敵意の水面に虹を架ける

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作者:四葉静流
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読了時間目安:87分
・この拙作は、同じく拙作の「泡沫のガールフレンド」(https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/2620)についての直接的な続編です。前作で描写したものに関しては意図的に省いている部分があります。
・年齢制限を設けるほどの描写は含まれておりませんが、何をお読みになっても楽しめる方向けのものです。
「ごめんなさい……遅れました……」

 私たちジムトレーナーを含むジム関係者の全員が着席している横を、このジムのユニフォームである大気圧潜水服を模したバトル衣装ではなく、私服の黒のパーカーとフレアスカートを着たサラナさんが足早に奥へと進む。その様子を私たちジムトレーナーは、ある者は振り返りながら見つめ、ある者は優しい言葉と微笑みを投げ掛けている。
 サラナさんは礼儀正しく、めったに時間を破る事がない。しかし、今日はこの定例ミーティングの三十分前に遅刻すると連絡があった。
 ここに集う誰もがサラナさんには隠しているが、その理由がたった数十秒前までの議題であった。サラナさんの身の上は、このコンペキジムの誰もが知っている。
 ジムリーダーとして挑戦者の前に立つ際は頭から足まで潜水服で隠し、変声機で地声を加工しているが、限られた者にだけ見せるサラナさんは女性的な外見と男性的な先天の性別と声を持つトランスジェンダーだ。
 社会が多様性を認め始め、サラナさんも腕が良いストリートトレーナーからジムリーダーへと地位を得たが、私のような先天的心身性別合致・異性愛者シスジェンダー・ヘテロセクシャルには分からない苦労があるのだろう。それに加えて、サラナさん自身は隠しているが、サラナさんの切り札であるアシレーヌの「ヒメ」との関係も気がかりだ。
 ヒメは、ガラル地方においてサラナさんと同じく水タイプのジムリーダーであるルリナさんから、サラナさんへジムリーダー就任祝いとして贈られたポケモンだ。今ではネット上にアップロードされている動画の中にあるのみだが、ルリナさんとヒメの相性は傍目から見ても名コンビと表現する他がないものだった。そのアシレーヌを、ルリナさんはサラナさんの為に手放したのだ。
 サラナさんの下においてもヒメは切り札を務めている。挑戦者にとっては、ヒメの攻略とコンペキジムの攻略はほぼ同義だ。しかし、サラナさんとヒメの関係は怪しい。サラナさんの身に原因不明の怪我や傷が見受けられた事は、一度や二度ではない。
 私たちは伊達にジムトレーナーを、このミクス地方のリーグ委員会から認められたポケモントレーナーをしていない。サラナさんにとってそれがジムリーダーとしての試練であるから過干渉は控えているが、私たちがヒメを止める時が来るかもしれない。「サラナさんの状態を確認できる」という意味でも、この定例ミーティングは重要だ。

 水色の内装と調度品で統一されたミーティングルームの天井は、バトルフィールドであるプールの底だ。この部屋の大きさのみプールの底がガラス張りになっており、ジムバトルの際は閉開式の覆いが動く仕掛けだ。
 不気味な実験施設を想起させる機械的なバトルフィールドと異なり、ミーティングルームはこの部屋そのものの他にプールの中に設けられた照明が水の壁を通って照らしている幻想的な空間だ。元々は狭い立地を縦に活かす理由で採用されたが、心地よい話し合いを促す事に一役買っている。
 そのミーティングルームの中央に陣取る縦長のテーブルの一番奥、短辺のそこに佇む水色に染められたエグゼクティブチェアへとサラナさんは品良く腰を下ろした。

「本当に遅れてごめんなさい……それで……バトル教室ですか……?」
「そうそう! サラナちゃんもそういうやってもいいと思うの!」

 ミーティングの口火を切ったサラナさんに、私と同じジムトレーナーであるナヌムさんが、金色のまとめ髪が彩る顔の横で人差し指を立てた。ナヌムさんはジムトレーナーでありながらリーグ優勝候補常連だ。私を含む他のジムトレーナーと異なり、サラナさんと同じく個人として企業とスポンサー契約を交わしている。
 近しい間柄以外には隠しているサラナさんとは対照的に、バイセクシャルである自身のセクシャリティを公言しているナヌムさんは「昔の私を見ているようで放っておけない」と、一回りも歳が低いサラナさんの下でジムトレーナーを務めている。そして、控えめな性格のサラナさんにとっての精神的助言者メンターでもある。口には出さないが、サラナさんにとって本当に重要な存在はヒメよりもナヌムさんなのかもしれないと、私は日頃から感じている。
 
「それ、昨日届いた資料のコピー」

 ナヌムさんが片手に掲げたそれを軽く振る。サラナさんは黒い横髪を耳に掛けながら、自身の席へ既に用意されていたものへ視線を落とす。嘘か真か判断できないが、昨日は体調不良を理由にサラナさんはジムに顔を出さなかった。私たちジム関係者は既に目を通している。
 サラナさんとナヌムさんのスポンサーである、とある腕時計ブランドが若年層のトレーナーに向けたバトル教室を提案してきたのだ。その提案の中では、対象はジムバッジ未所持かつ高校に通うより低い年齢の子ども及びその親子、場所はコンペキジム、費用のほぼ全てを企業が受け持ち、スポンサー契約金額より劣るがジムの関係者全員へ報酬も約束されている。
 私個人から見ても全くもって悪くない提案であり、これには企業側にも利益がある。その腕時計ブランドは潜水時計を主とした実用的な性能を売りにしており、フラグシップモデルは並みの中古車が買えるほどの高級志向である。コンペキジムに在籍する有力トレーナーが参加するイベントを主催するとなれば、一般家庭層への良いアピールになる。参加対象に「親子」と含まれているのもそれが理由だろう。資料の中では、コンペキシティの一角に構える時計店でのフェア企画の予定も記載されている。
 そして、サラナさん個人へのメリットもある。公私共に社会福祉イベントへ足繁く顔を出すナヌムさんと違って、公の場では全身に甲冑のような潜水服を纏うサラナさんは「コンペキの海の亡霊」の通り名一辺倒のトレーナーだ。バトル衣装姿のサラナさんしか知らないジムリーダーの中にも、サラナさんを苦手としている者がいる。そのイメージを見込んで契約を持ちかけるスポンサーがいる利得もあるが、これではサラナさんの成長に繋がらない。ジムリーダーが席を外している時にナヌムさんがよく喋っている、「サラナちゃんに足りないものは積極性と根性」だと。

「サラナちゃんは、子供は好き?」
「嫌いではないですが……」

 テーブルに置かれた資料を見つめている振りをして、サラナさんの目は泳いでいた。サラナさん以外の全員が顔を見合わせる。
 その瞬間に私たちの意思は、昨日に引き続き改めて一つの方向に固まった。コンペキジムの意向を決めるのはサラナさんだ。それはナヌムさんでも覆せない。つまり、ジムリーダーが断ればこのイベントは行われない。今のサラナさんは間違いなく非の理由を探している。私たちのジムリーダーにとっては荒治療かもしれないが、現状を最良とは考えていない。私たちの為にも、そしてサラナさんの為にも、このバトル教室は行われなければならない。

「ジムリーダー、やりましょう! この街そのものの為にもなります!」

 数週間前にコンペキジムへ研修として赴任してきた若い男性の、リーグ本部所属のジムトレーナーの声がミーティングルームに響いた。彼の言葉に偽りはなく、このような催しは活気が豊かな港街であるコンペキシティをさらに盛り上げる。それこそ定期的なイベントとなれば、この街の新たな観光資源になる。
 それと同時に、コンペキジムの印象を変える機会にもなる。コンペキジムはリーグ公認の施設である事は周知の事実だが、外装もバトルフィールドも廃棄された実験施設のようであり、潜水服を着込んだ私たちは水タイプのトレーナーであるが亡霊さながらだ。「日の光が降り注ぐ港街には、あまり似つかわしくない」として、嫌悪感を抱く住人が少なからず存在する噂は耳にしている。その印象が好転すれば、このジムのコンセプトを考えたサラナさんの心境にも変化が訪れるかもしれない。

「私も賛成です。むしろ、反対する理由が見当たりません」

 事の成り行きに合わせて口を挟むつもりであったが、私も続いて発言した。サラナさんは資料から顔を上げない。私はそのジムリーダーから視線を移してナヌムさんを見る。「よく言った」と言わんばかりに、無言で笑みを浮かべるナヌムさんが私に向けて握り拳を作った。

「たまには、こういう事もいいと思います」
「サラナさんの事は、俺たちでサポートしますから」

 新人さんと私の発言を皮切りに、他のジムトレーナーたちからも賛同の声が上がる。サラナさんの心の支えであるナヌムさんは未だ明言を口にしていないが、これはサラナさんの否定的な返答に備えている為だろう。
 サラナさんが不在だった昨日の内に、全てのジム関係者はこの企画に乗るつもりで団結している。サラナさんの性格を考えると心苦しいが、この場においてジムリーダーに賛成する者は皆無だ。

「あ……あのっ……私も……こういうイベントはいいと思います……ですが……」

 サラナさんが俯きながら言葉を発し始める。その時だった。

「ジムリーダー! 反対する理由がどこにありますか!?」
「ちょっと待って待って。サラナちゃんの話をちゃんと最後まで聞こうよ」

 サラナさんの発言を遮るように叫んだ新人さんを、ナヌムさんが穏やかな声色で窘める。熟練トレーナーのその態度に、彼は己の態度が己が慕うジムリーダーにとって良くないものと察したようだ。
 ナヌムさんが席から立ち上がりサラナさんの元へ近づく。一同が見つめるサラナさんは、両目から溢れた雫で資料を濡らしていた。

「申し訳ありません……ジムリーダー……!」
「分かってくれたなら大丈夫。ね、サラナちゃん?」

 そう言いながら、ナヌムさんはサラナさんの肩へ後ろから手を置いた。そして、自らの顔をジムリーダーのそれに並べる。

「みんなね、サラナちゃんと同じでコンペキジムを良くしたいと思ってるから、だからちょっと力んじゃっただけ。サラナちゃんを頭ごなしに否定したいわけじゃないよ。あ、ありがとう。顔を拭いたら、みんなを見れるかな?」

 私が立ち上がってミーティングルームの隅にある小さなテーブルからボックスティッシュを持ってくると、ナヌムさんが笑顔で受け取った。サラナさんがそれで目や鼻を拭きながら、「ごめんなさい……」と何度も呟く。
 新人さんはその様子をばつが悪い顔つきで見守っており、彼の隣に座る二ヶ月早い先輩に当たる若い女性の技術スタッフが彼の脇腹を肘で小突いた。
 時間で表現すると、数分だろうか。目を赤くしたサラナさんがゆっくりと顔を上げた。開館日と異なり、今日のジムリーダーはアイメイクを施していないのが幸いだった。ナヌムさんが席に戻ると、サラナさんはもう一度「本当に……何度もごめんなさい……」と一同に詫びた。
 サラナさんの性格を、ジム関係者は知っている。性に多様性があるように性格にも幅があり、異を唱えるとしてもそれに合わせた態度を心がけるべきだろう。しかも、相手は目上であるジムリーダーだ。

