「みらい」

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作者:夏十字
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読了時間目安:37分
 あたしは小さい頃、何かと「がさつ」だって言われてきた。
 まあ今もそうだけど。物事の力加減をするのがヘタクソで、しょっちゅうおもちゃや家の中のものを壊しては怒られてた。
「そんな乱暴にしたらどうなるか、先のことがわからないの?」
 よく言われた。わかんなかったし、どうでもよかった。あたしは別に普通に遊んでるだけなんだからどうしようもないし、それくらいで壊れちゃうほうが悪いとしか思ってなかった。要はそこが「がさつ」だったんだろう。

 だけど小1の、あれは夏になるちょっと前だったかな。昼休みに中庭の隅っこであの子を見つけたんだ。

 いや、見つけたというか同じクラスの子だったんだけど、それまでは正直全然印象になくて目にも留まってなかったから。
 その子は植え込みのところにうずくまって。ケムッソを目の前にして、一生懸命スケッチしてた。どんな絵だったかはよく覚えてない。でもそれを見た瞬間思わず「すごい」って声が漏れたのは記憶してる。
 そしたらその子は振り返って、
「……へへ」
 もう今にもこわれて消えちゃいちゃいそうな、しゃぼん玉みたいな笑顔がそこにあって。壊しちゃいけないものがあるんだって、生まれて初めてそう思えたんだった。

 それがあたしとアスミの“はじまり”だった。



『あした夕方から時間ない?教えてくれた天然石の店行きたくてさ 昼間に予定あって16時くらいに空くんだけど』
『ごめんナバナ。明日はゴニョニョの健診が、16時半から』
『あー 残念』
 送ったメッセージが見事に空ぶった。2年生になって最初の期末テストが終わって授業は午前中だけになったものの、相変わらずスケジュールが何かと埋まりがちで。明日ならばと思ったんだけど予定が合わないなら仕方ない。
 それにしても、
「ゴニョニョの健診、ね」
 アスミからそんな言葉が出るとは。お陰様であたしもぼちぼち自分のポケモンを診てもらいに行かなきゃなと思い至った。ベッドの脇、さっきからじっとこちらを見ている眼差しのほうへ目を向ける。
「ネイティ」
 ことりポケモン・ネイティ。この地方ではなかなか珍しいポケモンらしい。両手のひらに収まるくらいの緑色のボールにくちばしや肢、翼、尾羽、冠毛がくっついたような姿形をしていて、その身体に対して随分と大きな黒い目がこのポケモンの印象を決定づけている。ポケモンとしてはかなり小さいほうだけど、こうして見つめられるとなかなか強烈な目力を感じる。進化してネイティオというポケモンになるとこの目は実際に“力”を持つようになり、なんと過去と未来を見通すことができるようになるんだそうだ。
 まだ訪れてもない未来まで見えるようになるなんてもの凄いことだけど、そんなの見えてもしょうがないともあたしは思う。だって未来が見えても見えなくても結局やるべきことは同じ、今を良くすることだけなんだから。あたしがこの子を選んだのはそういうことじゃなくて、単純にかわいいと感じたからだ。ちょっと気分屋なとこも含めてかわいくて目力がピカイチ、それだけでこの子はあたしの立派なパートナーなんだ。
 アスミにはちゃんと言わなかったけれど、明日の予定っていうのもこの子のこと。あたしは今、ネイティを連れて近くのポケモンジムに通ってる。平日週2回を基本として、時間があれば明日みたいに個別に予約を入れて行く日もある。がっつりポケモン勝負が強くなりたいとかじゃない。ただ、ネイティへのきちんとした接しかたや付き合いかたを学んでおきたいと思ったのだ。助っ人として去年やや強引に入部させられた陸上部を辞める口実がほしかったというのも、少しはある。
 あたしがポケモンを連れるようになったきっかけは明白で、小さい頃からごく親しくしてる同い年のポケモントレーナーの影響だ。彼は今トレーナーとして修業の旅をしてる最中なんだけど、実を言うとあたしにポケモンジムへ通うことを勧めてくれたのも彼だった。
「ネイティ、あたしお風呂に入ってくるから。いい子にしてるんだよ」
 だからこそ。あたしは自分がジムに通ってることもこの子を連れてることもアスミには内緒にしている。
 
 
 
