ヤドンのいど

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「いるいる。かなりの数だ」

 懐中電灯の光が暗がりの岩肌をまさぐる。一匹、二匹、三匹……数匹のヤドンが切れ切れに照らしだされる。寝そべっていたヤドンが目を閉じ、わずかにしわを寄せた。逃げる気配はない。
 ぶしつけな懐中電灯の背後で、別の男が口を動かした。

「町にはまだいるはずです。全てのヤドンを連れ込んで……そうですね、夕方までには終わらせましょうか」
「全部っすか?」
「全部ですよ、もちろん。ヤドンの尻尾は高く売れる。鮮度が命です」

 別の高い声が同調する。

「当然ですよね! ――さ、あんたもぼさっとしてないで、ヤドンを探しにいくわよ!」
「全部かぁ……下っ端は辛いぜ……」

 懐中電灯が方向を変えた。湿った岩肌を昇り、苔の生えた緩い石階段を這い上がる。薄い月明かりのもと、外は小雨が降っていた。
 古い掘り井戸からぞろぞろと這い出る黒服の一団は、揃いの服を着ている。胸元には〝R〟のマーク。その中に一人だけ赤いラインの入った服の男がいた。先ほど、懐中電灯を持っている男に命じていた人物だ。跳ねた緑の髪、黒い帽子の下でつり上がった双眼。猫を思わせる顔つきの男は、出入口で居眠りしている男に声をかけた。

「君、引き続き見張りは任せましたよ」

 パチッと目を覚ました。男は相手をみとめると、慌てて背筋を伸ばす。

「うッス! ……じゃなくて、はい! 全てはロケット団の為に!」





 繋がりの洞窟を抜けるとヒワダタウンは目と鼻の先だ。暗がりの洞窟を抜け、久方ぶりの陽光にヒビキは息をついた。苦戦はしなかったとはいえトレーナーがわんさかいたし、疲労困憊で抜け出た直後に山男に絡まれるし、散々だ。おまけにチコリータは出口が見えるやいなや、真っ先に駆け出していってしまった。

「クイーン……お前……置いてかないでくれよ~……」

 心地の良い風が吹く中、〝クイーン〟と呼ばれたチコリータはのんびりとひなたぼっこをしている。バトル前に置いて行かれたので、山男とはポッポだけで戦わなければいけなかった。恨みがましい視線を向けると、チコリータは気持ちよさそうに伸びをした。草タイプには欠かせない、陽光と水。昨夜は雨が降っていたようで、地面の草が陽光を反射して輝いていた。追いついたヒビキの足下で、やれやれとチコリータが立ち上がる。

「ぴゅう」
「あんまり離れたら駄目だよ。変な人にさらわれたら危ないだろ」
「ぴゃ」

 ヒワダタウンに入る手前、草原がまばらになっていくにつれて古い石碑が見えた。石碑の後ろはなだらかな坂になっており、ちょうど出入口を塞ぐように黒服の男が立っている。ヒビキは嬉しそうにチコリータを見下ろした。

「ヒワダのヤドンの井戸からは、凄くいい水が採れるんだって月刊ボングリに載ってた! 君も気に入るはずだよ、クイーン」
「ぴゅう!」

 ヒビキの趣味はボンドリンクを作ることとボングリの育成及び収集だ。チコリータに追いつき損なったのは、洞窟出口のボングリの木に目を奪われていたせいでもある。ボングリはなかった。山男が毟った後だった。賞金の代わりにボングリを要求したら変な顔をされた。
 類は友を呼ぶのか、ポッポもボングリが大好物だ。出会い頭にボングリを巡って骨肉の争いを繰り広げ、何故か仲間になった。こいつのせいでボングリケースは蓋が壊れたのだが、まったく反省はしていない。鳴き声のまんま、〝ピジョー〟と名付けられた彼は今、モンスタボールで不機嫌そうにオボンをついばんでいる。ボングリだけでは申し訳ないと、山男がセットで譲ってくれたものだ。
 閑話休題。
 ヒビキは瞳を輝かせ、チコリータも機嫌良さそうに男と石碑に近づいた。無数の雨の跡が残る石碑には「ヤドンの井戸」と刻んである。ヒビキは礼儀正しく挨拶をした。