「ごめんなさい……私もすごく……いいイベントだと思います……ですが……その為にジムバトルを休むのは……どうなんでしょう……開館日には毎日挑戦者が来ます……別の場所でナヌムさんと最小限のスタッフだけ……というのは……?」

 その言葉の真意に、サラナさん個人の否定的で回避を目的としたものも含まれているだろう。しかし、ジムリーダーの言葉には一理ある。そして、私たちは既にその答えを用意している。

「ジムリーダー、少しいいですか?」

 サラナさんから見て最も遠い場所に座る、コンペキジム専属である初老のリーグ審判が静かに立ち上がった。サラナさんがそうするのに合わせて、私も彼に視線を向ける。

「たしかにジムリーダーが仰るのも尤もです。バトル教室を開催すれば、準備や後片付けも含めて数日はジムバトルをできないでしょう。その解決策として、このイベント開催前から告知を出すのはどうでしょう?」
「それで……大丈夫でしょうか……?」

 眉尻を下げた表情で問いを返すサラナさんに、審判は続ける。

「ジムバトルの挑戦者は中長期の旅をしながら各地を回るトレーナーが多い。彼らにとって、数日程度の空白はさほど大きなものではないでしょう。リーグやこのジムのホームページにも予め数週間前から記載しておけば、混乱は避けられるかと。リーグ公式アプリから通知を流す手もあります」

 サラナさんのか細い返答が消えた。そのままの表情で、審判を見つめている。
 誰もジムリーダーに言及しないが、昨日の欠勤も休館と同義だ。ナヌムさんや、私のような中堅ジムトレーナーが挑戦者を阻めたから事なきを得たが、仮にジムリーダー戦まで駒を進めた挑戦者が現れていたら、休館日の今日を経て明日までそれを待たせていたかもしれない。
 それをサラナさんも自覚しているだろう。審判は上手いところを突いた。そして続ける。

「この資料には記載されていませんが、参加対象以外のトレーナーなどにはジムの観客席でイベントを見学できるようにする事を打診してみるのはいかがでしょう? ジムリーダーも気づいていると思いますが、企業にとってこれは宣伝です。それを受ける人間が増える事を拒むはずはないでしょう。参加対象以外のトレーナー、つまりはジムの挑戦者にとってですが、彼らにはジム攻略の予習になります。リーグ規定に、『これからジムに挑戦する者が、そのジムリーダー戦の観戦をしてはならない』というものはないですから、こちらはジム挑戦臨時休止の届け出のみで問題ないでしょう」
「なるほど! ご尤もです!」

 リーグ審判が言い終わると、新人さんがすぐさま声高らかに相槌を打った。審判が座ると、テーブルを囲む面々から「たしかに、企業の言いなりになる必要はないな」や「みんなで盛り上がりたいね」という声が次々と上がる。この議題に最終的な判断を下す権利を持つサラナさんは、ジム関係者とは対照的に再びテーブルへと顔を向けて俯いた。
 審判の言葉に非の打ちどころがないのは、サラナさんの耳から聞いても同じだろう。反論と否決の理由があるとしたら、ジムリーダー個人の心境に他ならない。サラナさんの表情を暗くしたものは、その葛藤だろう。
 先ほどの一件があった手前、サラナさんへ強引に返答を求める者は誰もいない。しかし、私を含めた一同はサラナさんのそれを静かに待っている。その時だった。

「サラナちゃん」

 ここまで話し合い自体には直接的に加わらなかったナヌムさんが、灰色のセーターを着た背中を椅子の背もたれに預け、両手の指を軽く組みながら言った。

「サラナちゃんはどうしたい? ここのジムリーダーはサラナちゃんだから、サラナちゃんが決めていいんだよ」
「…………」

 サラナさんは黙ったままだ。それでもナヌムさんは笑みを絶やす事がない。

「私たちの事は考えなくていいよ。それから、リーグやスポンサーや子供たちの事も。だけど私の考えを言うと、少しでもサラナちゃんがやってみたいと思うなら、今のサラナちゃんから少しでも変わりたいと思うなら、絶対良い経験になるよ」

 それはナヌムさんの本心そのものだろう。ナヌムさんには、「サラナさんの事を思って」という理由以外に、サラナさんをこの企画へ促すメリットがない。
 サラナさんが断れば間違いなく企業は、既に構想を練っているであろう次の案へ、ジムリーダーと同じく契約を結んでいるナヌムさんを主体としたものへと鞍替えするはずだ。実のところ、企業にとってサラナさんが参加するか否かはさほど重要ではなく、そこに注目しているのは私たちだ。
 サラナさんに、自分から最初の一歩を踏み出してほしい。サラナさんが変わるきっかけを、自分から掴んでほしい。ここに集う誰もが、それに伴う苦労を厭わないだろう。それは私たち自身の成長に繋がり、サラナさんを慕うが故の願いだ。

 しばらく、沈黙が続いた。その間、私たちはおろかナヌムさんも一言も投げ掛ける事なくサラナさんを見守った。時間にすればわずか数分だったのかもしれない。しかし、私はとても長い月日に感じられ、そして期待を込めて沈黙を貫いた。

「……私も……やりたいです……」

 サラナさんは俯いたままだったが、その言葉はミーティングを囲む全員の耳に届いた。

「よく頑張ったね、サラナちゃん。じゃあ、企業の方にこっちから要望する事をまとめようか」
「それと、当日のスケジュールや準備期間の大まかな流れも決めておきましょう。ジムでの開催ですから会場費はゼロですが、バトル教室をするならその為の、あちらに請求する設備費や時間がかかりますから」
「僕は来てくれた人やポケモンみんなが楽しめるものにしたいです!」
「そうそう、そんな感じ。サラナちゃんは何か考えある?」

 待っていたと言わんばかりにジムトレーナーたちから議題を進める声が上がる。発言する者も見守る者も、その顔色は明るい。私が横目で窺うサラナさんも、先ほどより曇りが晴れた顔つきを一同に向けて上げた。



  敵意の水面に虹を架ける



 コンペキジムのバトルフィールドと観客席は、端っこにある非常階段みたいなジグザグの金属製のそれで繋がってる。そこをふたりの子どもがカンカンと足音を立てて降りてきた。ひとりはリズムよく軽やかに、ひとりは一歩ずつゆっくりと。
 今日のジムは元々あるプールの中のもの以外に、壁に付けた追加の照明があるから、ホラー映画みたいな寂しい雰囲気になってない。それに、スピーカーからはマイクからの声の他に明るいポップ曲を、人の声を邪魔しないくらいの音量で流し続けてる。
 活発そうな女の子は、茶色のショートボブの髪に、長袖で紫色のワンピースを着た子。控えめそうな女の子は、赤茶毛のポニーテールで、紺色のデニムジャケットと黒スキニーを着た子。本当に女の子なのかな。私が生まれた時の性別と見た目が違うから、どうしても目に見える形を疑っちゃう。
 そのふたりが、バトルフィールドのプールに背中を向けた私とナヌムさんの間に立つ。すると、もう一度観客席からは拍手が沸き起こった。引っ込み事案な女の子が私のパートナーに選ばれる理由を作ったその子の父親は、周りのお客さんよりも大きく手を振って応援している。
 ワンピースの子はみんなに手を振り返しているけど、デニムジャケットの子は少し離れて隣に立つ私を見てオドオドしてる。なんだか、私とナヌムさんを人の目から見てるみたいに思えちゃう。といっても、今の私は体の全部を潜水服のバトル衣装で隠した「本番モード」だけど。

「落ち着いて、ゆっくり息を吸って吐けば、少しは気持ちが楽になります」

 ヘルメットの内側にある、瞳の動きを感知する操作でジムのスピーカーとの無線接続を切って、衣装そのものに付いているそれに繋ぎ直してから私は控えめそうな子に話しかけた。だけど、その子は自分を見下ろす私に余計怯えちゃったみたいで、胸の前で腕を縮こませて俯いちゃった。
 「ごめんね」って謝りたいけど、今の私は「コンペキの海の亡霊」だからそれができない。プールショーみたいな華やかで楽しいバトル講座が終わって、「ジムリーダー・サラナやジムトレーナー・ナヌムとの共同バトル」に入ったから、小さな子どもやそのお父さんお母さん以外にもお客さんが入ってきた。模擬戦の後に予定されているクイズ大会の景品がほしいお客さんや、私やナヌムさんの応援グッズを持ったファンの人もいる。だから私は、「ジムリーダーのサラナ」を演じなきゃいけない。
 とはいえ、これじゃあ模擬戦はやる前から結果が分かっちゃう。ナヌムさんとパートナーを組む子は、私と違って他のジムトレーナーと同じでヘルメットの代わりに小型のヘッドセットを付けたナヌムさんと小さなダンスをしてる。私の方は、私の所為で自己紹介さえできてない。

 こういう時、ナヌムさんだったらどうするのかな。そう思ってヘルメット越しにナヌムさんを見ると、腰をかがめて女の子とハイタッチをしてるナヌムさんは一瞬だけ穏やかな顔で私を見た。
 ナヌムさんは期待してる。ううん、ナヌムさんだけじゃなく、ジムのみんなが私にそう思ってる。
 知らない子と一緒にバトルするなんてすごく怖いけど、ここまで来たんだから最後までやるしかない。やるのは「ジムリーダーのサラナ」だけど、「私」自身の成長になると思う。

 私は小さな女の子に近づいてく。一歩踏み出したら女の子は私に背中を向けて、ガチャガチャと私が歩くごとにどんどん背中が丸まっていった。ナヌムさんたちから見て、私はこう見えるのかな。なんだか不思議な気分だし、結構恥ずかしい。
 私が女の子の後ろで片方の膝を床に着けてしゃがむ頃には、女の子は前かがみになって体を少し震わせてた。その肩に、私は鋼のグローブをした両手を置く。女の子は払いのける事はしなかったけど、ビクンと大きく驚いた。鋼の潜水服を着ていたから大丈夫だったけど、それで私もすごい驚いちゃった。
 このままタマザラシみたいにまん丸になっていきそうな女の子に向かって、私はさっきよりスピーカーの音量を下げて言った。

「怖がらないで、私の小さなパートナー。あなたの力が必要です」

 ちょっとカッコつけすぎだったかな。それは分からないけど、女の子が顔だけは私におそるおそる向けてきた。つむってしまいそうなくらい目を細くしてあんまり私を見ないようにする女の子は、やっぱり私が怖いんだと思う。特にヘルメットは小さな窓がいくつも並んでいて、自分でデザインしたくせに自分でもちょっと不気味に思っちゃうし。だから、私の態度とか言葉でどうにかしなきゃ。