 翌朝、ちょっと寝坊気味で校舎へ駆けこむと、エントランスの隅に見知った姿があった。急いで教室へと向かう皆の流れから外れ、しゃがんで壁の低い低いところを覗きこむようにしてる小柄で華奢な女の子。もうすぐ授業開始5分前の予鈴が鳴る頃だってのにこんなところで。
「何してんの?」
「……この穴」
 応答までにはしばし間があった。見ると壁に直径3センチほどの何かでほじくったような穴が開いている。
「今日はじめて気づいた。ってことはつい最近できたのか。それとも前からあって、私が気づかなかったから“ないこと”になってたのか」
「どっちにしろあたしはあんたがそれを見つけたことに感心するよ」
「……あ、ナバナ」
「そっちはもっと早く気づいてよね。おはよ」
 相変わらずの調子に思わず苦笑する。対してその子――アスミは、見開いてた目をあたしから伏せて、逸らせてしまった。
「今日、誘ってくれたのに。申し訳ない」
「気にしないでってば。また予定合わせて行こ」
「……」
 返事だったのかそうじゃないのか、わからないくらいの息づかいを漏らしたきり沈黙するアスミ。少しの無言が続いたあと、割って入るように予鈴が鳴り響く。
「ごめん。教室、行くね」
 おもむろに立ち上がってか細い声でそう言うなり、アスミはサッとあたしの横をすり抜けて玄関ロビーへと続く階段を上がって行ってしまった。クラスが違うから追っかけてくのも変だし、できない。
「ナバナちゃん、もうほっときなよ」
「あんな子に同情してもいいことないって」
 声を掛けてきたのは、いつもペアで行動してるクラスメイト二人。あたしは反射的にその子たちをにらみつける。
「それ、もっぺん言ったら承知しないから」



 アスミとは小1の時からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染だ。とても繊細で独特のテンポ感を持っていて見たこと聞いたことについてあれこれじっくりと考える彼女はあたしとは全然あべこべなんだけど、それでも不思議と仲が続いてきた。得がたい親友と言っていいはずだ。
 でも、その仲が今はなんとも複雑なことになっていた。とても平たく言えば去年大きな行き違いがあってそれきり10ヶ月くらい喋ってもいない状態で……それがつい2週間ほど前に状況は一応変わった。
 偶然、川沿いの橋の下で歌うアスミを見かけたのだ。それも中学の時あたしが作ってよく一緒に歌ってた歌を。つられてあたしも歌って――その日からまた話したりスマホでメッセージを交わしたりするようにはなった。
 だけどこの2週間、以前しょっちゅうしてたようにアスミとどこかへ出かけたり遊んだりということは全くない。今日みたく単に上手く都合がつけられなかったというのもある。ただ、それだけじゃなくて仲直りをしてからも、とくにさっきみたいに顔を合わせてる時のアスミには明らかなぎこちなさを感じる。元々ちゃんと目を合わせて喋ってくれるような子ではないけれど、それ以上に、とてもあたしに対して余所余所しいのだ。
 それも当然だとは思う。アスミとの行き違いの原因をこれまた平たく言うとしたら、あたしがあの子の想ってた相手を奪ってしまったから、となる。もちろんあたしにも色々な言い分はある。けど何を言っても事実は変わらないし、アスミがそれについてあたしを責めるような台詞を言ってきたことは一度もないから、あたしが言い分を並べるような場面もなかった。
 一方であたしには、この件絡みであの子の前では秘密にすると決めたことがある。自分がポケモンジムに通ってることだ。そう。あたしにジム通いを勧めてくれたポケモントレーナーこそが、他ならぬアスミの想い人だった彼なんだ。
 それだけに驚かされた。あの子がまさかゴニョニョを、ポケモンを連れているなんて。
 正確に言うと去年もそんなことがあったにはあったけど、その時ともまた状況は違ってる。アスミの言葉を聞くに、あの子はゴニョニョの“おや”になろうとしてる。それはまるでポケモントレーナーのすることだ。今のあの子にはポケモントレーナーやそれにまつわるワード自体が禁句だって思ってたのに。
 まあそれでも、やっぱりジム通いの件はアスミには黙っておくつもりだ。あの子を傷つけてはいけない、壊してはいけない――あたしはずっとそうやってきたんだ。
『お前なんか生まれてこなきゃよかった』
 そんな呪いみたいな言葉を、生まれた時から実の母親に何度も何度も聞かされ続けてきてるって、アスミは度々話してくれた。そんななかで育ってきたからあの子はいつも何かにおびえた顔をしてる。人と話すのも友達をつくるのもへたくそで、放っとくとすぐひとりぼっちだ。
 同情は否定できない。否定できないからそれを指摘されるとあたしは簡単に苛立ってしまう。でもそれだけじゃない。あたしにとってあの子は、それだけじゃない。

