神との対決

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作者:きとら
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読了時間目安:12分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ただの山火事というだけでなく、まるで世界そのものが猛り狂う炎に貪られていくようだった。真下に広がる野山を見下ろしながら、空を滑るジュナイパーは恐れていた。大勢のポケモンたちが暮らす自然が、無惨に焼き尽くされてしまう。それだけは止めねばならないと。
 山をひとつ超えて、その考えが甘かったと悟る。手遅れだ。彼方でごうごうと燃え盛る炎が天をも灰色に焦がしている。まだ火の手が遠いにもかかわらず、チリチリと肌が焼けるように熱い。宙を舞うおびただしい火の粉が南風に乗って、火事をさらに広げていた。
 未だ遠い炎の果てに、ジュナイパーは踊り舞う炎を見た。

「ファイヤー……!」

 怒りに震えて、その名を漏らす。近づいてはならぬ、と自らを戒めるためでもあった。
 風の噂で、人間たちが勝てないと諦めた自然の脅威に厄災の名を授けたと聞いたことがある。氷結の支配者フリーザー、雷鳴の申し子サンダー、そして中でも最も凶悪と謳われるのが、炎を統べる神ファイヤー。
 かつては春を告げたとされる穏やかな神が、近頃は各地で厄災を招いている。その訳をうかがい知ることはできないが、引き下がっていい理由にはならない。
 奴は群れとナワバリを荒らしたのだ。それだけで万死に値する!
 野山の頂にそびえる一際高い木の天辺に立ち、するりと羽の矢をつがえる。だが闇雲に狙っても届かない。敵はファイヤー、届く前に矢が燃え尽きるだろう。
 さてどうしたものかと観察していると、遅れてフクスローが飛んできた。一段下の枝に留まるなり、けたたましく喚きだす。

「オサ、逃げましょう! かないっこありませんよ!」
「逃げてどうする、流れ着いた先にはまた別の群れがいる。果てしなく続くであろう血生臭い戦いよりも、鳥一匹殺す方が簡単だ!」
「その鳥は火そのものですよ! ただ気まぐれに燃やすばかりで、せいぜい勢いを鈍らせることはできても、止めることなんて誰にもできやしない!」
「お前は群れを連れて避難しろ。止めることなんて誰にもできない?」ジュナイパーは一本矢を咥えて、ニヤリとほくそ笑んだ。「俺が止めてやる!」

 高木を揺らすほど力強く飛び立ち、叫ぶフクスローを背に、ジュナイパーは山火事に突っ込んでいった。
 その熱気たるや凄まじく、火の粉に触れれば毛先が燃えた。もくもくと空を覆う白煙に身を投じれば、肺が呼吸を拒絶する。ほんのわずかな煙の合間に抜けては、息ができなかった分の反動が押し寄せ、吸える限りの息を吸って膨らんだ。
 空に立ちのぼる熱波が身体を空に押していく。熱気さえ我慢すれば、飛ぶのは楽だ。あとはこれらの悪環境で、どうファイヤーを仕留めてやるか。
 雲のように濃密な白煙を抜けると、いよいよ厄災がお出ましだ。ジュナイパーは目を見開いて、咥えた矢を即座につがえた。
 一本の矢が黒く染まり、指先で小突けば七本の矢に分裂した。『影撃ち』、すなわち矢の影ごと放って獲物を射止める、先手必勝の早撃ちだ。それを天高く向けて放った。

 ファイヤーはそれまで何食わぬ顔で優雅に飛んでいた。時々気ままに吠えて、自らの力を顕示する。この世は我の天下なり。畏れよ、崇めよ、我こそ死と再生を司る炎の化身だ!
 ひゅん。矢の雨が突然襲ってきた。二本がそれぞれ両翼に刺さっている。

「……おん?」

 すっとぼけた声を出して顔を上げると、煙にかげる太陽からさらに五つの矢が降り注いだ。たまらずファイヤーは翼を盾に受けきるも、それが攻撃だと悟った瞬間、身体中の炎が激しく煌めき、その火力を一気に増していった。