「私はサラナ。あなたが知っている通り、コンペキジムのジムリーダーです。そして、これからあなたのパートナーになります」

 頭は動かさないで目だけを動かして、私はヘルメットの内側の映像を移動させたりズームする。ナヌムさんとパートナーの女の子も、今日のイベントの司会をしてくれているリーグからこのジムに研修で来た新人さんも、みんな私を待ってくれてる。何度も何度も謝りたくなるけど、「ジムリーダーのサラナ」が許してくれない。
 そして、私は私のパートナーを待ってる。女の子は口をモゴモゴさせて私を見てる。たぶん何か言いたいんだと思う。

「どうしました、パートナー?」
「あ……あの……ね……」

 そう、がんばって。もう少し。他の指と違って一本だけで動く私の親指は、この子の目に溜まってきた涙を拭いてあげたいけど、じっと我慢する。

「あのね……ジムリーダーさんって……本当にゆうれいなの……?」

 私はとっさにスピーカーの接続を切った。がんばって私に話しかけてくれたこの子には悪いけど、ヘルメットの下の私の顔は自分でも分かるくらいおかしくて笑ちゃった。そうだよね、こんな姿じゃそう思っちゃうよね。

『サラナさん、大丈夫ですか?』
「はい……どうやら私……本物の幽霊だと思われてたみたいです……」
『自己申告が確かなら、十歳にもなっていませんから無理もないです。こちらから進行を促しますか?』
「いえ……私でやってみます……」
「ジムリーダーさん……どうしたの……?」

 別の部屋でイベントの裏方をしてるジムトレーナーやスタッフと通信してる間に、私が何も返してなかったから女の子の両目からはついに涙が流れちゃった。
 私はゆっくりした動きで、左手を自分の胸へ当てながら、右手で女の子の片方のほっぺを拭ってあげる。ちょっとまた驚いたけど、女の子は嫌がらなかった。そうしながら、スピーカーの接続を直す。

「私は幽霊ではありません。鉄の服を着ていますが、あなたと同じ人間です」
「……そうなの?」
「ええ。さっきはたくさんの水ポケモンを見ましたよね? ポケモンと同じように、人間にもたくさんの種類があります。人間同士、そしてポケモンと人間が一緒になれば素晴らしい事ができると、あなたに教えたいのです」

 私は女の子の前で立ち上がる。私自身の心の傷と、ヒメちゃんに一昨日の夜に押し倒された時に痛めた腰を隠しながら。こんな事を言っちゃったけど、私自身はまだまだ未熟。だけど、この子には関係なくて、しっかりしなきゃ。
 まだ胸の前で腕を構えてるけど、女の子の背筋が伸びた。それで、少しどよめいてた観客席ももう一度盛り上がった。ナヌムさんを見ると、ナヌムさんも私を見てて、パートナーと手を繋いでいない右手を私に向けて握り拳を作った。私、がんばったかな、ナヌムさん。

「それではおふたりとも、このマイクを付けて自己紹介をお願いできるかな? うん、機械の方はポケットに入れるか、手に持ってね」

 私と私のパートナーを待っていた新人さんがすかさず女の子たちふたりに駆け寄ってきて、グローブをしていない手で小型のピンマイクを渡した。新人さんは今日のイベントでずっと司会を担当してる。若い情熱だけじゃなく、こういう才能もあったみたい。新人さんより歳下で、引っ込み思案な私が褒めれる事じゃないかもしれないけど。でも、この事は後でリーグ本部へ出す評価シートにちゃんと書かないと。

「そうそう、そんな感じ。似合うじゃ〜ん」
「その黒い機械は、服のポケットに入れましょうか」

 私とナヌムさんは、それぞれのパートナーがマイクを付ける手助けをする。私は遠隔操作でマイクの電源を入れた。設定が済んだものをふたりに渡していて、電源を入れるだけでジムのスピーカーと繋がる仕組みになってる。

「あっ、わっ!! すごい!! こえが大きくなった!!」

 マイクを付けたナヌムさんのパートナーの女の子が、スピーカーから出る自分の声に驚いた。

「パパー!! ママー!!」

 たったそれだけでマイクに慣れたみたいで、ナヌムさんの相棒ちゃんはマイクを使って叫びながら観客席のお父さんとお母さんに手を振る。

「あー……あー……あー……」

 私の相棒ちゃんは片手でマイクをつまみながら、少しずつ大きな声を出してる。こういうのって、やっぱり性格が出るなあ。もしも初めてだったら、私も私のパートナーと同じ反応をしてたと思う。

「大丈夫ですか?」
「うん……」

 私も自分のヘルメットに付いてる機械をジムのスピーカーに接続させてから、私の相棒ちゃんとそんな受け答えをする。新人さんが子どもたちの前で膝を着いてしゃがんだ。

「それでは、あらためて、お名前は?」
「あたし、ペルディータ! みんなから『ペルディ』ってよばれてるの!」
「僕もペルディちゃんって呼んでいいかな?」
「もちろんいいよ!」
「ありがとう。ペルディちゃんは何歳かな?」
「ことしで6さい!」
「ペルディちゃんはポケモンが好きかな?」
「もちろん大すき!!」

 私が六歳の頃って、どうだったかな。嫌な事を思い出しそうになって、私は逃げるようにペルディちゃんから私のパートナーを見た。

「ありがとう、ペルディちゃん。それでは、もうひとりのお友達にも自己紹介して頂きましょう。お名前は?」
「…………」
「自分のお名前、言えるかな?」
「あの……私……メリナ……」
「よく言えました。メリナちゃんは何歳かな?」
「今年で……七さい……」
「メリナちゃんもポケモンが好きかな?」
「うん……」
「それはよかった。それでは皆さん、当ジムのトレーナーと小さなチャレンジャーはこれから作戦タイムに入ります!」

 事前に決めていた予定通り、新人さんが作戦タイムの宣言を叫んだ。もう一度観客席が盛り上がり、キョロキョロして状況が飲みこめていないメリナちゃんの横で私は膝をつけてしゃがんだ。

「心配しないでください、メリナ。これから、バトルの作戦を話し合います」
「そうなんだ……ジムリーダーさんがたたかうの……?」
「私とメリナ、ナヌムとペルディがチームとなって、それぞれポケモンを一体ずつ出し合ってバトルします」
「私も……?」
「はい、力を貸してください」
「私……できるかな……」
「大丈夫です、私が手伝います」

 そもそもメリナちゃんは、今から何をするかも分かっていなかったみたい。子どもとの話し方ってすごく難しいけど、なんだかそれが上達してくような気がする。これだったらヒメちゃんとも、もっといいコミュニケーションができるようになるのかな。
 ナヌムさんの方もペルディちゃんの隣でしゃがんだ。「これからなにするの!?」ってはしゃぐペルディちゃんに、笑顔のナヌムさんは何も言わないで右の手の平で口を隠した。そうすると、ペルディちゃんも大急ぎで口を押さえた。本当にナヌムさんは上手だなあ。
 ペルディちゃんとその隣で膝をついた潜水服姿のナヌムさんは、お姫様とボディーガードの騎士みたい。ナヌムさんは女性としてもトレーナーとしてもカッコイイからなあ。ヒメちゃんとしかキスした事がない私と違って、ナヌムさんは何回も、男の人とも女の人とも付き合った事があるって言ってたし。私たちの方はどうかな。もしかしたら、いたいけな女の子をさらいに来た本物の亡霊に見えちゃってるのかも。

「ジムリーダー、これを」
「感謝します」
「ジムリーダー・サラナとジムトレーナー・ナヌムには八枚のカードが配られました! 皆さんには、モニターに映っているものと同じです!」

 新人さんから八枚のカードを、扇のように広げた状態でそれぞれの手に四枚ずつ受け取る。これもあらかじめ決めてた事。こうしないと潜水服の手でカードが掴めないし、カードを使って目に見える形にしないと小さな子にポケモン選出の戦術を教えるのが難しいから。ナヌムさんの方も私と同じように受け取って、ペルディちゃんに見せている。
 頭を動かさず瞳の動きだけでヘルメット越しの視界を動かすと、新人さんの言葉通り、いつもはジムバトルの演出のためにノイズ混じりの大型スコアボードホログラムモニターに、今日ははっきりとした画質で八体のポケモンが表示されてる。

「メリナ、このカードのポケモンたちが分かりますか?」
「あたし、しってるよ! 青いカードがオトスパス、ガブリアス、キングドラ、エンペルト! 赤いカードがブルンゲル、ドラミドロ、ダダリン、アシレーヌ!」

 私たちの声はスピーカーでジムの中に響くから、私の質問にペルディちゃんが答える。これも想定通り。だから、選出を決める時になったら忘れずマイクの電源を操作しないと。

「私も知ってた……」
「ペルディちゃんもメリナちゃんもすごいね〜!」
「ねえねえ、ナヌムさん! ほんとにすごい!?」
「本当だよ〜!」
「やった〜!!」
「……私もすごい?」
「ええ、素晴らしいです。メリナとなら、きっと良いバトルができるでしょう。では、これからの事を話しますから、ふたりともちゃんと聞いてくださいね」
「は〜い!」
「……うん」

 メリナちゃんとペルディちゃんに分かるような言葉で、私はふたりに共同バトルのルールを教え始めた。それと、コンペキジムのバトルフィールドの簡単な特徴も。その様子を、ナヌムさんは静かな笑顔で見守ってる。

 ルールは簡単なワンオンワン。ジムトレーナー同士の軽い練習でも使われてるバトル形式。いつものそれと違うのは、私はメリナちゃんが一緒で、ナヌムさんはペルディちゃんが一緒の、トレーナーはふたり同士という変則ルール。そして、ポケモンへの指示はメリナちゃんやペルディちゃんが主体になって出してもらう事になってる。私やナヌムさんはあくまでサポートという形。
 このバトルの目的は、「ポケモントレーナーになる前の十歳未満の子に、ポケモンバトルを体験してもらいたい」というもの。本当はメリナちゃんやペルディちゃんだけじゃなく、お客さんとして来てる子どもたちみんなにバトルを体験してもらいたい。だけど、それだと時間がいくらあっても足りないから、手を上げたお客さんの中から司会の新人さんがふたりだけ選んで、それがペルディちゃんとメリナちゃんのお父さんだった。このバトル教室に、次はあるのかな。それは私次第なんだろうなあ。私は、こういうのは、ああ、でも、「ジムリーダーのサラナ」になっててもちょっと恥ずかしい。
 私とナヌムさんが持つ八枚のカードはそれぞれ四枚ずつ、赤や青の背景にポケモンの姿があって、それが私の手持ちとナヌムさんの手持ちを表してる。ペルディちゃんが言った通り、ブルンゲル、ドラミドロ、ダダリン、アシレーヌが私のポケモンで、オトスパス、ガブリアス、キングドラ、エンペルトがナヌムさんのポケモン。本当はヒメちゃんのカードは隠しておきたいけど、それはヒメちゃんに失礼だから選択肢に加えてる。
 ホログラムモニターの画面も同じで、それぞれのポケモンの下には覚えてる技が書いてある。私とナヌムさんはもう練習や公式バトルで何百回もバトルしてるから、こうやって公開しなくても暗記してる。だからこれはメリナちゃんやペルディちゃん、お客さんの子どもたちの為。
 といっても、ナヌムさんはカードやモニターに書かれていない部分は、例えばどこを鍛えてるかとかは変えてるかもしれない。そもそも最後にバトル教室の予行練習した三日前から技が少し変わってるし、去年の決勝トーナメントではたった数時間の空き時間の間にガブリアスの「スラッシュ」くんをゲットしてきたナヌムさんに負けたし。私のあだ名は「コンペキの海の亡霊」だけど、ナヌムさんは「掟破りのナヌム」だもんなあ。ナヌムさんがペルディちゃんの耳に何かを囁くなら警戒しないと。