 初めて出会った日、別れ際にあの子はこう言った。
「これからも、どうかよろしく」
 どんなに記憶が色あせても、その声は未だに鮮やかに覚えてる。
 あたしに未来は見通せないけど、きっとその時あたしは「これから」を感じてた。



 終業式が終わって夏休みが始まり1週間ほどが過ぎた。今年の夏は例年よりも幾らか涼しくて、暑がりのあたしにとっては助かる。家やジムやそこいらのお店なんかはクーラーが効いてても、何かと出かけることが多いせいで必然的に外に居る時間も長くなるから。
 ありがたいことに今のところ友達と遊ぶ予定には不自由してない。その代わり、みるみる日焼け止めが減っていく。そういえばこのパールル印の日焼け止め、前にアスミが教えてくれたんだった。
 アスミとは休み中も連絡は取り合ってるものの、授業がないので顔を合わせる機会もなくなってしまった。予定を合わせて遊びに行こうと言ってはあるけれど、今のところあんまり良さそうな返事ではない。
 中学の時の夏休みはよくアスミと街まで服や雑貨を買いに行って、行列のできるお店のアイスを食べて帰った。アスミはおしゃれをするのが好きで、実際センスもいい。と言っても元々あたしはそういうのに全く興味がなかったから詳しいことは知らないけど、少なくともそんなあたしにおしゃれへの興味を持たせてくれたくらいのセンスはある。あたしが服を買う時いちばん頼りにしてるのは間違いなくアスミだ。
 だけど去年に引き続き今年もちょっとそんな風にするのは、難しいことなのかもしれない。それでもアスミと話すらできなかった10ヶ月間よりは全然ましで――だからこそ、やっぱりあたしはついつい「次」を求めてしまう。
 ふと傍らにネイティの視線を感じて、微笑みかける。
「お待たせ。今日も頑張ろ」
 出かける準備はばっちり、この時間ならもう暑さのピークは過ぎたはず。今からジムへ行くんだ。

 家からジムへは歩いて10分ほど。暑さはマシとは言ってもやっぱり全身汗ばんでしまう。いつものことながら多少げんなりしつつ、いつものようにレンガ調の建物のドアを開けた。中の空調の、ちょっと大げさなほどの冷気が流れてくる。
 ここはすごく大きな施設ではないけれども、れっきとしたポケモンリーグ公認ジムだ。ジムではポケモンの体力トレーニングのほかに“わざ”の制御や強化のトレーニング、新しい“わざ”の特訓などができるよう設備が整えられている。当然ポケモンのためだけじゃなくて、トレーナーにはポケモン勝負の時に必要な知識や戦術論、あとは指示の出しかたや日常のコミュニケーションの図りかたなどを実践と座学を織り交ぜて教えてくれる講座があるし、自習ができる資料室なんかもある。ここにはないけどさらにもっと大きなジムになると、険しい旅に出ることを考慮してトレーナー自身が身体を鍛えられるマシーンが完備されてたり、トレーナーとポケモン両方のメンタルケアができるカウンセラーを置いたりしてるところもあるって聞いた。
 あたしはポケモンとの関わりを身につけるのがひとまずの目的だから、あくまで自分自身の学びが第一。けど、トレーナー同士の暗黙の了解というか文化の一環としてポケモン勝負を急に挑まれることもあるそうなので、ネイティのトレーニングも平行してやっている。週2回決まって入ってるほうは講座がメイン、それ以外で来るときはポケモンのトレーニングがメインって具合だ。今日はそれ以外のほう、ということでネイティに頑張ってもらう日だった。

