最高のオリーブリース

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作者:芹摘セイ
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 最高のオリーブリース(約10,000字)




【一】


「お疲れ様、ケンホロウ。ゆっくり休んでくれ」

 扁平なスパンドレルアーチを描いた煉瓦造りの橋の上、スグルはそう労いの言葉をかけモンスターボールの開閉スイッチを押した。薄霧のかかった橋の向こう側、そこで苦しげによろめいていたメスのケンホロウをボールから放たれた赤い光が吸い込んでいく。「ありがとう、いい試合だったわ」と対戦相手のテニスプレイヤーの女性トレーナーがスグルの方に歩み寄ると、その手持ちポケモンであるドレディアも彼女についていき丁重にお辞儀した。ケンホロウにとってタイプ相性上は有利な相手であったがスグルの完敗、ドレディアの美しい頭の花飾りから見るにかなりの凄腕トレーナーだろうなと彼は痛感した。
 イッシュ地方、ビレッジブリッジ。ジムバッジを6、7個手に入れたトレーナーたちがひしめく場所だけあって白星をあげるのは容易ではなかった。そのことはスグルにとっても――まだ少年の面影すら残る中でエリートトレーナーの称号を得たこの青年にとっても例外ではない。彼はすでに6個ものジムバッジを手にしていた。残すところはあと2つ。ソウリュウとセイガイハのジムを制覇すればポケモンリーグへの挑戦権が得られる――それは近いようで果てしなく遠い道であった。こう負けが続いては、自分自身の価値を専ら目に見える成果に見出すという性質がかえって強く出てしまうものである。一定の地位と評価を得れば得るほど彼は勝敗に対して一層敏感になった。

 スグルがカゴメタウンのポケモンセンターに駆け込み、傷ついたケンホロウを預け、回復が終わって引き取った頃には白い漆喰壁と赤茶色の瓦屋根の町並みを西日が仄かな赤色に染めていた。そこは白壁に掛けられたガラス絵皿やゼラニウムの鉢植えや鋳鉄製の古びたランプがモザイク模様の石畳の上に濃い影を落とす入り組んだ路地であった。彼はなだらかな階段を下り歩き、教会鐘楼のそばを通り、蔦の這うアーチ歩道橋の下をくぐって12番道路に出た――が、彼の目的地はそこではない。山裾の起伏に沿うように広がる花畑も、そのただ中で小枝を風に晒すオリーブの木も、スグルは目にも留めず駆け抜けビレッジブリッジを目指した。そして主塔のある橋の中腹まで再びやって来たところでモンスターボールからケンホロウを出し、ハンガーロープの隙間越しに広々とした川沿いの景色を眺めていた。
 赤黒く染まりゆく山の端、川面にまだ明るい白さと鈍い光沢のある群青色を残す夕空。思い出すのはイッシュの最南西に位置する山あいの道路、全身土まみれになりながら野生のマメパトを捕まえたあの日だ。初めてゲットしたポケモンだったからたいそう喜んだのを今でも覚えているし、イッシュリーグチャンピオンを目指すこの旅の中で多くの苦楽を共にしてきた。姿こそ変われど自慢の相棒ポケモンなのはずっと変わっていない。「悔しいよな、ケンホロウ」とスグルはひどく強張った声音で言った。

「ごめんな。まだ、進化してから一度も勝たせてやれなくってさ」

 ポケモンは進化をすると戦闘力が飛躍的に上昇するが、同時にそのポケモンの強さを引き出すのも難しくなってくるためそれだけトレーナーにも高度な判断力が求められることになる。ましてバッジ集めの後半となれば対戦相手のレベルも駆け出しの頃とは比べものにならない。6個目のジムバッジを手にしたあたり――多くのトレーナーたちが最初のポケモンを最終進化させる時期になってから戦績が振るわないことを彼は周りとの差を突きつけられたことのように捉えることもあった。勝たねばならぬ、ポケモンと共に勝利の栄冠を掴みにいくことこそがトレーナーの役目なのだ、スグルの生真面目なまでの思いは彼をして己の不甲斐なさを悔やませた。
 
 墨入りモルタルで薄塗りしたような川洲をじっと見つめるケンホロウをボールに戻しカゴメへと踵を返そうとしたときであった。ガス灯の優しげな光に照らされた橋の袂近く、煉瓦造りの三角屋根の民家の中から人が出てきたのが見えた。どうやら日中バトルしたあのテニスプレイヤーの女性トレーナーらしい、そばには家の前の観葉植物に水やりしようとジョウロを持ったドレディアの姿もあった。テニスプレイヤーがこちらに気づくと、「今日はありがとうございました」とスグルは深々と頭を下げて続けた。