「メリナ、ブルンゲルのタイプは分かりますか?」
「水と……わかんない……」
「あたし、しってる! 水とゴースト!」

 またペルディちゃんが答えて、メリナちゃんの目にはまた涙が溜まってきた。私はカードを持ったままの手で、メリナちゃんの頭を優しく撫でてあげる。

「いいんですよ、今覚えてくれれば。その為のバトルですから」
「うん……」
「その意気です。メリナ、オトスパスのタイプは分かりますか?」

 そうやってメリナちゃんにポケモンのタイプを教えていく。ナヌムさんはナヌムさんで、ペルディちゃんに「この中で一番速いのはどの子だと思う?」って質問から始めていく。
 これはバトル教室だから、ポケモンのタイプや技やそれらの特徴みたいな基礎的な知識から教えていく。私たちの声はスピーカーで大きくなってるからお客さんにも聞こえて、観客席から子どもの「そうなんだ!」や「知らなかった!」って声が聞こえてきて、その度に新人さんの簡単な解説が入る。
 ピンマイクを着ける時にも思ったけど、メリナちゃんは飲み込みが早い。知らない事は一回で覚えて、タイプ相性を考える時からは私が何も言わなくても自分で考えこんだ。子どもだって侮ってた私を私が見下す。もしかしたら、本当にいいトレーナーになるかもしれない。

「ここでメリナちゃんとペルディちゃんのマイクが切れます。ふたりがどのポケモンを選ぶかは、観客席の皆さんも想像してみてください!」

 新人さんがそう言ったから、私はふたりのマイクの接続を切った。ペルディちゃんは「どうやってマイクきったの!?」ってナヌムさんに質問してて、メリナちゃんは私が持つカードと睨めっこをしてる。

「メリナ、バトルに出すポケモンは決まりましたか? 声に出さないで、指でそのカードを私に教えてください」
「うん……この子はどうかな……?」

 そう言ってメリナちゃんは私が右手に持つカードの一つを指差して、ヘルメットをつけた私の顔に振り向いた。私のパートナーが選んだポケモンは、ニックネームは「ギルティ」ちゃん。私は少し驚いちゃった。まさかこの子を選ぶなんて。そして私は、ヒメちゃんが選ばれなくてホッとしちゃった。
 ギルティちゃんは打たれ強さを主体にして育てたポケモン。だけど種族としての攻撃力も高い。ナヌムさんと戦うとなったら作戦が必要になるけど、メリナちゃんにそれはあるのかな。ただ単に選んだわけじゃなさそうだし、本当に面白いバトルになりそう。

「だめ……かな……?」
「ポケモンバトルに駄目はありません。それがメリナの考えなら、私はメリナのサポートをします。逆に、ペルディは誰を選ぶと思いますか?」
「ペルディちゃん……?」
「はい」
「たぶん……この子じゃないかな?」

 やっぱりメリナちゃんはすごい。さっきからのナヌムさんとペルディちゃんの会話から、ペルディちゃんが「ブルーム」ちゃんを選ぶ可能性はなくはない。プロトレーナーとしての勘と、ポケモントレーナーになった事さえない子の考えが同じなんて。
 ナヌムさんが私に内緒でブルームちゃんの鍛え直しをしてなければ、ブルームちゃんは素早さと攻撃を高めてるままのはず。打たれ強さと素早さのバトル。私とナヌムさんでも、ギルティちゃんとブルームちゃんのバトルは久しぶりだし、ふたりやお客さんも楽しいはず。

「私もそう思います。メリナ、良い考えです」
「うん……ありがとう……」
「ナヌム、私たちは決まりました。そちらはどうですか?」
「ペルディちゃん! いいじゃんいいじゃん! あ、こっちも決まったよ!」
「両チームとも作戦が決まったようです! それでは、持ち場に着いてください!
 いよいよバトルが始まります!」

 新人さんの声で、観客席からまた大声が起こった。子どもたちやその親御さんの他に、私やナヌムさんが描いてあるグッズやメッセージボードを持ち上げるファンの人もいる。私はまた、メリナちゃんとペルディちゃんのマイクをオンにした。

「それじゃ、ペルディちゃん! 頑張ろうね!」
「うん! ぜったいかとうね!」
「勿論だよ!」

 そう言ってナヌムさんとペルディちゃんは手を繋ぎながら、観客席から見て左側の持ち場へ歩いてく。もうあんなに仲がいい。
 私が頭を動かさず隣を見下ろすと、その様子をメリナちゃんがジッと見つめてた。たぶん、こうするのが正解なんだと思う。

「メリナ、私たちも行きましょう。あなたの勝利の為に」

 私はそう言いながら、ナヌムさんと同じように片手にカードを集めて、もう片方の手をメリナちゃんに差し出した。メリナちゃんは無言で私の顔を見上げた後、静かに自分の手で私のそれを握った。

「ジムリーダーさんといっしょなら……かてるよね……?」
「ええ、勿論です。あなたなら、そして私たちなら負けません」
「うん……」

 メリナちゃんの頷きに、私も頷いて返す。そして、メリナちゃんと手を繋いだまま、私はナヌムさんたちとは反対の持ち場に向かって歩き出す。観客席に手を振るペルディちゃんと違って、メリナちゃんは私の隣を歩きながらまだ考えこんでる。たぶん、本気でこのバトルを勝ちたいって思ってる。
 プレッシャーに強いのはペルディちゃん、考え深いのはメリナちゃん。プロトレーナーとしての私はこの対戦カードをすごく面白いと思うし、お客さんだけじゃなくジムのみんなにも新しい発見があるかもしれない。勿論、私にも。

『全て予定通りです。照明、落とします』
「はい、お願いします……」

 その通信の後にすぐ、観客席より上の壁に取り付けられてる仮設照明が消えた。明かりはプールの中のものと、観客席の柵に付けられた遠隔操作の小型スポットライト、それにホログラムモニターだけになった。いつものジムバトルには仮設の照明やスポットライトはないし、モニターも切っちゃうんだけど、今回はバトル教室だからモニターはそのまま。マイクとスピーカー接続の設定をし直す。

「ひっ」
「大丈夫ですよ、明かりが少なくなっただけです」

 照明が消えるとメリナちゃんが小さな悲鳴を上げたけど、すぐに落ち着いた。私は目の動きでヘルメットの中の映像を操作して、ジムの中を見渡す。

 最初にこのバトル教室の話題が出た定例ミーティングから今日まで、たった三週間とちょっとだけの準備期間だった。お金を出してくれる企業がコンペキのとある時計店でのフェア企画と同時開催にしたかったからなんだけど、短い時間の中でこれだけすごいバトル教室を開けた。
 私もジムリーダーとしてできる限りの事はやったつもりだけど、私よりもジムのみんなががんばってくれた。企業やリーグとの連絡や、ウェブサイトの編集や告知、ジムチャレンジが終わった夜中に仮設照明を付けてくれた人やポケモンたちもいるし、この模擬戦の前のバトル講座に出てたジムトレーナーたち、今だって表舞台に立つナヌムさんや新人さん、裏でイベントの進行を管理してるスタッフもいる。
 忘れたつもりはないけど私はあらためて、自分がジムリーダーをやっていられるのは、たくさんの人やポケモンに支えられてるからだと再認識した。このコンペキジムの誰もがこのバトル教室の成功を願ってて、私のがんばりを期待してる。
 私はもっとがんばらなくちゃ。今までの方法じゃなく、もっと、人としてジムリーダーとしてよりいい方法で。たぶんそれができたら、ヒメちゃんも私の事を今よりも好きになってくれると思う。ヒメちゃんが私を傷つけるのは、ヒメちゃんなりの応援だと思う。今日は出番がなくてごめんなさいだけど、ボールの中から見ててね、ヒメちゃん。
 
 私たちとナヌムさんたちは、それぞれバトルフィールドのはじっこの持ち場に着いた。腰に手を当てて堂々と立ってこっちを見つめるナヌムさんと、それを真似っこするペルディちゃん。ナヌムさんは当たり前だし、ポケモンをゲットした事がないペルディちゃんもサマになってるなあ。

「ジムリーダー・サラナとジムトレーナー・ナヌムの実力はほぼ互角! 普段はライバルとしてバトルの練習をしています! それにペルディちゃんとメリナちゃんが加わると、どんなバトルになるでしょうか! 期待しましょう!」

 そう言って場を盛り上げてくれてる新人さんとは別に、私に近づいてきたジムトレーナーにさっきのカードを渡した。ナヌムさんの方も同じ。
 私はメリナちゃんと手を繋いだまま、腰についたボールホルスターからダイブボールを一つ手に取る。勿論、この中にはギルティちゃんがいる。私は手に持ったギルティちゃんのボールをヘルメットの前まで持ち上げてから、今度は少し腰をかがめてメリナちゃんの目の前に掲げた。不思議そうな顔をして、メリナちゃんが私を見上げた。メリナちゃんのマイク接続を切って、私のマイクは衣装のスピーカーに繋げ直して音量をしぼる。

「この中に、メリナが選んだドラミドロがいます。ニックネームはギルティです」
「これが……ドラミドロのボール……」

 メリナちゃんは片手を上げて、ギルティちゃんのボールを優しく撫でた。本当に、トレーナーになるのが楽しみな子だなあ。その時まで私は、いい意味でメリナちゃんが打ち破らなきゃいけない壁としてジムリーダーを続けていたい。

「ギルティに祈ってあげてください、バトルに勝てるように。私も、メリナとギルティが勝てるようにサポートします」
「うん……がんばってね……ギルティ……」

 メリナちゃんが両手の指を組んで、それから目をつむってお祈りしてくれた。バトル前のお祈りは、私なりの流儀。体を張ってバトルしてくれるのはトレーナーじゃなくてポケモンだから、その感謝と尊敬をこめて。

