乗り越える者の戦い 〜ヌオーの怠惰〜

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作者:ションピニ
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読了時間目安:15分
バトル書き合い大会に出そうとしてた八つの短編のうちの一つです。
 ヌオーは怠惰な男である。目の前に現れた脅威さえ免れれば良い。其の場逃ればかり考えていれば、いつの間にか事は終わっている。彼にとって、「生きる」という行為は、ただそれを繰り返すだけの作業に過ぎなかった。
 だから彼は、何も起きない池のほとりで、たった1匹で、のんべんだらりと日々を過ごしていた。
 ────俺の一生に特別なことなんて起きない。だったら、誰よりも静かな生涯を送ろう。
 勝手に全てを悟ったような顔をして、この世界に対して、己の運命に対して、彼は生意気にも高を括っていたのである。

 そんなヌオーの目の前に、一人の少女が姿を現す。ラビフットとラクライを連れたトレーナーだった。彼女は、今まで見てきた誰よりも明るく、希望に満ちた笑顔を無差別に振りまきながら、ヌオーに接近した。
 そして、彼女は言った。
 「ねぇあなた、私と冒険しない?」

 その提案に対し、ヌオーは首を横に振った。しかし、少女は彼に執着した。キミには見所があるだの何だのと、ヌオーの言葉も気持ちも分からないくせに何様なのだろう。彼は、何度も食い下がってくるこの鬱陶しい人間に、確かな嫌悪感を抱いた。
 だが、彼女の行動によって、今まで暗いところばかりを見つめていたヌオーに、小さな光が射した。結局、彼は根負けした。それから1年ほど、彼は旅をすることになる。
 少女の名は、デイジーといった。


 ◆


 「私ね、強いトレーナーになりたい」
 ある日のことだ。屈託のない笑みを溢しながら、デイジーは自らの夢を語った。
 そこは一軒の寂れた旅籠。ある一室で、ヌオーたちは弱い炎を灯した安蝋燭を囲んでいた。

 「ジムバッジを集めて、ポケモンリーグを制覇する。そしてトップトレーナーになるの。強くなれば、お金をいっぱい稼げる。そしたら私はお母さんを……!」

 そこまで口を開いたところで、彼女は続きの言葉を言いかけて躊躇った。弱い炎が、ゆらりゆらりと揺れ続けている。
 ヌオーが首を傾げると、デイジーは「何でもないの」と笑って呟く。その時の彼女の異変を、ヌオーは気にも留めなかった。
 とにかく彼は、明るい未来を目指す少女の姿を見て、ある種の心地よさを感じていたのだ。
 自分には夢も何もない。だったらせめて、彼女の助けになろう。もしかするとそれが、自分が生まれてきた意味なのかもしれない。己の存在意義を認めることは、彼に生きる活力を与えていた。
 最初はあんなに嫌だった少女に、ここまで肩入れするようになるとは。自嘲するように、ヌオーはゆっくりと笑顔を浮かべた。

 それから数日後のこと。突然、デイジーは言った。
 「近くの山に住み着いたっていうファイヤーを捕まえようと思うの」
 ヌオーたちは彼女の提案に乗った。ここ最近、自分たちはすこぶる調子が良い。今なら、たとえチャンピオンと呼ばれる猛者相手でも、善戦するだろうと思えるほどの自信があったのだ。




 ◇




 今、ヌオーはドロドロに汚れた身体で草木を掻き分け、森の中をあてもなく進んでいる。
 彼は、一瞬の間に全てを失っていた。
 デイジーが亡くなったのである。ファイヤーの吐き出した業火によって、彼女は全身を燃やされ、この世から跡形もなく消え去ったのだ。

 ────ああ、何故俺は彼女を止めなかったのだ。こうなると分かっていれば、どんな手段を講じてでも、ファイヤーを捕まえに行かせなかった。
 この悲劇は、俺の驕りが生み出した。
 自分なら如何に危険な状況でも、デイジーを守れると思っていた。自分はデイジーのためなら、命を賭すことだって出来ると思っていた。だが現実はどうだ。手も足も出なかったじゃないか。誰も守れなかったじゃないか。 

 ヌオーの心に残ったのは、泥溜まりによく似た後悔の念であった。

 ────俺は旅に出るべきじゃなかったんだ。デイジーが俺なんかじゃなくて、他の誰かを捕まえていれば。そうすれば、デイジーは死ななかったかもしれない。

 不思議なことに、デイジーが死んだ直後、涙が出てくることはなかった。その代わり、ヌオーは仲間を置いて、一目散に逃げ出した。仲間内で最も鈍重だった自分には、到底考えられないほどの速さだった。

 それから、どれだけの時間が経過したのだろう。
 気付くと周囲は闇に包まれ、空には月が煌々と輝いていた。月明かりに照らされ、羽根を輝かせたポケモンが、優雅に夜空を飛んでいる。

