蒼桜の彼方

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作者:雪椿
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読了時間目安:37分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

蒼い桜が舞う世界で、私は君と再会した。
※本編にはブルーな場面、残酷な場面があります。苦手な方は注意して下さい。


 桜舞う季節。満月の日、夜桜公園に植えられている「願いの桜」の花びらを持って寝ると、夢の中蒼い桜が舞い散る場所で蒼いミュウと出会える――。

 講義室でそんな噂を聞いた私は、すぐに行動することにした。すぐにと言っても今は講義室の中。実際に行動するのはしばらく後になるだろう。逆にこれだけのために早退できる気がしない。罪悪感と相応の代償に押しつぶされてから、窓から吹く風に乗って飛ばされてしまう。
 行動しようとは思ったものの、こういう噂は大抵面白おかしさ優先で考えられた根拠もないものが多いことはわかっている。本当のこともあるかもしれないが、それはそれだ。仮に実行したとしても別の夢を見るか、仮に見ても噂の影響が出ただけだろう。……あ、後者だとある意味では噂通りになった、と考えるべきだろうか。まあ、それはどうでもいい。
 とりあえず、噂なんてそんなものだ。だというのに、その噂を信じて行動してみようと思うのには理由がある。別に私は伝説や幻のポケモンに会ってどうこうしたい訳じゃない。ただ、蒼い桜と蒼いミュウという単語で思うところがあった。それだけだ。
 幸いにも今日がその満月の日。夜桜公園は学校の帰り道で十分寄れるから、わざわざ遠回りする必要もない。さすがに花びらをそのまま持って寝るのはアレだから、押し花にして栞でも作ろう。読書をするのは好きだから、栞はいくらあっても困らない。むしろ最近の電子書籍ブームは少しどうかと思う。時代の流れもあるから別にそれを否定するわけじゃないが、紙だからこその良さというものもあるんじゃないかと思う。
 ついでだから、花びらを持ち帰る前にコンビニで新しい小説でも買って来るとしよう。そう決めると、私はこれでもかというくらい眠気を誘う講義と戦うことにした。ちなみにこの段階で起きているのはもう私だけだった。……確かに実は教師がポケモンで、催眠術でも使っているのかと思うくらいには眠い。それを入れたとしても、私以外寝ているというのはそれはそれでどうなのだろう。皆余裕がある、ということだろうか。

*****

 最後の講義が終わってからさっさとコンビニに寄ったものの、私の興味を引くような小説はなかった。というよりも、買ったことのあるタイトルばかりだった。本好きのあまり新しいのが出る度に買いあさっていたことが、こんなところで裏目に出るとは……。いや、だからといって害はないのだが。
 そうだとしても、新たな本を買えなかったことはショックだった。その影響でやや肩を落としながら歩いていると、すれ違った子どもが空を見て「スターミーだ!」と叫んだ。空にスターミーはいない。確かに宇宙からやってきたとの説はあるが、こんなまだ夕方にもなっていない空にいるはずがない。そもそも飛べるのだろうか。
 疑いと期待を胸に空を見上げてみると、そこにはスターミーに見えなくもない雲が浮かんでいた。なるほど、さっきの子どもはこれを見て叫んでいたのか。私が見てもただ変わった形をしているな、としか考えられなかっただろう。子どもの想像力、恐るべし。
 こんなことを考え、ふと私は私がとっくに子どもの思考ではなくなっていることに気が付く。大人の階段を登って来たと思えば嬉しいものの、子どもらしい柔軟な発想を忘れてきた証拠と思うと寂しい部分もある。もう少ししたら完全に大人の思考になってしまい、岩タイプのような固い考えしかできなくなるのだろうか……。
 考えを巡らせれば巡らせるほど何だか悲しくなってくるが、今は感傷に浸っている場合じゃない。噂にある蒼いミュウと出会うためにも、夜桜公園に行かなくては。

