スケッチ・ブックは踊り出す

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作者:水のミドリ
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読了時間目安:25分

 ポンチ画伯は、しっぽの先に染み出るインクが赤い色をしたドーブルでした。

 ニンゲンが「アルフのいせき」と呼ぶ、山から切り出した岩を並べたような穴ぼこだらけの廃墟。アトリエ代わりの石室で、今日もポンチ画伯はひとり絵を描きます。
 遺跡の壁に整列したアンノーンたちの上へ堂々と、赤いインクをぬりぬり、ぬりぬり。しっぽを右手でしっかりと持って、巧みな筆さばきを披露します。
 さてさて、今日は何を描くのかな。どうやらポケモンの立ち姿のようです。
 赤いメタルボディに、透けるような虫のはね。両腕に振りかざすのは、まるっこくて大きなハサミ。ギョロリと恐ろしげな目玉模様まで添えて、高々と威嚇しています。
 このまえポンチ画伯が群れのみんなと遠足に出かけた自然公園、他のドーブルたちはそこで初めて目にした、ストライクというポケモンに夢中でした。誰がいちばん上手にスケッチできるか、落ち葉の上に緑のインクで描きくらべていました。
 赤い絵筆のポンチ画伯は蚊帳の外。でもいいのです。画伯はゲイジュツカなので、模写なんて練習描きはしません。見たこともないストライクの進化形を想像して、遺跡の壁に情熱をぶつけます。インクは床に飛び散り、天井からしたたり落ち、ポンチ画伯の体はもちろん、ものの10分であたり一面まっ赤になりました。
『両手にハサミを付けているから……「ハッサム」という名前にするであるか。うむ、我ながら佳作になりそうな予感がするのである』
 若いのにちょっと気取った口調でつぶやいて、ポンチ画伯はご満悦のようす。そこへふと、アトリエの入り口から物音がしました。
 おや、誰かたずねてきましたよ。
 ポンチ画伯が振り返ると、そこには群れのなかまのひとりが立っていました。緑インクの壮年ドーブルは、腫れものに触るような引け腰で近づいてきます。台無しになったアンノーンの壁画と、返り血を浴びたように毛皮へ赤い斑点を散りばめたポンチ画伯を交互に見て、すこし顔を引きつらせました。
『さ、さすが画伯……ポンチは俺たちとは目の付け所が違うなァ』
『当然である。おぬしたちのようなスケッチしかできない奴と違って、吾輩はゲイジュツカであるからな』
『…………』
 先輩画家のドーブルだからと怖気もせず、ポンチ画伯はぶっきらぼうに返すだけ。また石壁に向き直り、色味が足りないところに筆を走らせます。よく様子を見に来てくれた仲間も、いまではほとんど画伯を相手にしません。
 あきれたように肩を落とした先輩が、持ってきていた赤いリンゴをひとつ、ポンチ画伯に差し出します。
『たまには群れに顔を見せに来いよ。ちゃんと食べているのかって、リーダーも心配してる』
『むやみに構わんで欲しいのである。ゲイジュツカは孤独なものなのだ』
『……そうかい』
 諦めたようにリンゴを置いて、先輩は西の森へ帰ってゆきました。