「誰じゃあ、わしに逆らう虫けらはぁ……!」

 ジュナイパーは煙の中を飛びながら、笑いをこらえるのに必死だった。短気な愚か者め、こちらが見えまい。自ら焼いた森のせいで、お前は視界を潰しているのだ。
 もっと燃やせ、もっと目を曇らせろ。お前はただでは殺さん。狩られる恐怖を存分に味わってから死んでもらう!
 再び影の矢をつがえて、七つに分かつ。煙に紛れて飛び交いながら、撃っては逃げてを繰り返す。そのたびにファイヤーはひときわ炎を猛らせて、闇雲に『火炎放射』を噴いた。見えていないのに、当たる訳がない。刺さったそばから矢が燃え尽きていくが、傷までは消えずに残っている。小さな出血はやがて全身に及び、血まみれのファイヤーは怒りのままに吠え立てた。

「ええい忌々しい!!」

 ファイヤーが、力の限り羽ばたいた。
 爆発的な熱波がジュナイパーの身を焦がす。とっさに両翼で防ぐも、身体が焼けるように熱い! たまらずファイヤーから距離を取るも、まばゆい太陽に照らされ、一瞬ではあるが怯んでしまった。
 白煙が消えていた。たった一度の羽ばたきで、覆っていた煙幕が一蹴されたのだ。
 それがどんなに致命的か、ジュナイパーはすぐに悟った。

「お前か」

 火炎放射、というよりもレーザーのような業火がジュナイパーを襲った。身を翻して、紙一重で避けた……が、かすった脇腹が抉られてしまった。あまりの高熱で傷口は焼かれ、幸いにして血は流れてこない。しかし。

「ぎっ」地獄の苦痛が、込み上げてきた。「ギャアアァァアアア!!」

 かすっただけでこの痛み! 脇腹だけじゃない、まるで全身を内側から焼かれているようだ!
 目から涙が溢れ、口から涎が止まらない。ジュナイパーはとにかく逃げねばと、翼を畳んで急降下した。抵抗する風が傷口を撫でれば、千本の針で貫かれるような痛みが走って、また叫んだ。
 地面に墜落する寸前、ジュナイパーは翼を広げて低空飛行に移った。燃え盛る森の中を飛ぶのは危険だが、ファイヤーに生身を晒す方がよっぽど危ない。
 しかし、空からファイヤーが放つ業火『火炎放射』は執拗に追いかけてきた。浴びた大樹が、一瞬で消し炭になった。業火が走った後は、黒ずんだ死の大地しか残らない。ファイヤーは口元を歪めて笑った。お前も今にそうなるのだ、と。

「……死んだか?」

 ひとしきり業火を吐き尽くして、ファイヤーは焦げた更地を見渡した。えもいえぬ快楽に胸が高鳴る。ひとたび山肌を撫でただけで、何百何千もの年月を経た雄大な自然が灰と化す。無数の運命が炎の翼ひとつでねじ曲がる。これほどの快感は他にない!
 たとえジュナイパーが果敢に抗おうとも、太陽に等しき我が力、一個の凡庸な獣が敵うべくもなし。またひとつの命を啜った実感を、味わっていた。

 ずるり。

 太陽に照らされ、陰るファイヤーの腹から、凡庸な獣が這い出てきた。身の丈よりも長い長い、影の矢をつがえて。『シャドーダイブ』。森の影に潜ったジュナイパーは、大地に降りたファイヤーの影を伝い、昇ってきたのだ。
 嘴に込めた炎が解き放たれるよりも速く、ジュナイパーは驕りが詰まったファイヤーの腹めがけて粛正の矢を放った!

「くたばれ厄災!!」

 咆哮と悲鳴が交差する。黒の一閃はファイヤーの腹を確実に射抜いて、その傲慢さに風穴を開けた。
 やった、と思うのも束の間、神に挑んだ代償が襲う。高熱の炎を宿すファイヤーに近づきすぎた。触れるまでもなくジュナイパーの身体が発火し、炎に包まれ落ちていく。ジュナイパーはぎょろりと目を動かして、かつて湖のあった場所に目を留めた。今は熱波で枯れ果て沼地と化したが、火を消すには十分だ。羽ばたき、方角を定めて沼地めがけて突っ込んだ。
 全身を泥まみれにしながらも、ジュナイパーはしばらくして立ち上がった。全身に大火傷を負ったのだ、足取りもおぼつかないが、これで群れを守れたのならば小さな代償だ。
 そう思っていたのに。