 時間を無駄にするものかと早足で向かったせいか、少しばかり荒い息で目的地へと辿り着いた。公園にある桜は多いが、噂にあった「願いの桜」は一本しかない。他の桜は満開だというのに一本だけ咲いていない。だから、どれが目的のものかはすぐにわかる。咲いていない理由は単純に品種が違うから、らしい。
 ちなみにどうしてその桜が「願いの桜」と呼ばれているかというと、他の桜は一重咲きで淡いピンクなのにその桜だけ八重咲で薄黄色だからだ。その珍しさからいつからか月の明るい夜に行くと願いが叶うという噂が生まれ、「願いの桜」と言われるようになったらしい。
 と、ここで私はある重大な事実に気が付いた。「願いの桜」はまだ咲いていない。だというのに、その花びらが必要な噂が流れているのだ。これは明らかに矛盾している。矛盾に気が付くと、すぐに行動した私が馬鹿らしく思えてくる。やはり噂は噂だった、ということだろう。きっと蒼い桜と蒼いミュウも作り話で、作り主は矛盾を無視して流したに違いない。
 そう自分を納得させて帰ろうとした時、ふとどうして蒼い桜と蒼いミュウなのだろうと思った。桜は今の季節にぴったりなものの、わざわざミュウと結びつける必要はない。それを、蒼で固定する必要もだ。春らしい噂を流したかったのなら、普通の桜とミュウで十分だったはず。噂のきっかけを作った本人は一体どういう思いで流したのだろう。
 気にはなるものの、こういう噂は出処を探したところで見つかるとは思えない。さっさと帰って読み返したい小説を読もう。さっと頭を切り替えて足を踏み出すと、小さくカサリという音が聞こえた。茂みにコラッタでもいるのだろうか。もし襲い掛かってきたら大変だ。校内にポケモンを連れて来てはいけない、という謎の決まりから相棒のチェリムは家でニンフィアと一緒にお留守番状態だ。これではチェリム自慢の日本晴れソーラービームをお見舞いできない。
 こういう時に限ってスプレーやピッピ人形は持っていない。というより普段から持ち歩いていない。最悪自分の力でどうにかするしか……いや、相棒を出さずに野生のポケモンに勝利するってどんなトレーナーだ。もう相棒いらないだろう、それ。非公式でジム巡りできるぞ。
 脳内でそんなセルフツッコミをしている間にも時は過ぎているが、コラッタと予想した音の原因はいつまで経っても出てくる気配がない。おかしいな、と首を傾げつつ音が聞こえた方に目を向けてみると、そこには小さく平ぺったい何かが落ちていた。なるほど、これが落ちた音だったのか。ちょうど風が吹いているから、それに乗って飛んできたのだろう。
 何だろうと持ち上げてみると、それはちょうど「願いの桜」の花びらを押し花にしたと思われるラミネートの栞だった。
「……?」
 気のせいでなければ、私はこれは見た覚えがある。というより使った覚えがある。私が数年前に「彼」から貰い、そのまま愛用していたものだ。どうしてこれがここに。悪戯好きなポケモンが入り込んで盗んできたのだろうか。仮にそうだとしても、ここで落とすなんてタイミングが良すぎる気もするが。空を見てもそれらしき影は見えない。
 ポケモンの正体は気になるが、この栞があるのなら新たな花びらを持ってくる必要はなかったということになる。もしかすると、目覚めるまで矛盾に気が付かずにいられたかもしれない。そう思うと自分の記憶力を恨めしく思うが、既に起こったことを恨んでも仕方がない。
 溜息を吐きつつジーンズのポケットに突っ込むと、私は今度こそ家に帰ることにした。

*****

 そこは蒼い桜が咲く湖の畔だった。桜と湖、私の立つ地面の場所はまるで切り取られたような漆黒が広がり、先に何があるか予想することができない。風が吹くでもなくひらりはらりと蒼が舞い、水面に落ちては静かにいくつもの波紋を広げていく。私は桜のすぐ傍に立ち、ただそれを見ていた。
「……」
 音もなく繰り広げられるそれはまるで意図されたショーのようで、私は思わず息を飲む。最近やっと手に入れたスマホ(残念ながらロトムは入っていない)があれば写真を撮ったというのに、今の私は何も持っていなかった。一体どこに置いてきたのだろう、と首を傾げたところで、気が付いた。