 いよいよあとすこしで完成です。さあ仕上げに入りましょう。筆を握り直したところで、今度はニンゲンの声が飛んできました。
「こ……こらーっ!」
「ぶ、ぶるぅっ?」
 ……今日はお客さんが多いようです。ポンチ画伯はうんざりでした。誰の邪魔にもならないところで自由に絵を描いているだけなのに、彼らは目ざとく見つけだして画伯を追い払い、作品をよく味わうこともなく消してしまうのです。これだからゲイジュツの分からない奴は、とぶつくさ文句をつぶやいて、ポンチ画伯はいそいで外へ逃げ出しました。ボールの中に捕らえられれば、絵も描けなくなってしまいます。
「ったく……。あの色違いドーブル、また派手にやってくれたな。尻ぬぐいするこっちの身にもなってくれよ……」
 しばらくして、青年が石室から出てきました。画伯と同じような帽子を頭にかぶり、だぼだぼのオーバーオールとギンガムチェックのシャツには乾いた絵の具がこびりついています。握っていた布巾は赤いインクに染まっていて、それを見たポンチ画伯は大きくため息をつきました。
 青年がいなくなってからアトリエに戻ると、やっぱり絵は消されていました。不機嫌そうに昼食のリンゴをもしゃもしゃしながら、画伯は落とし物に気が付きます。
 それは、ニンゲンが絵を描くときに使う、スケッチ・ブックというものでした。
 あの青年が置き忘れていったようでした。ポンチ画伯はよいしょと屈んで、ぺらぺらと片手でめくっていきます。大切に使ってあるのでしょう、1ページ目から中ほどまで、鉛筆描きのスケッチやそれに彩色したものが、びっしりと詰め込まれています。
『ふん、どれもこれも模写ばかり……ニンゲンもつまらぬ生き物であるな』
 それはお茶のペットボトルだったり、寝ているイーブイの横顔だったり。何かよくわからないニンゲンの乗り物、北の町のはんなりとした建物や、そこに住む着物姿の女性たち……。用紙をめくるたび、スケッチはどんどん丁寧に、上手になってゆきます。
『ほかの真似事など、才能のない者がすることであるよ』
 ポンチ画伯はつまらなそうに真新しいページを開くと、左手にあるかじりかけのリンゴを見ながら、手持ち無沙汰に筆を走らせます。
 円を引いて、それを真っ赤に塗りつぶして。ちょんと柄を付けて、はいできあがり。
 すぐに写し終わったポンチ画伯は、フンと鼻を鳴らしてスケッチ・ブックを閉じました。どこかに捨ててこようと持ち上げると、突然、ページのすき間からごろりと何かが転げ落ちます。
 それは、今まさにスケッチしたリンゴでした。おそるおそる持ち上げると、丸々と照り返す果実の表面は、画伯が塗りたくった筆の運びが見てとれて。
『う、うわーーーッ!?』
 ポンチ画伯は、すっとんきょうに叫んでいました。

 どて、と地面におっこちたロコンは、孵りたてのシキジカのようにヨロリと立ち上がりました。目をパチクリさせて、あたりを見渡します。そこかしこに、四角い岩がごろごろと転がっていました。
『あいててて……、ここは、どこ? ボクはいったい……?』
『ま、まことに動くのであるか……』
『わぁびっくりした! あの、あなたは……?』
 すぐ隣からすこし背伸びした声がして、ロコンはそっちを振り向きます。自分より倍ちかく背の高い画家のようなポケモンが、まるで弟子の絵を見定めるようにロコンをにらみつけていました。
『よく聞くのだ! おぬしは、吾輩が描いたポケモンなのである!』
『え……ええええええ!?』
 ロコンはひっくり返ってしまいました。目の前のドーブルが掲げている画用紙には、ロコン型の穴がくっきり空いています。そうです、ポンチ画伯があのスケッチ・ブックに描いたロコンが、絵から抜け出てきたのでした!