「タイプ相性をも覆すドレディアとのコンビネーション、圧倒されるばかりでした。僕自身大変勉強になります」
「こちらこそ、ご丁寧にありがとう。また勝負できるといいわね。あ、そうだこれ!」

 そう言ってテニスプレイヤーはスグルに一枚のチケットを差し出した。

「これは?」
「ポケトピア行きの船のチケット。よかったら受け取ってよ」
「え、ポケトピア!? いいんですか?」
「遠慮しないで。バトルで知り合ったトレーナーさんに行ってもらいたくて渡してるの。この辺りだったらサザナミから船出てたかな、色んなコロシアムでバトルができてとっても楽しいんだから!」

 ポケトピア。南の島にあるポケモンバトルのテーマパーク。島には10個ものコロシアムが存在し、腕に覚えのある猛者たちが世界中から集い競い合っていることはトレーナーなら誰しもが一度は耳にしたことのある話だ。イッシュ以外でのバトル経験のないスグルにとってポケモンバトルの楽園とも呼ばれるその地はかねてから興味の対象であった。

「ありがとうございます。僕自身のレベルアップのためにも是非行ってみようと思います。もちろん、ケンホロウと一緒に」

 な、ケンホロウ、と言いかけたところでケンホロウがドレディアのそばにいることに気づいた。首を長くしたまま目を細めて他ポケの様子を窺っているだけかと思いきや、羽を使ってドレディアの頭の花飾りを軽く触っては今度はその羽で自分の頭を撫でさするという仕草を繰り返し始めた。ケンホロウはトレーナー以外の者には決して懐かないとされる種族、他ポケとのふれあい――もっとも花飾りをいじられるドレディアは照れくさそうにもじもじするだけであったが――の物珍しさにスグルは「すみません」と苦笑した。

「あいつ、ドレディアの頭の花飾りが不思議でしょうがないんですよ。メスのケンホロウには頭飾りはないものですから」
「ふふっ、ケンホロウちゃん、楽しそうね」
「楽しい……のでしょうかね?」
「私にはそう見えるなあ。とにかく、スグルくんもポケトピア巡り、楽しんできてね!」




【二】


 自分の実力が他地方のトレーナー相手にどれほど通用するのか試さずにはいられない。それに勝敗の結果がトレーナーとしての評価に直結するイッシュでのバトルと違い過度にプレッシャーを感じることはなかったものだから、翌朝スグルは真っ先にポケトピアへ向かった。舳先に佇むケンホロウが錫箔のように銀白色に輝く海を眺めている間にも一人と一匹を乗せた船はポケトピアのある島に到着し、ドーミラーを模した観覧車のあるテーマパークからバスに乗って今やスグルはガイドブックとにらめっこしながらどのコロシアムへ行くか考えていた。ウォーターコロシアムにクリスタルコロシアム、キャッスルコロシアムやカジノシアターコロシアム、スタービューコロシアムとこうもおしゃれな雰囲気のコロシアムたちが写真付きで紹介されていると迷うものである。荷物棚の上で丸くなったケンホロウがウォーターコロシアムのページをじっと見ていた――やはり元々自然の中で暮らしていた鳥ポケモンにとっては緑と水のある場所の方が落ち着くらしい――ので結局ウォーターコロシアムへ行くことに決めた。
 コロシアム。古代の円形闘技場をその語源にもつ。コロシアム自体は現代では闘技場一般や競技場を指すようになったが、語源となった言葉が意味する円形闘技場は元来、流血と殺戮を見世物とした娯楽施設として建造され、そこでは人間の剣闘士と猛獣ポケモンたちによる残忍で凄惨な戦いが演じられた。そのような歴史をもつ円形闘技場の遺跡として有名なのは、オーレ地方にあるオーレコロシアムだ。他方ポケトピアのウォーターコロシアムに関して言えば、名前こそコロシアムとあるものの、外観的にはむしろオーレの円形闘技場遺跡よりももっと前の時代の、古来続く世界的に有名なスポーツ祭典発祥の地の遺跡に近いように思えた。実際ウォーターコロシアムの歴史もまた古く、ここでは競技として行われたポケモンバトル祭典の優勝者にオリーブの冠が授けられたのではないかというのが学会の通説となっていることをスグルはバスガイドによる観光案内を通じて知った。