 私は、こんなところに来ていない。

 そもそも、私は家に帰ってから一度も外に出ていなかった。記憶の一番新しいところで覚えているのは、何もしないでテレビを見ていたら夜になったのでベッドで寝たことだけ。窓はしっかりと閉めたし、もし何かが侵入したら番ポケと化したチェリムとニンフィアが黙っていない。いつもと変わったことをした覚えは……、あった。
 寝る前、スタンドの横にあの栞を置いていたのだ。噂を確かめる必要は皆無に近いほどなくなっていたものの、まだ噂が完全に嘘ではないかもしれない、と思う自分がいてやってしまった。まさか、本当に見られるとは。噂を広げた人も私と同じように花びらを押し花か栞にでもしていたのだろうか。
 私は今まで明晰夢というものを見たことがなかったが、こういうのが明晰夢というのか。確かに夢だと言われれば納得するくらい、幻想的な風景だ。本当に写真が撮れないのが残念でならない。最も、写真を撮れたとしても現実に持ち帰ることは不可能に近いとは思うが。
 ……さて、噂の蒼い桜を見られたのはいい。だが、噂のもう一つの主役、蒼いミュウがどこにもいない。これでは本当の意味で噂通りになったとは言えない。仮にこれが私の未練が生み出した夢であるのなら、ここには間違いなくミュウがいるだろう。いないとなると偶然と産物となるが、タイミングの良さとクオリティを考えるとそうとも考えにくい。
 と、頭の中で色々と考えをこねくり回していてもミュウが現れるわけじゃない。夢ならそう思えば現れる気もするが、そうしたら何かに負けたという考えが頭をよぎるのでできない。こうなったら夢から醒めてもう一度寝るべきか。ちゃんと同じ夢を見られるかどうかは別としても、噂の二つが揃わない場所でずっと花見をしているよりはマシだ。……花見をするのは嫌いじゃない。一人で見るのが寂しいだけだ。
 一度起きるにしても、普通の夢ではないから少しやり方がわからない。起き方にやり方も何もない、と言われればそれまでだが、自然に起きるのを待っていてはそれこそずっと一人でお花見状態だろう。
「……頬でもつねってみるか?」
 いや待て、それは夢かどうかを確かめる方法だ。既に夢だと知っている状態でやっても意味がないだろう。そもそも痛覚が機能していないであろう点で既にダメだ。やってもただの愉快な人になってしまう。他の方法を考えないといけない。
「う~む……」
「何を悩んでいるの?」
「いや、どうやって目覚めようかと考えていてな。それにしても、君の声は随分と私の知り合いに――って、うわぁ!?」
 物凄く自然に話しかけられたからそのまま答えてしまったが、首を動かした結果視界に入ってきたものを見て私は驚きから思わず尻餅をついてしまった。なぜなら、そこにはあれほどいないいないと思っていた蒼いミュウがいたからだ。ミュウは私の驚きようを見ておかしそうにクスクス笑っている。
 ……人だと思い込んで動いた結果、視界にミュウのどアップが映り込んだら誰でも驚くだろう、普通。口許でぶつぶつと言いながら立ち上がると、ミュウはその長い尻尾をゆらりと揺らす。
「あ、ごめんごめん。大げさなリアクションをするミコトを見るのが久しぶりで、つい」
 口ではごめんと言いながらもクスクス笑うのを止められないミュウを見て、私は笑われたことで生まれた感情よりも先に驚きを覚えた。会ったのがたった今なのだから、ミュウが私の名前を知っているはずがない。この空間で一人自己紹介という寂しい芸を披露した覚えがないことを踏まえると、これはおかしい。いくら私の夢だとしても、想定外すぎる。
 それに今の声。私の知っている限り、あの声で私のことを名前、しかも呼び捨てにするのは彼しかいない。そんな、まさかと信じられない気持ちを抱えながらも、思わず彼の名前を口にしていた。

「君は……カナタ、なのか?」

 私の問いに、ミュウは嬉しそうにコクリと頷く。その反応はまさにあのカナタを思わせるもので、ふと懐かしさがよぎった。しかしそれと同時に現実も脳裏をよぎり、懐かしさが一気に悲しみへと塗り替えられる。気が付くと、私は先ほど全く同じ気持ちを抱えた状態で言葉を吐き出していた。