 自分の宝物のようにスケッチ・ブックを腋に抱えながら、ポンチ画伯は西の森をずんずんと進んでゆきました。そのすぐ後を、紙とインクでできたロコンがテテテ、と必死にお供します。森はニンゲンの手入れが行き届いているようで、青々とした木々は間隔が広く見通しがききました。下草は背の低い笹がまばらに生えている程度で、ポンチ画伯にとっては歩きやすいです。しかしロコンの顔には画伯が踏みしめた笹が揺り返してぺチペチとぶつかって、ちょっと顔をしかめました。まだ乾ききっていない肌の赤い絵の具が、ザラリとした葉っぱにかすめ取られます。
『おぬしは吾輩の最高傑作なのである。名前をつけんとな。吾輩ポンチが創ったのであるから……「ポンツク」とするか』
『わぁっ、素敵な名前! ありがとうございます!』
『ふん、これでリーダーをアッと言わせてやるのである』
 ポンチ画伯は振り返りもせず、一直線に進みます。向かう先は、仲間たちの集まる森の広場。
 ドーブルの群れを束ねるリーダーのシェミカは、まだ若くして才能を認められた雌でした。年上の仲間も、文句をこぼすことなく彼女に絵を習っています。同い年のポンチ画伯とは大違い。今日も森のひらけたスペースで、シェミカ先生のお絵かき教室が開かれていました。
 ニンゲンの置いていった立ち入り禁止の木製看板。その裏にお手本を描いていたシェミカが、ポンチ画伯に気付いてしっぽを高く振りました。受講生のドーブルたちが、いっせいに後ろを振り返ります。『あ、画伯だ』と喉の奥をくぐもらせたような声が聞こえてきましたが、ポンチ画伯は無視しました。
『遠足以来、1週間ぶりねポンチ。元気そうで何よりだわ。みんなと絵を描く気になったのかしら』
『ふん、誰が同じ絵など描くものか。今日こそシェミカに、吾輩の実力を思い知らせてやるのである。これを見るがいい!』
『あら……お友達?』
『聞いて驚くな! このロコンは、吾輩の描いた絵から生まれたのであるよ!』
 しーん、と教室が静まりかえります。背中を押されたポンツクに、みんなの視線がいっせいに集まりました。そのうち潜めあった耳打ちがどこからか漏れ出して、押し殺した笑い声がさざ波のように広場へ広がってゆきます。
 たじろいだポンチ画伯を、ポンツクをまじまじと見ていたシェミカが慰めました。
『絵が動くなんて信じがたいけれど……ポンチが描いたのなら納得ね。もっとよくモデルを見なさい。ロコンのしっぽは6本よ。1本足りないわ』
『な――!』
 ポンチ画伯はあわててポンツクのしっぽを数えました。1,2、3、4、5。たしかに1本足りません。よく見れば輪郭は線がとぎれているところもあるし、うしろ脚の指先などは色が抜けていました。
 くすくす、くすくす。笑い声の波はもう、嵐のように荒れ狂っていました。嘲笑の海で溺れないように、ポンチ画伯は喘ぐように叫びます。
『ば……バカにするな、こいつはな、ちゃんと火も吹けるのであるぞ!』
『ええっ!? ボクってそんなことができるんですか?』
『才能ある吾輩が描いたのだから、それくらい当然であろう。さあ、見せてやるのだ!』
『い、いたた……』
 ポンチ画伯は焦ったように、べしべしとポンツクを叩きます。見かねたリーダーが、割って入るように緑の絵筆を構えました。
『……いいでしょうポンチ。特別に、バトルの授業をしましょうか。私が1対2で相手するわ』
 シェミカが言うと、生徒たちがワーッと円に散ってゆきます。落ち葉にいろんな模様が描かれた森のバトルフィールドで、さあ戦いが始まりました!
『ポンツク、弾ける炎で攻撃であるっ!』
『え……っと、こう、かな』
 ポンツクは大きく息を吸って、シェミカ目がけて炎の弾を吹きつけました。しかし口から出てきたのは、ガス欠した排気のような煙だけ。びゅうと吹いた秋風にかき消されてしまいました。ポンチ画伯の画力で描かれたポンツクは、ロコンになりきれていないのです。
『こ……この、できそこないめっ!』
『ご、ごめんなさ――あいた!』
 画伯の振るったしっぽがポンツクの背中にあたって、赤いインクが飛び散りました。顔をしかめたシェミカが、ポンツクの技をなぞるように空中へ筆を滑らせます。緑の筆先から放たれた弾ける炎は、要領のいい彼女にかかれば鮮やかな紅蓮に早変わり。画伯のほっぺを直撃して、花火のように弾けます。飛び散った火の粉をかぶったポンツクが、紙の体に引火しかけた火種をあわてて揉み消しました。
 じんじんと灼けつくほっぺを押さえて、へたりと画伯は地面に座り込みます。圧倒的な実力差。教室にもういちど静寂が訪れました。
『私たちドーブルは、スケッチすることで他のポケモンから多くのことを学べるの。それってすごい才能だと思わない?』
『う……うるさいっ! シェミカに吾輩の何が分かるのであるか!?』
 あたり構わずわめく画伯に、シェミカが優しい声でさとします。
『……ねぇポンチ、群れに戻ってみんなと練習しましょうよ。今からでも遅くないわ、模倣することで、才能は磨かれるものよ』
『う、ぅう、うぅう…………!!』
 額にあぶら汗をにじませて、ポンチ画伯は奥歯をギリギリとすり減らしていました。ぐぬぬ……と喉の奥を鳴らして、ハッと思いつきます。腋に抱えていたスケッチ・ブック、それをペラペラとめくり、まっさらなページをにらみつけました。
 手を洗ってから水滴を飛ばすように、しっぽの先をキャンバスに向けてしゃしゃしゃと振るいます。ニンゲンがこすって火をつけていたマッチ棒という小枝、その先っちょの赤色を思い描いて、ポンチ画伯は画用紙を破きました。次のページも同じように塗りつぶし、ちぎって、塗りつぶし、ちぎって……。
『ポンツク、もういちど弾ける炎であるっ!』
『え、あ、ハイ!』
 宙に舞った画用紙たちから、一瞬にして赤いしぶきが霧のように広がります。乾いた秋の風に吹かれた粉がポンツクのとろ火に吸われて、ごォ! と大きく吹き上がりました。これならリーダーの描く紅蓮にも対抗できそうです。すべてポンチ画伯の思惑通りでした。
 すこし多すぎたことを除いて。
『いけないっ! みんな逃げて、爆は――』
 シェミカが叫びます。パチパチと弾けて踊る炎が、赤リンの霧に一瞬で飲み込まれて。
 かッ。
 閃光と轟音が、昼下がりの森をつんざきました。





