災の厄日

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作者:けもにゃん
読了時間目安:17分
 夕陽に染まる都会、ヤミカラスの鳴き声で子供達も帰り出す頃、逆に社会人達はフェザーダンスでも踊るかのように日頃の体の重さも忘れて笑顔で帰路に着く。
 金曜日の夕方は仕事に憂鬱になっている社会人にとってとても開放的で楽しい時間だろう。
 遊びに行く若人や翌日からの予定を考えながら買い物をする者、そして装いもそのままに飲み屋に消えてゆく者様々な楽しみ方がある。
 人間がよく口にする酒という飲み物は、自分からしてみればただの毒であり、同時に災いの元でしかないように思える。
 酔った勢いで強気になり、喧嘩を売って大怪我をしたり、フラフラとパッチールのようにしか歩けなくなり、仕舞いには倒れて怪我をしたり、はたまた飲み過ぎてそのままジョーイさんのお世話になったり……。
 「もうこれっきり」「明日から止める」そんな言葉をもうあちらこちらで聞いてきたが、そう口にする者に限ってまた同じ過ちを繰り返す。
 『酒は呑んでも呑まれるな』なる言葉があるらしいが、俺の主人も『呑まれている』側だ。
 俺の名前はクロウ。仕事に追われるOLとかいう職業の主人を持つポケモンだ。
 巷では『わざわいポケモン』と恐れられているアブソルだが、主人も俺の持つ能力の本質を知っているらしく、別段邪険に扱われた試しはない。
 普段はエアコンの効いた部屋で主人の帰りを待つ、家飼いのポケモンだ。
 主人が旅を辞めたのは結構早く、将来を見据えて勉学に励んだ甲斐もあり、上場企業というやつに努めている出来る人間だと聞いている。
 その分バトルの腕はからっきしのため、生涯のパートナーとしてただ愛情を注がれる存在となっている。
 とはいえ流石に主人の身に危険が及べば、それなりに戦える程度には強くなってはいる……と信じたい。
 まあ自分の身の上話はこの程度だ。
 主人は今の会社に勤めだしてから既に三年程経っただろうか。
 毎日辛そうな表情をして帰ってきていた頃とは既に打って変わり、家の中では随分と楽しそうに過ごすようになった。
 これは非常に喜ばしい事だ。
 そして去年ぐらいからはタクヤという彼氏を家によく招くようになった。
 職場で知り合い、気の合う者同士仲良くなってよく家にも招くようになった人らしく、自分の事もよく撫で回してくれる良い人だ。
 当然これも非常にいい事だ。
 既に番になってもいい頃だろうに、俺の事を気にしてか今の所そういった様子がないのがもどかしい。