「ありがとう、メリナ。一緒に頑張りましょう」
「うん……がんばろう……!」
「準備はいいかなー! ふたりともー!」
「いいかなー!」

 スピーカーを通して、ナヌムさんとナヌムさんの真似っこをするペルディちゃんが叫んだ。私たちのマイクをジムのスピーカーに繋げ直す。そして私は腰を伸ばして、ナヌムさんたちの方をヘルメットごしに睨んだ。目の動きだけでメリナちゃんの顔をチラッと覗くと、メリナちゃんも鋭い顔つきでナヌムさんとペルディちゃんを見てた。最初はあんなにビクビク怯えてたのが嘘みたい。

「ええ、できました。メリナもいいですね?」
「うん……!」
「模擬戦とはいえ、手加減はしないからねー!」
「しないからねー!」
「こちらもそのつもりです。私とメリナから、安々と勝ちを奪えると思わないでください」

 本当は、前もってバトルの流れを決めておいた方がアクシデントを防げるんだけど、子どもたちが初めて見るかもしれない生のプロトレーナー同士のバトルが八百長なんて私もナヌムさんもプライドが許せないから、シナリオなしの本物に限りなく近いバトル。

『防護バリア、展開します』
「はい、お願いします」

 だけど、私もナヌムさんもトレーナーになった時に覚悟を教えられたけど、メリナちゃんやペルディちゃんはまだトレーナーじゃないから、ポケモンへ間近で指示を出してる時に怪我をしないように、プールのふちを囲むように設置した仮設の非対称性透過バリア装置を起動してもらう。
 またスピーカーの接続を切り替える。これで本当に準備は全部できた。
 二つの鉄橋がかけられたバトルフィールドのプールの先。そこには、ナヌムさんは足を前と後ろに開いたサイドスローの構えでボールを持って、隣でペルディちゃんがこれも真似っこしてる。私はメリナちゃんの手を握ったまま、ヘルメットの顔の横でバックハンドの構えを作る。

「じゃあ、行くよ! 頑張ろうね、ペルディちゃん!」
「うん! ぜったいまけない!」
「メリナ、あなたの才能を見せつける時です」
「よくわかんないけど……がんばる……!」
「それではこれより各チーム二名と一体ずつによる共同バトルを始めます! 両チーム、ポケモンを出してください!」

 私たちから見てプールの左のふちの真ん中に立つ、クレーンみたいな形の審判椅子からこのジム専属のリーグ審判がそう宣言して、私とナヌムさんはフィールドへボールを投げながら叫んだ。

「出番だ、ギルティ!」
「ゴー! マイプレシャス、ブルーム!」

 やっぱりだ、メリナちゃんの予想が当たった。ボールを投げた瞬間、ナヌムさんの顔がニヤリと笑った。あっちも予想してたのかな。それは分からないけど、将来有望なメリナちゃんとジムリーダーの私、そしてギルティちゃんとで迎え撃つだけ。
 お互いが投げたボールが空中で割れて、光が飛び出す。私やナヌムさんが付けたニックネームを知ってる新人さんが、光が消えてポケモンが見える一瞬前から叫んだ。

「ジムリーダー・サラナとメリナちゃん、選んだポケモンはドラミドロのギルティ! ジムトレーナー・ナヌムとペルディちゃん、選んだポケモンはキングドラのブルーム! プロトレーナーと子どもの共同バトルは、両者とも水に住むドラゴンポケモンを選びました!!」



 「ぼーる」の中から出る前から、外がなにやら賑やかな事は私の耳に入っていました。大方、親方様はニンゲンの中で多くの者から敬われる方ですから、その類かと見当を付けていました。しかし、少し事情が違っていました。
 私が「ぼーる」から出ると、そこは見慣れた「じむ」の小池でした。宙で「ぼーる」の中から出て、すぐに小池へと着水しました。「じむばとる」かと考えましたが、それにしては水の外が賑やかでした。親方様を親方様とする「じむばとる」は厳かな雰囲気に包まれたものが多いですし、親方様にとって晴れの舞台である「りーぐばとる」は「じむ」で行われません。
 私は縦に長い「じむ」の小池の短い岸に近い場所で水に入り、私と同時に対岸の手前にも何者かが落ちてきました。

 その正体はすぐに分かりました。「ナヌム」と呼ばれるニンゲンに付き従う、キングドラの「ブルーム」です。ブルームと私は、父は異なりますが血族で、幼い頃の私は親方様に引き取られ、ブルームはナヌムのポケモンになりました。

 親方様の相手はナヌムで間違いないようです。おそらくは、「とれーにんぐ」と呼ばれる鍛錬の一環でしょうか。それにしても、不可解ですが。
 普段から親方様の「とれーにんぐ」の相手は主に「じむ」の人間ですが、「じむ」以外のニンゲンを入れる事はほとんどありません。それは「じむばとる」の時だけ。もしくは、他の場所で行われる「りーぐばとる」の際に限られます。
 なにやら特別な事情を感じます。しかし、私が為さねばならない事は明白です。「ブルームに勝つ」。それはいかなる時でも、絶対に揺るがない目的です。

 そのブルームは着水してから私を見るなり、長い口の先を歪ませて笑いました。私と同じ血が流れているとは言え、私とブルームの性根は幼い頃より噛み合った事がありません。
 それ故に「ブルームより強くなりたい」という願いが芽生え、親方様のポケモンの中で次鋒を務めるまでに成長しました。しかし、私がクズモーからドラミドロへ移り変わったように、ブルームもタッツーからシードラを経てキングドラへと変貌しました。

「誰かと思えば、ギルティか。今日こそ妾か其方そち、どちらか上か決める時じゃな」

 口だけではなく両方の目まで歪ませて私を見下すブルームに、私は胸鰭の役割を持つ長い皮弁の片方を自分の口に当てて睨み返しました。
 これは私がブルームに行う挑発の常套です。ドラミドロは胸鰭と尾鰭の代わりに皮弁が持ち合わせますが、キングドラは短い背鰭のみです。

「口を慎んで頂きたいですわ、ブルーム」
「其方こそ、その汚らしい皮弁で言葉も隠せばよいものを」

 売り言葉に買い言葉ですが、私たちはこれで良いのです。竜の力は怒りによって増大します。これは私たちにおいて仕来りの様なものであり、これがなければ相手を下したとしても「本来の力を出し切っていなかった」と満足は得られないのですから。
 口では罵言の応酬ですが、親方様とナヌムがそうであるように、私は内心でブルームを一体の竜として尊敬の念を抱いております。私もそうでしたが、ブルームもキングドラとして母親を経験したポケモンですから。
 互いに我が子は他のニンゲンに引き取られ、残った私たちは互いに付き従うニンゲンの下で強くなり続けます。それが私とブルームにとって何よりの幸せです。子を残せた以上は、余生は自分の為に使うものですから。
 竜はこの世界において、神の次に命が長い者です。その気が芽生えたら、次の夫を迎えても良いかもしれません。それに私は、ブルームには隠しておりますが、親方様と「ヒメ」の関係も気掛かりです。

「背鰭だけの水竜が、笑わせますわ」
「誇り高きキングドラの真似をする毒竜が何を。『目にも毒』とは、まさにこの事じゃな」

 ああ、どうしましょうか。肉親としての愛情や友情を通り越して、本物の憎悪まで湧いてきました。それはおそらくブルームも同じでしょう。結局のところ、竜は生きとし生けるものを食い散らかす為に存在する者です。本当に命を奪う事はありませんが、私の中で暴れる渇望が満たされるまで痛めつけてあげましょう。

「おい、ギルティ。其方のおかみの隣にいるニンゲンは何者じゃ?」
「悪い冗談はおよしになって。それとも、その歳でもう耄碌が始まりましたの?」
「妾と早く戦いたい気持ちは分かるが、キングドラの誇りに懸けて戯言は言っとらん」
「…………」

 ブルームの顔つきから、それが口車ではないと分かりました。キングドラから促されるのは癪ですが、私は体ごと振り返り、水面の上を見つめました。

「……親方様?」

 ブルームが長い口先から発した言葉は確かに真実で、親方様は私が知らないニンゲンの子供と手を繋いでいました。どのような理由でしょう。そして、その子供は親方様にとって何者なのでしょうか。
 その子供は紺色の「ふく」を身に着けていて、赤茶色の頭髪はヒメに似て束ねていました。ニンゲンの仕来りで決められている、ポケモンの親方になれる歳よりも低く見えます。とても小さい子供です。ああ、いえ、私やブルームが大きいのでしょうか。

「お上、そのわらべは何者じゃ?」

 その言葉で、私はブルームの方へと振り向きました。私と同じようにブルームが見上げる先に、ブルームの親方であるナヌムの隣にも小さな子供がいました。私の親方様の隣にいるニンゲンと違い、紫色の長い「ふく」を着た茶色の髪の子供は、ブルームに向かって大きく手を振っています。

『ギルティ、聞こえるか?』

 キングドラを尻目に、私は呼び声に従ってもう一度親方様へ向き直りました。私がまた小池の上を見上げると、親方様は子供の隣で膝を折って、ニンゲンのそれぞれの肩へ静かに手を置きました。

『今回はこの子が、メリナがお前への指示を出す。この子の勝利に、お前の力を貸せ』

 子供の肩に手を置いたまま、兜で顔を隠した親方様は私を見つめてそう言いました。親方様の隣の子供も、静かに、そしてまっすぐ私の目を見ています。

『ギルティ……私の名前はメリナ……よろしくね……』

 親方様と同じように、その子供の声もニンゲンの機械を通して大きくなったものでした。同じく小池の外にあるニンゲンの機械からは、『ブルーム! この子はペルディちゃん、よろしくね!』や『あたしがペルディ! よろしくねー!』といった声も聞こえてきました。
 私はニンゲンの言葉をあまり理解できません。それでも、親方様やその隣にいる子供、そしてナヌムの方の言葉やそれらの振る舞いから、なんとなくですが事情を察しました。
 親方様やナヌムの隣にいる子供たちは、親方様の態度から考えて敵ではないのでしょう。むしろ、親方様たちにとって味方に近いのかもしれません。そして、この戦いにおいて共に戦ってくれるのだと思います。私としては、いかなる場合でも為すべき事は変わりません。ブルームに勝つ、ただそれだけです。
 私は尾鰭の代わりの皮弁を動かし、小池の水面から顔を出しました。親方様は子供の肩に手を置いたまま変わらず、子供は少し身を縮こませて驚きましたが、すぐにそれを解きました。おそらくは「メリナ」という名前の子供が、恐る恐る私へと手を伸ばしてきました。小池の縁には見慣れない薄い水色の膜がそびえていましたが、メリナの手はそれを突き抜けて進んできました。親方様、分かっていますよね。