「お疲れ様、いい感じだよ」
 基礎的なトレーニングメニューをこなして、いったんひと休み。入口横の休憩スペースでネイティにポケモン用のスポーツドリンクと好物のオレンの実を与える。得意のジャンプ力だけでなく進化後の片鱗であるサイコパワーのコントロールも少しずつできるようになってきた。
 思った以上にいい成果が出てるからもうネイティには休んでもらって、この後は滑りこみで入れる講座を探すか資料室を漁りに行くかな。そんな風に考えてると視線の先、入口のドアが開いた。
「……!」
 あたしは驚いて息ができなくなった。入ってきたのは黒いストローハットにジュペッタモチーフのTシャツを着た――アスミだった。
 どうしてあの子が? 頭が真っ白になって動けない。そんなあたしの姿をアスミの泳いだ両目が無慈悲に捉えて……あぁ、やめてくれ。
「ナバナ?」
「……なんでここに?」
 向こうも絶対同じこと思ってる。だからもう先手を打つしかなかった。アスミは見開いた目を繰り返しぱちぱちさせて答えた。
「トレーナーライセンスの更新。もう2年経つし、ゴニョニョのためにしてあげなきゃ」
 そうだよ。ポケモンを扱うのに必要な2年ごと更新のトレーナーライセンス。これは中学卒業までには全員取らなきゃいけないもので、アスミは中3の夏休みに取ったんだった。だからちょうど今くらいが更新のタイミングで、更新手続きにはリーグ公認ジムで講習を受けて書類にハンコをもらう必要があって……そうだった、そうだった、少しも気づいてなかったよ、あぁ。
「ナバナはどうして? その格好……それにその子」
 先手打ったところで自分が答える順番は回ってくる、当たり前のことだった。しかもそうだ、あたしは今ジム支給のトレーニングウェア上下を着てるしネイティも一緒。こんなの誤魔化しようがないし、誤魔化したら余計にややこしくなる。
「……見たまんま。あたし今このジムに通ってんの、ネイティと一緒に」
 何から逃れたかったんだろう。完全に余計な一言もついて出た。
「ポケモントレーナーやろうかって思ってさ」
 瞬間、アスミの目が一段と大きく見開かれた。瞳が揺れて、口元が力なくぽかんと――やってしまった。
「ゴ、ゴメン!」
 とっさに抱いた肩は小さく震えてる。うつむいて苦しそうに何度も浅く息を吐き出してる。
 まずい、どうにかしなきゃ。あたしが焦るなか、アスミはおもむろに胸のあたりをぎゅっと、Tシャツごとその下にある“何か”を握りしめた。ネックレス?
「私も」
 初めはすぐ消えてしまいそうな声。でも次は少し落ち着いた呼吸のままに、
「私もここ、通いたい」
 アスミはまっすぐ言ったのだった。



 前途多難。その言葉の意味がそのまま目の前で繰り広げられてるように感じる。
「ゴニョニョ……えと、えっと」
「落ち着いて。指示はゆっくりはっきりとです!」
「ゴニョニョ、ま……前へダッシュで、すん」
「なんか語尾が!? もっと大きな声ですん! ……あ、うつった」
「ゴニョニョニョニョ!」
「噛んじゃった!」
 アスミがあたしと同じく週2ペースでジムに通うことになって今日で3回目。あたしが火曜と木曜の夜に通っててアスミは火曜と水曜の夜だから一緒になるのは火曜だけ。なので2回目の様子は見てないけれど、初回も今回もこんな調子だしきっと同じ有様だったんだろうなと容易く想像できる。ビギナーサポート役のお姉さん、大変そうだな。
 率直に言ってアスミがポケモントレーナーとして振る舞うには少々問題がある。まず声が小さいから指示が届きづらい。それだけなら基本的に人間より優れてるポケモンの聴力なら大した問題じゃないかもしれないけれど、例え声が届いてもアスミは誰かに指示を出すなんてことが大の苦手だから言葉が弱くなってしまって伝わらないし、そもそも何を指示すればいいかもすぐには出てこない。仮に誰かと勝負をするような緊張状態だったら尚更だ。
 あたしは別にそれが悪いことだとは思わない。要するにこの子はすごく優しいんだ。だからこそきっと、ゴニョニョはアスミによくなついてる。アスミがこんな調子でも。
 ……ただし当のゴニョニョにも問題がある。ゴニョニョはゴニョニョでびっくりするほど声が小さくてオドオドしてて、声が“わざ”となるポケモンなのにこれは大丈夫なのかと心配になるレベルだ。というかそっくりだなこの子ら。それが悪いことじゃないっていうのは繰り返し言えるけど、とりあえずポケモン勝負にはとことん向かないコンビだなとは思う。
 でもあたしは見たんだ。初回の時、まずはじめに今後のトレーニング方針を決めるための質問用紙に答えることになる。そこでアスミは入会の目的を問われて、
『ポケモン勝負で強くなりたい』
 こう書いてた。どんな思いかはわからなくても強い思いがあってそう答えたのははっきりとわかるくらい迷わずに。そしてその時あたしは――。
「ナバナ」
 不意に呼ばれてハッとする。あたしと目が合うと、アスミは視線をそっと逃がした。
「その、ナバナは自分のトレーニングに集中してね。私なんかに手間とらせちゃ、申し訳ないよ」
「平気平気。習ったことの復習はもう済んだし。アスミこそ集中しなって」
 まあ何にせよ、やっとアスミと学校以外で顔を合わせられるようになったのはすごく嬉しい。何より、週に1度きりでトレーニング内容は別だとはいえアスミがあたしと時間まで合わせてくれたことが。
「焦んなくていいよ。あたしだって少しずつ――」
「何度言ったらわかるんだこいつ!」
 突然、背後から野太い怒鳴り声とガシャンという激しい物音。振り返るとガタイのいい男の人が壁際に突っ伏したパッチールを威圧するように睨んでた。畳んで立てかけてあったはずのパイプ椅子が辺りに散らばってる。
 手持ちの子がなかなか思い通りにならず殴ったか蹴り飛ばしたか。許しがたいけどこういうことはしばしばある。にわかに騒然とする場の空気に気まずくなったらしく、トレーナーの男は起き上がれないパッチールを置き去って行こうとする。――その腕をアスミが猛然と駆け寄って、掴んだ。
「な、なんだよ」
「謝って、あの子に」
「はあ?」
「逃げないで。ちゃんと謝って」
 思わぬことに男はひるんだ様子。一方でアスミは静かな口調で、でも相手の顔から少しも目線を外さない。……これ、結構やばい。
「ちょっとアスミ! ごめんなさい!」
 硬直する両者の間になんとか割って入ってアスミを引きはがす。すると男は激しい舌打ちをして更衣室のほうへ逃れて行った。その姿が見えなくなった途端、アスミは身体じゅうをぶるぶる震わせて目に涙を浮かべ、床に崩れ落ちた。ゴニョニョがあわててこちらへ走って来る。
「しっかり……あの子はほら、職員さんが見てくれてるから。大丈夫だから」
 かく言うあたしも心臓がバクバクしてる。あのトレーナーの行動にじゃない、今のアスミの行動に。
 こんなことする子だった? 前からたまに大胆なところはあって、いきなり自分を投げ捨てるみたいに動く時はあったけど、あんな……あんなの、あたしはこれまで見た覚えがない。表情はいつもとそんなに違ったわけじゃなくて、それなのにアスミのことを全然知らないあのトレーナーですらはっきり“それ”を感じるくらいこの子は――怒ってた。
『ポケモン勝負で強くなりたい』
 先週この子が質問用紙にそう書いたのを見た時の感情が甦る。あの時あたしは少し「怖い」って感じてしまったんだ。よくわからないけど、よくわからないから怖かった。アスミが急に知らない人になった気がして恐ろしかったんだ。そして今この瞬間も、また。
 あたしは確実にアスミのことがわからなくなっている。それはアスミが変わりつつあるからなのか、それとも――?
「助けて」
 いつも服の下にしまってる赤い石のネックレスを取り出して握りしめながら、アスミがか細く繰り返す。あたしはネイティに、今すぐ進化して未来を教えてもらいたい気分だった。