 それから程なくしてウォーターコロシアムに着いた。それは萌えるような緑の流れる森の中、闊葉樹と岩石とシダ植物に囲われた瑠璃色の滝壺のさらに奥底にあった。海に臨む遺跡の中に造られた円形フィールド、その周りには唐草模様の柱頭飾りの施された巨大な石列柱が聳え、列柱の上に敷かれた石造りの梁からはシルクのように滑らかな水が絶えず流れ下っていた。スグルは列柱を支える基壇の上に立ち、青磁色の穏やかな海や段差の影で日差しを照り返す苔や岩肌に小さな虹を浮かび上がらせる滝の飛沫を見た。まったく長閑であった――が、自然の風景とは対照的にバトルフィールドは盛況を博していた。

「まったく話にならないね。さあ、次はどこの誰が相手してくれるんだい!? あたしたちはまだまだ余裕さ!」

 フィールドの中でそう昂然と声を上げるのは、一匹のグライオンを頭に乗せた若い女。デニムのサロペットに厚手のシューティンググローブ、ワンカールの青髪にミリタリーゴーグルとイッシュでは珍しい身なりだったので他地方のトレーナーであろうことは容易に想像できた。グライオンと対峙していた相手ポケモンの戦闘不能を審判が告げるや否や試合を観戦していたギャラリーたちが一斉にざわめく、「すげえよ、あいつのグライオン」「これで10人抜きだぞ」「コロシアムでの優勝経験も豊富らしい、俺たちじゃ勝てっこねえ」。そんな中でもスグルは人混みをかき分けて進むことを厭わない、「すみません」と彼は右手を高らかに上げケンホロウと共にバトルフィールドに躍り出た。

「ポケモントレーナーのスグルっていいます。次、僕に挑戦させてください」
「へえ、堅気さんなんだね。あたしはハンターのヘシティ。人も多くなってきたけど知らないよ?」
「と、いいますと?」
「みんなの見てる前で! あたしが今からあんたを泣かしてやるんだから!!」
「望むところです、ヘシティさん!」

 ケンホロウとグライオン、両者が同時にフィールド中央の空へと飛び立つ。「試合開始!」という審判の掛け声とともに戦いの火蓋は切って落とされた。

「ケンホロウ、『電光石火』だ!」
「『砂嵐』で防げ!」

 両翼を広げたケンホロウが高速でグライオンの周りを乱れ飛ぶ。ヘシティの指示を受けるとすぐにグライオンは技の体勢に入った。
 ケンホロウとグライオンは共に飛行タイプ。タイプ相性上優劣はない上素早さにおいてもほぼ互角だ。攻撃力に秀でたケンホロウと防御力に長けたグライオン、両者が真正面からぶつかり合えばパワーで差をつけることも困難。ゆえに『電光石火』で加速することで速度において上回る必要がある――だがスグルの思惑どおりにいくほど生易しい相手ではない。
 ケンホロウの攻撃がヒットするすんでのところで体を回転させたグライオン、その周囲を小さな砂塵が覆い隠していた。グライオンの特性『砂隠れ』――思い出したときにはスグルの次の一手はもう決まっていた。

「ケンホロウ、羽ばたいて砂嵐を掻き消すんだ!」
「引っかかったね、あたしの作戦どおりさ!」
「――ッ!?」

 ケンホロウが起こした風により不明瞭だった視界が徐々に晴れていく――が、元々砂塵の吹き荒れていた場所に相手の姿はなく。一瞬にしてケンホロウの後ろを取ったグライオンは尻尾を使ってケンホロウの尾羽を掴み、その鋭利な鋏を突きつけていた。

「なんて速さ……!」
「へへっ、グライオンは僅かな風に乗って速度を上げるのが得意なポケモン。空中戦――まして風を起こしながら戦う鳥ポケモン相手には絶対に負けない! さあて、グライオン。たあーっぷり泣かせてやれ!!」

 ベロリと舌を出し猟奇的な笑みを浮かべるグライオン、その猛攻は止まることを知らない――長い尻尾でケンホロウの動きをロックしたまま今度は片手の鋏でケンホロウの首を絞め始めたのだ。ケンホロウの表情が苦痛に歪んでいくのを見たスグルは羽を使って振り払うように指示するもそれは叶わず。ギャラリーたちの歓声が不安を煽るばかりであった。