 「俺は何をやってるんだ!」
 ヌオーは叫んだ。ボロボロと涙粒が溢れる。

 ────デイジーを守れず、仲間たちからも逃げ出し、周りに何も見当たらない暗闇の中、俺は独り取り残された。俺は本当に情けなくて、醜くて、哀れで、ちっぽけな存在だ。

 もう、何もする気が起きない。ヌオーはその場で倒れた。
 どこか遠くから、ホーホーの鳴き声が微かに聞こえる。空虚な静寂の中、彼は呟いた。
 「俺の居場所は結局、あの池しかなかったのか」



 ◇



 数日後、ヌオーは這う這うのていで生まれ故郷の池に帰った。池は相変わらず何も変わっていなかった。その変化の無さが、とても虚しいことに思える。

 ────自分も結局、この池と同じなのだ。

 ヌオーは深いため息をつく。
 ガキンガキンと、不思議な高音が聞こえてきたのは、それから数分後のことであった。
 波紋一つ起きない静寂の池のほとり。雑草を踏み倒しながら、フタチマルが1匹で貝殻を振り回していた。どうやら、技の特訓をしている様子であった。

 「シェルブレード! シェルブレード!」
 フタチマルの声は、あどけない少年の叫びそのものだ。彼は貝殻の殻長を正面に向け、短剣を振り回すようにして小枝を切り裂いている。
 しかし、どうも動きが悪い。腕を振るのと同時に、足元のバランスを崩しているようだった。全身に力が入りすぎているのが良くないのだろうか。
 元チームメイトのエースバーンがよく言っていた。肉弾戦において最も重要なのは体幹である、と。身体のバランスを制した者が、常にベストな技を繰り出せるのだという。
 記憶を掘り返していたヌオーは呆然としていた。すると次の瞬間、フタチマルは手元にあった貝を勢い余って、投げ飛ばしたのである。

 「ああっ、拙者のホタチ!」
 フタチマルの叫びと共に、貝殻はヌオーに向かって真っしぐらに飛んでゆく。彼は呆気に取られていたが、すぐに反応し、貝を左手でキャッチした。
 フタチマルの表情が驚きに包まれる。ヌオーは貝を持って、渋々彼の下へ向かい、「これ、飛ばしちゃ危ないよ」と、一言だけ呟いた。
 近くで見たフタチマルは、まだ表情に若さが濃く残っていた。ヌオーが差し出した貝を受け取りつつ、フタチマルは口をぱくぱくと動かして静止している。

 間もなくして、彼は満面の笑みを浮かべ、大きな声でヌオーに謝罪した。
 「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした! それにしても先ほどの反射神経、お見事でございます!」

 「いや、別に大したもんじゃない」と、ヌオーはぶっきらぼうに言葉を返した。
 さっさとこの場を離れよう。ヌオーは何だか嫌な予感がした。彼が踵を返そうとすると、フタチマルは慌てて彼の肩を掴んだ。
 「お、お待ちください! 図々しいことを承知でお願いします。せ、拙者と、お手合わせ願えないでしょうか!?」

 「はぁ?」
 突然のフタチマルの要望に、ヌオーはつぶらな瞳をパチクリと動かした。
 突然バトルを申し込んでくるだなんて、人間のようなことをしてくるフタチマルだ、とヌオーは思った。
 返答に困る。正直今は、戦うとかそんな気分ではなかった。本来ならそんなお願いは跳ね除けて、さっさと1匹になりたいくらいだ。だが、ヌオーはフタチマルの思いを邪険にすることができない。

 「どうして……俺と戦いたいんだ」
 恐る恐るだった。ヌオーはポツリと呟くように尋ねた。

 「強くなりたいのですっ。拙者には、守りたい人がいます。しかし、今の拙者は余りにも弱すぎる。ですからっ、どうか貴方のような強き方から、指南を戴きたいのです!」
 フタチマルの言葉を聞いたその時、聞き覚えのある少女の声が、ヌオーの頭の中で響きわたった。

 私ね、強いトレーナーになりたい────

 「そう、なのか」とヌオーは苦しそうに言葉を絞り出す。
 彼は薄々勘づいていた。彼がこのフタチマルの願いをすぐに断れなかった理由。この真っ直ぐな目と、カラッとした明るい笑みは、まるで。

 「はは……デイジーみたいだ」
 ヌオーは観念したように呟いた。
 
 ────全ての罪から逃げたかったから、この池に来たというのに。神様は、なんて意地の悪いことをするんだ。いや、卑怯者の自分にはお似合いの罰なのかもしれない。
 
 ヌオーは、薄く紫がかった口元をキュッと引き締める。

 「いいよ、戦うよ。俺の実力が、君の御眼鏡に適うか分からないけれど」
 ─────俺は知ってるんだ。キミみたいなタイプは、断っても断ってもしつこく食い下がってくる厄介な奴だって。

 「本当でございますか!?」
 「ただし、やるならこの場でだ。俺も少し疲れてるんだ。戦うなら、早く終わらせたい」

 デイジーを亡くしてから既に数日が経過していた。少しは自身の感情を整理することもできた。しかし、胸のざわつきはいつまで経っても収まらない。
 この心の乱れが、フタチマルと戦うことで少しでも落ち着かないだろうか。そんな淡い期待がヌオーの中に沈殿している。

