人殺し

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作者:円山翔
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読了時間目安:25分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 年中雪と氷に閉ざされた世界に、私たちは生きていました。
 多くの生き物にとって、生きるのには向かない場所でした。酷い時には一寸先さえ見えないほどの吹雪になり、日が差してもそれほど体感温度は上がらないうえ、雪崩が起こることもあります。言うまでもなく寒い場所なので、ここに生きる者たちのほとんどは、よく鍛えられた肉体を持つか、しっかりと毛皮や羽毛や脂肪を纏っているか、鋼や氷の体を持っているかのどれかでした。
 そして、人間はこれらの特徴を持ち合わせていない稀有な生き物でした。
 中には鍛えている者や脂肪を蓄えた者もいますが、大抵は私たちよりもずっと華奢で、そのくせ素肌を隠す長い毛皮も持たないというのですから。その代わりに、人間は遠くから来た人たちが持ってきた服なるものを着たり、私たちを狩って得た毛皮を纏ったりして寒さを凌いでいました。狩る狩られるは自然の摂理。私たちが日常的に行っていることですから、恨むことはしても文句は言えません。私たちにとっても、逆に私たちに狩られうる人間にとっても同じことでした。
 多くの人間は、自ら戦う力をそれほど持ちません。代わりに、木や石や植物の蔓などを用いて、私たちの爪や牙の代わりとなるようなものを作って戦いました。私たちが狩りをするように獲物を追い込んだり、罠に掛けたり。人間にとって直接的に力でねじ伏せることが敵わない相手ばかりだからか、人間の戦い方は私たちには狡猾に映りました。人間にとっては、私たちも同じようなものなのかもしれません。
 私も一度、罠にかかったことがありました。森を歩いていると、急に後ろ脚に何かが絡んで引っ張り上げられたのです。私の口からぎゃっ、と悲鳴が洩れました。脚には植物の蔓が絡んでいました。もがけばもがくほど、蔓は脚に食い込みました。
 と、どこからか雪を踏みしめる足音が聞こえました。
 心臓がばくばくと弾みました。相手が誰であれ、その時の私は逆さ吊りになった恰好の的でした。
 やってきたのは人間の男でした。
「おや、恨み狐ゾロアが掛かっとる」
 淡々とした声でした。人間は腰の鞘から小刀を抜いて、私の方へ近づいてきました。
「暴れるなよ。今、楽にしてやる」
 殺される。刃物の鈍い輝きに、本能的に体が震えました。
 男は刃物を私には向けませんでした。私の前脚を肩に乗せるようにして抱え、後ろ脚に絡んだ蔓に刃を立てました。

 次の瞬間、男の首から真っ赤な血が噴き出しました。

 男はすとんと膝を突いて倒れ、私はまた宙吊りの状態になりました。中途半端に切れていた蔓が割け、私は頭から雪に突っ込みました。
 何が起こったのか、私にはわかりませんでした。別の誰かが、ものすごい速さで男だけに襲い掛かったのでしょうか。だとすれば、なぜ私は襲われなかったのでしょうか。私の親は既に他界しています。親以外に親しい者がいたわけでもありません。一体誰が助けてくれたのでしょう。わからずじまいでしたが、私にとっては些細な問題でした。生き延びられたことが一番重要でした。 
 私は雪から顔を出し、倒れた男の側へ駆け寄りました。口の近くに顔を近づけても、何も感じません。もう息をしていませんでした。裂けた首元から流れ出る血が、周りの雪を少しだけ溶かしていました。
 しばらくして、別の人間たちがやってきました。私は茂みに隠れて、人間たちが騒ぎながら男の亡骸を運んでいくのを覗いていました。人間たちの足音が聞こえなくなったところで、私は茂みを出ました。道にはしっかりと足跡が残っています。あの男はどうなるのだろう。気になった私は、その足跡を追って歩き始めました。
 辿り着いたのは、人間たちが暮らす村でした。その外れに集まった人間たちが、木を平たく削ったもので地面を掘っていました。ある程度の深さまで掘ったところで、男の亡骸を丁寧に置き、上から土をかぶせました。そして、目を伏せて手を合わせました。なぜそんなことをするのかはわかりませんが、誰もが寂しそうな顔をしています。しばらく手を合わせた後、人間たちは一人、また一人と去っていきました。
 最後に一人、男の子が残っていました。目つきや顔立ちが、死んだ男にそっくりでした。その子だけは、何が起こったのかわからないと言った表情で、男の亡骸を埋めた場所を見つめ続けていました。きっと、男が死んだことを理解できていないのでしょう。