「いや、それでも信じられない。君は、カナタは――」

 数年前の今頃、死んだはずなんだ。

*****

 カナタはいわゆるお隣さんで幼馴染、というありふれた関係だった。少し経ってからは唯一無二の親友とも言える大切な存在になっていた。私も彼もポケモンバトルは好まなかった、というよりも上手くなかったため、相棒ができても一緒に散歩をしたり遊んだりしてばかりだった。
 ちなみに私の相棒は当時はまだチェリンボだったチェリム。カナタの相棒はイーブイだった。私は苗字の影響か桜が好きだったから選んだ。カナタも苗字の影響か青が好きだったから、てっきりシャワーズにでも進化させるのかと思っていた。しかし、予想は外れてニンフィアだった。イーブイが色違いなら疑問にもならなかったが、通常色だったからかなり驚いたものだ。理由は秘密としか言ってくれなかったので、今も理由は知らない。
 それから私達は偶然にも同じところを進み、共通の友達こそ作らなかったものの十分青い春を満喫していた。だが、ある時からカナタの生活に歪みが生じ始める。あれは確か、イーブイがニンフィアに進化してからだった。
 始まりは机の落書きだった。それから机に花を置かれる、何かのイベントで仲間はずれにされる、陰口を囁かれる、モンスターボールを隠される、ネットへ事実とは反する大量の書き込みをされる……。それ以外にも、カナタは口に出すのも吐き気がするようないじめを受けていた。
 幼稚なものが多かったのは事実だが、いくらか年齢を重ねている分、質が悪い。きっかけは、カナタの相棒がニンフィアになったから、というつまらない理由だった。ニンフィアは女性が相棒にするポケモンだろう、などという馬鹿げた意見が通るのだったら、私はどうなるというんだ。私の相棒も女性に合いそうなチェリムで名前も入れると格好の的だぞ、おい。
 ……いや、あいつらにとってきっかけなどどうでもいいのだ。クラスの中で一番いじめやすそうなのがカナタだった。それだけの理由だ。私はもちろんカナタを庇った。すぐに仕返しとして、チェリムの日本晴れソーラービームコンボを首謀者達へと喰らわせた。過激かもしれなかったが、カナタが負った傷を思えば妥当と言える仕返しだと思う。
 そうしたら案の定というか何というか、先生達は私を徹底的に悪者扱いし、こちらが親と共に謝りに行く事態になった。その時に出た金額も金額だったことから親にもこっぴどく叱られ、怒鳴られ、チェリムを野生に返される可能性まで出たくらいだ。確か、それからこの地域では校内でのポケモン携帯を禁止する条例ができた気がする。
 問題児のレッテルを貼られた私がいくらカナタのいじめを訴えても、先生達はクラスの表面的な意見を見るだけに留めた。仮に勇気を出してアンケートに書かれた真実があったとしても、ことごとく無視されただろう。カナタが泣きながら言っていたのだから間違いない。学校での味方は私だけと考えても過言ではない状況だった。
 レッテルのお陰もあってか私が見ている時は何もないようだったから、私達はなるべく一緒にいるようにした。だが、その頃すっかり私の行動を信じられなくなっていた両親が、反省も含めて登校するのをしばらく控えるよう言ってきたのだ。もちろん何を言われたところで行くつもりだったのだが、父の相棒だったスリーパーの催眠術を使って物理的に止めてきた。あれは一種の軟禁だった。
 そうして親が私を軟禁している間、カナタは遺書を残してアパートの屋上から飛び降りた。高さも高さだったことと、頭の打ちどころが悪かったことからほとんど即死だったらしい。私は軟禁が終わってからこの事実を聞かされ、酷く憤慨した。親友を亡くした悲しみに襲われ、ただ涙を流していた。
 カナタが死んでも学校はいじめの事実を認めず、カナタの両親の行動もあって今年やっと事実を認めた。色々と見直すと言っているが、本当にそうなるかはわからない。いじめの首謀者達についても言われていたが、ちゃんと相応の罰が与えられたかどうか怪しいところだった。
 私はそれからすぐに独り暮らしを始めた。とはいっても本格的に独り暮らしを始めたのはここ最近で、それまでは学校とポケモンセンターを往復していた。ずっと宿としてだけ使うのも申し訳ないので、長期の休みに入ったら形だけのジム巡りをしたりポケモンバトルをしたりしていた。
 家を出た理由は両親にある。カナタのいじめに関する事実を知っても尚、私にも原因があったのではと言ってくる二人とこれ以上一緒に暮らせる気がしなかったのだ。代わりに共に暮らすことにしたのは相棒のチェリムと、カナタの相棒だったニンフィア。葬儀の後、感情の整理がつかずこのまま世話を続けられる気がしない、というカナタの両親に預けられたのだ。
 ニンフィアは最初カナタがいないことを悲しみ、いつかの思い出に浸っていたのか、なかなかボールから出ようとしなかった。イーブイだった頃から知っていたので、いきなり主となった私を怖がらなかっただけマシだったのかもしれない。知らない間に用意していたフードが減っていたのもありがたかった。これで後を追われたりしたら、私はもうどうしていいかわからなかったかもしれない。
 しばらくしたらボールから出るようになったものの、その目には常に悲しみが満ちていた。今はチェリムと共に不法侵入者を追い払い、エリートトレーナーを倒せるほど逞しくなった。私は鍛えた覚えがないので、チェリム達独自の方法で実力をつけたのだろう。バトルを好まない、上手くないこちらとしては助かるが、負けた相手からどうやって鍛えたのか聞かれた時がやや困る。
 ニンフィアはあの頃よりもずっと強くなった。だが、目に満ちる悲しみは何も変わっていない。きっとその悲しみは、私とチェリムがいくら努力しても消えることはないのだろう。消えるとすれば、ニンフィアを大切な相棒として可愛がっていた彼と再会した時に違いない。
 あれから何度か季節が廻り、また桜の花が舞う季節、カナタの命日が近づいてきていた。チェリム達にも、もう少ししたら墓参りしに行こう、と言っていたのだ。だから、だから――。