「オ、オ、オォォオオオ……!」

 地を這うようなおぞましい咆哮で大気が震え、一瞬、世界が夜になった。太陽さえ光を失った。次の瞬間、新たな太陽が凶悪な輝きを放ち、空を燃やした。『ゴッドバード』、それは炎の神ファイヤーがあまねく光を支配し、その身に宿した奇跡の姿を呼んだ。
 ひとたび羽ばたけば山々は焼かれ、ふたたび羽ばたけば吹きすさぶ熱風に山肌が剥かれる。もはや隠れる術もない、『シャドーダイブ』で影に潜ったところで、影ごと焼き尽くされるだろう。
 フクスローの声が頭の中から聞こえてきた。それ見たことか、厄災に挑むからこんなことに! はじめから挑むべきではなかったんです!
 その声に対して、ジュナイパーは思念で応えた。それは違う。俺には守るべき群れがある。一度屈してしまえば、何世代にも渡って奴を崇め、服従するしかない。それが俺たち野生の本能なのだ。負けた相手には逆らえない。だから俺が戦い、勝たなければならない。たとえこの身が焼き尽くされようとも、決して退くことのできない戦いが、群れのオサにはあるのだ!
 ジュナイパーは静かに羽の矢を咥えて、神々しい太陽を見上げた。

「さらば、神よ……!」

 大地より飛び立つ一筋の深緑。翼をはためかせれば風を呼び、その身に纏いて包み込む。それは風が勇気を認めた者にのみ与える称号、『ブレイブバード』。神の光を破って舞い上がるジュナイパーを、風がグンと押し上げた。距離が縮まるにつれて、威光は激しさを増していく。近づく者すべてを焼き尽くす光が、風の加護をもってしてでも身を焦がす。草のフードが焼かれ、羽を毟られ、目を焼かれようとも、ジュナイパーは飛翔を止めない。もはや白く染まった瞳には、ファイヤーの心臓しか映っていなかった。
 ここが限界だ!
 ジュナイパーが確信した瞬間、咥えていた矢を掴んで弓につがえた。ギリギリと蔓の弦が軋む。ちぎれる寸前まで力の限り矢を引いて、太陽に狙いを定める。

「愚かな!」ファイヤーはより威光を強めながら、高らかに嘲笑った。「たかだか獣の矢ごときで、神の衣を纏ったわしには通じぬ! しかしこのわしを怒らせるに至った獣はそうおらん、光栄に思え、貴様のことは記憶に留めておいてやろう!」

 たったひとつの矢。だが、神をも殺せる矢が、ジュナイパーにはあった。『ブレイブバード』で宿った風が、一本の矢に集約されていく。その威力の凄まじさたるや、平時であっても身体中の骨が軋むほどの反動だ。おそらく今はもう耐えられないだろうが、その一撃は必ずや神を死に導くであろう。
 ジュナイパーは叫び、矢を離して、粉々に爆ぜた。
 たとえて言えば、ハリケーンの如く暴風がたった一本の矢に凝縮されたようなものである。大仰な神の威光などものともせず、一直線に、ただまっすぐと、ファイヤーの胸を射抜き、大きな風穴をこじ開けた。

 *

「その後はどうなったんですか?」

 若木の森を駆けながら、若きジュナイパーが尋ねた。
 その前をゆく老齢のジュナイパーは、微笑ましげに振り返り。

「オサは死に、厄災ファイヤーも力を失った」
「仕留められなかったんですね……」
「だが厄災の力は消えた。ファイヤーは炎さえあれば蘇るが、全盛期の力を取り戻すことは叶わなかったそうだ」

 ふうん、と若きジュナイパーは相槌を打って、大先輩と肩を並べるぐらい勇んで前に出た。

「なら俺は、彼の偉業を超えるオサになります! ファイヤーが来ても、俺の『影縫い』で仕留めてやる!」

 若気の至り、恐ろしや。老齢のジュナイパーはやれやれと首を振ったが、同時にかつてのオサが目に浮かんだ。
 彼もこうだった。私がやめろと言ったあの日も、怒りに震えながら、どこか楽しそうにファイヤーを見ていた。
 ご安心を、オサ。あなたの魂は今もこうして、若者たちに受け継がれていますよ。決して敗北を認めない、頑固者の魂が。
 ほっほう。どうやらこの勝負は、あなたの勝ちですな。

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