 数年の時を経て、私は大きくなりました。二足歩行ができるようになり、体の大きさも力もぐっと増えました。体重も随分重くなってしまったのが難点ですが、元々素早い種族であるためか、森や雪原を駆けまわるのに不自由はありませんでした。

 そしてあの男の子もまた、大人に成長していました。

 彼はおかしな人間でした。
 彼は私たちの住む森を何度も訪れ、長い木の棒で雪道を突きながら歩いていました。たまにガチンと音がして、棒の先に何かが噛みつきました。ギザギザの歯だけを持つ、生き物ではない黒い何か。いつだったか、別の人間たちが雪の下に隠していったものでした。それが何かはわからずとも、私たちを捕えたり、傷つけたりするものだということだけは知っていました。それに噛まれた生き物を目にしたことがあったためです。一度噛みつかれたら最後、叩きつけようが噛みつこうが放しません。当然ですが噛まれた場所からは血が出ますし、運が悪いとちぎれてしまうことさえありました。噛みつかれた者たちは失血や衰弱により死んでしまうこともありました。生きていても、それを置いていった人間に連れていかれるか、損傷を抱えたまま生きることを余儀なくされるかのどちらかでした。この地に住まう多くの生き物たちが、彼らを脅かす黒い何かと、それを仕掛けた人間を憎んでいました。
 この森にやってくる人間と言えば、あの黒い歯を置いていく人間か、私たちを狩りに来た人間くらいです。その中で、彼だけは罠を仕掛けることも、狩りをすることもしませんでした。幾度となくこの場所にやってきては、私たちを襲う黒い何かを取って帰っていきました。