「こんにちは。僕はヒビキ、旅のトレーナーです。ヤドンの井戸の見学をさせてもらうことは出来ますか?」
「はぁ? あー駄目だ駄目だ。駄目ったら駄目ですね~」

 男はあくびをかみ殺しながら投げやりに返した。ヒビキはいささかムッとしつつ問い返す。

「どうして駄目なんですか?」
「中はね、危ないからね。こうして君みたいなトレーナーや町の人が間違って入らないように見張ってるんですよー」
「なんで危ないんですか? 一応、バッジもひとつ持っています。崩落とかだったら力になれるかも」

 チコリータもぶんぶんと葉っぱを振り回して同意する。気は強いが実力は折り紙つきだ。
 男は腕を組み、これ見よがしに大きなため息をついた。見下ろす目の下には隈がある。面倒そうな苛立った声が返ってくる。

「分からん子供だなぁ。力になるって言っても、そんなちっこいポケモンじゃね? さっさと帰れ帰れ。無謀な子供を大人の対応で諫める……くー、オレって良い人?」
「ぴゅう!」

 半笑いで悦る男の足を強烈なツルのムチが打った。男が悲鳴をあげて飛びあがった。痛みにわめき散らす言語は意味をなしていないが、こちらを振り返った瞳には烈火の怒りが宿っている。大声で怒鳴られるまで秒読みの気配を察知すると、ヒビキは早口で謝罪の言葉を羅列し、チコリータを抱いて逃げ出した。





「ヤドンの井戸は……まぁ、一生入れない訳じゃないし……ハハハ……はぁ」

 乾いた笑いを浮かべる。チコリータはプンプンしながら周囲を見回していた。このままポケモンセンターに向かっても良かったが、ちょうど昼過ぎ、チコリータもまだまだ日光浴を楽しみたいだろう。バトルで消耗したポッポもオボンの実で回復しつつある。
 楽しみはヤドンの井戸だけじゃないし、と脳内で月間ボングリのページをめくる。ヒワダタウンにはガンテツというモンスターボール職人もいる。原材料はボングリで、ひとつひとつ手作業で作るらしい。それを知ったとき、ボングリといえばボンドリンクしか知らなかったヒビキは衝撃を受けた。

 モンスターボール? え? ボングリって飲むものだよね? それ以外に用途あったの? ボンシェイカー(ネット通販で購入した)でシャカシャカ振ると美味しい(※個人差があります)飲み物になるボングリがモンスターボール?

 会ってみたい、あわよくばモンスターボールを作ってもらいたいとひそかに思っていた。訪ねるトレーナーは多いようで、道行く人に訊けばすぐに分かった。
 ただ、ヒビキは町を見回して引っかかりを感じた。ヒワダタウンはポケモン――特に、ヤドンと仲良しの町として有名である。それなのに町中にはヤドンが一匹も見当たらない。住民もヤドンを見かけないことに不安そうだ。黒服の男が抱えて走って行くのを見たと話す人もいた。ヤドンがあまりにも普段通りにとぼけた顔をしていたので、思わずそのまま見送ってしまったそうだが……。
 ヤドンの井戸の前にいた男を思い出す。気になるが、怒らせてしまった以上調べるのは後だ。
 ガンテツの家につくと、手入れの行き届いた庭にはボングリの木が植わっていた。吹き抜ける風には緑の香りとカサカサという葉擦れの音。誇るように、艶の良いボングリがいくつも生っている。
 ヒビキの体が吸い寄せられ、ポッポがボールから飛びだした。ためらいがちな少年の手が伸びるより、迷いなき鳥の方が速い。まっすぐな動線を描いて嘴が白ボングリをかっさらった。数秒遅れて気がついたヒビキが正気に戻った。サッと顔面から血の気が引く。
 ここは野生ではなく人の庭だ。それも、恐らく昔気質の職人の。枝上でカッカッとボングリをついばんでいるポッポに、ヒビキは戻れと必死に身振りをして呼びかけた。