 その夜、夢を見た。もうとっくに忘れてた小さい時の、アスミとの出来事。
「ナバナちゃん、おいてかないでよ」
「もう。アスミがすぐフラフラいっちゃうからでしょ」
「ええー」
 出会ってそんなに経ってない頃、あたしはアスミの独特のペースにちょっとうんざりしてしまっていた。その日は二人でポケモンをスケッチしようって決めてちょうどいいポケモンを探していたんだけど、あたしは妙にイライラして先へ先へ、広場の奥の普段入らないような草むらをかき分けて行ったりして。

 そしたらその先で見つけた。もう動かなくなったマッスグマと、それに寄り添うジグザグマ。

「あ……」
 目の前の光景にあたしが立ち尽くしていると、後ろからアスミも追いついた。あたし達に気づいてジグザグマが――マッスグマのからだを守るように――低く低く唸り声を上げて。あたしはそれに我に返って、とっさにアスミの目を覆った。
(こんなの見せたらアスミが壊れちゃう)
そう思ったから。
 でも、アスミはあたしの手をそっとほどいて、
「だいじょうぶ。なにもしない、なにもしないよ」
 ジグザグマに微笑みかけると、逆にあたしの手を引いて「いこう」と言った。
 そうしてもと来た道を広場まで戻ってくるなりアスミはわっと泣き出して、
「なにもできなかった、できなかったの」
 必死で声を殺しながら、それでも涙が溢れて溢れて止まらないアスミの様子にあたしまで悲しくなって。結局あたりが暗くなるまで二人して泣いてた。