『メリナ、ギルティには触らないでください。体に毒を持っていますから』

 親方様の言葉で、メリナの手が私の口の先の手前で止まりました。私が毒のポケモンである事を教えてくれたのでしょう。親方様のお知り合いなら、私にとっても同じです。メリナの手の平に、私は口から優しく水を吹きかけました。

『メリナ、あなたを友達と思ってくれたようです。よかったですね』

 メリナの顔が少し笑顔になりました。兜で隠した下では、親方様も同じでしょう。親方様はどうして「ばとる」の時は顔を隠すのでしょうか。笑顔がとても可愛らしいお方なのに。
 それはともかく、親方様のおかげで私の気持ちが通じたようです。胸の皮弁を動かして振り向くと、ブルームも私と同じように水面から顔を出して、「『ペルディ』というのか? お上によく似た童じゃな」とナヌムに向かって喋っていました。
 私は親方様とメリナ方へ向き直ります。そして、ふたりを見て頷きました。ふたりともそれを返してくれたのを見届けたところで、私は水の中に潜りました。
 振り返ると、ブルームもまた水の中にいました。私とブルームは睨み合います。

「親方様たちには特別な事情があるようですが、だからと言って手加減はしませんわ」
「無論じゃ。其方など軽く片付けてくれる」
「大層な口聞きは身を滅ぼしますわよ?」
「恥をかくのは妾ではなく其方じゃ」

 罵言のやり取りで昂った心情によって、私とブルームの体からは竜だけが見える力のもやが水の中へと滲み出てきました。私は、口の中に毒液が溜まっていく感触も覚えます。
 さて、親方様とメリナはどのような手から仕掛けるつもりでしょうか。私はすぐに動けるように胸の長い皮弁を揺らして、ブルームの方はかすかに前のめりの態勢になりました。
 最後の戦いから変わっていなければ、ブルームは適度な距離から水流や竜の力を飛ばしてくる事を得意としています。逆に私は、派手に動かず体力を温存して撃ち合いに勝つ事を念頭に育てられました。
 悔しくて嬉しい事ですが、私とブルームの勝敗は五分五分といったところです。それに、今回は子供たちがいます。
 それが吉と出るか凶と出るかは、今のところ全く読めません。あの幼さですから、戦い慣れしていない可能性は十分にあります。親方様を信頼していますが、私独自の考えで動く事も覚悟しておくべきでしょう。それはブルームも同じですが。

『バトル、はじめ!!』

 いつもの「しんぱん」の声が、水の外からここまで響き渡りました。次の瞬間、ブルームはナヌムや「ペルディ」の指示を待たずに私へとまっすぐに迫ってきました。
 水の中のブルームは、竜の力を使って地上に浮かんでいる時よりもとても速く動けます。その勢いから繰り出される単純な突進は、下手な技よりも大きな力です。
 ブルームはまず、自分の行いで戦いの流れを掴みたかったのでしょう。それは、最小限の指示だけを出して、それ以外はポケモンに任せるナヌムの戦い方と相性が良いものです。幼いペルディには、速すぎて目を見張る事しかできていないはずです。
 私の頭と目はそれを一瞬として捉えておりませんが、体を動かして避けるのは間に合いません。親方様からの言葉は聞こえてきません。メリナもペルディと同じように固まっているのでしょう。
 ここは私の考えでやりましょうか。回避が間に合わなければ、迎え撃つか防御に徹するか。ブルームの手の内は熟知していますが、始めから体力の消費は避けたいので守る事を選びましょうか。
 私が尾を丸めてブルームの突進に備えようとした、その時でした。

『ギルティ、「ハイドロポンプ」……!』

 か弱いけれど機械で大きくなった、そのようなメリナの声が飛んできました。はじめから指示を出すつもりだったのか、或いはブルームの動きに合わせて言ったものなのか、それは私には分かりません。ですが、あの小さな子供が怯え竦まずに声を出せた事に、私の胸中には小さな感動が湧いてきました。
 私は残された時間の中、体の中で力を練りながら、口からは大きく小池の水を飲み込みました。自分の親方ではないとしても、秀でたニンゲンの指示に応えるのがポケモンの務め。

 私は体の中にみなぎる力と共に、飲み込んだ水を口から勢い良く吐き出しました。ニンゲンが「はいどろぽんぷ」と呼ぶ、「怒涛の激流」です。水の力の中では大技の部類で、乱発はできませんが威力は期待できます。
 それに私は、水のポケモンではないとしても水に住まう竜の眷属。しかも、親方様から鍛え上げられたポケモンです。私の口から出る水流だけではなく、私の力は周囲の水まで巻き込んでブルームへと襲い掛かります。
 とはいえ、毒竜の私と違ってキングドラのブルームは本物の水竜です。これで仕留められるものではない事は百も承知です。ですが、本来の目的だけは果たせました。

「ちいぃ! 外したかっ!!」

 私のすぐ隣を掠めたブルームは、私の小池の壁を尾で蹴った後に水面へ向かっていきました。本当は、私への突進に失敗したブルームが壁に激突する事まで期待していましたが、さすがに私と同じ血が流れているキングドラはそこまで頭足らずではありませんでした。
 しかし、始まりの流れは私が掴みました。勢いを殺せないまま、ブルームが私から見て頭上ほぼ真上の水面から外に出ました。あの速さでは水を飲み込む事はできなかったでしょう。逆にこちらは、ゆっくり大きく水を吸い込む時間が生まれました。それに、上に撃つのなら親方様たちやナヌムに当たる心配はありません。さあ、親方様でもメリナでもいいです、私に命じてください。

『ギルティ、「ハイドロポンプ」……!!』
『ブルーム、かわして!!』

 メリナに言われるがまま空中のブルームに目掛けて激流を撃ち上げた一瞬後に、ペルディの叫び声も聞こえてきました。あちらも無言のままではいられないようです。或いは、指示はペルディに任せているのかもしれません。親方様と同様に「ぷろとれーなー」であるナヌムが何も言えなくなるとは思えません。
 親方様もそうでしょうか。真相は分かりませんが、言葉が早い分メリナについている私の方が有利と思っておきましょう。

『最初から瞬きもできない激しい攻防です!! ギルティは「ハイドロポンプ」でブルームの突進を受け流しました!! どうするブルーム!!』

 この「じむ」で耳にした事がある、ニンゲンの男の声が響き渡りました。「りーぐばとる」のような、熱気を持った声です。やはり、この戦いは親方様にとって「りーぐばとる」のような特別な機会なのでしょう。幽霊のように実体を持たない「ほろぐらむ」も浮かんだままですし。
 それならば、ニンゲンの子供がいるのも納得できます。私とブルームにとっては、何を言っているのか理解できないので無視するしかないのですが。
 水面を勢い良く突き破り、私が生み出した水柱がブルームへと迫りました。波と泡で白濁した水中では目でブルームの姿を見れませんが、竜の力の気配を体で察知すると、首と尾を動かす以外は体を動かす様子がありません。指示を無視して防御に徹するのでしょう。 
 私の激流がブルームを飲み込みました。やはりブルームの力はほとんど弱まってはいません。しかし、戦いの流れは未だこちらにあります。接近を許さなければ、体力の差で押し切れます。
 私は水に乗せた力を弱めました。その瞬間、激流の中からブルームが竜の力を発して、自分を包む水を弾き飛ばしました。そのまま背鰭に力を込めて空を飛んで、自らの親方の方へと向かいました。間合いが開いているなら私の距離です。さあ、次の指示を。

『ギルティ……「ヘドロばくだん」!』

 予想もしていなかったメリナの指示に、私はほんの一瞬ですが、しかし確かな隙が生まれるほど戸惑ってしまいました。親方様、まさか。

『ブルーム! 「だくりゅう」!』

 水の上に降り立ったブルームの周りから、大波が巻き起こりました。
 
『メリナ、水の中で「ヘドロ爆弾」は使えません』
『えっ……はっ……「ハイドロポンプ」!!』
『それも橋が邪魔になっています』
『ええっ……!? よっ、よけてっ、ギルティ……!!』

 それでは指示ではなくお願いです。これは少しまずいですね。親方様はメリナに、技や「じむ」の特徴を伝え忘れていたのでしょうか。それとも、メリナの幼いが故にの間違いでしょう。いずれにせよ、私が独断で「竜の覇気」を出すには遅く、しかもブルームは今まで私の前で使った事がない「大津波の奔流」を繰り出してきました。

『メリナちゃん、がんばって!! そしてブルームの「だくりゅう」です!! キングドラは水タイプなので、ドラミドロのハイドロポンプよりも威力が出ます!!』

 この戦いの為にナヌムはわざわざ用意したのでしょうか。それはあり得るでしょう。あのニンゲンはタブンネのような優しさの裏に、ゾロアークのような狡猾さも持ち合わせていますから。さすがは親方様と同じ「ぷろとれーなー」です。
 キングドラのブルームは私よりも水の力を扱う事に長けており、私は容易く荒れ狂う水の中を弄ばれ始めました。この中で、先ほどと同じ突進を受けたら勝負が決してしまいます。苦しい選択ですが、これしか手段がありません。
 私は私に許された水の力で襲いかかる奔流の中に穏やかな道を作り、その小さな活路を必死に泳ぎました。そして水面から飛び出し、小池の上に渡された鉄の橋に降り立ちました。尾の皮弁を広げて立ち、胸の皮弁で鉄の柵を掴みます。
 竜とはいえ魚に似た私は、陸の上ではどうしても動きが鈍くなりますが、流れに呑まれて何もできないよりかは勝機を見出せます。私から見て左にいる親方様たちに一瞬でもいいですから顔を向けたいですが、私にはその余裕がありません。

「まさに『陸に上がった魚』じゃなあ!!」

 私のすぐ近くの水面を突き破ってブルームが姿を現しました。私は咄嗟に尾の皮弁で橋の地面を蹴って後ろへ飛び退きました。
 宙で体を一回転させたブルームは、竜の力で落下を加速させて私がいた場所へ尾を振り下ろしました。技ではない攻撃でしたが、強い衝撃と共に橋が少し曲がりました。本当にお構いなしですね。親方様がまた「よさん」の問題で頭を抱えてしまいます。お仕置きをしてあげましょう。
 指示を待たないで私は、片方の胸の皮弁をブルームに向かって振り、毒液を投げ飛ばしました。ブルームは宙に跳ねながら身を捩って躱し、竜の力で空を蹴って私に肉薄しました。本当にまずいですね。「陸に上がった魚」はキングドラも同じですが、種族として身のこなし方の巧みさはドラミドロより上です。
 私とブルームは長い口を剣のように捌いて戦います。しかし、私は体と体のぶつかり合いが苦手です。身に受けたら苦しい一撃は防いでいますが、押されているのは私です。こうも体を動かしていては、力を練る隙もありません。