 とっさに地面のくぼみへ身をかがめたポンチ画伯。ベレー帽のすぐ上を熱波が通り過ぎていきます。
『むう、凄まじい威力なのである……! これこそが吾輩の才能だ。ゲイジュツは、爆発だっ!』
『うわぁあっ、熱つ、あっつ!』
 強烈な衝撃に目をつむっていると、すぐ隣からポンツクの声が聞こえます。細目を開けると、5本のしっぽを焦がしながらロコンが地面にへばりついていました。爆風が収まると、転げまわって鎮火しています。起き上ったポンチ画伯が、呆れたように鼻を鳴らしました。
『ふん、できそこないもいたであるか。なら見ろ、これが吾輩の本当の才能で――』
 地面のへこみからひょっこりと顔を出した画伯が、絶句しました。
 爆心地は落ち葉が吹き飛ばされ、腐葉土の荒い面が露出しています。木の看板はまっぷたつにへし折られ、ついさっきまで群れの仲間たちがいた教室の外周は、骨と皮だけの手のような笹の葉が、火にあぶられながら踊っています。
『こ……こんなの、ゲイジュツとは、言いがたいのであるよ……』
『画伯っ、ボクたちも逃げないと!』
『い、いや、吾輩が火を消せるものを描けば……!』
 幸運にも焼け残っていたスケッチ・ブック。最後の1枚になってしまったそれを、ポンチ画伯は慌てて開きました。どうにかして山火事を押し止めなければ。しっぽを握った腕が、しかし紙の上1センチで止まってしまいます。世界を青く塗りつぶす雨でも、画伯が描けばあたりを火の海に沈めるだけ。赤にしか塗れない画伯には、どうしようもありませんでした。
『描かねば……、才能ある吾輩が描かねば……!』
『画伯おちついて、手が震えてる……』
『いま考えているのであるっ』
 振り返ったポンチ画伯の形相に、ポンツクがぎょっと首を引っこめます。その頭上から、めき……、ときしむような音が響きました。画伯がはっと上を向くと、火山弾のような熱のカタマリがみるみる近づいてきていて。
『あ――危ないっ!!』
『わきゅ!?』
 どーーーんっ! ばちばちばち……。
 飛び火した枯れ木が、ふたりの頭上から大枝を焼き落としたのでした。間一髪でポンツクを突き飛ばしたポンチ画伯が、とうとう火に囲まれて逃げられなくなってしまいます。
 ごろごろごろと転がされたポンツクが、はい上がって叫びます。体が紙とインクでできているせいで、炎の中へ飛び込んでいくことができません。
『た、助けを呼んできますっ! どうにか息を止めていてください、画伯のためなら、みんな協力してくれますから! だってポンチ画伯はすごいんですから、画伯みたいな偉大なゲイジュツカは――』
『もういいッ!』
 初めてポンチ画伯が叫んで、駆けだしたポンツクはつんのめりました。振り返れば火柱の向こうで、ユウレイのようにたたずんだままの画伯が、すべてを投げ出したように肩を落としていました。
『……ぜんぶ知っているのであるよ。群れのみんなが吾輩の絵を裏でこき下ろしているのも、吾輩を揶揄して「画伯」と呼んでいることも。おぬしもうすうす気づいているとは思うが、絵が動き出したのだって、すべてこのスケッチ・ブックのおかげ。吾輩には才能なんて、これっぽっちも無いのである』
『そんなことないですっ、画伯はこんなにステキにボクを描いてくれたじゃ――』
『やめてくれっ! ……吾輩がいちばん分かっているのである。線を引けば川のようにうねり、塗ればキャンバスからはみ出してしまう。至極ていねいに描いたおぬしでさえ、みんなに鼻で笑われる始末。……オマケに名づけのセンスまでないときた』
『…………』
 めきめきと悲鳴を上げて、ふたりのあいだへ火だるまになった古木が倒れます。熱風に煽られた火の粉が飛んできて、熱気にポンツクは後ずさりしました。
『思えばおぬしには、吾輩の自己嫌悪をぶつけてばかりいた気がするな。せめてどうか、これからは自由に生きてくれ』
『ぽ、ポンチ画伯っ!』
 どんどん広がる業火の奥に、ポンツクの姿が見えなくなります。最後の1枚になってしまったスケッチ・ブック。ポンチ画伯はそこへ、迷いなく筆を走らせます。ごつごつとふちどった多角形を、濃淡をつけた赤で塗りつぶして。ほとばしるエネルギーを中央に、しっぽの油を増して黄色っぽく描き上げました。
『受け取れ、ポンツクっ!』
 画用紙からこぼれ落ちた炎の石を、ポンチ画伯は力のかぎり放り投げました。