 目が覚めて、思う。
(……そうだよ、あの子はずっとああなんだ。小さい頃から変わってない)
 すぐ「自分なんか」「申し訳ない」って言う。何を考えてるのかは、あんまりちゃんと言ってくれたことがない。
 だけど。あの子の中にはずっとずっと、あたしには想像もできないくらいばかでかい、それでいて沢山の思いが詰まってるんだ。溢れかえった思いで、いつもいつもはちきれそうになってるんだ。
 そして。
「あたしは、変わっちゃったな」
 あの子が壊れてしまわないようにって気持ちをあの子から目を背ける言い訳にしてる。都合よく楽しいことだけ共有しようとして、ちょっとわからなくなったらそれ以上あの子の声を聞こうとすることもしない。余所余所しいのはあたしのほうじゃないか。
 高校に入ってあの子が全然周りに馴染めなくて困ってても「クラスが違うから」なんて誤魔化して、そのくせ「気にかけてるよ」なんて言って。それでもあたしの毎日は周りに肯定されながら流れ続けていって、いつの間にか自分がこんな風になってたことにも気づけなかった。あの子と離れてた10ヶ月間すらも、辛い辛いなんて言いながらあたしは何ひとつしていなかったんだ。
 まだ夜が明けて間もない。ベッド脇の定位置でネイティは眠ってる。初めてのパートナーにこの子を選んだ本当の理由は未来を見通せるようになるって聞いたから。アスミと色々あって、あたしの描いてた未来がわからなくなったから。でもやっぱり未来が見えちゃうのは怖くて目を逸らして、「見えても仕方ない」なんて自分に嘘ついて。
 こんなあたしにあの子は一体どれほどの思いを抱えてきただろう。あたしはきっと、知らなきゃいけない。



 日が暮れてすぐ、意を決してジムへ向かった。今日は決まったトレーニングの日じゃないけれど、今この時間なら――居た。
「アスミ!」
 ちょうど休憩スペースで座って休んでたアスミは突然現れたあたしに驚いた様子で、目を見開いてイスから転げ落ちそうに……いや驚きすぎだから。
「ナバナ……? あれ、なんで?」
「あんたに用があって」
 思いきり顔を寄せて、不安げに泳ぐアスミの目を逃さず捉え、あたしは息をひとつ整えて言った。
「あたしと――ポケモン勝負しよう」
 アスミは今度こそイスから転げ落ちた。



 ジム併設のバトルコートにネイティと立つ。ギャラリーは誰も居ないし試合でもなんでもないけど自然と呼吸の数が多くなる。だって、向こう側に居るのは――。
「いい? アスミ。もうすぐスマホのアラームが鳴るから、そしたら始めるよ」
「本当に……?」
「あたしも勝負は初心者だし、ちょっとした練習だよ。平気平気」
 完全に腰が引けてしまっているアスミとゴニョニョにつとめて軽く笑顔を向ける。そうだよこれはただの練習なんだ。何度か深呼吸して、その間にアラーム音が響き渡った。
「先手はもらった! ネイティ、“つつく”!」
 ネイティがあたしの指示とともに床を蹴り出す。高い脚力を利用してぴょんぴょん跳ねながら一気にゴニョニョへ迫り、鋭いくちばしで何度も素早くつつき回す。
「その調子!」
 襲い来るネイティに対してゴニョニョは必死で身体を丸めてやり過ごそうとしてる。アスミからはまだ指示はない。というか、指示を出す気配もない。そうしてるうちに――たぶん偶然――身をよじった拍子に勢いよく振れたゴニョニョの大きな耳がネイティにぶつかって、数十センチほど弾き飛ばされる格好になった。
「ネイティ、いったん戻って!」
 言ってすぐ、しまったと思った。ポケモン勝負において「戻る」という言葉はボールに戻って他のポケモンと交代するということ。曖昧なニュアンスの指示はしないようにって教えられてたのに、つい。
「下がって!」
 言い直して、ネイティがこちらへ戻ってくる。ちゃんとした試合だったら今みたいな隙は命取りだったはず――でもアスミは。
「アスミも! ゴニョニョに指示して、戦って!」
 あたしが言ってもアスミはひたすら目を見開いたまま、あっち向いたりこっち向いたりしておろおろ。ゴニョニョも一緒になっておろおろ。……ああもう。
「またこっちから行くよ! ネイティ、“アシストパワー”!」
 “わざ”の指示を受けてネイティは目を閉じる。するとネイティの身体の中のサイコパワーが額のあたりに集まってひとつの大きな輝きになっていく。まだ扱える力は弱いけど、こうやって蓄積させれば。
「放って!」
 ネイティの両目が開かれて、集まったサイコパワーがゴニョニョへと一直線に放たれる。ゴニョニョは全く反応することができずに――いきなりアスミが身を投げ出して、ゴニョニョを抱えて盛大にこちらの方へ転がってきた。
「ちょ、何してんの!?」
「う……」
 幸い“アシストパワー”の軌道は外れてアスミに当たらなかったけど、ポケモンの“わざ”を人間が受けてしまったらどうなるか。それこそこのジムで何度も何度も言われることで、アスミだって聞かされてないわけはないのに。
 ――それに。あたしは思わず唇を噛んだ。こんなのポケモン勝負のやりかたじゃない。というより、はじめから全部が全部そうだ。この子達がポケモン勝負に向いてないってのはとっくに分かってた。けど、
「アスミ、そうじゃないでしょ! ポケモン勝負、強くなりたいんじゃないの!?」
 あたしの中の苛立ちがそのまま声に出た。アスミはゴニョニョを離すと重たそうに起き上がって、そのまま呆然と立ち尽くす。
「ナバナ、なんか怖いよ……どうしたの」
「あ……」
 アスミがおびえてる。おびえさせてしまった。どうしよう。
「……あー、そっか。私が。せっかくナバナが誘ってくれたのに。ちゃんと練習相手になれなくて、ごめん……」
 違う。違うんだ。あたしはただ、あんたが何故ここに通って、何故ポケモントレーナーとして強くなりたかったのかを知りたかっただけだ。あんたはいつもそういうのを上手く言葉にできないけど、こうやって向き合うことであんたの声を――思いの丈を聞けたらって考えたんだ。
 でも、勘違いだった? また間違えた? あたしは何をしたいんだ? こちらを見るネイティの眼が映し出すあたしは――。
『そんな乱暴にしたらどうなるか、先のことがわからないの?』
 わかんないよ、教えてよ。
「ゴニョニョ、まだ頑張れる……? 君にも、ごめんね」
「……アスミ。悪かった、もうやめよう」
 ごめんを繰り返すアスミに、あたしはコートの定位置を離れてふらふらと歩み寄る。
「――うん。もう、やめよう。あたしすぐこうやって間違えちゃうから、だからもう忘れて」
 弱気になって、自分でびっくりするような言葉を吐いてしまう。
「全部なし。忘れてよ、あたしのことも」