「この場に君がいるなんて、あり得ない!」

 仮に今いるのが夢だからと考えても、おかしい。私が無意識にカナタとの再会を望んでいたのなら、噂に沿ってミュウという形ではなく人のまま出てくるはずだ。誓ってもカナタをミュウだと思ったことはないし、これからも思わないだろう。ここは私が見ている夢のはずなのに、私からすると考えられない出来事が多発しすぎている。もしや、ここは現実でもあるのか? いや、それだと尚更この場所とカナタの説明がつかない――。
 考えすぎで技を発動しているコダックの表情をしていると思われる私に、ミュウことカナタはふわりと体を近づける。
「いや、十分あり得るよ。ここは蒼の夢。僕とミコトの意識、魂が繋がった特別な空間。僕の願いが反映された場所なんだから」
「蒼の夢?」
「うん。ちゃんとした名前は知らないから、僕が勝手にそう呼んでいるだけなんだけどね。心残りが原因でこの世に留まり続けていた僕に、神様が用意してくれた特別な空間なんだ。だから半分夢で、半分現実と思ってくれればわかりやすいと思う」
 カナタの言葉になるほど、といくつかの疑問が氷解した。そのようなファンタジーな空間が実在するかどうか、通常であれば疑うがこの状況を見れば疑いようがない。彼の言葉は事実なのだろう。半分現実であれば、噂の片方がいなかったり私の予想を裏切る展開になってりしてもおかしくない。
「ここが不思議な空間であることは君の言葉で大体わかった。だが、そのお陰で新たに浮上した疑問もある。君の心残りとは何だ? 神様とは誰のことだ?」
 最期が最期だ。考えれば考えるほどカナタの心残りとなるようなことは思い当たるが、神が誰かわからない。カナタの状態を考えると、伝説か幻のポケモンなのだろうか? そうだとしても、どうしてカナタをミュウにする必要があったのだろう。それこそカナタの願いが反映されている、と考えるべきか? カナタは蒼いミュウになりたかったのか?
「僕の心残りは、ミコトと一緒に蒼い桜を見ることだよ。大切な約束、だったから。神様は……、ごめん。声しか聞こえなかったから僕もわからない」
 驚くことに、カナタの心残りは私と眼前に咲く蒼の桜を見ることだった。神の正体がわからないのは残念だが、神と名乗るのだからそうそう簡単に正体を明かしてはくれないのだろう。存在だけ知っているのもモヤモヤするから、目覚めたら図書館などで調べてみるのもいいかもしれない。きっと、いい勉強になる。
 ……ちょっと待て。今私は勝手に目の前の問題が全て終わったかのように考えていたが、まだ消化できていないものがあるじゃないか。約束。現実にはあると思えない、蒼い桜を見るという約束。それが果たせなかったことが心残りで、カナタはこの世に留まり続けていた。
 思い当たるものは、一つしかない。そもそも、私が噂を確かめてみよう、と思ってみた原因がこれを思い出したからだ。私はかつて、カナタとそのような約束をした。とはいっても、まだ互いの相棒とも出会っていないような幼い頃だ。あの頃から私は本を読むことが好きで、本に書いてあったことをそのまま信じるような純粋な子どもだった。
 カナタとの約束もその延長線にあるもので、題名は忘れたが蒼い桜と蒼いミュウが出てくるものだった。その挿絵がとても綺麗で幻想的で、いつか行きたいと思うようになっていた。
 そして、その光景が本当にあると信じてしまっていた私は、カナタと約束したのだ。「いつかこの二つを一緒に見よう」と。蒼い桜はどこで咲いているのだろうと考える私に向かって、カナタは真剣な顔で「ミュウなんてめったにみられないから、ぼくがそのミュウになるよ!」と言った。ああ、そうか。だから今彼はミュウとなっているのか。
 ……あんな約束、絶対に叶うはずないじゃないか。そのせいでカナタが留まり続けたのだと思うと、胸が苦しくなってくる。あの約束をすっかり頭の端に追いやっていた自分が腹立たしくなってくる。……親友だったのにカナタを助けられなかったことが、悔しくて悲しくて堪らなくなっている。
「……すまなかった」
 顔は自然と地面を向き、蒼は隠れてしまった。これではカナタの心残りが果たせない。いや、逆に果たさない方がいいのかもしれない。ずっとカナタと会っていたいから、とかではない。心残りをあえて果たさなければカナタは私を恨むだろう。恨んでくれれば、私は償い続けることができる。過ちを時間と共に忘れずに済む。
「ミコト」
 カナタの声が落ちると共に、さらさらしたものが頬に触れた。ミュウ特有の長い尻尾だ。顔を上げると、そこにはミュウのどアップが。さすがに二度目なので尻餅をつくことはなかったが、驚いて二、三歩後ずさりをしてしまった。カナタは目に悲しみを湛えながら言葉を紡ぐ。
「ミコト。自分を責めないで。ミコトは悪くない。悪いのは僕だったんだ。ずっと頼りっぱなしで、少しの間ミコトがいなくなったら絶望して勝手に死んじゃった僕の弱さが悪いんだ。約束も半分は僕の勝手のようなものだから、気にしなくていいんだよ」
「違う! 私はカナタを助けたいと思ったのに、結局悪い方向にしかいけなかった。私が感情に任せて行動していなければ、君を絶望させないで済んだ。約束も虚実を現実と受け取っていた私に責任がある。悪いのはカナタではなく、この私なんだ……」
 どちらも自分が悪いと主張し、相手は悪くないと叫ぶ。私達は何回も同じ主張と謝罪を繰り返した後、「あれはもう過去の出来事で、どちらにもどうにもできなかった」という結果に落ち着いた。セレビィが目の前にいるのならどうにかできるかもしれないが、変えてしまったら今の私達はいない。それに、変えられても必ずいい結果に終わるとは限らないだろう。