 えたいの知れない魔物のような炎に追い立てられて、森のポケモンたちが遺跡へと逃げてゆきます。パニックになって泣き叫ぶ子どもたちを先導するドーブルの群れが、木の幹や地面にやじるしを描いて行く先を案内していました。
 あの大爆発でシェミカは全身に大やけどを負いながらも、逃げ遅れたポケモンたちを火の手から助けていました。そこへキュウコンがもつれるように駆け寄っていきます。
『あら……美しいキュウコンさん。ぜひ絵のモデルになってほしいのだけれど、今は逃げるのが先決――』
『シェミカさんお願いします! ポンチ画伯が――ボクのお父さんが、まだあの中に残されているんです! お願いです助けてください、お願いですどうかっ!』
『……あなたは、あのロコンなのね』
 シェミカは息をのみました。目も当てられない出来栄えのロコンが、ここまで美しく進化するなんて。今すぐしっぽの絵筆をにぎりたいとうずく腕を押さえて、すがりついてくるキュウコンをなだめます。火のそばを駆けまわっていたのでしょう、近くで見ると、全身はススけて耳の端はこげていました。
 息を整える間もなく、ポンツクはシェミカに泣きつきます。
『確かにお父さんは、あなたや森のポケモンたちにひどいことをしてきたかもしれません。でももう頼れるのはあなたしかいないんですっ!』
『ポンチは大切な群れの仲間よ、私だって助けたいの。けれど、今から戻るのは危険すぎる』
『それでも、ボクのお父さんなんですっ!』
『……』
 どうして、という言葉を、シェミカは飲み込みました。生みの親とはいえあれだけひどい扱いを受けていたのに、どうしてそんなになってまで助けようとするのか、シェミカには理解できませんでした。思わず口ごもります。
『それにあなた、水に濡れでもしたら――』
『覚悟の上ですッ!!』
『……わかったわ、私も協力します』
 ポンツクの気迫におされたシェミカは、水タイプの技をスケッチしようと弾かれるように駆け出しました。