 言い終わるや否や、アスミが掴みかかった。

「……ばか」
 荒くて深い息づかいと共に搾り出される声。
「ナバナのばか……なんなのさ、それ」
 折れそうに細い指から伝わる信じられない力。本気であたしの両肩を掴んでる。痛い。
 あたしは別に本気じゃなかった。本気でも現実的でもない、ただ吐いただけの言葉。なのになんでこの子はこんなに? 強い痛みから身を守るように、あたしはそんな思いに支配されていく。
「……あたしだって辛いんだよ」
「そんなの……ナバナが酷いからじゃん……」
「酷い? あたしが?」
 わかってるよ。あたしは酷い。現に今とても酷い。けどアスミの言葉に呼応して、あたしの心もひとりでに言葉を続けてく。だってあたしは悪くない、悪くないよ。でもあたしは酷い。悪くない。酷い。悪くない。
「あんたにあたしの気持ちがわかるの? 酷いって何。あたしがあんたに何をした? 一体何が――」 
「酷いじゃん!」
 返ってきたのは今まで聞いたことないほどの張り詰めた叫び。あたしを守っていたものを何もかも吹き飛ばしてしまうほどの。
「酷いよ。私は何も壊れてほしくなかったのにさ。ナバナは……ふたりして私を置いてってさ。ずっと暗いところに居るのが当たり前だった私に明るい世界見せといて……幸せになれるかなって思ったとたん、また暗いところに置いてけぼり」
 いつの間にこんなに沢山ってくらい涙を流して、顔をくしゃくしゃにして、そのままアスミは堰を切ったように喋り続ける。
「淋しかったよ苦しかったよ今もそうだよ毎日そうだよこんななら何もないほうがよかった出会わないほうがよかった生まれてこなきゃよかった。……嫌いだ。急にまた希望を見せようとしてきたナバナも『もしかしたら』って思ってここまでしがみついて来ちゃった私もみんなみんな大嫌いだ」
 小さなアスミがもっと小さな、まるでたった今生まれてきたばかりみたいな、それでいておよそ一生ぶんの苦しみ全部を抱えてるように見えて。
「また置いてくの?  忘れられるわけないじゃん何言ってるの? どうしてナバナはそうなの? どうしてそんな酷いことするの? ばか、ばか……!」
 あぁ。こんなに泣きわめくアスミの声、聞いたことなかった。ひょっとしたらこんなのこの子も初めて出したんじゃないか。耳から奥底まで響くその声は本当に痛くて苦くて、そして――。
「アスミ、ごめん……ごめん」
 こんな「ごめん」をいくら並べたって足りない。あたしはやっぱり勘違いしてた。この子の声を、思いを、軽く考えすぎていたと思う。そんなあたしにできるのは、この痛みを苦みを、アスミの小さな身体ごとありったけ抱きとめることだけだった。