「さっきのっ!! 威勢の良さはどうしたんじゃあ!!」
「調子がいいっ!! 時だけ元気っ!! なんですことっ!!
「その減らず口っ!! さっさと捻り潰してっ!! やるかのお!!」

 ブルームの猛攻で、私は徐々に橋の端へと追いやられていきます。今日は薄い青の膜が小池の縁に張られています。もし、あれを私が通り抜ける事ができなかったら、私は壁際に追いやられた事になります。おそらく膜は、メリナとペルディを私たちの戦いから守る為に張られたものであり、その可能性はとても高いでしょう。親方様とナヌムだけなら、あのようなものを用意した事はありませんから。
 つまり、このままではブルームの勝ちです。橋から飛び出して池の中に逃げ込んでも、その無防備になった瞬間にブルームの攻撃を受けてしまうでしょう。

「其方の終わりが!! 見えてきたのう!!」
「ぐっ……!!」

 まずいですね。キングドラの憎たらしい挑発へ返す余裕もありません。メリナの声も聞こえてきません。私から見て、メリナは少し気弱そうな性格をしていました。先ほどの失敗の手前、何も言えなくなってしまっているかもしれません。親方様の声もまた、途絶えたままです。
 こうもブルームに好き勝手されていては、親方様たちの方へ顔を向ける隙すらありません。広がっていく「じむ」の景色から考えて、青い膜まではもう距離がないでしょう。ここはもう、私がどうするか決めてしまいましょうか。そう思った次の瞬間でした。

『一発受けてもいい! 撃て!』

 そのような親方様の指示が飛んできました。信頼している親方様が言うのなら、私は気兼ねなく代償を払います。

「ぐうぅ!」

 ほんの短い間でしたが、私が力を体に漲らせた隙にブルームの尾が私のお腹を捉えました。さすがはブルーム、目がチカチカしてしまうほどの威力です。しかし、幸いにも勝負が決まってしまう攻撃ではありませんでした。

「やってくれましたわね!!」

 そう言いながら私は、ニンゲンが「りゅうのはどう」と呼ぶ「竜の覇気」を口から放ちました。私の視界が紫の光の筋で更にチカチカしてしまいます。
 しかし、これで活路が繋がりました。私の揺らいだ視界の隅で、ブルームが小池の中へと逃げ込みました。あれだけの大口を叩いておいて畳み込む事を放棄したわけですが、やはりさすがはブルームです。至近距離で「竜の覇気」を受けてしまったら、それで私の逆転勝利になってしまいます。
 この手は一度、ブルームと同じくナヌムの竜であるガブリアスの「スラッシュ」に使った事があります。あれが「とれーにんぐ」だったのは残念でした。親方様にとっての本番だったら、去年の「けっしょうとーなめんと」での屈辱を拭い去れたのですが。

『ギルティ、お腹に攻撃を受けてしまいましたが「竜の波動」で反撃に出ました! ブルームは距離を取ります! ドラゴン技はドラゴンのポケモンに抜群のダメージです!!』
『ブルーム! きょりをとって!』

 ようやく少し余裕が生まれて、周りの音が音として認識できるようになってきました。といっても、私はニンゲンの言葉はほとんど分からないのですが。

『ギルティ! もう一回「竜のはどう」!』

 それでも、メリナの言葉の一部が、それを私に命ずる意味は分かります。ここはこちらにもう一度流れを引き寄せる絶好の機会です。気持ちを立て直したのでしょうか。メリナの口ぶりには若干の力強さが戻ってきています。
 メリナの言葉に従って、私は橋の柵に皮弁をかけて身を乗り出して、小池の中に向かって「竜の覇気」を放ちました。「毒の炸玉」と違って、「竜の覇気」は水に邪魔される事がありません。それに、私の考えで、ある程度は流れを曲げる事ができます。
 「竜の覇気」を出しているので言葉を喋る事ができないのが残念です。小池の中のブルームは、まるでギャラドスに追われる一匹のヨワシのように、私が振り回す紫色の光の筋から逃げ回っています。
 そして、私はただ闇雲に口の先を動かしているのではありません。メリナが小さなニンゲンの子供で、親方様のお知り合いなら、それを支えるのが私の役目。
 私が動かす「竜の覇気」の誘導によって、哀れなキングドラが水面から飛び出ました。かかりましたね。

『ギルティ! 「ヘドロばくだん」!』
『ブルーム! 「りゅうのまい」をしながらよけて!』
『ペルディちゃん、ナイス判断!』

 一度の失敗でしっかりと学んだメリナもさることながら、あちらも負けてはいないようです。
 もう一つの鉄橋の先に向けて放った「毒泥の炸玉」を、ブルームは「竜の舞踏」で華麗にかわしていきます。「竜の舞踏」は体そのものの力強さと素早さを上げる技です。先読みや惑わしも含めてさらに「毒泥の炸玉」をブルームに放ちますが、一つだけ顔にかすっただけで避けられてしまいました。
 後手に回ってしまったようで、内心ではかなり苦しいですね。これでブルームと体のぶつかり合いにもつれ込めば、力負けするのは確実に私になりました。先ほどのように「一発くらいは」という事もできません。
 私たちの攻防により、「かんきゃくせき」からたくさんのニンゲンの声が上がりました。苦戦を強いられている私にとっては、少し鬱陶しいですが。

『ブルーム、とつげき!』

 ペルディの声よりも速く、水面を蹴ったブルームが一つの鉄橋を飛び越えて、もう一つの鉄橋の上にいる私のもとへ一瞬で接近しました。やはり速い。メリナの指示を待たず、私はブルームの突進をかわしながら小池へと着水しました。
 今のメリナはまたもや動揺しているでしょうか。今の私にとっては、それは大切な事ではなく、それどころでもありません。小池の中心へと背中を向けてに後ろ泳ぎしながら、私は私の判断で「竜の覇気」をブルームに向かって放ちます。

『ブルームは「竜の舞」によってさらに素早さが上がっています! ギルティはドラミドロなので、種族として元から素早さはあまり高くありません! ここからギルティはどうするでしょうか!?』

 ああ、少し静かにしてもらえますか。そう思っていても、「竜の覇気」を出す私には言葉を喋る余裕がありませんし、そもそもポケモンとニンゲンはお互いの言葉をほとんど理解する事ができません。
 今日の「ばとるふぃーるど」が馴染み深い小池なのは助かりました。後ろを振り返らずに、私は小池の中心の、深さもちょうど真ん中ほどに陣取る事ができました。しかし、泡の筋を残して小池の中を縦横無尽に泳ぎ回るブルームに対して、私は口と首と少しの皮弁を動かすだけなのに追いつけません。悔しいですが、やはりさすがはブルームです。
 これは、私だけでこの状況を打開できないでしょう。最初からひとりで戦っているつもりはありません。私には、親方様とメリナがついています。メリナなら、私にどういう指示を出すのでしょうか。
 私は「竜の覇気」を草ポケモンが操る蔓のようにうねらせながら、親方様たちの方向へと視線だけを向けました。ああ、さすがは私の親方様です。
 親方様は、メリナの横顔にご自分の顔を近づけていました。間違いなく、メリナに「秘策」を教えているのでしょう。ブルームにもナヌムにも、もちろんペルディにも見せた事がない私の新しい技を。
 その技なら、流れをもう一度こちらに引き寄せる事ができるかもしれません。ブルームの顔色は、先ほど接近された時に間近で確認しています。仕込みだけは済ませる事ができています。

『ブルーム! 「だくりゅう」!』
「しまった!!」

 親方様たちに気を取られている隙を突かれたというか、単純に私がよそ見をしすぎただけですが、「大津波の奔流」がまたもや私に襲いかかりました。「『竜の舞踏』をした以上は、体のぶつかり合いに持ち込んでくるだろう」という甘さもありました。
 考えてみれば、ブルームが最初に出した技が「大津波の奔流」ですから、接近と遠巻きの両方を警戒しておくべきでした。これではヒメに怒られるのが私になってしまいます。いえ、親方様へも含めて、そんな事にはさせません!
 と決心を固めたところで、私は本物の水竜であるキングドラが作った水の暴力に弄ばれかけています。自分が有利になってもブルームが私に近づいてこないのは、私が陸の上より水の中の方の動きが得意であるからでしょう。「竜の舞踏」のおかげで技にさえならない突進一つ当てれば確実に勝負を決められますが、こちらも「竜の覇気」が当たれば勝てる状況ですから。
 だとすれば、ブルームの考えは読めます。親方様も察しているでしょう。メリナが理解しているかと、ペルディがその気になのかは分かりませんが。
 私の読み通り、ブルームの「大津波の奔流」は私を水の暴力で圧倒しながら、水面へと押し上げています。ブルームは水面か鉄橋の上で私を倒すつもりでしょう。水の中より鈍った私を。しかし、こちらには「秘策」があります。ちょうどそれは水の中では使えませんし。言葉通り、あのキングドラに一泡吹かせてやりましょう。

『ブルーム! 「ヘドロばくだん」!』

 私が水面の上へと打ち上げられる間際になって、そのようなメリナの指示が飛んできました。親方様の助言もあったのでしょうか。それは分かりませんが、今「毒泥の炸玉」を使えば、水に当たってブルームからの目隠しになります。いい判断です。

『ブルーム! 最大火力で「冷凍ビーム」!』

 私の背中が水から突き出て毒泥の目隠しが広がり始めた瞬間に、ナヌムの言葉が響いて私は驚いてしまいました。まさか水の中で「冷気射撃」を使うなんて。私がナヌムへと振り向こうとした次の瞬間には、毒泥と水が混ざったものが凍りつき、それが私のお腹から下の身動きまで封じました。まずい、本当にまずい。ブルームの「冷気射撃」がこんなに威力が上がっていたなんて。それにこれじゃあいい的だ。たくさんのニンゲンが見てるのに。負けるなんて。ブルームなんかに! 俺が! ふざけるな!

