えるために必要なんだ、って。そう、兄さんはいつも私のそばにいて、私の味方でいてくれた」
 わずかに声が震えていた。
「……あねさん?」
 ルーナメアは小さな手で、ラティアスの手を引いた。
 あの事件から何十年と過ぎた。とうに涙は枯れて、積もりに積もった自責の念もすっかり融けたはずだった。それでもなお残る後悔を、せめて雫の前では表に出すまいと懸命に堪える。
 私がちゃんと稽古を受けていれば。あのとき、兄さんと共に敵を返り討つことができていれば。もっと早く兄さんのもとへ駆けつけていれば。弱った兄さんに代わり、街を救えるほどの力があれば。
 澄んだ雫を見るうちに、黒い雪が心の底に溜まっていく。
 だが、ラティアスは凜々しい面持ちを決して崩しはしなかった。そういう自分の弱い面も含めて受け入れ、前に進むと誓ったのだ。
 そして今、悲劇のせいで次の世代が苦しんでいる。人間たちは新たなステージに進んでいる。共に翼を広げて飛び立ちたいと夢見る子供を、ここに縛りつけていい理由なんてないはずだから。
「ルーナメアちゃん、行こう! 空に!」
「おわあっ」
 叫ぶ子供の手を引いて、ラティアスは庭園から高く高く飛び立った。街を一望できるほど、そしてやがては丸みを帯びた水平線が見渡せるほど。凍てつく大気をものともせず、やがて星空の海に届くと、遙か彼方に浮かぶ巨大な宇宙ステーションが見えてきた。
 そこは無数の小型艇が地表とを行き交い、太陽の光を浴びて白銀に煌めく大きな艦艇が停まっていた。

 ルーナメアは息をすることも忘れていた。初めてこれほど高く飛んだことや、極寒の成層圏で凍えることも、今まさに感じている衝撃に比べれば屁でもない。
 それは地球という文明の最先端であった。人類とポケモンが互いに協力し、知見を磨いた集大成が、あの船に詰まっているのだ。
 そこに行くのは無理だと、諦めていた。諦めていたから、日々なにかに苛ついていた。せいぜい両親を悩ませるのが唯一の楽しみだった日々は、この瞬間、終わりを迎えた。
 なんて簡単なことだったんだ。もう少し手を伸ばせば、天空の船にも手が届くではないか!
「……あねさん」
「ん?」
「わし、あねさんがすきじゃ。あねさんとおると、なんか、ホッとするんじゃ」
「……なんだか照れちゃうな」
「じゃからな、あねさん……どうしよう。わし、あねさんともっとずっといっしょにいたいのに、あそこにいきたくてたまらんのじゃ……!」
 ああ、この子は良い子だな。ラティアスは優しく微笑んだ。自分のことと同じように、私のことも大事に想ってくれている。なんか思い出しちゃうな、兄さんと、あの『男の子』のことを。
 だからこそ、送り出さなきゃならない。
「ありがとう」
 だからこそ、私は誰かの錨になったりしない。私が護りたいアルトマーレは、誰かを縛りつける箱庭じゃない。この子の翼はきっと、空を、世界を翔るためにある!
「……凍ってるよ、翼」
「へ?」
 言われて、ルーナメアは自分の翼に振り向いた。パキパキと音を立てて凍りついている。動かそうとすると、ヒビ割れるような嫌な音が鳴るではないか。
「ぎゃあああ、しぬー!! なんであねさんはへいきなんじゃ!?」
「大きくなれば平気になるよ。そろそろ戻ろうか」
「さ、さんせいじゃあ……」
 今になってガタガタ震えながら、ルーナメアはしきりに頷いた。