 ある日のこと。私が運よく鷲の子ワシボンを仕留め、森を歩いていた時のことでした。
 がちんと音がして、私は思わず苦悶の声を上げました。
 私の脚を、黒い歯ががっちりと挟んでいました。いつもならこんな罠に掛かることはないのですが、久々の獲物にありつけたことで気が緩んでいたようでした。
 どこからか雪を踏みしめる足音が聞こえてきました。人間のそれだと分かった私は、咄嗟に人間の女に化けました。相手が野に生きる獣であれ人間であれ、この姿なら油断するだろうと思ったためでした。
 ざく、ざく、と規則正しい歩調に加えて、もう少し軽い音がゆっくりと、さく、さくと混じっていました。よくよく見れば、それは件のおかしな人間でした。私の前で絶命した男に、よく似ていました。
「大丈夫かい」
 彼は、すぐに私に気付きました。手に持った棒切れで周りの地面を刺して、他に黒い歯がないことを確かめてから、私の側にしゃがみました。そして腰につけた袋の中から何かを取り出して、黒い歯をいじり始めました。 
 ほどなくして、黒い歯は私の脚を放しました。赤黒い血が滲み、見るからに痛々しい状態でした。
「すまんなあ。こんな怪我をさせちまって」
 彼は申し訳なさそうに言いながら、腰の袋から何かの入れ物と細長くちぎった布を取り出しました。彼が入れ物を開けると、クスリソウの匂いがつんと鼻を刺しました。入れ物の中身を指にとり、脚の傷口に刷り込みます。そして、傷を覆うように細長い布を巻いていきました。
「これで大丈夫だ。立てるか?」
彼は立ち上がり、私に手を差し伸べました。彼の手は、私の差し出した手を引っ張り上げました。傷ついていない方の脚に重心を預けて、何とか立ち上がることができました。傷はまだ痛みますが、歩けないほどではなさそうでした。
「近くまで送ろうか」
 そんな彼の提案を、私は首を横に振って断りました。彼は心配そうな顔をしましたが、
「気を付けなさいよ」
と言って、元来た道を歩いていきました。
 彼が見えなくなるまで見送って、私は変身を解きました。そして、彼と反対方向に歩き始めました。もう少し待ってからの方がよかったかもしれない。彼に送ってもらった方がよかったかもしれない。傷ついた足を踏み出すたびに思いましたが、重そうな背嚢を背負った彼にそれ以上負担をかけるのは気が引けたのでした。
 私の脚はじきに良くなり、普段通り歩けるようにまで回復しました。傷跡は少し残ってしまいましたが、これも私の不注意に対する戒めだと思うことにしました。 
 彼はその日もまた、木の棒片手に森を歩き回っていました。まるでどこに黒い歯が埋まっているのか分かっているかのように、彼は次々と黒い歯を見つけては、背嚢の中に放り込んでいました。あっという間に彼の背嚢は膨れ上がり、彼は村の方へと歩いていきました。
 人間は私たちにとって敵。それは私たちの共通認識でした。ですから、私たちを捕まえるために仕掛けられた罠を外していく彼は、人間の道を外れているように映るのでした。
 彼が肩身の狭い思いをしていないだろうか。ふと気になった私は、彼の後をこっそりつけました。
 彼は鍛冶屋の家へ入っていきました。他の人間に気付かれないように、家の側へ寄って耳をそばだてました。
「今日もだめかい」
「ああ。今回も全部はずれだ」
「全く、誰の仕業なんだか」
「きっと爪猫やら呪い狐の仕業さあ。あいつらは頭がいい。他の仲間が罠に掛からんように、罠をつぶして回っとるんだよ」
「そうかなあ。あんたがそういうなら、そうなのかもねえ」
 そんなことを言いながら、二人は笑い合いました。彼がやったことを私たちの仕業だと言うなんて。むっとしましたが、私たちも自分の身を守るために騙し討ちをすることがあると考えると、仕方のないことのように思えました。人間は私たちを恐れ、狩ろうとしています。それを邪魔したとあっては、彼は人間の村から追い出されてしまうかもしれません。
「今度はお前が仕掛けて来いよ。仕掛けに行って、襲われて帰ってくる奴もいるんだ。あいつらとは土台、共存なんてできないんだよ」
と鍛冶屋は言いました。
「嫌さあ。こんな危ないもの、人が踏んだらどうするさ」
「そんなこと言って、お前が踏むのが怖いだけじゃないのか?」
「そりゃあ怖いさ。こんなのに挟まれてみろ。歩けなくなるかもしれないだろう」
「ははは、冗談さ。でも、当番なんだからきっちりやって来いよ」
「……わかったよ」
 彼は渋々言いました。立ち上がる音がしたので、私はそっと鍛冶屋を離れました。
 とぼとぼと家へ向かう彼を見て、私は風の噂で耳にした蝙蝠ズバットの話を思い出していました。獣の前では「自分は獣だ」と言い張り、鳥の前では「自分は鳥だ」と言い張る。結局どちらの仲間にも入れず、仲間外れにされてしまったお話です。
 きっといずれ、彼は私たちか人間か、はたまたその両方に害されてしまう。そんな風に思えました。罠を仕掛けに来るなら、罠を嫌う獣たちに殺されてしまうかもしれません。仕掛けずにいれば、人間たちに白い目で見られるかもしれません。彼はどうするのだろうと思いつつ、私は住処へ戻りました。