「まだ……まだだ、グライオン。ギリギリまで痛めつけてやれ!」

 ぎし、と上空で鈍い音を響かせヘシティとアイコンタクト――そして。

「今だ! 『叩き落とす』!」
「まずい――!」

 2匹の主戦場である上空にばかり注意を向けていたことをスグルは悔やんだ。ぶん! とグライオンがもう片方の鋏を上から一振り。最大パワーの『叩き落とす』を喰らったケンホロウは地上に落下していき地面に叩きつけられ――なかった。ケンホロウの落下点、そこには進化系のポケモンが5、6匹嵌るくらいのなだらかな円錐形の砂山が堆積していたのだ。大きな窪みのある山の中心部に向かって縁からは砂が絶えず流れ込んでおりケンホロウを呑み込んだ。地上で遮二無二足をばたつかせ砂山の中から抜け出ようとするケンホロウの様子に、ヘシティの口角が上がる。

「グライオンの『砂地獄』。飛行タイプには本来地面タイプの技は当たらないけど、『叩き落とす』で地面に引きずり落としてしまえばなんてこっちゃない。しわじわと体力を削いで、弱りきったところで確実に仕留める、それがあたしのやり方なんでね!」
「鋏を使って敵の動きを封じることのできるグライオンにぴったりな技、ということですか」

 この手の拘束技に関して言えば、脱出しようともがけばもがくほど体力を削られてしまうことは容易に推測できる。そしてヘシティは指示こそ出していないが、彼女の言動からして次の一手はおおよそ読めるというもの――スグルは努めて冷静に策を練り、砂の中で悶えるケンホロウに上をよく見ておくよう指示。幸運なことに彼の読みは当たった。
 ギラギラと太陽の照り付ける上空、グライオンは滑空するようにケンホロウのいる地上に向って急降下していた。大きく開いた両手の鋏はほかならぬ攻撃のサイン。鋏を使って掴みかかることで砂地獄の中にケンホロウを閉じ込めておく算段なのだろうとスグルは考えた。逆境を覆す策があるとすれば、ただ一つ――!

「ケンホロウ、『鋼の翼』!」
「ッ!」

 グライオンの鋏が届く寸前、ケンホロウは両翼を鋼のように硬質化させることで攻撃を受け止めた。翼と鋏を互いにぶつけ合い静止したまま両者は睨み合う。

「鋏がダメなら尻尾だ! グライオン、尻尾を使って鋏みとれ!」
「その尻尾を踏みつけるんだ!」
「何ッ!?」

 リーチの長さは隙の大きさの裏返しでもある。グライオンの長い尻尾が襲いかかるのを見計らったケンホロウは砂に埋もれていたその長い脚を上げ、踵下ろしのような要領でそれを尻尾の鋏に向かって振り下ろした。ようやっとケンホロウの攻撃がヒット、尻尾を踏みつけられたグライオンはバランスを崩し地上へと倒れ込む。両者が砂山の中に閉じ込められる形となった。
 下手に空中戦に持ち込めば、先ほどのように風を起こすことでグライオンのスピードを強化させてしまうという事態になりかねない。それはスグルにとって恐れるべきことであったし、グライオンというポケモンの特徴をいかし敵の攻撃を利用するのはヘシティの狙いであり十八番であるように思えた。相手もろとも砂に埋もれてしまえば戦いは必然的に地上戦へと移行することになる。
 砂のフィールドはケンホロウの膝下を、グライオンの尻尾の付け根から下を覆うくらいの深さになっていた。つまり近接戦において武器となるのはこちらは両翼、相手は両鋏、そしてそれぞれ両脚と尻尾の鋏が時折使えるといった状況。グライオンの両脚は短く、鳥ポケモンであるケンホロウほどの脚力はないため手数としては僅かに上回っている――だとすればケンホロウの得意技を連発するチャンス!