「ピジョーやめろ! 降りてこい! まずいって!」
「ぴじょっ!」
「そっちの不味いじゃない!」

 玄関戸が激しくぶつかり開く音がして、ヒビキの両肩が跳ねた。玄関口に強面の老人が、鬼のような形相で立っている。直感的にこの老人がガンテツだと察する。第一声の謝罪の言葉が口をつくより先に、ヒビキの泣きそうな目と怒りの両眼がかちあった。

「邪魔じゃァ! どけいっ!」
「すっすいません!」

 ガンテツがケンタウロスのような勢いでヒビキの脇を走り抜けていった。
 怒られなかった。ぽかんとしていると、子供の泣き声が開けっぱなしの玄関口から聞こえてくる。チコリータと顔を見合わせた。ポッポを止める役目をチコリータに任せて玄関口からうかがうと、小さな女の子が泣いていた。ヒビキよりもずっと小さく、5・6歳くらいだろうか。突っ込んだ頭だけで家の中を見回すが、大人はいなさそうだ。

「どうしたの? 大丈夫?」

 じゃ、と立ち去るのは良心が咎めた。
 女の子の顔が持ち上がり、大きな目から涙が零れる。見知らぬ人に再び顔が歪む。ヒビキは風切り音がするくらい両手を左右に振った。

「あっ怪しい人じゃないよ! あの、」

 ヒビキの背後から激しいムチの音がした。チコリータの鋭い鳴き声に、背筋に悪寒が走る。玄関口を覗いていた頭をわずかに下げた刹那、頭上を何かが掠め、風で帽子がぽとりと落ちる。そろりと顔をあげる。
 玄関口から一直線の壁にポッポが嘴で突き立っていた。
 ぴゃあぴゃあとチコリータが駆け寄ってきて、早くボールに戻せとヒビキに主張する。前衛芸術のようなポッポをボールに戻しつつ、もう完全に不審者だなとヒビキは諦念に沈んだ。一仕事終えたチコリータが硬直している女の子に近づき、頭の葉っぱで涙を拭った。

「ぴゃ」

 チコリータの葉っぱから、優しい甘い香りが漂う。女の子はぱちりと瞬きすると、微笑むチコリータとヒビキをゆっくり見比べた。

「……お兄ちゃん、ポケモントレーナーさん?」





 ヤドンの井戸に急ぐと男はいなくなっていた。借りてきた懐中電灯で照らしながら緩い石階段を降りていく。階段下に黒い塊が動いていた。塊が手を翳す。濃い陰影を描く顔は、先ほど怒鳴られたばかりの相手だった。

「大丈夫ですか?」
「あいててて……おう無事や。お前、トレーナーか?」
「はい。そっちの人は?」

 黒い塊は二人分あった。慎重にもう一人を確認するが、ぴくりとも動かない。顔を照らすと白目をむいていた。大きな外傷はなさそうだが、頭の後ろに大きなたんこぶが出来ている。
 暗闇の中、ガンテツが得意そうに笑った気配がした。

「ロケット団や。ガハハ、ワシのタックルで気絶しとる! ……あいっつつつ!」
「どこが痛みますか?待っててください、救急車を……」
「そんなことはどうでもええ!」

 一喝された。暗がりではよく分からないが、ガンテツは腰を押さえて顔を歪めている。
 タックルと言っているが、実際は上から一緒に転がり落ちたのだろうとヒビキは推測した。ガンテツはさっきヒビキに会ったことをすっかり忘れている。それほど急いでいたのだろう。暗い中で目を細め、見定めるような目つきでこちらをじろじろと見てくる。ヒビキは事情を手短に説明した。
 泣いていたのはガンテツの孫娘だった。ヤドンが黒い服の人にさらわれたと話したら、怒り狂ったガンテツがすっ飛んでいってしまったと。そこまで聞けば行き先の推測は難しくない――ヤドンの井戸だ。
 ボングリのことを伏せて話したのでちょっとドキドキしたが、ガンテツは細部には突っ込まず納得してくれた。