 「じゃあ、かかっておいで」
 「了解いたしました。では……いきますっ!」
 興奮を抑えきれない様子で、フタチマルは思い切り足を踏み出した。なるほど、瞬発力は目を見張るものがある。体当たりを繰り出してきたフタチマルを、ヌオーは正面から受け止めた。
 この子はどうして戦う時ですら、笑顔を浮かべたままなのだろう。先ほども慣れない動きで、ずっとシェルブレードの練習をしていた。その時も彼は、実に楽しそうに笑みを浮かべていた。
 今のヌオーにとって、彼の表情はあまりにも眩しすぎる。

 体当たりが通用しないと分かったフタチマルは次に、二枚貝の片側ずつを両手に持ち、ヌオーの胴に攻撃を仕掛けた。何度も何度も貝殻を打ちつける姿は懸命でこそあるが、与えられるダメージは微々たるものだ。
 客観的に見れば、余りにも無謀な動きだった。
 それもそのはずだ。フタチマルとヌオーの間には、圧倒的なレベル差が存在する。身体能力が高いとか、技が強いとかの問題以前に、文字通り経験値が違いすぎたのだ。

 「はぁっ、はぁっ……」
 まるで心の臓を踏みつけられているかのように、フタチマルは呼気を荒げた。彼の全身から、大粒の汗が滴っている。

 「疲れてきたかい? 体力の減りがいつもより早い気がするだろ。……君が体当たりをしてきた時、俺はこっそり『どくどく』という技を君に仕掛けたんだ」
 「戦うなら早く終わらせよう」と宣言したヌオーが、わざわざ『毒』という搦み手を使う必要はなかった。本気を出せば、今のフタチマル程度ならば、一瞬で倒すこともできたのだ。
 しかし、そうしなかったのは何故だろう。ヌオー自身にも、理由は分からなかった。

 「なるほどっ! いきなり速攻を仕掛けた拙者のミスですね。ヌオーさん、ありがとうございます。本当に勉強になります!」
 まただ。またこの希望に満ちた表情だ。
 毒の影響で、そろそろ立ちくらみが始まる頃だというのに、フタチマルはまだ笑っている。
 ここでヌオーは気づいた。

 ────そうか、自分はこの未来あるフタチマルに苛立ちを覚えていたのか。希望溢れる若者を追い詰めてやろうという醜悪な思いが、知らずして心の奥底に根を張っていたのか。

 「俺は、俺は……そんなお礼を言われるようなポケモンじゃないっ!!」
 ヌオーは大量の泥を勢いよく吐き出した。それは彼の得意技、『マッドショット』だった。
 押し寄せる泥の塊に飲まれ、フタチマルは大木に叩きつけられる。既に彼は瀕死に近い状態だった。だが、それでもなお、彼の瞳から光は失われていない。

 息も切れ切れのフタチマルを前に、ヌオーは微かに言葉を漏らす。
 「もう戦っても無駄だろ。諦めろよ。なんで、なんでまだ戦うんだ」
 唖然とするヌオーに、フタチマルがにじり寄ってくる。
 ヌオーは動けない。経験やら強さやら、圧倒的に格下であるはずのフタチマル相手に、彼は気圧されていたのだ。

「うぉぉぉぉ……!!」
フタチマルが雄叫びをあげ、渾身のシェルブレードを放つ。

 「!?」
 ヌオーは突然の激しい痛みに、表情を歪めた。
 体力が残り少ない状況にのみ、技の威力が急激に高まる特性【げきりゅう】も相まって、フタチマルのシェルブレードはこれまでとは比較にならないパワーになっていたのだ。
 何よりも、先ほど彼が練習していた時とは明らかに、シェルブレードの完成度が違っていた。おそらく、限界に近い状態だからこそ、程よく全身から力が抜けていたのだろう。そのおかげで、彼は完璧な技を放つことが出来たのだ。

 「もう、限界です……えへへ」
 フタチマルはそう言うと、ズルズルと崩れるように倒れてしまった。勝負自体はヌオーの勝ちだ。
 しかし、ヌオーの中に生まれたのは、勝利とは対局の位置にある感情だった。呆然と立ちつくすヌオーに、フタチマルが小さな声で言葉をかける。
 「ヌオーさん、今日のバトルすっごく楽しかったです! また、戦わせてくださいね……!」

 相も変わらず屈託のない笑顔を満面に湛える彼を見て、ヌオーは思わず「はは……」と感情を溢すように笑ってしまう。
 デイジーが今の自分を知ったらどう思うだろうか。ヌオーはそんなことを考えていた。
 きっと彼女は、このフタチマルのように快活に笑って、「元気を出しなよ、ご飯でも食べるかい?」なんて呑気なことをあっけらかんと言うのだろう。
 もう、落ち込むのは止めにしよう。今のままでは、デイジーに顔向けできなくなってしまう。

 ヌオーは「ああ、また戦おう」と答えた。
 暗いところばかりを見つめ続けた彼に、小さな光が射したのは、これが二度目の経験だ。

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