*****

 桜の蒼は光が当たっているわけでもないのにうっすらと輝きながら宙を舞い、ゆらりはらりと踊っては水面に浮かんでいく。波紋は静かに広がり、完全に消える前にまた別の波紋が広がっていく。これだけ浮かんでいるというのに、一向に花いかだが見られないのは水の流れがないからか。これでは花絨毯だな。
 しかし、水の流れがないのに水面が完全に花で埋もれないというのは不思議だ。散る花の量を考えれば、見える範囲のほとんどが花まみれになっていても変ではないというのに。これも空間が影響しているのだろうか。

『…………』

 あの時から抱えてきた暗い思いをすっかり吐き出してしまった私とカナタは、何を語るでもなくしばらくぼうっと桜を見ていた。ふと、一度は浮かんだものの完全に忘れかけていた疑問が頭をよぎる。
「そういえば、噂はどうやって流したんだ? 私が偶然栞を拾わなかったら、君は一生夢に出てこられなかった気がするんだが」
「ああ、言っていなかったね。僕はこの空間がある時限定で、現実にも干渉することができたんだ。つまり、この姿でだけど外に出られたというわけ。でもこの姿は目立ちすぎるから、少し工夫したけどね」
「工夫?」
「ミュウが『変身』を使えるのは知っているよね? それを利用したんだ。ミコトがどこに通っていたかは魂だった時に知ったから、あとは学生に変身してこんな噂を聞いたって言えばいいだけ。その時だけの相手の顔なんて覚えていないだろうから、怪しまれることはなかったよ」
 ……少し気になるワードが飛び出したが、心残りを思えば様子を見ていても変ではないだろう。それについては追及することなく、違う疑問をぶつける。
「なぜわざわざ噂という形にした? しかも、キーアイテムが必要な形にして。そんなことをしなくても、直接私に言えばそれで済むじゃないか。あと、伝える段階で必要な花びらの矛盾には気が付かなかったのか?」
「神様は舞台は用意してくれたけど、鍵もかけていてね。あの公園の花びらを近く置いた状態で寝ないと、この夢を見られないようにされていたんだよ。……それに、直接事実を言ってもミコト、信じてくれないでしょ?」
「……う」
 確かに、突然知らない人に言われても信じていなかっただろう。噂という形で耳にしたからこそ、確かめてみようという気持ちになった部分はある。
「それに、僕が伝えた噂は普通の桜の花びらを持って寝るとそういう夢を見る、というものだよ。いつの間にか内容が少し変わっちゃたみたいだね。ミコトは真面目だから矛盾に気が付いたら諦めると思って、姿を消した状態で慌てて部屋から栞を持ってきたのはいい思い出だよ」
 ……明らかに犯罪の匂いがする文が出たが、彼は故人で今はポケモンと同じ存在だった。気にしたら負けだ。カナタがアポを取らずにあがることなどよくあったじゃないか。あれと同じと考えればそれほど気にはならない。今はいちいち気にしていてはダメだ。
 そう自分に言い聞かせると、本当に気にならないようになってきた。暗示はこういう状況でも効くものなんだな、と感動に近いものを覚える。これからは脳内で処理しきれないと思ったら、こういう暗示に頼るのもいいかもしれない。キャパシティーオーバーで耳から白煙が出るかもしれない、と思う状態になるよりはずっといい。
 再び無言で桜を眺める。相変わらず枝は風もないのに揺れ、蒼を舞わせる役を買って出ている。風もないのに揺れる木など普通に考えればホラーかオーロットかと思うが、場所の影響もあってかホラーな印象は受けない。どちらかというと、どこか儚げで悲しみを帯びているような印象を受ける。
「――あ」
 突然、カナタが何かを思い出したように声をあげた。忘れていただけで、実はまだ心残りがあったのか――? 構える私をよそに、カナタが続きを紡ぐ。
「ねえ、ミコトは桜の花――この場合は普通のやつ、がどうしてあの色をしているのか知っている?」