「そうかそうか。よし。恐らくこの奥でロケット団は悪さしとる。しかしわしはこの通り、腰を痛めて動けん……」
「そうですね……早くジュンサーさんと救急車を呼びましょう」
「そんな悠長なこといっとる暇ないわ。お前もいっぱしのトレーナーなら、いっちょう奥までいって懲らしめたれ!」
「はっ?」

 ガンテツがじろっと険しい目を向けた。顔に脂汗が滲んでいる。相当痛いに違いないが、有無を言わせぬ覇気があった。

「ヒワダのジュンサーは別の用事でジムリーダーと出かけとる。黒服がどーたらとか言っとったのを聞いたわ。ロケット団やろ。だったら今から呼んでも間に合わへん」

 町からヤドンが消えた。井戸の奥。仮にガンテツのいうとおりなら、相手は複数いると見て間違いない。
 ヒビキは視線を暗がりの足下に落とした。ポケモン達は繋がりの洞窟を抜けたばかりで万全とは言えない。人のヤドンまで奪う連中なら、ヒビキのポケモンも安全ではないだろう。

(「君のおじいちゃんとヤドンは、絶対に僕たちが連れて帰ってくるから。ここで待っててね」)
(「うん……ぜったいだよ」)

 ヒビキは顔を持ち上げ、ポケギアをガンテツに預けた。

「これでジュンサーさんに連絡をしてください。僕らは奥に向かいます」
「……いい面構えやないか。頼んだで!」





 出入口の騒ぎに気がつかれなかったのは幸いだった。もしくは気がつける余裕がなかったか。
 奥に細い光が見えるとヒビキは懐中電灯を消した。さほど入り口からは離れていない一本道だ。暗闇を好むズバットの気配はあるが、入り口と奥以外にロケット団はいなかった。岩陰からうかがう。向こうも小さなランタンを使っているだけなので分かりにくいが、ランタン近くで黒服の男女が作業している。近くに大きな袋があり、大根のような太くて短いものがたくさん入っていて、入り損ねたものが周囲に転がっている。ヒビキは目を懲らした。男の方が少し暗がりに入り、悪態をつきながら何か蹴っている。ピンクにのんびりした巨体の――ヤドンだ。
 のたのた、のたのた、と表情の分からないとぼけた顔で、ヤドンは蹴られるままに歩いている。女が近づいてきたヤドンの尻尾を掴んだ。包丁で尻尾を刈り取ると、ヤドンの背中を強く押す。のたのた、のたのた、と尻尾を切られたヤドンが奥へ消えていく。入れ替わりに別のヤドンが蹴られてやってくる。そのヤドンは何か持っているようで、前屈みに身を丸くして歩いていた。
 ヒビキは息を張り詰めていた。握った拳の指先が白くなっている。気取られないようにと、ボールに戻したチコリータがガタガタと暴れている。

「――迷子ですか?」

 作業していた男女が顔をあげた。
 ヒビキの肩にズバットが乗った。振り向いた耳元で翼を打ち、首筋に鋭い痛みが奔る。帽子が宙を舞った。もう耐えきれないとばかりにチコリータがボールを飛び出す。
 ヒビキは血の流れる首筋を抑え、帽子を拾って岩陰から歩み出た。呆気にとられる黒服の男女のそば、暗がりからもう一人の男が姿を現す。ズバットは男の肩にとまった。黒いベレー帽の下、跳ねた緑髪の男が猫目を細める。