 うちに帰って、夕飯を食べる気にはならなくてお風呂に入って上がってみたら、スマホにアスミから鬼のような量のメッセージが届いてた。……うわ、これほぼ全部「ごめんね」しか書いてない。急いで通話をかけてみると、意外なほどあっさり繋がった。
『ぁ、ぁわ……ごめんなすん……』
「急にかけて悪かったよ。キョドって語尾おかしなことになってるし。今日は――うん。お疲れ様だったね」
『ごはん食べた?』
「え?」
『ナバナはすぐごはんをいい加減にする』
「あぁ……はは」
 他愛のないやり取りが一瞬あって。その後には長い無言が続いた。
『……やっぱり私、ナバナのことうらんでるのかな』
 不意に消え入りそうな声、そのままアスミごと消えてっちゃいそうな声。
 つかまえなきゃ。あたしはとっさにそう思って口を開く。
「それがあんたの『声』なら、あたしはそれを受け止めるだけだ。だから――」
 だから。
「――これからも、どうかよろしく」



 それからアスミはジムに顔を出さなくなった。辞めたわけじゃなくて、メッセンジャーアプリで事情を訊いてみたら「ちょっとお休みする」ということらしい。「ジムに行って強くなるにはジムに行って強くなるだけの強さが必要でした。ゴニョニョにも申し訳ない」とも書いてあった。しょうがない。
 ポケモン勝負をした日からアスミとの距離が縮まったりしたかと言うと全然そんなことはない。むしろアスミがジムに来なくなったおかげで夏休み中は会う機会がすっかり消えてしまった。他の機会で会おうと持ちかけても「今はちょっと」ってつれなくされる。逆に距離が遠ざかったんじゃないかと言われたら否定はできないかもしれない。それだけあたしとアスミの間に生じたものは簡単じゃないし、元々簡単な時間を一緒に過ごしてきたわけでもないから尚更だ。

 そんな感じのまま夏休みが終わって2学期が始まり数日後。その日は朝からネイティの機嫌が悪くてなだめるのに手間取って、家を出るのが遅くなってしまった。なんとか予鈴前に学校へ着いて、エントランスを通過しようとすると、いつぞやのように隅っこの壁の低い低いところをしゃがんで覗きこむアスミの姿があった。あたしがおはようと声をかけるとアスミはポカンとこちらを見て。ゆっくりひとつ頷いてから、壁に視線を戻した。
「……この穴」
 見ると、壁の穴が増えてる。最初あったのと同じような直径3センチほどの穴が、すぐそばにもうふたつ。
「これはやっぱり、私が一度観測したことで状況が動き出したって考えるのが自然――」
 アスミが言い終わらないうちに予鈴が割って入って、
「――教室、行くね」
 チャイムが鳴り終わるなり、アスミは小さくそう言って立ち上がった。あたしはその手をサッと掴む。
「え」
「約束。あとでお昼、一緒に食べよ」
 言ってから、また強引すぎたかなとハッとした。本当の本当に、こういうところだ。
 そんなあたしの顔をアスミが窺うようにまじまじと見つめてくる。あれ、なんかこれどことなくネイティっぽい。なんて思ってたらアスミの口元がきゅっと結ばれて、
「……うん」
 微かな声を残して、そのまま行ってしまった。
『中庭で食べたらまだ暑いかな?』
 あたしも自分の教室へ向かって歩いていると、そんなメッセージがアスミのほうから来た。



『1日中ネイティオがじっとしているのは未来予知でわかった恐ろしい出来事におびえているからだと信じられている』
 ネイティオの図鑑にはそんな説明が書かれているそうだ。
 毎日おびえなきゃいけなくなるほどの恐ろしい出来事なんてあたしにはとても想像がつかない。だけどそもそも未来は想像がつかなくて、想像もつかないままやって来るものだから、そんな出来事だって確かにあるんだろうと思う。
 あたしのネイティも、進化したら毎日未来におびえるようになるんだろうか。もしそうなったらあたしだって怖い。未来が見えても見えなくても結局できるのは今を良くすることだけだってのは本当のところだと思うから。そんなに大きな未来の出来事に対しては、きっと何もできないんだろうなって思うから。……たったひとりの親友との「これから」さえ、簡単なことじゃないんだもんね。

 だけど、ネイティオが未来を見るんなら。見える未来があるんなら。例えどんなものだとしても確実に未来はあって、あたし達はそこへ向かって歩いて行ける――「がさつ」なあたしは今こう考える。
 だから、
「おびえなくていいよ」
 いつも何かにおびえた顔してるあの子にも、これからゆっくりとこんな思いを届けられたらいい。

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