「詳しくは知らないから、今度調べてみよう。……いや、違うな。君が言いたいのは、もしかしてあの話か? 言葉を聞くと何やら物騒な、あの」
「そう。それ。僕はこの桜にも当てはまるんじゃないかと思っているんだ。最も、この場合は僕の魂だろうけど」
「……魂?」
 死体よりはマシかもしれないが、それはそれで物騒だなと思う。もしそれが当てはまるのなら、今もカナタは文字通り魂を削ってこの場にいる、ということになってしまうじゃないか。砂時計の砂が目の前で減っているのを見て楽しめるほどの覚悟は、私にはない。目を逸らし、ないものとしてしまうだろう。
 カナタはどうなのだろうか。ミュウになっているからか明らかな表情の変化はわからないが、楽しんでいる、笑っているのは雰囲気や動きからわかる。既に故人だから、どうってことないのだろうか。……いや、違うな。魂を削る。それはつまり「消滅」を意味するのだろう。意識が、存在が完全に消えるのをそんな簡単に受け流せるとは思えない。
 もしや、とカナタを見ると、タイミングを計ったかのように声が聞こえてきた。
「ミコト。神様のお陰もあったとはいえ、どうして僕が今になって突然こんなことをしようとしたのか、わかる? 未練を持った魂はずっとこの世にいてはいけないんだ。だから、いつまではいてもいいと期限が設けられる。僕の場合はそれが今年、この季節が終わる頃だったんだ」
「……期限を過ぎると、どうなるんだ?」
「神様から聞いた話によると、そのまま消滅するか悪霊となるか、ゴーストタイプに変化することが多いみたい。僕は神様にこんな場所まで用意して貰ったから、期限関係なしに事が終わったら消えちゃうかもしれないけど」
 あはは、とカナタは笑う。……やめてくれ。消えてしまうだなんてそんな悲しいこと、笑いながら言わないでくれ。もしこの場所がカナタの消滅を近づけるのなら、もう見なくていい。夢から醒めていい。既に心残りは果たしたのだから、穏やかな気持ちで旅立って欲しい。……頼むから、消えないでくれ。
 言葉は次々と込み上げてくるのに、喉に詰まったように口から出てこない。ただカナタと桜を交互に見つめ、時間を費やすことしかできない。そんな私に向かって、カナタが長い尻尾をゆらりと揺らすのが見えた。

「ミコト。僕は笑って言ったけど、恐らくミコトが思うよりもずっと悲しいし、悔しい気持ちを抱いている。もっとやりたいことも叶えたい夢もあった。それでも、もう過去のことなんだ。死者が生者を引き留め続けてはいけないんだ。もしミコトが消滅を望まないのなら、僕は逆に消滅を望む。消えるのは怖いけど、僕がミコトを過去に縛り続けるのならそれも仕方がないと思う」

 何で。続かない言葉が零れ落ちる。カナタは私の中から自分が消えてもいいというのか。二度目の死を迎えたいというのか。違う。カナタは忘れて欲しいとは言っていない。縛られて欲しくないと言っているんだ。だが、ニンフィアのこともあるのにどうやって前に進めばいい? 答えを探す視線の先で、蒼が舞い踊る。気のせいか、先ほどよりも舞う量が多い。
「ああ、少し贅沢をしすぎたみたいだね。ミコトとの時間も終わりが近いみたいだ」
「……待って、くれ。私はどうやって前に進めばいい。今までは進めていると思っていた。だが、こうして再びカナタと会って、それが揺らいできたんだ。ニンフィアも前に進めていない。私はどうすればいいんだ」
 少しでも終わりの伸ばそうとして、掠れた声で質問をぶつける。事実、私は進んでいるようで進めていなかった。新しい本を買っても読めずに積んでおくだけ。将来を考えているようで、ただ無駄に時間を費やしている。ニンフィアとの仲も、預かるまでに築いたものをそのまま引き継いでいるだけだ。
 どうすれば、いいんだ。そう尋ねるように見つめると、カナタは軽く首を二、三回横に振ってから目を細める。その反応は、拒絶。答える気がないということだ。私はただ、透明な雫を落とす。