「なかなか素直ですね。我々の邪魔をしないのであれば、夜には家に帰してあげますよ。どうしますか?」
「ぴゃー!」

 ヒビキが答えるよりも早く、チコリータが敵意を剥き出した。沸々とした怒りを抑え、ヒビキは努めて冷静に聞こえるように言った。

「ジュンサーさんを呼びました。ヤドンの尻尾をとるのをやめて、今すぐここから出て行ってください」
「来ませんよ、夜までね」

 はったりは効かない。緑髪の男がせせら笑う。
 ヒビキは視線だけで周囲を見回した。尻尾を切られたヤドン、これから切られるヤドン。先ほど蹴られていたヤドンは体を丸めている。みんなとぼけた顔をしているが、どこか元気がない。
 目まぐるしく不安がヒビキの脳内を駆け回った。3対1。連戦は避けられない。運が良ければ勝てるかも? チコリータはやる気十分だが、流石に厳しいかもしれない。ポッポは山男とのバトルからずっと不機嫌だ。洞窟内ならズバットの方が、ポッポやチコリータより立ち回りも上手いだろう。
 チコリータのツルがヒビキの足を軽く打った。ヒビキは縮こまってた背中を伸ばし、帽子のツバを前に回して被った。

「だったら僕達が相手だ!」

 緑髪の団員は動かず、女の団員が包丁を置いて立ち上がった。ズバットとアーボを同時に繰り出した。

「まぁ小憎たらしい。ランス様に逆らうなんて百年早いわよ! ズバット、アーボ、やっておしまい!」
「クイーン、葉っぱカッターだ!」

 チコリータがブンと葉っぱを振ると、強烈な葉っぱカッターの一陣がズバットの片翼を撃った。ズバットの翼は薄い。折れた翼で墜落する仲間を尻目に、アーボが地面を擦って素早く這い寄る。ヒビキは虫除けスプレーを引っ張りだし、片手で開けて鼻先へ吹きつけた。裏面の注意事項には〝ポケモンに直接噴射しないでください〟アーボがもんどりをうち、鼻先を地面に擦りつけて苦しんでいる。女の団員が地団駄を踏んだ。

「スプレー使うなんて卑怯だわ! なによ、ヤドンの尻尾なんてすぐ生えてくるじゃない。何が悪いのよ!」
「悪いに決まってるだろ。町のヤドンを返せ! 人のポケモンをとったらドロボーなんだよ!」
「人に言われてやめてたらロケット団の名が廃るぜ! お次は俺だ!」

 女の団員を押しのけ、男の団員がコラッタを繰り出した。電光石火で衝突したコラッタにチコリータが吹っ飛んだ。続けて飛び出すズバットが超音波を放つ。高周波の音に三半規管が揺さぶられ、足下の地面が傾ぐ。ぶしゅ、と首の吸血跡から血が噴き出した。浅い呼吸で首筋を押さえ、半開きのボディバックに手を突っ込む。
 チコリータは即座に体勢を立て直したが、コラッタの前歯に防戦一方だ。無防備なヒビキの首を狙ってズバットが飛来する。引っ張り出したボングリケースを振り回すが悠々と避けられ、壊れた蓋からボングリが飛び出した。
 ぼん! とボールが開く音。ボングリに反応してポッポが飛びだした。

「まだポケモン持ってたのかよ! ズバット!」
「キャアアアア!」

 対象変更。ヒビキからポッポへと方向転換したズバットが吸血すべく差し迫る。ボングリだけ見ていたポッポが頭を向け、翼を強く動かした。一陣、二陣、三陣。〝かぜおこし〟が、即座に勢いを増してズバットに襲いかかった。ズバットが岩壁まで吹っ飛び叩きつけられる。
 一方、状況を察したチコリータはツルを伸ばし、ボングリをコラッタへと次々に跳ね飛ばした。コラッタは眼前に迫るボングリを牙でかみ砕き、口をもぐもぐさせながらチコリータを追いかける。
 直後にポッポが抉るような電光石火で突撃し、コラッタが吹っ飛んだ。
 やれやれ、とチコリータがヒビキのそばまで戻る。ポッポは気絶したコラッタに砂をかけ、転がったボングリをついばんでいる。
 男のロケット団員が呆然とする。蒼白な顔で、「つ、強すぎる……」と呟いた。首の血がようやく止り、ヒビキは真っ赤に染まった手で帽子のつばを軽く持ち上げた。挑むように問いかける。