「クロウ~! ただいま~!!」

 そうこうしている内に主人が帰ってきたようだ。
 帰宅早々にワシャワシャと毛を掻き回し、撫で回してくれた。
 その後ろにはタクヤが付いてきており、同じようにワシャワシャと頭を撫でてくれた。
 問題はここからだ。
 災いを察知する能力を持っているが、それはあくまで地震や竜巻のような災害であり、自分自身に降りかかる災難に関しては全くもって機能しない。
 金曜日の夜に二人揃って帰宅し、二人の手に沢山の物が詰まった買い物袋がぶら下がっている場合、まず間違いなく自分が一段と酷い目に遭う。
 普通の災難な日は主人が夜遅くになっても帰ってこない日だ。
 夜も更けて主人が帰ってこない事を暇だ暇だと待っていると、必ずあの酒とかいうものの匂いを纏って帰ってくる。
 そうなると俺は大切なパートナーではなく、弄りがいのあるオモチャにしか見えていないのか、俺の体を使って散々遊び倒した上で泥のように眠り始める。
 何週間か前にそうやって帰ってきた時は胸毛を細い三つ編みまみれにされた。
 翌朝には綺麗さっぱり忘れているらしく、さんざん謝りつつ、見た目の惨状に笑いを堪えきれなくなり、ロトムフォンでその滑稽な姿を撮影してくれるのだ。
 そしてこの二人が揃った時はこの災難がグレードアップする。
 似た者同士というかなんというか、酒というのを飲むとどんどん語気が荒くなり、普段は口にしないような言葉まで発するようになるから散々なものだ。
 今日も日頃の仕事で溜まった小さな愚痴を互いに溢し合い、ぐわんぐわんと動きが正常では無くなった辺りでテレビでバラエティ番組を見てゲラゲラと笑いながらどんどん上機嫌になってゆく。
 見ていたのはどうもポケモン達に巻き起こったハプニングの映像集らしく、その中で映ったストッキングを履かされたトリミアンが随分と可哀想な姿にされていたが、主人達はめっぽう気に入ったのか、転げまわる程に笑っていた。
 なんでも今、自分のポケモンを華やかに着飾らせるのが流行っている裏で、人間用のグッズをポケモンに着せてその見た目のギャップを楽しむというものも流行っているらしい。
 そういうことで早速俺も二人の餌食となった。
 安物だとか捨てる予定だったとかのストッキングという、人間の女性の脚を美しく見せるためのアクセサリーをあろう事かポケモンのしかもオスの俺に履かせてきた。
 噛み付いたり引っ掻いたりしてもいいところだが、酔っ払っている状態の人間は吃驚するほど回避能力が落ちているため、そんなことでもしようものなら大怪我をする可能性がある以上黙ってこの災禍が過ぎるのを待つしかない。
 どうやら装着が終わったらしく、ソファで俺にストッキングを装着させるとパタパタとテーブルの向こう側まで離れてこちらを見ている。
 脚を締め付けられる感覚が非常に不快だが、今回はまあこの程度で済んで良かっただろう。
 向こうの人間二人は既にツボに嵌ったのかもう箸が転がっても笑いそうな勢いで笑い転げ、パシャパシャと写真や動画を撮っている。
 こんなのしょっちゅうだから自分の痴態なんぞ世間に知れてもなんとも思わないが、後々深く反省しているのは主人達だということを頼むからその酩酊した頭でほんの一瞬でいいから思い出して欲しい。

「そういえば芸人とかが頭にストッキング被るじゃん? あれやったらどうなるんだろう!」

 そんな悪戯心のエルフーンのような囁きが聞こえた。
 この程度ならと思っていたが、今日は本当に厄日らしい。
 特に逃げる気もない俺を主人が捕まえ、タクヤが本来脚に装着すべきものを頭に被せてきた。
 当然ながら非常に息苦しい。
 頭の毛がグイグイと押し付けられ、皮膚が引っ張られるせいで瞼が開けられなくなり、薄目で周囲の状況を確認すると、また笑い転げていた。
 呼吸困難になるほど笑うのはいいが、本来悪タイプのポケモンは気性が荒い事を忘れないで欲しい。
 しかしもう彼等には自分の姿が視界に入るだけで面白いらしく、笑って笑って笑い転げ、一頻り笑い終わって涙を拭いながら起き上がり、こちらを見るとまた吹き出すという無限ループに陥っていた。
 そして毎度の事なのでもう慣れている自分が悲しいが、大体このループに陥ると途中で笑い疲れて子供のようにそのまま眠り始めるから質が悪い。
 こちとら割と締めつけの強い布に頭を締め付けられ、鼻の湿り気をひたすら吸い取られ続けている地獄のようなコンボをもらっているのに、我関せずといった感じで多少揺すっても起きる気配が全くない。
 仮にも主人の持ち物だ、可能ならなんとかして傷やらを付けずに外したいが、どうにも角や脚の刺が引っ掛かって外れそうもない。
 脚はともかく、問題は顔だ。
 流石にこのままだと呼吸困難に陥る可能性がある以上、主人に怒られる覚悟で顔だけは外さなければならない。
 そこで前脚で角の辺りを引っ掻くと、角と爪が引っ掛かりうまくストッキングが避けてくれた。
 が、そこでまたトラブルが起きる。
 普段バトルをしない影響で飲んでいない時の二人は自分の事を本当に大切にしてくれている。
 休日に爪や角をポケモン用のヤスリで何時間もかけて丁寧に研いでくれることもあり、自分も何か布地に引っ掛けて怪我をするような事もなければ、主人が大切にしているものを間違って傷付けることもない。
 そういう普段の二人の事を知っているからこそ飲んだ時のこの惨劇を黙認しているのだが、それが今回ばかりは裏目に出た。
 綺麗に全部破けずに一部だけが破け、角だけがストッキングからはみ出したのだ。
 また困ることにこのストッキングとかいう生地、薄い割にかなり丈夫で、引っ張ってもゆっくり元の位置まで収縮しようとする。
 飛び出した角は既に根元にストッキング生地が移動しており、今どうなっているのかよく分からない状況だ。
 あと流石に鼻が生地に擦れて痛いのと、湿り気を吸い取られ過ぎて鼻があまり利かなくなってきた。
 仕方がないのでとりあえず頭のストッキングを取ることは一旦諦め、呼吸の確保だけでも行う。
 顔辺りを覆っている生地を引っ張り、頭全体を出そうとするが、無駄に綺麗な爪のおかげで引っ掛かりにくいうえ、引っ掛けても裂けそうにはない。
 やっとの思いで一先ず顔の辺りの空間は保たれたが、これ以上はもう埒があきそうにもなかったため、明日冷静になった主人達に取ってもらえばいいかと考え、自分も眠る事にした。





