pyron 不明瞭なシルエット

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ここはなんの変哲もない田舎の島で、生きていくために俺は漁師をして暮らしていた。
今日は舟休めの日で、特別することもないため家で釣り竿を調整していた。
手作業の音だけ響くもの静かな部屋に、ドタドタと木造建築ならではの響きがする。
「とうちゃん、浜にほえっこがあがっとう!」
憎たらしくもかわいい息子(マキヒコっちゅうんだ)が狭い我が家を駆け、息を切らして飛び込んできた。
もうすぐ高校を卒業して街に行くのだと、方言を抑える練習をしていたのにこれだ。よほど興奮していたのだろう。

おう、とだけ応えて立ち上がる。ほえっこはホエルコのことだが、浜に打ち上げられることはそれほど特別なことではない。
だが俺たちの浜では初めての事であることは違いない。わかったような顔をしながら、俺も少し興奮しながら息子の後を追った。

 浜に着くと俺が舟の乗舟員のアキと、同業者のリツキ(俺はリっちゃんと呼んでいる)が既に来ていた。
ミャア、ミャア
五匹ほどのキャモメの群れが取り囲み、興味を示した数匹が不用心にクチバシで感触を確かめていた。
それらを手で追い払いながら、本件のやつと面する。
ホエ……と、それは弱々しく鳴いた。間違いなくホエルコで、それも幼い個体だった。
ホエルコは元来陸地でも跳ねることができて、これくらいなら自力でも戻れる距離に思える。だが、恐らく弱ったタイミングで波にさらわれてしまったのだろう。
……あるいは寝ている間に流され、そのまま寝過ごして今に至ったかだ。

とにかくこのままではよろしくないので、海に帰すことにした。幸い、成長も未だ進んでいないので重たくはないらしい。
マキヒコとアキに指示を出し、適当な布を持ってこさせてはそれでホエルコを転がす。やつは成すがままコロリ、コロリと身体を転がされる。
ザブッと波を弾かせ身体を潮に浮かすと、次第にヤツの口角が上がっていき、わかりやすく機嫌がよくなっていく。
ヤツは俺たちに身を寄せながら、ホエーっ!と鳴いた。もちろん意味はわからない。ただ喜んでいることはわかる。
甘えたような声を出すので、リっちゃんが持ってきた朝市の売れ残りをやると、さらに上機嫌になり、身体から溢れた喜びで跳ねる勢いだった。
もう流されるなよ!なんて言いながら海へ押し返す。大食いな種族だからかどこか物足りなそうに、ヤツはこちらを見ながら海へと帰っていった。

また会えるかな?なんて息子は言うが、ヤツらは主に海の深いところを生きる命だ。狙って会えるものじゃないが、無理だと言い切る必要もない。俺は会えたらいいな、とだけ答えた。

 それから数か月経った夏の日、その日も俺は漁に出ていた。
天気予報は特別気に掛ける内容でもなかった、海もいつも通りの揺れ具合だった。
俺はアキと釣り漁をしていたんだが、予想に反して海は急に荒れ始めた。
前兆もなく、空模様の変化もない、実に不可解な大波が俺たちの舟を襲う。
誰が見ても異常だ。舟体が斜めになるほど揺れているのに、それを納得させるだけの風も感じない。
ベテランというほどでもないが、舟の運転には自信があったほうだ。しかし波に合わせた航行がまるでできない……。風もなければ波も不規則で、状況を把握する手がかりらしいものはなかったんだ。
アキが何か叫んでいるが、俺はそれどころじゃない。不測の事態と想像外の事態にパニックになっていた。
これは明らかな災害で、とてもじゃないが生きて帰れるとは思えなかった。

ドンッという強い音とともに、波とは違う感覚で舟体が揺れる。しまった、岩礁か?
「船長!ホエルコ!」
ホエルコ?何を……。素っ頓狂なことをいうもんだから、気が抜けたように舵から手を放して舟体の外を見る。
そこには誰よりも必死に舟に寄り添う、いつかのか弱い姿を思わせないホエルコが舟を支えていた。
小さな身体で、大きな舟を懸命に支えていた。俺は半ばあきらめていたというのに。
冗談じゃない、ここで終わってたまるか。ホエルコは波だって、舟のスクリューだって怖かったはずだ。それでも俺たちの顔を見て手を貸してくれたんだ、俺が怯えてどうする!
そう気合いを入れ直して再び舵を取る。宛てはないが、波とヤツを信じるしかない。

 ……どれくらい経っただろうか。月が昇って落ちるまでか?
何時間も波に揺られ、方向もほとんどわかってない。息絶え絶えに辿り着いたところだ。
とにかく波と戦い続けた。アキはずっと船酔いで吐いていたが。
船着き場に着ければよかったが叶わず、島の反対側の浜辺に漂着した。
みなクタクタで、なんとかたどり着いた浜辺に各々が倒れこむ。誰も限界だった。
ホエルコはまた浜で身を横たえる。あの時と違って、俺に笑顔を向けながら。
不思議と、自分から口を開いていた。
「お前、俺たちの島に住めよ」
ヤツは驚いていた。やっぱり俺たちの言葉がわかってたんだろうな。
それでもすぐに微笑みに変わり、身を寄せてくる。
その巨躯に恐れはない、大きな家族が増えるだけなのだから。

 それから幾星霜、いろいろあった。
俺の息子は高校を出てから、早々に嫁を連れてきては孫をこさえていた。もうあっという間に俺がおじいちゃんなんて呼ばれるもんだから、どんな顔をしたらいいかわからなかった。
ただ孫を愛してやりたいとだけ思うばかりだ。
そんな中、ヤツはなんだかんだ自由を望んでか自分でエサをとり、休む時はしっかり港で島中の人間に可愛がられて過ごしていた。
時には喧嘩した日もあったけど、可愛いもので夜には港に眠る舟のそばで身を浮かせたりなんかしていた。
触れ合う内に、(子どもたちを気にしてか)しばらくはかわらずのいしなんて持っていたが、気づけば勝手に進化していた。
でもそれでいいんだ。俺たちはお互い縛られる関係じゃない。

大きくなってもヤツは子どもみたいな心をしている。昔と比べ物にならない巨きな身体を持って、地元の子どもたちを乗せたり、いつも戯れている。
時折訪れる観光客にもヤツは惜しみない愛想を振りまいた。身体だけでなく、心まで広いヤツだった。

島の人々はヤツをいつまでも愛し、ヤツもいつまでも人間を愛していた。


いつまでも、いつまでも。

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