 次の日、彼は膨らんだ背嚢を持って森へやってきました。そして、閉じたままの黒い歯を、雪の下へ埋めていきました。埋めた場所には木の枝を立てました。それが注意喚起になるかどうか定かではありませんが、彼のやりたいことは伝わりました。彼は、この森に生きる者を傷つけることを、酷く嫌っているようでした。その心中を知るのは、おそらく私だけでした。
 私はまた人間の女に化けて、彼の前に姿を現しました。
「おや、あんたはいつぞやの」
 一瞬、彼の身が竦んだのがわかりました。彼は平静を装いながら、
「足はもういいのかい」
と尋ねました。
 私は着物の裾から白い足を出して見せました。もちろん幻影ですが、彼にはそういう風に見えているはずです。傷はすっかり閉じましたが、噛まれた跡は残っていました。
「かわいそうになあ」
 私の脚を見つめながら、彼は黒い歯を開かずに雪の中に埋めました。
「とらばさみというんだ」
 彼は黒い歯を開き、地面に置きました。中央の丸く飛び出ている部分を木の棒で示しながら言いました。
「ここを踏むと、こうして歯が噛みつくようになっている」
 彼が棒の先でとらばさみの中央をつつくと、途端に黒い歯が棒に噛みつきました。あまりの勢いに、噛みつかれた棒の先が折れてしまいました。
「これで野生のポケモンをつかまえるんだと。こんなの人間もポケモンも怪我しちまうから、おらあ反対したんだけどもな。誰も聞いちゃくれねえや。こんなもん仕掛けなきゃ、あんたの脚も綺麗なままだったんだろうがなあ」
 言いながら、彼はまた、閉じたままのとらばさみを雪の中に埋めました。
 彼は森を歩き回って、とらばさみを埋めて回りました。どれも口を開かないまま、踏んでも誰も怪我をしそうにない状態で。私は人間の言葉を喋れないので、彼の言葉に頷いたり、首を振ったりするだけでした。それでも彼はどこか嬉しそうでした。
 彼の背嚢が空になる頃、
「あんたは別嬪さんだなあ」
 不意に彼が言いました。頬が熱くなって、私は思わず目を背けました。せっかくの幻影が、危うく消えてしまうところでした。よしてくれとばかりに手を払うと、
「いてっ」
と彼が顔をしかめました。私の爪の先が、彼の腕を掠めたのでした。
 彼の服の袖が割け、腕から血が流れていました。はっとして目をやると、鋭い爪を持つ元の手に戻っていました。
 私は息を呑みました。途端に人間の女の姿は崩れ去り、私は全身毛むくじゃらの呪い狐ゾロアークの姿に戻ってしまいました。咄嗟に両手で顔を覆いましたが、本当の姿を見られた事実を消すことはできません。
 彼は驚き呆れて、ぽかんと口を開けました。目をこすり、頬を抓り、それでもなお信じられないという顔をしていました。
「そうか、あんたは」
 そこまで言って、彼は一歩、また一歩と私に近づきました。私は後ずさりますが、途中で背中が木にぶつかって、立ちすくんでしまいました。鼻先が彼の口と触れそうなほど近くで、彼は私をまじまじと見つめました。
彼の真剣な表情は、やがて柔和な笑みに変わりました。
「人間だろうが呪い狐だろうが、やっぱりあんたは別嬪さんだよ」
 全身の力がすっと抜けて、しりもちをついてしまいました。ああ、とため息がもれました。私の目に狂いはありませんでした。やはり彼は、おかしな人間でした。誰もが恐ろしいと忌み嫌う呪い狐に、そんなことを言うなんて。そして、人間にこうも簡単に絆されてしまった、私は私でおかしな呪い狐でした。
 彼は私を村に連れて帰りました。もちろん、他の人間たちが驚くといけないので、人間の姿に化けました。それでも村人たちは驚きました。彼が他所から女子を連れて帰るなど、誰も想像していなかったようです。
 彼は村の中では、仕事のできない人間という扱いを受けていました。物覚えが悪く、何をするにもゆっくりで、かといってそれほど力が強いわけでもありません。背嚢いっぱいにとらばさみを運んでいたように見えましたが、他の男たちはもっとたくさん運べるのだそうです。おまけに彼が仕掛けた罠を取りに行った日には、決まって獲物を持って帰らないのです。他の者が行ったときでも何も獲れない日はありましたが、一度も持って帰らなかったのは彼だけだったと聞きました。口には出せませんが、仕方がないと私は思いました。彼は自分で罠を潰したり、私のように罠に掛かった者を助けたりしていたのでしょうから。
 村人たちにとって、野生のポケモンは彼らを襲う恐ろしい存在でありつつ、暖を取るための毛皮をくれる存在であり、貴重な食糧でもありました。誰かが狩りに出た際には、獲って帰った獲物を皆に配って回っていました。しかし彼はそれを一度もしたことがありません。働かざる者食うべからずと言わんばかりに、ポケモンを獲れない彼のところには、ポケモンの肉など回ってきませんでした。道中で手に入れたなけなしのきのみやスナハマダイコンを、ちびちびと食べることしかできませんでした。
 私も彼の仕事を手伝いました。縄をなるのも、家の屋根から雪を下ろすのも、洗濯をするのも、私はすぐにできるようになりました。村人たちは最初こそ、一言も喋らない私を不審に思っているようでした。しかし、私が仕事に出るようになると、なんやかんやと世話を焼いてくれました。一日一緒に仕事をすれば、食べ物を少し分けてもらえました。彼と一緒にいるのは大変だろうと言われることもありました。しかしそのたびに、私は首を横に振りました。どんなに仕事ができなかろうと、彼のいいところを私は知っていました。それを他の誰にも話せないことを、もどかしいとさえ思っていました。明かせば私も彼も、この村にはいられなくなることでしょう。私は正体がばれないように、そして彼の秘密がばれないように、村での生活を送り続けました。