     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇





 翌朝、目を覚ましたというよりは喧騒に叩き起された感じになったのだが、どうにもいつもと様子が違う。
 普段なら酒を飲んだ後の主人達は自分よりも起きるのが遅くなる。
 主人達が目を覚ますのを待ち、目が覚めたら昨晩の出来事によって自らの身に降ったこの惨状を謝られながら元に戻してもらうのだが、どうも今回は目を覚ました二人が随分と言い合いをしているようだ。
 どうやらストッキングを装着しまくった事もすっかり忘れていたらしく、トイレに行くために目を覚ました主人が俺の姿を見て一気に酔いが覚めたらしい。
 まあ傍から見れば頭に布を巻きつけられてピクリとも動かないポケモンを見れば死んだとも錯覚するだろう。
 それで慌てて俺の様子を確認してただ眠っている事に安心し、それと同時に怒りが湧き上がったようだ。
 ストッキングは女性にとってはとても高価で大事な物だ。
 それを冗談半分で頭に被せる事は例え酔っていてもしないだろうという判断だったらしく、タクヤを叩き起して状況の説明を求めつつ盛大に怒り散らしていたようだ。
 悪いが率先してストッキングを出してきたのは主人であり、なんならストッキングを頭に被せるために無抵抗ではあったが羽交い締めにしたのは主人だからな?
 キレる権利は残念ながら俺にしかないからな?
 そんな事は露とも知らないタクヤの方も惨状を見て驚いたらしく、というか二人共寝起きで頭がしっかりと働いていない時に衝撃的な物を見たせいで随分と混乱していたのか、流石にこんな事はしない、するわけがないと互いに言い合っていたようだ。
 いや……二人で共謀してやったんだからな……?
 どうせいつものことなので慣れている俺としてはさっさとこのストッキングを外してほしかったため、体を起こして一つ伸びをし、二人の間に割って入り、先に自分のコレを外してくれと無言の圧力を掛けた。
 稀にこういう言い合いに発展することがあるが、基本的に先に自分をどうにかしろという圧力を掛ければ喧嘩の仲裁もでき、自分の惨状も早い内に解決してくれるのである意味一石二鳥だ。
 そんなこんなでいつものように間に分け入ると言い争いを止めて先に自分の体からストッキングを外してくれた。
 しかしいつもと違い、後始末をしている最中も二人の間に会話が無い。
 いつもなら大体ここで謝りながら俺の身だしなみまで整え、その後は他愛のない会話に発展するのだが、今回は完全に黙々とストッキングを鋏で切り離してゆくだけだ。
 毛ごと切り取ってしまわないように細心の注意を払いながら切り取ってくれたおかげですぐにストッキングの圧迫から解放され、脚のストッキングも力任せに外すのではなく、丁寧に脱がせてくれて数時間振りの開放感に今一度快感を覚え、しっかりと体を伸ばしてから体をブルブルと震わせた。
 さて問題はここからだ。
 いつもならすぐに二人は俺に謝り、しでかしたことに対する謝罪の意味も込めていつもより長めのスキンシップを行ってくれるのだが、今日はやはりそういった雰囲気ではない。
 長い沈黙が二人の間を支配していたが、漸く主人の方が先にその静寂を破った。