 ポンチ画伯は、パチリと目を開きました。
 頭を上げようとして、全身がヒリヒリ痛みます。見渡せばあたりは一面の焼け野原、まだ天国ではありません。どうやら生きのびたようでした。
 画伯が横たわっていたのは、灰になりそこなった倒木の上。かつての森は見る影もなく、アンノーンたちの遺跡まですぐそばに眺められるほど、木々が焼き崩れていました。焦げついたにおいが鼻をかすめます。
『これ……吾輩がぜんぶやったのであるか』
「あっ、目が覚めたんだね」
 起きあがろうとしてせき込むポンチ画伯に気付いて、ニンゲンの青年が駆け寄ってきました。画伯のひたいに手を当て、瞳孔を覗きこんで、飛び出したベロの湿り気を確かめます。険しかった表情が、力が抜けたように緩みました。
「うん、よかった。もう大丈夫みたいだ」
「っぶるぅ……」
 呆気にとられて逃げそびれたポンチ画伯は、青年がけさ遺跡でジャマをしてきた彼だと気づきました。ハッとして、あたりを見回します。
 ポンチ画伯が拾い上げたのは、ウラ表紙だけになってしまったスケッチ・ブック。チリヂリのそれを、申し訳なさそうに彼へと返します。きょとんとした青年が、ああ、と納得したようにつぶやいて、うつむくベレー帽の上から画伯をなでました。
「安物のやつだから、別に平気だよ。……優しいんだね、キミ」
「ぶ、ぶる……?」
 優しい?
 初めて言われた暖かな言葉に、ポンチ画伯は戸惑いを隠せません。今までさんざん仲間たちを突きはなして、こんなにも森のポケモンや人間にまでメイワクをかけてきたのに。
 遺跡の影から、群れのドーブルたちが不安げにポンチ画伯を窺っています。気づいた青年が、画伯からそっと離れました。まっさきにかけ寄ってきたリーダーが、ポンチを抱きしめます。
『無事で……よかった』
『シェミカ……吾輩は、吾輩は取り返しのつかぬことを……』
『気に病まないで。これからやり直せばいいの』
 わらわらと群れのみんなに囲まれて、ポンチ画伯はおずおずと見上げました。縮れたり焦げたりしたドーブルたちの顔は、しかしどれも怒っていません。みんなポンチを心配して、なんとか生きのびたと互いを励ましあっています。
 本当に彼を嫌っているポケモンなんて、どこにもいませんでした。
 ハッと思い出したように、ポンチが群れを見わたします。いるはずの姿が見つけられずに、シェミカへ尋ねました。
『そ、そうだ、ポンツク……キュウコンを見なかったであるか?』
『キュウコン……、ええ、いたことにはいたのだけど……』
 歯切れの悪いリーダーをはじめ、みんなの顔がしゅんとしぼんでゆきます。暗い雰囲気を感じ取ったポンチが、え、とちいさく息をこぼしました。
 痛切そうに、シェミカが続けます。
『火元から飛び出てきたキュウコンはね、消火を続けるよう、必死になって水ポケモンたちに訴えていたの。炎に強い水タイプといえど、あの規模の山火事は手に負えなかった。しっぽを巻いて逃げようとするニョロモやウパーたちを、キュウコンは叫びながら引き留めていたのよ。あなたを助けるために』
『……っ、ポンツクは、逃げなかったのであるか』
『私たちも協力してなんとか火の勢いを押しとどめている間に、キュウコンはあの青年に事態を知らせていたの。街の人間たちも素早く協力してくれて、なんとかそれ以上の被害は防ぐことができた……のだけどね。消火している途中、煙の中にあなたが見えたとたん、キュウコンは迷いなく飛び込んでいった。背に乗せてポンチを助け出したはいいけど、体が紙とインクでできていたせいで、激しい水流に打たれて、ぐずぐずに溶けてしまっていたの。私たちでは、あの子の体を描き足すことはできなかった。それでも、あなたを救えたことに喜んでいたわ。「ありがとう、みなさんのおかげです」って何度も繰り返しながら、インクの水たまりになっていったのよ』
『…………そんなことが』
 なんだか夢のような話でした。
 自分勝手に創りだしておいて、それを自分の才能だと慢心して、いじめるような態度をとってしまったポンチ。思えばポンツクは、無条件に自分を慕ってくれていました。呆然とするポンチへ、その訳を教えるようにシェミカがほほえみます。
『私たちは、あなたの描く線と色だけしか見ていなかったのね。あのキュウコンに教えてもらったわ。大事なのはいかに上手に描くかじゃない、絵に情熱を注ぐことなんだって。ポンチの描いたロコンが美しく、優しい心の持ち主に進化したのも、あなたが優しい気持ちを絵にこめたから。それが奇跡になって、ポンチを助けるために画用紙から躍り出たのよ!』
『……そうであったか』
 深くて暗い海から救いだされたように、ポンチはほっぺを緩ませました。湧きあがる涙をぐしぐしと押さえつける彼に、シェミカが緑のしっぽを差しのべます。
『また一緒に、絵を描きましょう? まずはこの森を、みんなが暮らせるよう元通りにしないと』
『……ああ』
 仲直りのしるしに、ポンチも赤のしっぽを巻きつけました。筆先の色が溶けあってしたたり落ち、焦げた地面はすこしだけ茶色を取り戻しました。

 さあ、芸術の秋です。

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