「ケンホロウ、『辻切り』!」
「『叩き落とす』で迎え撃て!」

 前傾姿勢をとり鋭い眼光を放ったグライオン、矢継ぎ早に迫りくるその鋏をケンホロウは重心を低くしたまま翼の縁を使って軽やかに、けれども力強く切り付けた。打撃の応酬は青白い火花を散らしながら繰り広げられ――やがてケンホロウの『辻切り』の威力に一瞬気圧されかけたグライオンは片方の鋏で顔を覆い、もう片方の鋏でフィールドの砂を掬い上げそれをケンホロウに向ってまきかけた。しかし目潰しを喰らったところで相手は一匹のみ、まして砂に半身が埋まっていてはそう簡単に距離をとることは不可能――そう判断したスグルの次の一手は早い。彼はフィールド中央、石床に走った亀裂へと砂が流れ込んだために徐々に浅くなりつつある砂山を見た。舞うように翼を振りかざすケンホロウの右脚の膝下あたり、それまで埋まっていたグライオンの尻尾の先端が砂の上に露出していた。「ケンホロウ!」とスグルはフィールドに身を乗り出すようにして声を上げた。

「右脚を思いっきり蹴り上げるんだ! そして上に向かって『辻切り』!」
 
 あと少し指示が遅れていれば、グライオンの尻尾の鋏はケンホロウの右脚を捕えていただろう。チアリーダーのごとく高らかに上げられた右脚がグライオンの顔面にヒット、そのまま相手の喉元を翼が一切り――翼の付け根部分から切り込みが入ったことが一層ダメージに貢献した。そして衝撃によりグライオンがすぐ後ろの切り立った岩肌に叩きつけられたのと『砂地獄』の砂が完全に消えたのはほぼ同時であった。顔についた砂を翼で払い落とし地を蹴ったケンホロウは『電光石火』のスピードで駆け抜け追撃を試みる――が、ヘシティのグライオンに小技は通用しないとスグルは悟った。ケンホロウが地を走ることで水平方向に発生させた風圧は岩肌にぶつかると微かながらも上昇気流を生み出したのだった。気流に乗ったグライオンは天へと一直線に舞い上がることでケンホロウの攻撃を回避、一点の小さな影を落とす淡青の空をスグルとヘシティは仰ぎ見た。

「へえ、思ったより楽しませてくれるじゃん」
「ケンホロウの特性は『強運』。ただでさえクリーンヒットしやすい『辻切り』の効果も相まって安定的に大ダメージを与えられるようになるんです。グライオンが風に乗るのが得意なように、ケンホロウは相手のウィークポイントを的確に狙うことに長けている。ポケモンの特徴をいかしたバトルなら僕だって負けませんよ、ヘシティさん!」
「いいねえ、強がってるときほど泣かせ甲斐があるってもの! ひとたび空中に出てしまえばこっちのペースさ!」

 ケンホロウの佇む地上、滝の麓で真っ白に泡立つ水を受けていた岩石群が一斉に砂化し始めた。砂は油で炒めたポップコーンのごとく敏捷な動きをもって弾けケンホロウをのみ込もうと襲い掛かる――これは2度目の『砂地獄』。咄嗟にスグルはケンホロウに上空に飛び立つよう指示、彼としてはグライオン相手に空中戦を挑むことに対して些か消極的であったが足下の砂山がそれを強制させた。悠然と大空へと羽ばたいてきたケンホロウに向かって、大きな舌で喉元の傷を舐めながらグライオンは不敵に嗤いかける。

「自らグライオンのテリトリーに入り込むとはね」
「レントラーの巣穴に入らずんばコリンクを得ず、ですよ」
「いい度胸じゃないの。グライオン! お望みどおり、特大の『砂嵐』で葬ってやれ!!」
「ッ! その場から動くな、ケンホロウ!」

 スグルが思わず手で顔を覆った刹那、唸るような轟音とともに砂嵐――砂や岩石や木々の枝葉をもその螺旋状の渦の中に取り込んだ巨大なハリケーンがフィールド中央に出現した。不規則にやすり掛けした銅板のように濁った空、そこにグライオンの姿はなく。ケンホロウの居場所に関しても影でおおよその位置は把握できるが徐々に濃度を増していく大気が視認を許さない。スグルはケンホロウに『鋼の翼』で尾羽を硬質化させ、さらに両翼に力を蓄えておくよう命じた。
 特性『砂隠れ』によってグライオンが砂の中に身を隠しているとしても、自身の起こしたハリケーンからそう離れていないところ――ケンホロウを中心とする円の軌道上を飛び回っている可能性が高い。それはヘシティがこれまで活用してきた、風に乗って戦うというグライオンの特徴から想像がついた。仮に視界をクリアにするためにケンホロウが風を起こしたり、あるいはハリケーンの向心力に逆らおうと強い力で羽ばたいたりすれば、それこそグライオンはそれらの風をも利用することで自らの居場所の特定をますます困難なものにしてしまう。相手の居場所がわからなくとも『鋼の翼』でガード、防御力を底上げすることでその場を耐えしのぐことは一応可能ではあるが、こちらから攻撃ができなければ『砂嵐』のダメージでジリ貧になるのは必至。だから、これでいい。今はまだ、力を蓄えておく時期。
 ハリケーンの向こう側、ヘシティがグライオンに『連続切り』を命じたのが聞こえた。『連続切り』――連続で攻撃するほど威力が上がっていく技だ。これでグライオンの覚えている4つの技が全てわかった。遠距離からこちらを狙い撃つような技はない。「ケンホロウ!」とスグルはフィールドに身を乗り出し、天を仰ぎ、両手を挙げ。