『こちらも「竜の波動」だ!』

 親方の叫びで我を取り戻した俺は、限りなく無に近い時間の中で力を練って、「竜の覇気」を目の前の浴びせる。それが勢いよく砕け散る。やっぱりポケモンはニンゲンがいてこそ全力で戦える。ヒメもそれが早く分かればいいのに。
 ブルームは俺が「竜の覇気」を使うのを読んでたと思う。それしか俺に勝ち筋がなくなっていた。だから俺が自由になった次の瞬間には、俺から見て真横の水面からいきなり飛び出してきた。しかし、それこそ俺たちの本当の勝機。真下からは「竜の覇気」が当たるかもしれないし、間が開く事を嫌って俺のすぐ近くに来たかったのは分かるが、上へ飛び出せば体の動きを変える隙が生まれる。それを俺と親方は、おそらくメリナも待ってた。ブルームの尾の薙ぎ払いをギリギリのところでかわしながら、俺は口の先をブルームへ狙いを定める。

『ギルティ、「ベノムトラップ」!!』
「待ってたぜ!!」

 やっぱりメリナに教えてたか、親方!!
 宙を尾で蹴って俺に突進しようとした隙だらけのブルームの顔にめがけて、俺は口から「毒泥の炸玉」とは違う「毒泥の罠」を浴びせた。

「なんだこれ!? ギルティ!!」

 教えるわけないだろ。初めてくらう技に視界を奪われたブルームは、体をよじりながら水の中に逃げ込んだ。俺も水の中へ潜り、もがきながら泳ぐブルームから距離を作る。

『ギルティ! 絶体絶命のピンチでベノムトラップを使いました! 僕もギルティが使うのを初めて見る技です!』

 これって、周りのニンゲンに俺たちの戦いっぷりを解説してるのか? まあ、ブルームは分からないだろうからいいけど。だけどブルームくんが可哀想だから、俺の心の中だけで喋ってやるか。
 さっきのは親方が俺に仕込んでおいた技、「毒泥の罠」だ。これだけじゃ相手を倒す事ができないし、毒に侵されてないポケモンには効かないが、体の力強さも遠巻きからの攻撃も素早さも落とす技。毒ポケモンの恐ろしさを至れり尽くせり味わう事ができる。ブルームがあの「毒泥の炸玉」の雨の中で飛び散った毒を吸い込んでしまったのは、接近された時に顔色を確認している。メリナも、親方からそれを教えられてたんだろうな。
 俺と同じ親方のポケモンの中で、特にヒメはこういう戦い方を毛嫌いする。だけど、小綺麗であり続けなきゃいけない妖精と違って、こんなやり方も「アリ」と思わせられる毒ポケモンの方が有利だ。アイツ、本当の言葉遣いは俺よりも汚いくせに、変なところはメッチャ気にするよな。

「ギルティ!! 僕の顔に泥を塗ったな!!」

 おっと、ヒメの事を気にしてる場合じゃない。さっさとブルームを片付けないと。それから、それはただの泥じゃなくて毒の泥。
 泳いでその毒泥を洗い流したブルームが俺をめがけて突進をしかけてくる。もちろん、「毒泥の罠」のおかげで速さが戦いの最初くらいに戻ってる。これなら、まだどうにかしやすい。
 もっとも、俺もブルームも言葉遣いに気を使う余裕はなくなってるけど。これだから俺もブルームも、母親を経験したポケモンって思われないんだろうなあ。母性よりも生まれ持った雄としての血の気が勝ってる。まあ、それが雌に卵を生んでもらって子供が孵るまで鰭や皮弁に抱えて守り抜くドラミドロやキングドラの、母親としての役割に合ってるんだけど。他の種族じゃ、卵を守る方じゃなくて産む方が母親らしいが、俺やブルームには理解できない世界だ。

『ギルティ、「竜のはどう」!』

 メリナの言葉に従って、俺はブルームの言葉へ何も返さずに、「竜の覇気」を放つ。俺に向かって一直線に突っ込んできていたブルームが方向を変える。ここでまた「竜の舞踏」を使われたら厄介だな。せっかく引き寄せた戦いの流れをまた渡してしまう。

『ブルーム、がんばって!』

 ペルディから何かの声をかけられながら、水中を逃げ回るブルームに向かって俺は「竜の覇気」で追いかける。と言っても、何度も使って出し終わりが近い。そろそろ決めなきゃいけない。やるか。
 そう思っていたら、俺から見て、口の先は横を向いているけど目は俺を睨んでるブルームの、その目の色が変わった。言葉通りに、赤紫色に光って。

「僕が……この僕が……お前なんかに……!!」

 ニンゲンからの指示を待たないで仕掛けるのかよ。まあ、そういう技だしな。
 まずいな。近づかれたくないが、こっちも賭けに出るしかないか。結局、親方もナヌムもこういう事になるって読んでるだろうし。メリナやペルディにとっては、おそらく初めて目の前で見る、竜の本気一歩手前だろうな。俺やブルームには手も足もないけど。まあ、一緒に勝とう。

「ギルティィィィィ!!!」
「来い、ブルーム!!」
『ブルーム、「逆鱗」です!! 「流星群」と同じ、ドラゴンタイプの大技です!! 一気に勝負を決めにきました!! どうするギルティ!?』

 「竜の暴虐」に体を貸して、目をギラギラさせつつ叫びながら突っ込んでくるブルームに、俺は「竜の覇気」を止めて叫び返した。まともに撃てるのはあと一回だな。今それを使っても押し切られる。
 メリナ、どうする? 俺の考えはあるが、メリナの考えを聞かせてくれ。さあ。

『ブルームやっちゃえええええ!!』
『ギルティ、引きつけて!!』
「よしきた!!」

 キングドラと同じように叫ぶニンゲンの子供と、もう言葉になってない叫び声をあげるキングドラをよそに、俺はメリナの指示に返事をする。水の中で皮弁を広げて、「その時」に備える。
 こういう事で合ってるよな、メリナ。親方の教え方がいいのか、メリナ自身の才能なのか、それは俺に分からないが、たぶん親方はメリナの才能って思うだろうし、親方がそう思うなら俺もそう思っておく。度胸試しこそ竜の戦い方だ。さあ、いくぞ!!

『そこだあああああ!!!』
「これで終わりだああ!!!」
『『「ベノムトラップ」!!』』
「はいよ!!」

 親方とメリナの声が同時に聞こえて、それからニンゲンの大歓声まで聞こえた。もちろん、ブルームの宣言通りにならなかったからだ。
 絶対に教えないが、「竜の暴虐」で頭に血が上ったブルームは体を一回転させて尾の振り下ろしをする事が多い。それに賭けて、できるだけ少ない動きでかわした俺は、水の中で回転するブルームの顔にめがけてもう一度「毒泥の罠」を浴びせる。水の中でもこれだけ近かったら十分に効く。
 これで後は俺のやり方で仕留める。そう思った瞬間に、俺の体は痛みとともに右に弾き飛ばされた。

『ギルティ!!』
『おおっと!! 躱したと思った逆鱗状態のブルームの攻撃がギルティに当たりました!!』

 ブルームが「してやったり」だったかどうかは分からないが、「竜の暴虐」が乗った尾の薙ぎ払いをまともに横腹へ叩き込まれてしまった。
 小池の壁に激突してそこで止まる。それも痛い。意識が飛びそうになる。時間がない。負けたくない。親方、メリナ、これで最後だ!!
 ゆっくりと顔を上げながら、最後の力を練る。ブルームはもう目の前に迫っていた。俺が押し止めるか、ブルームが押し切るか、勝負だ!!
 俺はブルームに向かって最後の「竜の覇気」を放つ。なぜか考えがゆっくりになって、目の前もゆっくり紫色の光に覆われていく。それでも、勝負はやっぱり五分五分だな。

 ここまで一緒に戦って、俺には親方がいるけど、メリナとも楽しかった。まだ戦い慣れしてない部分がたくさんあったが、これから頑張れば親方くらい強いニンゲンになるかもな。 
 その時にはメリナにも自分の相棒がいるだろうし、そのポケモンと戦ってみたいし、もしかしたらメリナだったら親方よりも強くなって「ちゃんぴおん」に勝てるかもな。
 ところで、もしここで俺が勝ったら、もしかしてメリナには初めての勝利? まあ、それはブルームが勝ったらペルディも同じか? でも、まあ、負けたくないな。




















「ライアン、なに読んでるのー?」
『コンペキの地元紙の電子版だよ、ほら』

 ガラス天板の対面式ライティングデスクの上に広げた算数の問題集から、マリンは「顔のない顔」を、低年齢向けに作られたオフロードバイク用ヘルメットで隠した顔を向けた。ライアンもまた、ラプラスに許された超能力で宙に浮かべたタブレット端末から顔を上げる。
 そのラプラスの言葉に従って、タブレット端末が店の中を漂い、マリンの眼前で静止する。ライアンはマリンの母によって鍛えられたポケモンであり、念話を含めてエスパーのポケモンに匹敵するほどの超能力を操る事が可能だ。
 マリンがヘルメットに巻いていたミラー仕様のゴーグルを外して、タブレットの液晶を眺める。ライアンにとっては、かつての相棒に酷似した茶褐色の瞳が露わになる。それは正しく生き写しであり、そして忘れ形見だ。
 ライアンが眺めていたものは、この店が籍を置くコンペキシティのニュース。そして、コンペキジムで催されたバトル教室の記事であった。その文章によると、バトル教室の一環として模擬戦が行われ、プロトレーナーであるジムリーダー・サラナとジムトレーナー・ナヌムがそれぞれ参加者とチームを組んだ共同のバトルであったようだ。同じく記事の中には、接戦の末に勝利を掴んだのはジムリーダーのチームとある。
 ゴーグルを戻したマリンは、屈託のない笑みをヘルメットで隠しながら言い放った。

「うん、けっこう興味ないかもー!」
『マリン……お前なあ……せめて地元の事ぐらい頭に入れておこうよ……』
「だってライアンが読んでるんでしょー? だったら僕、読まなくていいよねー」

 ライアンが大きくため息を吐いた。何度も説得しているが、今の相棒はポケモンバトルに対して関心を抱かない。激しい感情の起伏が少なく、大きく取り乱す事が滅多にないマリンはまさにポケモンバトルに向いた気性なのだが、それが災いしてか、ラプラスでも押し流す事ができないほどの頑固を貫いている。
 揺るぎない信念に基づいたものなら納得もできるが、それはマリンの我儘に拠るところが大きい。この子の祖父が普段から言っているように、そしてかつての相棒が病床で遺した言葉のように、マリンはただの奇抜な格好のニンゲンとして終わってはいけない。
 本人は「もっと大きくなったら、魔法使いかムウマージになりたい!」と夢を語り、今この時さえヘルメットの上に絵本の中の魔法使いが被るようなとんがり帽子を、それもどこで買ったのか分からない傘と見間違うほど鍔が広いそれを身に纏っているが、ライアンはマリンがその夢よりも偉大な者になれると確信している。だからこそ、説教が止まらない。

『あのな……他のニンゲンの子どものようにスクールに行かないんだったら、自分からもっと勉強しなきゃいけないんだよ……その問題集だってジイさんが買ってきてから何ヶ月手付かずだったか……それにな、マリン。お前の』
「あっ! ライアンまた今度ー! いらっしゃいませー!」

 ライアンの言葉を遮り、マリンが椅子から立ち上がった。扉を締め直そうとする者に向かって、帽子の位置を直しながら「待って待ってー! あやしいお店じゃないよー!」と小さく叫ぶ。そして、その者に代わって扉を開けたマリンを尻目に、店内の片隅に座るライアンは目を伏せた。

「ようこそー! 文具店『シルバー・バレット』へ!」





  The next saga is 「顔のない魔法使いと嘘つきのラプラス」

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