「まだやりますか」
「ヒッおっ……お前……まさか、3年前の……いや、そんなはずはねぇ!」

 男が首を横に振る。情けない顔で緑髪の男――ランス、と呼ばれた人物を振り返る。ランスは冷たい目で「そんなわけないでしょう」と男の言葉を一蹴した。

「仮にあの時の子供だとしたら、サカキ様がお戻りにならないはずがない」
「やっぱり、ロケット団で間違いないんですね。どうして今更……」
「確かにロケット団は解散しました。ですが、こうして地下に潜って活動を続けていたのです」

 ランスが冷笑を浮かべる。余裕を感じる態度にヒビキは焦りが募った。退きそうにない。無言で睨みつけるが、相手は口角の笑みを深めるだけだった。

「ですがまさか、再び子供が邪魔をしにくるとは思いませんでしたよ。カントーといいジョウトといい、どこの地方にも我々の邪魔をするやつはいるんですねぇ」





 視界が一段暗くなった。
 目に涙がにじみ、喉がピリピリと痛む。ハッとしてヒビキは口元を袖で抑えた。

「ピジョー! 吹き飛ばしだ!」
「ぴじょっ!」

 轟、と風が巻き起こり、呼吸が楽になる。頭上を仰ぐと天井付近、スモッグを垂れ流すドガースが潜んでいた。そばにはズバットもいる。ゆっくりと風を起こし、こちらへ送り込んでいたのだ。ドガースは吹き飛ばしの流れに逆らわず、壁沿いに円を描いて接近してくる。

「そのまま風起こしで吹き飛ばせ!」
「ズバット、超音波です」

 ドガースからサッと離れたズバットが超音波を放った。ドガースは風に流されるが抵抗はしない。またトレーナー狙いかとヒビキは耳を抑えた。先の超音波のダメージは抜けきっていない。

「くい……クイーン! 葉っぱカッターだ!」
「ぴゃー!」

 超音波が狙ってたのはヒビキではなかった。でたらめに葉っぱカッターが四方八方に放たれる。ヒビキもポッポもズバットもヤドンもお構いなしだ。ヒビキの両膝が地面を打った。まとわりつくような超音波が姿なき圧力を増していく。割れそうに痛む頭を抑え、ヒビキは千鳥足のチコリータへ叫んだ。

「正気に戻れクイーン!」

 くるくると目が回っているチコリータが今度はツルのムチを振り回した。混乱状態で自分を攻撃している。超音波の圧力が消えた。ズバットが滑るようにチコリータへ接近し、近づいたり離れたりと何度も吸血を繰り返す。ヒビキは転げながら駆け出し、必死に両手を振り回してズバットを追い払った。

「クイーン落ち着け! しっかりしろ! ――ピジョー! 風起こしでズバットを吹っ飛ばせ!」

 ドガースを壁際へと追い込んでいた風が向きを変えた。チコリータを抑えるヒビキの帽子が飛び、ズバットが吹っ飛んで壁に激突した。胸をなで下ろしたヒビキの耳に、ドカッと鈍い音が聞こえた。振り向くと、ドガースの体当たりを喰らったポッポが空中でよろめいていた。続けてドガースの口から高濃度の毒ガスが噴き出し、瞬く間にポッポが落下する。
 ランスがヒビキの帽子を拾った。

「私はロケット団でもっとも冷酷と呼ばれた男です」

 ズバットがその肩によろよろと戻る。
 ――仕留めきれなかった。ヒビキは奥歯を噛みしめた。
 ランスは女の団員が置いた包丁を拾った。そばには体を丸めていたヤドンがいる。洞窟内に撒き散らされた毒ガスに苦しんでいるのか、顔色こそ変らないものの、体を伸ばしてへたれている。ランスは片膝をつき、ヒビキの帽子に包丁を突き立てた。