「ねえ。なんでよりにもよってあのストッキングなの? しかもそれでクロウまで危うく死なせちゃう所だったってのに、何か言う事はないの?」

 それはご尤もだが、主人も同罪だ。タクヤだけが悪いわけじゃない。
 聞く所によるとどうもあの切り裂いたストッキングは以前タクヤが贈り物として渡した大切なものだったらしい。
 二人共その事をよく知っていたためあの気まずい空気が流れていたのだろう。
 それは分かるが主人はどうにもその溜飲が下がらないらしく、何故よりにもよってそんな大切な物を使ったのか謝らせたいようだ。
 二人共同罪だろうに大体の場合、機嫌が悪くなった女性には何を言っても無駄だ。
 タクヤの方もそれは分かっているらしく、かなり不服そうな表情ではあるが、形式的に謝っていた。
 普段ならここでこの空気も終わり、朝食からの反省甘やかしタイムになるのだが、朝食を作っても食べ終わっても未だ会話がほとんどない。
 このままじゃまるで自分のせいで二人が喧嘩しっぱなしのようにしか見えない。
 群れである以上、ずっとこのままなのは非常に困る。
 確か予定ではこの後買い物に行くはずだったが、どう見てもそんな雰囲気ではない。
 傍から見ても互いに本当は言いたい事があるだろうに、人間という生き物はどうしてこうも面倒なのか……。
 こういう時は手っ取り早い解決方法を使うのが正解だろう。
 そこでタクヤの傍まで行き、ロトムフォンの画面を覗き込む。
 やはりタクヤの方は既に昨晩の出来事を収めた動画や画像を見つけて状況を察したようだが、これをタクヤの方から切り出すと間違いなく不機嫌になる。

「クロウ……お願いしていいか?」

 そういう時はタクヤの方がよく理解しているのか、すぐに自分にそう訊ねてきたため、一つ大きく首を縦に振って答えた。
 事情をロトムにも説明し、画面を傷付けない程度に咥えて黙々と自分のロトムフォンを見ている主人の元へと持っていった。
 当然主人の方も昨晩の内容をロトムフォンの画像欄から察しているわけだが、何故ストッキングなんかを被せたのかが思い出せないでいるようだ。
 もう何度もこういうことを経験していると流石に俺も慣れる。
 既に対策はきっちりと組んでいるため、わざわざ災難に巻き込まれた俺が二人の仲裁役も果たさなきゃならないのが面倒で仕方がない。

「どうしたの? クロウ」

 俺が近寄ってきたのに気が付くと、そのままロトムフォンにお願いし、昨晩二人が見ていたテレビ番組の録画の様子と、それを見て盛り上がっている様子の二人の映像を映し出してもらった。
 それを見て昨晩のすっぽり抜けた記憶を埋め合わせさせる。
 当然酔っている二人が明日の釈明のためにこんな動画を撮るわけがない。
 撮影を依頼したのは俺で、それを毎度やってくれているのが二人のロトムフォンに憑いているロトム達だ。
 いつまで経っても二人が酒を飲むのを控えてくれないため、自分が無理を言ってロトム達に晩酌の内容を録画してもらっている。
 これで捨てる古着と誤って大切なストッキングを引っ張り出してきたのが主人だということが証明され、流石の主人も床に頭が付きそうな勢いで謝っていた。
 毎度どうせ二人共が悪いという結論に至るのだからそろそろ酒を控えるか、二日酔いだとかで気分が悪くなったせいで機嫌が悪くなるのを止めればいいのにと毎度の事ながら思う。

「ごめんねクロウ……。タクヤ……」
「いや俺も悪かった。それに……やっぱり飲み過ぎるのは良くないよ。たまたまなんともなかったから良かったけど、一歩間違えばクロウが死んでたかもしれないからな……。もう控えよう」

 流石に今回は俺の首にストッキングが巻きついていて非常に危険だったことと、二人の思い出の品を粗末にしたのにそれすらすっぽり忘れていたことはかなり堪えたようだ。
 二人して俺にもの凄く謝り、全身くまなくトリミングしてくれた。
 その後、本来なら二人だけで出掛ける予定だったはずなのに、俺まで連れて買い物に行くことになった。
 というのも、どうやら自分達がもう酒で迷惑を掛けないようにする証拠として、そして俺へのお詫びも兼ねての事だったらしい。
 高級なポケモンフードと新しいフカフカのクッションを買ってもらい、その後は宣言した通り、酒もぱったりと飲まなく……はならなかった。
 とはいえ、自分で何をしたのかを覚えていないほど飲むことはなくなり、漸く俺の身に降りかかっていた厄日も訪れることはなくなった。
 その後の主人とタクヤの関係も良好そうだし、まあめでたしめでたし……かな。

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