「“俺は”いつだってここにいる! お前の一番得意な技で勝負しよう!」

 そして、笑いかけた。
 耳を澄ます。玉鋼を鍛えたときのような甲高い音。これはグライオンの『連続切り』をケンホロウが『鋼の翼』で防ぎきっている証。加えて音のリズムは一定だ。目の前で轟くハリケーンも、一定の速度で渦巻いている――その渦に沿うようにグライオンがケンホロウの周りを飛び回っているのも明らか。打撃音の鳴る周期に耳を傾ければ、グライオンが接近してくるタイミングだってわかる。『連続切り』の被弾回数的に次で決める、一、二の――今だ!

「『ゴッドバード』!」

 『ゴッドバード』。『辻切り』と同様にクリーンヒットしやすい大技。この技の名をスグルは随分と久しぶりに口にしたような気がした。遥か上空、赤褐色の大気を切り裂くように鮮明に現れた一対の巨大な翼も、翼から立ち昇る青白い炎も、長いこと目にしていなかったように思えた。
 あらかじめパワーをチャージしておかなければ発動できない、確かに、そんな技の欠点を人に嘲弄されてきたこともあった。小技を駆使しようと躍起になったこともあった。けれども今は、そんなことはどうだっていい。

 だって、楽しいのだ。体の奥底から滾るように湧き上がる血潮が。大技を命じるときのこの感じ、相棒にとってベストな戦い方がわかった、この状況の全てが。楽しい。バトルフィールドに立つことに、それ以上の理由なんてない。

 テニスプレイヤーもハンターも、男も女も、バトルフィールドに立てば関係ない。自慢の相棒の強さを最大限引き出すだけ。ポケモンの数だけ戦い方があって、ポケモンの数だけワクワクがある。これだから、ポケモンバトルはやめられない――!




【三】


 少しずつのばしていく。枝と枝をねじって、一つになったところでまた枝を付け足して。やがて、始まりと終わりが交わる。

 ポケトピアからイッシュに戻ったスグルは翌朝、12番道路の花畑でオリーブのリースを編んでいた。結果はこちらの勝利、ケンホロウの『ゴッドバード』が決まったことでヘシティのグライオンを打ち破った。けれども勝敗は二の次だった。
 肝心なのは、周りからの評価でも、トレーナーカードに刻まれる戦績でもない。バトルを楽しむ気持ちだ。楽しむことなしには、勝者に与えられるオリーブの冠も手中に収められない。忘れかけていた心を取り戻せたことが、何よりも尊い宝物のように思えた。

「ケンホロウ」

 呼ぶ。彼方に連なる山脈の一番後ろ、ポケモンリーグの青白いシルエットと、風に波打つ野原。そして、こちらに向けられる、冴え冴えとした瞳。

「その……いつもありがとな」

 ちょっぴり恥ずかしさを含んだ声とともに。ケンホロウの頭の上にオリーブのリースが載せられた。こういう繊細な作業は不慣れだし、うまく作れているかもわからない。けれども不思議そうに小首を傾げる相棒の様子を見ていると、何を作っても同じ反応だろうな、と自然と笑みが零れてくる。
 ケンホロウの頭に飾りがなくて心底よかったと思う。飾りがあったら、本当に載せたいものも載せられない。ポケモンリーグを目指す旅は、まだまだ続いていくのだ。今は、ほんのささやかなものだけど。これから、もっともっと高く、羽ばたいていくのだから。最高のオリーブリースをかぶせてやれる、あの空まで――

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