「貴方ごときが邪魔をしても、我々の活動は止められないのですよ。分かりましたか?」

 あの帽子は、かつて3年前にチャンピオンになった子供が帽子を被っていたと聞いて、誕生日に買ってもらったものだ。
 弱ったチコリータを抱きかかえたまま、ヒビキは動かなくなった。戦意を喪失したらしい子供に、ランスが満足げに息をつく。突き立つ包丁を見ているはずのヤドンに視線を転じたが、とぼけた表情は微動だにしていない。ランスは肩を竦めた。

「……まぁヤドンには、あんまり関係なさそうですが。尻尾を切られても痛くないらしいですし、また生えてきますし。あなたも本当に無駄なことをしましたねぇ」

 不意に、ランスのつまらなさそうな目がヤドンの持ち物にとまった。

「なんですかこれは? 手紙? ……こら、離しなさい。生意気にもこういう時だけ反抗するんじゃありません」
「やどぉ……」

 ヤドンは顔中にしわを寄せ、ランスと手紙を引き合った。予想通りというか想定通りというか、手紙が真っ二つに破れる。ランスは体勢を崩して尻餅をつきそうになった。びりびりになった手紙の片割れをしげしげと眺め、「まぁ、良いですけどね」と放りだす。ヤドンは破れた片割れを、とぼけた無表情で見つめている。

「さて、ポケモンをボールに戻しなさい。我々に差し出せば命だけは助けて……?」

 カタカタと、ヒビキの帽子に突き刺さった包丁が震えていた。音もなく地面から抜け、浮遊する。言葉を失ったランスが、異様な気配にヒビキが、手紙を持っていたヤドンを注視した。
 ヒュッと風切り音がして、ランスの顔面に包丁が飛んだ。神がかった反射神経で避け、緑髪が数本落ちる。岩壁に突き立つ音が妙に大きく響いた。ランスが振り返ると、真っ黒なベレー帽が包丁によって縫い止められていた。
 ヤドンが立ち上がった。異様なオーラが沸き立っている。
 ヒビキはチコリータを抱きしめ、ランスが動揺している隙に戦闘不能のポッポを戻した。腕の中でチコリータが小さく鳴く。見下ろした小さな瞳と目が合った。
 ――まだ、闘志は残っている。

「ら、ランス様。なんだかやばいような……」
「落ち着きなさい。たかがヤドン一匹です」

 浮き足立つ他の団員を叱りつけ、ランスが動揺から立ち直った。ズバットが超音波を放つべく、肩から飛び立つ。
 その瞬間、葉っぱカッターがズバットの片翼を貫いた。

「な……ッ!」
「クイーン! ドガースにも葉っぱカッターだ!」
「ぴゅう!」
「避けなさいドガース!」

 紙一重で葉っぱカッターがドガースを掠め、ヒビキが舌打ちした。ランスの鼻の頭にしわが寄る。目には爛々と怒りが輝いており、慇懃の仮面が剥がれかけていた。奥歯を噛みしめて顔を歪める。

「子供だと侮りましたか……!」

 ランスがサッと片手をあげかけ、顔色を変えた。ヒビキも肌が粟立つ。他の団員も蒼白で、手に手を取り合って震えていた。
 ほぼ全てのヤドンが立ち上がっていた。破れた手紙を持っているヤドンに応えるように、全員から異様なオーラが沸き立っている。十数匹の〝念力〟が、手をつなぎ合うように結びつき、じりじりと場の圧力を高めていた。
 ランスが眉間にしわを寄せ、苦々しげにため息をついた。

「……ドガース」

 ぶしゅぅ、とドガースの体から煙が噴きでる。ヒビキは口を覆ったが、それ以上に濃い煙が視界を塞いだ――煙幕。三人分の足音がそばを駆け抜けていく気配がした。
 去り際、ランスが囁いた。