「――さようなら、ミコト」

 その直後、宙を舞う蒼がまるで吹雪のように視界を覆い始め――、



「カナタ!」
 見えなくなった親友に向かって手を伸ばすと、そこは天井になっていた。カーテンから差し込む朝日が眩しい。どうやら、夢から醒めたようだ。大声を聞いて心配したらしいチェリムとニンフィアがベッドに上がり、視界に入ってくる。……心配してくれるのは嬉しいが、二匹分ともなるとなかなか重い。正直どいて欲しい。
「……答えは私が知っている、か。ああ、そうだよ。私はとっくに知っていたんだ」
 チェリムとニンフィアを撫でながら言葉を落とす。二匹が不思議そうな顔をしてこちらを見ているが、状況を考えれば当たり前だろう。これは、別れ際カナタに言われたことに対する呟きなのだから。あんなこと、カナタに聞くまでもない。本当はもうとっくに知っていた、頭の中ではわかっていたのに、現実を認めたくなくて聞いてしまったんだ。
 今になって思うと、あの場所でのカナタの発言は私の考えを読んだかのようなものが多かった。もう確かめようがないが、それも場所の影響だったのだろうか。または、エスパータイプになっていたからこその業、なのかもしれない。
「もっと話したいことがあったのだがな」
 未練がましく呟いてみるが、これでは過去に縛られないどころか縛っているも同然だ。……彼はあれほどの舞台を用意して貰ったからどのみち消滅すると言っていたが、私は無事向こうに行けたと思いたい。そうしないと、私もそちらに行った時に思い出を語り合えないだろう?
「……痛い」
 考えている間もずっと撫でていたからか、しつこいとニンフィアに噛まれてしまった。幸いにも本気は出していないようだったが、痛いものは痛い。すまないと謝ると、ニンフィアは一鳴きしてからチェリムと一緒に降りた。その顔は「わかればよろしい」と言っているように思える。
 このまま寝ているとまた登られそうなので、よっと体を起こす。カーテンの隙間から覗く景色が目に入った時、私もきちんと縛りから解放されなければという思いが浮き上がる。
「チェリム、ニンフィア。これから花見にでも行かないか?」
 ちょうどいいことに、今日は休みだ。二匹は再び不思議そうな顔をしたものの、揃って嬉しそうに声をあげた。

*****

 どこからか柔らかな風が吹く。その風に吹かれて枝が小さく揺れ、桜の花が控えめに踊る。私達がいるのは桜がよく見える場所。カナタの墓の前だった。私はカナタが好きだった青い蔓日々草を花立に入れる。手を合わせ、静かに目を閉じる。チェリム達も同じことをしているのか、聞こえるのは風の音だけだ。
 数秒間目を閉じた後、そっと開く。そこにはミュウのどアップがあるわけもなく、閉じる前と同じ光景が広がっているだけだ。桜の花びらが舞い踊り、墓の上に降りていく。軽くそれらを払うと、チェリム達に声をかけた。チェリムではなくニンフィアが「もういいの?」と言うように私の顔を見る。
「ああ、いいんだ」
 そう短く返すと、ニンフィアは少しの間私の顔と後ろを交互に見る。そして何かがわかったかのように小さく鳴いた。それが不思議でじっと見ていると、ニンフィアの目がもう悲しみに満ちていないことに気が付いた。もしやと試しに振り返ったが、何もいない。……それはそうか。恐らく、ニンフィアは状況を見て理解したのだろう。
 振り返ったついでに再び墓と向き合う。いや、ついでではないな。これが私にとって、一番の目的なのだから。私はこれから自分を過去の縛りから解放する言葉を、前に進むための言葉を呟く。……何だかんだで一度も口にしていなかったからな。このタイミングがちょうどいいのだろう。

「――さようなら、カナタ」

 それに答えるかのように、桜の花が一段を高く舞い上がった。その花弁が一瞬蒼に見え瞬きした後、気のせいかと背中を向ける。大丈夫、別れは過去へのものだ。永遠の別れを告げるものじゃない。その気になれば、いつでもここに来ることができる。無言で顔を見つめる二匹に向かって、私はなるべく明るい声を出す。
「しんみりとした花見はこれでお終いだ。夜桜公園で賑やかな花見をしようか」
 待ってましたとばかりに、チェリムとニンフィアが元気な声を出した。

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