 時間にしてたった数分の出来事であったが、その衝撃は対流圏より降りてなお続いていた。星空はだんだんと青く、艦艇もじきに見えなくなった。それでも脳裏に焼きついた姿は拭いようがなく、しだいに大きくなっていく島の景色に重なって鮮明に浮かんでいた。
 同時に、護神という任にも興味がかすかに湧いてきた。両親や先祖のためでもなく、街のためや、伝統を守るためでもない。姉のように導いてくれたラティアスの安寧を、その笑顔を護りたい。そのためなら、抱いた夢も手放せる。
 そんな想いが通じてしまったのだろう。チラリと振り向いたラティアスの目は、少しだけ険しく尖っていた。
「ねえ、ルーナメア。ひとつだけ約束してくれる?」
「……な、なんじゃ?」
「いずれあなたは道を選ぶ時が来る。そのときは、私を理由にして道を決めないで。慕ってくれるのは嬉しいの、本当よ。だからこそ、あなたには自分の心に従って欲しい」
「でも……そしたら、だれがあねさんをまもるんじゃ?」
「忘れたの? 私は護神の現当主なのよ、まだまだひよっこに護られる私じゃない。だから、いいこと? あなたはちゃんと正直に生きなさい。その背中は私が護ってあげるから」
 見慣れたはずのラティアスの背中。それが今ほど途方もなく大きく見えたことはなかった。見せようとしていなかったのだ。見ようとしていなかっただけかもしれない。
 かつて大いなる悲劇で兄を失った妹の姿はもういない。この手を引いてアルトマーレに凱旋する彼女は、紛れもなく水の都の護神そのものであった。


 *


「艦長はどうなさるおつもりですか?」
 問われて、赤毛の女艦長ことルーナメアは、通路を歩きながら微妙な顔で男に返した。
「地球に着いたら、第一宇宙基地に行く予定じゃ。ミオ提督からの誘いで、新型航界艦の性能評価を手伝う。仕様書を見たが凄いもんじゃぞ、自動航行に特化しておってな、最悪ひとりで艦を動かすこともできるらしい」
「呆れた、たまの休暇にやることがそれですか」同じ蒼い制服の男は肩をすくめて言った。「いい加減、会いに行ったらどうなんです?」
「……会って何を話すというんじゃ」
「今まであったこと全部話せばいいじゃないですか。ネタには事欠きませんよ。艦を仲間と勘違いしてひっついてきたテッカグヤとか、ダークライに艦を乗っ取られそうになった事件とか」
 頑として首を縦に振らないルーナメアに、男はすっかり呆れて「なにを純粋な生娘みたいに」と悪態を吐いた。こうやってけしかけようとするのも彼なりの思いやりだと分かっていたが、いずれ仕返しに彼宛ての任務をたくさん引き受けてやろうと思った。
 ふと、窓の外に目を向けると、地球の端が見えてきた。なんの因果か、アルトマーレの島がぽつんと浮かんでいるのが見えてしまった。

 必死に勉強をして、訓練を積んで、地球連合艦隊に入隊した。その後も慌ただしい毎日の連続だった。艦隊初のラティアスというだけで、周りからは色眼鏡で見られてしまう。それが嫌で、ルーナメアはラティアスの姿をやめて、普段から、寝るときでさえ、人間の姿で過ごすようになった。それが何十年と続いて、功績が認められ、階級章に線が増えていく(地位が上がる)につれて、自分がラティアスの顔をしていることを時々忘れそうになるほどだった。
 そんな自分が、忙しさを理由に長年連絡を絶っていた相手に、どんな顔をして会いにいけばいいというのか。そもそも両親には既に勘当を言い渡されているのだ、秘密の庭園に入れば怒号と共に追い出されるのが目に見えている。彼女の前でそんな醜態は晒したくなかった。
「……分かってはおるんじゃがのう」
 ルーナメアは心底ため息を吐いて肩を落とした。
 今はまだ無理だ、時期じゃない。そんな言い訳を繰り返して、第一基地へと足を運んだ。
 成長した彼女が再び恩師に会う日は、また別の物語の話である……。
(未公開作品)に続く…

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