 しかし、幸せな日々はあまり長くは続きませんでした。
その日、私が目を覚ますと彼はいませんでした。こんなに朝早くから、どこかへ出かけたのでしょうか。
いつも通り人間の女に化け、外に出ようとすると、外が何やら騒がしいことに気付きました。扉を開けるのをやめて耳を澄ませると、こんな声が聞こえてきました。
「お前が連れてきた女は、呪い狐だったんだ」
「お前はとろいから、きっと騙されたんだろうさ」
 窓の隙間から覗くと、村人たちが口々に彼を責め立てていました。
 彼は何も言えず立ち尽くすだけでした。何を言っても、村人たちを説得できそうにはありません。彼が私を呪い狐だと知って連れてきたなどと言えば、たちまち彼は袋叩きに遭うでしょう。
「本当にそうなのか?」
「ああ、間違いないさ。あの女、夜な夜などこかへ出て行って、朝方に帰って来たんだ。さっき覗いたら、あいつの家の中で呪い狐が眠ってたのさ」
 私は息を呑みました。十分に気を付けていたつもりだったのに、まさか見られているなんて思ってもみませんでした。
 あまりものを食べていない彼のために、私は時々夜中に家を抜け出し、森に狩りに出かけていました。狩りといっても、ポケモンを傷つけるのを嫌う彼のために、きのみやらスナハマダイコンやらを背籠に詰めて帰るのです。そして日が昇る前に家へ戻り、何事もなかったかのように彼の隣で横になるのです。
 取ってくる食料は大した量にはなりませんが、それでも彼と二人で食べていくには多いくらいの食糧でした。たまに他の村人たちにも配って回って、感謝されてさえいました。配るのは極力、彼がとらばさみの仕掛けと回収に行った次の日にしました。そうすれば、食料を彼が取ってきたということにできるからです。私が夜な夜な抜け出しているなどと知られれば、私を疑う者も出てくるでしょうから。
 しかし運が悪いことに、私が家を出るところを村人の一人に見られていたようです。それだけならいいのですが、帰ってきた私が眠ったところまで覗かれていたのです。私もずっと人間の姿でいられるわけではありません。眠っている時には幻影が解けてしまうことを分かったつもりで、注意を怠ってしまったのです。
「そういえば、とらばさみを取りに行ったお前の側で、狐を見たぞ」
「ああ、見た。あの時お前、自分で罠潰してたろ」
「それであの人が出ている時は、仕事に来なかったのかい」
「やっぱりお前、騙されてたんだよ」
 そんなところまで見られていたなんて、と私は思いました。
 彼が森に入るとき、私は彼に内緒でついていっていました。そして、彼が他のポケモンに襲われないよう見張っていました。彼を襲おうとするポケモンは説得し、必要ならば戦って追い払いました。
 彼の為を想ってやったことが、これほど彼の首を絞めることになろうとは。少し考えればわかることに、私は今の今まで気づけなかったのです。彼といる時間が幸せすぎて、そんなことにまで思考が回らなかったのです。
「人間のふりして、何をするつもりだろうか」
「このあいだ、うちの干し柿がなくなったのも、狐の仕業かしら」
「うちのきのみがなくなったのも、そうかもしれない」
「夜な夜な外に出て行ったのなら、村で盗んだ食料を、子供らに食べさせていたのかな」
「たまに食料を配りに来るのも、普段盗んだ分を返しているつもりなのかね」
 心無い声が突き刺さりました。私はここへきて一度も、誰かの家のものを盗んだことはありません。それどころか、外で取ってきた食料を分けてさえいました。何もかも、私が呪い狐だからというだけで発せられたものでした。
 そこから先は、聞くのをやめました。もう何を言われても仕方がありません。きっと、本来交わるはずのない者同士、一緒にいたこと自体が間違いだったのです。一緒にいたいと思ってしまった時点で、私たちは道を踏み外していたのです。
外にいる村人たちは、皆殺気立っていました。私は身構えて、扉の前で待ちました。
やがて痺れを切らした誰かの足音が近づいてきました。