「今回は退きましょう。ですが、これから何が起きるのか……怯えながら待っていることですね」





 逃げ出したロケット団の代わりに、ヒビキは事情聴取に捕まった。長時間の聴取を終える頃にはへろへろで、ヒビキは自分のやったことの意義について淀んだ頭で考えた。
 ヤドンのほとんどは尻尾を切られてしまったがのんきなものだ。傷ついた様子もない。ランス達の言っていた事も一理あるのだ。町の人は喜んだし安心していたが、もっとどうにかなったのではないかと考えてしまう。
 特に、ガンテツの孫娘のヤドンのこと。ヒビキが手出しをしなければ手紙は破られなかった。それは確かなことだ。
 事情聴取が終わり、翌日。ガンテツに誘われてヒビキは家を訪れた。ヒビキの働きを称え、お前にならボールを作ってやりたいがどうか、とガンテツは言った。孫娘は安心したようにヤドンと眠っている。ヤドンの手は真っ二つに破れた手紙が抱えられていた。
 ヒビキは、頭を深く下げた。ずっと悩んでいたことを話し、ポッポがぼんぐりの木を勝手に荒らしたことも謝った。ガンテツは豪快に笑って許したが、俯いたままのヒビキに少し考え、窓の外を見やった。薄曇りの空が広がっている。

「……わしが生まれてもいない頃、日照りが続いたことがあったらしい。井戸を掘っても掘っても、わずかな水しか採ることができなかった。そんなときや、ヤドンが現れたのは」

 井戸に入り込んだヤドンは弱り切っており、水を求めていた。
 人々はこれを憐れと思い、湧き出たわずかな水をかき集め、そのヤドンに飲ませた。
 するとヤドンは元気を取り戻し、外に出ると大きなあくびをした。
 土砂降りの雨が村に降った。
 雨は三日三晩降り続け、ヒワダの村は日照りから解放された。
 それ以来、感謝した人々はヤドンを奉るようになり、その井戸は〝ヤドンの井戸〟と呼ばれるようになったそうだ。

「400年前の話や。それ以来、いやその前からずっと、人とポケモンは助け合って生きておる」

 ぽつ、と雨粒が窓を叩いた。瞬く間に数を増し、雨が町に降り注ぐ。
 400年前も今も、変らない雨がヒワダに降り注ぐ。
 ヒビキのポケモン達も、そしてヒビキも、互いを助けてここまで旅をしてきた。これからもそうするだろう。
 それが一緒にいるということだからだ。

「ロケット団のように一方的に奪うだけは許されんのや。それが分かっとるから、お前さんは大丈夫や!」

 ガンテツはヒビキに待つようにいうと、奥から変ったボールを持ってきた。上半分が青で、真ん中に赤のラインが入っている。

「今手元にあるボールはこれだけやが、とりあえず持ってけ! ボングリを見つけたら、また持ってくるんやぞ。待っとるからな」

 ヒビキは顔をあげた。ボールをしっかりと受け取り、ヒワダに降る雨を眺めた。突然の雨に降られた人々が、笑いながらヤドンと一緒に駆けていく。
 その中に赤い髪の後ろ姿を見つけ、思わず立ち上がった。

「すみません、もう行きます! ありがとうございました!」
「お、おう!? 気をつけてな!」
「はい!」

 小雨の中を追いかける。少年の名前を叫ぶと、ウバメの森へ接続するゲート前で相手は立ち止まった。立ち去ってしまわないかヒヤヒヤしながら呼吸を整えていると、少年が言った。

「……聞きたいことがある」
「な……ハァ……なに……?」
「ロケット団が復活してるってホントか?」
「そう……だよ……ふぅ。昨日、ヤドンの井戸で会って、なんとか追い返したんだ」
「何?」

 紅く吊り上がった挑戦的な瞳がヒビキを射貫く。
 疑わしそうに少年が吐き捨てた。

「嘘言うなよ」
「嘘じゃない」
「……ホントかよ?」

 少年が面白そうに片眉があげ、モンスターボールを構える。バトルの予感にヒビキもボールを手に取った。傘も差さない二人の両肩が濡れていく。

「じゃあ、その実力。オレに見せてみろ!」

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