 扉が開きました。
 私は本能的に動き始めていました。

 気が付くと、彼が私の目の前に倒れていました。首元には赤い血だまりができ、少しずつ広がっていました。
 吐息と心臓の脈動が、うるさいほどに耳に響きました。
 同じような光景が、ふと脳裏をよぎりました。私が罠にかかった日。私を助けようとした男が、血を吹いて倒れた日。あの時は気づきませんでしたが、柔らかい人間の喉を切り裂く感触が、今はしっかりと手に残っていました。
 あの時、私を助けようとした男を殺したのは私でした。そして今回、目の前の彼を殺したのもまた、私でした。
 私の中にはこんな怪物が眠っていたのだと自覚し、最愛の人を手に掛けた事実を認識してなお、私はなぜだか落ち着いていました。これが私本来の姿なのです。人里で暮らすようになったとはいえ、これが、厳しい自然の中に生きていた本当の私なのです。そればかりは、どうにも変えようがありませんでした。

 私は全身を覆っていた幻影を解きました。そして彼を両腕に抱いて立ち上がり、家の戸を潜りました。
 外では村の人々が、農具や弓や棒切れを手に彼の家を取り囲んでいました。動かない彼を見て、村人たちは余計にわめきたてました。恨み辛みの気を沸き立たせながら睨みを効かせると、皆しんと静まり返りました。
 ありのままの姿を晒したのは、私なりの誠意でした。両手が塞がったこの体では、どちらにせよ反撃はできません。たとえ攻撃されたとしても、反撃するつもりはありませんでした。彼に手を掛けた時点で、私の手は血に汚れていました。
 人々の刺すような視線を浴びながら、私は村の外へ向けてゆっくりと歩きました。
彼の父と思しき男が埋葬された場所で、私は両手の爪を地面に立てて穴を掘りました。十分に掘ったところで、冷たくなった彼を丁寧に置いて、上から土と雪を掛けました。そして、人間がそうしていたように、両手を合わせて目を伏せました。
 願わくば、彼があの世で父親と会えますように。親子共々、安らかに眠れますように。
 ひとしきり祈った後、私は元居た住処へと歩きました。そして、二度と人間の前に姿を現すことはありませんでした。

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